01806_「弁護士との意見の違い」について

訴訟を提起するとなると、相手もあれやこれやと何かしら嫌がらせをしかけてくるでしょうし、それらに対処するための損害が想定される場合もあります。

弁護士は、論理と経験上の蓋然性にしたがって状況に対処する選択肢を創出しますが、法務相談者(大将)において、訴訟に不可避の損害を嫌悪するなら、訴訟などやめてしまったほうがいいでしょう。

「ジャングルで存分に戦ってほしいが、支給した新品のブーツには泥一つつけるな」
などという命令をする大将は、戦場には不要ですし、有害だということです。

あるいは、法務相談者(大将)が、弁護士の披瀝する選択肢をことごとく却下し、楽観的な自説を滔々と演説するのであれば、そもそも訴訟を起こすことなど不要でしょう。

また、大将のまわりに、楽観的な平和主義者(で、そのため、今日の惨状の出現に寄与した)がいるのであれば、その方はいわば、戦犯であり、完全に排除しなければなりません(この方が、弁護士と同程度の知性と感受性と洞察力と展開予測力をもって、楽観論に傾きがちな大将に注意喚起と警告を与えたものの、大将がその言を受け入れなかった、諫言の士であれば、チームに加えるべきでしょう)。

訴訟は、いわば軍事です。

そして、上記のことは、軍事の常識です。

「弁護士との意見の違い」
だったと、流すようなことではありません。

「弁護士との意見の違い」は、
リテラシーや認知や状況評価や状況解釈や展開予測や課題対処、要するに、頭の程度の問題です。

例えば、
「未来予測」や「展開予測」
というのは、すなわち、頭脳の質の問題です。

「未来予測能力が低い」
というのは、要するに、
「あたまが悪い」
ということです。

「危機状況を観察し、そこから経験上の蓋然性として想定される未来」
については、常に、一定の幅のある解釈が成り立ち得ます。

「それを甘く、軽くみて、何も備えない人」
と、
「保守的に想定して、(無駄になっても、保険と考えて)備える人」
との思考の差は、
「意見の違い」
ではなく、頭の程度の差なのであり、前者が、
「単にあたまが悪い」
というだけです。

「有事を想定して安全保障を備える人間の脳」
と、
「平和主義を唱えて安全保障をせず逆に安全保障を放棄して国家を危機に晒す人間の脳」
の違いは
「右か左か」の問題ではなく、
「上か下か」の問題なのです。

訴訟を起こさざるを得ないような現下の惨状がある、というのは、
「相手の頭が上で、当方の頭が下」
であった当然の帰結なのです。

厳しいようですが、これが現実です。

「弁護士とは意見が合わない。だから、もう、訴訟は起こさない」
というのであれば、最初から、相手に際限なき譲歩を行えばいいだけです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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