裁判官は常に
「ジェントルでエレガントで、何を言っているのかさっぱりわからない言い方」
をします。
「東大卒の知的で穏やかな紳士だけにしかわからない、奥歯にものの挟まった言い方」
というものが、世の中には存在します。
だからこそ、和解のチャンスや和解のサインを見逃すのです。
要するに、和解について、裁判所の出すサインはわかりにくいものです。
ポーカーの手を読むのと同じで、熟練が必要です。
熟練には、理論も経験も必要です。
ちなみに、理論を学ぶのに、我々弁護士は、平均して3万時間(旧司法試験においては、合格平均年齢が30歳でそこから2年かけて司法研修を終え、はじめて弁護士バッジをもらえます。大学専門課程が20歳から開始と仮定して12年間、平均して1日7時間の法律の勉強が必要です。7時間✕365日✕12年)ほど費やします。
とはいえ、理論という形式知だけでは使い物にならず、弁護士は、経験を通じて、各種暗黙知も備わってこそ、初めて仕事ができるのです。
要するに、理論なき経験は無価値です。
同様に、経験なき理論も無価値です。
「法律を分かったような気になって、一般人が矮小な経験値を基礎に、常識という偏見を形成して、それを一般論として、どのような場合にも当てはめる」
という愚考・愚行を目にすることがありますが、本物とまがい物では、やはり、違うのです。
守株待兎(しゅしゅたいと)の故事成語と同様、経験をいきなり普遍化するのは極めて危険です。
理論的背景がなければ、普遍性はないのです。
一般人が裁判所の出すサインを簡単に読めるようであれば、弁護士の価値は皆無なのですから。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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