00752_チエのマネジメント(知的財産マネジメント)における企業法務の課題1:企業における「チエ(情報、技術、ブランド)」のもつ意味・重要性

かつての産業経済は、一定の規格のモノを安価かつ大量に生産し、これを大量に消費することにより成り立っていました。

しかし、
農業における「豊作貧乏」という事態
のように、
社会にはモノがあふれ、逆に過剰となったモノは地球環境にとって有害である、
とすら言われ、企業の責任として
「無駄なゴミを作り出すな。廃棄物の回収に責任をもて」
ということまで要求されるようになってきました。

現代の企業活動においては、
「モノ」
を大量に作り出すことから、高度な研究開発の成果を蓄積・活用し、ブランド力を高めることが、競争力の維持・向上や企業の生き残りとして必須の課題と認識されるようになりました。

このように、現代では、多くの企業において、重視すべき経営資源が
「モノやサービス」から「アイデアやブランド」にシフト
していくようになっておりますし、また、世界的にも、競争力を高めるためにはアイデアやブランドを保護し、強力なインセンティブの下にこれらの創造を後押しすることが重視され、知的財産権の強化が叫ばれるようになってきています。

日本においても、
「知的財産立国」
を目指して知的財産戦略会議を行い、知的財産戦略大綱の決定を経て、知的財産基本法が施行され、一貫して知的財産権保護強化の政策が取られています。

他方、もともと産業文明が模倣と改良により発展してきたものであり、知的財産権を必要以上に強化することは、産業社会の発展を妨げるという考えもあります。

知的財産保護の法制度も
「一定の要件を満たす高度でユニークな知的成果で、社会にとって有用なものに限定して法的保護を与える」
ということを大前提としています。

ところが、このような趣旨を誤解し、
「高度な知的成果とは言い難い、ありふれた思いつき」

「知的財産」
と称し、知的財産権保護の名の下に正常なビジネス活動を行う企業を威嚇するなどして、社会に混乱を与えるケースも存在します。

また、知的財産権は物権のように強力な権利を第三者に及ぼすことができる反面、権利範囲は物権と比べて曖昧模糊としており、知的財産権が及ぶ範囲と及ばない範囲や、類似の知的財産権相互間の権利範囲の境界は極めて漠然としています。このため、
「土地の境界争い」
が如き知的財産権紛争も増加の一途をたどっています。

一括りに知的財産権といっても、実に多種多様の権利を含み、また、それぞれの権利毎に、権利が発生するための要件や登録の要否、権利侵害が生じた場合の救済手続が細かく、かつ複雑、かつ難解に定められております。

また、知的財産とは、
「国がフレームを定め、一定の要件の下に、民間人に『特別の利権』を付与するもの」
である以上、当該利権の仕組みには行政機関が強力に関わってきます。

他方、所管する行政機関が知的財産権の種類毎に異なるほか、権利としての成立の是非を巡る訴訟に至った場合、
「特許庁の登録という判断(行政判断)を裁判所の司法判断として採用するか異議を唱えるか」
という
“司法権”対“行政権”という国家機関相互のケンカ
にまで発展する問題をも孕む、極めて複雑な法律問題に発展します。

このため、法律の専門家である弁護士ですら
「知的財産紛争は一切取り扱わない」
というスタンスを取る者も出るほど、取扱がやっかいなビジネス課題であることは確かです。  

このようにビジネス課題としては、極めて理解及び運用が困難な知的財産マネジメントですが、知的財産が今後の企業活動にとってますます重要性を帯びることを考えれば、知的財産の実体を正しく理解し、情報・技術・ブランドに関し正しい戦略を構築し、武装を行っていくことは企業にとって必須となることは間違いありません。

初出:『筆鋒鋭利』No.076、「ポリスマガジン」誌、2013年12月号(2013年12月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00751_カネのマネジメント(ファイナンシャル・マネジメント)における企業法務の課題5:カネのマネジメントで企業が失敗するリスクに法務部としてどう関わるべきか

どんな人間も、人間である限り、カネの欲には勝てません。

====================>引用開始
宗教法人の高野山真言宗(総本山・金剛峯寺、和歌山県高野町)の宗務総長が宗団の資産運用を巡り交代した問題で、外部調査委員会が損失額を当初の約6億9600万円から約17億円に訂正していたことが明らかになった。
(2013年9月11日の毎日新聞「高野山真言宗」「損失額、大幅に増」「外部調査委)」。 その他、2013年4月22日付「朝日新聞」朝刊「高野山真言宗30億円投資 浄財でリスク商品も 信者に実態伝えず 『粉飾の疑い』混乱」など多数の報道)
高野山真言宗の八事山興正寺(名古屋市昭和区)の住職らが19日、名古屋市内で記者会見し、前住職が関わった土地の売却代約138億円のうち約68億円の運用に不審な点があり、背任容疑で前住職らを告訴することを検討していると明らかにした。
会見を開いた添田隆昭住職らによると、前住職は平成24年に寺の土地約6万6千平方メートルを学校法人に売却。売却代金のうち約41億円が寺の関係者が代表取締役を務めたコンサルティング会社(東京都港区)に支払われ、前住職が設立に関わった英国の法人にも約14億円が渡ったとしている。
高野山真言宗の宗務総長も務める添田住職は「多額の金員を流失させたのは許し難い」と述べた。
前住職の代理人弁護士は「会見の詳細は把握していないが、理解に苦しむ」と話している。
高野山真言宗は承認を得ずに土地を売却したなどとして前住職を26年に罷免しているが、前住職は興正寺を立ち退いていない。
興正寺は名古屋国税局の税務調査を受け、27年3月期までの3年間に約6億5千万円の申告漏れを指摘された。 (産経WEB 2016年8月19日19:08配信記事「約68億円の運用に疑惑、背任容疑で前住職告訴検討 名古屋の寺」より)
<====================引用終了

千日回峰行(空海が教えた密教の修行)を完遂した阿闍梨(仏陀の「完全な人格」にかぎりなく近づいているはずの高僧)がおわします立派で高潔な団体ですら、カネの欲には勝てないくらいですから。

ましてや、カネを継続的に増やすという本能をもった
「企業」ないしその責任者
となれば、カネに対する執着と欲は異常なほど強力なものとなります。

そもそも、カネという経営資源の特徴ですが、決裁手段として使うならともかく、カネを運用手段として自己増殖的に増やそうとした途端、不可視性、抽象的かつ複雑、高度の技術性という点が如実に現れます。

要するに、 バカでは扱えないし、バカが扱うとエライ目に遭う、という危険を内包しているのです。

ところが、カネの欲は、冷静さや理性的判断や謙虚さを吹き飛ばします。

カネに対する強い欲望と、
「オレはバカではない」
と謙虚さのない知ったかぶりが昂じると、聞いてはいけない人間の助言(有害なノイズ)に踊らされ、ゲームのルールを理解しないまま、危険な立場を取らされ、リスクを取らされ、損害を被り、損害を隠蔽するため、さらに危険なマネを強いられ、最後は会社を傾かせることになります。

これほどまでに運用が困難な時代に、
「リスクが少なく、リターンが大きな、安全な投資」
などあり得ませんし、仮にそういうものがあっても、
「資産といってもほどほどの額しかなく、金融に関する知識にも乏しい、そこらへんの一般企業」
のところには決して回ってきません。

一般的に申し挙げて、
「余剰資金運用や節税にエネルギーを使う企業」
は、
「健全な成長・発展してきちんと納税する企業」
との比較において、短命といえます。

企業が
「一発逆転」
を狙って自分の頭脳で理解できない利殖商品に手を出したり、何度聞いてもよくわらかない節税商品に手を出すのは、方向性としても、実際問題としても大きなリスクがあり、企業生命を危うくするものと考えられるのです。

おカネないしファイナンスというものは、サイズが大きくなっていくにつれ、その価値の構成や仕組が抽象化され、時間やリスクというファクターが複雑に組み合わさっていき、どんどん理解が困難な代物になっていきます。

また、
「銀行は、晴れた日に傘を貸して、雨が降ったら取り上げる」
などといわれますが、おカネを扱う方の品性や野蛮さは、着用しているスーツの品のよさや学歴の高さと見事に反比例しています。

無論、これは褒め言葉です。

「百獣の王と呼ばれ、動物の世界で頂点に立つライオン」
が、知的で、狡猾で、慎重で、自己中心的で、冷酷で、残忍であるように、
「金融資本主義が高度化した現代において、経済社会の頂点に立つ、金融関係者」
も、強靭で、知的で、狡猾で、慎重であることは当然です。

金融のプロからみれば、
「知ったかぶりで、無防備な企業の社長」
をひねりつぶすなどいとも簡単なのです。

バブル期の不動産担保ローン、変額保険、高額会員権、為替デリバティブ等、
「カネの知識のない一般企業」
が銀行や金融機関によって経済生命を奪われた例は枚挙に暇がありません。

「身の丈を知る」
という言葉がありますが、実業に徹し、ラクをすることを考えず、慎重かつ保守的に行動し、理解できないものには手を出さず、手を出すなら売る側の金融機関担当者を上回るくらいきっちり勉強して、諸事疑ってかかれば、おカネやファイナンスで失敗することはありません。

以上のとおり、おカネにまつわる仕事をする際は、おカネやファイナンスの難しさや、おカネやファイナンスをとりまく人間のずる賢さや恐ろしさといったものを適切に理解し、勉強を怠らず、慎重に行動していくことが求められるのです。

特に、法務部もしくは法務担当者としては、複雑な専門用語や高度で難解な表現が散りばめられた資料の奥底にある、本質とメカニズムをきっちり把握した上で、
「カネの知識のない一般企業」が
知的で、狡猾で、慎重で、自己中心的で、冷酷で、残忍な金融プレーヤーや危険な節税提案をする方々の食い物にされることのないよう、 リスクをきちんと把握し、これをしっかりとカネを取り扱う責任者に警告することが役割として求められます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00750_カネのマネジメント(ファイナンシャル・マネジメント)における企業法務の課題4:無責任な節税商品に踊らされて企業が危機に陥るリスク

「企業がカネの問題でつまづいたケース」
としては、別にバクチで儲けてやろうと色気を出して失敗した、というわけではないものの、
「うまく節税しようとして、節税商品あるいは節税スキームに手を出して失敗した」
という例もよく聞かれます。

その昔、興行用の映画フィルムを使った節税商品等、民事組合のパススルーシステム(組合の損金を直接自己の損金として計上できる)を利用して、
「損金を買う」仕組の商品
が流行ったことがあります。

映画フィルム以外では、飛行機や船を使ったリース事業を行う組合を作り、やはりパススルー制と組み合わせて損金計上するような商品(レバリレッジド・リースと呼ばれます)もありました。

どれも
「机上の」税務理論
としてはよく考えられていて、一見すると、効果的な節税ができそうです。

しかし、こういう
「実体の希薄な商品を使った、税務行政にケンカを売るような強引な損金処理」
を税務当局が笑って受け入れてくれるほど世間は甘くありません。

案の定、どれも税務当局と大喧嘩に発展しました。

結論をいいますと、飛行機や船を用いたレバレッジド・リースは事業実体ありということで損金計上が認められ、最高裁もこれを容認しました。

映画フィルム債の方は、フィルムが事業のために用いられているような実体がないということで、最高裁は税務署の更正処分と過少申告加算税賦課処分を認める判断をしています。

こういう裁判所の判断だけを短絡的にみると、
「飛行機と船はOKで、節税できたからいいじゃいないか」
なんて簡単に考えてしまいそうです。

しかしながら、税務署とのトラブルに巻き込まれた(最高裁までもつれこんだわけですから、事件に投入された時間やエネルギーや弁護士費用等はハンパなものではないでしょう)、という点では、飛行機や船のリース事業に参加した場合であっても相当シビアなリスクにさらされた、とみるべきです。

飛行機や船を用いたレバレッジド・リースや映画フィルム債といったスキームについては、裁判所の判断として、
「飛行機と船はOKで、映画フィルム債は、事業のために用いられているような実体がないということで重加算税賦課処分を認めた」
ということになりました。

敗訴した映画フィルム債の場合は勿論そうですが、
「勝訴して裁判所が節税を認めてくれた、飛行機や船を使った節税スキーム」
についても、
「『税務署とのトラブルに巻き込まれた』という点で企業にとって大きな損失になった」
ということです。

この種の
「節税商品」を売る側
は、
「節税プランは完璧です」
ということをセールストークとして声高に謳います。

ですが、売る側としては、売った後に顧客がどんな税務トラブルを抱えたとしても、
「損金計上できると判断するか、損金計上できると判断するとして、実際損金計上するかどうか等は、すべて自己責任だから、関知しない」
という態度を取るものです(もちろん、同情はしてくれたり、紛争対策のための税理士や弁護士を紹介してくれることはあっても、決して手数料を返したりはしてくれません)。

「いい話にはウラがある」
という警句は、実に的を得たものであり、たとえ売り込む側が、仕立てのいいスーツを着て、高価なネクタイをぶら下げ、学歴が高く、名の通った金融機関に勤めていても、金融に関する案件で、売る側のセールストークを鵜呑みにするととんでもないトラブルに巻き込まれる可能性があるのです。

先ほど述べた
「節税商品スキーム」というもの
についていえば、どんなに外来語や専門用語が散りばめられ、横文字で大層な商品名が書いてあったとしても、会社が購入するのは、シンプルにいえば
「税務当局とのケンカの種」
に過ぎません。

フツーに商売するのですら困難な時代に、税務当局と大喧嘩して、企業がまともに生き残れるほど甘くはありません。

さらにいえば、この種の節税商品は、聞けば卒倒するような額の管理コストがべったり乗っかっており、この商品で誰がどのくらい儲かるかを理性的に算出すれば、げんなりするような仕組が内包されています(もちろん、そのことはわかりやすくは書いてありませんし、そんな野暮な質問をするような利口な方はそもそも手を出しませんので、結果、節税商品とか節税スキームに乗っかる人は、「金鉱山のふもとでスコップを売る方々」がどのくらい儲かっているのかはあまり認識されません)。

いずれにせよ、この種の節税商品や節税スキームについて、一体どのくらいメリットがあるのか、冷静かつ慎重に考えた上で採否を決定しないと、大きなダメージとリスクを抱えてしまうかもしれません。

初出:『筆鋒鋭利』No.074-2、「ポリスマガジン」誌、2013年10月号(2013年10月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.075、「ポリスマガジン」誌、2013年11月号(2013年11月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00749_カネのマネジメント(ファイナンシャル・マネジメント)における企業法務の課題3:「カネ」の知ったかぶりは企業の生命を奪う

「(具象化された価値そのものである)カネ」
については、その価値の重大性や、移転が簡単に行えることから事故発生の可能性が高く、取扱に慎重さが要求されますし、
「カネ」を抽象化・観念化した形而上の価値としての「信用」については、
取り扱う上で、慎重さに加え、技術的難解さのため、一定の知的水準が要求されます。

このため、
「カネ」や信用の取引・管理・運用は、
「ヒト」や「モノ」といった経営資源の場合に比べて、
技術的色彩が強くその運用は複雑で困難なものとなっており、
これに比例してビジネスの活動としての管理の重要性は増します。

ビジネスにおいて、知らないもの、判らないもの、理解できないもの、あるいは感覚に合わないもの、というのは、たいていリスクであり、失敗する予兆です。

学問において、特定の理論や公式が理解できないのは、理解できない方に非があります。

しかし、ビジネスにおいては、成功する案件やトクをする事柄は、たいていシンプルで合理的であり、複雑で理解困難なことは、提供する側が混乱しているか、騙そうとしていることが原因、ということがほとんどです。

複雑で理解が困難なビジネス領域であるファイナンスマネジメントを行う際、最も重要なルールは、
「知ったかぶりをしない」
「判らなければトコトン聞く、調べる」
「トコトン聞いても、調べても判らなければ手を出さない」
ということです。

ところが、実際、たいていの会社や法人は、ファイナンスマネジメントの恐ろしさやファイアンスビジネスに関わる連中のいい加減さを理解せず、知ったかぶりをして、リスクの高いポジションを取らされ、気づいた頃には、地獄の1丁目に立っている、という例が少なくありません。

弁護士として、こういう光景に出くわすときがあります。

国内の比較的地味な低成長産業分野に属する企業で、社長には留学経験も高度なファイナンスを行った経験もないにもかかわらず、突如、妙な外来語を話し出し、また、それがとってつけたような話で、本質を理解しておらず、どこか地に足がついていないような印象を受ける。

そんなときは、企業はたいてい危険な徴候にあります。

企業において妙な外来語が飛び交う状況といえば、その会社が、妙な余剰資金運用をしようとしているときである可能性が高いと考えられます。

「デリバティブ」
「ヘッジ取引」
「モーゲージ債」
「ハイイールドボンド」
「サブプライムローン」
「SPC」
等といった耳慣れないコトバを社長や財務担当者が口にするようになったとき、会社が多額な損失を被りそうになっているか、あるいはすでに被っているときです。

金融機関は、非常に優秀な方が多く、いろいろな金融商品を開発し、提供してくれます。

無論、中には、緻密な理論を構築して、安全で高収益を生むような商品もありますが、すべての商品がまともであるという保証はありません。

デリバティブ、ヘッジ取引、ホニャララ債、ホニャララ投資スキームなどなど、言葉はいろいろありますが、いずれも元本が保証されず、値動きの仕組みがなかなか理解できず、しかも投機性が高い商品であり、あえて言うなら、過激なバクチです。

バクチというのは、客が必ず損し、胴元が必ず儲かるようになっています。これらの投機的商品も、投資家がよほど値動きを注視し、勝ち逃げするタイミングをみていない限り、ケツの毛まで抜かれる仕組みになっています。

そして、参加者がどんなにつらい目に会っても、商品を紹介したり、商品を設計したり、商品を運用しているような人間(バクチで言うと、“胴元”や“合力”)は必ず儲かるようになっているのも特徴です。

かなり昔の話になりましたが、リーマンショックの前あたりから、大学が資産運用に色気を見せ始めるようになった、ということがありました。

ただその結果といえば惨憺たるもので、K澤大学は190億円の損失、K応大学は179億円の損失、I知大学、じゃなかった、もとい、A知大学、N山大学、J智大学も軒並み100億円程度の損失を出しました。

他にも数十億円の単位で損失を出している大学が多数ありましたが、その中でも、K奈川歯科大学では、損失問題から刑事事件にまで発展しました。

同校では、人事権を掌握する理事が、その権力を背景に、実体のない投資先に巨額の投資をし、業務上横領等で逮捕されています。

経営陣が逮捕されるという異常事態から、年間7億円の補助金も打ち切られかねないという状況に陥りました。

そこら辺の社長よりはるかに頭のいい人が集まっている大学ですらこの状態ですから、一般の社長さんがやってうまく行くはずがありません。

これは現実のデータとして存在します。

かなり前の話になりましたが、日本経済新聞(2011年3月5日朝刊)の報道によると、
「全国銀行協会は為替デリバティブ(金融派生商品)で多額の損失を抱えた中小企業を救済するため、同協会が運営する紛争解決機関の処理能力を大幅に拡充する『デリバティブ専門小委員会』を立ち上げ、月間で60件取り扱える体制を整備する。金融庁の調査では、2万社近い中小企業がデリバティブ取引で損失を抱えている」
などという状況がありました。

また、これも古い話になりますが、世界的大企業であるヤクルトにおいても、財務担当副社長がプリンストン債なる実体の希薄な投機的な投資商品に手を出し、百億円単位の損失を出しました。

「経営者が稼いだ金でバクチにのめり込むと会社が傾く」
というのは昔からよくある話です。

時代が変わり、使われる言葉が
「博徒用語」
から
「難解な外来語や専門用語」
になり、賭場に誘い込む人間の素性も
「みるからにヤクザ者」という風体の者
から、
「高いスーツに高いネクタイをした品のよさそうな金融関係者」
になりました。

しかし、
「『実業を前提とせず、ラクに金儲けをしたい』という人間の心理を利用し、参加者を地獄に陥れる」
という本質に関して言えば、両者に大きな差異は見いだせません。

いずれにせよ、健全な会社は、資金が余ったら、事業に対する投資を行うべきです。

儲かったからといって、金にあかせてバクチにうつつを抜かす企業は早々に傾くことになるのはある意味必定といえます。

初出:『筆鋒鋭利』No.073、「ポリスマガジン」誌、2013年9月号(2013年9月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.074-1、「ポリスマガジン」誌、2013年10月号(2013年10月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00748_カネのマネジメント(ファイナンシャル・マネジメント)における企業法務の課題2:返さなくてはいけないカネと返さなくてもいいカネ(株式会社制度と株式制度)

企業はその活動のための資金を様々な調達先から手に入れます。

企業の資金調達方法をかなり大雑把に分けると、
「調達した後、返さなくてはいけないお金」と
「一度調達してしまったら、スポンサーに返さなくてもいいお金」
の2種類に分けられます。

こういう言い方をすると、
この世知辛い世の中で「返さなくてもいいお金」なんていう代物なんてあるわけないだろ、
とツッコミが返ってきそうです。

実はそういう変わったお金があるのです。

皆さんのよく知っている
「株式」による資金調達
というのが、
「一度調達してしまったら、スポンサーに返さなくてもいいお金」の調達
を意味します。

時折、経済の仕組みをよくご存知ない専業主婦の方が、
「上場確実と言われて、未公開株を買ったら、上場する気配がまったくない。あのカネを返して」
などとおっしゃる光景を目にすることがあります。

無論、専業主婦の方にその筋の未公開株式を売りつける側の神経もどうかとしていますが、
「株として投資をしたカネを返せ」
という方もかなりおかしいです。

先ほども申し上げたとおり、企業に対する貸付や社債であれば、
「貸したカネを返せ」
ということは問題ありませんが、株式というのは
「一度投資したら、会社は株主に返さなくていい」
という前提でスポンサー付与される権利ですから「株式として投資したカネを返せ」という言い方自体、
「自分は会社制度を知らないバカである」
といっているようなもので、発言としては相当イタいです。

では、どうして、株式なんてものがあるのか、
「一度調達してしまったら、スポンサーに返さなくてもいいお金」
なんてそんなアホな話があるか、一体全体どういうことやねん、という疑問が沸き起こると思いますので、株式という仕組みについて詳しくお話します。

企業の資金調達方法として
「一度調達してしまったら、スポンサーに返さなくてもいいお金」
というものがあり、これが、世の中でよく耳にする
「株式」という仕組み
です。

株式というのは、株式会社という法人のオーナーシップのことをいい、株券とは、このオーナーシップを証明する紙切れのことをいいます。

では、株式会社とは、そもそもどういうものなのでしょうか?

ここで、株式会社の仕組みを非常に簡潔に説明します。

1 究極の無責任法人・株式会社

株式会社は「法人」の代表選手
ですが、法務局備え置きの登記簿上でしか確認できない幽霊のような存在に過ぎず、お情けで法律上の人格を特別に認めてあげているものです(そもそも「法人」とは、フツーの人間と違い、法律上のフィクションによって人として扱うバーチャル人間のことをいいます)。

他方、ご承知のとおり、現代経済社会においては、株式会社は普通の人間様をはるかに凌駕する体格(資産規模)も腕力(収益規模)を有する巨大な存在になってしまっています。

となると、
「こういう巨大な存在のオーナーは、何か問題が起こったら法人に連帯して相当シビアな責任を負うべき」
とも考えられます。

ところが、
「オーナーが多数いても、その中で責任を負担する者が誰もいない」
というのが株式会社というシステムの本質なのです。

企業不祥事等が発覚すると、マスコミ等はこぞって
「企業はきっちり責任を自覚せよ」
「経営者は責任を免れない」
「株主責任を果たすべき」
などと報道します。

しかしながら、株式会社には、法理論上、責任者などまったくおりません。

といいますか、株式会社制度自体が、そもそも、
「誰も責任を取ることなく、好き勝手やりたい放題して、金もうけができ、もうかったら分け前がもらえるオイシイ仕組」
として誕生したものなのです。

すなわち、株式会社制度の本質上、
「会社がヤバいことになったら、オーナーは、一目散に逃げ出せる」
ように設計されているのです。

ここで、株式会社制度に関する学術的に説明を探してみます。

すると、こんな文章に出くわします。

「株式会社とは、社会に散在する大衆資本を結集し、大規模経営をなすことを目的とするものである。かかる目的を達成するためには、多数の者が容易に出資し参加できる体制が必要である。そこで会社法は、株式制度(104条以下)を採用し、出資口を小さくできるようにした。また、出資者の責任を間接有限責任(104条)とし、社員は、債権者と直接対峙せず、また出資の限度でしか責任を負わないようにした」

なんでしょうかねえ、これは。

まるで外国語ですね。

一般人でもわかるように“翻訳”して解説します。

日本語のセンスに相当難のある方が上記の文章で言いたかったことは、

「デカい商売やるのには、少数の慎重な金持ちをナンパして口説くより、山っ気のある貧乏人の小銭をたくさんかき集めた方が元手が集めやすい。とはいえ、小口の出資しかしない貧乏人に、会社がつぶれた場合の負債まで負わせると、誰もカネを出さない。だから、『会社がぶっつぶれても、出資した連中は出資分をスるだけで、一切責任を負わない』という仕組みにしてやるようにした。これが株式会社だ」
ということです。

「株主は有限責任を負う」
なんてご大層に書いてありますが、
法律でいう「有限責任」とは
社会的には「無責任」という意味と同義
です。

ちなみに、
「有限会社」や「有限責任組合」
とは、われわれの常識でわかる言い方をすれば
「無責任会社」「無責任組合」という意味
です。

「ホニャララ有限監査法人」とは、
「監査法人がどんなにあり得ない不祥事を起こしても、出資した社員の一部は合法的に責任逃れできる法人」
の意味であると理解されます。

要するに、株式会社とは、
「存在は中途半端だわ、体格もデカく、腕力も馬鹿みたいに強いわ、その上、大暴れして迷惑かけても誰一人責任取らないわ」、
と無茶苦茶な存在なのです。

そして、この株式会社が、出資を受ける際に、出資と引き換えに出資者に対して発行するのが、
「株式」
と呼ばれる権利です。

株式は、要するに、
「株式会社のオーナーシップ(支配権、所有権)」
です。

とはいえ、このオーナーシップは、自分専用のオーナーシップではなく、たくさんの方と共用することになります。

言ってみれば、
「自宅にある自分しかつかわないトイレ」
ではなく、
「トイレなしのアパートにある共用便所」
です。

使い方にルールがあるし、好きなときに好きなように使えるわけではないのです。

株式会社の成り立ちに関するわかりやすい言い方として
「山っ気のある貧乏人の小銭をたくさんかき集めた方が元手が集めやすい」
と述べましたが、株式は、
「山っ気のある貧乏人の小銭をたくさんかき集め」るために使われる道具
です。

会社の経営に参加したいが、
「小銭」しかもたない「貧乏人」
は、
「『会社がぶっつぶれても、出資した連中は出資分をスるだけで、一切責任を負わない』という仕組み」
を前提として出資に参加します。

このような前提から、株式は、会社の細分化された割合的単位(自宅の専用トイレではなく、アパートの共同便所の利用権)となり、かつ、
「会社がおかしくなっても、出資した連中は出資分をスるだけで、一切責任を負わない」(自分専用のトイレではないので、フンづまって使えなくなっても掃除や修理しなくて放っておいていい)
という権利となります。

以上の状況について、
「日本語に難のある方々」
がよく使う言い方を用いて説明しますと、株式とは、
「株式の引き受け価額を限度として会社に対する出資義務を負うという有限責任であることを前提とした株式会社の支配権を、細分化された均一の割合的単位の形をとった権利」
ということになります。

株式会社は、
「小銭しか出さない(出せない)、無責任な、ゴミのような零細オーナー」
の集積で成り立っています。

この連中が、好き勝手に出資金を引き出したり、払い戻したりすることを許していますと、
「出資した連中は出資分をスるだけ」
という前提すら崩れてしまい、それこそ
「何でもアリ」のスーパーミラクルな無責任組織
ができあがってしまいます。

そこで、この種の小銭しか出資しないオーナーには、
「責任を負わず、儲かったら分前がもらえる」
というメリットを与える反面、
「出資したカネは会社が解散するような状況でもない限り、原則、一切返金しない」
という建前を強要することにしたのです。

このような経緯から、株式として一旦出資したカネは、会社がつぶれるとき以外は、返ってきません。

といいますか、会社がつぶれるときは、たいてい債務超過になっているので、カネは一切かえってきません。

他方、会社としては、株式として集めたお金は、借金とは違い、返済をしなくていいお金として、自由に使えることになるのです。

では、昨日今日できたばかりの会社が、ネットやテレビCMや、あるいは証券会社を使って
「株主募集!」
と銘打ってカネ集めができるか、というとそういうわけには行きません。

こんなことをやると、金融商品取引法等に違反抵触してしまいます。

株式会社は、
「山っ気のある貧乏人の小銭をたくさんかき集め」るために作られた法技術である、
と申し上げましたが、実際このような
「カネのかき集め」
をできるのは、証券取引所から上場承認を得て、金融庁に有価証券届出書も提出するなどして、
「この会社はまともな事業をやっている」
ということを公的機関に確認されてから、ということになります。

多くの企業が株式公開を目指すのは、
「貧乏人から返済不要の小口のカネを集めて商売の元手にして、銀行に頭を下げずに自由に経営をしよう」
という目論見があってのことなのです。

とはいえ、最近では、株式公開にまつわる負担があまりに過酷で、
「四半期決算だの、内部統制だの、こんなにアホみたいな縛りが多いと、マトモに経営などやってられない。これだったら、銀行に頭下げておいたほうがマシ」
ということになり、苦労して株式公開した会社が、非公開会社に逆戻りする、という退嬰現象(MBOと呼ばれたりします)が散見されるようになっているのです。

初出:『筆鋒鋭利』No.070-2、「ポリスマガジン」誌、2013年6月号(2013年6月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.071、「ポリスマガジン」誌、2013年7月号(2013年7月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.072、「ポリスマガジン」誌、2013年8月号(2013年8月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00747_カネのマネジメント(ファイナンシャル・マネジメント)における企業法務の課題1:企業の経営資源としてのカネの意義・重要性

1 企業の経営資源としてのカネの重要性

企業の運営・存続にとって最も貴重な経営資源は
「カネ」
といえます。

かのホリエモンは、
「カネさえあれば買えないものはない。女の心もカネで買える」
と言って物議をかもしましたが、表現の品位は別として、これは核心をついた発言です。

「カネ」さえあれば、
ヒト、モノ、チエその他の経営資源はいくらでも調達できます。

さらにいえば、M&Aという手法を使えば、
「カネ」さえあれば
企業まるごとを買うことだって可能です。

ヒトやモノやチエがなかったからといってそれだけで倒産する会社はありませんが、カネがなければ会社はたちまち倒産します。

その意味で、カネは、企業経営に欠くことのできない経営資源といえます。

2 企業経営における「カネ」の意味

企業活動において
「カネ」を調達したり運用したりといったビジネス活動

ファイナンスあるいはファイナンスマネジメント
といったりします。

カネに関わる仕事は、単純に金に関する管理だけにとどまりません。

株式・社債・リース等を含めた企業の資金調達・資金運用といった企業の信用創造・信用管理等を含め、仕事として大きな広がりをもちます。

また、
「(具象化された価値そのものである)カネ」
については、その価値の重大性や、移転が簡単に行えることから事故発生の可能性が高く、取扱に慎重さが要求されますし、
「カネ」を抽象化・観念化した形而上の価値としての「信用」
については、取り扱う上で、慎重さに加え、技術的難解さのため、一定の知的水準が要求されます。

このため、
「カネ」や信用の取引・管理・運用は、
「ヒト」や「モノ」といった経営資源の場合に比べて、技術的色彩が強くその運用は複雑で困難なもの
となっており、これに比例してビジネスの活動としての管理の重要性は増します。

企業の資金調達(コーポレート・ファイナンス)、さらには
「カネ」や「信用」の管理・運用に関する企業活動
と、これを安全かつ戦略的に実現するために、法務部としては、取引・管理・運用の合理性や合法性や安全性を担保する上で重要な役割を期待されることになります。

初出:『筆鋒鋭利』No.070-1、「ポリスマガジン」誌、2013年5月号(2013年6月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00746_モノのマネジメント(製造・調達・廃棄マネジメント)における企業法務の課題6:製造委託先との関係構築

製造現場のマネジメント課題として
「性悪説及びリスク・アプローチを徹底した事故予防マネジメント」
のモデルを構築・実施することが重要ですが、OEMなどの方法で、製造を社外の会社等に委託している場合の品質管理マネジメントについても同様のモデルで関係構築をすることになります。

かなり前になりますが、北海道の食品加工会社が、牛肉コロッケに豚肉や羊肉入れたり、賞味期限切れたコロッケをもう一回作り直したり無茶苦茶なことをしていたことがニュースになったことがあります。

また、食品加工業界では、契約書が一切なく、伝票だけで巨額の取引をしているケースも多いと聞きます。

信頼関係重視といえば聞こえはいいですが、
「信頼関係重視」
という言い方自体、たいていは、
「面倒くさい法務管理をサボる言い訳」
です。

各取引の契約書の整備など必要な法務管理を
「面倒くさい」
「法務部を抱えるお金なんてない」
「トラブルになっているわけでもないのに弁護士費用払うなんてばかばかしい」
ということで後回しにしておくと、あとで必ず、ズルをする取引相手に足をすくわれることになります。

民商事法の世界では、契約自由の原則という理屈があります。

これは、どのような契約を締結するかは当事者間の自由であり、公序良俗に違反しない限り、裁判官が理解して判決を書ける程度に明確な条項を取り決めてあれば、どんな契約上条項も法的に有効なものとして取り扱う、という原則です。

逆に、契約相手を漫然と信頼して、本来契約内容にしておくべきことを契約内容として明記せず、
「いざとなったら誠実に協議して対応しましょう」
といった法的に無意味な取決めで誤魔化すことも自由です。

無論、その場合、契約相手方に対して
「書かれざることは、どんなに道義的にひどいことをやろうが、法的には問題なし」
という主張を許すことになります。

要するに、
「契約相手にやられて困ることがあれば、性悪説に立って、すべて契約条件として事前に明記しておき、法的に縛っておけ。逆に、この種の管理を面倒くさがって、契約を曖昧にしたのであれば、ひどいことをされても文句はいうな」
というのが契約自由の原則の正しい帰結です。

すなわち、契約自由の原則は、
「契約で面倒くさい取り決めをしない自由」
も保障しております。

そして、
「契約で面倒くさい取り決めをしない自由」を存分に満喫された方
には、自己責任の帰結として、
「取り決めをしなかったことによる過酷なリスクを背負わされる」
という過酷な法的帰結が待っています。

モノのマネジメント(製造・調達・廃棄マネジメント)における
「リスクアプローチ(性悪説)」
は非常に重要性ですが、これは何も自社製造だけでなく、外部へ製造委託をしている場合も同様にあてはまります。

社外の第三者に、企業の生命線とも言うべき商品の製造を委託する場合、当該委託先を
「信頼に足り得る取引先」
としてではなく、
「契約書で縛っておかないと、あらゆる悪さをする危険のある、信頼できない奴」
とした上で、性悪説に立った契約書を取り交わし、厳格な法的管理を実行することが求められます。

例えば、食品加工を社外の業者に委託する場合、
輸入肉や指定外の肉を排除する等の使用食材の厳格な指定、
食材仕入先についての調査義務、
加工にあたって使用する機械の洗浄や清掃の頻度、
加工人員の除菌を保持すべき体制の確保、
加工にあたって使用する水の指定、
委託先の監査権限、
偽装があった場合のペナルティ条項等、
「委託先をとことん信頼せず、信頼を裏切る行動に出たら即座にかつ徹底的に当該行動に対する代償を払わせるような各種契約条項」
を入れ込んでおくべきなのです。

契約書を厳格な形で取り交わすことにより、委託先もナメた行動をしなくなり、相手先の不正は予備や未遂の段階で止めさせることが可能となり、結果として品質の維持に貢献します。

前述のような本来遵守して当然の契約条項を
「そんなの厳しいからヤだ」
とか言って忌避するような委託先は、
「ズルをしても文句を言わないで見逃してくれ」
ということを求めているのと同じわけですから、とっと契約を解消し、信頼に足る別の委託先を探した方がいい、ということになります。

初出:『筆鋒鋭利』No.069、「ポリスマガジン」誌、2013年5月号(2013年5月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00745_モノのマネジメント(製造・調達・廃棄マネジメント)における企業法務の課題5:トップ・マネジメントによる製造現場の不祥事情報の早期把握の重要性

モノのマネジメント(製造・調達・廃棄マネジメント)において、トップ・マネジメントによる製造現場の不祥事情報の早期把握を可能にするシステムの構築と運用は極めて重要です(前提として、楽観バイアスや正常性バイアスを克服し、性悪説に立って、「製造現場では、日々、あるいは時々刻々、漏れ抜けやチョンボ、ミスやエラーといった不祥事の萌芽が生じている」という不愉快な事実を正面から認めることは、さらに重要です)。

そもそも、なぜ、トップに対して、正確な現場における非違状況が迅速に伝わるようなシステムを、時間と労力をかけ、目を吊り上げて構築する必要があるか、といいますと、端的にいえば、
現場が信頼できないから、
信頼に値しないから、
信頼してはいけないから、
です。

たとえ、現場で働いておられる方が、どれほど、誠実で、一生懸命働く、善人を絵に描いたような方であっても、トップもしくは、管理の責任を担う人間としては、善管注意義務の履行上、トップとして責任ある形で職務を遂行するための倫理として、信頼してはいけないからです。

無論、トップ・マネジメントとして、
「現場が適切に仕事をしている」
という期待をすべきですし、当該期待を前提にしないと、経営上の計画は成り立ちません。

ただ、
「期待」

「信頼」
とは別物です。

「現場が、ルールや、マニュアルに沿って、適切に稼働している」
という期待はするものの、トップ・マネジメントに身を置く者は、手放しに信頼をしてはならず、継続的に監視をしなければなりません。

人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられません

これは、歴史上証明された事実です。

「人間は、生きている限り、どうしても法を守れない」
「人間は、生きている限り、どうしても病気や怪我と無縁ではいられない」
こういう厳然たる事実があるからこそ、医者と弁護士という
「人の不幸を生業とするプロフェッション」
が、古代ローマ以来現在まで営々と存在し、今後も、未来永劫存続するのです。

普段暮らしていると、忘れてしまいがちな、重要な前提があります。

「人間は動物の一種である」という命題です。

人間は、パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもなく、これらとは一線を画する、
「動物」の一種
です。

そして、
「パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもない、動物」である人間
は、生きて活動する限り、ルールやモラルと本能が衝突したときには、本能を優先します。

なんとなれば、われわれは
「動物」の一種
ですから。

もし、本能に反して、ルールやモラルを優先する人間がいるとしたら、もはや、その人は
「動物」
ではなく、機械かロボットか人工知能です。

日々、そんな、清く正しく美しい選択をする人間がいるとすれば、心理学上稀有な事例として、研究対象となり、
「なんで、そんな異常なこと、理解に苦しむことをやらかすんだ?」
と考察と検証が行われます(心理学では、反態度的行動といって、立派な研究テーマを構成しているそうです)。

「人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられない」
という命題についてはそうとしても、人の集合体ないし組織である企業や法人はどうでしょうか?

「たとえ、赤字転落しても、正直に赤字決算を発表しようよ」
「どんなに切羽詰まっても、また、どんなに実質的に影響がないということがあっても、杭打ちデータのコピペは良くないからやめとこうよ」
「会社がつぶれても、我々の生活が破壊され、家族一同路頭に迷うことになっても、守るべき法や正義はある。ここは、生活を犠牲にしても、法令に違反したことを反省して、社会や外部からいろいろといわれる前に、非を認めて、責任をとって、会社を早急につぶそうよ」 
企業に集う人間たちが、そんなご立派なキレイ事を、意識高く話し合い、高潔に、自分の立場や生活や財産を投げ打って、家族を犠牲にしてでも、法を尊重していくのでしょうか?

ちがいますね。

まったく逆ですね。

人が群れると、

「互いに牽制しあって、モラルを高め合い、法を尊重する方向で高次な方向性を目指す」どころか
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
という方向で、下劣な集団意識の下、理念や志や品性の微塵もない集団行動が展開していきますね。

では、
「企業の目的」、
すなわち、
企業を「人間」となぞらえた場合の「本能」に相当するもの
は何でしょうか?

それは、
「営利の追求」
です。

弱者救済でも、差別なき社会の実現でも、社会秩序や倫理の発展でも、健全な道徳的価値観の確立でも、世界平和の実現でも、環境問題の解決でも、人類の調和的発展でも、持続可能な社会の創造でも、ありません。

そんなことは、ビタ1ミリ、会社法に書いてありませんし、株主も、徴税当局も、そんなことを根源的な目的として望んでいるわけではありません。

会社法のどの本をみても、例外なく、株式会社の目的を
「営利の追求」
としております。

そして、
製造現場のオペレーションを担う生産組織における「本能」
は、
「操業効率の極限的追求」、
すなわち、まずは
「納期」と「コスト」
です。

無論、品質というテーマも意識はするでしょうが、品質にこだわって、いつまでたっても最終ラインに到達せず納品できなかったり、製造原価を販売価格を上回ったら、企業がつぶれます。

加えて、「品質」などというものは、
目にみえないもの、
徹底的に調べればひょっとしたらバレるかもしれないが、バレなければ沙汰無しで済むもの、
そもそも、蓋然性の問題として、調べるような暇な人間は存在するとは思われないことからして欠陥がバレようがないもの、
という言い方もできることを考えれば、コストと納期という企業生存にとって必須の2大要素と比較すれば、相対的重要性は相当低下します。

無論、これはいい・悪いの問題ではなく、
組織の「本能」
という、リアルで生々しいレベルでの観察の話としての議論です。

企業や生産組織としての「本能」
すなわち
「営利の追求」や「操業の効率性」
と、法やモラルが衝突した場合、人の集合体として人格をもった企業は、どのような選択を行うか。

「企業ないし生産組織は、普通の人間と同じく、いや、普通の人間をはるかに大胆に、法やモラルを無視あるいは軽視し、本能を優先させる」、
ということもまた、歴史上証明された事実であることは、不愉快ながら、ご納得いただけると思います。

刑法における共同正犯理論において、こんな議論があります。

「一部しか実行に加担していないのに、ひとたび、『共同正犯』とされたら、なにゆえ、全部の犯罪責任を負わされるのか」
という法律上の論点があり、この問題について、共同正犯理論は、
「犯罪を成功させる相互利用補充関係があり、法益侵害の危険性が増大するから、一部しか犯行に加担していない人間であっても、全部責任を食らわせてもいいんだ」
と正当化します。

企業組織も同様なのです。

「自分個人が、自分個人の利得のために、自分個人が全責任を負担する形で、大胆に法やルールを犯す」
ということはおよそ困難であっても、
「自分がトクするわけではないし、企業のため、組織のためなんだ」
と言い聞かせ
「皆やっているし、皆でやるんだし、昔から続いてるやり方だし、これまで問題にしなかったし、そうやって、長年やってきたし」
という状況において、お互いがお互いを励まし合い(?)、
「ひょっとしたらヤバイんじゃないか」
という疑念を鼓舞し合いながら振り払い(?)、手に手を取り合って、チームとして高い結束力(?)でがんばることによって、
「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン。さ、みんなでチャレンジ だ!」
といった感じで、法やルールやモラルのハードルなどかなりラクに超えられます。

こういうことから、
「本能」レベル
の観察でいうと、
人が集まる組織である企業も、存続する限り、法やルールを犯さずにはいれない
といえるのです。

無論、がんばって、精神力を発揮して、本能を押さえ込み、たとえ、利益やコストや納期を犠牲にしても、法を守り、ルールを守り、(目にみえないし、誰も調べもしないし、バレることもまずあり得ない)品質基準を守る、ということは、一過性の話として、実現することはなくはありません。

ですが、永続的な持続可能性の問題としては、そんな
「本能」に反する話、
長続きできません。

下りのエスカレーターを登り続けるのがおよそ困難であるのと同様、やがて、本能が露呈し、構造的な無理はできなくなり、コンプライアンス問題が発生し、恒常化し、大きくなり、露呈するのが時間の問題となります。

こういう、科学としての性悪説的な考え方(リスク・アプローチ)を前提にするからこそ、現場には期待するものの、信頼してはならず、監視を怠ってはいけない、ということになるのです。

このような考え方を前提とすると、現場では、徹頭徹尾操業効率が優先されるめ、常に、コンプライアンス上の非違事項は隠蔽される可能性が蔓延している、という制度設計前提認識をもつべきことになります。

そして、現場において問題となるべき事件やその萌芽が現場の従業員によって現認されたとしても、これを指摘する声が上層部に届く前に握りつぶされてしまう危険が存在する、ということがいえます。

このようなコンプライアンス上のニーズに対応するため、前回申し上げた、2006年4月1日、公益通報者保護法が施行され、「不正を現認した従業員等が企業内の不正を報告しやすい体制を整備すること」が推奨されるようになりました。

「内部通報を行ったこと等を理由として従業員を解雇あるいは不利益な措置を取ることを禁止することで、従業員は現場の不正を躊躇することなく迅速に通報することが可能となる」、というのもこの法律の基本的仕組みの1つです。

賞味期限改ざん等の不祥事を起こした和菓子製造メーカーでは、指揮命令系統を社長室直轄とし、さらに、内部通報システムを設計する際の通報先を外部の弁護士に委託する形で「不祥事握りつぶし」の可能性を徹底して排除しました。

この点は、
楽観バイアスや正常性バイアスを克服し、性悪説に立って、「製造現場では、日々、あるいは時々刻々、漏れ抜けやチョンボ、ミスやエラーといった不祥事の萌芽が生じている」という不愉快な事実を正面から認めた上で、
現場責任者やミドル・マネジメントによるノイズを交えず、トップ・マネジメントが製造現場の不祥事情報(やその萌芽としてのミスやエラー)を早期かつ直接的に把握することを可能にするシステムの構築と運用をしている、
という点で高く評価できます。

初出:『筆鋒鋭利』No.068、「ポリスマガジン」誌、2013年4月号(2013年4月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00744_モノのマネジメント(製造・調達・廃棄マネジメント)における企業法務の課題4: リスク・アプローチによるコンプライアンス体制構築

賞味期限改竄事故を防止する観点から菓子製造業におけるコンプライアンス体制構築が行われた例を紹介したいと思います。

かなり前の話になりますが、ある老舗和菓子メーカーで、賞味期限改竄事件が発生しました。

この事件ですが、
「夏場に製造日と消費期限を偽ったことがある」
という内部告発が某保健所に届き、その結果、JAS法(食品の品質表示などを定めた農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)違反容疑で、農水省と保健所による立ち入り調査が行われました。

農水省によると、当該メーカーは出荷の際余った餅を冷凍保存して、解凍した時点を製造年月日に偽装して出荷していた、とのことでした。

偽装は、未出荷のものもあれば、配送車に積んだまま持ち帰ったものもありました。

さらには回収した餅を、餅(もち)と餡(あん)に分けて、それぞれ
「むき餅(もち)」
「むき餡(あん)」
と称して、自社内での材料に再利用させたり、関連会社へ原料として販売していた事実も発覚しました。

偽装品の出荷量は、3年間、約600箱(総出荷量の約18%)に上り、これ以外の期間にも日常的に出荷していたことが判明し、メーカー側も記者会見にて、
「売れ残った商品を、製造日を偽装して再出荷したこと」
を認めるに至りました。

圧倒的知名度をもつ人気商品だっただけに、当時社会が受けた衝撃は大きく、連日、事件の詳細が報道されました。

私としては、この和菓子メーカーは、潰れるか、どこかに買収されてしまうと考えていましたが、コンプライアンス体制構築に成功し、見事、自主再生されました。

その際、当該メーカーが採用したコンプライアンス体制は、性悪説及びリスク・アプローチを徹底した見事な内容であり、今後、自己予防マネジメントの模範となるべきものと考えますので、具体例として紹介してまいりたいと存じます。

第1 製造管理におけるコンプライアンス

1 生産能力内の受注の徹底

「営業・販売サイドの強い圧力により、受注能力を超過したものを、回収品の再利用や賞味期限改竄によって納品する可能性」
が事故につながると認識し、このような操業の動機・背景を絶つべく、計画生産・計画受注を徹底し、営業・販売サイドによる受注能力を超過した納品要求をなくす。

この種の不祥事企業においては、原因を曖昧にしたまま、中途半端な改善策に終始し、何度も不祥事を繰り返すところが少なからず存在するようです。

しかしながら、当該メーカーにおいては、営業・販売サイドの圧力によって
「生産能力を超えた受注」
を受けており、これが原因となって無茶な操業がされていた、という原因事実がきちんと把握され、コンプライアンス体制に反映されています。

2 物流数値管理の厳格化

「本来廃棄すべきものが、廃棄されず、再利用されることが大きな問題である」
との認識に立ち、担当各部の物流数値を厳格に管理することにより、回収品再利用の厳しい監視の目を光らせる。
・生産部=生産数と廃棄数の管理・誤差検証の厳格化
・生産管理部=受払数・廃棄品数の管理・誤差検証の厳格化
・販売部=販売数・回収数の管理・誤差検証の厳格化
 

「漫然と現場を信頼することは管理放棄につながりかねない状況となっている」
「モノ作りを管理するという仕事に限っては、常に操業効率化を優先する現場や委託先においては回収品の再利用や賞味期限改竄を行う等の法令その他各種規範違反を冒す誘惑と危険が存在する」
という
「性悪説」
に立脚した、徹底したリスク・アプローチによる不祥事予防のための科学的・合理的体制が構築されています。

3 廃棄品管理の徹底

賞味期限を越えて売れ残り、回収された不良在庫は、安全上・衛生上、本来廃棄されるべきものである。
しかし、製造現場に回収品廃棄をもゆだねると、操業効率を安全・衛生より優先させてしまい、廃棄品の再利用につながる危険がある。そこで、このような事態を防ぐため、指揮系統や処分実施責任を製造現場から分離し、独自のラインで処理させる。
・未出荷品・店頭回収品の廃棄品の処分と処分管理は、製造部門ではなく、経営管理部門のライン下の廃棄品管理部が実施。
・廃棄品管理は、外部委託とし、製造現場の手に触れさせない。
・廃棄委託者(外部)から廃棄証明を提出させる。

このルールも、現場を一切信頼せず、リスクアプローチを徹底させています。

「食品を作っている責任者にゴミを吸わせると、責任者は、食品とゴミを区別せず、目先の納品要求に応えようとして。廃棄されるべきゴミを、ついつい食品として詰め込んでしまう」
という、人間の弱さ・卑劣さを直視した上で、
「食品を扱う人間には、ゴを扱わせない」
という単純なルールを作ることによって、この問題を解決しています。

そして、食品製造のラインから、廃棄作業を切り離し、外部委託するとともに、マニフェスト(廃棄証明)まで微求する、という徹底ぶりも見事です。

第2 製造日付管理

各パッケージ毎に適正な製造日付を刻印する。菓子の場合、パッケージが、
・商品そのもの、
・折り箱、
・折り箱を包装した外装、
という形で重層化されている。

この際、
「折り箱を包装した外装のみに賞味期限を刻印すると、古くに製造された商品が、新しい賞味期限を表示した外装に混在しても顧客には判別できなくなる。
そこで、以上の3つすべて、日付押印するものとする。また、日付は、製造日付押印とし、各包装完了日に押印することを徹底する。

この管理の徹底ぶりも参考になります。

「個包装部分に製造日付を刻印せずに、外装や折り箱だけに日付刻印をすると、賞味期限が到来して“ゴミ”になったものを、ついつい詰め込んで帳尻をあわそうとする」
という現場の心理を完全に把握し、これをコントロールしようとしています。

また、顧客へのさりげないアピールも注目すべきポイントです。

顧客としても、個包装部部分に製造日付や賞味期限が刻印されている状況をみると、
「これはゴミか食い物か」
「大丈夫か」
という疑心暗鬼が解消され、安心して食べることができます。

第3 有害設備の廃棄

回収品の保管・分解・再利用の事故につながる、冷凍設備、解凍設備、関連操業品をすべて廃棄する。

前提として、
「生の和菓子を作る工場において、冷凍設備、解凍設備、関連操業品があった」
というのも衝撃的ですが、実際、そういう事実があった以上、この会社はこれを正面から見据えて、対策を取りました。

冷凍設備、解凍設備、関連操業品は、さぞや高価なもので、おそらく減価償却も未了で、
「もったいない」
という気持ちはあったでしょう。

しかし、
「こういうものがあるから、現場はこれを使ってしまうんだ。ここは潔く廃棄してしまえ」
という果断な行動に踏み切ったのは、コンプライアンスの観点で高く評価されるものです。

第4 トップマネジメントによる不祥事情報の早期把握
1 指揮命令系統の整備
 品質保証部、廃棄管理部、お客様相談室、生産管理部、コンプライアンス部、内部監査室等、事件・事故、あるいはこれらの萌芽の探知につながる部門は、社長室直轄の部門とする。
2 不祥事情報の早期把握
 改善提案箱を設置するとともに、公益通報者保護法に準拠した内部通報システムを設け、通報先を外部弁護士に委託する。

コンプライアンスを貫徹する上では、不正を未然に防止する体制を整備するだけでなく、現場で実際に発生してしまっている不正を、経営陣が迅速且つ正確に把握することができるための体制を構築することも必要となります。

特に、現場は、操業効率を優先さし、コンプライアンス上の非違事項は隠蔽され、これを指摘する声が上層部に届く前に握りつぶされてしまう可能性もあります。

このようなコンプライアンス上のニーズに対応するため、2006年4月1日、公益通報者保護法が施行され、不正を現認した従業員等が企業内の不正を報告しやすい体制を整備することが可能となりました。

公益通報者保護法に基づき、企業は、内部通報窓口を設置することにより(場合によっては弁護士事務所等の第三者を内部通報窓口として指定し)、現場の不正を迅速に把握することが可能となります。

他方、内部通報を行ったこと等を理由として従業員を解雇すること等を禁止することで、従業員は現場の不正を躊躇することなく迅速に通報することが可能となる、というのが仕組の骨子です。

この企業では、指揮命令系統を社長室直轄とし、さらに、内部通報システムを設計する際の通報先を外部の弁護士に委託する形で
「不祥事握りつぶし」
の可能性を徹底して排除している点は、高く評価できます。

第5 全社的コンプライアンスの徹底
1 教育・研修の実施
 品質表示(JAS法等)、品質管理(食品衛生法)いずれの法令も専門家より教授。法務部への照会も推奨。
2 日常業務の総点検法令の確認と日常業務の総点検を実施。点検終了にあたっては法務部の確認を求める。
3 コンプライアンス・ツール
 コンプライアンス・マニュアル(衛生管理マニュアル、購買マニュアル、配送マニュアル、店舗運営マニュアル、生産管理マニュアル、廃棄品処理管理マニュアル)の策定を行ない、仕上がりについて外部弁護士にチェックを依頼。

以上のコンプライアンスの仕組みは、いかに巧妙な仕組みがあっても、従業員に浸透させて初めて機能するものです。

この企業では、教育研修を実施するとともに、外部チェックを前提とした各種マニュアル類を整備しています。

さらに、想定されている仕組(デジュリ)と現場の状況(デファクト)の差分検証を指揮命令系統の独立した法務部による監査としていることも評価できます。

以上、賞味期限改竄事故を乗り越え、再生に成功したある和菓子製造メーカーの、性悪説及びリスク・アプローチを徹底した事故予防マネジメントのモデルをみてまいりました。

初出:『筆鋒鋭利』No.065、「ポリスマガジン」誌、2013年1月号(2013年1月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.066、「ポリスマガジン」誌、2013年2月号(2013年2月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.067、「ポリスマガジン」誌、2013年3月号(2013年3月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00743_モノのマネジメント(製造・調達・廃棄マネジメント)における企業法務の課題3: 製造現場管理や製造委託先管理にまつわる法務課題

1 モノ作りに関するトラブルの増加傾向

自動車や温風機の欠陥隠蔽問題、食品に関わる原産地表示や賞味期限偽装の問題や廃棄物処理や環境汚染問題等、近時、製造現場でのトラブルが頻出しています。

「モノ」
の中でも、消費者の口に届き、人の健康や生命を奪う結果を招来しかねない食品製造に関しては、表示偽装事件が相次いでいます。

農林水産省や都道府県が2008年にJAS法に基づいて行った改善指示件数は、前年より34件増加し、合計118件となっていますし、不正競争防止法違反により、逮捕や家宅捜索、さらには有罪判決を受けるケースも増加の一途を辿っています。

また、公益通報者保護法の施行やネット掲示板の普及等の環境の変化もあり、内部告発が一般化し、企業がこれまで内部で隠蔽してきた偽装を隠し通せない状況になってきました。

このように、
「モノ」
に関わる企業にとっては、その姿勢が厳しく問われる時代になってきたといえます。

2 ニッポンのお家芸「モノ作り」の質的変化

ところで、
「モノ」
に関する企業活動は、質的な面で急激に変化しています。

「モノづくりは日本産業のお家芸」
との言葉に代表されるように、これまでの日本企業は、使い勝手がよく、安全・高品質で、値頃感のある
「モノ」
を作り出すことを得意としていました。

そして、日本企業は、
「高度な製造活動のためのインフラである、高い技術力と生産設備操業能力、さらにはこれを担う優秀な人材」
を自ら保持し、育成してきました。

ところが、
「モノづくり」
を得意とした日本企業も、ビジネスの進化に伴い、下請やOEM生産等によるファブレス(工場設備を持たない製造業)化や生産拠点の海外移転等を積極的に行うようになってきました。

このようにして、近年、日本企業において
「モノづくり」
の意味が加速度的に希薄化するようになってきたのです。

3 「モノ作り」の質的変化に伴うリスク

以上のような
「モノ」
との関わりの希薄化は、品質面、安全面、規格ないし法令遵守面における企業の管理が行き届かなくなる危険が増幅してきたことも意味します。

例えば、日本国内での工場操業においてはコンプライアンスや製品の品質や安全性に対するこだわりが浸透していても、日本企業が生産を海外に委託する場合における現地委託先企業がそのような観念を欠落している場合、日本企業は大きなリスクを抱えることになります。

少し前に発生した中国産食品における毒物混入事件は、
「モノ」
との関わりが希薄化した企業において、上記のようなリスクが現実化した現象といえます。

4 モノ作りの管理に失敗した場合のリスク

輸送機器、建物、食品、薬品、電気製品等、企業から製造される
「モノ」
は何らかの形で消費者や社会に関ってきます。

したがって、消費者や社会は企業が製造する
「モノ」
の品質や安全性に大きな興味と関心を抱きます。

万が一、
「モノ」作り
において、現場管理や委託先管理に失敗し、品質や安全性において問題のある
「モノ」
を流通させた場合、大きな社会問題に発展し、企業に対して回復不可能な損害をもたらすことになります。

「法令遵守より効率優先」
という経営姿勢や製造管理状況に対して消費者や社会一般の厳しい目が向けられるようになっていますし、この種のトラブルは、企業の生命を即座に奪いかねません。

実際、某焼肉店が、O157菌が混入したユッケを提供して死者を出し、その結果、会社が破綻し、また、ユッケ提供そのものを禁止するといった社会情勢をもたらしました。

このように、
「モノ」作り
の管理の失敗は、企業へのリスクやトラブルの大きさとしてもさることながら、社会全体に関わる影響をもたらします。

「モノ」
と企業との関わりは歴史的に古く、調達・製造活動は成熟した経営課題といえますが、海外生産委託の動き等の急激な変化もふまえて、日本企業は、今一度、調達・製造に関するマネジメントのあり方を見直す必要に迫られています。

5 性悪説vs性善説

「モノ作りを管理する」という仕事を進める上での哲学として、管理の相手方、すなわち、現場や委託先を信頼するか(性善説)常に不審の目を向けるか(性悪説)、という問題があります。

一昔前、二昔前のニッポンにおいては、右肩上がりの成長を謳歌しており、
「作っては売れる」
という市場があり、生産現場には、常に設備や人的資源が投入され、活気がありました。

従業員は、終身雇用というシステムによって雇用された正社員がほとんどで、会社と成長の糧を共有し、モノ作りの現場には高い士気と
「決して、会社や社会を裏切らない」
という忠誠と信頼が満ち満ちていました。

しかしながら、現代においては、終身雇用システムが崩壊し、モノ作りの現場には非正規雇用の労働者が増殖し、成長が見込めない市場において、過酷な価格及び品質競争にさらされています。

さらにいえば、そもそも国内にはモノ作りの現場は存在せず、遠く海を離れた国のどこかの工場で働く言葉の通じない労働者たちにモノ作りを委ねている、という企業も多く存在します。

このような現代のモノ作りの現場において、かつてのように、
「モノ作りの現場には高い士気と『決して、会社や社会を裏切らない』という忠誠と信頼が満ち満ちている」
などという前提がそもそも働かず、漫然と現場を信頼することは管理放棄につながりかねない状況となっています。

したがって、
「モノ作りを管理する」
という仕事に限っては、
「常に操業効率化を優先する現場や委託先においては回収品の再利用や賞味期限改竄を行う等の法令その他各種規範違反を冒す誘惑と危険が存在する」
という性悪説に立脚し、徹底したリスク・アプローチによる不祥事予防のための科学的・合理的体制を構築することが求められます。

6 モノ作りの現場においては、「操業優先、規制無視(軽視)」

モノ作りの現場においては、
「製造ラインの効率的稼働」
が最優先課題であり、細かい手続を含めた規制把握や規制遵守は、いわば二の次となってしまいがちです。

例えば、1999年に発生した茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の高速増殖炉実験炉「常陽」用の核燃料の製造現場での臨界事故では、放射線被曝者計49人、現場から半径350メートル以内の住民に避難勧告、半径10キロメートル以内の住民に屋内退避を要請、という大事故になりました。

この事故については、転換試験棟において、1991年から現場において承認されたものと異なる工程(本来は、「溶解塔」という装置を使用した手順であったところ、現場がこれを無断で変更し、ステンレス製バケツを使用)が実施されており、その後、1996年にはこのような違反工程が盛り込まれた
現場「裏マニュアル」
が作成され、違法操業が常態化していたことが原因であった、といわれています。

厳格なコンプライアンスが要請される核燃料の製造現場ですらこのような状況ですから、他のモノ作りの現場がどのような状況か、ということはある程度想像できます。

7 モノ作りの管理を実施する上での指揮命令系統デザイン

以上のとおり、
「モノ作りの現場においては、面倒くさい法令遵守より効率性・経済性が優先される危険が常に存在する」
ということを十分認識し、細かい操業の末端に至るまで管理の目を光らせる必要があるといえます。

この点、多くのモノ作りの現場においては、単一の責任者(工場長など)を定め、当該責任者に、操業効率と各種コンプライアンスの全責任を負担させる、といったことが行われています。

確かに、効率的な指揮命令系統の確立という点では、単独の人間に権限と責任を集中させることがもっとも合理的といえます。

他方、自動車や温風機の欠陥隠蔽問題、食品に関わる原産地表示や賞味期限偽装の問題や廃棄物処理や環境汚染問題等、といったトラブルが発生したモノ作り現場の大半が、上記のような
「単独の者に、操業効率と各種コンプライアンスの全責任を負担させる」
というタイプの組織であったことも事実です。

そもそも、
「効率性と低コストを追及した工場操業・製品調達」

「効率性を犠牲にしても法令遵守を徹底すること」
の両者の実現を同一人の責任とすることは、
「相反する2つの役割を同一人格に追求させる」
という事と同義であり、その結果発生するのは、
「混乱」か「一方の要請の無視」
です。

多くの場合、過酷な操業効率のノルマを負っている工場現場の責任者は、
「一方の要請の無視」、
すなわち、
「効率性を犠牲にしても法令遵守を徹底すること」
という要請を無視するという行動にシフトし、その結果、トラブルが発生することになります。

1人の人間に、ある種矛盾する前記両課題の遂行を命じることは、アクセルとブレーキを同時に踏むことを命じるようなもので、結果的にはJCO東海事業所の裏マニュアルのように、コンプライアンスが無視した操業が行われることにつながりかねません。

したがって、現代においては、製造現場の管理体制のの設計上、
「『操業管理』と『コンプライアンス管理』という相反する課題の達成に関して、権限・責任・指揮命令系統を分断し、後者は操業効率に責任を負わない部署に遂行させるべき」
というスタイルが求められるようになってきています。

すなわち、
「操業責任者とは別の、コンプライアンス管理を担う責任者が、効率性に目を奪われることなく現場の細かいところまで管理の目を光らせることを通じて、操業効率とコンプライアンスという矛盾する両課題の止揚的解決が図られるべき」
という考え方が、製造現場の管理体制設計において採用されるようになってきているのです。

初出:『筆鋒鋭利』No.063、「ポリスマガジン」誌、2012年11月号(2012年11月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.064、「ポリスマガジン」誌、2012年12月号(2012年12月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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