00772_紛争・有事状況のゲーム環境たる裁判システムを理解する3:裁判所における事件処理の実体(1)民事裁判官の事件のススメ方

裁判官はたくさん事件をかかえていて、膨大な記録を速読して瞬時に事件の見通し(われわれ法律屋の世界では「事件の筋」とか言ったりします)を立てて、その見通しにしたがって事件を処理し、当事者の言い分や証拠を調べながら、高裁や最高裁でひっくり返されないように理屈を固めていきます。

一旦立てた全体の見通しをクルクル変えてしまうと、思考経済上マイナスですし、仕事が停滞するもとになります。

民主党政権が誕生し、それまですすめてきた八ツ場ダム工事を中止するのしないのでモメていますが、こういう見通しや方針をクルクル変えることは結果としてムダにつながりますので仕事としては最もやってはいけないことです。

民事裁判においては、
「事件の筋」
は事件の初動段階で確立され、その後、裁判官によって確立された
「事件の筋」
が変更されることはまずありません。

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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00771_紛争・有事状況のゲーム環境たる裁判システムを理解する2:「三権分立」というアングルでみた、裁判所というお役所の際立った特異性

裁判所は、
「契約管理を含めきちんとしたトラブル予防措置をぬかりなく講じた慎重な人」
にとっては快適な場所ですが、
「ロクに契約書を読まずにサインしておきながら『裁判官が自分に都合のいい解決をしてくれる』という身勝手で過大な期待を抱いた方」
にとっては失望を大きくするだけの場所です。

「裁判官」

「裁判官によって運営される裁判所というお役所」
は、水道や道路や警察や図書館や公民館と同じく、われわれが安心して社会生活を送ることができるようにするために税金で運営されている貴重なインフラストラクチャー(社会基盤)です。

パソコンや携帯電話も取扱説明書をよく読まないとうまく使いこなせないのと同様、裁判所なり裁判官も、本来の用法に沿ったきちんとした使い方を理解しておくべきです。

法務部あるいは法務担当者としては、このような
「一見身近なようで、謎に満ちた現代の秘境」
ともいえる裁判所・裁判官について、紛争・有事状況のゲーム環境たる裁判システムを理解する上で、詳しくみていく必要があります。

なお、裁判所というものを理解するには、司法制度の歴史や、三権分立システムについてまで話が広がっていきます。

「建前論ばかりで眠くてつまんない公民の教科書」
のようにならないように、おもしろおかしく(?)かつリアルに、日本の国家運営システムの本質にも迫りつつ、謎に満ちた裁判所というお役所の実態を述べていきたいと思います。

1 「裁判官」も「検察官」も「霞が関の官僚」も、言ってみりゃ、皆同じ?

皆さんは、テレビの裁判報道等で、法廷の壇上で不景気で陰気な顔して、妙なマントっぽいものを羽織ったおじさんやおばさん(これが裁判官です)が出てきたりするのを見られたことがあるかと思います。

また、大きな政治疑獄や経済事件で東京地検特捜部が強制捜査を開始する際、スーツを着た集団が颯爽と政治家の事務所や大企業のビルに入っていく様子(強制捜査の際、ダンボールをもって突入しているのは、検察官ではなく、検察事務官ですが)が報道されるのも見られたこともあるでしょう。

このように、裁判官とか検察官といった存在は一応社会的に認知されているのですが、世間の認識の中では
「裁判官だか検察官だか知らないが、言ってみりゃ、どっちも、東大出てて、司法試験合格していて、地味なスーツを着て霞ヶ関で働いていて、小難しい顔して法律や事件の関係のことで働いてる人で、同じようなもんでしょ」
と思われているようで、両者を正確に区別できる方はそう多くはいらっしゃらないような気がします。

さらに言えば、裁判官も検察官も中央省庁に勤める行政官僚すらも、世間一般の認識においては
「法律に関して、何か難しそうなことやってる公務員」
という括りで一緒くたにされており、その違いがあまり意識されていないような気がします。

この現象は、世間一般に限りません。

不動産登記簿謄本を入手するために法務局にしょっちゅう出入りされているプロの不動産業者ですら、裁判所と行政機関との違いにあまり頓着されない方が結構いらっしゃいます。

実際、
「裁判所って、あれでしょ、ほら、九段のところにある登記簿謄本とかもらうところでしょ」
なんて調子で、東京法務局と東京地方裁判所をごっちゃにしておられる不動産業者の方を見かけたりします。

脱税や強引な節税のかどで刑事告発されたご経験をおもちの方などにおいても、税務調査官も国税不服審判官も検察官も裁判官も
「同じような地味な人」
という括りでしか認識しておられず、事件の過程で次々と登場するスーツを着たエラそうな公務員相互間の区別がつかない、という方も少なからずいらっしゃいます。

たしかに、裁判官も検察官も税務調査官も財務官僚も法務局登記官も、雑なイメージだけで語れば
「眼鏡かけてて、勉強できて、スポーツ音痴で、東大出てて、一緒に食事してもツマンナそうな、やたらと細かい、地味な役人」
として一緒くたにされてしまいますし、これら五者の外形上の区別は困難です。

しかし、裁判官とそれ以外(行政官)というのは、まったく違う運営理念を持つ組織で働いており、生態も思考も行動様式においても、顕著な違いが存在するのです。

そして、裁判官の思考と活動と実態に迫るためには、裁判官と行政官という
「似て非なる」
両存在の違いをきちんと理解する必要がありますし、そのためには三権分立の話をしなければなりません。

2 実は不効率で無駄が多い三権分立

皆さんは、小学校の社会の授業で、
「三権分立」
という概念を習ったことがあると思います。

こういうと
「あー、知ってるよ。立法権、行政権、司法権ね。そうそう、国会、内閣、裁判所。それそれ。そんなの常識じゃん」
という答えが返ってきそうです。

しかし、三権分立というシステムは、長い人類の歴史からみると非常識かつ不効率なものであり、
「新規で特異な国家運営技術」
と位置づけられます。

前述のように、現代の日本社会に暮らしているわれわれは、三権分立による国家運営は当たり前のように思っていますが、つい200年前までは、三権は明瞭に分離させられることなく、江戸幕府という単一機関が立法権も行政権も司法権も独占して保持し、統一的な指揮系統の下にこれらを運用していました。

すなわち、江戸時代においては、江戸幕府を代表する将軍が
「御法度」等
の法律を作り、その名において徴税や治安維持や公共工事といった行政活動を行うとともに、民事の揉め事の解決や刑事裁判は将軍指揮下の奉行所において行われていました。

国家の運営の責を担う幕府側からみると、現代日本で採用されている三権分立システム、すなわち
「国家運営機能を無理矢理3つに分割し、それぞれ別の指揮命令系統で動かす」
などという代物は無駄の極みであり、ほとんど狂気の沙汰に映るのではないでしょうか。

江戸幕府が、三権分立を採用しなかったのは、
「国家運営を統一的・効率的に行い、無駄を省く」
という自然かつ合理的な感覚によるもので、決して
「バカで時代遅れの超権力志向だったから」
ではありません。

例えば、時代劇等で出てくる
「奉行所」
は、刑事警察と公安警察と治安維持のための武装部隊と検察庁と裁判所をミックスしたようなところでした。

遠山の金さんなどを見たらおわかりかと思いますが、奉行という高級官僚は、司法警察官と検察官と裁判官を兼ねておりましたので、自分で調べ、自分で体験したことを判断の基礎にして、犯罪事実を認定し、刑罰を定めていました。

こういう制度の下では、裁判官は、気になったら自らとことん取り調べができますし、その取調べの結果に基づき絶対的な自信をもって事実認定ができますので、今の日本の裁判よりもはるかに緻密な司法を実現していたのかもしれません。

もし、遠山の金さんがタイムトラベルして、今の日本の刑事司法を見たとすると
「警察署に検察庁に裁判所と指揮系統の異なる多数の役所を無秩序に作り出した挙句、1つの奉行所でできることを、無駄で非効率な形で分掌させる、信じがたい税金の無駄遣いをしている」
と映るかもしれません。

3 三権集中(三権未分離)から三権分立へ

このように、三権集中に比べ、無駄で非効率極まりない三権分立システムですが、ご存知のとおりイギリスで始まりモンテスキューが理論化しフランス・アメリカで採用され、その後全世界に広がっていきました。

世界的に広がったとはいえ、人類が文明社会を作り社会運営を行ってきた永きにわたる歴史からすると、
「三権を分離して、別ラインで運用する」
という国家運営システムは、歴史的にはまだまだ日が浅いものといえます。

では、なぜ三権集中(あるいは不分離)ではなく、
「三権分立」
という一見面倒で非効率な国家運営方法が主流になったのでしょうか。

確かに、三権を集中させた方が国家運営効率は高まりますし、英明なリーダーの下では国家は大いに発展を遂げます。

しかし、反面、ルイ16世やヒトラーのように、集中した国家運営権を使って、やりすぎてしまう奴も出てきたりするのです。

時速200キロメートルで走っているポルシェがいきなりブレーキを踏むと大事故を起こすのと同様、国家運営効率が極限にまで高まった状態で三権全てを掌握するリーダーが大失敗をやらかした場合、その影響は計り知れず、革命が起こるなどして社会が崩壊してしまい、国家インフラがズタズタになってしまいます。

こういう負の経験をふまえつつ、人類は
「効率性をある程度犠牲にしても、三権を分離して、それぞれを別の指揮命令系統下におき、相互にいがみ合いをさせながら、活発な議論の下慎重に国家運営させていった方が、大チョンボが起こりにくく、国家なり社会体制としては長続きし、国民としてもハッピーになるはず」
という認識を有するに至ったのだと思います。

ということで、現代の日本も、
「多数決で選ぶ国会議員」
「公務員試験で選抜する行政官僚」
「司法試験で選ぶ裁判官」
という3つのタイプの国家運営キャリアを設け、
「法律を作ることを国会議員が構成する国会に担わせ、法律を運用して税金を集めたり使ったりするのを総理大臣指揮下の霞ヶ関行政官僚団に任せ、法律の解釈と揉め事の解決は裁判官で構成する裁判所に任せる」
という三権分立システムを採用するようになったのです。

4 「国会」と「お役所(行政機関)」「裁判所」との違い

ここで、 立法権力、行政権力及び司法権力を付託された
「国会」
「行政官庁」
「裁判所」
という三種の国家機関の特徴を比較する形で解説しますが、 国会と他の二機関には顕著な違いが存在します。

国会議員は選挙で選ばれますが、一定の年齢制限以外、試験もなければ能力の評価検証もありません。

お笑い芸人、歌手、芸能人、よくわからない評論家、作家、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋でもOK。

学歴不問、経験不問、試験無し。

自分の名前が書ける程度の学があり、選挙に通りさえすれば、基本的に誰でもなれます。

拘置所の中からだって立候補可能です(獄中立候補)。

他方、行政官僚や裁判官となると、そんなわけにはまいりません。

ハードな勉強をして、小難しい試験に合格することが求められます。

また、行政官僚や裁判官の場合、職を得てからも、一部の国会議員のように、料亭で無駄話をしたり、銀座のクラブで駄法螺を吹いているヒマはなく、目の前の大量の事務を、地味で堅実に効率よく裁いていていく必要がありますし、そうでもしないと出世もおぼつきません。

国会議員が際立った個性派ぞろいであるため、同じく国家運営の一翼を担う立場でありながら、行政官僚も裁判官も
「地味で、個性のないエリートで、とっちがどっちか外形上判別できないほどよく似た連中」
として括られてしまうのです。

そういうこともあって、一般国民の認識においても
「裁判官も行政官僚も同じじゃん」
と思われており、実際、霞ヶ関に多数いるお役人を、裁判官と行政官僚に区別するのは、至難の業です。

いずれにせよ、国会議員・役人・判事を並べてみて、
「ゴルフ焼けしてて、脂ぎってて、声がデカくて、スーツよりも作業服が似合いそうなガタイで、オシの強そうなオッサン」
と、
「地味なスーツを着て、眼鏡をかけてて、知的で神経質そうで、あまりパっとしないオジサマ」
とが並んでいれば、前者が国会議員で、後者が裁判官・行政官のいずれかであろう、という推定が働きますが、ほぼ100%当たっています。

そのくらい、
「国会議員」
とそれ以外の二者、
「裁判官・行政官」
は見た目だけで簡単に区別することが可能なのです。

5 立法府とはいいながら、実際に立法するのは「国会」ではなく「行政機関」

みなさんは、小学校で
「国会は法律をつくるところ」
「役所(行政機関)は、国会でつくった法律を運用するところ」
と習ったと思いますが、これは、建前はともかく、実体としては明らかな間違いです。

「『お笑い芸人、歌手、芸能人、よくわからない評論家、作家、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋 、あるいは現在拘置所にいる刑事被告人の方』といったさまざまなバックグラウンドを有する国会議員のセンセイ方に、難解で技術的な法律の文章をつくることができるか」
というと、普通に考えて無理であることは明らかです。

もちろん、国会議員の中には元キャリア官僚という官僚もいらっしゃり、そういう方が本気を出せば法律の1本ぐらい書き上げられるかもしれません。

しかし、国会議員のセンセイには、
「地元の有権者の陳情を受けて、橋や道路をつくったり、各種違反の措置軽減や子弟の就職口を斡旋する」
あるいは
「料亭やクラブに行って派閥人事を処理する」
といった重要な仕事があるので、
「机の上に齧りつき、関係法令集と格闘しながら徹夜で法案を作成する」
という地味で面倒でクダラナイことはなさいません。

じゃあ、
「国会議員がつくらないのであれば、一体、法律は、誰が作っているんだ?」
というと、
「役所(行政機関)が法律をつくっている」
というのが答えになります。

国会は、法律をつくるところではなく、役所(行政機関)が作ってきた法律を
「ここはいい」
「ここはダメだ」
といってケチをつけるところなのです。

いってみれば、役所(行政機関)が料理(立法)のプロで、国会は
「出された料理のケチをつけることはできるが、自分では目玉焼き一つ焼けない、料理評論家集団」
といった方が正確なのです。

6 「立法機関」である「国会」が、本当に立法しちゃうと、椿事としてニュースになる

ところが、ケチはつけるが自分たちではほとんど法律などつくらない国会議員のセンセイ方が、たまに自ら法律をつくってしまう場合があります。

これは
「議員立法」
と呼ばれるものですが、国会議員が自分たちで法律を作ると、それだけでニュースになるくらい椿事とされます。

むろん、そのでき具合はお世辞にもいいとは言えず、立法のテーマも、
「国家の効率的運営による国益の向上を目指してた、後世に残るすばらしい法律」
は少なく、
「○○族と呼ばれる議員センセイが特定の業界の利益の向上と結びつくような法律」
だったり、
「選挙の際、専業主婦やサラリーマンに手柄としてアピールしやすい法律」
といったものです。

議員立法で有名なのは、故田中角栄先生です。

彼がつくった法案の多くは、道路、建設、開発あるいはこれらの財源措置や特殊法人に関するものでした。

とくに、有名なものに民主党政権の際に問題になった
「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」
という法律がありますが、これも角栄先生の議員立法として成立したものです。

この法律は、要するに
「都会のサラリーマンがガソリン購入の際に支払う税金を、田舎の道路工事のためにばらまく」
というものであり、建設業界と地元のゼネコンを利するという目的においては、非常にわかりやすい代物でした。

7 この国を動かすのは国会ではなく役所(行政機関)

話を元に戻しますと、立法のプロとして、法律をつくっているのは、
「お笑い芸人、歌手、芸能人、よくわからない評論家、作家、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋 、あるいは現在拘置所にいる刑事被告人といった様々な職種で構成される、能力は不明ながら、人気だけが唯一共通の取り柄である、国会議員のセンセイ方」
ではなく、東大を卒業し、難しい試験に合格した、優秀な頭脳をもつ役所(行政機関)なのです。

つまり、中央官庁に務める高級官僚は、
「自分たちが使いやすいような法律を自分たちが法律を作り、作った法律を自分たちが使う」
というわけです。

東大の駒場キャンパスに行くと、青雲の志を抱いて地方から浪人して東京大学文科一類に入学した青年が、
「僕は、キャリア官僚になって、日本を動かすんだ!」
という夢を語る場面に出くわしますが、誰も
「カネもうけして選挙資金をためて、議員になって、日本を動かす!」
とか
「吉本に入って芸人になって知名度を獲得して参議院議員になって国を動かす!」
とは言いません。

確かに、
「自分たちが使う法律を自分たちで作る」
わけですから、
「日本という国家を動かしているのは、国会議員などという有象無象の輩ではなく、キャリア官僚という高学歴のエリート集団である」
という認識は、是非は別として、まったく間違っていません。

すなわち、日本という国は、建前でこそ民主国家として
「マジョリティが人気投票で選んだお調子者や目立ちがり屋」
が運営するなどといいながら、その実体は、試験秀才が主導する官僚国家であり、
「小さいころから地味な努力を怠らない、優秀で責任感のある試験エリートたち」
により堅実に運営されているのです。

8 役所(行政機関)と裁判所との違い

では、最後に、 同じ法を執行・運用する役所として、役所(行政機関)と裁判所(司法機関)との違いはどうでしょうか。

個性あふれる国会議員の集団とは異なり、
「地味なスーツを着て、眼鏡をかけてて、知的で神経質そうで、あまりぱっとしない、無個性なエリート」の集団
として共通する役所と裁判所ですが、似ているからといって、同じというわけではありません。

たしかに、裁判官登用試験としての側面ももつ司法試験も、行政官僚登用試験である国家公務員総合職(法律区分)の試験も、試験内容としては似通っています。

裁判官の世界でも行政官僚の世界でも東大法学部卒が圧倒的にハバを利かせておりますし、裁判所でも財務省や総務省でも、石を投げれば、たいてい東大卒に当たります。

おそらく、東大卒の人口密度は、千代田区霞が関界隈が日本でもダントツ1位でしょう。

最終的に受けた試験(司法試験と公務員試験)の科目の数や種類が微妙に異なるとはいえ、役人も裁判官も、18歳から22歳まで駒場(東大生は1・2年生をここで過ごす)と本郷(東大生は3・4年生をここで過ごす)で地味な生活を送ってきたもの同士、外見や思考やライフスタイルの面において、非常に似ています。

これほど似ている
「役所」

「裁判所」
ですが、実際は、両機関はかなり異質です。

すなわち、日本国家の運営を託された文系試験エリートの二大巨頭である行政官と裁判官ですが、彼らは似ているようで、まったく違った理念と見識で活動しているのです。

さらに言えば、
「役所」

「裁判所」
とが、衆人環視の下、大喧嘩をしたりすることだってあります。

9 裁判所は最強の国家権力を保持する

国家権力の中でもっとも強力な権限は何でしょうか。

法律を作ることや、法律を執行することでしょうか。

こういう問いに対しては、
「主権在民の理念から、主権者代表である国会が有する立法権力が日本国においてもっとも強大な権力である」
という答えが返ってきそうです。

しかしながら、国会の立法といえども憲法に反する内容が定められる可能性も否定できません。

現日本国憲法は、法律に対する優位と最高法規性を宣言しておりますので、憲法に反する法律や行政行為は無効と宣言されるべき必要が存在します。

すなわち、法律を作る権限(国会が有する立法権力)や法律を執行する権限(内閣を頂点とする行政官庁が有する行政権力)の上に、当該立法や法執行を憲法に照らして審査し、無効と宣言する
「上位の権力(スーパー・パワー)」
が存在するのです。

これは、違憲立法審査権と呼ばれるパワーですが、立憲国家においては、国家運営におけるもっとも強力な権限であると認識されています。

この違憲立法審査権を、どのような国家機関に所属させるかについてはいろいろモデルがあります。

フランスやドイツのように、一般の裁判所とは別系統の特別の裁判所を創設し、これに違憲審査を行わせるようなシステムもありますが、日本は、イギリスやアメリカと同様、通常裁判所に違憲立法審査権を付与しています。

その意味では、裁判所は、通常司法権のほか、
「違憲立法審査権」
という、
「立法権力や行政権力も凌駕し、これらを吹き飛ばす、もっとも強力な国家権力」
を保持しており、我が国において
「最強の権力集団」
ということができます。

しかし、これはよく考えてみると、相当特異なシステムといえます。

くだらない民事の揉め事や下世話な離婚の話、窃盗や詐欺などしょうもない刑事事件の面倒をみている国家機関が、国会の立法権限や行政官庁の法執行をぶっ飛ばすようなラディカルな事件を裁いてしまう、ということですから、ある意味無茶苦茶なシステムです。

例えば、東京地裁の例でいうと、民事2部、3部、38部、51部は行政“専門”部と呼ばれ、こちらは、行政事件しか割り当てられません(専門部とは、特定の種類の事件が集中的に配点され、かつ、通常の事件が配点されない部をいいます)。

他方、東京地裁民事3部は、行政“集中”部と呼ばれ、こちらは、日本国が被告となるような行政事件を集中的に審理するのですが、当該部においても通常事件も割り当てられます(集中部とは、特定の種類の事件が集中的に配点され、かつ、通常の事件も配点される部をいいます)。

したがって、東京地裁民事3部では、
「午前中は、国土交通大臣を被告とする国家賠償請求事件、午後は貸金と契約違反と近隣紛争」
なんて形で、国を揺るがすような大事件と犬も食わないような民事の揉め事が同じ感覚で裁かれる、という実にシュールな光景が繰り広げられたりする可能性が現実的にあったりします。

さらに言うと、もっと小さな規模の地方裁判所や支部になると、単独の部や、1人の裁判官が、民事事件も刑事事件も行政事件も扱うこともあるでしょう。

いずれにせよ、裁判所が日本国の中でもっとも強力な権力を有することは明らかであり、裁判所の前では、泥棒も詐欺師も民事の揉め事の当事者も首相も大臣も等しくひれ伏し、そのご託宣を仰がなければならないのです。

10 裁判官は、上司もなく、やりたい放題

行政官は、
「法律による行政」
「絶対的上命下服」
の2つの原理で厳しく規律されています。

仕事に個性を発揮するということは、法律の軽視や指揮命令の混乱につながるため、厳しく禁じられ、ひたすら個性を埋没させ、私情を排して公正・公平な法を実現します。

行政官以上に強大な権力を振るう裁判官は、行政官僚と同様あるいはそれ以上の規律に服すると思うのが素直で自然ですし、
「裁判官は、さぞ規律がしっかりしており、何から何までルールで雁字搦めにされ、個性の発揮は忌避され、個性と自由と人間性が否定された機械のような仕事が求められ、窮屈で退屈で息が詰まるような毎日であろう」
というのが一般の方の印象だと思われます。

「行政官と裁判官は、バックグラウンドも出身大学も試験科目も酷似している」
などといいましたが、この点からも、裁判官と行政官の仕事の哲学やスタイルが同じと考えるのが自然です。

しかしながら、事情はまったく逆で、裁判官は、上司もおらず、個性と私情を発揮して、 差し詰め
「やりたい放題」
といったところなのです 。

しかも、
「裁判官が、個性の赴くまま、やりたい放題で仕事してもいい」
ということは、憲法に明記されているのです。

憲法76条3項をみると、
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」
と書いてあります。

裁判官が、その職務権限を行使するにあたっては、外部の権力や裁判所内部の上級者からの指示には拘束されないことが憲法上保障されているのです。

例えば、行政官が、
「この法律は、私の良心や憲法解釈に反するので、個人の判断として執行をしません」
とすると大問題となります。

ところが、裁判官は自分の良心と自身の憲法解釈・法律解釈に基づき、気に食わない法律を違憲無効と判断したり、憲法に反するおかしな法律制度を維持したりすることができるのです。

こういう言い方をすると、
「カタくてマジメそうな裁判所がそんないい加減なことをしないでしょう」
という声が聞こえてきそうですが、日本の最高裁は、民主主義について非常識ともいえる判断を長年敢行し続けています。

例を用いてお話しします。

東京都内の私立小学校で学級委員を決める際、クラスの担任が、
「港区と千代田区から通っている生徒に5票与え、中央区と渋谷区から通っている生徒には3票、足立区と台東区に通っている生徒には2票、川崎市から通っている生徒に1票という形で付与する」
と発表し、生徒の住所地によって票数を露骨に差別したとします。

もし、実際こういう非民主的な教育運営している教師がいたら、気でも狂ったのではないかと思われ、即座にクビを切られるでしょう。

しかしながら国政レベルにおいては、このような
「気でも狂ったか」
と思われる行為が平然と行われ、最高裁もこれを変えようとはしません。

すなわち、国会議員を選ぶ選挙においては、投票価値が平等ではなく、鳥取県や島根県の方々は3票ほど与えられる反面、東京都民や神奈川県民には1票しか与えられない、という異常な状況が長年続いております。

このような
「『多数決』ならぬ『少数決』による、非民主的な国民代表選出制度」
の違憲無効性が最高裁で度々審理されていますが、
「素性も選任プロセスもよくわからない、民主的に選ばれたわけではない、頭が良くて、毛並みがいいだけの、個性に乏しい、地味な最高裁の15人の老人たちの思想・良心」
によればこのような制度による選挙結果も
「違憲とまでも言えん」
とされ、延々と投票価値の不平等が事実上容認され、放置され続けているのです。

小学生の学級委員の選出ですら許されない非民主的蛮行が、国政レベルで平然と行われ、かつ最高裁に聞いても
「別に問題ない。これがワシらの良心じゃ。黙ってしたがっておれ」
という態度が貫かれるのです。

無論、最近では、投票格差の問題を是正するため立ち上がった弁護士グループの尽力で、ようやく、この問題が改善される動きが芽生えつつあります。

しかしながら、気が遠くなるような時間と多大なエネルギーと莫大なコスト(関わっている弁護士は手弁当参加であり、実費等もカンパで賄われているようです)をかけ、耳が痛くなるほど連呼しないと、
「少数決ではなく、多数決こそが民主主義」
という、小学生でも理解できる単純な理屈を実現してくれない。

これが、
「法の番人」
の実体です。

刑事事件や重大な憲法問題ですら、
「上司もなく、やりたい放題」
が憲法で保障されているのをいいことにあり得ない異常を何十年単位で放置するわけですから、そこらへんの民事事件の扱いなど、推して知るべしです。

法律というと、
社会「科学」
と分類されてはいるものの、単なる制度や取決めに過ぎず、集団的自衛権の議論の迷走ぶりをみてもわかるとおり、立場や時代や解釈者によってどのようにも使われます。

その意味では、法律は、
「サイエンス」
ではなく、
「イデオロギー」
なのです。

しかも、
「イデオロギー」
たる法律を解釈運用するのは、
「上司もなく、やりたい放題」
が憲法で保障されている、いわば
「独裁者」
たる裁判官。

「真理探求に謙虚な姿勢の科学者が、サイエンスを扱う」
のとは180度異なる、
「独裁者がイデオロギーを、自由気ままに振りまわす」
というのが司法という権力の実体です。

以上のとおり、裁判所は、日本国における最高・最強の権力を保持しながら、誰の指図を受けることなく、自由気ままに、個性を発揮することが憲法によって保障されており、この点において、個性の発揮が極限まで否定される行政官僚とはまったく異なるのです。

裁判所という国家機関は実にオカタイ感じのところで、そこで働く裁判官も、公務員の中でも最も個性がなく、慎重で先例を墨守する連中と思われがちです。

しかしながら、実際は、裁判官は行政官とはまったく異質で、上司もおらず、個性は発揮し放題で、先例や慣習をときに大胆に無視することも辞さない、実にラディカルな権力機関なのです。

とはいえ、裁判官の活動のベースにあるのは、
「法律と証拠による紛争解決」
であり、自由や個性といっても、
「証拠、すなわち、文書がモノを言う世界」
での話であることには変わりません。

以上を総合しますと、裁判所あるいは裁判官という権力者の特徴は、

  • トラブルを法律と証拠により解決することが活動の基本
  • 法律や証拠がないのに騒いだところで、冷淡に扱われる
  • 一定の法律や証拠が整っており、これを前提として解釈が争われるような事件については、それなりに扱ってくれる
  • 「それなりに扱ってくれる」といっても、そこからが曲者
  • 裁判官は上司もおらず、細かい業務規範もないし、先例にすらしばられない。
  • 「法廷において、裁判官は、やりたい放題で、自由に個性を発揮していい」ということが憲法で保障されており、いってみれば法廷内では「裁判権」という国家権力を独裁的に振り回して暴れまくることができる

と要約されることになります。

ちなみに、このような
「三権分立制度の間に漂う権利や法律関係」
ですが、
知的財産関係(特許庁と裁判所)、
税務争訟関係(税務当局と裁判所)、
金融商品取引法事件(金融庁、証券取引所、証券取引等監視委員会と裁判所)、
独禁法事件(公正取引委員会と裁判所)
などなど、ビジネスと法律が交錯する多くの分野で、行政と司法の緊張関係が顔を出します。

無論、多くの場合、結論だけでみると司法判断と行政判断には一致がみられます。

しかしながら、つぶさに観察すると、権利や法律関係の扱い方やアングルが相当異なることがわかりますし、
「同じ日本の権力機関だから、一緒だ」
という安易な考えは早計といえます。

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初出:『筆鋒鋭利』No.081、「ポリスマガジン」誌、2014年5月号(2014年5月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.082、「ポリスマガジン」誌、2014年6月号(2014年6月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.083、「ポリスマガジン」誌、2014年7月号(2014年7月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.084、「ポリスマガジン」誌、2014年8月号(2014年8月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.085、「ポリスマガジン」誌、2014年9月号(2014年9月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.086、「ポリスマガジン」誌、2014年10月号(2014年10月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.087、「ポリスマガジン」誌、2014年11月号(2014年11月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00770_紛争・有事状況のゲーム環境たる裁判システムを理解する1:期待はずれの裁判所

期待はずれの裁判所

多くの人にとって裁判所は知識も経験もなく、
「どんな人がいて何をやっているのか、さっぱりわからない」
という存在ではないでしょうか。

われわれ弁護士は、裁判官登用試験と共通の試験(司法試験)に合格し、裁判官と同じメニューでの実務教育(最高裁判所管轄下の司法研修所で行われる司法修習)を一定期間(私の時代は2年間でしたが、現在の修習期間は1年強にまで短縮されています)受けております。

また、弁護士は、裁判所に常日ごろ出入りしており、
「どんな人が働いていて、何が行われて、どうやったらうまく使いこなせ、どういうことが御法度で、こういう主張や証拠を提出すると裁判所の理解を得られるが、こういう物言いだと裁判所の不興を被り『たたりならぬ敗訴判決』を食らうか」
ということをある程度理解しています。

ですので、弁護士は、依頼者や相談者が持ち込む法的トラブルについても、事実の経過や証拠の状況をみれば、
「こちらの言い分を裁判所が認めてくれるのか・認めてくれないのか、あるいは裁判所主導での和解の話になった場合どの線で折り合いをつけてくれるのか」
ということについてある程度予測が立てられます。

「法的トラブルに巻き込まれて、生まれて初めて訴状と裁判所への呼出状を受け取ってしまった人」
や、
「『長い間生きてきて、こんな不当でインチキな目に遭ったことはない。ここは一つ、裁判とやらを起こして、相手方を徹底的にギャフンと言わしてやろう』と息巻いている人」
などの
「裁判ビギナー」
の中には、裁判所に異常なまでの高い期待を持たれる方がいらっしゃいます。

そういうタイプの人たちは、事件終了後、勝った人も、負けた人も、話し合いで解決した人も、みなさん一様に、裁判所への失望を露わにします。

曰く、
「なんでこの程度の事実を認めるのにこんな時間がかかるんだ」
「なんだよ、和解しろ、和解しろって。こっちは、判決くれって言ってんのに。あの裁判官、判決書くのが面倒だから、サボろうとしてんじゃねえか」
「裁判官ってあんなに冷たい人間だとは知らなかったわ。血も涙もないエリートってああいう人のことをいうのね」
「裁判官は、もっと、世情に長けていて、人情がわかる、大岡越前守みたいな人間がなるのではないのか」
「まったく、杓子定規に建前ばかりいいやがって。そんなごたあ、端から承知だってんだ。それで、坪があかないから、裁判起こしたんじゃねえか」
「怒り心頭に発した! 日本の司法は腐ってる!」
「なんだよ。文書だ、法律だって。世の中、紙や法律だけで動いてんじゃねえぞ」
と。

裁判官は、神でも天使でもない、ただの公務員

よほど能天気な方や仕事のできない方は別として、多くの弁護士は、訴訟を提起したり、訴えられた事件を代理して受任するに際して、依頼者に対して
「裁判所は、物事を証拠と法律を通じてしか判断できない役所なので、証拠もなく、法律的にも分が悪い事案で、過大な期待をしても難しいですよ」
と事前に十分な説明をしているはずです。

もちろん、前述の
「裁判所に過大な期待を有する裁判ビギナー」
の方も、弁護士から事件の見通しについてそれなりの説明を受けているはずです。

ところが、
「裁判所に過大な期待をする裁判ビギナー」
の方は、テレビや小説で得た断片的な情報を自分に都合よく解釈し、
「証拠とか契約書とかそういうツマラナイものがなくとも、裁判官様は、神の如き明敏な知性を以て何から何までお見通しで、天使の如く弱者を助けてくれる」
という妄想を強くお持ちになってしまうようなのです。

すなわち、こういうタイプの方は、自分がトラブル回避措置を怠ったこと(よく読まずに契約書に押印したとか、付き合いの浅い人間に契約書もなくお金や財産を預けてしまったとか)を棚にあげ、
「証拠がなくて、法律的に不利なトラブルでも、裁判所に行ったら、ナントカなる。いや、裁判官様がナントカしてくれるはずだ!」
と安易に考えがちなのです。

問題解決の第一歩は事実の正確な認識ですが、
「裁判所に過大な期待をする裁判ビギナー」
の方は、空想と現実を区別できず、弁護士の話を聞かずにテレビの情報を信じ、
「裁判」
への勝手な期待を膨らませてしまい、期待が大きすぎた分、その反動で裁判所に大きな失望を感じてしまうようです。

裁判官が大岡越前守ばかりだと社会は大混乱

たしかに、平均的な裁判官は一見すると
「世情に疎く、人情の機微がわからず、テレビの時代劇で登場する大岡越前守忠武や遠山金四郎景元のように上からズバッと鮮やかな物言いで解決をするのではなく、何かにつけ文書や細かい法律や判例を持ち出し、ボソボソとつぶやきながら、玉虫色の和解を勧めたがる、地味でやる気のない、ダメな公務員の見本」
のような印象を受けます。

ですが、見方を変えますと、
「『独断と偏見に基づき形成された独自の正義感』や『赤貧家庭に対する強いシンパシー』や『高級官僚や企業経営者に対する個人的忌避感』を職務遂行に色濃く反映させ、法律とか証拠とかに頓着せず、当事者の言い分や意向をまったく無視し、ロクに時間をかけずに大上段にバッサバッサと事件を処理していく強権的裁判官」
というのも、それはそれで大変です。

例えば、
「きちん締結した金銭消費貸借契約書を根拠もなく『インチキ』と一蹴し、オフタイムを利用して一方当事者の家庭に上がりこんでそちらの苦労話だけ偏頗的に聴取し、無令状で素姓を隠して違法捜査の限りを尽くし、最後は刺青を見せて一方当事者を恫喝して、法的に有効な貸金債務の存在にかかわらず借金を反故にしてしまうような裁判官」
ばかりですと、不安定な投資環境を忌避して海外マネーが大挙して逃げ去り、日本の金融経済は一挙に崩壊します。

地味だろうが、ハッタリが利かなかろうが、愛嬌がなかろうが、そんなことはどうでもよく、「私情を挟まず、当事者の言い分をよく聞き、法律と証拠をつぶさに検討して、ゆっくり時間をかけ、お互いの納得による解決を探ってくれる、法律解釈を専門とするプロの公務員集団」
がいてくれるおかげで、われわれは、法律に守られ、社会生活を安心して営めるのです。

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00769_社外弁護士への外注スキル6:外注先業者たる弁護士の実体と生態(5)弁護士の競争調達と外注管理

外注管理部署として、外注管理部署でなければできない役割というものもあります。

外注一般と、外注管理一般について考えてみましょう。

例えば、ニーズの把握や、ニーズの具体化、予算や納期の策定、発注仕様の確定・特定と、発注先の選定、それに発注後の完成・納品・検収までのフォローアップ、発注トラブルが生じた場合(予算の超過、品質割れ、納期割)における対応(クレームを言うなど、受注先とのケンカ)は、重要な外注管理実務であり、外注管理部署しかできない、極めて価値ある、積極的役割のある業務です。

以上は、通常の外注管理や下請管理で生じることですが、法務サービスの外注でもまったく同じことです。

・弁護士は、どこに頼んでも同じ、
・弁護士が提供するサービスは、価格交渉が働かないし、言われるがまま払うほかない、
・弁護士が提供するサービスは、常にかつ当然に、完全かつ完璧で、特に、管理しなくても、納期内に、スペックを満たす品質のものが提供されるはずだ、
・というより、そもそも弁護士が提供するサービスには、スペックやコストといった仕様に関する自由度はなく、弁護士が提供した最終成果物が、求められる仕様であり、クライアント「風情」が、「このコストでこの仕様で」などという素人意見をいうなどといったおこがましいことを言うべきではない、

という誤解があるかもしれませんが、たしかに、もしそうなら、
外注「管理」
という概念自体が成立しません。

弁護士は資格されあれば誰でもよく、サービス調達に際して選定等をする必要なく、適当に選定したバッジを付けている弁護士に適当に丸投げして頼んでおけば、正しいコストで、正しい品質のものが、正しい納期で納品されるので、
「観念の余地がなく、そもそも成立しえない外注管理サービス」
を担うセクションとしての法務部は、単なる間抜けな穀潰し、ということになります。

しかし、きちんとした法務部を整え、法務安全保障サービス調達を合理化する先端企業においては、

・弁護士サービスには、レベル差や能力差や価格差が歴然と存在し、選択が介入する余地が広汎に存在する、
・弁護士が提供するサービスは、価格交渉をすべきであり、言われるがまま払っていると、経済合理性を喪失する、
・弁護士が提供するサービスは、常にかつ当然に、完全かつ完璧というわけじゃない。「自分が弁護士でもなく、自分では弁護士サービスを提供できなくとも、弁護士のサービスのことがわかる」という程度の知識やセンスがある法務の人間として、きちんと外注管理(納期管理、品質管理、予算管理、使い勝手管理)をしてはじめて、納期内に、予算範囲内で、正しいスペックを満たす品質のものが提供されるが、管理をしないと、調達に失敗する、
・というより、そもそも弁護士が提供するサービス自体、スペックやコストといった仕様は広汎な選択と自由があり、きちんと予算や仕様や納期を確定し、発注者として責任をもって「このコストでこの仕様でこの納期で」と厳しく伝えておかないと、調達が達成されない

という前提認識の下、法務部が、社内外注管理部署として、しっかりとその役割を認識し、価値ある社内サービスとしての、外注管理活動を展開しています。

このように、

・予算策定や遂行能力や受注品質を明確に定義した上での競争調達(あるいは、この要件定義のために別途経験ある弁護士等の意見を採取する)
・調達後も予算管理、期限管理(納期管理)、品質管理、使い勝手や目的合理性の管理、ゲームチェンジや追加要求事項が生じた場合の修正管理等の外注管理を働かせる

ということが法務部ないし法務担当者の役割として重要性をもちます。

弁護士も完全ではありませんし、ミスやエラーや漏れ抜けやチョンボをやらかすこともゼロではありません。

すなわち、外注先たる弁護士にも機能限界があるので、外注管理をさらにストレステストを加えた、外注危機管理も想定しておくことが必要となります。

顧問弁護士等の継続的な関係を保っている外注先があったとしても、費用の問題や、能力の問題や、繁閑調整ができない、といった事情で、外注需要に対応できないこともあり得ます。

この場合、外注危機管理として、

代替性:その外注先以外に外注できる外注先を保持して接点を保っておく
繁閑性:繁閑状況を知っておき、発注量などを制御する

という発想をもっておくことが必要です。

いずれにせよ、外注先を
「任せれば安心」
と慢心せず、緊張感をもって関係構築すべきです。

すなわち、常に、繁閑性や品質や対応力の限界がありうることを想定し、代替候補のリストアップと関係構築も視野に入れた準備を怠らないようにしたいものです。

弁護士の実務そのものは内製化できないしマネもできないにしても、弁護士の実体や生態を含めよくスタディしておくことは重要です。

良好で健全な関係は、お互いを信頼し合うことではなく、相手をトコトン信頼しないことで、構築されます。

任せっぱなしではなく、必要に応じて、全体のつなぎ合わせ(編集と統合)による最適化まで手をつっこんで参画したり、 うまくいかない場合、外注先担当者にプレッシャーをかけたり、担当者の上司や上層部にクレームを申し述べたりすることも必要ですし、さらに言えば、どこをどう改善するべきかまで課題特定し、改善のための代替プランを提案するつもりで、後見的に対処する。

外注管理部署たる法務部はそこまでのフォローが必要になります。

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00768_社外弁護士への外注スキル5:外注先業者たる弁護士の実体と生態(4)弁護士を上手に使いこなすコツ

1 「道具」としての弁護士

弁護士は、別に人間的に素晴らしいわけではなく、ただの事務屋であり、一般の人に比べてエラいわけでもありません。

言ってしまえば、弁護士は、自分の権利やワガママを通したり、トラブルに遭遇しないための方策を提供する
「道具」
に過ぎません。

道具をうまく使いこなすためには、その道具の特性やクセをよく知る必要がありますが、弁護士は、数が少なく、その生態は謎に満ちており、特性把握が困難といえます。

2 弁護士の特性

多くの弁護士が、おそろしく時間貧乏で、合理主義社・能率優先主義者であることを知っておく必要があります。

したがって、準備も資料もなく弁護士を訪問し
「ゆっくりと時間をかけてこちらの話を聞いてもらおう」
というスタンスで臨んでも、経緯を説明するだけですぐに相談時間が終わってしまい、解決の糸口がつかめないまま何度も足を運ぶことになりかねません。

無論、そういう無駄な時間が発生しても相談料は取られますし、
「話がトロい依頼者」
にしびれを切らし、弁護士サイドで課題を一方的にまとめられ、本当に聞きたいものとはまったく違った助言を与えられる場合も出てきます。

3 弁護士を使いこなすには準備が重要

「せっかちで無駄が嫌い」
な弁護士を使いこなすには、使う側において、それなりの準備が求められることになります。

それなりの準備といっても大したことではありません。

法律相談に限らず、事情を知らない第三者に相談を持ちかける場合、まず自分の置かれた状況や聞きたいことを正確に伝えなければならないのは当たり前です。

とはいえ、
「当たり前のことができない方」
が極めて多く、このことが弁護士の使い方の失敗につながっているようです。

4 平均的日本人はコミュニケーション無能力

「事実関係をきちんと伝える」
といえば簡単そうに聞こえますが、実は、平均的日本人は、コミュニケーション能力一般が致命的に欠如しており、
「事情の知らない第三者に、自分の置かれた状況を客観的に伝える」
ということが恐ろしく下手だったりします。

よく
「日本人は英語が下手」
などと言われますが、これは発音とか抑揚とか語順とかの問題ではありません。

日本人の英語下手は、このようなリタラシー一般の低さに由来するのであり、
「日本人のコミュニケーション下手」

「英語下手」
につながっているのです。

ですので、
「自分の置かれた状況を手際よく伝える」
ことを甘く考えてはならず、それなりの時間をかけて準備をすることが重要となります。

5 5W1Hに基づき客観的事実を正確に伝える

法律相談の場面では、
「とにかく相手はひどいんだ」
とか、
「今まで業界はこれでやってきたのでいきなり行政がこういうことを言ってくるのは不当だ」
とか主観的な意見ばかり述べられる方がいらっしゃいます。

「相手が何時、どこで、何を、どのようにしたことが、何法に違反するのか」
「法令の状況はどうなっていて、業界の慣行がどの法令にどの程度違反しており、行政はどういう是正を求めてきているのか」
を客観的に把握しないと、相談される側は解決の糸口さえつかめません。

弁護士を使い慣れている人は、
1)関係する事実を、5W1Hに整理して、主観を交えず伝え、
2)証拠となるべき関係資料を事前に整理して持参する、
といったことを励行されています。

また、相談の概要を事前にファックスとか電子メールで伝えると、弁護士も、予め下調べをして打ち合わせに臨めますので、非常に効果的です。

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00767_社外弁護士への外注スキル4:外注先業者たる弁護士の実体と生態(3)弁護士の実態把握と能力検証

1 弁護士の能力格差

プロの野球選手にも、メジャーリーガーとシングルAのマイナーリーガーがいるように、弁護士にも明らかな能力差が存在します。

無論、弁護士は皆難関試験を突破してきた秀才ですし、少なくとも合格時点において、世間一般の方々より法律知識はあり、偏差値が高かったことは事実です。

しかし、その後、

・勉強なり研究なりを積んできたかのか、それとも弁護士という資格の上に胡座をかいて遊び呆けていたか
・目まぐるしく変わる法改正や新法にきちんと対応すべく情報を整理・収集してきたか、合格した当時の知識に依拠して適当な仕事をしてきたか
・よき環境の下チャレンジングな仕事を行ってきたのか、十年一日が如く定型作業を続けてきたのか

などの要因によって、3年も経てば弁護士の能力には顕著な差が出てくるようになります。

2 実はお気楽な弁護士ライフ

一般に、弁護士というと、
「しかめ面して難しい本を読んで、世を憂いて、政治や社会に一家言を持ったインテリゲンチャ」
といったイメージをお持ちかもしれませんが、実際には、そういう人はあまり多くありません。

「会社法改正はまったくわからず、金融商品取引法や独禁法などはすでに理解することをあきらめ、判例雑誌は読まず、購入する本はマニュアルばかり。裁判手続でわからなければロクに調べもせず裁判所に電話して聞き、日が落ちたら銀座に飲みに行き」
というお気楽な生活をされている方も相当いらっしゃいます。

最近は、弁護士の数が増え、競争が激しくなってきましたし、法律が目まぐるしく変わるようになってきたこともあり、この種のお気楽派弁護士の数が減ってはきたものの、他の業種に比べると、まだまだ業界内にお気楽派が生息できるだけの余裕があるといえます。

3 優秀でない弁護士の特徴

優秀でない弁護士を端的に形容するならば、
「お人好し」
「楽観的」
「物事を安易に考える」
「脇が甘い」
ということに尽きます。

優秀でない弁護士は、
「客観的状況」
の深刻さを分析することなく、
「こうあるべき」
「こうだろう」
「こうなるはず」
などを連発し、依頼者を無責任に鼓舞して、無闇に期待値を高めます。

そして、こういう方は、
「ゴールをあいまいにしたまま、依頼者の意図を実現するための法的環境を無視して、とりあえず手続に着手し、様子をみようか」
などという無責任・無定見なことを平気でやります。

こんな仕事をしていてうまくいくはずがなく、無残に失敗し、最後に依頼者に迷惑をかけてしまいます。

4 たのもしい弁護士は優秀か

「たのもしそうな」
弁護士というのもクセモノです。

相談の席で
「勝てます」
「その権利は認められてしかるべき」
などと自信をもって語る弁護士は、たいそうたのもしく見えます。

ですが、その種のことを言うのは、単に弁護士が事件遂行上の課題を理解していないことによることが多く、
「たのもしそうに見える弁護士」
は、紛争経験値の欠如による、根拠なき自信を有しているだけ、ということがあります。

実際、着手前に
「これは勝てるし、勝つべき事案だ」
「私に任せれば大丈夫」
などという無責任なことを平気で言っていた弁護士が、慢心から想定すべき事態を考慮せず、前提が次々と崩れる中、挙げ句の果てに依頼者から
「着手金泥棒」
呼ばわりされる、といったこともよくあるそうです。

5 優秀な弁護士

では、優秀な弁護士とはどんな弁護士なのでしょうか。

優秀な弁護士に共通する要素として、悲観主義者で、小心者で、猜疑心の固まり、といったものが挙げられます。

優秀な弁護士ほど、ゴールを明確にすることを重要視します。

クライアントの目指すゴールがあいまいな場合、ゴールが明らかになるまで徹底した議論を行ないますし、複数のゴールが存在する場合、価値の優劣を見極め、状況に応じて、死守するゴールと放棄するゴールを整然と区別します。

例えば、契約交渉を行う場合、特定の条件を貫徹するのか、条件に固執せず合意自体を優先するのか、合意を優先するとした場合どこまでの譲歩であればリスクとして許容するのか、等をゴールとして明確に把握しておくのです。

以上のようなことを事前に明らかにしておかないと、目まぐるしく変遷する契約交渉過程において、契約条件の維持・放棄の判断が即座にできず、結果として、合意形成ができなくなったり、結果的に不利な合意をしてしまうことになりかねません。

優秀な弁護士は、置かれた状況を整理し、きちんと設定したゴール達成する上でのあらゆる法的障害を想定し、法的障害を効率的に克服するための合理的戦略を策定し、戦術的困難を克服しながら、堅実に所定の成果を出すのです。

以上みてきたとおり、弁護士を選ぶなら、
「明るい方」
「たのもしい方」
よりも、
「あらゆる不測の事態を想定し、緻密で地味な作業を要領よく実践できる慎重居士」
の方が優秀である可能性が高い、ということがいえると思います。

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00766_社外弁護士への外注スキル3:外注先業者たる弁護士の実体と生態(2)弁護士に専門分野があるのか?

よく、
「医者の世界では、内科医、小児科医、眼科医、産婦人科医、外科医のように、専門ごとに別れていますが、弁護士の世界でも専門とかあるのですか?」
と聞かれることがあります。

この質問の答えとしては、極少数の例外を除き、ノーです。

弁護士の場合、ほとんどの実務分野において、顕著な専門的分化は見られません。

「昨日は不動産訴訟で証人尋問。今日の午前中は遺言の相談を受け、午後は顧問先企業に出向いて株主総会の指導。明日は破産事件の債権者集会」
のように、複数の分野を並行してこなす日々を送る弁護士さんが圧倒的多数を占めますし、複数の専門を掛け持ちしたことによって大きなミスが発生することもありません。

医師の場合、特定の専門分野を業務として開拓・実践しようとすると、その分野の知見の獲得だけでは不十分です。

専門の施術を実施するために高額の医療機器を購入し、機器の取扱になれたスタッフを揃える場合等もあり、専門分野を1つ増やすということは、膨大な初期投資が必要になることを意味します。

そして、この初期投資を回収するためには、投資にかかる専門分野のPRや当該専門分野にフォーカスした増患対策等を徹底して行わなければならず、個人あるいは小規模法人の開業医が複数の専門分野を並行して遂行するのはおよそ不可能です。

ところが、弁護士の場合、特定分野の業務の遂行にあたっては、専門書を数冊買うほかは高額の機器など必要なく、業務処理に使う基本ロジックも分野ごとにかけ離れたものでもなく、特定の業務のため特定のスタッフを雇い入れなければならないということもありません。

無論、ごく一部の業務に関しては、専門化が進んでいることは事実です。

例えば、国際法務の場合ですと、本を何冊か買ってきて勉強すれば業務ができるというものではなく、海外留学するなどして2、3年程度集中して勉強し、現地での実務経験もそれなりに必要となります。

しかし、ほとんどの弁護士業務において、前述のとおり、
「専門分野」
というほどの
「専門分野」
はありません。

税理士さんが、八百屋さんの税務も、魚屋さんの税務も、本屋さんの税務も、お医者さんの税務も同時に取扱えるように、弁護士が複数の法分野を業務として取り扱うことはそれほど大変なことではないのです。

弁護士の中には、
「私は○○法の専門」
ということを声高に自称する方もいらっしゃるようですが、これは依頼者ないし取扱事件が偏っているというくらいの意味で、
「その弁護士に依頼しなければ、絶対勝訴できない」
ということではありません。

現に、私も、かつて
「私は知的財産権の専門家」
「私は医療訴訟のプロ」
と称する弁護士を相手とした2件の訴訟の判決を得ましたが、両方とも問題なく勝訴しましたし、
「特定専門分野の弁護士」
を自称する方が
「手強かった」
とか
「やりにくかった」
とかいうことは一切ありませんでした。

むしろ、

ということも考えれば、あまり専門とか得意とか強いとかいう幼稚な言い方をする弁護士は、単に課題の本質をわかっていないか、誤解しており、また、謙虚さや慎重さや想定や展開予測やストレステストにおいて総じて疎漏がみられ、依頼することを再検討した方がいいのかもしれません。

弁護士を選ぶ際は、
「依頼者や仕事の偏り」
という意味での
「専門性」
ではなく、個々の弁護士の仕事の姿勢や総合的能力やキャラクター、特に仕事を協同していく上での相性に着目した方がいいと思われます。

なお、企業法務について、弁護士がどのくらい知見をもっているか、という点については、現在の司法研修所教育は
「マチベンスキル」
に特化した実務教育となっており、司法研修所を卒業したというだけでは、マチベンとしての法的三段論法はさておき、企業法務で用いる法的三論法の、大前提としての法規も、小前提としてのビジネスや企業活動の実情も十分とはいえません

その意味では、司法試験に合格し、司法研修所教育を受け、これを卒業した弁護士であれば、企業法務について、すべて問題なくこなせる、とは言い難いと考えられます。

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00765_社外弁護士への外注スキル2:外注先業者たる弁護士の実体と生態(1)弁護士バッジをもらうまで

一昔前の世間一般の弁護士の印象というと、
「なんだか理屈っぽくて、とっつきにくく、そもそも滅多にお目にかかれない存在。たまにお目にかかるときはというと、トラブルにあったときで、できれば一生お目にかかりたくない存在」
といったもので、一種の疫病神のようなイメージだったのではないでしょうか。

ところが、現在では、お茶の間をわかすくらい話が上手で、それなりに自己演出ができ、
「親しみやすいタレント」
としてテレビのバラエティ番組にレギュラー出演する弁護士が登場するなど、この20年くらいで弁護士のイメージもずいぶん変わってきたと思います。

とはいえ、いまだ
「弁護士さんって、一体どんなことができて、どんなことをやってくれるのかさっぱりわからないし、どんな風に使いこなせばいいのか?」
という疑問をお持ちの方は少なくないと思われます。

そもそも弁護士とは、どんなキャリア、どんな能力をもった人がなるのでしょうか。

実は、弁護士という資格を得るための制度が、21世紀に入ってから大きく変わってきましたので、以前の仕組と現在の仕組を併せて説明します。

1 旧司法試験

以前は、

  • 学歴不問、性別不問、人種不問
  • 誰でも、何回でも参加できる、年に1回のガチンコ勝負
  • 最終合格率2%前後、合格者平均年齢30歳

という、
「20世紀の科挙」
とさえ評される、世界でも類を見ない難関の試験(旧司法試験)を突破することが弁護士になるための第1の条件でした。

(旧)司法試験に合格すると、その後2年間(その後1年半に短縮)、最高裁所属の準公務員としての身分(司法修習生)を与えられ、司法研修所や全国各地の裁判所・検察庁での研修を積むことになります。

司法修習生とは、要するに、防衛大学校の生徒と同じく、給料をもらって勉強できるという恵まれた身分なのです。

司法研修所を卒業に際しては、考試(通称「二回試験」)という最終試験があり、これにパスすれば、各地の弁護士会への入会を経て、弁護士バッジを手にすることができます。

現在弁護士と言われる人間の圧倒的多数は、このような(旧)司法試験を合格してきた人々です。

そこそこ年季の入った弁護士さんに会ったら、
「先生の頃は司法試験ってすごく難しかったんですよね」
なんてお世辞を言うと、たいていの弁護士さんは、自尊心が多いにくすぐられ、ニコニコしてくれると思います。

2 新司法試験

ところが、5年ほど前から、
「弁護士の数が足りないので急いで増員すべきだ」
との声が上がり、ロースクール(法科大学院)制度が導入されました。

この新制度の下では、

1)原則として2年ないし3年の法科大学院教育を受けた者に受験資格を限定(例外的に、法科大学院卒業資格試験とも言える司法試験予備試験に合格すれば法科大学院を経由しなくとも新司法試験に受験できます)

2)合格率2~30%程度の試験(新司法試験)

を受ければいいことになりました。

そして、(新)司法試験合格後1年少々の司法研修を経て、弁護士資格が与えられるようになりました。

当初、旧司法試験を合格した弁護士さんたちは
「こんな簡単な試験を合格したような連中はどうせ能力がないし、ウチでは雇わない。仮に雇っても安い給料しか払わないよ」
という対応をし始めておりましたが、最近は、弁護士全体が景気が悪く、
「雇いたいが、そんな余裕もない」
といった対応で、いずせにせよ、弁護士の就職難傾向が続いています(こういう背景もあり、社内弁護士として企業に就職する弁護士も増加しています)。

とはいえ、弁護士バッジをもらうまでに、基本的な法律知識(憲法、民法、刑法、会社法等)と法律上の権利を実現するための手続に関する知識(訴訟法)、そしてこれら知識を現場でどのように生かすか、ということを教育され、それなりの試験にパスすることが求められることは事実です。

なお、実際問題として、弁護士バッジをつけたばかりの新人弁護士が、独力で依頼者の満足を達成するだけのサービスを提供するということは、ほぼ不可能で、経験を積んだ弁護士のところで勤務し、実践の中で経験値を蓄積する形で一人前になっていきます。

運営管理コード:HLMGZ1-1

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00764_社外弁護士への外注スキル1:法務担当者の外注スキルの意義・重要性

法務部の仕事は、すべて自力でやり遂げるものではありません。

自力でやり遂げることを期待されていない領域や、自力でやり遂げようとして失敗したら会社に迷惑や損害を及ぼすので、自力でやり遂げてはならない領域、というものもあります。

前提として、企業に生じる法務サービス(法務安全保障や事件・事案処理に関する専門サービス)について、内製処理すべきものと、外注処理するものの区分けについて、明確な基準原理を確立しておくべき必要があります。

外注すべき法務サービス(法務安全保障や事件・事案処理に関する専門サービス)とは、

1 高度に専門的なことやプロに任せないと結果の責任について負担できないこと
2 内製処理によって自分たちでできなくはないが、過剰な資源動員が必要で習熟しても意味がないこと

です。

外注すべきものは外注し、その上で、法務部にしかできないことに注力することこそが、法務部に求められる役割です。

例えば、
・業務の全体像を把握し、社内との連関性を保つことや、
・弁護士の難解な言語を、意味翻訳して、経営陣に、ジャッジできるようになるまで咀嚼し、伝えること
は、社外の弁護士にはうまくできない事柄で、かつ法務部であればもっとも効果的に達成できる価値あるタスクです。

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00763_企業法務リスク発見(抽出)・特定の手法5:リスクや課題の発見・特定するための具体的なスキルの実装

リスクや課題の発見・特定するための具体的なスキルを実装するには、

・まず、所属企業(自社)の事業活動の全容の把握と理解
・所属企業における事業活動と法令体系との整理・統合
・所属企業の事業活動に対応した「法令違反リスク」についてイシュー・スポッティング・ツール(リスク・ハザードマップ)の作成
・“法律”に基づく経営ではなく、“常識”に基づく経営を志向(「常識とは、社会人になるまでに身につけた偏見のコレクションである」)から脱する
・法律は、常識とは無関係に、特に、経済人・企業人のバイアスの塊である「経済常識」 「経営常識」とむしろ対立する形で作られ、遵守を強制される、ということを理解する
・「自分の常識なり感覚なりを信じる経営」「迷ったら、横をみて(同業者の常識と平仄をあわせる)、後ろを振り返る(これまでやってきたことを踏襲すれば大丈夫と楽観バイアスに依拠する)経営」が一番危険であることを理解する
・「危険を感じられない。というか、そもそも不安にすら感じない」という事態の危険性に陥りがちな自分や周囲を戒める
・法令違反リスクで、危険を感じる場面というのは、「崖から落ちて、海に着水する直前(=すなわち手遅れ)」の状態であるが、たいていの経営陣の危機感受性、このようなもの。早めに、刺さるようなプレゼンで、危険を正しく伝える

といったことが推奨されます。

そして、発見・特定されたリスクを経営幹部へ啓発する場合も、相応のマナーがあります。

特に、レポート等文書で報告する場合、きちんとリスクが伝わるようにすべき必要があります。

知的専門分野に関する文書は、3つに大別されます。

すなわち
「データ」

「リタラシー」

「ストーリー」
です。

条文や法律や漢字がやたらめったら多い分厚い法律書は、データであってコンテンツではありません。

コンテンツとは、リタラシーを改善・向上させるような本質的なことが書いてあったり、リタラシーを用いて状況が改善するプロセスを描いたストーリーの、いずれかです。

やたらとデータに詳しいからといって、その人間が、リタラシーに長け、ストーリーを語れるか、というと、そうとは限りません。

むしろ、データばかりマニアックに追いかけている人間は、教養がなく、リタラシーが欠如し、ストーリーを描けない可能性があります。

そして、役員に、法律に関する経営課題を提議する際、データを羅列しても辟易されるだけとなります。 

彼らには、リタラシーとストーリーを語るべきであり、それが、
「刺さる」プレゼンの
極意です。  

開成中学を受験する小学校6年生が、
「なるほど」
「そうやらいいのか」
と感心して食いつくかような内容・本質が語られているか、どうか、がメルクマールです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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