00643_“げに恐ろしきは法律かな”その4:「法律」の公権的解釈・運用は複数存在する

法律は、ときに非常識な内容を含み、日本語で書かれているものの
「まともな日本語の文章」
と言えないほどに読解不能でユーザーインターフェースが欠如している特殊な文書(もんじょ)ですが、それは仕方ないとしても、せめて、読み方や解釈や運用くらいは公権的に統一しておいて欲しいものです。

私的な解釈はともかく、公権的解釈がいくつもあっては、何を信じて行動していいかわかりませんし、迷惑千万ですから。

しかし、
「ときに非常識な内容を含み、日本語で書かれているが日本語の文書ともいえないほどユーザビリティが欠如している、この“法律”という代物」
については、なんともデタラメというか不気味この上ないことに、公権的解釈・運用が複数存在するのです。

こんなニュースを例にとって考えてみましょう。

====================>引用開始
2005年2月26日  東京地方裁判所は、特許権侵害訴訟において、日本水産の冷凍塩味茹枝豆特許(塩味茹枝豆の冷凍品及びその包装品の特許)を無効と判断し、日本水産の特許権に基づく損害賠償等の請求を権利濫用として許されないとして棄却。
<====================引用終了

ボーっとみていると、
「このニュースの根源的異常さ、奇っ怪さ」
に気づきませんが、しっかりみてみると、何とも不気味で異常な、怪現象ともいうべき
「法の公権的解釈・運用」
の実体(というかデタラメさやいい加減さ)が浮かび上がってきます。

上記ニュースの経緯を私なりに紐解くと(注:自分としてのわかりやすい理解のため、大筋を外さない程度に私なりに脚色や誇張を加えています)、

・日本水産が特許(冷凍塩味茹枝豆特許)を特許庁という奉行所の門を叩き、特許出願した
・当該出願にかかる特許は、(おそらく実体審査で、当初拒絶査定を受けた後、補正等をするなどの努力の後)特許庁において「最終的に特許要件を充足した」と判断されて成立し(特許査定を受け)、無事、設定登録を受けるに至りました
・特許庁から特許を受けた日本水産は、得意満面、「これが目に入らぬか!畏れ多くも畏くも、天下の特許庁より我が方が授かった特許なるぞ!」と我が物顔に天下万民に対して誇示しました
・ところが、天下の特許庁より下賜された特許を、あろうことか、「塩加減考えて解凍しても塩味が残る枝豆が特許? 発明? 何やそれ、そんなもん発明とか特許とかなるわけないやろ。アホくさ! ほっとけ、ほっとけ。無視や無視」といわんばかりにシカトし、平然と特許を足蹴にし、特許請求範囲に属する冷凍塩味茹枝豆を製造し販売し続ける、身の程をわきまえない不貞の輩(注:以上は、あくまで、日本水産の主観を筆者なりに推測したものです)がいました
・そこで、日本水産は、この「平然と特許を足蹴にし、特許請求範囲に属する冷凍塩味茹枝豆を製造し販売し続ける、身の程をわきまえない不貞の輩」を成敗すべく、特許庁とは別の、「裁判所」という「不貞の輩を成敗する専門の奉行所(国家権力機関)」に成敗の申し出をしました
・ところが、この「裁判所」なる奉行所は、「我が方の特許法解釈によれば、日本水産の冷凍塩味茹枝豆特許にかかる発明は、特許の要件を具備しておらず、特許に値しない、陳腐にしてありきたりで浅はかなる思考の産物である。すなわち、特許庁なる奉行所(行政機関)が特許したことこそが、愚劣で浅はかな間違いを犯したものというほかない。その方、そのような幻ともいうべき無効な特許を盲信し、これを振り回し、あろうことか、無辜なる市民を権利侵害者呼ばわりし、当奉行所に成敗を求めようなど、その方こそが、浅はか千万、夜郎自大の極み。その方の申し出こそ、権利の濫用として、許されざることは、明白である。控えおろう!」との非情で無情のお裁きを下しました。
・すなわち、裁判所という奉行所では、特許庁なる奉行所と別の法解釈・運用の下、ありえないことに、「平然と特許を足蹴にし、特許請求範囲に属する冷凍塩味茹枝豆を製造し販売し続ける、身の程をわきまえない不貞の輩」と同調し、「天下の特許庁より授かった特許」を信じ、これに依拠して成敗を申し出た日本水産を逆に「無効な権利を濫用する不届き者」扱いをするに至ったのです。
・そうして、日本水産は大いに体面を喪失するとともに、多大な時間とコストとエネルギーを費やして苦労の挙げ句取得した特許は、夢幻として儚く消え去った

ということなのかな、と考えます。

この経緯において、日本水産は、まったく悪くありません。

特許制度を利用し、特許庁という公的機関から、正式にお墨付きを得て、そのお墨付きの権威を確信し、権威への信頼を基礎に行動しただけですから。

この、日本水産にとって何とも無残でミゼラブルな帰結の根本原因は、
・我が国において、法の解釈運用が、特許庁という国家機関と、裁判所という国家機関という、複数の奉行所が行なう制度前提があり、
・それぞれの奉行所が、独自の考え方で、まったく別の「法の解釈運用」を行ない
・その結果、今回は、特許庁と裁判所で真逆の「法の解釈運用」結果となり、
・この(日本水産から観察すると)デタラメで無秩序で無責任な「法の解釈・運用」に、何の罪もない日本水産が振り回され、多大な迷惑と損害を被った
というものであり、
「法律の公権的解釈は複数存在し得る」
という法律の根源的本質に根ざした悲劇ともいえます。

さらにいいますと、この現象の背景となる国家原理は、三権分立という我が国憲法をはじめ近代憲法が採用した統治原理に根ざすもので、この
「法律の公権的解釈・運用は複数存在しうる」
という怪現象や怪現象に伴う悲劇は、近代憲法を採用する国家ではどこでも生じ得るものです。

他にも、この
「法律の公権的解釈・運用は複数存在し得る」
という怪現象を実感する事例があります。

身近なところで、刑事裁判で、裁判所が(事実認定とは別の、法の解釈運用に基づき)無罪判決を下したとします。

これも、
「法律の公権的解釈・運用は複数存在し得る」
という怪現象の1つです。

すなわち、国家機関(独任官庁)である検察官が、
「わが方の法解釈・運用によればこいつ(刑事被告人)は有罪だ」
という見解を示したのに対して、別の国家機関である裁判所が、
「何言ってんの? あんたの法解釈間違っているよ。私の法解釈運用によれば、この人は無罪だよ」
と言って、法の公権的解釈・運用が複数存在し、それぞれが齟齬矛盾をきたしている状況を看取できます。

国家賠償請求事件で請求認容判決が出る場合も同様です。

国や国を代理する訟務検事の法解釈・運用を排斥し、裁判所が別の法解釈運用を基礎に、国を敗訴させるわけですから、 ここでも、
「法律の公権的解釈・運用は複数存在し得る」
という怪現象が看取されます。

もちろん、一般的には、行政官庁も、裁判所も、そこで勤める方々は、
だいたい同じように小さいころからお勉強ができ、
だいたい同じように東大や京大を始めとするやたらと受験偏差値が高い難関大学を卒業し、
だいたい同じように大学では調子に乗ってフラフラ遊ぶことなくお勉強に勤しみ、
だいたい同じような小難しい法律の試験(司法試験や国家公務員試験)をパスして、
だいたい同じように小難しい顔やつまんなそうな顔をして地味なスーツを着てつまんなそうに仕事をしている、
だいたい同じように話しても理屈っぽく細かく退屈でつまんなそうなタイプの方々(注:以上は、世間的なイメージを私が推定したものであり、実際はそうでないかもしれません)
ですから、思考や発想や人生観は近似しており、
「法の解釈運用」
の相場観が、行政官庁と裁判所で大きくズレることは少なく、したがって、国家賠償請求事件や税務訴訟でも、9割以上の確率で請求棄却判決(行政側勝訴)が下されます。

しかし、裁判官の中には、行政官庁を敵視し、あえて行政官庁の法解釈・運用を採用し、行政側を敗訴させ、
「法律の公権的解釈・運用は複数存在し得る」
という過酷な現実を体現するような裁判官もいらっしゃいます。

かつて、法曹界において有名であった逸話に、
「東京地裁の藤山コート(法廷)」
というものがありました。

1999年ころに、 東京地方裁判所の行政専門部の1つであ地裁民事3部に、藤山雅行という裁判官が部総括として就任しました。

ところが、この藤山裁判官、 国やエスタブリッシュメントの法解釈運用とはまったく別の法解釈運用を採用することが多く、アフガニスタン難民訴訟、韓国人不法滞在者強制退去処分取消し訴訟、圏央道土地収用訴訟、小田急高架化訴訟、国保軽井沢病院医療事故訴訟、ひき逃げブラジル人強制退去処分取消し訴訟でいずれも国側敗訴の判決を下しました。

行政側に対するあまりに過酷な態度で臨み、国側敗訴判決を連発したことから、中国の歴史上有名な詩人杜甫が詠んだ
「国破れて山河在り」
になぞらえ、所属する東京地裁民事3部の名称をもじって
「国破れて3部あり」
などと言われていました。

なお、
「(当時、)東京地裁の行政専門部は、3部(民事第2部・民事第3部・民事第38部)存在したが、係属指定できず、ランダムに係属が決定するため、 この(原告有利、国側不利のバイアスが期待できる)藤山コートでの訴訟係属を試みようと、国を訴える原告サイドとしては、藤山コート(3部)に係属決定するまで、何度も訴え提起と取り下げを繰り返した」
というまことしやかな噂も法曹界では存在しました。

このような噂話が流布するくらい、
「国を破れさせる」
藤山コートの原告サイド(国を訴える側)の人気は超絶に高かったといえます。

さらにいいますと、同じ裁判所という国家機関内部においても、例えば、東京高裁が控訴審において、地裁判決を破棄し取り消す判決(控訴認容判決)を出す、ということは、東京地裁の法の解釈運用に対して、東京高裁が別の法解釈運用を行って、ダメ出しをしたものと、と観察することが可能です。

こうやってみてみると、法の公権的解釈運用は2つどころか、複数存在しうる、という、デタラメにして奇っ怪な実体がまざまざと理解されます。

いずれにせよ、法律は、非常識で、日本語でもないのは仕方がないとしても、せめて、読み方や解釈や運用くらいは公権的に統一しておいて欲しいものですが、残念なことに、公権的解釈運用も複数存在するのが、この法律の不気味で厄介なところです。

やはり、
「げに恐ろしきは法律かな」
です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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