00812_企業人としての業務スキル6:整理する

23年も弁護士をやっていると、倒産する会社にはどの会社にも共通するある一定の特徴が見えてきます。

倒産する会社は、どの会社も
「整理」
というものがまったくできていない、ということです。

倒産間際の会社の社長に書類の在り処をきくと、帳簿も決算書も手形帳も社長室のキャビネットにつっこんであり、順序もヘッタクレもなく、ぐちゃぐちゃ。

会社設立の際に作成した原始定款は当たり前のように行方不明となっており、株主総会議事録や取締役会議事録などまったく見当たらない。

まさしくカオス状態になっています。

また、こういう会社は、
「営業重視、管理軽視(、それと、法務無視)」
という単純な経営理念で突き進んできたせいか、これまでの事業を振り返ったり評価したりすることもなくひたすら前だけを向いて突っ走っています。

モーレツ営業会社には、
「過去」

「歴史」
もなく、破産申立をする際、経過を聴取し、倒産に至るまでの経緯を
ミエル化、カタチ化、言語化、文書化、フォーマル化
するのに大変苦労します。

他方で、
「整理や管理や評価をきちんと行っている、すべてにおいて小奇麗な会社」
をみると、たいてい事業が順調であり、弁護士に後ろ向きのことを相談するようなところは皆無です。

以上のような経験に基づく雑感が正しいかどうかは別にして、整理とか管理とか評価とかという仕事は、単純で地味なものですが、事業を円滑に進めていく上で重要な役割を担っていることは間違いありません。

しかしながら、会社であれ、勤め人であれ、整理とか管理とか評価とかといった仕事を苦手とする方は以外と多くいらっしゃるようです。

このように、
「整理」

「評価」
という仕事に苦労するのは、仕事の意味や本質をはき違えていることが原因と考えられます。

まず、
「整理」
とは、理をもって整える、すなわち、一定の理屈にしたがって履歴を並べかえる、ということを意味します。

時系列(タイムライン)、テーマ毎(サブジェクトマター基準)、重要性(プライオリティ基準)、近似性といった
「一定の理屈」
を構築し、当該理屈にしたがって資料や事実を並べ替えることが
「整理」
の意味です。

「整理」
という仕事を
「仕事がデキる人」

「デキない人」
それぞれにさせてみると、
「整理」
の力点の置き方に違いが表れます。

仕事のデキる人に
「整理」
をさせると
「一定の理屈」
の構築に時間とエネルギーを注ぎ込み、後に残った
「並べ替え」
という作業自体は適当に行うか、
「こんな作業ごときオレがやる必要はない」
と言って、誰かに振ってしまいます。

他方、仕事のデキない人間は、深く考えずに
「並べ替え」
という
「作業」
に着手し、着手したら最後、この作業に盲目的に没頭し、無駄に時間を費やした挙げ句、
「努力の痕跡は認めるが、努力の方向性を喪失した感が否めない、何とも使いにくい成果物」
を寄越します。

整理とは、
「作業」
ではなく、
「自分やチームのプロジェクト遂行のプロセスの理屈化・体系化」
であり、実にクリエイティブな仕事です。

そして、このような創造的な体系化・論理化が適切に遂行されことにより、今後のプロジェクトの企画・遂行の際、無駄が省かれ、失敗が少なくなり、全体として成功率が増えることにつながるのです。

その意味では、整理という仕事を行う上では、
「体系構築のための創造性」
が要求されるもので一定の才能が要求されます。

初出:『筆鋒鋭利』No.044_1、「ポリスマガジン」誌、2011年4月号(2011年4月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00811_企業人としての業務スキル5:段取りを組む、実施する

1 段取り上手と段取り下手

企画やプロジェクトの実施・実現を任せてみると、
「要領よくプロジェクトを完成させる人間」

「無駄な時間やエネルギーを費やした揚句、最後は中途半端な未完成状態に終わり、できなかったことの弁解を考えはじめる人間」
の2つのタイプに分かれます。

無論、前者は上司の信用を得て出世して行き、時を置かずして自分が指揮・命令をする立場に任じられますが、後者は
「こいつに大事な仕事は任せられない」
という評価を受け、組織の中では冷や飯を食わされます。

では、
「上手に段取りを組み、仕事を完成させる」
ということをデキる人間と、デキない人間との違いはどのあたりに由来するのでしょうか。

「段取り上手でプロジェクト実施能力が高い人間(以下、「段取り上手」)」
とそうでない人間(以下、「段取り下手」)の違いを解き明かすことによって、
「段取りを組む、実施する」
という仕事の本質を述べていきたいと思います。

2 想像力の有無

段取り上手は、基本的に想像力が豊かです。

プロジェクトの概要を聞いただけで、ゴールやそこに至る現実的プロセスの詳細をイメージすることができます。

また、段取り上手の想像力は
「プロジェクトの様々な障害や失敗のシナリオを思い浮かべる」
ということにも発揮され、プロジェクトの完成を請け負うにあたり、現実的なゴールへの修正や、具体的な根拠を以て予算や人員の増加や納期の延期の要請といったレスポンスを即座に行うことができ、その結果、発注者の信頼を勝ち取ります。

他方、段取り下手は、この種の想像力がまったく働かないため、あるいは、楽観バイアスや正常性バイアスに重篤に冒されていて、課題が見えないため、盲目的にプロセスを積み上げて行くだけです。

そして、仕事を続けていく中でぼんやりとゴールがイメージできるようになった段取り下手は、そこでようやく、時間切れ、予算切れ・要員不足という事態が見え始め、途中で大幅な計画修正を行い、発注者の信頼を失ってしまいます。

3 バックキャスティング能力(ゴールから逆算した作業設計・作業実施能力)

また、段取り上手は、ゴールから逆算してプロセスを組んでいきます。

これは、バックキャスティング能力といわれるものです。

そして、ゴールに期限内に到達するための中間目標(マイルストンやクリティカルパス等といわれます)を明確に立てることも忘れません。

他方、段取り下手は、
「プロセスを積み上げていけば、いつかはゴールにたどりつけるだろう」
という雑然とした意識しか持たず、そのためプロジェクトを頓挫させてしまいがちです。

すなわち、フォアキャスティングによる失敗です。

4 納期と品質の優劣判断基準

さらに、段取り上手は、納期を品質に優先させるべきことを知っています。

まずは80%の品質さえ確保した状態までたどり着くことを優先するのです。

残った時間でチューンナップして完成させた方が精神的にラクですし、万が一納期割れをしそうになっても、ほぼ完成していることがカタチとして見せられる分、発注者(上司)を安心させることができるので、納期延長交渉も容易です。

段取り下手の多くは、全体的な仕事のスピードを意識せずひたすら品質にこだわった揚句、いつまでたっても仕事の完成ができないという事態に陥りがちです。

5 マルチタスク実行力

最後に、段取り上手が段取り下手と決定的に違うのは、段取り上手が
「複眼思考を持っていて、マルチタスク(同時処理・並行処理)を実行できる」
という点です。

プロジェクトを構成する各作業の中で、
「個別作業間に、論理的に先後・順序が絶対要請される」
というものは実はそれほど多くありません。

また、仕事は完成させること(to get things done)が目的なのであって、
「必ずすべて自分ないし自分たちの手で完成させなければならない」
というルールはありません。

こういう点を理解している段取り上手は、論理的な先後・順序が要請されない個別作業を、チームの中で繁忙でない者や外部の業者にアウトソースする等して、
「時間」

「機会」
という最も貴重な経営資源の浪費を防止するのです。

6 学歴と段取り力の相関性

高学歴の人間が出世することが多いのは、大学受験の準備プロセスにおいて以上のような
「段取り力」
「プロジェクト実施能力」
を経験していることと関係しています。

すなわち、東大に合格するような人間は、受験当日の受験会場の現場状況を具体的にイメージしています。

そして、受験当日から逆算して勉強スケジュールを立てることができます。

そして、
「各科目の個別単元の細かな完成度に拘泥することなく、全体として重篤なモレやヌケができないようバランスよく勉強すること」
が合格に貢献することを理解しており、
「不得意科目も未習熟科目も、すべて自分で仕上げなければならない」
等といった愚かな呪縛に拘泥することなく、塾や予備校や家庭教師といったアウトソースを効果的に使うことができる人間ばかりです(最後に関してはある程度の財力が必要となりますが)。

難解大学に合格する若者は、10代後半から、常に
「段取り力」
「プロジェクト実施能力」
を意識した人生を送ってきているのですから、そうでない人間より仕事がデキるのは、当然といえば当然です。

有名企業が、学歴の高い人間を偏頗的に採用するのは、不当な差別意識に基づくものではなく、以上のような合理的期待に基づく合理的行動といえます。

初出:『筆鋒鋭利』No.043、「ポリスマガジン」誌、2011年3月号(2011年3月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00810_企業人としての業務スキル4:企画する、創作する、アイデアを考え出す

「下手な考え休みに似たり」
という言葉を聞いたことがある方が多いと思いますが、これは誤用であり、
「下手“”考え休むに似たり」
というのが本来の諺のようです。

すなわち、上記の諺は、一般的に誤解されている
「つまんない考えを巡らすぐらいなら休んでいた方がマシ」
という意味ではなく、
「囲碁や将棋が下手な癖に一人前に長考する癖のある者」
を指して
「下手な人(名案が浮かぶ筈のない人)がいくら考えても、時間を浪費するばかりでなんの効果もないぞ」
という揶揄が本当の意味だそうです。

この諺(本来の意味の方)は、
「企画する」
「考える」
「検討する」
といった仕事についても同じように当てはまります。

企画したり、考えたりする仕事は、定石を知らない者や経験のない者が、自己流で思考を巡らしても時間のムダにしかなりません。

上司から企画や検討の仕事を指示された場合、受命した部下には、
「自分の考えを巡らせること」
を求められているのではなく、
「上司の忠実なコピーとして、上司の思考を正確に模倣すること」
が求められているのです。

すなわち、仕事で
「企画しろ」
「考えろ」
「検討せよ」
という指示があった場合、
「自分の拙い経験と貧弱な個性を発揮して、無駄に時間をつぶせ」
と捉えるのは重篤な誤りです。

この場合、求められているのは思考模倣です。

すなわち、自分のアタマを上司のアタマと入れ替え
「上司だったら、どう考えるか」
という思考を徹底し、
「上司の思考をなぞりながら、目の前の状況や課題に対して、想定される上司の思考を再現する」
ことが求められているのです。

学校では、教師からよく
「自分の個性を大事にしろ」
とか
「自分のアタマで考えろ」
とか教えられることがありますが、生き馬の目を抜くビジネス社会で、
「企画したり、検討したりする仕事」
を実践する上で、これほど有害な教えはありません。

話は変わりますが、藤子不二雄の
マンガ「パーマン」
に、コピーロボットというのが出てきます。

主人公(須羽ミツ夫)がパーマンとして活動する間、家族に気づかれないように身代わりに使うロボットで、普段は黒い鼻しか付いていないマネキンのような人形ですが、その鼻を押すことで押した人間や動物そっくりのコピーになり、記憶や能力が引き継がれる、ということになっています。

上司から、仕事として
「この企画を立てておいてくれ」
とか
「これを検討しておいてくれ」
という指示があった場合、その真の意味は、
「自分の個性を完全に抹消し、上司の“コピーロボット”になって、上司の記憶と能力を極力正確に承継し、上司の思考と対応を忠実に再現して、成果物としてまとめておいてくれ」
ということなのです。

「上司がどう考えるかをふまえず、自分の個性を発揮して、想像の翼を羽ばたかせ、自由に思考を巡らせる」
のは、まさしく、
下手の考え休むに似たり
と同義です。

このような我流の企画や検討を行っていると、
「勤務時間中に昼寝して夢を見ているのと同じだ」
との厳しい評価を受け、二度と企画や検討の仕事を任されなくなります。

「個性的な考えや自由な発想が大事」
というのは、学校でしか通用しない与太話であり、ビジネス社会における
「個性的な考えや自由な発想」
等という代物は
「有害な妄想」
と同義です。

社会に出れば、個性をすべて抹消して、指揮命令を発する上位者の正確なコピーとして、上位者の記憶と能力を引き継ぎ、その思考の正確な再現ができるように務めることが大切であり、これが
「企画したり、検討したり、考えたりする」
という仕事の実体であり本質なのです。

初出:『筆鋒鋭利』No.042、「ポリスマガジン」誌、2011年2月号(2011年2月20日発売)

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00809_企業人としての業務スキル3:報連相(3)相談する

日常用語で相談というと、悩みがあったり、混乱してわからないことが発生した場合、親や先生に丹念に話を聞いてもらいつつ、解決案を出してもらう、というのが一般です。

しかしながら、ビジネスの
「ホウレンソウ」
における
「相談」
というのは、
「夏休み子ども相談室」
の相談のように
「小学生の抱えた悩みをやさしく解決してくれる」
という穏やかなものではありません。

仕事に関して相談する相手は、たいてい上司です。

上司は、先生や親と違って、殺人的に忙しく、時間がありません。

そんな上司に、部下が
「混乱して、問題点が特定できない悩み」
を持ち込んで、上司という
「時給単価の高い組織の貴重な人的資源」
を長時間費消するのは、組織運営の妨害行為としか認識されません。

そんな
「アホな悩み」
を上司に持ち込む部下は、可愛がられるどころか、
「要領を得ないヤツ」
というレッテルが貼られ、次の異動で別の部署に飛ばされることになります。

こういう意味において、
「相談」
の本質・仕組や、マナー・エチケットを知っておくのは非常に重要です。

ここで、相談の本質・仕組ですが、
「仕事において上司に相談する」
というのは、仕事を進める上での各進捗プロセス、すなわち

1 状況の認識・整理(未確定の状況があれば、その特定を含む)、
2 相場観や定石や慣行といったゲームルールやゲーム環境(記述されざるものも含む)の調査・整理・理解、
3 ゴールや納期の設定(所与のゴールや納期が達成困難な場合は最善・次善・現実的なものへの修正)、
4 現状(スタート)と目標(ゴール)の間に立ちはだかるすべての問題点や課題の抽出、
5 解決方法(戦略レベル)の特定と具体化(複数の解決策がある場合は、解決方法の選択肢の抽出と功利分析も含む)
6 複数の解決方法を同時並行的に試行展開する場合にはその整序(段取り)、
7 解決方法を実行する上で実施上の課題(戦術レベル)の想定・シミュレートやブレイクスルー方法

という各段階の作業を行う上で、
「状況認識やスキームが相場観に整合しているか」
「全体として計画に現実性があるか」
「その他経験値の乏しさによる誤解から生じるモレ、ヌケがないか」
という補完的な検証を
「経験値が高く、結果の成否に大きな利害を有し、期待値修正や動員資源についての裁量を有する上司」
に依頼する、という行為を指します。

すなわち、仕事の場における
「相談」
は、
「上司の経験値による補完的検証作業」
ということですので、
「自分でできる範囲のことはギリギリのところまで自分の責任で進め、最後の詰めを依頼する」
というのが本来の姿といえます。

こういう相談の本質・仕組をわきまえず、
「状況がよくわかっていないせいか、何だかうまく行きません。何が問題かわからないことが、問題なのです。ボクはどうしたらいいんでしょう」
といった類の、会社の上司を母親や小学校の先生と勘違いした相談は、仕事のマナー・エチケットに反した非常識な行動と認識されます。

とはいえ、
「デキもしないのに仕事を引き受けてしまい、上司に相談しようにも相談の前提を整えることができず、遠慮して相談を忌避し、その結果、ひとつも進捗させることができないまま、長時間徒過させてしまった」
というのも会社や組織に害を与えます。

ですので、
「手に負えない。こりゃダメだ」
と思ったら、黙っていないで、すぐに上司とのコミュニケーションを取るべきですが、ここでの上司とのコミュニケーションは
「相談」
ではなく、
「自分がアホであり、仕事が進められない」
という事実の
「報告」
になります。

この報告を受けた上司は、当然、叱責したり厭味を言ったり舌打ちしたりしますが、そういう態度を取りながらも、
「これはこうやるんだ」
と言って、目の前で1~7のプロセスを披瀝してくれるはずです。

その際の部下の行動ですが、ボーっと突っ立っていると上司の心証を害します。

部下としては、次回から自分の頭脳で1~7のプロセスを完遂できるようにすべく、メモを取って、上司の仕事の捌き方を克明に記録するのが礼儀です。

初出:『筆鋒鋭利』No.041、「ポリスマガジン」誌、2011年1月号(2011年1月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00808_企業人としての業務スキル2:報連相(2)連絡する

仕事の基本である
「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」
の連絡についてです。

1 報告と連絡の違い

仕事において行うべき連絡についてですが、
「連絡と報告の違いがわからない」
などとよく言われます。

これは私なりの区別ですが、
報告とは
「過去に発生した事実や発生しつつある経過を、上司の指揮命令や報告義務に基づいて行うもの」
であり、
連絡とは
「将来における予定や計画を自発的に行うもの」
と考えています。

弁護士の活動でいいますと、裁判所での弁論期日が行われた場合、クライアントに対して、
「期日において、相手方からこういう主張があった、こういう証拠が提出された」
「裁判所から、この点が不明であると言われた」
「裁判所からこういう主張や証拠があるのであれば、これを次回までに準備しろ、と宿題を与えられた」
等といった過去の出来事を伝えるのが報告です。

そして、以上のような報告を前提に、
「裁判所から指示された宿題を次回の期日までに準備する」
というミッションを達成するために、
「何時何時に事務所に来て、協議をしてほしい」
「証拠になるかどうか検討したいので、こういう資料があるかどうか捜して、あれば事務所に送ってもらいたい」等
これからのアクションを伝えるのが連絡である、と理解されます。

連絡においても、報告と同様、タイミングよく行うことが必要ですし、内容面においても
「何時、どこで、何を、どのような方法で行うか」
という点について、正確かつ明瞭に記載した文書でタイミングよく行うことが求められます。

2 連絡の受信者に対するフォロー

連絡については、たまに、
「そんな連絡を受けていない」
「聞いていない」
「知らなかった」
「忘れた」
といった話が出てきます。

また、連絡においてこちらがお願いした準備や用意をしてこない、ということもよく発生します。

無論、これらは連絡の受け手側に問題があるのですが、仕事のデキる人間は、こういう事態まで先取りし、受信者から
「当方の連絡を了解し、確認した」旨
のCONFIRMATIONの返信をもらったりしますし、REMAINDER(備忘再告知)という形で予定日程が近づくと念押しするための連絡を行ったりする場合があります。

いずれにせよ、連絡を効果的に行うためには、受け手の理解認識状況をふまえて、効果的に対応するとともに、細かなフォローが必要と思います。

少し面倒くさい話をしますと、意思表示に関する法的取扱においては、意思表示を発信する側ではなく、意思表示を受ける相手側の便宜が全てにおいて優先されます。

これは、
「到達主義」
と呼ばれるドクトリンで、取引における意思表示や訴訟その他で行われる法的なコミュニケーションにおいては、
「連絡したらそれでOK」
ではなく、
「連絡内容が相手方にきちんと伝わったか否かまで、連絡発信者においてきちんとフォローしろ」
というルールが適用されます。

内容証明郵便で法的な連絡文書を送りつける場合も配達証明まで取っておかないと、後日、
「そんな文書は知らんし、みたことない」
等という形で到達が争われる場合があります。

訴訟に関していえば、どんなに正当で合理的な内容の訴状を作成して相手に送りつけても、訴状が相手方に到達したことが確認されない限り裁判を始めることすらできないのです。

このように、
「言ったはずなのに忘れている」
「連絡したはずなのに届いていない」
というのは、
「すべて連絡した側の連絡方法が悪い。発信者が注意すべきだ」
というのが法的取扱となるのです。

この到達主義というドクトリンで連絡すべきか、逆のドクトリン(発信主義)で連絡すべきか、という点については、ビジネス社会、企業社会では、力関係によります。

すなわち、立場が上の者が下の者に対して連絡する場合は発信主義(連絡は発信したらそれで完了。何らかの理由で受け取っていない、聞いていない、到達していない、という場合、受け手の責任)であり、立場が下の者が上の者に対して連絡する場合は到達主義ということになります。

3 上司への連絡

上司その他自分の上位者に対する連絡に関しては、受信者が
「自分以外の部下からも様々な連絡を集中して受ける」
という環境にあり、また自分よりも数倍も忙しい立場にあるので、
「連絡をしても、きちんと受けられない」
ということがままあります。

ですので、上司に対する連絡については、こういう点も含めて、
「どのようにすれば相手にきちんと伝わるかどうか」
を考えながら、方法・タイミングともに効果的な形で実施することが必要ですし、こういうことがスマートにできる人間は、一般に出世も早いようです。

初出:『筆鋒鋭利』No.040、「ポリスマガジン」誌、2010年12月号(2010年12月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00807_企業人としての業務スキル1:報連相(1)報告する

仕事を行う上では、
「ホウレンソー」
が大事だ、とよくいわれます。

報告・連絡・相談の頭の一文字をとって、報(ホウ)・連(レン)・相(ソー)というわけです。

1 報告の前提としての正確で客観的な状況認識

報告というと、
「そんなの簡単。バカでもできんじゃん」
とか言われそうですが、プロのビジネスマンとして行う
「報告」
は、フツーの方が考えるほどカンタンではありません。

主観や思い込みや伝聞や、根拠(ソース)のない噂話は、
「報告」
とはいえません。

したがって、適切に
「報告」
するためには、正確で、客観的かつ批判的な観察や調査が前提となります。

ローマの政治家ユリウル・カエサル(英語読みはジュリアス・シーザー)は
「人間なら誰でもすべてが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」
といったそうですが、これは状況認識の本質をよく言い表しています。

仕事の経験のない人間に、特定の状況を観察ないし認識させ報告をさせてみても、まったく出鱈目なことを書いて寄越します。

物事を客観的に認識するには、観察力や批判的な考察する能力が必要であり、これは経験により獲得されるスキルなのであり、見逃し・漏れ・抜け・チョンボをやらかしてその度に上司に怒られるなどして痛い目に遭わないとなかなか身につかないものです。

そんな痛い目を繰り返し、
「なぜこの点確認しないんだ」
「こういう場合にはどういうシナリオになるんだ」
「どうしてそんなことが言えるんだ?根拠は何だ?」
という上司の小言や罵倒をリアルタイムで想定できるようになり、はじめて正確で客観的な状況認識ができるようになるのです。

2 報告の具体性

また、
「報告」
には具体性が必要です。

すなわち、報告の内容として、いわゆる
「六何の原則(何時、誰が、どこで、誰に対して、何を、どのようにした、という点を明らかにする。5W1Hの原則ともいわれる)」
を過不足なく充足している必要があります。

なお、ビジネスマンの場合、以上の
「六何」
に加えて、量や価格も具体的に特定した上で話を進めないと時間や労力の浪費や機会の喪失に繋がりかねません。

したがいまして、
「六何」

「どれだけ」
すなわち
「How much (How Many)」
を加えた、
七何の原則(5W2H)
までも包摂した報告内容とすべき必要があります。

この点、仕事がデキない人間の報告をみると、
「何時」「誰」「場所」
等の要素が欠けていることが散見されます。

例えば、
「今後、先方担当者からしかるべき対応を取っていただく予定である」
という書きぶりの報告ですが、
「今後」
とは何時のことを指し、
「先方担当者」
とは一体誰のことで、
「しかるべき対応」
とはどのような行為を示すのか、まったく不明です。

こういう
「昔、昔、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」
という
「日本昔話型報告書」
をやっていると、報告者の知的水準が疑われます。

3 報告のタイミング

食べ物に
「旬」
があるように、報告の価値も報告タイミングとの関係で常に変動します。

客観的で具体的な報告をしようとして時間をかけて報告書を作成するのも結構ですが、報告書を作成している間に、状況が変わってしまい、前提状況が崩れ、報告が無意味になることがあります。

「報告の価値は、報告資料の厚さに反比例し、報告のタイミングに比例する」
というルールがあるそうですが、効率よくビジネスを進めている企業ほど、弁解がましいレポートより、カンタンなメールやメモで(ときには口頭で)要点を簡潔に報告することを好む傾向にあるようです。

4 報告で用いる表現

報告で用いる文章ですが、平易で簡潔な表現ほど好まれます。

ビジネスの現場ではスピードが価値そのものであり、本質をわかりにくくするような修飾語は、報告の価値を劣化させるだけです。

「繁文縟礼(はんぶんじょくれい)」
という言葉がありますが、報告内容が乏しかったり、原因の特定や責任の所在を曖昧にしたいときほど、用いられる表現は難解になり、報告書ボリュームが増えていく傾向にあるようです。

このもっとも最悪な例は、霞が関言葉や霞が関文学と呼ばれるものです。

報告の提出先(名宛人)にあえて真実を伝えず、煙に巻きたい、という積極的な意図があるのであれば格別、まじめに業務として状況を伝えあるいは共有したいのであれば、この種の悪文は避けるべきです。

最後に、報告においても、禁句というものが存在します。

デキない人間の報告には
「検討する」
という言葉が良く見受けられますが、
「検討する」
とは
「対応を取らない」
という意味であり、こういう言葉を多用すると、仕事の能力を疑われることになります。

報告するだけで終了するようなタスクは別として、報告の末尾には、次に、報告書作成者である担当者が何をすべきか、いわゆる
「宿題」
を記載するのが一般です。

この
「宿題」

「検討する」
となっていると、
「私は宿題があることを具体的に認識していません」
「私は宿題をしません」
といっているのと同義であり、やる気がないか、スキルがないか、ぼーとしているか、責任感が欠如しているか、のいずれか又はすべてである、と評価されてしまいかねません。

「宿題」
も、明確に、何時まで、どんな内容を、どのような段取りで、どの精度まで仕上げてフィードバックするか、と書いてあると、報告を受けた方(上司やクライアント)は安心しますので、そのような記載を心がけるべきです。

初出:『筆鋒鋭利』No.039、「ポリスマガジン」誌、2010年11月号(2010年11月20日発売)

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00806_企業の安全保障において「文書」が決定的武器になる理由

人も企業も、ルールやモラルや信義には従いません。

気にはしますが。

人や企業が従うのは、本能であり、欲です。

どんな立派な修行を積んだ人間でも、欲や本能には勝てません。

企業の本能は、営利の追及、金儲けです。

会社法の教科書の冒頭に会社は営利追及を目的とした社団法人(営利社団法人性)がその本質である、と書いてあるとおりです。

企業が、その本質的本能、すなわち金儲けをしなくなったり、無視したり軽視したり、金儲けという本能が弱ったりすると、企業は死にます。

確実に死にます。

欲や本能が弱まった人間が衰弱して病気になったり死んだりしますが、欲や本能丸出しの人間は、意外と元気でピンピンしています。

企業は、我を忘れて、死にものぐるいで、必死のパッチで、金儲けをします。

社会貢献とか、環境への配慮とか、そんな生ぬるいものではありません。

生きるのに、生き残るのに、ゴーイング・コンサーンを果たすために、死ぬ気で金儲けに邁進します。

より大きな儲けを、より早く、よりイージーに成し遂げることを、徹底的に研究し、真剣に実践します。

ところが、大きな儲け話には、必ず、絶対、280%の確率で、邪魔が入ります。

取引相手が邪魔をしたり、商売敵が足を引っ張ったり、身内や内部から攻撃をはじめたり、客が文句をいい、マスコミが些細なミスやエラーを面白可笑しく書きたてたり、法律や役人がちょっかいを出したり、明らかに意味のない手続きを要求したりします。

そうなると、当然ながら、ケンカが起こります。

ケンカといっても生ぬるいものではありません。

生存をかけた、生き残りをかけた、本能を否定されそうになったことに伴う、重篤なケンカです。

人や企業が、本能や欲に忠実に生き、活動する限り、他者の本能や欲、他者を含めた社会全体の都合を総体化・明確化したルールやモラルとは不可避的に衝突します。

人類社会が登場したころから、ケンカはありました。

今後100年後も、1000年後も、
人が本能と欲をもち健全に生きる限り、
「自由な市場における富を獲得する競争」
という
「経済発展と資源分配を達成する仕組としては人類史上もっとも偉大な発明」
を超える発明がなされない限り、
この世から競争もケンカもなくならないでしょう。

ケンカ、すなわち
「認識や見解や解釈や意見の相違に基づく紛争」
を解決するためには、殴り合い、殺し合い、戦争という手段が古来より存在しました(今でも活用されていますが)。

しかしながら、文明化した社会においては、
「ルールと事実と証拠と法的三段論法と裁判所」
という、
「人類史上もっとも偉大な紛争解決装置の発明」
が登場してからは、すべてのケンカは、(話し合いを前置した上で、最終的には)
「裁判ゲーム」
という
「擬似戦争システム」
で解決されることになりました。

裁判ゲームという擬似戦争システムにおいては、ルールや理論より、
「ブツ」、
すなわち
「証拠」
が勝敗の帰趨を決します。

そして、ビジネス紛争や企業組織内の紛争等を含めた、企業社会におけるありとあらゆる紛争における、もっとも有力な証拠となるべきブツは、文書です。

裁判所は、文書という証拠を基準に、
「対立する当事者がそれぞれの都合で語る、それぞれのストーリー」
の優劣を判断します。

豊かな国が自国の安全保障を全うするために強力な軍事力を実装するように、大きな稼ぎの企業は、安全保障のため、強力で使える文書を装備しておくべきです。

そして、安全保障上、要求される文書の質と量、文書作成にかかわる人間の知的レベルは、
想定する稼ぎや蓄積した財産の大きさと見事に比例します。

なお、企業社会においては、
「裁判ゲームという擬似戦争システムにおいては、ブツ、すなわち証拠が乏しくても、ルールやルールの解釈でなんとかなるのではないか。だから、文書云々より、ルールやルールの解釈に詳しい人間さえいれば、文書作成という地味で労力のかかる営みを怠けたり、サボったりしてもいいのではないか」
という誤解があり、文書の作成や管理ではなく、ルールの知識やルールの解釈技術に長けた法律専門家を高額の報酬で起用して安全保障の実を上げようとします。

しかし、裁判ゲームという擬似戦争システムにおいては、ルールの知識やルールの解釈は、戦略や戦法にしか過ぎず、兵士や兵器や武器弾薬やガソリンや航空燃料や兵糧ともいうべき
「文書」
「証拠」
がなければ、戦いになりません。

以上のとおり、企業は安全保障を無視軽視しては存続できませんし、安全保障のためには、武器とも言うべき
「文書」

「文書の作成・運用に長けた実務者」
を、より質が高いものを、より多く保有し実装することが必要になります。

そして、この意味において、文書の作成・運用・管理に絶大な資源を有する中央官庁や銀行が、安全保障において無敵の強さを誇り、
「役所や銀行を相手に裁判やっても勝てない」
という格言となって現れるのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00805_事業承継の実施前提としての課題

1 事業承継とは

事業承継とは、事業を後継の者に引き継ぐことですが、同族企業(株式非公開会社)におけるビジネステーマとして、最近、取り沙汰されるようになってきました。

事業承継がホットな話題になってきた理由としては、いわゆる団塊の世代の方々がリタイア時期を迎えるようになったからだと言われています。

すなわち、第二次世界大戦後に生まれ、60人学級のすし詰め状態で学び、学校で過酷に競争を繰り広げ、ときに学生運動で鬱憤を晴らしつつ、企業を立ち上げ、バブルに踊り、これまでガムシャラにがんばって来られたオトーサンたちが、年金をもらい、介護の現実が見え始め、お墓や来世のことが気になる
「お年頃」
になってきたので、
「金儲け、金儲けとがむしゃらに突っ走っている場合じゃねえよな。商売は後進に譲り、楽隠居でもしようか」
という状況になってきたというわけです。

我々弁護士をはじめ、税理士、司法書士といった各専門家は、アツい話題となっている
「事業承継」
を仕事拡大の好機と捉え、鼻息荒く、各中小企業のオーナーに承継プランを提案する動きがあるようです。

しかしながら、
「中小企業であれば、誰でも彼でも、事業承継を行うことが常に有効」
というわけではなく、事業承継実施にあたっては、様々な前提課題の存在を認知し、この課題をクリアするなり整理しておく必要があります。

2 承継させるに値するまともな事業がない場合

事業承継策を導入する前提として、
「承継に値するような事業」
が存在しなければなりません。

「会社としては命脈を保っているものの、銀行に対する約定金利もまともに支払えず、定期的な借り換えで凌いでおり、不況による売上減にビクビクし、資金繰りに頭を悩ませている」
といった中小企業については、
「事業承継以前の課題として、事業の建て直し」
が必要です。

また、
「株式会社という体裁はあるが、会社の名に値しない実質個人営業のような事業組織ともいえないような属人性の高い事業集団(いわゆる法人成り企業)」

「承継に値するような事業」
とはいえません。

売上規模10億円未満の会社は、属人性が顕著で、トップが生産から営業から売掛の回収までクビを突っ込んでいるような状態のところがほとんどで、トップがいなくなれば会社自体たちまちツブれてしまう存在ですが、これは
「事業」
ではなく
「稼業」
とでもいうべきものです。

稼業規模の会社は、事業承継を云々する前に、社長が個々の
「戦闘」
にクビを突っ込まなくても回るような組織、すなわち
「事業」
なり
「企業」
への脱皮こそが先決課題となります。

要するに、
ミエル化、カタチ化、透明化、単純化、平準化、標準化、システム化
が、企業としての真の課題であって、企業を誰かに渡すとか譲るとかというのも百年早いです。

逆に、このような
「事業」
ではなく
「稼業」
をM&A等で買った企業やファンドは、買った後が大変です。

創業オーナーの頭の勘ピューターの中だけに存在するデータやナレジを、
ミエル化、カタチ化、透明化、単純化、平準化、標準化、システム化
する羽目となり、いわゆるPMI(ポストマージャーインテグレーション)課題として、創業に匹敵するような苦労を背負い込むことになります。

事業承継を受継する形で参画するM&Aの買い手としては、M&Aの投資回収計画を立案する際や、価格交渉を行う際、PMIの負荷をめぐるダークサイドをしっかりとふまえておくべきです。

3 オーナー社長がそもそもリタイヤする気などない場合

現社長のリタイア意思も、事業承継の前提として確認しなければなりません。

中小企業の経営者というのは、大企業の社長よりも自由になるカネははるかに多く、現役時代にやりたいことはすべてやり尽くしておられる方が多いものです。

そんな抽象企業経営者がリタイアしても、家でゴロゴロしても家人に邪魔者扱いされてストレスを溜めるだけで、実は死ぬ直前まで会社にいて檄を飛ばしていた方が却ってシアワセということがあります。

巷の話題に踊らされて一度は
「事業承継をやる」
と宣言された社長さんも、
「ゴルフも釣りも海外旅行も豪華客船クルージングも飽きた」
「家にいてもやることがない」
「やっぱり、会社に毎日出社したい」
と言い出し、出社したら出社して、院政を敷くようになり、却って会社をギクシャクさせるケースも少なからずあるのが実情です。

4 法的確実性と経済的メリットの「二兎」は追えない

法的に確実な承継をしようとすると、会社組織上の諸手続(株式の発行等)にかかるコストや資産移転に関係する支払税額等、ある程度の経済的負担は避けられません。

すなわち、後継者の後継基盤確立と手続コスト・税務負担とはトレードオフの関係に立っており、承継の手間やコストをケチると、一度は納得したはずの
「後継者以外の親族」
が先代の死後ブーブー不満を言い出し、後継者が経営以外の紛争に忙殺されることになります。

実際、中小企業のオーナー社長は、妙にケチりたがる方が多く、目先のコストや租税負担の軽減にのみとらわれて後日に禍根を残す承継策を採用したため、死後、相続人間において血で血を洗う抗争が勃発し、死んでも浮かばれないことになったりします。

5 まとめ

「事業承継」
は、企業社会からの切実なニーズから生じたというより、中小企業庁が躍起になって話題づくりをして出現した
「官製業域」
ともいうべき代物であり、
「個人情報保護法バブル」
「新会社法バブル」
「内部統制バブル」等
と同様、
「言葉と話題だけが先行し、実体と乖離して取り沙汰されている」
との印象が拭えません。

長期的にはどの中小企業もいずれ事業承継が必要になってくることは間違いないのですが、バブルに踊らされるのではなく、本質を見極め、ときには
「事業承継以外の方策や選択肢も検討する柔軟性」
ももちつつ、適正に対応したいものです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00804_文書内容管理としてのストーリー制御

法務文書には、事実立証能力が具備されていなければいけません。

法務文書は、
「日本昔話型文書(内容デタラメ、体裁いい加減、5W2H欠如、肝心な要素が欠落した文書で、「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがいた」という日本昔話の出だしのような、何時のことか、何処のことか、氏名は何か、といった重要な要素がすべて欠落した、無価値で証明力のない文書)」
ではなく、5W2Hが備わった、いざというときに、自社にとって必要な事実を立証してトラブルや有事から救ってくれたり、状況改善してくれたりする機能具備が最低限の要求事項です。

しかしながら、なんでもかんでも記述すればいい、というものでもありません。

あえて記述しない事項というものもあります。

法務文書は、記録としての機能、すなわち自社の備忘や確認の趣旨としての機能はもちろんのこと、紛議対応や有事(存立危機事態)対処の際の証拠として、安全保障ツールとしての意味をもちます。

記録された文書は、時間と空間を超えて、後日、霞が関1丁目1-4の東京地裁民事部に提出して、自社が主張する事実を支える証拠としての使用も想定されるところです。

したがって、何を記録し、何を記録しないか、は、後日どのような紛争や有事(存立危機事態)が想定され、そこで、自社がどのようなストーリー(「事実」ではなく、「主張」として語るべき、一定の法的考察を前提に構築された事実)を語って、自社を防衛するか、ということを想定し、当該ストーリーを支え、あるいは、自社にとって有害なストーリーを叩き潰すようなエビデンスをイメージしながら、法務文書が作成されなければなりません。

「そんな複雑なこと出来るか!」
と言われそうですが、東大法学部を卒業して、財務省や経産省や総務省といった一流官庁に勤務するようなエリート官僚にとっては、朝飯前のバナナスムージーといった感じで、普通かつ簡単に、こなします。

組織防衛という安全保障課題において、日本で最強かつ最優秀な集団である中央官庁においては、入省した直後から、この種の記録作成技術を叩き込まれます。

霞が関の中央官庁の組織防衛術は、
1 トラブルに近づかない
2 トラブルの惹き起こす属性をもった組織や人間にも近づかない(付き合う人間を選ぶ)
3 普段から目立たないように、地味に、ひっそりと、奥ゆかしく、慎ましやかに行動する
4 近くでトラブルが発生したら、全速力で逃げ去る
5 運悪くトラブルに巻き込まれたら、知らぬ存ぜぬ、関係ない、の一点張りで、一番関わりが薄いポジションが確保できるよう全力を尽くす
6 説明せよ、教えろ、と言われても、「うるせえ、誰が教えてやるか、ボケ!」などと本音をもろ出しせず、組織としてのプライバシーや関係者としてのプライバシーを盾に、エレガントにお断りする
7 それでも説明が必要になっても、霞が関言葉や霞が関文学を用いて、事態の本質が伝わりにくく、わかりにくく、抽象度と専門性の高い説明で煙に巻く
8 「(霞ヶ関言葉や霞ヶ関文学のカベを乗り越えて、)説明がようやく理解できたが、納得できない、信用できないので、いよいよ根拠を示せ、ソースは何だ、証拠を出せ、ブツを出せ、モノをみせろ」、という段階になっても、やはり、 組織としてのプライバシーや関係者としてのプライバシーを盾に、なおも必死に抵抗を続ける
9 それでも、文書を出すことになっても、組織としてのプライバシーや関係者としてのプライバシーを理由に、必要な範囲を超えて、可能限り過剰に、マスキング(墨塗り)処理をした文書しか出さないことで、非協力・不服従を貫く
10 マスキング文書ではなく原文をそのまま開示しろ、提出せよ、といわれても、プライバシーや開示要求根拠についての見解が異なる、解釈が異なる、と無駄な抵抗を続け、開示請求訴訟をしろ、上で争う、といって相手に時間とコストと労力の負荷を被らせる
11 場合によっては、時間を空費させている間に、保存規定運用の誤解や不心得な担当者の些細なミスやエラーによって偶発的事故によって、文書自体が消失することもある
12 最後の最後に文書が開示され、相手の手にわたっても、その内容は、現状事態が想定され、なお、組織防衛のためのストーリー立証が可能な、相手にとって腹の立つような内容が書かれている
というものです。

この、
「最後の最後に文書が開示され、相手の手にわたっても、その内容は、現状事態が想定され、なお、組織防衛のためのストーリー立証が可能な、相手にとって腹の立つような内容」、
すなわち、単に、
「記録としての機能、すなわち自社の備忘や確認の趣旨としての機能」
だけでなく、
「紛議対応や有事(存立危機事態)対処の際の証拠として、安全保障ツールとしての意味と価値」をもった法務文書
を、それこそ数ヶ月前まで東大に通っていた、スーツがまるで似合わない、童顔で、学生に毛とホクロが生えた程度の使い走りの若手の職員ですら、眼尻釣り上げ悪戦苦闘するわけでもなく、コーヒー飲みながら、さしたる手間ひまかけずにさらりと書き上げる。

そんな恐ろしいまでの人材が掃いて捨てるほどいる、安全保障意識と安全保障練度の高い組織集団が官庁というところです。

何を記録し、何を記録しないか、は、後日どのような紛争や有事(存立危機事態)が想定され、そこで、自社がどのようなストーリー(「事実」ではなく、「主張」として語るべき、一定の法的考察を前提に構築された事実)を語って、自社を防衛するか、ということを想定し、当該ストーリーを支え、あるいは、自社にとって有害なストーリーを叩き潰すようなエビデンスをイメージしながら、法務文書が作成する、
という営みも、人智を超えた不可能な行為ではなく、単にスキルとしての慣れの問題であり、まさしくこの点を法務がプロフェッショナリズムとして追及する根源的技術ともいえます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00803_民事裁判システムと弁護実務対応のトレンド変化(前世紀と21世紀の違い)

かつて(1990年代)の民商事紛争は、判決を作成するのに、設計理論(要件事実)が必要であした。また、地裁・高裁レベルの権威が弱く、和解を強力に押し進めるだけ権力基盤に乏しき、そこのため、事件滞留が顕著でした。

しかし、これでは、規制緩和への対応が不安視されました。

すなわち、規制緩和の意味するところは、規制撤廃ではなく、規制を維持した状態で、行政による手厚い規制対応コーディネートが廃止され、規制対応は各企業や私人の自己責任で行われるようになりました。

そして、私企業間の各種調整も行政の手から離れるようになりました。

これにより、企業間の紛争も、企業と行政の間の紛争(規制遵守・抵触の疑義)も、すべて司法の場で解決されることになりました。

他方、司法予算は特段拡充されることなく、当時の司法資源(ヒト、設備、カネ)で対処することが必要となりました。

そこで、司法当局は、1998年民訴改正と平仄を併せるタイミングで、新様式判決を容認しましたが、これは設計理論なしでの判決書を是認することであり(設計図面なしで建築施工をするのと類似の手法の容認)、簡素化(手抜き)により、司法ニーズに対処することを意味しました。

合わせて、地裁・高裁レベルの権限強化が行われました(3審制から事実上の2審制へ。さらに、高裁即日結審実務の普及で、1.3審制へ)。

これに伴い、民事弁護実務や商事紛争実務、すなわち、裁判所への対処方法のあり方が顕著に変化しつつあります。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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