01562_ウソをついて何が悪い(12)_ ホリエモンとムラカミさんその5_粉飾(ウソつき)とインサイダー(ズルして儲ける)、どっちが凶悪?

「資本市場に関する罪」
の代表的なものといえば、
ホリエモンが行った「粉飾決算」

村上氏が行った「インサイダー取引」
が挙げられます。

かつての
「ウソあり、インチキあり、ルールなしの無法地帯」
といった趣の資本市場であれば、ホリエモンの行った粉飾決算、すなわち、決算に関するウソつき行為もそれほど厳しく処罰されることはなかったと思われます。

むしろ、
「ズルをして巨額な儲けを手にした村上氏の行為」
の方が、一般の投資家の処罰感情を煽る可能性が高かった、ともいえます。

しかしながら、時代は移り、資本市場は、電気、上下水道、鉄道、道路と肩を並べる、れっきとした
“公共インフラ”
に様変わりしました。

資本市場を上水道になぞらえると、ホリエモンの行った粉飾決算を公表する行為は
「上水道に毒を流し込む行為」
ですが、他方、村上氏の行為は
「こっそりと自宅に配管を引き、水を盗む行為」
と同様に考えられます。

インサイダー取引、すなわち、水を盗む行為は、盗んだ水やそれにより得た利益を吐き出させれば(インサイダー取引に対する課徴金や罰金がこれに該当します)済む話です。

他方、粉飾決算を含む虚偽の会計報告を行う行為、すなわち、上水道に毒を投げ込む行為は、不可逆的に公共インフラを毀損する行為であり、
「カネを払ったり、謝ったりして済む」レベル
の話ではありません。

こういう背景があり、村上氏は罰金刑はしっかり課せられたものの執行猶予で済み、刑務所行きを免れたにもかかわらず、
「ウソつき行為」
をしたにすぎないホリエモンが刑務所に放り込まれた、という帰結になって現れたのではないか、というのが私の勝手な推測です。

以上みてきましたとおり、
「社会においても、法律においても、裁判所での取扱においても、日本は、全般的にウソに寛容である」
ということがいえますし、
「ウソも方便」
の諺のとおり、ウソが社会の潤滑油として機能している現実は無視できません。

とはいえ、ホリエモンが牢屋に放り込まれたように、
「資本市場に対するウソ」
など、ときに、厳罰に処されるウソがないわけではありません。

したがって、
「この種の“絶対ついちゃいけないウソ”をきちんと踏まえつつ、『社会にはウソが蔓延している』という現実を踏まえながら、小さなウソにいちいち目くじら立てず、また、ときにこちらもこの“方便”をうまく活用しながら、虚実・清濁をゴクンと飲み込むこと」
が、
「ウソに寛容なニッポンにおいて、社会生活を円満に送っていくためのコツ」
ということになりますでしょうか。

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01561_ウソをついて何が悪い(11)_ ホリエモンとムラカミさんその4_日本の株式市場の今昔物語

前稿では、
「なぜ、ウソをついたホリエモンが実刑判決を食らい、ズルをして巨額の儲けを手中にした村上氏が執行猶予判決にとどまったのか?」
という問題提起をいたしましたが、この解明を行なってみたいと思います。

ホリエモンがやったことは、確かに
「(ちょっと)ウソをついた行為」
でした。

ところが、このホリエモンがついた
「ウソ」
というのが、
「ウソに寛容な日本社会においても、絶対許されないウソ」
であり、
「インサイダー取引とは比較にならない凶悪な罪で社会に回復不能な損害を与えた」
と考えられていたため、ホリエモンはムショ暮らしをさせられることになったと考えられます。

ホリエモンの行った粉飾決算行為の凶悪性を説き起こすには、日本の株式市場の歴史を紐解く必要がある関係で、以下、歴史のお話(といってもわずか30年とか40年そこそこの話です)をさせていただくことになります。

前世紀、すなわち1980年代、1990年代においては、日本の資本市場は、およそ未整備といっていい状況で、ウソやインチキが横行し、また、そのことは投資家や市場関係者から事実上容認されていました。

バブル期に膨れ上がった所有不動産の含み益を一切開示しない企業がいる反面、現在世間を騒がしているオリンパスのように損失を糊塗する企業もありました。

しかし、株式市場に出回る情報に正確性・信頼性を求めるのはどだい無理な話であり、その種の情報開示を求めること自体、無駄でした。

上場企業は自分たちの正しい決算内容を真面目に開示しようとしませんでしたし、他方、投資家サイドで、上場企業の決算内容やこれに基づく各種指標(PER、PBR等)を気にかける者はほとんどおりませんでした。

当時の投資家たちは、証券会社が勝手に指定する推奨銘柄や証券会社の営業マンのセールストークに依拠して取引し、
「上がった」「下がった」
と一喜一憂していました。

当時の日本の株式市場は、ある意味、プリミティブというか、牧歌的なマーケットだったのです。

ここで転機が訪れます。

1989年にベルリンの壁が崩壊しました。

これを契機に、東西に分かれていた世界が1つになり、20世紀末から21世紀にかけて、世界に単一の巨大市場ができ上がっていきました。

この、新たに誕生した
「グローバルマーケット」
においては、ヒト・モノに加え、カネも国境を飛び越えるように、これらの財は、自由に、かつ激しく、世界中を行き交うようになります。

そして、当然ながら、世界のカネは、GDP世界2位(当時)の日本の資本市場にも向かうようになったのです。

ところが、日本の資本市場は、前述のように、
「未整備のブラックマーケット(あくまでグローバルマーケットからみれば、という話ですが)」
のような状況でした。

すなわち、当時の日本の資本市場のままであれば、海外のカネは怖くて近寄れませんし、世界経済全体の健全な発展という意味でも好ましいことではありません。

そこで、21世紀に入るあたりから、日本の資本市場の基盤整備が急激に進められることになったのです。

要するに、日本の資本市場は、
「無法者が出入りする、ギリ札やイカサマが横行する、特殊な賭場」
から
「素人や海外の方も含めて、皆が安心して使える公共インフラ」
に脱皮することを目指し始めたのです(というより、世界のマーケットから、「早く、まともなマーケットを整備しなさい」と、強制的に命じられたのです)。

当時、銀行や証券の規制権限は大蔵省(現財務省)が掌握していました。

ところが、ここで、
「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」
というものが起こります。

ノーパンしゃぶしゃぶ事件とは、大蔵省接待汚職事件のことですが、
「当該接待が行われた特殊な飲食店の名称」
がそのまま事件名になったものです。

以下、事件の詳細を紹介します。

1997年の第一勧業銀行(現在は、合併によりみずほ銀行となっています)への利益供与事件において、
「大蔵省が同銀行検査で手心を加えた」
との疑惑が生じ、東京地検特捜部は捜査に着手しました。

そうしたところ、都市銀行、長期信用銀行、大手証券会社などから得た業務日誌や接待伝票の証拠で、多数の大蔵官僚が、当時、流行していた
「ノーパンしゃぶしゃぶ」
と呼ばれる特異な形態の飲食店で接待を受けていたことを把握しました(「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは、上半身シースルーの衣装やトップレス姿で、かつ下着をはかない女性店員が、接客をするしゃぶしゃぶ店のことを指します。床を鏡張りにして、高いところにアルコール類を置くことで、女性店員がそれらを取ろうとして立ち上がることで、来店客が女性の下半身を覗きやすくするような仕掛けもしていた店もあったようです)。

その後、官僚7人(大蔵官僚4人、大蔵省出身の証券取引等監視委員会関係者1人、日本銀行行員1人、大蔵省OB1人)が逮捕・起訴される事件に発展し、起訴された官僚7人全員、有罪判決(執行猶予付き)が確定しました。

また、大蔵省は民間金融機関に関する内部調査の結果を公表(1998年4月27日付)し、銀行局審議官の停職処分、証券局長らの減給処分等、計112人(停職1人・減給17人・戒告14人、訓告22人、文書厳重注意33人、口頭厳重注意25人)に対する処分を行いました。

この問題の発生が契機となり、大蔵省から銀行や証券の規制権限が取り上げられ、同省銀行局及び証券局は
「金融庁(当初は、金融監督庁)」
という内閣府配下の独立の行政機関に変わったのです。

また、アメリカの横槍で仕方なく適当につくっただけで放置されていた証券取引等監視委員会(SESC)も人員・予算ともが大幅に増強されました。

この金融庁・SESCの両官庁が主体となって、資本市場の整備(といいますか正常化)が急速に進められました。

そして、2005年あたりには、日本の資本市場のキャラクターは、
「無法者が出入りする、ギリ札やイカサマが横行する、特殊な賭場」
から
「素人や海外の方も含めて、皆が安心して使える公共インフラ」
へと様変わりしていったのです。

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01560_ウソをついて何が悪い(10)_ ホリエモンとムラカミさんその3_「ウソをついたホリエモン」と、「ズルをして儲けたムラカミさん」の最終処遇の差

強烈な個性を露出させ、挑発的な言動を繰り返し、それまでの産業界が思いもつかなかった“あざとい”手法で事業を急成長させ、時代の寵児となったホリエモンと村上氏ですが、同じ頃に逮捕・起訴され、有罪判決を受ける、という結末を迎えました。

憎まれ口をたたき続けた、憎まれ役だった2人ですが、
「憎まれっ子、世に憚る」
という諺のようにはいかず、司法の手によって断罪されてしまいました。

「巧言令色、鮮なし仁」
ともいいますので、私個人としては、
「“本音を腹蔵なく言えるような希有な方のちょっとした心得違いを、よってたかって、不必要なまでに袋叩きにする”といった日本社会のあり方」
にはやや否定的であり、
「皆が、言いたいことを、言いたいように言えるようにしていくべき」
とも思うのです。

とはいえ、
「ヤンチャが過ぎた」
といわれればその通りですし、
「普段から社会を敵に回る言動を果敢に行うなら、この種の落とし穴には、もっと警戒すべきだった」
ともいえます。

ところで、同じく
「有罪判決を受けた」
とは言え、
「ホリエモンは実刑判決を受けて刑務所に収監され“臭い飯を食う”羽目に陥りました」
が、反面、
「村上氏は執行猶予判決にとどまってシャバでの生活が許される」
こととなり、最終的な処遇に関しては天と地ほどの差が生じました。

社会に衝撃を与えた大事件を惹き起こしながら、2人の最終的な刑罰が、なぜこのように違うことになったのでしょうか?

同じ
「東大卒」
とはいえ、
「東大文一(文科一類 )・法学部卒のムラカミさん」
は裁判官の覚えめでたく、
「東大ブンゾー(文三・文科三類)・文学部中退のホリエモン」
は不出来で、不真面目と思われて、裁判官の忌避を買ったのでしょうか?

あるいは、ベンチャー上がりのホリエモンと違い、村上氏は元経済産業省勤務の官僚で、相当期間国に奉仕した、ということが評価されたのでしょうか?

それとも、村上氏がいつもスーツとネクタイを着用し紳士然としていたのに比べ、ホリエモンがいつもTシャツにジーパン姿だったので、
「堅物の裁判官」
の印象が悪かったからでしょうか?

ここで、両事件を整理してみます。

ごく簡単にいえば、ホリエモンが犯した罪は
「ウソをついたこと」
であり、村上氏が犯した罪は
「ズルをして儲けたこと」
と整理されます。

これまでの本連載で述べてきたリテラシーを前提とすれば、日本の社会において
「ウソをついたこと」
は大したことではなく、むしろ、
「ズルをして、自分だけ巨額の儲けを得たこと」
の方が、悪質性が高いような気がします。

そして、この理を敷衍(ふえん)すれば、
「隠れてズルをして巨額の利益を手にしようとした村上氏こそ実刑判決が相当であり、若気の至りでちょっとウソをついてしまったホリエモンは執行猶予判決で許してあげてもいいんじゃないか」
といった話が浮上してもよさそうな気がします。

しかしながら、この
「ウソをついたホリエモンが実刑判決を食らい、ズルをして儲けた村上氏が執行猶予判決に留まった」
という現象は十分な理由と根拠があるのであり、これを説明する過程において、
「ウソに寛容な日本社会においても、絶対許されないウソ」
というものが浮かび上がってくるのです。

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01559_ウソをついて何が悪い(9)_ ホリエモンとムラカミさんその2_ムラカミさんはどんな罪を犯したのか?

平成16~18(2004~2006)年当時、ホリエモンと同じく時代の寵児となっていた方で、村上世彰氏という方がいらっしゃいました。

「カネを儲けてなにが悪い?」
「買われたくなければ上場しなければいい」
「私は、めちゃくちゃ稼ぎました」
など、この方も、強烈な個性と歯に衣着せぬ言動、さらに規制ニッチに果敢に挑むアグレッシブな事業姿勢で、当時、日本の産業界に一大旋風を巻き起こしていました。

ところが、ホリエモンが逮捕された後、間もなくして、村上氏も逮捕されることになります。

村上氏の罪は、インサイダー取引で、しかも、ホリエモン率いるライブドアに関わるものでした。

村上氏率いる村上ファンドは、
「ライブドアから大量のニッポン放送株式を入手するとの情報を得て同株式を取引した」
との事実が浮上し、このことがインサイダー取引に該当するとして、起訴され、有罪判決を受ける結果になりました。

このインサイダー取引は、典型的なインサイダー取引、すなわち
「対象企業の内部者情報を得て、取引をした」
といった取引ではなく、
「『第三者が対象企業の株式を大量に買い付けることを決定した』という内部者情報を得て、取引をした」
というものでした。

いずれにせよ、
「情報の偏在を利用して不正な利益を得た」
として、ホリエモンと同じく、処罰されることになりました。

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01558_ウソをついて何が悪い(8)_ホリエモンとムラカミさんその1_ホリエモンはどんな罪を犯したのか?

前稿において、裁判の世界では、
「ウソつき放題・言いたい放題で、レフェリーもウソつき行為を見て見ぬふりをし、万一ウソがバレても特段シビアなペナルティーが課されるわけではなく、逆にウソがうまく通ればトクをする」
というのが現在の日本の裁判の現状である、述べました。

とはいえ、
「ウソに寛容な日本社会においても、このウソだけはNG」
というものがあります。

そこで、以下、
「ホリエモンとムラカミさん」
と題し、
「ホリエモン事件」

「村上ファンド事件」
という
「21世紀に入り、日本の産業界を揺るがせた大きな事件の歴史的経緯」
にも触れつつ、この点について、触れて参りたいと思います。

まずは、
「ホリエモン事件」
です。

平成18(2006)年、当時、時代の寵児だったホリエモンこと堀江貴文氏が逮捕され、その後、有罪・実刑判決を受けるに至りました。

「人間はお金を見ると豹変します。豹変する瞬間が面白いのです」
「経済的に貧しくなると人間は狂気に走ります」
「ズルい手でも法律に触れなければ勝ち」
「お金が最も公平な価値基準です」
「人間を動かすのはお金です」
「世の中、金だ。愛情だって金で買える」
「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけないじゃないですか」
「年寄りは合法的なやり方で社会的に抹殺するしかない」
「“大衆”の7割はバカで無能」
「女は25歳超えたら無価値で有害なだけの産業廃棄物」
など過激な物言いで話題になったホリエモンですが、彼は一体、どういう理由で、有罪・実刑判決を受け、現在刑務所暮らしをする羽目になったのでしょうか?

例えば、
「ホリエモンが犯した罪を説明してください」
と“大衆”に問いかけてみると、どういう答えが返ってくるでしょうか?

私はホリエモンのように口が悪くないので
「7割はバカで無能」
とまでは言いませんが、“大衆”の99%以上は、この質問に答えられないと思います。

実際、
「ホリエモンが犯した罪を説明してください」
という街頭インタビューをしてみたら、どうなるでしょうか?

「生意気だから有罪になった」
「女性を侮辱した罪で有罪判決を受けた」
「お金儲けをしたから刑務所行きになった」
など、かなりいい加減というか、トンチンカンな答えしか返ってこないであろうことは容易に予測されるところです。

ちなみに、同様の質問を、若手の弁護士や司法修習生にしたことがあるのですが、正確に答えられた者はほぼ皆無で、中には上記のような知能水準が疑われるような回答をした者も少なからずいました。

いすれにせよ、ホリエモン事件は、あれだけ報道された有名な事件でありながら、
「どういう咎でお縄になったのか、誰も知らない。」
という、ある意味、非常に特異な事件であったことは確かです。

答えをいってしまいますと、ホリエモンが犯した犯罪というのは、
「いわゆる粉飾決算を行い、ライブドアという上場企業の決算内容についてウソをついた」
というものです。

詳細な議論は割愛しますが、
「元手が増やしただけの取引を、あたかも営業を行なって利益を上げたかのように見せ、決算内容に関し、投資家に対してウソをついた」
という行為が、ホリエモンを有罪扱いにした根拠とされています。

すなわち、
「企業のサイフにおカネが入った」
という単純な現象を前提とすると、会計のルール上、
「元手が増えた場合はこっちのポケットに入れ、営業活動の成果としてアガリが入った場合は反対のポケットに入れる」
ということになっていました。

そうしたところ、
「ホリエモンは、元手が増えただけなのに、増えたおカネを“アガリを入れる専用のポケット”に入れ、いかにも営業活動順調のようにみせかけ、投資家をダマくらかした」
という趣旨の事実が認定され、これにより、ホリエモンは犯罪者とされたのです。

「ホリエモンに『7割はバカで無能』呼ばわりされた『大衆』(註:私も大衆の一人としての自覚はあります)」
の感覚からすると、
「こっちのポケットだとか、あっちのポケットだとか、そんなのどうでもいいじゃん。カネがいっぱい入ってるなら、やっぱ、ホリエモンの会社、金持ちなんじゃん!」
ということになるかもしれません。

しかしながら、こういう言い方をすれば、
「ホリエモンに『7割はバカで無能』呼ばわりされた『大衆』(註:私も大衆の一人としての自覚はあります)」
でも何となく理解できるのではないでしょうか。

ここに、2つのタイプのお金持ちがいます。

両者とも、金持ちです。

相当な金持ちです。

「ホリエモンに『7割はバカで無能』呼ばわりされた『大衆』(註:私も大衆の一人としての自覚はあります)」
からみると、仰ぎみるばかりの、シビれるくらい金持っている、金持ちです。

一人は、引きこもりのオタクで、無職無収入で、趣味もフィギュア集めで、顔もスタイルもイマイチですが、ただ、莫大な遺産をもらって、 持っているカネだけはハンパないというタイプの金持ち(以下、「無職無収入だが親の遺産を承継した金持ち」といいます)。

もう一人は、東大卒のスポーツマンで、戦略系コンサルタント、ハーバードMBAを経て、独立起業して、資産総額は上記の引きこもりの足元にも及ばないものの、相当な高収入で、高身長のイケメンで、ワインとヨットと海外旅行が趣味、というタイプの金持ち(以下、「資産はそれほど多くないが、超高収入の金持ち」)。

両者を同じ金持ちとしてひとくくりにして、
「同種・同類の人種」
とみることはできるでしょうか。

女性が結婚するなら、娘を嫁に出すなら、どっちの金持ちがいいでしょうか。

このような比較対照例を持ち出すと、
「金持ち」
といっても、
「無職無収入だが親の遺産を承継した金持ち」
と、
「資産はそれほど多くないが、超高収入の金持ち」
では、意味合いが違ってくる。

このくらいは、
「ホリエモンに『7割はバカで無能』呼ばわりされた『大衆』(註:私も大衆の一人としての自覚はあります)」
でもなんとなく理解できると思います。

このように、ひとくくりに
「金持ち」
といっても、
「どのような経緯・方法・態様によって金持ちになったのか」
ということを辿ると、意味合いや受け取り方が違っているのです。

要するに、
「収入はないが、元手だけはある」
というタイプの会社と、
「元手は少ないが、収入は非常に多い」
というタイプの会社では、
同じ
「そこそこカネを持っている会社」
といっても、投資家の判断材料としては、意味がまったく違ってきます。

こう考えると、
「元手が増えた場合はこっちのポケットに入れ、営業活動の成果としてアガリが入った場合は反対のポケットに入れる」
というルールは、非常に重要になってきます。

すなわち、ホリエモンは、このルールをうまいことごまかすことによって、
本当は、元手が増えただけ、すなわち、
「無職無収入だが親の遺産を承継した金持ち」
のような趣きの
「金持ち会社(資産リッチ・元手リッチ)」
であったのを、あたかも、営業が順調で収入がどんどん入ってきている、
「資産はそれほど多くないが、超高収入の金持ち」
のような趣きの
「金持ち会社(営業好調・収入リッチ)」
のようにみせかけて素性を偽った、というのと同様のことをやらかしたわけです。

お見合いで、
「無職無収入だが親の遺産を承継した金持ち」
が、自らを、
「資産はそれほど多くないが、超高収入の金持ち」
かのように偽ったら、結婚詐欺ないし結婚詐欺未遂呼ばわりされるでしょう(どっちも「金持ちだからOK。おカネに色はないし」という、些事にこだわらない、おおらかな女性もいるかもしれませんが)。

このように、ホリエモンは、投資家が株券上場企業が正しい情報を開示することを前提に
「将来性ある企業」

「美人投票」
よろしく投資を行う株式市場において、前記のような
「ウソ」
をついたことで、お縄を頂戴し、牢屋に入れられました。

以上が、
「ホリエモンに『7割はバカで無能』呼ばわりされた『大衆』(註:私も大衆の一人としての自覚はあります)」
でもわかるように、咀嚼に咀嚼を重ねて解説した、
「ホリエモンの罪」
です。

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01557_ウソをついて何が悪い(7)_ 裁判では「ウソ」はつき放題

前稿で述べましたとおり、裁判所というところは、
“筋金入りのウソつき”たち
がぞろぞろやってきては、
「オレの言い分は真実で、相手がウソをついている」
という
「ウソ」
を言い放っていくわけですが、レフェリーたる裁判官も
「ウソつきをやさしく受け容れてくれる度量の広い人種」
です。

すなわち、裁判とは、
「反則者に寛容で、反則行為にいちいち目くじらを立てない、やる気のないレフェリー」
を間に立てて、プロレスマッチを行うようなものであり、
反則行為はもはや“お約束”
となって横行するのは火をみるより明らかです。

実際、裁判は
「ウソがつき放題の場」
と化しており、裁判官も、裁判の途中で一方当事者がどんなにヒドいウソをついても、個々のウソつき行為に対していちいち注意したりしません。

裁判官は、裁判が終わるまでニコニコしながら互いに言いたい放題言わせます。

そして、その後、
「どっちのウソの方が、相対的にみて“マシなウソ”か」
すなわち
「どっちのウソが書面その他の客観的証拠により整合しているか」
という点を判断し、判決書にその点を淡々と書いて事件を終わらせるだけです。

前述のとおり、1年間に民事地裁管轄事件だけで22万件の訴訟が発生し、そのうち約15万件が
「当事者のうちどちらかがウソをついている」タイプの事件
とすると、偽証行為として問擬されるべき件数も相応の数になるはずです。

ところが、古い統計ですが、偽証罪での起訴件数は1997年で4件、2006年で23件と、冗談のような数字になっております。

公然と行われる偽証行為が年間15万件単位で、他方、検挙され起訴されるのは20件程度ということは、
「裁判でウソをつかない奴の方がバカ」
ということを国家が認めているのと同じです。

要するに、
「ウソつき放題・言いたい放題で、レフェリーもウソつき行為を見て見ぬふりをし、万一ウソがバレても特段シビアなペナルティーが課されるわけではなく、逆にウソがうまく通ればトクをする」
というのが現在の日本の裁判の現状なのです。

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01556_ウソをついて何が悪い(6)_裁判官は「ウソつき」に対する強い免疫・耐性をもつ

「裁判官」
と聞くと、一般の方は、
「正義と真実を愛し、不正を憎み、“ウソつき”に対する強いアレルギーを有する、清廉潔白な人種」
と思われるかもしれません。

しかし、裁判官の仕事場は、前稿のとおり、日本でも有数の“ウソつきホットスポット(密集地帯)”です。

しかも、タチの悪いことに、
「自分の目の前にいる当事者のうち、どちらかが筋金の入りのウソつきで、どちらかがそのウソの被害者」
という状況で、どちらもがあいまいな証拠を示して
「私はウソをついていない。ウソをついているのは相手の方だ」
と言い争っているのです。

こういう環境では、裁判官が
「正義と真実を愛し、不正を憎み、“ウソつき”に対する強いアレルギーを有する、清廉潔白な人種」
であれば、その裁判官は、もはや正気を保つことは困難です。

プロの裁判官としてきちんと仕事をこなしていくためにまず必要なことは、
“ウソつき”アレルギー
を克服し、
「ウソつきやウソ全般に対する免疫・耐性」
を獲得することが求められるのです。

さらにいうと、裁判所に訪れるウソつきは、
“筋金入りのウソつき”
ですから、ウソも演技もプロ級です。

そうなると、どんなに経験を積んだ裁判官でも、間違いの1つや2つ、百や千はやってしまいます。

すなわち、裁判官も人間である以上、どんなにがんばっても
「“ウソつき”を“ウソをつかれた被害者”と見誤る」チョンボ
をすることはありますし、そんなことでイチイチくよくよ悩んでいたら、大量にやってくる事件など処理できません。

したがって、多少のミスにビビるようでは、プロの裁判官としてはやっていけないのです。

日々、
日本でも有数の“ウソつきホットスポット(密集地帯)”である裁判所
に通い、勤務時間中、
“ウソつきガチンコマッチプレー”の行司
としてつき合わさせられる裁判官の多くは、
「“ウソつき”に対する強いアレルギーが有する、清廉潔白な人種」
などではありません。

むしろ、裁判官のほとんどは、
「“ウソ”あるいは“ウソつき”というものに強い免疫・耐性」
を獲得した、
「ウソやインチキに寛容で、どんなにひどいウソを前にしても恬淡としていられる、鷹揚な人種」
なのです。

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01555_ウソをついて何が悪い(5)_「ウソつき」人口密度がもっとも高い裁判所

裁判とは、
「お互い言い分が違う人間が、第三者に言い分と証拠を判断してもらって紛争を解決するシステム」
のことをいいますが、より簡潔にいうと
「どちらかがウソをついている場合に、『ウソをついているのはどちらか』をはっきりさせるための制度」
ということになります。

わが国において、裁判という国家作用(司法権の行使)を独占的に実施する国家機関である裁判所は、全国各地の一等地に、超一流の公務員(裁判官や書記官、事務官)を配置し、多額の税金を投入して運営されています。

憲法上、裁判は公開が原則とされており(憲法82条)、制度上、誰でも裁判の様子を見ることが可能とされています。

以上を前提とすると、日本で裁判を行うということは、
「公的機関がレフェリーとなって、“衆人環視”が制度上保障された環境で、リングに上がり、互いをウソつき呼ばわりしながら、言い分と証拠をぶつけ合うゲームを行う」
ということを意味します。

上記のような下劣で野蛮な特徴を有する裁判は、
「正直は美徳」
「ウソつきは泥棒のはじまり」
「清く正しく美しく生きる」
という道徳教育を受けてきた日本人の
「温和で善良でウソを嫌う清廉な気質」
とはおよそ相容れないシステムと思われます。

日本においては、
「衆人環視の下、公的機関の公的手続きの場で平然とウソをつく人間など滅多にいるものではない」
という推測が働くことから、
「裁判」等
という下品なシステムを使うユーザーは圧倒的に少ないのではないか、とも思われる方も多いのではないでしょうか。

では、ここで、日本全体で年間どのくらい裁判が発生しているのか調べてみましょう。

最高裁が作成・公表する司法統計によると、古い統計にはなりますが、平成22年度1年間で431万7901件の裁判が新たに発生しております。

その内訳をみてみますと、民事行政事件が217万9351件、刑事事件が115万8440件、家事事件で81万5052件、少年事件が16万5058件となっています。

無論、裁判の中には、
「ある事実についてどちらかがウソをついていて、どちらの言い分が正しいかをはっきりさせる」
という典型的な訴訟事件のほか、
「事実については争わないが、解釈が異なるので、裁判所ではっきり決めてほしい」
「犯罪を犯したことは認めるので、どういう刑罰を受けるのか決めてほしい」
といったものもあります。

地裁に提起される通常の民事訴訟事件について言えば、平成22年に提起された事件の数は約22万件(222,594件)。当時の裁判官(簡裁判事を除く)の数が約2800人ですから、合議体事件等があるにせよ、裁判官一人あたり年間80件弱(一月あたり6,7件程度)の事件を新たに受け持つ、ということになるようですが、これは感覚値としてだいたい理解可能です。

22万件のうち、後者のタイプの事件、すなわち事実に争いのない事件の数が感覚値で3割とすると、残りの約15万件強の事件については、
「当事者どちらかがウソをついており、事実について争いが生じている事件」
ということができます。

なんと、日本では、1年間で15万人も“ウソつき”が発生しているようです。

平成18年から5年間の司法統計を見ると、裁判所で新規に受理する全事件数はおおむね同じ数で推移していますから年間裁判件数に大きな変化はないと考えられます。

「裁判はどちらか一方がウソをつくことによって成り立つ(どちらかがウソをついているからこそ、揉めて、裁判となり、お上に判断を仰ぐ)」
ということを前提としますと日本においては、1年間で約15万人、10年間で約1500万人、30年間で約4500万人のウソつきが発生し、このウソつきが裁判所に訪れては、
自分に関しては「オレ言い分は正しい。ウソはついていない」というウソを平然と言い放ち、
相手方(本当のことを言っている被害者)に対しては「こいつは正真正銘のウソつき」というはた迷惑なウソを言い放っている、
という状況がうかがえます。

しかも、この1年間に15万人強発生する“ウソつき”は、
「衆人環視の下、国家機関において平然とウソをつける」
という、ある意味、
“黒帯級のウソつき”
です。

15万件強 の訴訟事件の背後に
「裁判に至らない言い争い」
が膨大な暗数を構成しているという点も考えると、我が国には相当な数のウソつきが跳梁跋扈しているものと推測されます。

いずれにせよ、年間22万件の事件が発生し、原被両当事者だけで年間44万人が訪れる裁判所ですが、そこに来ている人間を分類すると、
・約3割が「ウソをついていないが、法解釈や法運用に決着を求めている人種」、
・残り(約7割)の半分すなわち約3割強が「衆人環視の下、国家機関において平然とウソをつける“筋金入りのウソつき”」、
・さらに残り(約7割の半分)が「ウソつきから“ウソつき”よばわりされている被害者」
と整理されます。

こう考えると、裁判所というところは、日本の他のどの場所より
「ウソつき人口の密度が高い、“ウソつきホットスポット(密集地帯)”」
ということができます。

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01554_ウソをついて何が悪い(4)_「ウソつき」は社会的成功のはじまり

芥川賞作家の花村萬月氏は、ある小説で
「小説家とは、小説という小さなウソを本にして生活する稼業だ」
という趣旨のことを書いていました。

考えてみれば、エンターテイメントの才能というのは、
「いかに上手に、世間が楽しめるウソをつけるか」
という類のスキルといえます。

事実を正確に伝えるだけであれば誰でもできますし、無論、その種の才能に対して与えられる評価や報酬は大したものには成り得ません。

他方、世間が沸き立つような大掛かりな虚構の世界を構築できることは、一種の才能であり、このような
「ウソをつく」才能
は、ときに巨万の富を生み出します。

言い換えれば、
「“ウソをつく才能”に恵まれず“本当のことをそのまま、地味に伝えるだけ”のスキルしかない人間」
は報道機関に雇われるサラリーマンにしかなれませんが、
「“他者が真似できないようなウソをつくことができる才能”に恵まれた人間」
は小説家や映画製作者となって前者とは比べ物にならないほどの社会的・経済的成功に恵まれる可能性が開けます。

このように考えると、子どもに
「ウソつきは泥棒のはじまり」
などいう
「タチの悪い、まごうことなき、本物の、ハードコアのウソ」
を教えて「ウソをつくこと」をタブー視させるのは考えものかもしれません。

子どもを
「一流の表現者・創作者(クリエーター)」
にするのであれば、小さいころから
「上手なウソをつくスキルを身につけろ。ウソもまともにつけないと、不幸な人生が待っているぞ。『本当のことを、バカ正直に、みたまま、そのまま伝えるだけ』などという陳腐なスキルしかないと、しがないサラリーマンくらいにしかなれないぞ。それでもいいのか」
という現実に即した教育を行うことがあってもいいような気がします。

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01553_ウソをついて何が悪い(3)_「ウソ」をつく自由と権利

嘘をつくことは犯罪でありません。

さらに進んで、法律上、人には
「ウソをつく自由と権利」
が与えられているようにも思います。

エンターテイメントの世界では、虚構の世界を構築したり、話を面白くするために少し誇張をしてみたり、ということがよく行われます。

事実に即したドキュメンタリー番組は誰も見向きもしませんが、誇張や虚構を極限まで取り込んだアニメやドラマは圧倒的な視聴率を叩き出します。

実際、テレビ報道では、
「取材した事実があまりにつまらなく、そのまま報道したのでは視聴率に対する悪影響が想定される」
という場合、ある程度面白くなるまで、誇張したり、虚構を混ぜたりすることが行われる場合があるようです。

世間一般は、つまらない事実より、面白いウソの方を望みますので、当然といえば当然です。

法律的な根拠について言いますと、憲法21条は表現の自由を基本的人権として保障しており、この人権の一部として、
「虚構の世界を構築したり、表現を誇張したり、その他ウソ偽りを巧妙に取り込みながら、物事を面白おかしく描く」という権利
も、憲法により不可侵の権利として保障されている、と理解されます。

無論、他人の社会的評価を低下させるような虚構や誇張を行った場合、名誉毀損行為として民事の賠償責任や刑事責任を課せられる場合がありますが、これも
「表現の自由は憲法上の保障が与えられる」
という大原則に対する例外的な位置づけです。

実際、週刊誌が政治家や著名人に関する報道を行ったことに関して、報道された側が報道によって名誉が毀損された、などとして訴えるケースがあります。

しかしながら、表現者・報道機関側が
「表現の自由」
という金科玉条のドグマによって守られているせいか、多少のウソ・誇張も大目に見られるようで、表現者・報道機関側の敗訴率は低く、かつ敗訴したとしても賠償額は弁護士費用も賄えないほど低廉なものしか認められません。

以上のとおり、嘘をついたり、物事を大げさに表現したり、脚色したりといった行為自体、法律違反どころか、憲法上の重大な権利として守られており、
「事実に反して他人の名誉を少しばかり毀損したとしてもある程度大目に見てもらえる」
というのが社会の現実なのです。

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