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本ケーススタディ、治療院経営者のためのケーススタディでは、企業法務というにはやや趣がことなりますが、治療院向けの雑誌(「ひーりんぐマガジン」、特定非営利活動法人日本手技療法協会刊)の依頼で執筆しました、法務啓発記事である、「“池井毛(いけいけ)治療院”のトラブル始末記」と題する連載記事を、加筆修正して、ご紹介するものです。
このシリーズですが、実際事件になった事例を題材に、「法律やリスクを考えず、猪突猛進して、さまざまなトラブルを巻き起こしてくれる、アグレッシブで、怖いものを知らずの、架空の治療院」として「“池井毛治療院”」に登場してもらい、そこで、「深く考えず、あやうく大事件になりそうになった問題事例」を顧問弁護士の筆者(畑中鐵丸)に相談し、これを筆者が日常行っている語り口調で対応指南する、という体裁で述べてまいります。
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相談者プロフィール:
「池井毛(いけいけ)治療院」院長、池井毛(いけいけ)剛(ごう)(48歳)
相談内容:
鐵丸先生、ちょっと相談があってさ。
去年4月にうちの治療院に入ってきた新人が、今年の3月で辞めるって言うんだよ。
先生、最近の若いのはダメだね、ゆとり世代って言うの?
さとり世代?
まぁどっちでもいいんだけど、若い従業員にちょっと厳しい指導すると、すぐ
「辞めます」
とか言ってくるんですよ。
こっちだって、従業員のことが嫌いで厳しい指導をしているわけじゃなくて、本人のためを思って、立派な治療、接客のために必要不可欠な研修をしているのに、それを勘違いされてすぐ辞められちゃたまらないよ。
それに、採用広告や、面接、研修と、時間も金もかけて募集や教育をしているのに、すぐ辞められたんじゃ投資も回収できないし。
そこで対策しなきゃと思って、労働契約書に、
「3年以内に辞めたら、勤め始めたときまで遡って毎月3万円かかった研修費用を返還します」という形の条項をいれてたんですよ。
やっぱ組織防衛は必要でしょ。
うちも小さいながら人を雇って経営していかなきゃならないわけだし、それなりの対策をしなきゃいくら雇ってもキリがないし、コストばっかりかかってしょうがないからね。
そういう意味で、この条項を最初の労働契約書に盛り込んだのは、新人が立派に育ってもらえて、経営的に投資を回収出来て、ウィンウィンだと思っていたのね。
話は、今回の辞めたいって言ってきた新人に戻って、この新人の辞めたいっていう意思は止めようがないけど、ちゃ~んと契約書に入っている研修費用の返還を求めたわけ。
そしたら、
「研修費用を返す必要はない」
とか言っているのよ。
ゆとりでも、さとりでも構わないけど、契約書に書いてあること守らんのはイカンでしょ。
先生、ガツンと言っちゃってくださいよ。
モデル助言:
最近の若い人の就職後3年での離職率は、3割とも4割とも言いますからね。
自分探しとか、本当にやりたい仕事とか、つまらんこと言っている暇があったら、少しでも今の自分を磨く方向で努力すべきなんですよ。
仕事は人を磨き成長させますから。
そういう意味で、池井毛先生の考えは、大変立派だと思います。
すぐに辞める若者を鍛え直してやろうという優しさ、そして、治療院という組織を守る責任者としての責任感。
しかし、世の中の法律というのは、立派な考え方にいつも賛同してくれるわけではないところが、難しいんです。
労働関係を規律する法律というのは、
「強い経営者」対「か弱い労働者」
という構図が基本的に前提されています。
そのため、労働者に不利になるような契約に関しては厳しい判断が出るケースが多くあります。
今回ご相談いただいた、
「短期間で退職したら研修費用返還」
という契約は、労働者が退職しにくくなるいわば
「労動者を鎖で縛り付ける」
ものであり、問題のある契約とされています。
池井毛先生と同じ考えの人ばかりではないとうことです。
このような研修費用の返還については、決定的なルールや、強い拘束力を持つ最高裁の判断が出ているわけではありませんが、地裁、高裁レベルでは経営者側に厳しい判断が基本的に出ています。
平成14年11月1日大阪地方裁判所の裁判例によれば、労動者の技能養成の費用に関し、短期間で退職した場合に修学費用の使用者に対する返還を求める条項は無効であり、請求は認められないと判断されています。
敷衍すれば、
「社会人として能力を向上させる研修」
は、いわば
「作業着や、ユニフォーム」
のようなもの。
何より、労動者を使って経営を行う経営者の方が、
「作業着や、ユニフォーム」
によって恩恵を受けるのだから、研修費用は
「強い」
立場の経営者持ちということなのでしょう。
もっとも、研修費用の返還についてのルールには、ブレや幅があります。
研修が海外留学などの場合には、
「社会人としての成長」
とはいっても
「贅沢品」
に当たるので、贅沢品については身につける労動者が負担すべきで、数年間継続的に勤務したら返還免除という契約、これは合法という判断に傾きます。
先程の例でいうと、営業マンにあまりみすぼらしい格好をさせると営業成績に響くので、
「作業着や、ユニフォーム」
ではなく、希望者には、ブランド物の高級スーツを買い与える資金を貸与する制度を設けた。
もちろん、営業に出るときにこの
「営業マンの作業着」
である
「ブランド物の高級スーツ」
を着用して営業に勤しむが、ラインワーカーの作業着と違い、
「営業マンの作業着」
である
「ブランド物の高級スーツ」
は、オフタイムでも、街中で普通に着用してオシャレとしても楽しめる。
こういう場合は、ちょっと違うんじゃないの、という常識的な感覚が働く、という訳です。
さて、今回のご相談について見ると、研修の内容としては、従業員としてスムーズに業務をこなすために必要不可欠な内容である研修と伺っています。
そうしますと、
「社会人としての成長」
という研修の結果は、社会人として必要不可欠な
「スーツ」
ということになり、裁判所に持ち込まれれば
「強い経営者さんが、スーツ費用くらい持つべきでしょう。それを、早期退職したら『か弱い労動者』持ちとかは認められませんな」
という判断に傾き、池井毛先生の請求は認められない事になります。
短期退職に対し研修費用の返還を定めた労働契約は、
「労動者にとって鎖のようなもの」
であり、認められないというのが裁判所の一般的な判断傾向です。
このように、労働関係については経営側に厳しいルールが定められている場合が多く、研修費用の返還という形で安易に労動者を縛り付けることはできません。
とはいっても池井毛先生の
「新人を立派な社会人にしてやりたい」
という考えは立派ですので、ここは別の方法、イケイケで厳しくも優しい人柄で惹きつけて、厳しくもためになる指導研修をして新人を育てていくべきですね。
運営管理コード:HLMGZ31
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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