法律の世界において、
・裁判官は、我々の味方でも相手の味方でもなく、コントロールできない「ジョーカー」のような存在です。
・裁判官は、事件に関し、独裁権力を有している状況ですが、他方で、上訴によってさらなる別の上位の独裁権力のレビューにさらされる可能性もあるため、孤独な独裁者としてのストレスを抱えています。
・裁判所との向き合い方は、情報が隔絶され、人的交流が築けない、上記のようなプロファイルを有する裁判官をカウンターパートとする外交ゲームだと考えることです。
・ゴマをするのが基本ですが、他方で、エレガントに威嚇し、駄々をこね、辟易させたりすることも必要です。
・こちらとしては、人格を多重・多層に設定し、裁判官にはこちらの真意を悟らせず、いくつかの情報の投げかけと、それに対する反応をみることによって、心証を読み取っていくことになります。
これが、法律の世界の環境です。
一般的な当事者は、“裁判官の選好を決定的に変えることのできる、唯一無二の選択”を信じ、絶対視し、追い求め、それにすがってひたすら祈り続けます。
そして、
「裁判官は神様であり、不興を被るとロクなことにはならない」
と考えます。
このような考え方も理解できますが、
「正解はなく、最善解しかない」
というのが、現実です。
さらに、注意しなければならないなのは、
・時間を巻き戻すことはできない
・たとえば、地裁での判決がくだされ、高裁に至ったのであれば、新たなストーリーやエピソードを後出しすることはできない
・選択肢においては、不可逆性を有するものがある
という点です。
企業法務に30年近く携わってきた筆者としては、自分たちの願いを叶えない、あるいは、叶えない可能性のある神様は、
「間違った神様」
だと認識し、こういう神様には、ただひたすら頭を下げたり平伏したりするだけではなく、場合によっては、適切なプレッシャーをかけ、強めの姿勢でこちらの主張・意図を押し出し、しっかりと存在感を示すことも必要だと考えます。
要するに、神様をむやみやたらに恐れることはせず、むしろ、冷静かつ丁寧に、腰を据えて毅然とした態度で
「あんじょうたのんまっせ。わかってますな」
と、こちらの期待をそれとなく伝えることを厭わない、ということです。
弁護士は、クライアントの選択の幅が広がる方向で、交渉リタラシーを駆使し、想定を巡らせ、選択肢を増やすことがその役割ですから。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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