日本では、1980年代終わりから90年代なかばころまで、官庁の主導により産業界の育成が図られていた時代が存在しました。
この時代、各業界において競争力が最も欠落した企業であっても維持・存続できるような業界育成が行政の最大のミッションと考えられ、行政機関は、許認可権限やこれに基づく行政指導等の権限(行政裁量権)を駆使して、業界全体をコントロールしていました。
この方式は、最も船足の遅い船に速度を合わせて、船団が統制を保って進行する戦術になぞらえ、
「護送船団方式(あるいは護送船団行政)」
と評されていました。
時代の産業界のキーワードは
「秩序ある発展」
であり、当該秩序は、法律や裁判を通じてではなく、行政による裁量や業界内の話し合い等によって確立されるべきものでした。
当時、日本の産業界で、
「法令遵守」
「コンプライアンス」
という概念は、特段、経営課題として意識されておらず、また契約事故や企業間紛争が生じた場合も、裁判等に訴えられることは稀であり、協調関係にある業界同士の話し合いや、監督行政機関もしくは業界団体の斡旋により自主的に解決されていました(ちなみに、東芝によるCOCOM規制違反事件を契機に「輸出規制遵守」あるいは「輸出規制コンプライアンス」という概念が一時話題になりましたが、その後、企業一般の経営課題としては、根づくことはありませんでした)。
当時の企業の最大のコンプライアンス戦略は、
「上をみて(行政に従う)、横をみて(業界横並びを意識する)、後ろを振り返る(従来からの慣例を墨守する)」
ということでした。
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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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