では、どうすれば、当事者・クライアントとして、訴訟で必敗せずに済むのでしょうか?
以上みてきた
「バカで、幼稚で、怠惰で、外罰的で、傲慢で、ケチなクライアント・当事者」
とは真逆の当事者・クライアント、すなわち、
「賢く、成熟して、誠実で、八つ当たりせず、謙虚で、 カネに糸目をつけない(財布を気にするなら、最初から訴訟沙汰しないようにうまいこと持っていく程度の知能をもつ)クライアント・当事者」
になればいいだけです。
具体的に言いますと、以下のとおりとなります。
1 賢いクライアント・当事者
賢いクライアントというのは、
「裁判で適用されるロジックやルール」
すなわち、
「裁判におけるゼネラル・ルール」=マクロ的で普遍的な裁判ゲームのロジック・ルール 、
「裁判におけるローカル・ルール」=ミクロ的でスペシフィックな裁判ゲームのロジック・ルール
という二重構造のゲームのロジック・ルールをきちんと理解把握できているクライアントです。
そして、後者、
「裁判におけるローカル・ルール」=ミクロ的でスペシフィックなゲームのロジック・ルール 、
こそが、訴訟の帰趨を決定づけるほど重要です。
ただ、 当該ゲームロジック・ルールについては、
「単純に総括して、2800もの『専制君主国家の独裁君主』がいて、それぞれ群雄割拠よろしく、独自のゲームのロジック・ルールを定めて運用しており、目の前の『専制君主国家の独裁君主』様のロジック・ルール(感受性・経験則)に照らして、『“自分として必要かつ十分と考えている、話の説得性(スジ)と、それを示す痕跡(証拠)と、求める帰結の妥当性(スワリ)”が、果たして、受け容れられているか、拒絶されているか』は、実際、裁判官にぶつけてみて、帰納的に把握するほかない」
という、ともすれば
「いい加減でデタラメにすら思える」
過酷で残酷で不愉快な現実を異議なく受け入れることができるのが、賢いクライアントです。
もちろん、このことを自分で勉強して、知る必要はありません。
まともな弁護士であれば、上記をきっちり、はっきり、くっきり理解して、バカにでも判るくらい噛み砕いて説明できるはずですから、弁護士からそのような説明を受けたら、素直に受け入れればいいだけです。
それをできるのが、賢いクライアントです。
ただ、上記のようなゲームのロジックやルールをあまりよく判っていない弁護士、というのがいるかもしれません。
そのようなよく判っていない弁護士を敬して遠ざけ、
「ゲームのロジックやルールの理解」
という点でもう少しマシな弁護士にたどり着けるコネがあることを前提に、当該マシな弁護士を見つけ出せる程度の
「人を見る目」がある、
というのも、賢いクライアントが実装すべき知見である、といえます。
2 成熟した知性をもつクライアント・当事者
成熟した知性を持つクライアントとは、
「裁判所は、『真実と正義を愛し、悪やウソを憎み、明敏なる知性をもって、真実を発見し、正当な解決をもたらしてくれる弱者の味方であり、被害者たる当事者にとって、証拠がなくとも、理性と常識を働かして、相手が企図する嘘偽りを見破り、自分を救済してくれる、優しく、正しく、間違わず、心強く、無条件・無制限に信頼することができる、父や母のような存在』」
という幼稚な見方(「大岡越前守・遠山金四郎的裁判所観」)を愚説として斥け、
「裁判所は、現実に発生した事実とは関係なく、証拠と法律のほか、スジとスワリという独特のロジックやルールを通じて、再構成したストーリー(事実とは異なる仮説、虚説)に基づき、憲法により付与された独裁的権力を用いて、権力的に物事を決めつけ、解決する役所であり、証拠もなく、法律的にも分が悪い事案で、一般的なスジやスワリとも乖離するようなものであれば、過大な期待をしても難しい」
という見方(「ただの権力的な役所としての裁判所観」)を堅持できる程度の成熟性をもったクライアントです。
そして、自己中心的・天動説的なメンタリティではなく、
「裁判というゲームを支配するのは、司法権という圧倒的権力と裁量をもち、神の如き絶対性をもつ存在で、民主体制下の日本にあって『専制君主国家の独裁君主』として君臨する裁判官である」
という厳然たる現実を所与とし、
「担当裁判官の常識・経験則・感受性」を太陽とする、
「地動説」的な思考転換
によって、裁判官の有するロジックやルールと感受性に併せて、自分のプレゼン内容を最適化して、当たり前のように、媚びへつらうことができる、
本当の大人が、成熟した知性をもつクライアント、といえます。
3 誠実なクライアント・当事者
(1)言いたいことが、法的・論理的に再構成・再構築されていること
(2)「証明可能な事実」と「反証不能な論理」だけを使って言いたいことを表現すること
(3)言いたいことをしびれるくらいわかりやすく「ミエル化・カタチ化・言語化・文書化」すること
という訴訟におけるプレゼンの厳しい制約をふまえ、
誠実かつ堅実に、訴訟遂行を行える(=そのような訴訟遂行スキルをもつ弁護士を探し当て、当該弁護士の指示にしたがって、課された宿題を真面目に取り組むことのできる)クライアントが、誠実なクライアント、ということになります。
4 八つ当たりしないクライアント・当事者
八つ当たりしないクライアントとは、そもそもの前提として、
・訴訟という営みは、選択や決定の連鎖で成り立つ壮大な試行錯誤であること
・「『選択の帰結に利害を有する唯一無二の当事者』であるクライアント」には、「自己責任・自業自得・因果応報」の前提で、誰に八つ当たりすることもなく、選択と決定という過酷な役割・責任を果たすことが求められること
をはっきり、くっきり理解し、
・弁護士に任せきりになって、当事者としての役割・責任を放擲することもなく
・「俺は正解・定石を知っている。プロである俺に全て任せろ。俺に任せれば全てうまく行く」と息巻く、訴訟という営みの本質をよく判っていない弁護士を敬して遠ざけ
「当事者・クライアントにのみ、ひしひしとのしかかり、誰にも転嫁できない義務と責任と役割」
である各選択局面について、真剣に、果断に、選択・決定し、その結果の責任を誰にも転嫁しないようなクライアントをいいます。
5 謙虚なクライアント・当事者
謙虚なクライアントとは、知性と成熟性を備え、メタ認知(自己客観視、俯瞰認知)出来、展開予測能力に優れ、思考柔軟性があり、情緒が安定し、何より精神的冗長性(余裕)があるクライアントのことです。
そして、謙虚なクライアントは、
「憲法によって与えられた、『専制君主国家の独裁君主』並の権力と裁量をもつ裁判官の法と良心」を太陽とする「天動説」(以下、「担当裁判官が天動説的に抱いている常識・価値観・経験則・法解釈」)
が裁判におけるすべての中心であり、裁判に関与する者すべてが、この
「担当裁判官が天動説的に抱いている常識・価値観・経験則・法解釈」
にひれ伏すことが強制される、という現実を、二義を容れずに理解し、納得することができます。
6 カネに糸目をつけない(財布を気にするなら、最初から訴訟沙汰しないようにうまいこと持っていく程度の知能をもつ)クライアント・当事者
最後に、カネに糸目をつけない(財布を気にするなら、最初から訴訟沙汰しないようにうまいこと持っていく程度の知能をもつ)クライアントは、
訴訟に勝つのは、正しい方、真実を語っている方ではなく、訴訟という
「壮大な資源動員合戦・泥沼化する消耗戦」
を勝ち抜くコスト負担・資源動員負担に耐えられる側である、
という過酷な現実をわきまえているクライアントです。
万が一、コスパの最悪な訴訟という営みにエンゲージを余儀なくされるとしても、
{「純経済的な勝訴期待値」 +「『クライアントの尊厳や体面やアイデンティティ』や『クライアント個人としての内部人格均衡ないし情緒安定性』や、『クライアント法人としての組織内部統制秩序に対して、不可逆的な混乱・破壊・崩壊をもたらさないための組織防衛上の定性的価値』」} > 「全動員資源に関する総コスト」
などという形で訴訟の目的を再定義・再構築することで、
「訴訟のコスパ」
をめぐる議論の混乱や内部の経済合理性の疑義にまつわる動揺を沈静化させることができる、
というクライアントです。
もちろん、財布を気にするなら、最初から訴訟沙汰しないようにうまいこと持っていく程度の知能をもつ、という経済合理性をもつクライアントも、カネに糸目をつけないクライアント同様、訴訟に負けることはありません(というか、そもそも訴訟の前に解決してしまうので)。
7 総括
なお、
「賢く、成熟して、誠実で、八つ当たりせず、謙虚で、 カネに糸目をつけない(財布を気にするなら、最初から訴訟沙汰しないようにうまいこと持っていく程度の知能をもつ)クライアント・当事者」
であれば、そもそも、
というリテラシーを実装しており、訴訟のはるか手前で示談にしたり、さらには、紛争を明確かつ具体的に予知して、予防法務上の手を打って、契約でリスク対処を上書きしてリスクそのものを消失させているはずであり、訴訟なんて鈍臭い状況に陥らないわけですが。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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