00872_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する10: 正しく試行錯誤する

正しい命令が、正しく、予定どおり実行さえすれば、成果は
「必ず」出る、
といえるでしょうか。

前提として、ここでテーマにしているのは、
「正解や定石がなく、常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
の遂行についてです。

「電車で3駅先に辿りつく」
とか
「電話をかけてメッセージを伝える」
とかの雑用・ルーティンではなく、
「正解や定石がなく、常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
の遂行です。

当然ながら、そんなご大層で面倒なものが、一発で想定どおりの成果が100%出るなんてことは、およそあり得ません。

仮に、成果が出たとしても、当初の想定よりずいぶん劣化したものであったり、成果は出るには出たがとんでもなく時間や労力やコストがかかってしまい、経済的にはほとんど意味がなかった、という結果に終わることがほとんどです。

その意味では、プロジェクトの遂行責任者としては、まず、
「正しい命令が、正しく、予定どおり実行したとしても、想定外の事態や状況に陥り、一筋縄ではいかないか、さらに、無残なまでの失敗をするかもしれない」
という現実的で冷静な心づもりをしておくことが、致命的に重要です。

こういう言い方をすると、
「最初から負けるつもりでどうする」
「精神力が足りないぞ」
「相手は鬼畜米英だ。こちらには神がついている。不退転の決意で望めば、天佑があり、竹槍でB29が落とせるはずだ」
「我が国には、古来より、言霊思想というのがあってな、うまくいかないとか、失敗とか、不吉な将来を想起させる忌み言葉を口にすると、うまくいくものも、うまくいかないぞ」
などという、愚劣で非科学的で無根拠の非難にさらされることがあります。

もともと、人間の脳内には、楽観バイアスという、愚劣とも言うべき、思考上の偏向的習性というか、絶望的な予測機能上の構造的欠陥が備わってしまっています。

これに、
「忌み言葉」だの、
「精神力で負けるな」とか、
「メンタルを強くしろ」、
「熱くなれ」とか、
意味不明の集団内の同調圧力にさらされると、
「想定すべき想定外」
を考えること自体に罪悪感を感じてしまい、
「想定外」とか「失敗」とか「うまくいかない」とか
の思考を完全に封殺してしまいます。

ところが、そもそも、プロジェクト遂行責任者として、与えられているテーマは、
「正解や定石がなく、常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
です。

責任者がどのような思考をするかどうかに関係なく、
「想定外」
とか
「うまくいかない」
とか
「そんなはずはない」
とか
「あるべき姿と違う現実に直面」など、
ゴマンと出てきます。

さらに、悲劇は訪れます。

想定外の事態に直面すると、人間から冷静な思考力を奪い去ります。

「当初想定」

「直面した現実」
に齟齬が生じた場合、
「当初想定」
を前提とした
「当初戦略」
が機能しないわけですから、
「当初想定」「当初戦略」
にこだわらず、さっさと、逃げて戦線を離脱し、
「現実に直面し、新たに把握し認知できた現実」
に即応した
「第一次修正戦略」
を練り直して、陣容を整えて再戦を期すべきです。

ところが、
「想定外」とか「失敗」とか「うまくいかない」とか
の思考を完全に封殺してしまった挙句、想定外に直面して冷静な判断力を喪失した(言葉を選ばないとすると、「アホ」になった)責任者は、混乱したまま、愚劣に当初戦略にこだわり、すべての資源を無駄に消失(戦争でいえば、戦果なく部隊全滅)という愚劣な帰結を招きます。

まるで、
「愚劣な精神状態の指揮官によって、敗戦に次ぐ敗戦という醜態を晒し、最終的には無残な敗戦の結果を招き、国民を地獄の底に突き落とした、どこぞの国におけるかつての軍事組織」
の話のようですが、いずれにせよ、プロジェクトの遂行責任者としては、まず、
「正しい命令が、正しく、予定どおり実行したとしても、想定外の事態や状況に陥り、一筋縄ではいかないか、さらに、無残なまでの失敗をするかもしれない」
という現実的で冷静な心づもりをしておくことが、致命的に重要であることは、ご理解いただけると思います。

すなわち、常に想定通りにいかないこと、想定していない事態に見舞われ、足を引っ張られたり掬われたりすることを警戒しておくことが、まずは大事である、ということになります。

想定が外れたからといって、パニックに陥って、すでに無意味になっている当初の段取りに固執するのではなく、冷静に、目的を達成するための二次的・補完的手段を構築したり、当初目的が維持できない場合には現有資源を動員して達成される二次的目的に修正したり、ということをしなければなりません。

この繰り返しによって、何らかの結果が出るか、資源が枯渇するまで、資源運用を継続する。

これが、
「正しい試行錯誤」
です。

ところが、実際、ビジネス・プロジェクト遂行の現場で起きているのは、かなり愚劣で悲惨な事態です。

一度やってダメなら、ジタバタしたりあがいたりせず、潔くあっさりと、やめたり休んだりする。

あるいは、失敗や想定外が生じたら、それで思考停止に陥り、行動を停止し、神風や都合のいい天変地異や外的事象によって状況が改善することを夢想する。

こんなことをしても、悲惨な結果(あるいは莫大な資源動員の挙句、何らの結果も出ていないという悲惨な現実)はビタ1ミリ変化しません。

「ピンチはチャンス」
という戯言がありますが、
「ピンチはピンチであり、ピンチである事実はビタ1ミリも動きません。むしろ、普通に努力しても、ピンチは、大ピンチにしかならず、大ピンチが、破滅になるだけ」
です。

あらゆる手を尽くして、ピンチがピンチのままで状況維持してくれる、というのが通常の蓋然性に基づく正しい相場観です。

にもかかわらず、失敗や想定外が生じたら、それで思考停止に陥り、行動を停止し、神風や都合のいい天変地異や外的事象によって状況が改善することを夢想して座視していたらどうなるか?

ピンチは、通常のプロセスで大ピンチになり、大ピンチもまた、通常のプロセスで破滅に至るだけです。

失敗や想定外に遭遇した場合、ごく平均的な企業人で構成された実施組織は、どのような行動に出るか。

悲惨な結果から目を背け、なるべく忘れるようにする。

そして、失敗という結果のみ、組織で共有し、
「皆の失敗だから、誰の失敗でもなく、故に、誰も責められない」
という状況を作り出し、組織のタブーとして、触れないようにする。

命令を受命したのが外部の受託組織となると、さらに狂った行動を始めます。

外部の受託組織においては、受命プロジェクトの失敗による終了は死活問題になります。

プロジェクトが終了してしまうと、報酬がもらえなくなったり、お払い箱になる、というリスクが生じます。

そのため、
「プロジェクトの失敗」
のリスクよりはるかに切実な
「報酬がもらえなくなったり、お払い箱になる」
という現実的で切実なリスクを避けるため、結果が出ていなくとも、活動を維持継続する正当性を創出する必要が出てきます。

独断で、コミュニケーションなく、勝手に目的を書き換え、別のことを始め、
「何か仕事をしている」
という外形を作って、状況を引き延ばす。

これは、試行錯誤とはいえ、仕事を継続すること自体を自己目的化したものであり、事業の目的、すなわち
「少ない資源でより多くの富を創出する」
というものとは根本的に異なるものです。

なお、先程、
「すでに無意味になっている当初の段取りに固執したりせず、冷静に、目的を達成するための二次的・補完的手段を構築したり、当初目的が維持できない場合、現有資源を動員して達成される二次的目的に修正したり、ということをしなければなりません」
と申し上げましたが、手段の改変や目的の変更といった、プロジェクトにまつわる重要な変更が生じた場合、プロジェクト実施を委ねられている責任者たるマネージャーは、修正提案を命令発令者に意見具申することが求められます。

意見具申はおろか、報・連・相すらなく、独断で勝手なことをするのは強く戒められます。

以上を前提とすると、優秀なプロジェクトマネージャーとは、物事が想定どおりにいかないことを常に念頭におき、多岐にわたる悲観想定をしつつ、想定外に直面した場合、手段の変更や目的の再設定といった、現実的な補完策を繰り出すとともに、これを独断で実施せず、プロジェクトオーナーと報・連・相を維持しつつ、柔軟に対応できる人間、ということになります。

高学歴で高い事務処理能力を有しつつ、失敗経験が豊富で、かつ、打開手段を構築するための創造性に富んでおり、さらに、スタンドプレーと無縁な、上司と緊密な連絡を取ることのできる、
「可愛気と愛嬌」のある奥ゆかしい組織人、
ということになります。

さしづめ、
「東大卒でありながら、そんなことをおくびにも出さない、謙虚な努力家で、体育会系で、上司に可愛がられる、若き日の木下藤吉郎」
といった趣でしょうか。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00871_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する9: 命令の達成状況をモニタリング(監視)する

「正しくデザインされ、策定され、発令した命令」
が、
「漫然と成果を待っていただけでは、永遠に正しく実行されないまま放置されるか、あるいは、本来の方向とは違った方向に進みだして、有害な結果をもたらすリスクが増殖する」
危険性があり、この危険を防ぐためには、マネージャーが
「正しい命令が、正しく実行されるためのスキル」
を実装し、これを実践することが必要です。

そして、
「正しい命令が、正しく実行されるため」
には、この前提として、命令の達成状況が適時適確にモニタリングされる必要があります。

人間は、ウソをついたり、ごまかしたり、すっとぼけたり、言い訳を考える習性を有する動物です。

もし、
「私はウソをついたことがない」
「ごまかしたことはない」
「すっとぼけたりしたことは生まれたこの方一度たりともない」
「人生一度も言い訳をしたことはない」
という方がいたとしたら、その方は、人間ではないか(人工知能か何かが脳に入っているか)、あるいは病的な嘘つきのはずです。

このような現実的前提をふまえると、正しい命令を誤解したり、理解してもサボったり、サボるつもりはなくとも迷走したり、あるいは勝手な判断で暴走したりする可能性は十分あり得ます。

そのような失態を犯した挙句、自己保存のメンタリティから、
「自ら招いた結果とはいえ失敗を指摘され非難される」
という不名誉な事態の発覚を先延ばしにして有耶無耶(うやむや)にしてしまおうという、姑息で卑怯な魂胆が芽生えます。

そして、
報告連絡相談を意図的に懈怠したり、
責任者や上層部が積極的に突き回さない限り報告を忌避したり、
報告をするにはするが、抽象的で曖昧で
「どうとでも解釈されるような、しかも、現場は努力して頑張っている、というメッセージが入った」
無内容な報告に終始して、事実上、事態の露見を隠蔽する、
ということも、実際の企業社会ではよくみられる状況です。

いずれにせよ、線表(せんぴょう)を策定し、線表に基づく達成状況の監視は必要です。

また、遅滞や懈怠に対するペナルティーを定め、これをシビアに運用することは必須です。

進捗状況すら管理せずに、丸投げしたり、ブラックボックスを作ったままの遂行体制を放置容認したり、現場からの抽象的で無内容な報告を鵜呑みにするのは、NGです。

「現場を信じて、任せる」
「(線表による達成状況の監視とペナルティーのシビアな運用などは)部下を信頼していないと思われ、却ってやる気をそぐのでそこまで細かいことはしない」
などと命令の達成状況や進捗を細かく管理することを放棄すると、撤退のタイミングすら見失い、泥沼の状況に陥り、果てしない資源喪失を招きかねません。

「正しい命令が、正しく、予定どおり実行され、成果が想定どおり達成される」
ということ自体が稀有である、
という保守的な想定のもと、慎重に、臆病に、命令達成状況を細かく把握し、確認することが、プロジェクト・マネジメントにおいて必須であり、また、そのために必要な人員やシステムも、きちんと整備構築しておくべきです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00870_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する8: 命令を正しく実行させる

「SMART」基準
を充足する適切なコミュニケーションメッセージとしての
「正しい命令」
が発令されたとしましょう。

「正しい命令」
すなわち、
「デタラメで適当で、具体的かつ現実的な観点で何を達成したいのか理解不能な命令」
ではありません。

また、
「たとえ、美辞麗句がまばゆいくらいに散りばめられた格調高い文章で表現されていたとしても、抽象的で、意味不明で、指示内容が一義的でない命令や、難解さや高尚さのため命令を受けた実行担当者において何を期待し、何を義務付けられているか、さっぱりわからないようなシロモノ」
ではなく、
「身勝手な解釈や、裁量や冗長性の欠片もない、しびれるくらい、明確で具体的な命令」
が、無事、命令遂行責任者の認識範囲に到達されたとしましょう。

では、あとは、放っておけば、勝手に命令が遂行され、命令で想定された結果が転がり込んでくるでしょうか?

そんなわけはありません。

大日本帝国海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六は、
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」
と言ったそうです。

海軍のような、指揮命令系統が整備されていて最終目標が
「敵をより多く殺戮する」
という単純明快な組織ですら、このような状況です。

普通の企業組織において、
「しっかりした、具体的で、明瞭な命令さえ出しておけば、あとは結果が出るだろう」
などという期待を抱く方が、知的水準が疑われます。

1 支配人のほかに総支配人なる職種が存在するのはなぜ?

ところで、総支配人という仕事があるのをご存知でしょうか?

ホテルなどで、
「支配人」
とは別に、
「“総”支配人」
という肩書をもつ方がいます。

この仕事って一体何なんでしょうか?

具体的に考えてみましょう。

都内の外資系の超高級ホテルをイメージしてください。

同じようなホテル、仮にAホテルとBホテルというものがあり、どちらも同じ星の数で、設備の新しさも同じ。

一休の口コミも同じく4.8ポイントとしましょう。

AホテルとBホテルも同じ料金でした。

唯一の違いは、Aホテルには、支配人のほかに、総支配人がおりますが、Bホテルは支配人しかいません。

皆さんは、同じランクの同じようなホテルに同じ値段で宿泊する場合、総支配人がいるAホテルを選びますか? 

それとも、Bホテルを選びますか?

こういう質問を投げかけた場合、たいていの方は、総支配人のいるAホテルを選びます。

ただ、理由を聞いても、明確な答えが返ってきたためしはありません。

もちろん、私も、Aホテルを選びます。

ただし、私は、Aホテル、すなわち、支配人だけのホテルを忌避して、総支配人がいるホテルを選ぶ明確な理由を説明できます。

その理由とは、総支配人のいるホテルの方が、明らかに価値が高いからです。

その付加価値の理由は、総支配人の仕事の内容に関わります。

総支配人の仕事とは、支配人の仕事にケチをつけることであり、粗を探し、罵倒したり嫌味を言うなどして、指導し、改善させたりすることです。

もっと端的に言うと、総支配人の仕事とは、支配人を、いびって、いびって、いびり倒すことです。

無論、支配人としてはたまったもんじゃありません。

ミスができないし、気が抜けないし、緊張しっぱなしだし、常にストレスと不安を抱えますから。

ただ、客としては、朗報です。

人間は、本質的に、サボりたいし、手を抜きたいし、失敗してもごまかしたいし、客を適当にあしらいたい。

客が喜ぼうが、失望しようが、給料に変化がなければ、なおさらです。

Aホテルの支配人もBホテルの支配人も立派な人格者でしょうし、誠実な接客のプロかもしれません。

しかし、やはり、緊張が緩む瞬間もあるでしょうし、立派で誠実なプロに、さらに、出来栄えを直接ガン見して監督する人がいれば、より高いパフォーマンスが期待できる、というものです。

掃除の回数や、サービスの品質、ささいなミスの数、スーツの微細なシワ、食器の汚れ、そんな細かいところまで考えれば、
「常に、監視され、少しの気の緩みがあれば目ざとく発見され、罵倒され、いびり倒され、まったくリラックスができない」
という状況におかれたAホテルの支配人の方が、圧倒的かつ絶対的に仕事を一生懸命やってくれるはずです。

だから、私は、客の立場として、同じカネを払うなら、
「目の上のたんこぶが常にあって、不安とストレスに苛まれながらミスやエラーをゼロにするために全神経を集中するであろう、Aホテル」
の方を迷わずに選ぶのです。

この話のポイントは、
「人間は、エラーやミスを犯し、サボるのが本質であり、たとえ、どんなに単純なルーティンであっても、放置しておけば、適切な結果が得られることを期待することは、困難である」
ということです。

すなわち、どんな立派な人間でも、その根底ないし本質において、
「ずるさ、汚さ、甘え、弱さ、愚かさ、卑怯さ、姑息さ、邪悪さ」
を持っており、これは、自分だけでは克服が絶対困難で、他人の目による他律的な監視が存在して、はじめて矯正され、あるいは露顕を防止できる。

でなければ、
「総支配人」
などという、無駄で無意味な職種が存在する意味が説明できません。

以上のとおり、ホテルの“総”支配人という、
「支配人とは、別に存在する、一見すると、無駄で無意味にみえる職種」
の存在意義と価値を明らかにすることを通じて、
「人間は、ずるさ、汚さ、甘え、弱さ、愚かさ、卑怯さ、姑息さ、邪悪さを根源的に有しており、エラーやミスを犯し、サボるのが本質であり、たとえ、どんなに単純なルーティンであっても、放置しておけば、適切な結果が得られることを期待することは、困難である」
ということは、ご理解いただけるかと存じます。

このような厳然たる現実があるからこそ、
「身勝手な解釈や、裁量や冗長性の欠片もない、しびれるくらい、明確で具体的な命令が、無事、命令遂行責任者の認識範囲に到達されさえすれば、あとは、放っておいても、勝手に命令が遂行され、命令で想定された結果が転がり込んでくる」
というわけにはならないのです。

2 「中間管理職」なる階層職種の存在理由

じゃあ、どうすべきなのか?

答えは、すでにお示ししております。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」
です。

ホテルの支配人や総支配人という、限定されたサービス産業における特殊な職種の話から、もう少し、普遍的で卑近な話へと広げていきます。

一般の企業組織においては、
「中間管理職」
と呼ばれる職種が存在します。

もし、企業の従業員のすべてが、
「日本語を正しく理解でき、明確で具体的で現実的な指示事項を期限内に要求された基準を充足する形で、完成し、フィードバックする(未就学児童が小学校受験で身につけることを要求される指示行動と同じです)」
ことができると仮定しましょう。

その仮定においては、命令を作成・発令する
「管理職」
とこれを実施する実務担当者さえいれば、
「中間管理職」
という、
「意味が今ひとつ理解できない、運用を間違えば、ただの寄生階級と化すリスクのある有害職種」
を設ける必要は乏しいはずです。

実際、
「従業員のリテラシーとスキルとモラール(士気)が高く、命令の作成・発令をする管理職サイドも適切な命令を作成・発令するスキルを持ち合わせる先端企業」
においては、
「中間管理職」

「意味が今ひとつ理解できない、運用を間違えば、ただの寄生階級と化すリスクのある有害職種」
とみなし、
「中間管理職なる無駄で冗長的な階層職種を事実上撤廃した、フラットな経営組織」
を構築し、大きな成果を上げています。

グーグルや、アップル、フェイスブック、サイバーエージェント、スタートトゥデイ、ワークスアプリケーションズ、といったクリエイティブな先端企業においては、
「働かない部下の管理に辟易し、新橋の焼き鳥屋で毎晩愚痴を垂れている、しがない中間管理職が大量に存在する」
という話はあまり聞きません。

この種の先端企業では、正しい命令を作成・発令・受領する管理職と、正しい命令をきちんと理解し、これをカタチにし、期限内に要求された水準で完成させ、適切にフィードバックできるプロフェッショナルのようなスタッフが大量に存在して、日々、効率的に付加価値を創出しています。

「圧倒的にデキル上司と圧倒的にデキル部下の中間に存在し、コミュニケーションを邪魔するような寄生職種」
は想像できませんし、実際、見当たらないと思います(いても、すぐ居場所がなくなり、クビになるでしょう)。

しかし、この成功モデルは例外です。

一般的な労働集約型企業においては、
「フッツーの人」
すなわち、
「エラーやミスを犯し、サボるのが本質であり、たとえ、どんなに単純なルーティンであっても、放置しておけば、適切な結果をフィードバックすることは永遠にできない」
という属性をもつ、烏合の衆によって構成されています。

企業の経営幹部は、こんな
「フッツーの烏合の衆」
を命令実施部隊として率いて、価値創出しなければなりませんし、このような部隊を統制する重要な中間管理機能を担う職種が絶対的に必要になります。

それゆえ、
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてや」り、
また、他方で、監視し、出来栄えや時間の遅れをチェックし、必要に応じて改善やスピードアップを命じ、さらに、
「指導や教育によっても改善不能な、リテラシーかスキルかモラール(士気)のいずれかまたはすべてを欠如する、構造的欠陥を抱えた有害異分子」
を組織から排除する(異動、転籍、退職勧奨、解雇等を行う)権限と責任を有する、中間階層職種が絶対的に必要なのです。

このように、
「中間管理職」
という仕事は、重要な意味と機能があります。

「身勝手な解釈や、裁量や冗長性の欠片もない、しびれるくらい、明確で具体的な命令」
を現実にする、という、ある意味、当たり前すぎる、陳腐の極みのようなタスクですが、
「エラーやミスを犯し、サボるのが本質であり、たとえ、どんなに単純なルーティンであっても、放置しておけば、適切な結果をフィードバックすることは永遠にできない」
という本質的属性を有する平均的労働者の集団を介して前記のようなクリアな命令を完璧にに実施させるのは、稀有で偉大な営みといえます。

小学校受験においては、
「指示行動」
という採点項目があります。

要するに、言われたことをきちんと聞き、妙な自己解釈を交えず、言われたとおりのことを、言われたとおりきちんと行えるかどうかを評価する、というものです。

子供は、人の言うことを聞きませんし、自分のしたいことを勝手におっぱじめて、停止を命じられてもやめません。これが子供のデフォルト設定です。

子供のオトーサン、オカーサンでも、きちんと注意して自己制御しないと、
「言われたことをきちんと聞き、妙な自己解釈を交えず、言われたとおりのことを、言われたとおりきちんと行う」
という課題を与えられてもつい地が出てしまい、なかなか難しい。

「人の言うことを聞きませんし、自分のしたいことを勝手におっぱじめて、停止を命じられてもやめない」
というデフォルト設定の子供が、大人でもそこそこ難しい、
「言われたことをきちんと聞き、妙な自己解釈を交えず、言われたとおりのことを、言われたとおりきちんと行う」
なんて芸当をやってのけるなんて、スーパーであり、ミラクルです。

そして、正直いって、何も理解していない
「人の言うことを聞きませんし、自分のしたいことを勝手におっぱじめて、停止を命じられてもやめない」
というデフォルト設定の子供を制御対象として、
「他者制御課題」
として、 大人でもそこそこ難しい、
「言われたことをきちんと聞き、妙な自己解釈を交えず、言われたとおりのことを、言われたとおりきちんと行う」
なんて芸当をさせるのはさらに難易度が高いものです。

要するに、小学校お受験というのは、親にとってむちゃくちゃ難しい対処課題なのです。

中間管理職の仕事というのは、ある意味
「小学校お受験を年中させられているお母さん」
と同じ立場で、相当な難事を課題として処理する仕事です。

通常の労働集約型産業において、中間管理職を一切なくして、経営陣と業務を遂行するスタッフだけで企業運営するとどういう状況に至るでしょうか?

おそらく、あちこちで、
「人の言うことを聞きませんし、自分のしたいことを勝手におっぱじめて、停止を命じられてもやめない」
という状況が無秩序に発生し、壊滅的なカオス状況に至ると思われます。

要するに、そのくらい、通常の企業においては、
「中間管理職」
の存在は価値があり、意義があり、重要性があるのです。

3 「中間管理職」に対する世間の評価は正当か?

(1)テレビドラマ等で描かれるステレオタイプの「中間管理職」3類型

ところで、企業組織を描いたテレビドラマ等において登場する中間管理職像は、現実のそれとはかなり乖離する形で歪められているような気がします。

ここで、テレビドラマ等で描かれる典型的な
「中間管理職」像
を3類型ご紹介します。

すなわち、
①「存在感の薄い、しがない中間管理職」として描かれる中間管理職
②「上にペコペコ、下に威張り散らす、姑息な腰巾着」として描かれる中間管理職
③ 「情熱的で、ポジティブで、部下を信頼し、部下からも敬愛される、ヒーロー的リーダー」
の3つです。

まず、
①「しがない」中間管理職
として描かれる中間管理職については、
「いったい何の仕事をやっているかわからない」、
「ぶっちゃけ、いてもいなくても同じじゃね」
的な否定的なイメージです。

次に、
②「上にペコペコ、下に威張り散らす、姑息な腰巾着」
として描かれる中間管理職については、
「上のデタラメで一貫性のない、間違った指示を、朝令暮改の如き振り回して下を疲弊させるだけの有害分子」、
「つか、仕事の邪魔してるだけじゃね」
という否定的なイメージです。

最後に、
③「情熱的で、ポジティブで、部下を信頼し、部下からも敬愛される、ヒーロー的リーダー」
として描かれる中間管理職もいますが、こちらは、
「上の命令を拒否したり、無視したりし、部下を信頼し、部下とともに、無断・無許可の行動を果断に実施し、最後に会社の窮地を救う」
という肯定的なイメージです。

これらは、いずれも全く間違っていると言わざるを得ません。

(2)①「存在感の薄い、しがない中間管理職」として描かれる中間管理職に対する否定的評価は正当か?

まず、
①の「何をやっているかわからない、しがない、つまらない職種」
という否定的イメージについてですが、中間管理職は、自ら実務(タスク遂行)を担わず、部下のタスク遂行管理を行うわけですから、仕事が明快でわかりやすいものでないのは当たり前です。

野球やサッカーの監督は、自らプレーするわけではありませんし、
「起用や交代の指示をしているだけだし、巨人の監督やサッカー日本代表の監督くらい、ぶっちゃけ、オレでもできんじゃね?」
という声もよく聞きます。

ですが、実際は、監督がいないと、チームは集団として機能や価値をもち得ず、組織プレーはできず、ただの烏合の衆と化すことは明白です。

すなわち、
「自らプレーするわけではなく、指示するだけだし、見た目に派手で、希少性と特異性ある活動をしているわけではない」
からといって、組織行動を規律する上で意味や価値がないわけではありません。

(3)②「上にペコペコ、下に威張り散らす、姑息な腰巾着」として描かれる中間管理職 に対する否定的評価は正当か?

次に、
②の「部下にガミガミ小うるさく、上には媚びへつらう」
イメージも、中間管理職の仕事の性質上、本質的なものであり、これを否定するのは、組織行動を理解していない未熟さによるものです。

管理者として、部下と適切な人間関係を構築するためには、漫然と信頼したり依拠したり人任せにするのではなく、
「とことん相手を信頼せず、緊張関係を作ること」
が、必須の前提となります。

正しい人間関係を構築するためには、相手を信頼することではなく、むしろ、
「相手をとことん信頼しないこと」
という
「一般には不愉快な真実」
を実践することが管理職には求められます。

そもそも、管理する対象(部下)が、とことん信頼できるのであれば、中間管理職など不要です。

そんな優秀なスタッフがウジャウジャいてフラットな組織運営ができるのであれば、“中間”管理職など設けず、管理職から、直接、スタッフ、すなわち
「とことん信頼できる」
命令実施担当者に対して命令をバンバン出して、成果が自動的に上がってくるのを待てばいいだけです。

ところが、多くの企業においては、
「エラーやミスを犯し、サボるのが本質であり、たとえ、どんなに単純なルーティンであっても、放置しておけば、適切な結果をフィードバックすることは永遠にできない」
という本質的属性を有する平均的労働者が圧倒的多数を占めます。

このような属性を有する労働者と適切な関係を構築するためには、
「漫然と、疑うことなく、手放しで信頼し、依拠する」
関係はむしろ有害です。

「いつサボったり、誤解したり、もれぬけ・納期割れを起こすかわかったもんじゃない」
という猜疑を前提にした緊張関係が基本となるべきであり、
「とことん相手を信頼しないことによって、最高の人間関係を構築する」
機能が多くの企業組織に求められ、この重要な機能を担うのが中間管理職なのです。

(4)③「上の命令を拒否したり、無視したりし、部下を信頼し、部下とともに、無断・無許可の行動を果断に実施し、最後に会社の窮地を救う、情熱的で、ポジティブで、部下を信頼し、部下からも敬愛される、ヒーロー的リーダー 」として描かれる中間管理職に対する否定的評価は正当か?

なお、肯定的なイメージで語られる
③の「上司の命令を無視し、部下を疑わず信頼しきって、独自の見解でスタンドプレーするような中間管理職」
ですが、こちらは、出した成果の是非如何にかかわらず、言語道断の有害分子です。

たとえ、ヒーローぽく描かれようが、イケメンであろうが、人間的に素直で情熱的でイイ奴であろうが、即刻会社から追い出すべきです。

ビジネスの世界は、
「正解がわからない」「未来が読めない」
という環境において、最善解、現実解を追求し、試行錯誤したり、妥協したり、融通無碍にゲーム・チェンジを果てしなく続けていく、成熟した大人の世界です。

「責任を取れる人間が、失敗がありうることを前提として、効率的な試行錯誤を繰り返し、それにより得られた成果を、組織階層秩序にしたがって、分配し、共有する」
ということで企業組織が成り立ちます。

責任を取れない人間、責任を取る立場にない人間が、独自の認識・見解で、勝手に会社の資源を運用してギャンブルを行い、
「偶然、結果が出たから、ルール違反を許せ。さらには、栄転させろ」
という主張が容認できないのは至極当然といえます(じゃあ、結果が出なかったら、投入資源や損害や機会損失をすべて、当該個人が負担するのか、と言われれば、拒否するか、それ以前に支払能力がないでしょうし、アンフェアなやり方であることは明らかです)。

(5)中間管理職が、世間一般から、誤解されたり、誤った評価がされる背景

このように考えると、テレビドラマで否定的に描かれる、
「地味で、しがない中間管理職(前記①タイプ)」
や、
「上にペコペコ、下に威張り散らす、姑息な腰巾着タイプの中間管理職(前記②タイプ)」
は、企業において本来的な役割を担う、理想的で範とすべき中間管理職といえます。

他方で、お茶の間ではヒーローとして扱われる
「上の命令を拒否したり、無視したりし、部下を信頼し、部下とともに、無断・無許可の行動を果断に実施し、最後に会社の窮地を救うヒロイックな中間管理職(前記③タイプ)」
は、企業にとって有害かつ無益で、唾棄すべき厄介者です。

テレビドラマにおける、このような誤った中間管理職像の歪みの根源にあるのは、
「管理職にもなれない一般的サラリーマン(おそらく当該サラリーマンやその配偶者がその種のテレビドラマの視聴者ターゲットと想定される)」
の非現実的な願望にあると思われます。

すなわち、
「エラーやミスを犯し、サボるのが本質であり、たとえ、どんなに単純なルーティンであっても、放置しておけば、適切な結果をフィードバックすることは永遠にできない」
という現実から目を背けるため、うだつのあがらないダメサラリーマンが、ドラマという幻想空間において、エリートをコケにして溜飲を下げる、という構図が前提になっているように思われます。

企業における管理、マネジメントというタスク・アイテムの重要性と、このアイテムの本質と根源的な課題を、
「企業組織を描いたテレビドラマ等において登場する中間管理職像」
についての世間一般の誤解ないし偏見を糺すことによって、解説して参りました。

4 マネージャーとして、部下や配下や外注先に、命令を正しく実行させる技術

ここで、本来の話題に回帰します。

「命令を正しく実行させる」
とは、
「命令さえ明瞭で具体的であれば、あとは放っておいても勝手に達成される」
のは、まったくの誤りであり、
「マネージャー(管理職)」
による
「マネジメント」
という高度かつ価値ある機能を通じて初めて達成が期待できるもの、といえます。

そして、マネージャーの役割や機能としては、
「命令を遂行する人間(部下、スタッフ)から、嫌われること」
につきます。

管理職は、冷徹で峻厳な緊張関係を通じて信頼関係を醸成する、言い換えれば
「ナメられないように、しびれるくらいビビらせる」
という誰もが嫌悪する、そんな役割を求められることになるのです。

上下関係は緊張関係が基本となるものの、無論、関係を濫用して、いたずらにイジメたり、プレッシャーをかけたりするだけでは人は動きません。

合理的に準備を行ない、段取りを組むなど、部下やスタッフが動きやすい環境を整え、モデルタスクを実演し、FAQ(想定質疑)を準備し、質問や疑問や不明点が出ればいつでも応答・相談に対応できる体制を整備することも必要です。

さらに、インセンティブ設計(最高の成果が出せた場合の報奨に加え、努力したことは事実だが想定した成果が出なかった場合の努力賞や敢闘賞や残念賞も)や、取り組む中で自然と士気が亢進し効率が改善されていくようなシステム(ゲームロジック)も必要です。

このあたりは、大日本帝国海軍連合艦隊司令長官山本五十六の
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」
という至言に凝縮されています。

管理職としては、タスクに実際取り組む部下やスタッフとは異なり、
「他者制御課題」
として、命令を遂行し成果を達成する責務を負うわけですから、常に、結果指向・目的指向で、卑劣で非常識なものも含めあらゆる方策を考えていなければなりません。

環境の変化を認識したら、それまでのやり方をすべて否定し、
「当該新しい環境において有益かつ効率的な新たなやり方」
を構築し、即座に実施するような柔軟性も必要になります。

あらゆる想定外を想定し、悲観的に考え、命令が達成できない場合の予備案(Bプラン)をもっておかなければなりません。

このような前提が整っていないと、
「命令は明瞭で現実的で合理的で正しいし部下は優秀で絶対うまくいくはずのプロジェクト」
がいつまでたっても成果が出ず、ついには頓挫する、という状況に陥ります。

このような事態に至った原因を探ると、
「命令を正しく実行させるための経営機能としてのマネジメント」

「経営思想ないし概念」
としてすっぽり抜け落ちていたり、マネジメントを担うべき管理職が自分の意義役割を全く理解していなかった、という状況が浮かび上がってきます。

・命令遂行責任者において、
「命令はしっかりしているし、部下も優秀だから、そんなにガミガミ言わなくても、フツーにやってりゃ、このくらいできるだろ」
という楽観的な想定しか持たず、想定が甘く、準備が不十分で、段取りが粗い。
・部下やスタッフと管理職(命令遂行責任者)との間には緊張関係が皆無で、チーム全体が浮足だっている。
・インセンティブ設計(残念賞も)がなく、やる気を出す前提環境がない。
・「結果達成(成果達成)が、確定的な未来ではなく、いまだ可能性にとどまる」
にもかかわらずゲームロジックがなく、時間的冗長性がチーム全体を支配し、士気が亢進するどころか時間の経過とともに逓減し、徐々に、プロジェクトというよりルーティンとして遂行される雰囲気が蔓延し、
「成果を出す」
という目的を喪失し、目先の作業に従事することそのものが自己目的化する。
・達成状況や進捗状況を監視するシステムも体制もなく、皆がそれぞれ面倒な作業を丸投げし、ブラックボックスがたくさんあり、何かやっている風ではあるが、何をやっているかわからない。
・時間を徒過し、成果は出ず、だらけきった状態になっても、楽観バイアスに侵されているため、命令が達成できない場合の予備案(Bプラン)も出てこない。

そんな状況で、プロジェクトが崩壊したり、経済的意義を喪失して漂流したり、という現象は、日本企業において実によくみられます。

これは、新規事業やM&Aや事件・事故対応や有事(存立危機事態)対処等、
「正解な定石のないプロジェクト」
全般に、みられます。

例えば、M&Aにおいては、当初
「“投資”として経済的意義あるプロジェクトとして良い企業ないし事業を安く買う」
という目的が、いつのまにか、
「どんなに高くても、買うこと自体に意義があるのであり、そのために、カネで済むならカネを際限なく投入し、買い物自体を完結させる」
というものにすり替わり、結果、どう考えても回収不能なアブノーマルなM&A取引をしてしまう。

さらにいえば、PMI(ポスト・マージャ-・インテグレーション。買収後の統合実務)において、買収対象会社(買われた企業)と買収会社(買った企業)との間で適切な緊張関係が形成できないまま、利益が出なくなったり赤字を垂れ流したり、あるいは制御不能なトラブルが発生してしまい、ついには減損して、無能愚劣を晒して株主その他の利害関係者に迷惑をかける。

いずれも、
「命令を正しく実行する」
という単純な課題を成し遂げるために必要な根本的経営思想である
「マネジメント」
という概念を欠如し、あるいはこれを担うべき
「管理職(マネージャー)」
が不在(あるいは形式上存在しても全く機能しておらず実質的に不在)のため、発生する悲劇であり、最近の例でいえば、東芝、日本郵政など名だたる企業においても、凄まじいまでのダメっぷりを露呈しています。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00869_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する7: 正しい命令を企画・制作し、正しくデリバリ(発令)する

物事を正しく進め、成果を出すためには、さらにいえば、新規事業立ち上げやM&Aや事件・事故対処や有事(存立危機事態)対処のように
「正解も定石もなく、常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
を成功させるためには、正しい状況認識ができ、正しく目的が定められ、正しく課題がみつけられただけでは、まだ不十分です。

大きなプロジェクトや未経験のプロジェクト等を進めて成果を出すためには、ほぼ例外なく、ヒエラルキー(階層性)を有する組織集団において行われることになりますし、そこでは、指揮命令が適切に伝達され実施されることが必要になります。

「大勢が集まって、階層と身分と規律と秩序を作り、役割分担と指揮命令の確実な実行を通じて、相互に相互を利用補充する関係の下、個人では達成しえないような大きな成果を成し遂げる」
ということは、人間であれサルであれライオンであれ、一定の知能を有する動物はその有益性を理解し、実行することができます。

政府、企業、ヤクザ、警察、軍隊、研究機関、オーケストラ、チームスポーツと、どのような組織集団であれ、
「大勢が集まって、階層と身分と規律と秩序を作り、役割分担と指揮命令の確実な実行を通じて、相互に相互を利用補充する関係の下、個人では達成しえないような大きな成果を成し遂げる」
という普遍的な前提が機能してはじめて価値をもちます。

このような普遍的前提がない、ただの人の集まりは、飲み会であり、フェスであり、ドラッグパーティーであり、暴徒集団であり、将棋倒しで圧死者が出る人混みであり、無意味無価値あるいは有害危険なものでしかありません。

しかしながら、産業界において、ガバナンス(企業統治)や内部統制という、この、サルやゴリラやライオンですら普通に行える
「普遍的前提」
とも言うべき課題が
「課題」や「対処課題」や「達成すべき組織目的」
として議論されるほど、現在、日本の企業においては、階層や身分や規律や秩序や役割分担や指揮命令や責任の所在があいまいになりつつあります。

そしてこのような統制や統治の不全が企業内部の重篤な病巣と化しています。

企業においても、組織が大きくなると、コミュニケーションが悪くなり、これが大失敗の原因となります。

2017年3月に、M&Aや買収子会社が無定見に締結した契約のしくじりで企業存亡の危機に陥るという大失態をやらかし、私のような
「企業しくじりウォッチャー」
であり、
「日本企業M&A失敗事例収集家」
に、ネタをたくさんご提供いただいている東芝の例をみてみます。

「WHが15年末に買収した原発の建設会社、米CB&Iストーン・アンド・ウェブスター(S&W)でただならぬ出来事が起きた。105億円のマイナスと見ていた企業価値は6253億円のマイナスと60倍に膨らんでいた」
「複雑な契約を要約すると、工事で生じた追加コストを発注者の電力会社ではなくWH側が負担するというものだ」
「問題は担当者以外の経営陣が詳細な契約内容を認識していなかったことにある。米CB&Iは上場企業で、原子力担当の執行役常務、H(57歳、当時)らは『提示された資料を信じるしかなかった』と悔しさをにじませるが、会計不祥事で内部管理の刷新を進めるさなかの失態に社内外から批判の声がわき上がった」
「原子力事業全体の損失額は7125億円にのぼった。16年4~12月期の最終赤字は4999億円となり、12月末時点で自己資本は1912億円のマイナスだ。先達が営々と蓄積してきた利益が全て吹き飛ばされ、ついに債務超過に陥った。」
(2017年2月21日付日本経済新聞「もう会社が成り立たない」~東芝4度目の危機 (迫真)~より抜粋)

無論、東芝は、日本を代表する大企業集団ですが、このドタバタの悲喜劇を見る限り、
「階層と身分と規律と秩序を作り、役割分担と指揮命令の確実な実行」
という要素がなく、もはや、ただの烏合の衆と化しています。

古代中国で巨大帝国を築いた漢帝国は、人類史上最高といわれる社会システムを発明しました。

それは、官僚制度といわれるものです。

共通原理をもち、これを言語化した共通言語を策定し、言語と文書を自由自在に操れる官僚による文書行政を通じて、広大な領土を管理し支配する、という画期的なシステムを、漢帝国は作り上げたのです。

ちなみに、官僚制度の文書行政システムですが、私の理解では、
「性悪説」

「性“愚”説」
を前提とするものと考えます。

人間は、皆、愚かか、邪悪か、その双方であり、バカなことや、有害なことをしておきながら、猫の粗相隠しがごとき、発覚露見しないようにするし、発覚露見しても素知らぬ顔をする。

しかし、文書という、
「認識内容や意思内容が当該時点で固定され、時間と空間を超えて、保存格納される媒体」
を組織運営におけるすべての言動の伝達道具としておけば、文書を読解し把握する人間同士においては、責任の所在が明らかになり、バカな行ないや、有害な行ないができなくなり、組織がバカや犯罪者によってつぶされるリスクがなくなるし、事後検証によって、バカな行ないが逓減していく。

企業の場合も、
「ヒエラルキー(階層性)を有する組織集団」
において大きなプロジェクトを進める絶対的前提として、
「構成員が容易に理解できる明解でシンプルな共通原理と共通言語、これらが確実に表現されるような文書行政システム、さらにはこのシステムを担い得る言語的知性と表現能力を獲得した官僚集団」
をインフラとして整備した上で、
「文書行政システムを前提とし、階層と身分と規律と秩序を作り、役割分担と指揮命令を確実に実行し得る体制」
を確立することが重要です。

「担当者以外の経営陣が詳細な契約内容を認識していなかった」
「提示された資料を信じるしかなかった」
というお粗末な集団運営実態をさらけ出した東芝ですが、前提環境の整備や指揮命令環境、すなわち、適切な官僚制や文書行政システムが欠如していたことと、
性悪説や性愚説を前提とした
「不健全な人間の不健全な思考を増幅して認識し、あぶり出す、という健全な思考」
ができるような知性を持った人間が経営陣に誰もいなかった、
ということが一連の悲喜劇の根源的原因といえます。

「正しい命令を企画・制作し、正しくデリバリ(発令)する」
などという組織課題は、実はそれほど難しいものではありません。

それこそ、少年野球でも、高校生が部活でやっているサッカーチームでも、青少年の吹奏楽団でも、暴走族でも、ヤクザ組織でも、テロ組織でも、極フツーにできている事柄です。

ところが、企業集団が、普段やっているルーティンとしての営業活動から離れ、
「安くて、使える企業をみつけて、きちんと条件確認して、カモにされないようにして、エエ買いモンする」
といったプロジェクトをおっ始めると、途端に、暴走族や少年野球チーム以下の迷走集団に成り下がる、というのは不思議でなりません。

そこで、組織集団において、
「正しい命令を企画・制作し、正しくデリバリ(発令)する」
という(ある意味、すごく簡単な)タスクの本質を整理し、確認しておきます。

命令は、受ける方より、発する方が、より大きな責任を負います。

大変です。

苦労します。

よく、新橋あたりの安居酒屋で、
「部長はいいよな。命令するだけだから。命令されて、実施するオレたちの気持にもなってくれよな」
なんていう、若手サラリーマンの
「愚痴」
が聞こえますが、まさしく
「愚か」で「痴れた」
発言です。

命令は正しくなければなりません。

正しい命令を企画発案・構築・表現するため、それこそ、社長や上司や管理職は、ものすごく神経を使っていますし、また、使うべきなのです。

間違った命令、狂った命令は、組織に害を与え、命令を発した者にも害を与えかねない帰結をもたらしますから。

間違った命令、狂った命令、あるいは
「多義的な解釈が可能で、現場で好き勝手やりたい放題に、柔軟な運営裁量を内包するような、曖昧で意味不明瞭な命令」
を出してしまうと、当然ながら、プロジェクトはビタ1ミリ動きません。

動かないどころか、真逆の方向に進んで、時間、コスト、エネルギー、機会といった貴重な資源が際限なく流出する事態に見舞われる危険すらあります。

その昔、わが国において、
「アジアのみんなが、仲良く、平和で、楽しく暮らせる、極楽世界のような、同盟関係を作っていき、国際協調・世界平和を推進しようぜ」
という政治目標が掲げられ、現場スタッフである政治家、官僚、軍人たちに、この実現を命じられるべく一大プロジェクトが動きはじめした。

しかしながら、不幸なことに、この命令は、その高尚さのため、具体性がなく、抽象的で、いろいろな解釈が可能であり、ま、ぶっちゃけ言ってみれば、
「多義的な解釈が可能で、現場で好き勝手やりたい放題に、柔軟な運営裁量を内包するような、曖昧で意味不明瞭な命令」
とも言い得るものでした。

で、
「アジアのみんなが、仲良く、平和で、楽しく暮らせる、極楽世界のような、同盟関係を作っていき、国際協調・世界平和を推進しなさい」
という拝命を受けた軍人たちは、何をやらかしたか?

でっち上げの謀略のテロを実行して、その事件の責任を相手国になすりつけ、
「われ、よう、やってくれよったのぉ」
とばかりに因縁をつけ、押し込み強盗のように侵略をして、傀儡国家を作って事実上乗っ取ったり、あるいは、予告もなくいきなり爆弾を落としてケンカをふっかけるなどして、他国を侵略しまくりました。

国際協調の意義を理解され、平和主義者で厭戦思想をお持ちであった昭和天皇は、自分の想定とあまりに異なる現実が出現して、さぞ、驚かれ、嘆かれたことかと思います。

とはいえ、この歴史的事実をみても、
「多義的な解釈が可能で、現場で好き勝手やりたい放題に、柔軟な運営裁量を内包するような、曖昧で意味不明瞭な命令」
を出すことの怖さ、すなわち、プロジェクトが真逆に進展し、ついには、組織の資源が際限なく損なわれ、組織を崩壊させる事態すら招来する、という危険があることが理解できます。

ちなみに、TTP(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement。環太平洋連携協定)是か非か、みたいな議論がありますが、その実、議論している人たちの9割くらいは、そもそもTTPってどういうものか理解していないような気がしますし、実体が理解されないまま、実現したときのカタチがよくわからないまま、いいとか悪いとか、という議論をするのも、極めて危険な感じがします。

私などは、
「TTPは、本来的な意味の大東亜共栄圏。侵略戦争抜きの大東亜共栄圏」
と言ってしまった方が理解しやすいのではないか、と思います(却って誤解が広がるかもしれませんが)。

「正しい命令を企画・制作し、正しくデリバリ(発令)する」
というのは、少年野球でも、高校生のサッカーチームでも、青少年の吹奏楽団でも、暴走族でも、ヤクザ組織でも、テロ組織でも、極フツーにできている事柄である、と申し上げました。

しかしながら、こんな簡単な事柄も、やってみると、意外と難しく、
「ナメて適当な感じでやっていると、いつの間にか、企業が滅び、国が滅ぶ(実際、わが国は、約70年前に一度滅びました)」
くらい、エライ目に遭いかねない、極めて重要な課題である、と申し上げました。

「正しい命令を企画・制作し、正しくデリバリ(発令)する」
というビジネス上のタスク・アイテムを具体的に解説していきます。

間違った命令、曖昧な命令を発して現場が勝手に解釈し本来の意図や想定と真逆のことをおっぱじめたりすると、大きなロスやダメージが発生し、命令を遂行した者が責任を問われ、恥をかきますし、そのような誤った命令や、
「広汎な裁量を与え、現場の無秩序な暴走を許し、結果として、好き勝手やってよい」
と無制限の暴走を許す帰結が想定されるような、曖昧で抽象的で多義的な解釈が可能な命令を発した者も、相応のペナルティは受けることとなります。

これら、
「アホなことをしでかした戦犯」
は、場合によっては組織を追われますが、それ以前に、組織自体が崩壊の危機に陥ります。

なお、少し前、日本を代表する国際的大企業(仮に、「T」といいます)においては、トップが、
「多義的な解釈が可能で、現場で好き勝手やりたい放題に、柔軟な運営裁量を内包するような、曖昧で意味不明瞭な命令」
を悪用して、無茶苦茶なことをしていた、という事件が発生しました。

この企業T社では、成績が悪く
「赤点状態」
であったのに、そのまま、スポンサーに報告すると、恥をかいたり、怒られたり、干されたりする、という恐怖感からか、成績の改ざんを上層部主導で行っていたそうです。

上層部は、部下から
「全社一丸となってがんばりましたが、残念ながら、経営環境が厳しく、赤字になっちゃいました」
という報告を受けましたが、これに対して、上層部は、
「チャレンジしろ」
という命令を出したそうです。

おそらく、この会社では、粉飾決算したり、そのための各種データ改ざんをするような
「法を破る」行為
のことを、
「チャレンジする」
という言い方をしていたようです。

==================

スーパーの警備員「奥さん、ダメでしょ。今、商品をカバンにこっそり入れたでしょ。それで、レジを通さず、そのまま帰ろうとしたでしょ。これ、万引きですよ。窃盗ですよ。犯罪ですよ。なんで、こんなことしたんですか? ダメでしょ!」

万引きした専業主婦「すいません。つい、出来心でチャレンジしちゃったんです。犯罪とか万引きとか盗みとか、そんな物騒な言い方はやめてください。まるで私が犯罪者みたいじゃないですか。チャレンジしただけなんですから」

警備員「あんた、何言ってんの。何、チャレンジって。あんたのやったことは、ま・ん・び・き。盗み。窃盗。ちょっと前、ほら、近所の堀江さんのとこの奥さんも、出来心で万引きして、ワーワーグダグダ言ってましたが。最後は、裁かれて、おとなしく、服役されて、今また、元気にやってますよ。あんたも、往生際悪く、チャレンジとか訳わかんないこと言ってないで、ほら、一緒に警察行きますよ」

==================

といった趣のものなのでしょうか。

「規範的障害を乗り越えて犯罪行為を実現する」
というのも、まあ、いってみれば、
「チャレンジ」
であり、このT社内の符牒(チャレンジ=法令違反を敢行する)は、ブラックジョークとしてはかなり秀逸ですが、命令は具体的で的確である以前に、正しくなければなりません。

じゃあ、どんな命令が、
「正しい命令」
なのでしょうか。

具体的で、明確で、現実的で、定量的で、達成したか否かを客観的に評価することができ、シンプルで、アホでもわかり、勝手な解釈を許さないこと、が
「正しい命令」
の要素といえます。

もっと、明解に説明しますと、以前にも紹介しました、
「SMART」基準
を充足するコミュニケーションメッセージです。
◆要素1:「S」pecific(具体的に):誰が読んでもわかる、明確で具体的な表現や言葉で書き表されている
◆要素2:「M」easurable(測定可能な):目標の達成度合いが本人にも上司にも判断できるよう、その内容が定量化して表されている
◆要素3:「A」chievable(達成可能な):希望や願望ではなく、その目標が達成可能な現実的内容である
◆要素4:「R」elated(経営課題をクリアしうる現実的な目標に関連した):設定した目標が職務記述書に基づくものであるかどうか。と同時に自分が属する部署の目標、さらには会社の目標に関連する内容である
◆要素5:「T」ime-bound(時間的な制約は必須):いつまでに目標を達成するか、その期限が設定されているものが、「正しい命令」です。

このような要素の一部または全部が欠落した命令は、正しくない命令といえます。

デタラメで適当で、具体的かつ現実的な観点で何を達成したいのか理解不能な命令は、正しくない命令といえます。

また、たとえ、美辞麗句がまばゆいくらいに散りばめられた格調高い文章で表現されていたとしても、抽象的で、意味不明で、指示内容が一義的でない命令や、難解さや高尚さのため命令を受けた実行担当者において何を期待し、何を義務付けられているか、さっぱりわからないようなシロモノは、正しくない命令といえます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00868_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する5: 正しく課題をみつける

「正解や定石がなく、常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
を進める上で、
状況を正しく認知・解釈し、
環境や相場観を把握し、
そして、
現実的で、達成可能で、経済的に意味のある目的が設定された、
としましょう。

また、その目的は、
「あいまいで、多義的な解釈を招く、目的」ではなく、
「具体的な完成予想図」であり、
「成功時の未来の姿を具体的にイメージしたもの」であり、
しかも、
しびれるくらいわかりやすく、
「どんなに、理解力不足な、妄想力豊かな、アホでも、勝手な独自解釈をしでかしようがない」形でプロジェクトメンバーの間で共有される状態になった、
としましょう。

もちろん、
「楽観バイアス」
を徹底的に排除して、自分に都合よく解釈できる要素は皆無となり、そのうえ、成功者や達成した経験者の話をよく聴いて、悲観シナリオやプランB(予備案、バックアッププラン)も含めた、保守的で、現実的で、堅牢な二次目的も設計・設定・具現化された、とします。

じゃあ、
「そろそろ、目的を達成するために、目的から逆算した手段構築に入るか」
というと、まだ早いのです。

目的が正しく設計・設定・具現化されたあと、次に行うべきことがあります。

それは、
「正しく課題をみつけること」
です。

よくある戦略の誤りというのは、課題抽出をせずに、いきなり段取りを組みはじめ、実行着手することです。

「ストレステストをせず、原発をおっ立てて、後から、津波が来て、深刻な厄災を撒き散らしちゃった」
という話も、要するに、
「課題発見プロセスがあることを知らなかった」か、
「そのようなプロセスを無視ないし軽視した」か、
「課題を探索するのが面倒くさいので、やっつけで、課題探索を適当に手を抜いておざなりにして、とっとと原発作りをおっ始めた」か、
のいずれか又はすべてが原因であろう、と推察されます。

どんなに状況や環境が正確に認識され、具体的で合理的でシビアな目的が設計・設定・具現化されたとしても、課題がよくわかっていない、あるいは課題がないと信じてしまい、不安要素や都合の悪い事象や障害を無視したり見て見ぬふりをしたりして、いきなり取りかかれば、大きなプロジェクトは確実に失敗します。

そもそも、人間や組織は、ミスを犯すものです。

ミスから端を発したことがエラーとなり、エラーがリスクとなり、リスクが事故ないし事件となり、事故ないし事件が、やがてプロジェクトオーナーと関わった関係者全員を、奈落の底に突き落とし、皆を破滅させます。

金融の世界で、“ブラック・スワン”と呼ばれるものがあります。

スワン(白鳥)というのは、その名の通り、白い鳥です。

「黒い白鳥」
なんて、ありえない。

ヨーロッパで、
「滅多に発生しないこと」
「ありえないこと」
「起こり得ないこと」
を表す諺として、
「そんなのは黒い白鳥を探すようなものだ」
というものがありました。

そうしたら、1967年にオーストラリアで本当にブラック・スワンが見つかってしまったことから(カラスやカモや雁ではありません)、
「起こりえないことが起こった」
ことを表す言葉として使われるようになったというものです。

日本風に言い直しましょう。

よく
「絶対できないこと」
の喩えとして、
「ヘソで茶を沸かすようなことだ」
といいます。

ここに、
「黒田鳥男(仮称)」
という方がいたとしましょう。

黒田さんは、腹部に高温を発する異常体質をお持ちで、実際、寒い日には、ヤカンを腹部において、お湯を沸かし、紅茶を作って飲んでいる、ということが、ニュースで報道され、日本人全員が
「ほんまに、ヘソで茶を沸かす奴がいよった!」
「ありえへんこともあるもんや」
としみじみと言い合った。

そんな趣の話が、
「ブラック・スワン」
です(もちろん、話をわかりやすくするための喩え話です。某国大統領のように「お前のは偽ニュースだ」とか言わないでくださいね)。

このように、マーケット(市場)において、事前にほとんど予想できず、起きた時の衝撃が大きい事象のことを
「ブラック・スワン」
といいますが、その最近の代表例が、サブプライムローン危機(リーマンショック)です。

この事件は、
「誰も予測、想定できなかった」
などといわれます。

しかし、当時の社債利回り(AA格)を国債の利回りとの比較(社債の対国債スプレッド)の推移で見ると、アメリカやEU等では、2007年夏以降、拡大していくという異常状況がありました。

すなわち、エラー・メッセージは存在したのであり、このエラーをきちんと認識・評価していれば、ブラック・スワン(ヘソで茶を沸かす異常体質の黒田鳥男(仮称)さん)が発見されうることも予測できたと思います。

ただ、人間には、正常性バイアスと言われるものもあり、ブラック・スワンの予兆があっても、
「これは何かの間違いだ」
「黒い白鳥なんているわけないだろ」
「ヘソで茶を沸かす奴がいる? それは偽ニュースだ!」
というバイアスをかけて、情報解釈を歪める心の動きが備わっている、ということであり、それこそが最も恐ろしい事態を招く“人間の脳の欠陥”なのです。

物事を正しく進め、成果を出すためには、さらに言えば、新規事業立ち上げやM&Aや事件対応や有事(存立危機事態)対処のように
「正解も定石もなく、常識が通用しない、イレギュラーでアブノーマルなプロジェクト」
を成功させるためには、失敗の予兆を、事前に、正しく、具体的に予測し、対策をしておくことが必要です。

すべての事件や事故は、
「ある日突然、火星人が大挙として襲来して、地球を爆発させ、地球が3秒で消滅する」
といった趣の、サドンデス(突然死)のような形で発生するわけではなく、ほぼ確実に、失敗の兆候、すなわち、エラー・メッセージが存在します。

突然、ブラック・スワンが発見されたかのように受け取られ、皆が驚愕してひっくり返るのは、すでに存在していたエラー・メッセージを
「見て見ぬふり」
をする、という情報解釈をしてしまう心の歪み(正常性バイアス)があるためです。

「プロジェクトマネジメントにおける知性とはどういうものでしょうか?」

理数系の学部で学ばれた人の中には、
「エラーや異常値がいくつかあっても、全体を統合する美しい仮説や理屈や自然法則が絶対に存在するはずだ」
というロマンチックな妄想に冒されてしまっている方もいらっしゃいます。

無論、そのような思考も人類社会の発展のためには、絶対必要です。

しかし、生臭くて欲にまみれた人間が集う企業社会でのカネや権利をめぐるプロジェクトにおいて、この種のロマンチックな妄想は、危険有害極まりない代物といえます。

「細部の破綻があっても大丈夫。そんなものには目をつぶるべきだし、誤差や異常値など見えないふりしてしまえ。性善説や科学的合理性というバイアスを使って、全体を正常かつ健全に統合してモデル化し、そのことをもって、満足し、先に進むべきだ。仮説に反する有害な現実は、異常値や誤差やバグとして、シカトしちゃえばいい話」
といった考えをもつ人間が、プロジェクトの責任者となったら、やがて、そのプロジェクトに関わる人間全員が破滅を味わいます。

「些細なミスやエラーがリスクにつながり、リスクが事件事故につながり、事件事故が破滅につながる」
のです。

ホニャララ細胞も、各種研究不正も、このような発生経緯から、やがて、関係者を破滅に導く厄災に至ったのではないでしょうか。

ホニャララ細胞の事件では、我が国を代表する科学者の自殺という事件まで発生し、有為かつ貴重な人的資源が我が国から奪われました。

さらにいえば、人類史上に残る厄災となった福島原発事故も、
「細部の破綻があっても大丈夫。そんなものには目をつぶるべきだし、誤差や異常値など見えないふりしてしまえ」
という、科学者やエンジニアの愚劣な奢りに根源的原因があると考えられます。

当初の疑問に戻ります。

「プロジェクトマネジメントにおける知性とはどういうものでしょうか?」

それは、課題発見能力と同義です。

1の不安要素から10のネガティブな未来を予測し、イメージできる能力です。

些細なミスやエラーを発見特定し、増幅した姿を想像でき、これを、プロジェクトチーム内で共有できるように、ムカつくくらいリアルかつ具体的かつ残酷に表現できる力です。

「そんなにネガティブで不愉快な未来を予測ばかりしていては物事が前に進まない。不安要素や都合の悪い事象や障害は、無視し、見て見ぬふりをし、そんな不愉快な出来事が出来しないように神に祈ろう。」
なんてことを言い出すバカがプロジェクトチームの中にいるだけでプロジェクト成功は遠のきます。

ましてや、こんなバカが、プロジェクトを主導していると、チーム全員、身の破滅を味わうことになります。

「そうやって、悪態ばかりついていたら、プロジェクトなんか一つも達成できないぞ!」
という怒りの声が聞こえてきそうです。

だったら、やめりゃいいだけです。

別の、もっとマシで、冒険性やギャンブルの要素がなく、
「1万円札を3000円で買ってくるような、安全でラクな儲け話」
を探せばいいだけです。

2017年3月に天下の名門企業、東芝が、存続危機に見舞われる窮地に陥っています。

現在のしくじりの最も大きなポイントは、原発を作るアメリカの会社を買収した後、当該会社の子会社が現地の会社と原発プラント建設契約を締結する際、追加コストをすべて背負い込む契約を締結してしまい、儲かるどころか、膨張し続けるコストをすべてしょわされた、というアホな失敗が原因です。

東芝はどうすればよかったのか?  

簡単です。

「買収したら、連結会計上、買収した会社の負債も面倒を背負い込む危険がある」
「買収したら、買収した会社やその子会社をきちんと監視しておかないと、とんでもないバカな案件を取り扱っている可能性がある」
「どんなに目先の話として魅力的でも、追加コストを青天井で背負い込むような危険な契約はわざわざ呑まず、失注した方がまだマシ」
とエラーを増幅して理解し、バカ高いのにそんなエラーが紛れ込んでいるアホな買収話や買収後の取引提案、一蹴して取り合わなかったら、よかったのです。 

「そんな消極の安全策ばかりでは、東芝の未来は築けない」
なんてバカことを言うバカな人間の話など無視して、半導体事業をしっかりやっていたら、何の憂いもなく、今頃、高笑いできていたはずです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00867_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する4: 正しい目的を設定する

おそらく、皆さんは、学校の先生や、お父さんやお母さんから、
「努力は尊い。結果が全てではない。努力はいつか報われる。失敗をおそれるな」
といった類の話を聞いて育ったかもしれません。

しかし、これらは、
「正解や定石のないビジネスやプロジェクトのマネジメント」
の世界では、圧倒的間違いといっても過言ではないほど、愚劣で有害な妄想です。

ビジネスやプロジェクトマネジメントの世界においては、無駄な努力、無意味なガンバリ、というのは山程あります。

大事なことは努力することではありません。

ガンバルことではありません。

むしろ、目的から逆算した最小限の犠牲で十分なのであり、牛丼のキャッチフレーズではありませんが、早く、安く、それなりに、うまいことやった方がいいに決まっています。

方向性を誤って空回りしていても、努力は無意味です。

努力は無意味どころか、時間を失います。

時間があればカネは作れますが、カネがあっても時間は買えません。

大学受験も同様ですね。

たとえば、ここに東大を強く志望する高校生がいたとします。

この高校生が、一生懸命、走り込みや、筋トレをやっています。

曰く、
「ボクは、小学校の先生からも、中学の先生からも、公務員をやっているお父さんからも、専業主婦としてパートで頑張っているお母さんからも、ボクが大好きで尊敬する、善良を絵に書いたようなみんなから、こう言われて育った。『努力は尊い。努力はいつか報われる。失敗をおそれるな』と。だからこうやって、走り込みや筋トレをして、体を鍛え、誰にも負けない運動性能と体力を身に着け、東大に合格するんだ。こんなに、体力を鍛え、努力しているんだから、神様はきっと見放さない。いつか、ボクは東大に合格するはずだ」
と。

しかし、残念ながら、この高校生は、10年浪人しようが、50年浪人しようが、東大に合格することはないでしょう。

理由はかんたんです。

東大の受験科目には、体育がないからです。

だから、どんなに走り込みをしたり、筋トレをしたりして、体育の点数を向上改善させても、それが、どんなに苦労を伴い、負荷がかかり、尊い、立派な努力であっても、その努力は、東大合格、という点に限っては、まったく意味がありません。

なぜか。

努力が、目的に結びついていないからです。

努力が、目的から逆算された、合理的で有益なものではないからです。

もっといえば、そもそも、自分の適性や能力に見合った目的の設定がなされていなかったのかもしれません。

こんな話をすると、
「当ったりめえじゃねえか! 何をバカなことを言ってやがるんだ! そんなアホなことをするわけねえだろ!」
という声が聞こえてきそうですが、私企業の新規事業や海外進出やM&Aや事件対応や有事(存立危機事態)対処もさることながら、国家規模のプロジェクトにおいても、狂った目的が設定されたり、目的と無関係で、むしろ目的達成に有害無益な壮大な努力が展開された挙句、自分の首を締めてエライ目にあった、ということは、かなりの数、存在します。

太平洋戦争という、日本史上最大の
「公共事業」
が失敗したのは、目的があいまいな上、目的を達成するための努力が目的と真逆のものだったからではないでしょうか。

太平洋戦争という
「公共事業」
の目的とされた、
大東亜共栄圏? 鬼畜米英? 八紘一宇? 
って、まるで意味不明です。

「大東亜共栄圏のためにアジア各国に進出した」
などといわれますが、
「隣の家の住人と仲良くしたいので、凶器をもって、押し入って、居座りました」
って、意味がわかりません。

目的が不明確、目的とやっていることが違う、あるいはチグハグ。こんなプロジェクト、失敗するに決まっています。

で、やっぱり、失敗しました。

例えば、M&Aにおいても同様です。

ロックフェラーセンターを買収したり、コロンビア映画や、映画会社MCAを買収したり、ブラジルのビール会社を買収したり、などなど日本の名だたる企業も、M&Aプロジェクトとして壮大な努力を展開されていますが、いずれも目的があいまいだったり、努力の方向性が相当おかしい感じが否めません。

正しい目的を設定しないと、戦略の前提が整いませんし、結果は出ませんし、あらゆる営みが無駄になり、さらには、組織が崩壊するリスクを招来します。

正しい目的、達成可能で現実的で損得勘定において意味ある目的を定めることが、正しく合理的な戦略を構築する第一歩です。

「目的の設定なんて、簡単じゃねえか。そんなもん、どんなアホでもできるワイ!」
という声が聞こえてきそうですが、そうでしょうか?

くどいようですが、
「太平洋戦争という”公共事業”の目的とされた、大東亜共栄圏? 鬼畜米英? 八紘一宇? って、まるで意味不明です。大東亜共栄圏のためにアジア各国に進出した、といわれますが、『隣の家の住人と仲良くしたいので、凶器をもって、押し入って、居座りました』」って、意味がわかりません」
と言いましたが、
「立派な教育を受けた高い受験偏差値を有するエリートといわれる方々」
ですら、こんな意味不明な目的をぶち上げ、挙句の果てに、国を滅ぼしたわけですから、凡人である我々も、日々、間違った目的を設定しがちです。

ところで、ビジネスにおける
「目的」
とは何でしょうか?

弱者救済や、世界平和実現や、人類社会の調和的発展や、生態系の健全な維持でしょうか?

無論、綺麗事として、そういうことを真顔でおっしゃる方もいますが、企業なりビジネスの目的は、弱者救済でも、差別なき社会の実現でも、社会秩序や倫理の発展でも、健全な道徳的価値観の確立でも、世界平和の実現でも、環境問題の解決でも、人類の調和的発展でも、持続可能な社会の創造でもありません。

ビジネスの目的はもっと別のところにあることは間違いないはずです。

異論はあるかもしれませんが、
「東大文一に現役合格し、在学中に司法試験に合格し、20代の若造から知的プロフェッショナルとして認められ、世間から20年以上“先生”と呼んでいただいている、まあまあ、平均的かちょっとそれより上の知性を有している、といってもあながち間違いとは言い難い筆者の頭脳」
で理解するところによれば、ビジネスの目的は、
「安い元手で、てっとり早く、リスクなく、なるべくたくさんのカネをもうける」
ということだと考えます。

もう少し、穏やかで高尚な言い方をしますと、M&Aを含めたあらゆるビジネスの目的は、

A)カネを増やす
B)出費を減らす
C)時間を節約する
D)手間を節約する
E)安全保障(リスクを減らす)

のいずれかに紐づくはずです。

もし、紐づいていないとすると、それは、ビジネスではなく、道楽か趣味です。

日本のホワイトカラー(管理系職種)の中には、
「こいつ、一体、何の仕事をしているんだ?」
という、意味不明な仕事を生業としている方がかなりの数いるように思います。

「意味不明な仕事」
というのは、管理系職種にいらっしゃる彼なり彼女なりの仕事が、前述のA)ないしE)のどれに属するか、あるいは、どういう形で貢献するか、まったく理解できない活動をされている、ということです。

無論、その種の
「意味不明な仕事」
の中には、あまりに高度で高尚で哲学で高邁過ぎて、
「東大文一に現役合格し、在学中に司法試験に合格し、20代の若造から知的プロフェッショナルとして認められ、世間から20年以上“先生”と呼んでいただいている、まあまあ、平均的かちょっとそれより上の知性を有している、といってもあながち間違いとは言い難い筆者の頭脳」
程度では理解できないような仕事をなさっているからかもしれませんが、とはいえ、A)ないしE)のいずれにも紐づかないような営みをなさっているということは、少なくともビジネスという活動に関していえば
「(仕事が高尚であることはさておき)彼なり彼女は、いてもいなくても差し支えない」
とも考えられます。

いずれにせよ、目的があいまい、不合理で意味不明な目的、達成不可能で非現実的な目的であったり、損得勘定ではなく主観や感情(劣等感やコンプレックス解消)といった劣悪な動機を前提に、A)ないしE)との紐づきが疎遠な、経済合理性という点において間違った目的を設定しても、うまくいくはずはありません。

「そのM&Aをするとどんなことが達成されるの? カネが増えるの? 支出が減るの? 時間や手間の節約につながるの? 特定の具体的リスクが消えたり減少したりするの?」
という問いをなげかけることによって、
「目的が正しいかどうか」

「ストレステスト」
を行うとともに、どんなにご立派な方が華麗で高尚なことをおっしゃろうが、狂った目的は、早期に排除しておくべきです。

そうでないと、ロックフェラーセンターを買収したり、コロンビア映画や、映画会社MCAを買収したりといった例のように、
「膨大な時間とエネルギーを費やした挙句、カネは減る一方で、最後には、企業が崩壊の危機を招く」
といった趣の
「何の目的のために行ったM&Aか、ワケがわからない」
という状況に陥る危険性が出来しかねません。

また、あいまいで、多義的な解釈を招く、目的というのも、NGです。

完成予想図、成功時の未来の姿を具体的にイメージすべきです。

そして、これを、しびれるくらいわかりやすく、
「どんなに理解力が不足し、身勝手な妄想力豊かな、アホでも、勝手な独自解釈をしでかしようがない」形で、
共有しておくべきです。

最後に、一点。

目的を作り上げるときには、楽観バイアスに侵され、すべてを自分に都合よく解釈しがちです。

成功者や達成した経験者の話をよくきいて、悲観シナリオやプランB(予備案、バックアッププラン)も含め、保守的で現実的で堅牢な目的を設定すべきです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00866_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する3: 置かれた状況や環境を客観的かつ冷静に認識する

自分のおかれた状況と、現実と、改善可能な範囲や相場観を知ることが、戦略的な思考の第一歩です。

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
ユリウス・カエサルが語ったとされる名言です。

「偏見等によって認知がゆがんでしまい、自分のおかれた状況が理解・認識できない」
あるいは
「不愉快な現実を直視しない」
なんてことは、生きていると、うんざりするほどやらかしがちです。

記憶の上書き、
すっとぼけ、
自己暗示などなど、
言葉はいろいろありますが、これらは、
「みっともない事実によって自己の尊厳が蹂躙されることを忌避するため、自分で自分にウソをついて自己を保存する」
という本能としての習性に基づく無意識の行動です。

特に、失敗の原因が自身にある場合、自己保存のため、自分にウソをついて、あるいは事実を意図的に誤解し、自己の尊厳を守り、現実を受け入れることを徹底して拒絶する、ということは、よくあります。

また、改善不能なことや達成が不可能なことを想像したり、現実的・実務的な相場観を拒否し、
「テレビやドラマで見知ったファンタジーを前提にした身勝手な成功プロセスが全て達成され、最後に、自分にとって都合のいい結末が劇的に実現すること」
を妄想する、なんてことは、老若男女、皆、日々やっています。

このような傾向は、社会経験とか知的レベルとか学歴の高低とかは、関係ありません。

太平洋戦争において、日本軍の作戦指揮の現場において行われていた状況認識や作戦立案等の低劣っぷりを想像すると、立派なエリートといえども、議論の前提たる事実認識がかなり危ういレベルであったことは推定されます。

また、破綻したリーマン・ブラザーズの首脳陣や、その他リスキーな挽回策を重ねた挙句に会社を倒産に至らしめた経営者たちの脳内において
「自分の取り巻く状況や環境に関する事実をどのように認識していたか」
をイメージすると、戦略構築云々以前に、事実の認知レベルにおいて、かなり歪みがあったものと思われます。

ヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏が争ったアメリカ大統領選の予測にしたって、選挙前、立派な大学の立派そうに見える先生が、
「ヒラリーに決まっている。トランプなんて、なるはずない」
と大見得切っていましたが、結果は、ヒラリー・クリントンの惨敗。

立派な大学の教員ですら、事実と妄想を区別する、ということが困難である以上、そこらへんの企業経営者の認知能力のレベルって、歪みまくっていると推定されます。

むしろ、我々は皆、認知能力に問題を抱えている認知症罹患者であり、それが重篤化して、社会生活に支障がきたすと、
「認知症患者」
と言われるのであり、一般の健常者と認知症患者との区別は、相対的な症状レベルの問題である、とも思えます。

我々の脳内に巣食っている偏見の中で、もっとも強固に作用するものが、
「常識」
です。

入手したデータを観察したり、認識したり、解釈したりして、最終的に
「自分のおかれた状況や環境はこうだ」
という判断をする際、学校の先生やサラリーマンの父や専業主婦の母が刷り込んだ
「渡る世間に鬼はなし」
「頑張ればきっとうまくいく」
「神様は誠実な人間を見放なさい」
「ピンチはチャンス」
といった誤った偏見が、脳を間違った方向に回転させ、致命的な判断ミスを誘う、ということも事例としてよくあります。

当たり前ですが、
「渡る世間は鬼ばかり」であり、
「頑張ればきっとうまくいくとは限らない」ということでもあり、
「神様は誠実な人間を見放なすことはよくあること」であり、
「ピンチはピンチそのものであり、現実を直視せずチャンスと思って起死回生の挽回策を取ると、たいていはピンチが大ピンチかジ・エンドになる」
というのが正しい状況認知であり状況解釈です。

無論、日常生活は、
「常識」
というバイアスを働かせ、
「渡る世間に鬼はなし」
「頑張ればきっとうまくいく」
「神様は誠実な人間を見放なさい」
「ピンチはチャンス」
という根拠のない妄想や虚構を信じていても差し支えありません。

ですが、今、議論されているのは、
「正解も定石もない、イレギュラーでアブノーマルなビジネス案件」
をとりまく状況や環境の問題です。

にもかかわらず、迷ったら、常識という
「偏見のコレクション」
で、憶測し、思い込み、たくましく想像してしまうのが、失敗しがちな経営者の脳内で起きていることです。

「アブノーマルで刺激的な状況を、陳腐で退屈な常識で推し量って、正しい情報解釈に至る」
というのは、フツーに考えてうまくいくはずがありません。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00865_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する2: 正しい戦略リテラシーを実装する

学校教育では、
「努力は尊い。結果がすべてではない。努力はいつか報われる。失敗をおそれるな。とにかく我武者羅に突き進め。考えるな、感じろ。熱いハートにしたがえ。ダメでも次がある」
という趣旨のリテラシーが洗脳(そもそも学校教育というのは、未熟の脳に特定の思想や価値観を植えつけるものであり、社会的なコンセンサスを背景にした、合法的な洗脳です)されます。

しかしながら、ビジネスや事業戦略を構築するうえで実装しておくべきリテラシーは、
「無駄な努力、無意味なガンバリ、というのは山程ある。目的から逆算した最小限の犠牲で十分。方向性を誤って空回りしていても、努力は無意味。結果がすべてであり、目的は常に手段を正当化する。必要であれば、明確な痕跡が残らない範囲で、あの手、この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、反則技、すべてを駆使しても差し支えない」
というものです。

外資系企業の「M&Aを成功するスキルを有するマネージメントチーム」や、
新規事業の立ち上げに成功するベンチャーの経営陣や、
有事(存立危機事態)に効果的に対処し、生き残る企業等
においては、もちろん、後者を当然の前提として思考・準備・計画・実行を冷厳に進めます。

他方で、
「M&Aで失敗して痛い目に遭う日本の多くの企業」や、
「新規事業に何度も失敗する企業」や、
「有事(存立危機事態)対処に失敗して企業を破綻させてしまう経営陣」
は、学校教育で培ったリテラシーを墨守しているように見受けられます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00864_「正解や定石のないプロジェクト」の戦略を立案し、戦略的に遂行する1:「逃げるが勝ち」「出口戦略」の重要性

まず、前提として、目の前にある業務の課題は、
「正解とやり方がわかっていて、経験さえあれば誰がやっても同じ結果が期待できる、陳腐なルーティン」
ではなく、
「正解がなく、あるいは正解があるかないかすらわからない、定石も不明で、誰も経験がない、未知のプロジェクト」
という前提です。

新規事業の立ち上げかもしれませんし、M&Aかもしれませんし、海外進出であったり、言葉も話も通じない企業との提携であったり、事件や事故の対処、さらには、有事(存立危機事態)の対処かもしれません。

そんなイレギュラーでアブノーマルな事案を委ねられた場合に、どう対処すべきか?

そこでは、戦略を立案し、戦略的に遂行することが求められます。

ところで、
「戦略が大事だ」
「戦略的に考えよう」
「チミには戦略というものがないのかね(怒)」
「ウチの上司はバカで、戦略センスとかナッスィングで、ホント、困っちゃうよ~」
とかなんとか、という形で、この「戦略」という言葉、本当に巷でよく耳にします。

しかし、また、この
「戦略」
という言葉ほど、曖昧で、無内容で、誤解されているものはありません。

私なりの理解ですが、
「戦略」
というものは、
「様々な環境要因や制約条件のなかで、現実的に達成可能な目的を決め、合理的に筋道を立てて、最小限の犠牲で、目的を段取り良く、達成するための方法論」
というものです。

戦略論の大家・ビッグネームといえば孫子(孫武)ですが、その“孫子イチオシの最強の戦略”は、
「三十六計逃げるに如かず(三十六計逃げるが上策なり)」
といわれるものです。

要するに、
「逃げるが勝ち」
「逃げて逃げて逃げまくれ」
ということですが、
「意識高い系の自信過剰な方々が多用する“戦略”という言葉のもつ、中世ヨーロッパの騎士道のようなヒロイックでロマンチックなイメージ」
とは、真逆の、
「姑息で卑怯で下劣でリアルな方法論」

「軍事思想の大家の壮大な思索の結果の最終解」
というのも、皆さんにとっては違和感があるかもしれません。

しかし、私個人としては、多いに納得しますし、とくに、投資や金儲けについていえば、この
「逃げることをベストとする戦略」
が最強であることは疑いようもありません。

すなわち、投資でカネを増やすコツは、
「勝ち逃げ」と「損切り」
につきるのです。

「意地商いは身の破滅」
という言葉があるように、
「意地やプライドや沽券で勝負を続けるのではなく、勝っているあいだにとっとと戦果を得て退却し、負けたらボロ負けしないうちに逃げちまえ」
という身もフタもない方針です。

逆に、勝ちに慢心していつまでも戦場に残っていると、想定外の事態に見舞われ制御不能のまま元本割れという憂き目にあうことになりかねませんし、損切りのタイミングを逸すると、最悪、全財産を失い破産することもある、というのも経験上理解されている現実です。

商売も同様であり、
「いかにして、どこに向かって、どのように逃げるか」
すなわち
「出口戦略」
がもっとも重要な戦略の根幹を形成します。

例えば、M&Aという難易度の高そうなプロジェクトを例にとって考えてみましょう。

M&Aなんて、いってみれば、企業を取引対象物とする金儲けのための取引の一種に過ぎませんし、株取引や不動産売買や中古設備の購入と同様、
「安く買って、とっとと高く売りつけ、しこたま儲ける」
「安く買って、ボロ雑巾になるまで金儲けのためにコキ使い、投資金額を大幅に超えて、カネを搾り取れるだけ搾り取り、要らなくなったり、損失を出すお荷物になったら、とっととポイ捨てするか、転売して誰かに押し付ける」
という経済活動の手法の一種に過ぎません。

ところが、日本の多くの残念な企業がM&Aでやっていることは、出口戦略を描かず、うまくいかなかった場合の想定(ストレステスト)すらおこなわず、
「妄想満載のバラ色の未来が永遠に続くこと」
だけを身勝手に思い描きつつ、無警戒に、エントリーし、出口のない閉塞状況に追い込まれ、貴重な時間とカネとエネルギーを消耗し続ける、という愚劣極まりないことです。

現実的で達成可能な出口ないしゴールを明確に描き、そこから逆算して、とっとと出口にたどり着く。

出口にたどり着いたら、ぼやっとせずに、とっとと勝ちを精算して逃げ去るか、利用するだけ利用し尽くして、要らなくなったり、損失を出すお荷物になったら速攻でポイ捨てするか、ババ抜きの
「ジョーカー」
のように誰かに押し付ける 。

このような
「逃げるが勝ち」
が戦略の基本です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00863_日本企業が海外進出に失敗するメカニズム8:「海外進出を任せるに足りる適任者」が見つからない場合の対処法

海外進出に成功するためには、
「全ての責任と権限をもち、事態対処のための完全な自由裁量を有する、強烈な士気とインセンティブが与えられたリーダー」
が、戦略の修正、ゲーム・チェンジ、マイルストンの組み換え、ときには、目標の変更すら適時・瞬時に行うことを休む間もなく継続することが最低限必要で、これらが出来て、ようやく
「戦いの体をなす」
というレベルにたどり着けます。

番頭・手代レベルに、元手を渡して、
「あんじょうやってこい」
という適当な指示で、成功を夢想する、なんてことをやっても、うまく行く道理がありません。

こういう言い方をしますと、
「自分(オーナー経営者)が出て行くと、国内がおろそかになるので無理だ」
「『命を賭して、完全に成し遂げる強靭な意志と、成功時に得られる莫大なインセンティブと、平然かつ冷静にやり抜くスキルと、自然と被支配者がひれ伏す強烈なオーラと、悪魔の手先のような性根と、常に、エレガントに振る舞える典雅さをもった人間に、法律はおろか神をも恐れぬやりたい放題の裁量を与える』といった海外事業責任者が必要というのはわかるが、そんな、自分でもできないようなことをやってのける人間は、社内のどこにも見当たらないし」
と、言い訳をはじめ、遂には、
「ああ、どうしよう! 我が社は海外進出できない! もう、八方ふさがりだ!」
と頭を抱える中小企業オーナーがよくいらっしゃいます。

では、そんな中小企業として、海外進出プロジェクトについて、どのようにして対応すればいいのでしょうか?

答えは実に簡単。

進出などやめてしまえばいいのです。

誰も、
「そんなに無理をしてまで、大変な思いをし、会社を破綻させるリスクを冒してまで進出しろ」
といって進出を強制しているわけでもありません。

もちろん、大企業の進出に付随して、下請けや孫受けが進出を半強制點せられる場合もありますが、その場合は、大企業を弾除けにして、命第一、安全第一、負けそうになったら素早く逃げる、というスタンスで、逃げ腰・及び腰で慎重に進出するほかありません。

そのような事情でもなければ、わざわざ苦労とリスクを背負い込んでまで、アジアに進出などしなくてもいいんです。

国内で地味に努力して、生産活動を工夫したり、商売を広げたりできる余地はいくらでもあります。

例えば、ICTやAIやRPAを導入すれば、ホワイトカラーの生産性は劇的に改善されます。

トップがICTリタラシーを向上させ、PCとスマホその他の情報機器を使いこなすだけで、経営管理機能を担う人員は大幅に不要となるはずです。

生産工程の見直しとFA化の推進をすれば、
「言葉も通じない、話も通じない、思いも通じない、規律に無縁で、誠実で堅実なカルチャーとは無縁な、俗悪と無作法をはびこらせるかもしれない方々」
と無駄に付き合ってカネと時間とエネルギーを喪失するよりはるかにメリットがあると思います。

結局、ICTの習熟とか、生産工程の見直しとか、そういった地味な作業を忌避し、
「アジア進出!」
という壮大な妄想を華々しく展開することによって、
「何かワクワクするようなことをしたい」
という愚劣で幼稚な発想にもとづき、日本の多く残念な中小企業と、そのような企業を経営する残念な社長が、哲学も展望もシビアな計算もなく、大量にノコノコとアジアに出かけて行っては死屍累々となっている。

これが、生産拠点をアジアに移転しようとして大失敗する企業における根本原因です。

営業や販売についても同様です。

これまで、製造業においては、ほどほどの品質を大量に市場に流し込み、市場でシェアを獲得し、その後、商品力で競争力優位を築いていく経営、すなわち
「プロダクトアウト」型の経営戦略
が、オーソドックスな戦略とされてきました。

しかし、市場がグローバル化し、また、
「ドッグイヤー」
「マウスイヤー」
といった形で経済スピード(陳腐化・コモディティ化スピード)がスタンダート化し、
「大量に出回る、ほどほどの品質の商品」
は、おどろくほど早く陳腐化し、海外から、
「ほどほどの品質と、冗談のような廉価な商品」
が押し寄せてくるとひとたまりもありません。

国内の販売不振が続くと、ついつい海外にいって一旗挙げて、リベンジだ、と安易に考えてしまいがちです。

無論、ルイ・ヴィトンやエルメスやブルガリなど、すでに世界的ブランドとして知名度を確立している商品であれば、
「進出後短期間に相当大きなボリュームの売り上げを立てる」
ということも合理的に期待できます。

しかしながら、
「『日本国内ですら知名度がなく、誰も買ってくれないような商品』しか作っていないような企業が、言語も文化も違う国の市場でいきなり知名度を獲得し、バカ売れして大成功する」
というのはまず不可能です。

結局、日本ですらロクに知名度がない中小企業が、現地コーディネーターの口車に乗せられて現地法人を作った場合、結構な額をスってしまい、現地法人を1~2年で解散・清算する、ということが多いようです。

国際的にビジネスを展開したいのであれば、何も現地法人を作って、いきなり拠点を作って遮二無二進出する必要などありません。

現地法人を作るということは、現地の言語に基づき、現地の会計基準と現地の法律にしたがった法的書類と会計書類と税務申告が必要ということを意味しています。

しかも、この煩雑でコストのかかる手続きは、会社を解散して清算するまで、未来永劫続きます。

これだけですでに莫大な費用と手間とエネルギーを消耗しますが、投下した多額の投資を回収するには、相当大きなボリュームの売り上げを立てる必要があります。

自らは日本国内に拠点を置いた状態で、現地のチャンネルを有する現地企業と販売先や代理店として契約し、そこと緊密に提携しながら、市場にチャレンジすれば、リスクもコストも労力も少なくて済むはずです。

さらにいえば、国内でもまだまだ生き残れる方法があるかもしれない。

市場における顧客のニーズに併せてモノ作りをしたり、さらにいえば、モノにサービスを加えた、顧客の要望を叶える高付加価値なソリューション(もの作り+おもてなし)提供していくこと、すなわち
「マーケットイン」型
の経営戦略に真剣に取り組めば、いくらでも生き残れる場所が見つかるかもしれません。

頭とセンスを地味に酷使するような戦いを忌避し、見た目だけ派手に見える
「海外に打って出る、壮麗なアウェー戦」
を挑んだものの、地の利の不利が災いして、ボロ負けし、会社の生命を縮めてしまう、というアホな失敗をなぜ多くの企業をやらかすのか。

自分が
「国内において地味で広がりのない事業をやっている」
ということに強いコンプレックスをもっている中小企業の社長の方々は、“国際事業”や“海外進出”や“現地法人”といったキーワードに弱く、意味なく無駄なことをしがちだからだと推測します。

また、海外事業の経験がない素人ほど、
「海外で事業を行えば、どんなバカでも大成功するはずだ」
という根拠のない妄想を抱き、
「地道な経営改革より見た目な派手なバクチで会社を劇的に改善できるのではないか」
と甘い夢をみがちなのです。

こういう背景もあり、
「純ドメスティックな事業を、ド根性と勢いで立ち上げたが、海外経験なく、総じて視野が狭いタイプの社長」
が、国内においてなすべき課題が山のようにあるにもかかわらず、海外に異常な期待を抱き、コーディネーターやコンサルティング会社などの口車に乗せられ、海外進出話にオーバーコミットしてしまい、結果、会社を重篤に危機に陥れてしまうのです。

「コンプレックスのある、成り上がりの、幼稚なオーナー経営者が、誇大妄想的に海外に進出して痛い目に遭う」
という話は、豊臣秀吉の時代から変わらない。

ですので、成り上がり者の田舎者で劣等感が人一倍強かった豊臣秀吉のようにイタい膨張政策で晩節を汚すより、徳川家康のように
「引きこもり」「穴熊」戦略
で、地味で堅実に内部の地盤固めをすることが、企業を長く存続させる秘訣なのかもしれません。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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