01531_ 「○○御用達」が安泰を意味しない、役所も外注を合理化する時代
「○○御用達」というものが商人のブランドの一つを形成してきたことからも判るように、「役所から仕事をもらえる」ということは商売人にとって一種のステータスとなっていました。 発注者の予算が無制限であることもあり、どことなく「役所と取引があるということは企業の安定の証」という考え方があったように思われます。 しかしながら、「...
「○○御用達」というものが商人のブランドの一つを形成してきたことからも判るように、「役所から仕事をもらえる」ということは商売人にとって一種のステータスとなっていました。 発注者の予算が無制限であることもあり、どことなく「役所と取引があるということは企業の安定の証」という考え方があったように思われます。 しかしながら、「...
中小企業などで、「ウチは一部上場企業の□□社が上得意だ」「当社は世界展開している○○社の取引口座を持っている」「わが社は、△△社の系列だ」などと自慢するところがあります。 いずれも、大きな会社が主要取引先であり、「よらば大樹の蔭」という諺のとおり、「そこに依存している限り、我々も倒れないから安心できる、ということを自慢...
「古くからの取引先を大事にする」のは結構ですが、この種の情実が保証や信用供与に及ぶと大変危険な徴候となって現れます。 中小企業の倒産原因で多いのは、連帯保証や過剰な信用供与によるものです。 一般に「困ったときはお互いさま」といわれます。 しかし、ビジネスでは、「感情」と「勘定」は峻別すべきであり、特に、「かわいそうだか...
環境が激変する時代においては、企業は、生き残りのための変革を行い、環境適応しなければなりません。 変革をして環境適応する際には、必ず、新しい事業を興し、新しい市場に参入し、新しい関係構築がついてまわります。 逆に考えますと、会社の取引相手が古くからの会社に固定化されており、長期間変わり映えしない、という状況は、新しい人...
国際政治における冷戦の終結と日本国内の社会の成熟化の動きを受けて、経済がインフレ・高度成長時代からデフレ・低成長時代へシフトするようになり、これまでの常識は通用しなくなりました。 すなわち、企業は、小さくなっていくパイの奪い合いをしなければ生き残れなくなりました。 護送船団行政や業界癒着構造の終焉の動きに併せて、低成長...
昭和時代・平成時代初期においては、護送船団方式、すなわち「行政機関は、許認可権限やこれに基づく行政指導などの権限(行政裁量権)を駆使して、業界全体をコントロールしていく」という産業秩序が構築されていましたが、バブル経済崩壊後の1990年代後半ころから、状況が一変しはじめます。 1998年に、中央省庁等改革基本法が成立し...
かつての日本企業の推奨されるべき行動原理は、「上を見て、横を見て、後ろを振りかえる」というものでした。 「上を見る」とは、「お上、すなわち何事も監督官庁にお伺いを立て、その指導のもとに全て物事を決める」という経営スタンスです。 また、「横を見る」とは、「業界同士協調しながら、事業を進めていく」というあり方です。 最後に...
昭和ないし平成初期の護送船団行政の時代であれば、官庁主導による保護育成と業界協調体制による救済がありました。 法務だのコンプライアンスだの細かいことに目くじら立てなくても、慣行と業界の相場感に従い、それでもわからなければお上の指導に依存していれば安泰でした。 すなわち、かつては、管理や法務は無視して、営業だけをしていれ...
法令遵守が各企業毎に自己責任で行わなければならない時代となった現在、管理、なかんずく法務管理を適正に行わないと、今後も健全に生き残ることは不可能です。 実際、金融・証券業界は、いち早くこのような時代の流れに適合して管理強化、法務強化を完了しました。 金融庁も金融検査マニュアルを作り上げました。 このマニュアルを見ると、...
ところで、昭和の時代においてもそれなりに企業不祥事が発生し報道されていましたが、「コンプライアンス」という言葉が取り沙汰されることはありませんでした。 昭和の時代においては、企業にとっては、監督官庁こそが、法制定者であり、法執行者であり、紛争解決機関であり、神様であったのです。 監督官庁と緊密な関係を保っていれば、そも...