1 バカなクライアントとは、ゲームのロジックやルールを理解せずにゲームをおっぱじめるクライアント
この場合の
「バカ」
というのは、ゲームのロジックやゲームのルールを理解せずにゲームをおっぱじめる人間を指します。
そりゃそうです。
将棋のルールをよくわからないまま将棋を始めたものの、
「なんか、相手がこちらの陣地に入って裏返した瞬間、駒が変わった動きをするけど、あれって何なんだろう?」
なんて首をかしげている状況であれば、勝てるわけがありません。
2 世の中、大事なロジックやルールほど、教科書に載っていない
ところで、世の中、本質的かつ重要なロジックやルールほど、教科書に載っていませんし(よく読んでいたら、その手がかりのようなものがほんの少し載っているが、反対方向のノイズが多すぎて、全体として真逆のことが書かれていたりする)、新聞やテレビでも伝えてくれませんし、親も学校の先生も教えてくれませんし、ひょっとしたら、新聞やテレビを作っている人間も、親も学校の先生も、
「世の中における、本質的かつ重要なロジックやルール」
を実は知らないのかもしれません。
そして、このことは、民事裁判においても当てはまります。
裁判における本質的かつ重要なロジックやルールも、本や新聞や学校の教科書には載っていませんし、載っていても、わかりにくくしか書いておらず、なかなか把握困難です。
いや、
「偉そうに、自信たっぷりで、知的で、ジェントルで、エレガントで、いかにも頼りがいのありそうな、シブい中年の弁護士先生」
も、実は知っていないとか、知ったかぶっているだけとか、知っていても実践できていないとか、誤解しているとか、忘れちゃっているとか、無視・軽視・度外視して適当にやっている、なんてことがあるかのもしれません。
3 民事裁判のゲームとロジック
民事裁判のゲームとロジックですが、一般的には、民事訴訟法等で定められている、とされます。
しかし、これは、
「民事裁判におけるゼネラル・ルール」
のことです。
こちらは、法学部やロースクールでそのさわりくらいを勉強できますでしょうし、司法試験の勉強プロセスや司法研修所での研修で、大まかなことは学べます。
裁判で適用されるロジックやルールには、もう1つあります。
そして、このもう1つルールの方が圧倒的に重要であり、裁判の勝敗を基礎づけるくらい決定的なのです。
この
「民事裁判のローカル・ルール」
とも呼ぶべきものは、約2800通りあり、ブラックボックス化されており、しかも、
「ストーブの熱さを知るために、実際ストーブに手をくっつけて触って、大火傷を負ってからじゃないと知覚・認識できない」
といった赴きが如く、帰納的にしか認識され得ないものです。
4 民事裁判における「ローカル・ルール」
その中身は、事件の勝敗をどう結論づけるか(スワリ)、原被告双方の主張の論理性の優劣判断をどちらに傾かせるか(スジ) 、証拠をどう評価するか、法律をどのように適用するか(適用しないか)といったもので、いずれも、訴訟の勝敗を決定づけるものです。
こういう言い方をすると、
「近代的な日本の裁判システムが、そんなにいい加減で、デタラメで、予測不能なわけないだろ!」
という幼稚で愚劣な批判が巻き起こりそうですが、このことはキング・オブ・法律の、憲法が制度として保障しております。
5 民主体制下の日本で存在する約2800の「専制君主国家」
すなわち、憲法上、裁判官には、司法権を振りかざすに際して、指揮されたり、命令されたり、忖度しなければならない、上司や上長や上級機関といったものが一切存在しておりません。そして、裁判官は、天下御免のやりたい放題のスーパーフリーで司法権を振りかざせせる、とされています。
このことは、憲法76条3項に、職権行使独立の原則が謳われているほか、憲法上、手厚く独立性を身分保障をされていることからも明らかです。
総括すると、裁判所という、法律上の争訟を排他的に取扱い、当該争訟において国家意思を表明する国家機関は、さしづめ、
「専制君主国家の独裁君主」
といった趣の立場や権力や裁量が与えられており、民主主義体制を採用する我が国にあって、異彩を放っています。
司法試験を合格したエリート裁判官(簡裁判事を除く)は、2018年時点で2782名おりますが、極端な言い方をすれば、民主主義国家であるはずの我が日本には、
「(司法権が行使される局面において、という限定が付きますものの)指揮されたり、命令されたり、忖度しなければならない、上司や上長や上級機関といったものが一切存在せず、憲法から、天下御免のやりたい放題のスーパーフリーで司法権を振りかざせるパワーを与えられた、2800名弱の『専制君主国家』が存在し、そこで、独裁者がふんぞり返っている」
という見方も可能です。
6、裁判官が持つ、不気味で強大な権力
当然ながら、2800名もいる
「専制君主国家の独裁君主」
の中には、常識や良識が共有出来る穏当な方もいらっしゃるかもしれませんが、言葉が通じない、話が通じない、情緒が通じない、ただ、不気味に強大な権力をもっている、という方も少なからずいらっしゃいます。
そういう方が、特異な観察と特異な解釈と特異な評価を以て事件を観察した結果、こちらサイドとして
「主張内容が法律的に筋が通っており(法的論理性、スジ)、事件構図として主張内容の社会的・経済的妥当性があり(結論の妥当性、スワリ)、主張についても背景事情についてもそれぞれ明確な痕跡・記録(証拠)が手元にあり、相手の主張内容を尽き崩せる材料が手元にある」
と考えていても、突然、真逆の心証を抱き、何を説明しても一切耳を傾けず、そのまま権力を振り回して、突き進む可能性は、あり得るのです。
7、裁判ゲームの進め方・「ローカル・ルール」は帰納的にしか把握できない
原告も被告も、序盤戦(主張整理段階・書証提出段階)においては、民事訴訟法や要件事実論や経験則・認定則という、「ゼネラルな(雑駁な・アバウトな)ゲームのロジック・ルール」にしたがって、自らの主張の正当性を構築し、プレゼンします。
序盤戦が終わりにさしかかるころ、裁判官から、いろいろとサイン(といっても実にわかりにくい)が出され、きちんとした弁護士は、このサインを必死で読み解き、裁判官の心証形成状況の理解・把握に努めます。
というのは、前述のとおり、単純に総括して、
2800もの「専制君主国家の独裁君主」
がいて、それぞれ群雄割拠よろしく、独自のゲームのロジック・ルールを定めて運用しており、目の前の
「専制君主国家の独裁君主」様のロジック・ルール(感受性・経験則)
に照らして、
「『自分として必要かつ十分と考えている、話の説得性(スジ)と、それを示す痕跡(証拠)と、求める帰結の妥当性(スワリ)』が、果たして、受け容れられているか、拒絶されているか」
は、実際、裁判官にぶつけてみて、帰納的に把握するほかないからです。
このように、
「裁判におけるゼネラル・ルール」=マクロ的で普遍的な裁判ゲームのロジック・ルール 、
「裁判におけるローカル・ルール」=ミクロ的でスペシフィックなゲームのロジック・ルール
という二重構造のゲームのロジック・ルールを前提として、
「話の説得性(スジ)と、それを示す痕跡(証拠)と、求める帰結の妥当性(スワリ)」
の最適化を図るのが裁判というゲームの進め方になります。
8 ゲームのロジック・ルールを誤解したまま裁判を進める愚かさ
ところが、上記のようなゲームのロジックやルールを理解せず、
「天動説」
のように自分を中心にして、自分の正義感や感受性の赴くまま、裁判官の受け取り方を意に介せず、マスターベーションよろしく、身勝手な主張を延々吐き出して、悦に入っている愚かなクライアントがいます。
もちろん、まともな弁護士であれば、そのような愚かなクライアントの思考や感性を矯正するのでしょう。
しかし、弁護士の知能・経験レベルもクライアントと同程度であったりすると、上記のようなゲームのロジックやルールを理解せず、
「天動説」
のように自分を中心にして、自分の正義感や感受性の赴くまま、裁判官の受け取り方を意に介せず、マスターベーションよろしく、身勝手な主張を延々吐き出して、クライアントと一緒に、悦に入ってしまうこともあるかもしれません。
弁護士自身は相応に知性も経験もあるのですが、クライアントの愚劣さが矯正不能で、ギャラをもらっているため、不本意ながら、クライアントのメガフォンとして、ゲームのロジックやルールを無視した訴訟活動をさせられることもあるかもしれません。
9 焦ると、慌てると人間は確実にアホになる
あと、焦るクライアント、慌てるクライアント、時間的冗長性を欠如したクライアントは、確実にバカになります。
ノーベル賞を受賞した人間であろうと、東大教授であろうと、焦り、慌て、パニックになったら、一瞬で偏差値20のビリギャルクラスのアホになります。
知性とは、冗長性、時間的冗長性や精神的冗長性、さらには情緒安定性と同義です。
もちろん、基本的な知的・精神的基盤、すなわち、新規探索性、精神の開放性、思考の柔軟性、明朗な無い罰性(健全で明るく前向きな自己否定ができる謙虚さ)等があっての話です。
ただこれらは必要条件であって、時間的冗長性、精神的冗長性、情緒安定性があって初めて発揮できます。
簡単な連立方程式であっても、火事や地震の現場で、必死で逃げようとしている最中に、解いてもらおうとしても、東大卒の数学者であっても、間違います。
法律的なトラブルは、医学的な事案と異なり、1分、1秒の対処時間差で、どうなるものでもありません。
法的なトラブルに遭遇したら、まずは、落ち着くことです。
というよりも、諦めることです。
パニックになって、焦って、慌てて、精神的ゆとりを亡くし、また、他者への配慮も、聞く耳も持たないクライアント・当事者がいます。
こういう手合は、一応日本語で話していても、要約すると、
「とにかく、何とかしろ。時計の針を逆に戻せ。早くしろ、一瞬で直せ」
という無茶苦茶な命令か、愚痴を聞いてほしいか、同情を求めているか、という状況で、およそ、コミュニケーションが成立しないことが多く、ただただ、空回りし、
「やってしまったこと、起きてしまったことは、仕方ないとして、これを所与として、大事を小事に、小事を無事に近づける」
ために必要な論理的で秩序だった作戦を構築し、展開するための、時間と労力と機会がどんどん消失し、ますます、対策のためのコストが上昇していきます。
諦める、という言い方がムカつくようであれば、
「腹を括る」
という言い方もできますでしょうか。
とにかく、冷静さを亡くし、心を亡くし、知性を亡くした状態の人間を、トップに担いで、まともな作戦展開できるわけがありません。
頭がいい、悪いはさておき、まず、焦っている、慌てている、冷静さを欠いている当事者・クライアントは、
「バカなクライアント」
の最たる者ですから、まず、バカを治す、すなわち、
「自分が慌てて、バカになっていること」
をきちんと自己認識してもらい、そして、冷静さを回復して、バカを治してもらうことが必要です。
10 小括
「バカ」
には色々なタイプがありますが、世間知らず、あるいは、自分の置かれた立場や、自分がエンゲージしているゲームのロジックやルールを知らずに、努力して、空回りして、成果を出せずに、無駄な時間とコストと労力を費消するのは、ハード・コア・バカだと思います。
こういう言い方もできるかもしれません。
引用開始==========================>
大事なことは努力することではありません。
ガンバルことではありません。
むしろ、目的から逆算した最小限の犠牲で十分なのであり、牛丼のキャッチフレーズではありませんが、早く、安く、それなりに、うまいことやった方がいいに決まっています。
方向性を誤って空回りしていても、努力は無意味です。努力は無意味どころか、時間を失います。
時間があればカネは作れますが、カネがあっても時間は買えません。
もうすぐ受験の季節がやってきますが、受験も同様ですね。たとえば、ここに東大を強く志望する高校生がいたとします。
この高校生が、一生懸命、走り込みや、筋トレをやっています。
曰く、
「ボクは、小学校の先生からも、中学の先生からも、公務員をやっているお父さんからも、専業主婦としてパートで頑張っているお母さんからも、ボクが大好きで尊敬する、善良を絵に書いたようなみんなから、こういわれて育った。『努力は尊い。努力はいつか報われる。失敗をおそれるな』と。だからこうやって、走り込みや筋トレをして、体を鍛え、誰にも負けない運動性能と体力を身に着け、東大に合格するんだ。こんなに、体力を鍛え、努力しているんだから、神様はきっと見放さない。いつか、ボクは東大に合格するはずだ」
と。
しかし、残念ながら、この高校生は、10年浪人しようが、50年浪人しようが、東大に合格することはないでしょう。
理由はかんたんです。東大の受験科目には、体育がないからです。
だから、どんなに走り込みをしたり、筋トレをしたりして、体育の点数を向上改善させても、それが、どんなに苦労を伴い、負荷がかかり、尊い、立派な努力であっても、その努力は、東大合格、という点に限っては、全く意味がありません。
なぜか。
努力が、目的に結びついていないからです。
努力が、目的から逆算された、合理的で有益なものではないからです。
もっといえば、そもそも、自分の適性や能力に見合った目的の設定がなされていなかったのかもしれません。
<==========================引用終了
いずれにせよ、ゲームのロジックやルールを知らず、あるいは理解を拒み、ロジックやルールを所与として、自分を最適化せず、ただただ、自分の言いたいことを言いたいように言う、を繰り返していると、学校で授業中一人暴れる行動と同じで、良き成果に結びつかず、迷惑がられて排除される未来しか待っていません。
他方で、この
「ゲームのロジックやルール」、
「裁判におけるローカル・ルール=ミクロ的でスペシフィックなゲームのロジック・ルール」
は2800通りもあり、ブラックボックス化されており、帰納的にしか認識され得ないものです。
加えて、
・そのような「ブラックボックス化された2800通りのローカル・ルール」の存在や意義・機能や、
・これがまかり通っている状況や、
・「民主主義国家であるはずの我が日本には、(司法権が行使される局面において、という限定が付きますものの)指揮されたり、命令されたり、忖度しなければならない、上司や上長や上級機関といったものが一切存在せず、憲法から、天下御免のやりたい放題のスーパーフリーで司法権を振りかざせるパワーを与えられた、2800名弱の『専制君主国家』が存在し、そこで、独裁者がふんぞり返っている」という事実
については、本や新聞に載っていない(注意深く読めば手がかりのようなものは書かれているが、腹が立つくらいわかりにくくしか書かれていない、逆のことを示唆することがアホほど書かれており、誤導されてしまう)し、親や学校の先生も教えてくれないし、あるいはそもそも知らないし、弁護士の中にも明確に理解できていない人間もいるかもしれない、という状況です。
もちろん、この種のゲームのロジックやルールを、きちんと教えても、
「そんなのは俺の常識と違う」
「裁判官がそんな非常識な横暴な権力を振り回すわけないだろ」
「日本は民主国家だし、組織である以上、上司や秩序があるはず」
「なんて、不愉快な予想をするんだ。先生は法律や裁判を判っていない!(注:言っている人間は法学部を卒業しているわけではないど素人で、言われている人間は東大法学部卒の弁護士です)」
などと吠えて、騒いで、理解を峻拒するような手合もいます。
そういうバカなクライアントが、まず、訴訟に必敗するクライアントの特徴である、といえそうです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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