00669_“げに恐ろしきは法律かな”その3:法律はもはやこの世の誰も全容を把握できないほど多すぎるし、よくわからない方々が作る、狂ったものもある
すべての法律や規則はあまりに多すぎます。 法律のすべてを知っている人間は、この世の中にはいません。多分。 法律は、俗に、「六法」などといいますが、6つだけではありません。 世の中には、6つとかの話では済まない、とてつもない数の法律が存在します。 行政個別法という法分野だけで一説には1800近くあるとか。 また、ホニャラ...
すべての法律や規則はあまりに多すぎます。 法律のすべてを知っている人間は、この世の中にはいません。多分。 法律は、俗に、「六法」などといいますが、6つだけではありません。 世の中には、6つとかの話では済まない、とてつもない数の法律が存在します。 行政個別法という法分野だけで一説には1800近くあるとか。 また、ホニャラ...
例えば、一審は勝訴したものの、一審の裁判官も、明々白々な証拠があって、雲1つない晴天のようなすっきりとした気持ちを持ち、胸がすくような形で、一方当事者を勝たせた、ということではない、というケースがあります。 一審判決を読むと、ためらい傷が残るように、懐疑を挟み、躊躇(ちゅうちょ)を覚えつつ、最後まで晴れ晴れとした気持ち...
皆さんは小学校時代、「日本の司法制度は三審制。地裁、高裁、最高裁、と、3回裁判のチャンスあり」と習ったのではないでしょうか。 無論、それは形式上、論理上、建前上、間違いではないのですが、ただ、言葉と実態がかけ離れており、言葉を額面通り受け取ると、エライ目にあうようなお話といえます。 分かりやすく、実態に即した言い方をす...
一般に、「証人尋問は訴訟の最も重要で、ドラマチックな場面」などと考えられているようです。 東京地裁が取り扱う民事事件については、連日、法廷において、鋭い尋問、動揺する証人、喧々諤々とした論争、丁々発止のやりとり、連発される異議、飛び出す新証拠、傍聴席を埋め尽くすたくさんの傍聴人、身を乗り出す裁判官、などとテレビドラマの...
民事裁判官は、訴訟経済、すなわち、事件を解決するためのスピードと効率性を何より大切にし、「予断と偏見」という職人的スキルを使って事件を処理します。 他方、訴訟経済を追求した結果、あまりにデタラメや間違いが多すぎると、今度は、国民の裁判や裁判所や裁判官に対する「信頼」がなくなります。 「国民の裁判や裁判所や裁判官に対する...
よほどマイペースで無能な裁判官を除き、普通に空気を読める普通の能力をもつ職業裁判官は、証人尋問の前において、事件の勝敗の方向性(業界用語で「事件の筋」などと読んでいます)や心証を決定しまっており、証人尋問を開始する時点では、主張の中身や書面の証拠だけでほぼ決定済みなのです。 いえ、もっと突っ込んだ言い方をすると、「きち...
民事裁判については、当事者にとっては命より大事なカネや財産や地位やメンツといったものがかかっていますが、社会全体や国家にとってみれば、民事裁判のテーマは、言ってしまえば、「たかが一般市民同士のつまらないいがみ合い」です。 訴訟など、別に起こしても起こさなくてもいい。 地裁・高裁・最高裁と何年も不毛な戦いを続けるのも自由...
「『法的リスクを現実化させないこと』を目的とする『予防法務』こそが、臨床法務や事故対応法務よりはるかに重要である」という認識が、昨今、企業関係者の間で広まってきています。 しかし、上場企業ですら、「企業不祥事」によって経営が傾く実例が多々存在することからもわかるように、「予防法務」を現実に効果的に実施する能力や環境にあ...
人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられません。 バレさえしなければ何でもする。見つからなければ、どんな違法なこと、不道徳であっても、欲と本能に適うことをやってのける。 それが人間です。 これは、歴史上証明された事実です。 「人間が生きている限りどうしても法を守れない」「人間が生きている限りどうしても病気や怪我と無...
企業不祥事は永久に不滅です。 最近、というか、ここ2,30年くらい、継続的に、途切れることなく、企業不祥事が多発しまくっています。 「これだけ企業不祥事が出たから、もう、不祥事がなくなり、法律的に一点の曇りもない、清く、正しく、美しい、すみれの華のような、清廉な産業社会が日本にやってくる!」と思われた方も、いらっしゃる...