00575_「訴訟上の和解」の意味と価値

「和解」
というと、何やら弱気で迎合的な印象がぬぐえない言葉ですが、実際には、ほとんどの裁判は
「和解」
で終結します。

主義主張や社会運動、さらには意地や沽券、メンツのために訴訟をやっている特殊な方は別として、経済合理性に基づいて理性的訴訟活動を展開するほとんどの法律家(弁護士のほか、裁判官も、という意味です)は
「和解による解決」
を上策とします。

例えば第1審で勝訴判決を得ても、日本では三審制を取る以上、上級審で逆転敗訴するかもしれませんし、何より、解決が長引くことを好む当事者はいないはずです。

当然のことながら、和解は相互の譲歩が前提となりますが、相手方についても、上級審に移行して追加の弁護士費用がかかったり、時間を要したり、はては逆転敗訴したりする事態は回避したいはずですし、多少の譲歩をしても和解をすることの方がメリットがあるケースがほとんどと思われます。 

そもそも民事裁判なんて正義のためでなく、所詮カネや権利のためにやっているわけですから(離婚訴訟とか「カネや権利のためにやっているわけではない」裁判もありますが)、膨大な時間とエネルギーをかければかけるほど、裁判によって得られるべき成果の正味価値は反比例して逓減していくはずです。 

当事者はいきり立っているかもしれませんが、以上のとおり冷静に考えればどんな事件でも譲歩により早期に解決するメリットがあるはずです。

さらにいえば、高裁・最高裁を経由して訴訟に勝ったとしても相手が判決内容を任意に履行してくれないと強制執行するという別の手続を遂行するため、これまた膨大な時間とエネルギーを解決のために投入しなければなりませんが、和解の場合、たいてい金銭や権利の移譲が相手の任意で行われることを前提ないし条件とされますので、執行(解決内容の実現)の手間ヒマが省けるというメリットもあります。

「判決は、訴訟上の和解交渉の失敗」
なんて言葉があるくらいで、むやみやたらと判決を求めるのは訴訟戦略としては下策です。

昔、ローマがポエニ戦争でカルタゴに勝った後、カルタゴの地を焼き払って塩を撒いたとの故事があるようですが、これ自体はローマの未熟による愚策と思います。

筆者がローマの指導者であれば、勝敗が決した段階で和解して完全な植民地としてカルタゴを残し、巧みな統治手法によってその経済力を我が物にする方法を考えますから。 

勝訴実績を誇示したり後先を考えず好戦的なことを売りにする弁護士さんは業界内に少なからずいらっしゃいますが、頭の弱いお客をひっかけるための営業トークとして言っておられるのであればまだしも、
「どんな事件でも判決獲得が唯一かつ最上のゴールである」
旨本気で信じておられ、これを誇示することが、自分が優秀であることの表明であると考えておられるのであれば、ちょっと知的成熟性や実務的感性に問題があるかもしれません。

いずれにせよ、訴訟の最終解決形態として和解が優れたものである以上、ほとんどの訴訟弁護士は自己に有利な和解に導くことをゴールとして法廷の内外で活動することになりますし、
「狙いどおりの、ありうべき形の和解」
に持ち込める弁護士ほど、腕のいい弁護士ということになります。

最後に、どんなに条件的に不服であっても、一旦和解した以上、事件を高裁や最高裁に本件を持ち込むことはできません。

このように、訴訟上の和解というのは、
「事件を終わらせる」
という意味において確定判決と同じくらい、大きな意味と価値を有します。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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