「常識」対「非常識」の戦いとは、どういうことをいうのでしょう。
たとえば、交わした契約について、更新のたびに、少しずつ書きぶりが変化し、数年たつと大きく変容していた、ということは、ままあります。
A氏は、契約更新において、その都度、内容をしっかりと把握・解釈することなく、文書に署名してきました。
数年を経て、相手方が、
「更新をするには、これこれこのような条件となる」
と、知らせてきました。
通知された側は、(内容をしっかりと把握・解釈せずに署名し続けてきた自分の行為を棚にあげ、)驚きます。
「これはひどい。あんまりではないか」
「このような通知を出すなんて、信じられない。非常識だ。今までの(私たちの)関係は、良好だったではないか」
あるいは、
「世情や環境の変化もあるだろう。このように、言ってくるのはしかたがない。とはいえ、この条件はあんまりだ。もう少し、何とかならないだろうか」
A氏は、このような考えから抜け出せません。
そして、考えに考えて、
「相手の同じ人間だ。話せばわかるはず。とはいっても、無償では聞いてくれまい。いくばくかのカネを渡せば、こちらの言い分も少しは受けて止め、きいてくれるのではないか。まあ、常識的なところで、○○円さえ渡せば、それ以上は要求せず、おとなしくなるだろう」
と思い込み、“○○円の交渉”のために弁護士に相談します。
実は、このように考える人は少なくありません。
弁護士の視点からすると、(A氏が考える)“平和”のための○○円というカネの提供は、
「相手をビビらせれば、金が出てくる」
というメッセージを相手に与えてしまい、そこから、際限なき譲歩を迫られていく、というシナリオ(無論、可能性に過ぎませんし、そこまでに至らない可能性もあるかもしれませんが)への配慮がほとんどなされていません。
(相手方からすれば)A氏をビビらせ、困惑させるネタは、これまで、(A氏本人が)しっかり内容を把握せず、あるいは、その悪意を解釈することなく、署名してきた、数々の文書からネタを引っ張れますし、
「漢字が多く、意味解釈が困難で、一見しておどろおどろしい法的手続」
を誇示してちらつかせれば、A氏はいくらでも言うことを聞いてくれる、ということを、相手方に教えています。
相手にとっては、こんなラクな相手はありません。
法律の世界では、A氏は、
「常識」
に囚われ、
「非常識」
な事態や相手を理解・想像せず、法という
「非常識」
にしたがった準備を、してこなかった者ということで、
「怠惰、唾棄すべき存在」
とされます。
このようにして
「優位に立った非常識は、常識に遠慮するどころか、(相手方は)ますます図に乗り、のさばり、全てを奪っていく」
のです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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