01727_訴訟で”必敗”してしまうクライアントの偏向的思考と習性:バカで、幼稚で、怠惰で、外罰的で、傲慢で、ケチなクライアントは訴訟で決して勝てない_(4)外罰的なクライアント

1 クライアントに選択と決定という責任を果たすことが求められる「訴訟 」という営み

1)訴訟という営みは、選択や決定の連鎖で成り立つ壮大な試行錯誤

訴訟という営みは、選択や決定の連鎖で成り立つ、壮大な試行錯誤の営みです。

訴訟の当事者は、各選択局面毎に、論理的に想定可能な全ての選択肢を整理・抽出し、展開予測とストレステストとプロコン評価を加え、選択と決定を続けていなかければなりません。

2)「『選択の帰結に利害を有する唯一無二の当事者』であるクライアント」には、「自己責任・自業自得・因果応報」の前提で、誰に八つ当たりすることもなく、選択と決定という過酷な役割・責任を果たすことが求められる

そして、
「選択の帰結に利害を有する唯一無二の当事者であるクライアント」
が、自己責任・自業自得・因果応報の前提で、誰に八つ当たりすることもなく、選択と決定という責任を果たすことが求められます。

もちろん、弁護士という支援者はいますが、あくまで、代理人であり、他人です。

クライアント・当事者の選択と決定という自己責任を果たす上で、弁護士は、
・(クライアントが気づかない状況において)選択局面であることを認知・知覚したり、
・選択課題を発見・特定・具体化して、明瞭に整理してあげたり、
・各選択局面毎に、論理的に想定可能な全ての選択肢を整理・抽出してあげたり、
・展開予測とストレステストとプロコン評価を加えることに知的な支援をしたり、
といった知的支援をすることはありますが、あくまで
「代理人(他人)」としての「支援」
であり、最終的な決定と責任と役割は、依然、当事者本人に帰属します。

3)弁護士に任せきりになって、当事者としての役割・責任を放擲するクライアント

有名な弁護士に、高い着手金を払ったクライアントなどは、
「これほどまでに有名な弁護士に、これだけのギャラを払ったのだから、後は大船に乗ったつもりで、勝ちが転がり込んでくる」
という夢想を抱きがちかもしれません。

もちろん、所要の成果が出れば問題はないのでしょう。

ただ、訴訟というのは、どちらかが勝って、どちらかが負けるものであって、また、原被告どちらもが、
「自分が勝って、相手が負ける」
ことを所与として、最後まで戦うわけですから、単純な割合でいうと、50%の確率で、期待していた成果が出ない、期待とは真逆の成果が出る、という悲劇が生まれます。

単純確率で50%の割合で生じる、期待していた成果が出ない(敗訴する、あるいは不利な和解をすることになる)悲劇的状況に至ると、クライアントは、当然のことながら、今までの期待や信頼はどこに行ったか、と思うほど、猛然と、弁護士を批判・非難・攻撃し始めます(にっこり笑って、「全力を尽くしていただいて感謝します」と喜ぶクライアントは稀でしょう)。

曰く、
「お前のせいだ」
「あの大言壮語はどこに行った」
「先生には勝つことを請け負ってもらったのだから、負けるならお願いしない。カネ返せ」
というクレームや文句のオンパレードになります。

4)クライアントの他人任せを助長する「俺は正解・定石を知っている。プロである俺に全て任せろ。俺に任せれば全てうまく行く」と息巻く弁護士

もし、弁護士が、営業段階で、着手段階で、
「私に任せろ」
「楽勝だ」
「絶対勝てる」
などと言っていたのなら、この弁護士は救いがたいアホですし、自業自得・自己責任・因果応報の帰結として、サンドバッグになるとしてもやむを得ないでしょう。

というより、そもそも、

という理解を前提とすると、前記のような弁護士の与太話といってもいいセールストーク(「私に任せろ」「楽勝だ」「絶対勝てる」) を真に受けるクライアントの方もどうかしています。

5)当事者・クライアントの義務と責任と役割

というより、そもそも、当事者・クライアントにおいては、訴訟にエンゲージした瞬間から
「大船に乗ったつもりで、勝ちが転がり込んでくる」
などといった状況とは真逆の、過酷なまでの義務と責任と役割を担わされるのです。

そして、
当該「義務と責任と役割」
は、当事者・クライアントにのみ、ひしひしとのしかかり、誰にも転嫁できない性質のものです。

訴訟の結果を外罰的にとらえて、八つ当たりしたり責任転嫁したりする、という現象の裏側には、上記のような
「当事者・クライアントにのみ、ひしひしとのしかかり、誰にも転嫁できない
義務と責任と役割」
を理解していないことが根源的原因です。

という理解を前提とすると、
・誰かに八つ当たり
・誰かを詰る、責める
以前に、そもそも、
・誰かに任せる
・誰かに委ねる
という発想を抱く段階で、訴訟にボロ負けすることが必定となっている、といえるのだと思います。

6)どんなに楽勝そうにみえても、訴訟は、「正解なき、定石もないプロジェクト」

どんなに楽勝そうにみえても、訴訟は、すべからく
「正解なく、定石もないプロジェクト」
です。

そして、
「正解も定石もないプロジェクト」
である以上、まず、プロジェクト推進のためのチームビルディングのあり方として、

正解も定石も不明なプロジェクトを推進するためのチーム体制を整える1~7

ことが必要になりますし、当該組織を用いたプロジェクトオペレーションとしても、

「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する1~11

の理解を前提とした作戦遂行が必要になります。

すなわち、
「正解も定石も観念しえない、結果が蓋然性に依存する、いわばギャンブルのようなプロジェクト」
である訴訟については、
「最善解・現実解を探るための各選択局面において選択と判断を続ける、試行錯誤を続ける営み」
なのであり、選択の連鎖により、成果が極度に左右されるものなのです。

2 「選択や判断を誰か他人に依存し、結果次第で八つ当たりする」という外罰的精神傾向が示唆するもの

クライアントの中には、
「私は選択しない(選択するのは面倒くさい)ので、そっちで選択してくれ」
「諸事、うまいことやってくれ」
「任せる」
「好きにやってくれ」
「私はわからない(わかる努力は放棄する)」
という方もいます。

こんなことをおっしゃるクライアントは、別に、器量が広く寛容、というのではありません。

クライアントから出てくるこのような言葉の行間や紙背には、
「うまくいくから、任せる」
「うまくいく限りにおいて、任せる」
「うまくいくことを前提ないし条件で、任せる」
という含意があります。

「うまくいかなくとも、どんな悲惨で想定外でむちゃくちゃな結果が出ても、ニコニコ笑って、一切文句は言わない」
というクライアントなど、皆無です。

要するに、
「私は選択しない(選択するのは面倒くさい)ので、そっちで選択してくれ」
「うまいことやってくれ」
「任せる」
「好きにやってくれ」
「私はわからない(わかる努力は放棄する)」
等と言い出す、
「一見鷹揚で、器量に優れたように見える、物分りの良さそうなクライアント」
の発言については、言葉の背後に潜む反語的含意を含めて正しく再記述すると、
「うまくいかなかったら、承知しないぞ」
「うまくいかなったら、責任追及するからな」
「うまくいかなかったら、どのようなプロセス・選択・判断をしたのか、そのすべてを調べ上げ、その選択や判断が正しかったのか、徹底的に検証して、その是非を問う」
ということであり、これが発言者の真意なのです。

このような発言の真意を理解せず、
「一見鷹揚で、器量に優れたように見える、物分りの良さそうなクライアント」
の言葉を真に受け、言葉通り、弁護士が知識と経験と感覚にしたがって、随意に適当かつイージーに選択と試行錯誤を進め、結果、期待する成果が出なかったら、
「なんであのときこうしなかった」
「なんであのときそういう見方をした」
「あのときの選択は結果的にはこっちの方がよかった」
と後知恵で難詰されて不愉快な状況に陥ることが必定です。

「私は選択しない(選択するのは面倒くさい)ので、そっちで選択してくれ」
「うまいことやってくれ」
「任せる」
「好きにやってくれ」
「私はわからない(わかる努力は放棄する)」
という発言をする
「一見鷹揚で、器量に優れたように見える、物分りの良さそうなクライアント」
は、クライアントにおいて負担すべき唯一の権限と責任を放擲して、これを弁護士に押し付けようとする意図に出たものであり、前記のような発言に隠れた反語的解釈も踏まえると、当該クライアントは卑怯、怠惰、狡猾、責任放棄、責任転嫁といった信頼できない性質を内包しており、弁護士としては、
「プロジェクトパートナーとしての不適格性の顕れ」
と考え、警戒あるいは忌避し、さらには、エンゲージを拒否すべきことになろうかと考えます。

しかしながら、現実には、
「私は選択しない(選択するのは面倒くさい)ので、そっちで選択してくれ」
「うまいことやってくれ」
「任せる」
「好きにやってくれ」
「私はわからない(わかる努力は放棄する)」
等と言い出す、
「一見鷹揚で、器量に優れたように見える、物分りの良さそうなクライアント」
を前にした弁護士の中には、
「私に任せろ」
「楽勝だ」
「絶対勝てる」
などと愚かなことを言って調子を合わせる、しびれるくらいアホな手合も少なからずいるようです。

上記のような不幸なまでにアホな弁護士の行動は、弁護士・依頼者の役割分担設計において、クライアントを、
「クライアントにのみ、ひしひしとのしかかり、誰にも転嫁できないはずの義務と役割と責任」
から免責し、成果が出なかったら、弁護士自身に対して、八つ当たりするような外罰的態度を許容する、ということを意味します。

もちろん、クライアントとしては、期待外れの結果を前にして、
「お前のせいだ」
「あの大言壮語はどこに行った」
「先生には勝つことを請け負ってもらったのだから、負けるならお願いしない。カネ返せ」
と当然の詰め寄りをして、醜悪な内部ゲバルトをするのもご随意です。

しかしながら、クライアントとして、弁護士に八つ当たりしたところで、結果が改善されるわけでもありません。

結局、敗訴したら敗訴したで、その債務や責任を、弁護士になすりつけることもできず、すべて自分で負担しなければならないのです。

3 小括

いずれにせよ、外罰的なクライアント、言い換えれば、
「誰にも転嫁できないはずの義務と役割と責任」
を放擲するような無自覚で無責任で他人任せで当事者意識が欠如しているクライアントは、当然のように訴訟で必敗する、ということはいえるかと思います。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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