00534_辞めそうな気配の従業員に対して、土壇場で、何とか競業禁止や守秘を約束させるコツ

土壇場で競業禁止や守秘を約束させるコツについて、考えてみます。

退職の際には、給料の精算や退職金の支払いの問題が発生しますので、ここが契約を交わす最後のチャンスになります。

辞めそうな従業員との契約が労働契約の場合、すでに法律上明確に発生している給与支払いを強引に留保すると、労働基準法の全額払原則との問題が生じますが、退職金について、企業側のイニシアチブで発生・不発生を決定できる場合、企業側が、従業員に対して、交渉上強い立場に立てます。

従業員とフェアな形で交渉し、退職後のプランをきちんと述べさせる中で、企業側にとって有害なことをしないよう釘を指す形で、念書等を徴収しておくべきでしょう。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00533_いつ守秘義務や競業禁止を記した誓約書を徴求したり契約書を取り交わすべきか?

守秘義務や競業禁止を記した誓約書を徴求したり契約書を取り交わすのは、早ければ早い方がいいです。

可能であれば、試用期間開始時に徴求あるいは取り交わしをし、かつ、署名拒否等をした場合に本採用拒否にできるよう、採用内定時に、その旨告知しておいた方が安全でしょう。

採用時(試用期間開始時)のタイミングを逃した場合ですが、早ければ早い方がいいでしょう。

契約は原則として双方の同意さえあれば、いつ交わしてもOKです。

したがって、相手の同意されあれば、いつ、守秘義務や競業禁止措置を盛り込んだ契約書を取り交わしてもいいですし、同内容を記した誓約書を作成し提出してもらっても構いません。

ですが、後出しジャンケンみたいに、後から契約内容をこちらに有利に変更させようなんてやりだすと、トラブルのもとになります。

社員が仕事を覚えた後に交わすとなると、契約の内容が常識的なものであっても、トラブルが発生する可能性があることは想像に難くありません。

また、就業規則に盛り込む場合で、就業規則の不利益変更と判断されるような場合には、労働組合や職場代表といった従業員側の意見を聞いたり、監督署に届出けたり、と面倒くさいことも多くなります。

ですので、もし、この種の予防法的措置の欠落に気がついたときに、信頼できる専門家に頼んで、従業員の協力や同意も得て、早めに作成・徴求しておくべきでしょう。

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00532_営業秘密を法的に保護するための機密管理体制構築のポイント

ノウハウ等の会社の機密をきちんと管理する上で、以上のように従業員に守秘義務を課しただけでは不十分となる可能性があります。 

すなわち、営業秘密については、その会社の機密管理体制が問われるため、この条項を盛り込むのを機に、機密管理体制の構築も図るのがいいでしょう。 

そもそも機密情報というのは、顧客データであれ何であれ、それが機密と明示されてはじめて法的保護の対象となる営業秘密となります。

たとえ会社にとって重要な情報であっても、機密明示のない情報については、従業員が持ち出しても、法律問題として責任追及できる可能性が低くなります。

つまり、会社の主観として、どんなに高度な機密情報であっても、社内のあちこちに雑然と転がっていたり、ネット上のオープンな環境にさらしていたりして、来社した取引先が普通に見ることができたり、ネット上で自由に閲覧できるようなら、機密情報とはなり得ないわけです。

具体的には、紙ベースであるなら、マル秘スタンプを押印する。電子データであるなら、パスワード管理などを通じて誰でもアクセスできないようにする。

実に簡単なことですが、大きな企業でもこの種の管理構築に対する投資や労力負担は怠りがちです。

こうして機密管理体制が構築されていれば、万が一外部に持ち出されても、持ち出した者を法律違反として問うことができます。

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00531_守秘義務条項を作る際の注意点

守秘義務条項については、機密の特定が問題になります。

単に
「秘密の持ち出し禁止」
といっただけではあまりに漠然としていて当該条項の法的有効性に疑義が出てきます。

一例を示すと、

1 事業資料及び財務資料 :
事業計画書、事業提案書、営業計画書、営業企画書、財務諸表及び経理資料、人事等に関する情報(従業員の地位、職責、住所、電話番号等の個人情報を当然に含むがこれに限らない)
2 価格情報 :
製品の原価情報、原価計算情報、販売価格・卸価格情報、リベート(値引き)に関する情報その他価格情報並びに価格決定に関する情報一切
3 コンピュータソフト及びデジタルデータ :
各種コンピュータソフトウェア(カスタマイズあるいは開発されたものやこれらの途上のものも含む)及びこれらの運用によって作成ないし整理されたデータ
4 顧客情報 :
現顧客潜在顧客を問わず、顧客情報、顧客リスト及び顧客に関連する情報一切
5 取引先・協力会社情報 :
貴社仕入先ないし貴社提携先の、存在、呼称・連絡先あるいはこれらの会社との契約内容・取引内容、技術援助、外部委託関係及びこれらに関連する一切の情報
6 製法等 :
事業モデルに関する情報、製品設計に関する情報、製品の原材料、製品製 造手法、製品製造工程、製品コンセプト、製品企画、製法マニュアル・使用マニュアル類、その他製品ないし販売方法に関する全てのノウハウ及び情報一切
7 実験結果 :
貴社在職中に行った実験、分析により得たデータや、他製品(試作品や部品を含む)開発過程で得たデータ
8 以上の他、私が、貴社在職中に知り得た貴社事業に関する情報一切

みたいな感じになりますが、この辺の特定の緻密さが、予防法務の専門家にとっての職人芸みたいなところになってきます。

あと、機密漏洩方法について行為面から特定していくことも重要です。

ここでいう
「行為面からの特定」
とは、機密が格納された媒体(書類や光学メディア等の一切)を許諾なく移動することを禁じたり、雇用契約終了時には機密格納媒体の返還を求めたりといった、具体的な場面を想定して、機密の漏洩を防ぐことを指します。

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00530_競業禁止条項を作る際の注意点

競業禁止条項を作る際の注意点として挙げられるのは、地理的範囲や、業態、期間を限定することが重要です。

「どこであろうと、永遠におまえはこの商売に関わってはいけない」
なんて内容は、職業選択の自由を奪うものであり、公序良俗に反して、無効と判断される可能性が大きいからです。

ですから、
「東京都内で向こう1年間はダメ」
とか
「弊社で用いている独自のノウハウは使わない」
といったように、具体的に禁止される競業の内容を限定する必要があります。

また、普通、念書や契約書で約束したことは当然遵守することが期待されますが、紙片一枚のことですから、念書や契約書で約したことを平然と違約するような輩も実に多くいます。

そうした場合、契約違反を理由に損害賠償請求をしていくわけですが、ここで損害額の立証がネックになります。

競業されたことによる損害や、機密を漏洩されたことによる損害の立証は困難を極めます。

そこで、このような念書には
「違約罰」
を明記してやる必要があります。

違約罰の存在は、従業員の裏切りに対しての、強力な抑止力になるでしょう。

なお、労働基準法第16条では違約金の定めの禁止を定めています。

労働契約が終了した個人と法人との間には当該条項は適用されないとも考えられますが、保守的に考えるのであれば、トーンダウンすることも考えるべきでしょう。

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00529_競業禁止やノウハウ等の保秘についての社内ルールを整備する際の課題

わが国では
「職業選択の自由」
が保障されています。

したがって、その人がどんな仕事をしようが自由であり、他人はその人の職業を拘束できません。

従業員を雇用する際、きちんとした競業禁止やノウハウ等の保秘のルールを整備していない場合が多いです。

とくに、同業他社が多く、引き抜き等が頻繁に行なわれることはその業界で商売しているのであれば危険です。

独立したプロフェッショナルとの間の契約の場合、労働基準法が適用されるべき労働契約なのか民法上の雇用契約なのかは不明な場合がありますが、前者(労働契約)の場合であれば、就業規則や就業規則に付随する諸規程に盛り込んだり、採用の際に誓約書を徴収する運用により、競業禁止義務やノウハウ等の保秘義務を労働契約の中に取り入れておくべき必要があります。

なお、労働契約の場合、違約金の定めは法律上禁止されています。

後者(労働基準法が適用されない、民法上の雇用契約)に該当するような場合、違約金の定めを盛り込むこともできますので、ペナルティとして多額の違約金(違約罰)を定めておき、抑止効果を高める方法もあります。

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00528_企業法務ケーススタディ(No.0193):「社外取締役として関わっている企業が破綻し、株主代表訴訟を提起されたケース」を想定した紛争法務テクニック

1 事例
「株式会社アキ代にオマカセ!(以下、「アキオマ社」)」
は、株式の100パーセントを和田アキ代が所有する人材派遣会社である。
アキオマ社には和田アキ代自身は取締役に名を連ねていない。
アキ代は、アキオマ社の社主として、いわば院政のかたちで自社を牛耳っているのであり、アキオマ社はアキ代が全権を掌握する典型的なオーナー会社だ。
代表取締役は峰竜介というこれまた典型的な佞臣タイプの名目社長。
代表取締役としての権威も権力もなく、アキ代の意向を正確に社内外に伝えるだけの
「性能のいいメガフォン」
である。
アキオマ社の年商は150億円。
なかなかの数字であるが、人材派遣業の粗利水準に比して、経常利益は非常に薄い。
支出が異常なほど大きいからに他ならない。
今回の主役、石田鈍一は、そんなアキオマ社の社外役員に就任した。
石田は、渋谷と六本木で不動産業「株式会社不動産倫理文化開発(以下、「不倫文化開発社」)」を経営する社長である。
毎年売上は大きく変動するが、平均すると年商15億円ほどの売上があり、主に水商売向けの賃貸物件斡旋では定評がある。
ところが、石田は、バブル期に海外不動産投資に手を出して大やけどを負い、また、政治に目覚めて選挙に出たが惨敗したり、プライベイトでも、離婚でモメたり、息子が警察のご厄介になるなど幾多の不幸が重なり、投資の負債やら選挙の際の借金やら離婚の慰謝料やら弁護士費用やら支出がかさみ、3年前には石田個人も不倫文化開発社もすっかり左前になっていた。
そんな中、石田が以前から知己を得ていた和田にお金の工面を泣きついたところ、
「じゃあ、うちの会社の社外役員をやればいいじゃない。
捨扶持と思ってちょっと面倒見てあげるわよ」
と提案され、二つ返事で引き受けた過去がある。
それからしばらくたってからかつての恋人からアイデアを得て始めた
「野菜のソムリエ」スクール事業
や、現在の夫人と共同で始めたゴルフスクールという2つの新規事業が大当たりし、不倫文化開発社はすっかり持ち直した。
しかし、従前の経緯で石田はアキオマ社の社外役員業務を引き続き行っていた。
社外役員業務といっても、月に1回、夕方にアキオマ社の会議室で1時間ちかく峰のつまらない話を聞いたあと、朝方までアキ代の飲みに付き合えば月額70万円ももらえるおいしいポジションだった。
昨秋、アキ代は初めてヨーロッパを訪れた。
単なる買い物旅行であったが、現地イタリアである男と知り合ってしまった。
スハダに柄シャツ、皮のジャケットを粋に着こなす、不良っぽいラテン中年を絵にしたようなイタリア人、ズラーロモである。
日本に在住経験のある彼は、日本語に堪能であった。
ラテン系男子特有のノリに一発でまいってしまったアキ代は、その後、1ヶ月に一度はイタリアを訪れることとなる。
ズラーロモがどのようにアキ代を想っていたかは知る由もないが、少なくともアキ代は彼に惚れてしまった。
4度目の訪問のとき、ズラーロモはアキ代にある計画を打ち明けた。
ズラーロモ「洋服や靴のセレクトショップをやりたいんだ」
アキ代「いいわよ、やってみれば。お金のことは心配しなくてもいいわよ」
ズラーロモ「グラッチェ、アキ代。愛してるよ」
帰国後、アキ代は峰を呼んだ。
アキ代「イタリアに進出するわよ」
竜介「イ、イタリアですか?」
アキ代「そう、イタリアよ。
なんか問題でもあるの?」
竜介「イタリアで何をするんですか?」
アキ代「ショップに決まってンじゃないのよ」
竜介「イ、イタリアで?」
アキ代「ちゃんと仕切れる人間があっちにいるから大丈夫よ。なんか文句あんの!」
アキ代「それと、イタリアとの往復もかなりの数になるから、プライベートジェットを買うわ」
竜介「プ、プライベートジェット!! いくらすると思ってるんですか?」
アキ代「知らない。いくら?」
竜介「20億円はしますよ! そんな大金使ったら、いざというときの備えがなくなり、大変なリスクとなりますよ」
アキ代「いざというときは、銀行でもなんでも借りてくればいいでしょ! とっととやんなさいよ」
竜介「・・・はい」
峰は暗澹たる気分になった。
もはや道楽を超えている。
しかし、オーナーには絶対服従だ。
やるしかない。
こんな状態で、峰は、総額40億円もの予算を確保し、社内では
「アモーレ」
というコードネームが付されたイタリアプロジェクトを取りまとめた。
そして、峰は、定例の取締役会議の際、経過を説明した。
「セレクトショップ? しかもイタリアで? なんでそんなことをやるんですか?」
と、当たり前の質問をしたのは社外取締役の石田鈍一だった。
峰は、
「オーナーの決定です。答える必要はありません!」
といって睨み付けた。
こちらもこれまでの恩義がある手前、強く反対することもできなかった。
石田はそのまま沈黙してしまった。
ところが、ズラーロモはとんだ食わせ者だった。
現地法人を作り、ミラノに本店を構えたが、事業が軌道に乗らない間に、フィレンツェとヴェネツィアにも支店を出した。
それができたのは、プライベートジェットを担保に多額の融資を取り付けことによる。
しかし、もとはといえばその日暮らしの単なるジゴロである。
ビジネスのセンスなど皆無。
売上も満足に立たないのに、ただただ経費を使いづけるだけで、そのうち、ホテルオーナーの別の金持ち日本人女性と交際をはじめるや、飽きて店にも顔を出さなくなった。
やがて、アキオマ社の借金は膨らんでいき、またアキ代の強烈な独裁ぶりに社員がどんどん離反し、ついに200億円に近い負債を抱え、破産した。
そんなある日、石田鈍一は、債権者から損害賠償請求をされた。
「オレ? マジ? なんで? オレ、単なる社外役員だよ」
アキ代は人材派遣会社以外にも化粧品会社等多数の会社を所有しており、破産直前に、峰に株を押しつけ、アキオマ社は
「株式会社竜介におまかせ!」
に商号変更した上で、ゾンビ会社として幽霊のように存在するが、逆さにしてもホコリも出ない状態で、債権者も相手にするのをやめてしまっている。
「なんでオレが? オーナーだろ、責任は・・・」
裁判は進んでいった。
残念ながら、かなり雲行きが怪しい。
このままでは多額の賠償責任を負い、すっかり立ち直り、優良企業となった不倫文化開発社が債権者の手に落ちてしまいかねない。
果たして、石田はなぜこんな事態に陥ってしまったのだろうか?
何が悪かったのだろうか? 
これを回避する術はあったのだろうか?

訴訟の被告となって大慌てしている石田鈍一さんが、訴訟対策として取るべき戦略を述べていきたいと思います。

2 状況の整理
まず、ケースのおさらいですが、本件において、原告は、会社法429条を根拠に、アキオマ社の取締役の石田鈍一さんが重大な過失に基づき、
「本来であれば反対すべきような経済的合理性を欠如した事業投資」
に賛成したことにより、会社が倒産し、債権者に対して回収不能相当額の損害を与えた、としてその賠償を求めているものと考えられます。
ちなみに会社法429条には
「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う」
と書いてあります。

3、 敵を知る・その1(敵を分ける)
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」
とは孫子の兵法でも有名な一節ですが、これは訴訟対策にもあてはまります。
すなわち、訴訟対策を行うためには、敵を知る必要があります。
本ケースが紛争に発展した場合、敵は何を考え、どう行動しようとするのか、具体的考えていきましょう。
ここで、通常、
「敵」
というと訴訟の相手方、すなわち石田鈍一さんに対して訴訟を提起してきた原告の債権者を思い浮かべますが、裁判において
「敵」
として注意しなければならない存在はこれだけではありません。
弁護士は、訴訟の相手方だけでなく、裁判所も
「場合によっては自分に不利な方向で事件をさばく可能性があるという文脈において敵である」
という認識の下、漫然と裁判所を信頼することなく、その動きを注視し、手続の方向や心証の動きをきちんとみておくべきであり、そうしないと思わぬところで足をすくわれます。
すなわち、裁判というゲームにおいて、生殺与奪の鍵をもっている裁判所であり、その裁判所が判断の基礎を置く法律や判例というのが、訴訟の相手方以上に危険かつ厄介な存在であり、もっともケアしなければならない存在です。
かなり前になりますが、ノーベル賞も取った某大学教授とその教授が所属していた企業との発明の対価をめぐる東京高裁での紛争がありましたが、その和解直後、当該教授は記者会見において
「日本の司法は腐っている」
などとかなり激しく怒っておられました。
この教授は、おそらく、
「裁判所が敵となる場合」
という状況を想像せず、
「自分たちの言い分を、常にきちんと聞いてくれる味方である」
という勝手で強固な思い込みをしておられたのであり、だからこそ
「裏切られた!」
という感情が強く出たのでしょう。
プロの訴訟弁護士からすれば、司法の判断が裁判所毎に変わったり、世間の常識とまったく逆の経験則でありえない事実を認定したり、明らかに条文の解釈や法的安定性を無視した判断を裁判所が平然とすることなど日常茶飯事です。
したがって、裁判所が常に正しい訴訟運営と事実認定をするとは限らず、むしろ逆の事態を発生しうるリスクとして頭に入れておくべきです。
「定数問題において、投票の価値が1 : 1でなくても平等原則に反しないなんてことを平気でいう権力機関」
からすれば、発明の価値を200億から数億円程度に減じることなど
「たいしたこと」
のうちに入りません。
その意味では、例の大学教授は、こういう事情を弁護士からきちんと説明を受け、訴訟の帰趨に対する期待値を適切な水準にまで下げていれば、あのように取り乱すこともなかったと思われます。
今でこそ、裁判所や裁判官ってなんとなく上品で紳士的なイメージがありますが、法を解釈したり事実の存否を認定できる権力って、実はこの社会においてもっとも強大で危険でヤッバいものです。
裁判所は違憲立法審査権という権力をもっていますが、これは、
「不透明な選任過程で選ばれた、見たことも聞いたこともない15人の地味な老人」
が、選挙で選んだ議員が喧々諤々の議論の末決めた法律や、民主的基盤を持ち営々と行ってきた行政府の行為を、
「独自の憲法観に合わない」
という理由だけで、吹っ飛ばせるパワーですから、十分ラディカルな権力といえます。
いずれにせよ、本件ににおける訴訟対策を考える上で、原告・債権者、それに裁判所や裁判所がこの種の問題でどのような判断を指向するか、という点をきっちり把握しておく必要があります。

4 敵を知る・その2(相手方原告を知る)
まず、相手方の意図、動向を分析しましょう。
(1)経済的動機(カネがほしいからやっている)の場合
本ケースのように、株主がつぶれた会社の役員を訴えるという目的、動機は、
「とりっぱぐれて困っとるんや! お前ら、責任者やろ! ケツもたんかい!」
みたいな単純なものだけではありません。
もちろん、個人で取りっぱぐれて訴えを起こしてきたようなタイプの方がいるとすれば、このような経済的動機で訴訟をやっている(カネがほしいからやっている)場合と想定されます。
なお、純粋にカネ目的の訴訟とすれば、本ケースはあまり効率的な訴訟とはいえません。
主張・立証課題が多いですし、課題の多さに比例して弁護士費用もそれなりにかかります。
万が一勝ったとしても、役員にお金がないと、判決を取っても結局お金を取り返すことはできません。
お金にある程度余裕があり、お金儲けができる方であれば、こんな後ろ向きのことに時間とエネルギーと弁護士費用をつっこまず、
「債権管理の甘さの勉強をさせてもらった」
と考えて今回の件は吹っ切り、とっとと次のビジネスの成算を高める方向に自分の意識を転換させることができるでしょう。
その意味では、カネ目的で訴訟を起こすという相手方原告はそれなりにテンパっている方と推測されます。
ただ、カネがほしくて、それだけが目的で訴訟を提起しているという状況は鈍一さんにとって都合のいいことです。
なぜかというと、カネ目的ということは、相手方が
「カネは、時間との相関関係において値打ちが変わってくる」
という程度の計算が働く程度の知能がある、ということですから。
鈍一さんサイドがそのような相手方の目的あるいは状況を見越して、徹底して争う姿勢をみせ、手続に時間がかかることを相手方に匂わせることができれば、相手が折れて適当な額での和解に至る可能性があるからです。
とくに、相手方がカネに困って訴訟を提起しているような状況であればチャンスです。
貧すれば鈍す、という言葉にもあるように、空腹であれば腐肉にでも手が出てしまうのが人間です。
相手方原告が
「最高裁まで争って3年後に1000万円の請求を認める判決が確定されるという理論上の可能性に賭けるよりも、明日の50万円の和解金を得る方がはるかに意味がある」
と考え、不利な和解をしてしまうケースなんていうのは実務においては珍しくありませんから。(2)社会的目的でやっている(目立ちたいからやっている)
次に、相手方原告が、
「取締役の不正を徹底して糾す」
なんて高尚な目的で本件訴訟が提起されているとしたら、少々厄介です。
社会的目的や
「コーポレイト・ガバナンス」
とかお題目を唱えているものの、要するに目立ちたいからやっているわけで、この種の原告の意識としては、カネよりも派手なパフォーマンスであり、
「目立つためなら、時間とコストを惜しまない」
という腹積もりができています。
ただ、今回、石田鈍一さんとしては、社外役員として名を連ねているに過ぎず、その意味においては、相手方原告の本来の闘争の対象からは外れている可能性が大きいです。
こういう状況においては、弁護士代をケチらず、代表取締役ら経営主要幹部の弁護士とは別に、自分個人の費用で腰の低い温和なタイプの弁護士を雇い、
「そちらのメインターゲットの責任追求については必要な協力をするから、僕だけは抜けさせてくれ」
と頼み、とっとと自分だけ和解して
「一抜けた!」
とやってしまうのも手です(弁護士代をケチって、代表取締役ら経営主要幹部の弁護士を、彼らと共同で委任していると、仲間とみなされ、判決まで連座させられることになりかねません)。
さらに厄介な事例を挙げますと、アクティビスト・ファンドなどによる代表訴訟の場合です。
一応、
「企業統治を正常化する」
といった大義名分が掲げられますが、ファンドは経済的目的をもった組織である以上、
「世直し」
をやるために投資家からカネ集めをしているわけではなく、最後は、リターンすなわち、ゼニを増やすことが活動の目的です。
株というのは、
「行きはよいよい帰りは怖い」
ではないですが、安値で放置されている株を買い集めるのはさほど難しくないのですが、
「高値でさっくり売り抜ける」
という出口戦略はなかなか構築困難です。
一番いいのは、自社株買をアナウンスしてもらうか、さらにいいのは、MBOを実施してもらい、プレミアム(支配プレミアム)をたっぷり付けて一気に高値買い戻してもらう、というシナリオです。
そのために、
「もう株式公開など懲り懲り。早く、資本市場から退出したい。MBOで逃げるのは恥だが、役に立つ!」
と思い込んでもらう必要があり、そのために、コンプライアンス・モンスターとなって、モラハラの一環として、この種の代表訴訟をしかけて、音を上げさせる、という意図が背景に存在する場合があるようです。
本音では、
「安値で転がっている株を買い集めたが、出口が見つからず、ファンドの期限が近づいて困っているので、MBOして、高値で一気に引き取らせたい」
という気持ちですが、まさか、そんなグロテスクでエゲツないことを言うわけにもいかず、
「コーポレート・ガバナンスを回復する!」
という心にもない建前をのたまわれ、世間に美しい誤解を撒き散らす、ということなのであろう、と推測されるところです。
したがって、この種の株主代表訴訟は、唱えられるお題目や大義名分はさておき、前記(1)の
「私利私欲にまみれまくった、100%ピュアで天然な銭ゲバルト」
として展開されている、と理解・把握すべきです。
(3)怨恨を晴らすためにやっている(相手方をイジメたいからやっている)
訴訟提起の理由として、相手方を苦しめるために訴訟を提起する、という場合があります。
訴訟による解決は、世間で思われているほど効率的ではありません。
訴訟を提起し、遂行するのは非常に時間とかエネルギーを要する一大事業です。
訴訟を提起したからといって必ず自分の言い分が認められるかというと、これも非常に難しい。
さらに、訴訟に勝っても相手方にお金がなければそれ権利を実現することは事実上不可能です。
「だが、少なくとも訴訟を提起することにより応訴の負担を相手に強いることができる。
とにかく現状を座視することはできないし、泣き寝入りするよりもまし」
という感じで訴訟を提起する人も結構いらっしゃいます。
カネ目的ではない分、合理的かつ理性的な話合いができないし、その意味ではカネの回収や目立ちたがり屋よりもタチが悪いタイプといえます。
この種の訴訟は、弁護士が依頼者と同化し、冷静なブレーキ役ではなく、一緒になってワーワー騒ぐようなタイプだと混乱に拍車がかかります。
さらに、これに刑事告訴とかも加わったりして、かなり物騒な雰囲気をかもしだします。
もし、こういう目的で訴訟が提起された場合、あまりアツくならず、過剰な装飾語(「不当」「言語道断」「法の趣旨を曲解した所業」「正義衡平の理念に反する」「法の趣旨目的の許容せざるところである」)が多用された相手方の主張に逐一反応せず、淡々とクールに自分の立場の正当性をきちんと説明することを心がけることが大切です。
それと、徹底して時間をかけて慎重に訴訟を進めるべきでしょう。
時間が相手方の気持ちを変化させ、和解の気運を呼び込むことだってありますから。
今回のケースでもしこういう目的で訴訟が提起されたのだとすると、社外役員である石田鈍一さんはどちらかというととばっちりを受けた立場だと考えられます。
前回も申し上げましたが、石田さんとしては、アキオマ社の運営に積極的に加担していたわけではないことや自分はあくまで反対の意見を表明したこと等もきちんと説明した方がいいと思われます。
一見法的に無関係でも相手方の心情に影響や変化を与えるべき情状的な事情を述べ、とっとと個別に和解して脱退することもアリですから。
なお、この種の事件で対応を間違えると大変です。
たまに依頼を申し込まれる方で、
「最高裁まで係属してもかまわないから判決を取ってくれ。強制執行しても取れなかったら、強制破産(債権者破産)をして、相手方が経済的に死滅するまで徹底した手段を実施してくれ。刑事告訴できるネタがあったらじゃんじゃん頼む。カネならある」
などとおっしゃる方がいらっしゃいます。
こんなタイプの人を相手に
「強制執行しても取られるものなんにもないから大丈夫。多額な予納金が必要な強制破産なんてされっこない」
などとタカをくくってナメた対応していると、ホントに破産させられ、経済的信用を喪失する場合がありますので、注意が必要です。
(4)仕方なくやっている・パターンA(税務的都合でやっている)
以上は、ある意味、利害対立がシビアな典型的な紛争パターンですが、世の訴訟には、上記のような
「ガチンコバトル」
ではなく、やる気がまったく感じられないようなものもあります。
ご存じの方も多いかと思いますが、回収できない債権は持ってても何のトクにもならないので、早く償却するのが賢明です。
理論的に説明しますと、法人税法により、法人が貸倒れによって債権を回収できないときは、貸倒損失として所得の計算上損金に算入できるから、というのがその理由です。
つまり、法人としては、回収するあてもない債権を資産として計上するより、
「回収の努力をした結果、やっぱりできない」
という客観的事実を積み上げ、とっとと損金にした方が税務上メリットがある、ということになります。
貸倒れの認定としては、
[1]いわゆる倒産に至った場合(破産や民事再生、会社更生法、会社法による特別清算)
[2]任意整理において債権者集会の協議決定がなされた場合
[3]債務超過が常態化し、弁済を受けることができない場合
[4]債務者の資産状況、支払い能力等からみて全額が回収できないことが明らかとなった場合
の状況が認められるときに限られます。
逆に、こういう状態でないのに、勝手気ままに債権放棄したら、当該放棄額は法人税法上の寄付金と認定されるリスクが発生します。
すなわち、税法上は、法人が相手方に対し贈与や債権放棄した場合、寄付金として取り扱われることとなり、寄付金の限度計算を超えた額が益金に算入され、その分の租税負担が発生するのです。
そんなわけで、
「とりあえず、訴訟を提起しておいて、相手方の懐具合が空っぽで、たとえ勝っても取れっこなく、却って訴訟費用がかさむような場合、裁判所という第三者的機関の斡旋により一部債権放棄して和解し、とっとと当該放棄部分を損金で落とす」
ということが法人にとって合理的行動とされる場合があり、そのための手段として、訴訟を提起するケースが出てくるわけです。
馴れ合いといえば馴れ合いであり、裁判所としても節税のためのセレモニーに使われるのも迷惑でしょうが、実務的にはよくおみかけします。
そんなわけで、もし相手方がこういう目的で訴訟を提起してきた場合、相手方の真意をよく把握し、請求の存否に関する法的主張や反論もさることながら、いかに自分がビンボーかをアピールすることが双方にとって無意味な紛争を早期に解決するという観点からは重要だったりします。
事件を徹底的に争いつつ、相手方原告の決算期までもつれ込ませると、3月下旬に、あっさり和解なんてケースも実際ありますし、タイミングを見計らったり、それとなく相手方弁護士と本音を開示しあえる交渉環境を作ることも有益です。
(5)仕方なくやっている・パターンB(株主や経営幹部への説明対策上やっている)
最後に、訴訟提起の目的としては、
「株主や経営幹部への説明対策上仕方なく訴訟提起した」
なんのもあります。
例としては少ないですが、例えば
「投資先や融資先が破綻したにもかかわらず、何もせず放置しておくと、そんないい加減なところと仲良しと思われ、不正な投融資により会社の資産を相手方と共犯となって食いつぶしたと勘繰られるので、放置はまずい」
という状況です。
そういう状況において自分の立場の正当性を示すためには、相手方に対してシビアに対応するポーズを示しておく必要があり、その手段として訴訟を提起する、というわけです。
こんな目的のために訴訟を提起された方としてはたまったものではありませんが、これも意外と時間が解決してくれることがあります。
すなわち、訴訟で1年、2年と経過するうち、肝心の株主の関心が薄れたり、あるいは株主の構成がかわったり、経営幹部が入れ替わったり、なんて形で、内部で事件をマジメに追求する人間がいなくなることにより、訴訟提起した目的が半ば達成された状態に至り、最後には弁護士費用分無駄だからテキトーに和解、なんて結末を迎えることがあったりします。
こういうときにビビって早く和解するより、それなりにダラダラと手続を延ばした方がメリットのある解決を得る芽がでてくるので、有利です(裁判所も和解で終わった方が、判決を書く手間が省けるので喜ばしいし、訴訟を提起した弁護士側もタイムチャージでもらっているのであれば、ダラダラした方がトク。
結局、原被代理人と裁判所全員メリットがあることになります)。
(6)小括
以上のとおり、敵の目的は様々であり、これを知りあるいは分析することにより、より有利な形での紛争解決が可能となります。
被告になって、あせったり、ビビったりしても良いことは1つもありません。
冷静でクールな弁護士を選び、敵の真意を把握し、
「日本における民事裁判の限界」
をうまく使い、時間の流れを味方につけて対応するという姿勢が、紛争法務戦略構築にとって非常に重要なポイントになります。

5 敵を知る・その3(裁判所を知る)
さて、ここからは、
「敵を知る」パート
の最後、
「裁判所を知る」編
です。
訴訟事件において、裁判所が最大のジョーカーになるということはすでに述べたとおりです。
世間一般のイメージと実体が異なるってのは、世の中においてよくみられる現象ですが、裁判所もその1つです。
裁判所というのは、常に真実を発見できるオールマイティな権力をもった神様ではなく、他の一般のお役所同様、機能的限界が内在する機関です。
当然ながら、お役所ですから、役所内部のルールに沿って言い分を申し述べないとまったく動いてくれませんし(このような特殊なルールないし体系を要件事実論なんて呼んだりします)、お役所が動きやすい環境を作るのは、お役所から何らかのアクションをもらう側としては当然の義務です。
役所に出向いて、プラカードやメガフォンをもってワーワー叫んでも役所は何にも協力してくれませんが、一定の方式に則って完全な文書を準備して提出し、役所が好むロジックを使って説得すると、お役所は様々な便宜を図ってくれます。
我々弁護士の活動というのは、片手に依頼者というお客、もう片手に裁判所というお客(「判決」という我々のもっとも欲するものを出してくれるという点で、依頼者より大事な「お客さん」といえます)を抱え、その両者の認識を整合させるようにすることにあります。
バカもハサミも役人も使いようです。
このような機能的限界を十分ふまえた上で活用しなければなりませんし、逆にこういうことをふまえず
「機能的限界のない常にかつ当然に真実が発見できる完全無欠の神様」
と考えるとたいてい訴訟運営に失敗します。
以下、裁判所の行動原理をいくつか紹介してみます。
経験と主観に基づくものなので、正しい姿かどうかは知りませんが、参考にはなるかと思います。

(1)書面による証拠がなければ事実とは認められない
争いになりそうな事実や重要な事実については、一般的に文書化するものだし、文書化されない事実は存在しない事実である。
(2)法律や法的合理性にしたがった行動をした方を保護する
逆に法的合理性を無視して、社会常識にしたがった行動をした人間は保護しない。
(3)性悪説に立って法的予防措置を取るため行動した人間は「法的に勤勉な人間」であり勝訴させるが、性善説に立って他人を万事信頼して何も紛争予防措置を取らなかった人間は「法的に怠惰な人間」であり敗訴させる
(4)法律に則った主張を簡潔に記した書面はきちんと読んで採用するが、心情に訴えるような主張や形容詞や副詞の多い書面は読まずにポイする
(5)尋問においてウソをつくのは当たり前
理路整然としたウソをついた方の話を真実と認める。
あと、銀行員とか役人とかはウソをつくはずがないと考えられる。
(6)できれば判決を書きたくない
和解で終わるのが一番いい。
合理的な和解案を拒否するヤツはコノヤロ、あとで判決になったら覚えとけ、とか思ってしまう。
(7)勝敗が微妙な事件の場合、負けても控訴しなさそうな方(訴訟費用とか出せないビンボーそうな方)を負けさせた方がいい
「負けたらすぐに控訴しそうな、勝気でお金をもっている方」
を敗訴させると控訴されてひっくり返され、出世に影響しかねないし。

(6)や(7)は
「私が裁判官だったらこうするかもしんない」
という程度の与太話です。
ホントの裁判官がそこまで腐っているとは考えたくありませんが。

6 訴訟対応指針
次に、石田鈍一さん側の代理人としてどのような行動を取るべきかにつき、まず訴訟に対応するための全体の指針をのべ、さらに、本件で問題となるべき点を個別に解説していきたいと思います。
これまで述べてきましたとおり、弁護士にとって本件解決のキーマンは裁判所であり、裁判所という
「お客さん」
をいかにこちら側に引き寄せるか、ということが活動のポイントになります。
優秀な訴訟弁護士であるほど、裁判とは裁判官をターゲットカスタマー(あるいはターゲティッド・カスタマー)として、
「自己の事案認識」
を売り込むマーケティングであることを知っています。
裁判所の好むロジックや文書を用いて、こちらが認識している事実と裁判所に認識してもらいたい事実のギャップをどのようにして埋めていくかを考える必要があります。
弁護士の中には、正義や人権を振り回したり、相手方の主張の些細な矛盾や破綻を長々とほじくりかえしてはそのことで鬼の首でも取ったかのようになっている方がいますが、裁判官とすればこのようなことはどうでもいい話であって、この種の本筋とは無関係な場外乱闘を聞かせるとウンザリすることとなります。
裁判官としては、判決を下す上で必要かつ十分な情報と、その情報の合理性を基礎づける背景事情とを、早い段階で欲しています。
そして、
「その情報の合理性を基礎づける背景事情」
における合理性とは、社会常識と同義ではありません。
むしろ社会常識とは完全に異なる、
「合理的法律人仮説(筆者が勝手に呼称しているものです)」
とでも称すべき合理性が裁判官を支配していると思われます。
合理的法律人仮説とは、すべての人は、法的合理性と経済合理性にしたがって行動するはずである、とする仮説です。
例えば、保佐や後見の処置をしていない認知症の進んだおばあさんが1億円のリフォームを発注し、契約書が締結され、リフォームの工事が完成し代金が支払われたとします。
この場合、社会常識からすると、当該発注はおばあさんの意志ではなく、明らかに業者の詐欺です。
ですが、裁判官を支配する合理的法律人仮説によると、

  • 意思能力に問題や不安があれば保佐や後見の措置を取るのが普通であり、認知症のまま放置されることはあり得ない。
  • 保佐や後見の措置を取っていないおばあさんは、取引の意思決定において完全性に欠けるところはないと思われる。
  • 人は、不要なリフォームを発注するはずなどなく、発注するからには、相見積もりをするなど、慎重に業者を選定し、十全に価格交渉を行い、請負契約を締結するはずである。
  • 人は、中味を読まずに契約書に署名押印するはずなどなく、契約書記載の条件すべてについて吟味し、不服があれば交渉の段階で異議を唱え、納得の上契約書を締結しているはずである。
  • 契約書に基づき互いの義務が履行されているのに、後からそれがおかしいとかいうのは公平ではなく、そういう後出しジャンケンやわがままを認めると、取引社会が崩壊する。

ということになります。
こういう考え方がひどいとか、矯正が必要とか、という話はあるのでしょうが、それは別の問題です。
訴訟弁護士にとって、上記はゲームを展開する上での所与条件であり、これをふまえて最適な行動をしなければならないのです(例えば将棋で桂馬を前に動かしたり、銀を横に動かしたりするとゲームが成立しないように、負けそうになったからといってルールの不当性を訴えても仕方がないのと同じです)。
上記のリフォームの事例ですが、
「合理的法律人仮説」
からするとひどい展開になりそうですが、だからといって絶対的におばあさんが負けるというわけでもありません。
おばあさん側の弁護士は、戦う上で、ハンディキャップを負担していることを認識しなければなりませんし、デフォルトの設定において不利な状況を覆すよう、さまざまな主張や証拠を用い、また裁判官にこちらのロジックを理解浸透してもらうよう、効果的な
「マーケティング」
をしなければならない、ということになります。

次に、訴訟対応上いくつかの指針となるべきポイントをご紹介します。

I 納期厳守
訴訟弁護士といっても、実体は、裁判所というお役所の出入りの業者みたいなものです。
そして、出入りの業者風情が納期を遅らせたら出入禁止になるのと同じで、納期厳守は絶対です。
訴訟を遂行する上では、様々な課題の提出が要求され、そのすべてについて納期が設定されます。
曰く、何時何時までに、この点を調べてこい、この点について主張内容を整理しろ、こういう証拠があれば出せ、と。
さらにいいますと、法廷や弁論準備室でのやりとりは時間が限られていますので、期日での時間を効率的に使うためには、議論の素材である主張や証拠は事前に出しておくべき必要があります。
ですので、たいていは、課題提出期限は、期日の1週間前とかに前倒しして設定されますが、無論これも納期厳守、仮に納期が維持できないようであれば、いわゆる報連相(報告・連絡・相談)して事前に対応を協議しておくべき必要があります。
弁護士さんの中には、ルーズな人もいますが、基本的にこういう人は裁判官に嫌われます。
裁判官って、小さいころから宿題とか課題とかいったものはすべて期限内に相当中味のしっかりしたものを提出して先生やママに褒められてきたようなタイプの人ばかりです。
夏休みの宿題を忘れて廊下に立たされるようなタイプの人間は、司法試験や司法研修の段階のはるか以前で淘汰されるので、そんないい加減な人間は裁判官には皆無です。
そういう人がお客様であり、神様ですので、納期感覚がいい加減な出入り業者は裁判所では非常に不快な印象がもたれますし、また客であり神である人の不興を被って稼業が成り立つほど甘くありません。
ですので、訴訟遂行上、納期厳守や遅れた場合のフォローは、単純なことですが、少しでも裁判官の心証をこちらに有利に運ぶためには重要です。

II 早めの心証形成に協力
次に、裁判官には早めに事件の全体像をみせてあげることが重要です。
裁判官は時間がありません。
弁護士が忙しいといっても、長時間かけて晩飯を食ったり、銀座でクラブ活動をしたり、ヨットに乗ったり、ゴルフに行ったりする程度には時間的余裕があるものですが、裁判官の忙しさは殺人的です(実際、忙しさで病んでしまい、自殺者が出たりもします)。
そんな、掛け値なしに「死ぬほど」忙しい裁判官に、
「ある種、どうでもいい、ロクでもないトラブルの話」
を聞いてもらうのですから、よほど要領よく話をしないと、話の全体をわかってもらう前にうんざりされてしまいます。
時間に追われる裁判官は、少しでも早く事件の全体像を把握したがっています。
そして、一度把握した事件の全体像は、よほどのことがない限り、修正したりしません(事件の全体像をコロコロ変えると時間の無駄につながりますから)。
ですので、事件は後半ではなく、初動段階が勝負です。
この段階で、いかに裁判官に効率的に事件の全体像を示すかが、勝負のポイントになります。
弁護士さんによっては、事件の初動段階では素っ気ない主張しかせず、最終段階であーだこーだ議論を展開する、
「差し馬」
みたいな方がいますが、後半でがんばっても裁判官はすでに心証が形成されてしまっているので、ほとんど読んでいない(あるいは逆に粗探しの材料を提供するだけ)という状況になっている場合がほとんどなので、後半巻き返すという戦略は定石からかなり外れます。
要するに裁判官は、食の細い食通みたいなもので、前菜で料理の腕が判断されるので、前菜で手を抜くと、メインやデザートでいかに美味しい料理を作っても星がもらえない、ということになります。
いずれにせよ訴訟は
「先行逃げきり」
の戦略が重要で、裁判官が早めに事件の全体像がつかめるように初動段階で充実した主張を展開することが遂行上必須です。
とはいえ、きちんと調べた上で主張しないと、依頼者のいい加減な話を鵜呑みにして客観証拠を精査せずに風呂敷を広げるのも危険です。
依頼者の話がころころ変わったり、相手が提出した客観証拠との矛盾を露呈したり、釈明に窮したりすると、挽回が不可能な状況に陥ります。
また、高度な戦略になりますが、相手方に好きなように言いたいだけ言わせて、後半山のように相手の主張と矛盾する客観証拠を提出してそこで心証を逆転させた方が効果的な場合もあります。
このように例外もありますが、裁判官によっては、こういう弁護士にとって小気味のいい逆転劇も、時間の浪費でありうんざりであると感じる人もいると思われます。
ですので、あらゆる訴訟上の戦略は、お客様である裁判官の事実把握の負荷を少しでも軽減してあげる、という
「顧客第一」
の発想が重要です。

III 読ませる工夫
訴訟においては、訴状、答弁書、準備書面という形で訴訟の進行に応じて様々な書類を裁判所に提出します。
法律家は、小難しいことを書いた大量の文書に常に接しているため、速読に長けた人が多いですし、裁判官も例外ではありません。
ですが、速読に長けたスーパーマンといえども、仕事として義務感でやるからできるわけで、小難しい文書を長時間読まされることが苦痛なことには変わりありません。
訴訟事件というのは、過ぎ去ったことを、あいまいな資料をもとに、事実が
「あーだった、こーだった」
と言い争うわけですから、つまんないことが一杯書いてあるわけです。
自分自身にとっては、関心も興味もない、つまんないことが延々書いてある長文を読めというのは、上記のとおり非常な苦行なわけですが、当事者が裁判官に求めているのは要するにそういうことです。
これまで、
「裁判官はお客様、お客様は神様」
と言ってきたわけですが、
「『訴訟において言い分を書いた書面を提出するということ』は、『尊い神様に苦行を強いている』のと同じである」
という自覚が必要であるとともに、少しでも神様を苦行から解放させてあげる努力が必要です。
要するに、
「言いたいことを、言いたいだけ、言いたいように書きつらねる」
というスタンスは神様である裁判官の印象を非常に悪くするわけで、
「たたり」
ならぬ
「敗訴判決」
が下されることになります。
逆に、少しでも楽に読んでもらうため、提出文書に工夫や配慮をしておくと
「あとできっといいことがある」
ということになります。
どの弁護士さんも、裁判に勝つため、あるいは和解交渉を有利に進める環境を作るため、裁判所提出書面には
「読ませる工夫」
をされているようですが、筆者が気にかけている点をいくつか紹介したいと思います。

(1)10頁の原則
まず、提出書面については絶対量というのが存在しますが、これがだいたい10頁といわれています。
依頼者からすると言いたい事は山ほどあるのでしょうが、高度な専門性をもつ医療訴訟や知的財産権訴訟、商事紛争を別とし、通常の訴訟であればだいたい10頁もあれば相当な情報量になるので、これ以上書くと裁判官が読んでくれない(読んだとしても、ポイントを絞りきれず、認識が希薄になる)可能性が出てきます。
ですので、どんなに複雑な事象説明でも、提出書面1通につき、10頁以内に収めることが推奨されます。

(2)修飾語やレトリックは「法曹禁止用語」
素人の方からは意外に思われるのですが、弁護士は事実を語るのであって、相手を非難するのが活動の本質ではありません。
裁判所としても、事実に基づいてどちらかの当事者を勝たせるのであって、人間性や雰囲気や印象によって勝ち負けを決めているわけではありません。
その意味では、書面に
「不当」
「非常に公平を欠く」
「誠実とはいえない」
「明白に虚偽といえる」
「明らかに矛盾する」
等修飾語を書きつらねられても、裁判所としては困るわけで、
「何時、誰が、どこで、どのようなことを、何回した」
から
「不当」
というのか、評価の根拠となるべき事実を知りたいのです。
裁判官の中には、当事者の書面から修飾語を、意識の上で墨塗りして読む人もいると聞きます。
ですが、いちいち墨塗りさせる手間をかけさせるのもよろしくないので、
「評価の根拠となる事実を書かず、華麗な修飾語やレトリックで相手の揚げ足を取るような文書」
は控えた方がいいでしょう。

(3)要件事実の意識
裁判官の頭の中では、すべての事実を同じ意味において認識することはしません。
裁判官は、紛争解決を導く上で必須あるいは本質的な事実とそうでない事実、そうでない事実についても重要なものと不要なもの、という形で事実を階層化して認識していきます。
「紛争解決を導く上で必須あるいは本質的な事実」
を要件事実とか言ったりしますが、提出文書においては、このツボを押さえることが必要です。
その他の事実、すなわち事情についても重要なものを中心に述べていくわけですが、
「重要かどうか」
は、
「『学歴社会の頂点に立ち、俗世の芥から隔絶した静謐な生活を送っておられる裁判官の経験則』からみて重要かどうか」
ということですので、くれぐれも
「依頼者の主観に基づく重要性認識」
に振り回されないよう、注意が必要です。

(4)主張設計の方法
最後に、事実とは、具体的な事実を、客観性がある形で、あるいは相手が争いようのない形で呈示していくと、裁判官としては非常に事案を認識しやすい、ということになります。
明らかに相手が否定するであろうような形で事実を主張することは、紛糾の原因になるだけで、時間とエネルギーの無駄ですし、裁判官もあまり良い印象をもってくれません。
訴訟上の重要な争点は別として、客観的証拠(公的な文書や相手の自認文書)が残っている事実や相手が認めざるをえない事実を丁寧に拾って主張設計していくと、無用な紛糾が避けられますし、裁判官も審理を進めやすくなります。

IV 経営判断の原則
今回の件では、石田鈍一さん側は、社外取締役の地位にありながらさぼって会社をつぶしたんだから責任を取れ、と訴えられているわけです。
もちろん、石田鈍一さんとしては、こういわれても仕方のないくらい、適当なことをしていたわけです。
じゃあ、会社をつぶしたら全部取締役は責任を負わなければならないか、というと、必ずしもそうではありません。
たしかに、取締役は、株式会社から経営の委任を受けた者として、高度の注意義務を負っています。
ですが、他方、キリスト教世界に地獄があるように、資本主義社会に倒産はつきものであり、倒産したら取締役がすべて結果責任を負え、なんてことを言い出したら、誰も取締役にならなくなり、株式会社制度、ひいては資本主義社会自体なりたたなくなります。
また、取締役の経営判断といっても、市場の状況や自社の経営資源等を勘案しながら、複雑な状況において、タイムリーに判断することが必要であり、当該状況において何が正しい経営判断か、といわれても確たる答えが出るようなものではありません。
そこで、取締役の重い責任から解放するロジックとして経営判断原則といわれるものがあります。
判例(東京地方裁判所平成10年9月24日判決、判例タイムズ994号234頁等所収)は、
「ところで、取締役は、会社から委任を受けた者として、善良なる管理者の注意をもって事務を処理すべきであるとともに(旧商法254条3項)、会社及び全株主の信任に応えるべく会社及び全株主にとって最も有利となるように業務の遂行に当たるべきであり(同法254条ノ3)、もちろん法令、定款及び総会の決議を遵守しなければならない(同条)。
一方、取締役による経営判断は、当該資本政策等の方法、相手方、その交渉等の時期・方法等はもとより、当該会社の事情、当該業界の状況、我が国のみならず国際的な社会、経済、文化の状況等の諸事情に応じて流動的であり、しかも複雑多様な諸要素を勘案してされる専門的かつ総合的な判断であり、一方、委任者たる会社又は株主においては、当該取締役に会社の経営を委ねたからには、その経営判断の専門性及び総合性に照らして、基本的にその判断を尊重し、もって経営を遂行する上においてその判断を萎縮から解き放って経営に専念させるべきであるということができるから、取締役による経営判断は、自ずから広い範囲に裁量が及ぶというべきである。」
と小難しいことを言っていますが、要するに
「取締役の経営判断には裁量があるので、よほどのことがない限り、後から細かいこと言って全部取締役の責任にしませんよ」
と言っているわけです。
石田鈍一さん側の弁護士としては、彼を弁護する手段として、こういうロジックを持ち出し、
「アキオマ社の属する業界における通常の経営者の有すべき知見及び経験」
を基準として、

・ジェット機購入行為については、当該目的に社会的な非難可能性がない
・またその前提として購入にあたっての事実調査に遺漏がなかった
・調査された事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなかった
・その事実に基づく行為の選択決定に不合理がなかった
・だから、今回の件は誰も予測できなかった不幸な出来事であるし、事後的観察からは判断にミスがあったとしても経営判断の原則により付与された裁量は何ら逸脱していない

なんて感じで反論設計をしていくことになります。

Ⅴ 損害とか因果関係とか
このように経営判断の原則を解説しましたが、そのほかにも石田鈍一さん側の弁護士としては、相手方の弁護士の言い分を争うため、ありとあらゆる手段を考えなければなりません。
平たくいえば、被告弁護とは、相手の法的要求に
「ケチや難癖をつける」
ことであり、逆に原告側は、いかに相手にケチをつけさせないようにするか、そのために相手方としても争いようのない事実や客観的な明らか証拠により証明できる事実に整合する形で法的主張を考える、ということになります。
今回の場合、石田鈍一さんは債権者から
「アキオマ社が倒産したのはお前が取締役としての責任を果たさずさぼっていたことが関係しているのだから、倒産したことによる損害を賠償せよ」
と言われているわけですが、相手の言い分を鵜呑みするのではなく、ケチをつける、すなわち相手の言い分に逐一疑問を抱き、疑ってかかる姿勢が必要です。
たとえば、債権者の主張している債権額はほんとに主張どおりなんでしょうか?
ひょっとしたら、この債権者って倒産直前期にとんでもない利息で貸し付けた悪徳業者であり、主張している債権額のうちほとんどは違法な金利によるものかもしれません。
そうだとすると、実際の損害額は債権者と称する悪徳金融業者の主張している金額よりはるかに低いかもしれません。
また、ひょっとしたら、この債権者は、倒産直前期のごたごたに外注担当者と結託して、ほぼ背任に近い状態で、ロクな仕事もせずに適当な金額で企画発注しているだけかもしれません。
さらには、一見まともな取引に基づく債権を主張しているような場合でも、納入したものがとんでもない欠陥品でそもそも債権額の半分も主張できないような事情があるのかもしれません。
加えて、果たして、石田鈍一さんがアキ代の暴走を止めなかったことが会社倒産の引き金なんでしょうか? 
よくよく事実を調べると、倒産の引き金は、ジェット機の購入とかそんなつまらないことではなく、マーケット自体がすでに衰退期にあり、どんなに努力をしようがアキオマ社はつぶれる運命にあったのかもしれません。
このように、被告弁護において、損害発生や因果関係とかについて疑ってかかり、これらを争ってみる姿勢、日常的な言葉を使えば
「相手の言っている法的シナリオに徹底してケチや難癖をつける姿勢」
というのが非常に重要になります。
ただ、なんでもかんでもケチ・難癖をつければいいか、というと、裁判所に受け入れられるようなケチ・難癖であることが必要です。
被告代理人としてケチや難癖をつけるのであれば、(すでに解説したしたところですが)裁判所がもっている、日常生活におけるものとはかけはなれた、特殊な経験則とか法律の解釈適用則とかを踏まえなければなりません。
そして、裁判所もお役所である以上、お役所共通の客観的事実の尊重(当事者の主観の排除)や保守的なまでの文書偏重主義に沿った形でのケチ・難癖を構成する必要があります。
とくに、客観的裏付けもなく単に相手の主張に疑問を呈するだけだったり、相手の揚げ足取りをするだけの反論は裁判所は忌み嫌います。
このような点を考えながら、石田鈍一さん側の弁護士としては、相手方の主張がすんなり受け入れられないよう、さまざまな反論を試みることになります。
そして、このような主張の応酬過程を経て、裁判所に本件の争点(ポイントとなる事実についての主張の食い違い)が見えだしたところで、和解交渉がはじまります。

VI 和解交渉戦略
(1)和解の意味
「和解」
というと、何やら弱気で迎合的な印象がぬぐえない言葉ですが、実際には、ほとんどの裁判は
「和解」
で終結しますし、ほとんどの法律家(弁護士のほか、裁判官も、という意味です)は
「和解による解決」
を上策とします。
例えば第1審で勝訴判決を得ても、日本では3審制を取る以上、上級審で逆転敗訴するかもしれませんし、何より、解決が長引くことを好む当事者はいないはずです。
当然のことながら、和解は相互の譲歩が前提となりますが、相手方についても、上級審に移行して追加の弁護士費用がかかったり、時間を要したり、はては逆転敗訴したりする事態は回避したいはずですし、多少の譲歩をしても和解をすることの方がメリットがあるケースがほとんどと思われます。
そもそも民事裁判なんて正義のためでなく、所詮カネや権利のためにやっているわけですから(離婚訴訟とか「カネや権利のためにやっているわけではない」裁判もありますが)、膨大な時間とエネルギーをかければかけるほど、裁判によって得られるべき成果の正味価値は反比例して逓減していくはずです。
当事者はいきり立っているかもしれませんが、以上のとおり冷静に考えればどんな事件でも譲歩により早期に解決するメリットがあるはずです。
さらにいえば、高裁・最高裁を経由して訴訟に勝ったとしても相手が判決内容を任意に履行してくれないと強制執行するという別の手続を遂行するため、これまた膨大な時間とエネルギーを解決のために投入しなければなりませんが、和解の場合、たいてい金銭や権利の移譲が相手の任意で行われることを前提ないし条件とされますので、執行(解決内容の実現)の手間ヒマが省けるというメリットもあります。
「判決は、訴訟上の和解交渉の失敗」
なんて言葉があるくらいで、むやみやたらと判決を求めるのは訴訟戦略としては下策です。
昔、ローマがポエニ戦争でカルタゴに勝った後、カルタゴの地を焼き払って塩を撒いたとの故事があるようですが、これ自体はローマの未熟による愚策と思います。
筆者がローマの指導者であれば、勝敗が決した段階で和解して完全な植民地としてカルタゴを残し、巧みな統治手法によってその経済力を我が物にする方法を考えますから。
勝訴実績を誇示したり後先を考えず好戦的なことを売りにする弁護士さんは業界内に少なからずいらっしゃいますが、頭の弱いお客をひっかけるための営業トークとして言っておられるのであればまだしも、
「どんな事件でも判決獲得が唯一かつ最上のゴールである」
旨本気で信じておられ、これを誇示することが、自分が優秀であることの表明であると考えておられるのであれば、ちょっと知的成熟性や実務経験に問題があるかもしれません。
いずれにせよ、訴訟の最終解決形態として和解が優れたものである以上、ほとんどの訴訟弁護士は自己に有利な和解に導くことをゴールとして法廷の内外で活動することになりますし、
「狙いどおりの、ありうべき形の和解」
に持ち込める弁護士ほど腕のいい弁護士ということになります。

(2)和解に際しては、裁判所を味方につけるべき 
和解とは最後は当事者双方が納得しなければならないものなのですから、裁判所は勧告したり助言したりするだけの立場に過ぎません。
ですが、裁判外の和解と異なり、訴訟手続の和解となると裁判所は極めて重要な役割を果たしますので、相手方を説得する以上に裁判所を味方につけて裁判所を通じて交渉を動かしていくことが重要になってきます。
すなわち、和解は原被告当事者だけの問題ではなく、裁判所も
「和解か判決か」
という事件の帰趨に大きな利害と関心をもっており、このため、裁判所は和解の運営には大きな役割を果たします(平たくいえば、かなり強くお節介を焼いてくれます)。
そもそも裁判官は、民間企業の営業達成ノルマなどと同じように、
「多数の手持ち事件の迅速で適切な解決」
というノルマを上から課され、当事者以上に重圧を抱えています。
ここで
「解決」
と書いたのは意味があります。
すなわち、裁判所にとって、和解であろうが判決であろうが
「事件の解決」
となり、こなした仕事としてカウントされるようなのです。
そうした状況にあって、
「和解をしてくれたら判決を書く手間が省ける」
という意味で、和解は
「大幅な作業負担から解放される解決形態」
としてどの裁判官からも歓迎されます。
加えて、判断が微妙な事件の判決となると、裁判官も神経を使いますし、自分の判断が上級審でひっくり返されると
「判断を誤って当事者に迷惑をかけた」
という意味で、非常にイヤな気分にさせられますし、出世にも響く可能性もあります。
また、裁判官は和解を勧めるに大きな権力をもっています。
すなわち、
「ここで和解に協力しないと、あんたに不利な判断をしちゃうよ」
という隠然たるパワーを匂わすことができるのです。
この空気を読めないと、有利なはずの事件で逆転で負けることだって起こり得ます。
以上のとおり、和解を有利に進めるためには、相手をどう譲歩させるか以上に、裁判官をどう動かすかという点に注力すべきであり、裁判官の態度如何で解決の有り様が大きく変わる場合があります。
石田さんとしては、前々回述べてきたような
「原告の主張に有意なケチ・難癖」
を様々につけて、裁判官に対して
「判決となると微妙な判断になるし、高裁にもってちゃうかもしれないよ」
ということをソフトにアピールしつつ(裁判官は恫喝を嫌いますので、間違っても機嫌を損ねてはなりません。
「こんなもん、払えるか、ボケ」
「裁判なんてナンボのもんじゃい」
「判決上等じゃい上にもっていったるさかい、やれるもんやったら、やってみんかい」
「公僕風情が納税者に向かってエラそうに何いいさらしとんねん」
みたいな態度は絶対禁物です)、
「私としても和解で解決したいんで、強硬な相手を説得してくださいよ」
と裁判官を味方につけるような形で和解手続を進めることが重要になってきます。

(3)和解条件の設計
具体的な和解の条件設計についてです。
和解のおおまかな意味はさておき、どのように和解の条件を設計していけばいいのでしょうか?
和解条件を設計する上で、何か決まりはあるのでしょうか?
ということについて説明して参ります。
そもそも和解とは何か、というと、これは一種の契約であり、契約には
「契約自由の原則」
が働きます。
「契約自由の原則」
とは、契約の内容として、どのような権利や義務を盛り込むかはまったく当事者の自由であり、権利や義務の内容がきちんと特定してあるにもかかわらずこれが守られない場合、裁判所という国家権力がその実現を助けるというルールです(麻薬の売買や殺人の依頼契約や賭博に関わる合意や愛人契約・奴隷契約の類は公序良俗に反するという理由で無効になりますが)。
すなわち、和解が契約である以上、その内容は、当事者間の自由、交渉によって決まったらその内容は何だっていい、ということです。
このように、和解内容を勝手に設計するのは自由です。
しかしながら、契約である以上相手の承諾が必要ですので、相手方がNOといえば和解契約としては成立しません。
また、訴訟の行く末や場の空気を読めず、あまり不当な条件に固執していると裁判所の不興を被り、和解交渉を打ち切られ、そのまま判決に移行されてしまいます。
したがって、
「『裁判所の共感を呼び、相手方が同意してくれる』という範囲において、いかに自分にとって有利な和解条件を設計するか」
が和解の具体的条件を作る上でのポイントになります。
ここで、石田鈍一さんの立場(訴訟の被告となってカネを支払わされる側)に立って、和解条件設計の上でのいくつかのポイントを述べていきます。

(ア) 和解金の支払は分割か、一括の場合は値切交渉を
石田鈍一さんは、和解の内容として一定の金銭の支払に合意させられることになると思います。
ここで、石田さん側としては、支払う金額自体が極力安くなるよう値切り倒すのは当然として、支払方法もなるべく分割にしてもらうよう交渉すべきです。
一旦分割提案をし、その上で相手方がなお一括支払を求める場合、
「知人から借りて支払いますが、限度があるので、全部は無理」
などといってさらに値切ってみるのも1つの戦術です。

(イ) 和解金の支払名目
それと、和解金の支払名目ですが、法律上の損害賠償義務の存在を前提としない、解決金とかの名目にしておいた方がいいでしょう。
石田鈍一さんが負うべき損害賠償義務の相手方は、何も現在原告となっている債権者だけとは限りません。
すなわち、今後、ほかにもうじゃうじゃ損害賠償を求めて提訴してくる連中がいるかもしれません。
そんなときに、石田さんが、今回の裁判で、
「自分の非違や相手に金銭に換算しうる具体的損害を被らせたこと」
を認めたとなると、これが前例として、次回の裁判で相手方に援用されるかもしれません。
ですので、
「お互い大人として、悪いことをしたかどうかは明らかにしないようにして、とりあえずこんな無駄な紛争は止めましょう。そういう大人の解決のためにお金で関係を清算しましょう」
という趣旨のお金のやりとりだけにしておくことには意味があります。

(ウ) 守秘義務
上記と同様の趣旨で、守秘義務契約を和解契約に盛り込んでおくことも考える必要があるでしょう。
すなわち、
「特定の債権者との訴訟において、名目はともあれ、石田鈍一さんが債権者に結構な額のカネを支払った」
という事実が他の債権者に知れると、また損害賠償請求訴訟のターゲットになる危険が出てきます。
ですから、今回和解をする債権者との間で、和解に金銭の授受が伴っていることを秘匿してもらう旨の約束をいただくと、和解することが後に生きてきます。
1番良いのは、
「裁判外で守秘義務を含む和解をし、当該和解に基づき、訴訟手続としては債権者が無条件に訴えを放棄した格好にしてもらう」
という形でしょうか。

(エ) 清算条項
最後に清算条項について。
裁判内外の和解において、
「原告及び被告は、本和解契約に定める外、当事者間に何らの債権債務関係が存在しないことを、相互に確認する」
などという条項を入れることがよくあります(債権債務関係の清算を行うことから「清算条項」などといいます)。
ここで注意が必要なのは、
「原告及び被告は、『本件に関し、』本和解契約に定める外、当事者間に何らの債権債務関係が存在しないことを、相互に確認する」
タイプの条項と、
「原告及び被告は、本和解契約に定める外、当事者間に何らの債権債務関係が存在しないことを、相互に確認する」
タイプの条項
の2つがあるということです。
なんだ、
「2つともたいして変わんないじゃん」
なんて声が聞こえてきそうですが、
「本件に関し、」があるのとないのとで、実は大きく異なるのです。
前者(「本件に関し、」がついている方)だと、本件以外の問題について従前の事実関係に基づき債権者が石田鈍一さんに対して請求すべき事案が生じた場合、原告債権者が、再度、石田さんに対して訴訟を提起する余地を残すことになりますが、これは石田さんにとって脅威となります。
後者(「本件に関し、」がついていない方。「包括清算条項」などということもあります)だと、
「本件も含め、和解時点において石田さんと原告債権者との間には、一切、請求したり・されたりの関係がないこと」
を確認することになりますので、たとえ従前の事実関係に基づき債権者が石田鈍一さんに対して請求すべきようなネタを発見した場合でも、債権者は石田鈍一さんに対して訴訟を提起できなくなります。
今回の事件では想定しがたいのですが、2当事者間に根深い対立があり、こっちの土地の問題、あっちの土地の問題、こっちの建物の問題、あっちの建物の問題、遺産分割の問題、損害賠償の問題等々雑多な事件が複数存在する場合、包括清算条項にするかしないかでは、大きな差異を生じることになります。
以上のような形で和解交渉を進めていくことになります。
こういう感じでうまく和解ができれば、それで訴訟は最終的に終結することとなります(たとえ、どんなに条件的に不服であっても、一旦和解した以上、事件を高裁や最高裁に本件を持ち込むことはできません)。

VII 敗戦対策
天才ナポレオンがロシアで失敗したように、徳川家康が三方原で敗北したように、どんな訴訟においても敗訴という事態が存在します。
ただ、敗訴といっても、剣道や柔道のように勝敗が一瞬にして決まるわけではありません。
これまで述べてきたとおり、裁判は、双方の言い分を整理し、双方の言い分の裏付けを確認し、関係者に対して直接質疑し、和解の条件を出させ、譲歩をし、また和解の条件を出させ、さらに譲歩をさせ・・・という重畳かつ緩慢な過程を経て進んでいきます。
結審前後になっても、裁判所は、なお
「被告ももうちょっとお金出せるでしょ。お金出せないっていうんだったら、敗訴させますよ。本当にいいんですか? 知りませんよ。本当に本当にこれが最後なんですよ。ちゃんと空気読めてますか」
みたいな形で和解を勧め、それでもダメと見極めた上で、判決を下します。
その意味では
「準備ができずパニックになる」
というようなものではありません。
ですが、やはり、不利な結論を見越してある程度の備えはしておくべきだと思います。
まず、敗戦対策のもっとも重要なポイントは、負けた側にどのような不利が発生するか正確に認識することです。
民事の場合、判決に基づいて、収監されたり、首を吊るされたりするわけではなく、判決といっても
「債務者の財産に対して強制執行をしてもかまいません」
ということを宣言した紙切れが裁判所から送られてくるにすぎません。
強制執行というと
「身ぐるみ剥がれる」
みたいな非常に陰惨なイメージがありますが、実際は、それほど厳しいものではありません。
無論、高価な財産があれば差し押さえられオークションされますが、生活に必要な家財(テレビや冷蔵庫も)まで差し押さえられることはありません(「着ている服以外の服は全部差し押さえられるから、執行官がやってきたら、とりあえず十二単のように服という服を全部着ろ」なんてのは迷信です)。
無論、理論上、債権者からの申立により強制破産される可能性はあります。
ですが、強制破産には、債権者側において相当額の予納金を用意する必要があり、どこかのマンション分譲業者のように資産隠しをしてそうな相手にはそれなりの意味はありそうですが、本当にお金がない人に対しては、まったく意味がありません。
予納金(葬儀費用に相当)を負担してまで
「経済人としてのお葬式」
をあげようなどという債権者は、債務者にとって実に奇特な存在に映るはずです。
なお、今回の石田鈍一さんの場合、不倫文化開発社のオーナーとして同社の株式を保有しており、これが差し押さえられる可能性がありますので、上記のようにタカをくくるというわけにはいきません。
そして、こういう場合は、やはり控訴せざるを得ません。
ここで、控訴審のポイントをお伝えしておきます。
みなさんは、小さいころ、社会科で
「日本は3審制であり、1つの事件を、地方裁判所、高等裁判所、そして最高裁判所の3つの裁判所で慎重に判断してくれます」
ということを習ったかもしれませんが、これは民事・商事実務では事態を正確にあらわした表現とはいえません。
現在の民事・商事実務においては、最高裁で審理されることはほとんどなく、高等裁判所が事実上の最終審となります。
じゃあ、事実上の最終審である高等裁判所で地方裁判所での一審同様、いろいろ話を聞いてくれるか、という点についても、これもNOです。
1審での判決が極端にひどいものであった場合等を除き、高等裁判所で1審の判断がひっくり返ることはまずありません。
ですが、高等裁判所においては、ほとんどといっていいくらい、和解を勧めてくれますし、高等裁判所における和解は非常に重みがあり、かなりの割合で高裁における和解はまとまるのです。
高等裁判所の裁判官は、いうまでもなく地裁の判事よりも権威がありかつプライドも高く、また、彼ら・彼女たちが勧める和解内容は1審の審理や判決を前提としている点で合理的な提案が多いといえます。
その意味で、高裁判事から勧められた和解を、当事者が不合理な理由で拒否すると、いたく彼ら・彼女たちの権威やプライドを傷つける結果となります。
特に、
「いろいろ主張に問題はあるが、どっちかというとこっちに証拠があるから負けさせるのもどうかと思うので、とりあえず勝たせてあげる」
みたいな判決内容で1審勝訴した当事者が、勝った余勢をバックに、
「和解? うるせーバカ。早く判決出せ、このタコ」
みたいな態度で不合理に提案を拒否すると、逆転判決を食らうことも結構な割合であったりします。
すなわち、我々民事・商事実務弁護士の間では、
「高裁の和解提案は意味なく蹴るな」
という暗黙のルールがあり、そういう点で、高裁での和解提案拒否は勝った方も負けた方もリスクがあるため、高裁で和解が成立する可能性は地裁に比して格段に高いといえるのです。
ですので、石田鈍一さんとしても、1審での和解交渉に失敗し、敗訴判決を食らっても、めげずに高裁に控訴し、高裁判事に再度言い分を切々と訴えると共に、少しでも有利な和解を勧めてもらえるよう粘るべきです。

【紛争法務対応の極意】
一 訴訟の相手方の欲求を見抜け!それによって、自分がどこで妥協すべきか、または全面戦争すべきかが変わるぞ!
一 訴訟におけるもう一人の顧客(裁判所)の特性を知る弁護士への依頼が大切だ!裁判所に受けいられなければ、いかに常識的な主張であっても認められないぞ!
一 和解条件は工夫のし甲斐があるぞ!事件に併せて細かな文言を調整する等、こここそが使える弁護士かどうかの見極め所になるぞ!

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00527_企業法務ケーススタディ(No.0192):「社外取締役として関わっている企業が破綻し、株主代表訴訟を提起されたケース」を想定した予防法務テクニック

1 事例
「株式会社アキ代にオマカセ!(以下、「アキオマ社」)」
は、株式の100パーセントを和田アキ代が所有する人材派遣会社である。
アキオマ社には和田アキ代自身は取締役に名を連ねていない。
アキ代は、アキオマ社の社主として、いわば院政のかたちで自社を牛耳っているのであり、アキオマ社はアキ代が全権を掌握する典型的なオーナー会社だ。
代表取締役は峰竜介というこれまた典型的な佞臣タイプの名目社長。
代表取締役としての権威も権力もなく、アキ代の意向を正確に社内外に伝えるだけの
「性能のいいメガフォン」
である。
アキオマ社の年商は150億円。
なかなかの数字であるが、人材派遣業の粗利水準に比して、経常利益は非常に薄い。
支出が異常なほど大きいからに他ならない。
今回の主役、石田鈍一は、そんなアキオマ社の社外役員に就任した。
石田は、渋谷と六本木で不動産業「株式会社不動産倫理文化開発(以下、「不倫文化開発社」)」を経営する社長である。
毎年売上は大きく変動するが、平均すると年商15億円ほどの売上があり、主に水商売向けの賃貸物件斡旋では定評がある。
ところが、石田は、バブル期に海外不動産投資に手を出して大やけどを負い、また、政治に目覚めて選挙に出たが惨敗したり、プライベイトでも、離婚でモメたり、息子が警察のご厄介になるなど幾多の不幸が重なり、投資の負債やら選挙の際の借金やら離婚の慰謝料やら弁護士費用やら支出がかさみ、3年前には石田個人も不倫文化開発社もすっかり左前になっていた。
そんな中、石田が以前から知己を得ていた和田にお金の工面を泣きついたところ、
「じゃあ、うちの会社の社外役員をやればいいじゃない。
捨扶持と思ってちょっと面倒見てあげるわよ」
と提案され、二つ返事で引き受けた過去がある。
それからしばらくたってからかつての恋人からアイデアを得て始めた
「野菜のソムリエ」スクール事業
や、現在の夫人と共同で始めたゴルフスクールという2つの新規事業が大当たりし、不倫文化開発社はすっかり持ち直した。
しかし、従前の経緯で石田はアキオマ社の社外役員業務を引き続き行っていた。
社外役員業務といっても、月に1回、夕方にアキオマ社の会議室で1時間ちかく峰のつまらない話を聞いたあと、朝方までアキ代の飲みに付き合えば月額70万円ももらえるおいしいポジションだった。
昨秋、アキ代は初めてヨーロッパを訪れた。
単なる買い物旅行であったが、現地イタリアである男と知り合ってしまった。
スハダに柄シャツ、皮のジャケットを粋に着こなす、不良っぽいラテン中年を絵にしたようなイタリア人、ズラーロモである。
日本に在住経験のある彼は、日本語に堪能であった。
ラテン系男子特有のノリに一発でまいってしまったアキ代は、その後、1ヶ月に一度はイタリアを訪れることとなる。
ズラーロモがどのようにアキ代を想っていたかは知る由もないが、少なくともアキ代は彼に惚れてしまった。
4度目の訪問のとき、ズラーロモはアキ代にある計画を打ち明けた。
ズラーロモ「洋服や靴のセレクトショップをやりたいんだ」
アキ代「いいわよ、やってみれば。お金のことは心配しなくてもいいわよ」
ズラーロモ「グラッチェ、アキ代。愛してるよ」
帰国後、アキ代は峰を呼んだ。
アキ代「イタリアに進出するわよ」
竜介「イ、イタリアですか?」
アキ代「そう、イタリアよ。なんか問題でもあるの?」
竜介「イタリアで何をするんですか?」
アキ代「ショップに決まってンじゃないのよ」
竜介「イ、イタリアで?」
アキ代「ちゃんと仕切れる人間があっちにいるから大丈夫よ。なんか文句あんの!」
アキ代「それと、イタリアとの往復もかなりの数になるから、プライベートジェットを買うわ」
竜介「プ、プライベートジェット!! いくらすると思ってるんですか?」
アキ代「知らない。いくら?」
竜介「20億円はしますよ! そんな大金使ったら、いざというときの備えがなくなり、大変なリスクとなりますよ」
アキ代「いざというときは、銀行でもなんでも借りてくればいいでしょ! とっととやんなさいよ」
竜介「・・・はい」
峰は暗澹たる気分になった。
もはや道楽を超えている。
しかし、オーナーには絶対服従だ。
やるしかない。
こんな状態で、峰は、総額40億円もの予算を確保し、社内では
「アモーレ」
というコードネームが付されたイタリアプロジェクトを取りまとめた。
そして、峰は、定例の取締役会議の際、経過を説明した。
「セレクトショップ? しかもイタリアで? なんでそんなことをやるんですか?」
と、当たり前の質問をしたのは社外取締役の石田鈍一だった。
峰は、
「オーナーの決定です。答える必要はありません!」
といって睨みつけた。
こちらもこれまでの恩義がある手前、強く反対することもできなかった。
石田はそのまま沈黙してしまった。
ところが、ズラーロモはとんだ食わせ者だった。
現地法人を作り、ミラノに本店を構えたが、事業が軌道に乗らない間に、フィレンツェとヴェネツィアにも支店を出した。
それができたのは、プライベートジェットを担保に多額の融資を取り付けことによる。
しかし、もとはといえばその日暮らしの単なるジゴロである。
ビジネスのセンスなど皆無。
売上も満足に立たないのに、ただただ経費を使いづけるだけで、そのうち、ホテルオーナーの別の金持ち日本人女性と交際をはじめるや、飽きて店にも顔を出さなくなった。
やがて、アキオマ社の借金は膨らんでいき、またアキ代の強烈な独裁ぶりに社員がどんどん離反し、ついに200億円に近い負債を抱え、破産した。
そんなある日、石田鈍一は、債権者から損害賠償請求をされた。
「オレ? マジ? なんで? オレ、単なる社外役員だよ」
アキ代は人材派遣会社以外にも化粧品会社等多数の会社を所有しており、破産直前に、峰に株を押しつけ、アキオマ社は
「株式会社竜介におまかせ!」
に商号変更した上で、ゾンビ会社として幽霊のように存在するが、逆さにしてもホコリも出ない状態で、債権者も相手にするのをやめてしまっている。
「なんでオレが? オーナーだろ、責任は・・・」
裁判は進んでいった。
残念ながら、かなり雲行きが怪しい。
このままでは、多額の賠償責任を負い、すっかり立ち直り優良企業となった不倫文化開発社が債権者の手に落ちてしまいかねない。
果たして、石田はなぜこんな事態に陥ってしまったのだろうか?
何が悪かったのだろうか?
これを回避する術はあったのだろうか?

以上のケースを前提に、ここでは、石田鈍一氏の立場に立って、同様の事態に陥らないための、予防法務、さらにはその前提として、正しく不安に感じるための状況認知能力を実装するためのリテラシーを述べていきたいと思います。

2 問題を理解するための前提リテラシー
今回の石田鈍一さんをとりまく問題ですが、この問題をきちんと整理して理解するには会社法の知識が不可欠です。
そこで、今回のケースでは、まず会社法のお勉強から始めたいと思います。
「そんなの知ってるよ」
とか言われそうですが、大抵のビジネスマンや経営者の方はおそろしく会社法に無知です。
弁護士になるには司法試験にパスする必要がありますし、公認会計士になるにも公認会計士試験にパスする必要があります。
ところが、会社の取締役や株主になるには、何の試験も必要ありません。
そんなわけで、そもそも法律的にどういう仕組であるか全く知識なしに、多くの方々が出資をしたり、役員になったりされていますし、こういう知識の欠如が多くのトラブルの根源になっています。
で、トラブルになる人の傾向を見ていると、大抵は、
「実は会社法につき全くの無知なのに、経験からなんとなく知っている、という心理状態のまま法律行為に突入し、足元をすくわれる」
というのがパターンです。
ですので、商法を究めた人は読みとばしていただいて結構ですが、多くのビジネスマンや経営者のために、会社法の基礎を述べたいと思います。
まず、会社の種類ですが、会社には4つの種類があります。
合名会社、合資会社、合同会社、そして株式会社です。
みなさん、これらの違いってわかります?
これらの違いを説明するには
「有限責任」
「無限責任」
というものを理解する必要があります。
会社が倒産した場合に、出資者が出資した金額を損してしまうのは当然として、それ以上に、債権者(金貸しや使用人や取引先)からの請求に対して責任を負うかどうかというのが
「有限責任」
「無限責任」
の理解のポイントです。
無限責任というのは、上の例で、
「会社が倒産し、出資金額を食いつぶしても債権者への支払ができなかったら、出資者がケツをもつ」
という責任形態です。
有限責任というのは、上の例で、
「会社が倒産しても、出資者は出資金の限度でしか責任を負わないので、最悪、出資金が戻ってこないことさえ覚悟すれば、それ以上債権者から追及されることはない」
という責任形態です。
この責任形態の区別をもとに説明しますと、
合名会社とは、出資者は連帯して無限責任を負う法人形態、
合資会社とは、無限連帯責任を負う出資者と有限責任を負う出資者が混在する法人形態、
合同会社と株式会社は、出資者は例外なく有限責任しか負わない法人形態、の会社です。
こんなこというと、
「ウソだよ、そんなの。中小の株式会社が破産すると、オーナー社長は一緒に破産するじゃないか」
とかいうツッコミが入りそうです。
この現象は、中小企業においては、オーナー社長は連帯保証をしているからです。
すなわち、銀行等は、上記の有限責任制度を前提とした上で、株式会社の出資者が享受している有限責任のメリットを、
「連帯保証」
という別の契約法理によって、放棄させているのです。
今回のケースにおいては、和田アキ代はオーナーでありながら会社が左前になっても一切責任を負いませんでしたが、まさにこの
「有限責任」
という仕組に基づくものです。
おそらく、和田アキ代は、アキオマ社創業期において差し入れていた連帯保証を、すべて外させるか、連帯保証人を峰竜介に変更していたのでしょう。
「会長」
だとか
「社主」
だとかの肩書で、どんなに会社の運営に肩入れしようが、個別に連帯保証しない限り、
「出資者=有限責任(出資金を超えた債務は無責任)」
との理屈が優先します。
会社の運営機関は、よく国の政治機構にたとえられます。
日本の国の政治システムはなかなかわかりにくいですが、法律的にとらえると実に単純です。
すなわち、日本の政治は、

  • 国民が自分の意志を代弁してくれる代表(国会議員)を選び
  • その選んだ代表があつまる会議体(国会)が多数決で国の代表(内閣総理大臣)や国の運営の重要なルール(法律)を決め
  • 国の代表(内閣総理大臣)が法律を執行し、
  • 裁判所が事後的、後見的に法律の執行状況や、法律そのものが問題ないかどうかチェックをする

というシステムを採用しています。
株式会社(一般的な株式会社形態である取締役会及び監査役設置会社)もこれと同じで、

  • 株主(国民)が自分の意志を代弁してくれる代表(取締役)を選び
  • 取締役があつまる会議体(取締役会)が多数決で会社の代表(代表取締役)や会社運営にかかわる重要な意思決定(取締役会決議)を行い、
  • 代表取締役が取締役会で定まった内容を遂行し、
  • 監査役(裁判所)が、代表取締役や取締役が法令や定款に違反するような行為を行っていないかどうか、チェックする

というシステムを採用しています。
会社の代表取締役って独裁者のイメージがありますが、実は、取締役の選挙によって選ばれているに過ぎません。
ですから、大昔、某有名デパート会社であったように(最近では、某大手通信機器メーカーや、某超大手自動車会社でもあります)、ワンマン社長がある日突然解任されることだってあります。
なお、最近では、執行役制度や委員会制度というのが登場しましたが、多くの会社で採用されているのは上記のようなシステムです。
一般に会社を切り盛りする人として話の中で社主や会長や社長や重役ってのがでてきますが、会社法の世界では、取締役、代表取締役や執行役というタイトルにしか意味がありません。
例えば、会社間取引で、会社の中で偉そうにしている会長が
「○○株式会社会長△△△△」
と署名・押印しても、その会長が代表取締役でない限り有効な会社の代表行為とはなりません。
逆に、社主や会長や社長の前でもどんなにヘーコラしている副社長がいても、その人が
「代表取締役副社長」
というタイトルを持っている限り、10億円でも100億円でも会社を代表して手形を振り出せます。
このように、会社法においては、徹頭徹尾、形式タイトルがモノをいいます。
実際の会社運営と法的形式はかなり乖離することがありますが、このような乖離があるからこそ、
「法常識」

「一般常識」
のひずみを利用した会社の乗っ取り劇とか、クーデターとかが起こるわけです。
次に会社の取締役の責任についてです。
「会社で一番エライのは誰ですか?」
というと、たいてい
「社長」
とか
「会長」
とかの答えが返ってきますが、会社で一番エライのは代表取締役や取締役ではありません。
会社で一番エライのは会社の株式を持つ所有者たる株主であり、株主の意思決定機関である株主総会です。
代表取締役とか取締役ってエラそうに見えますが、株主総会で選ばれなければただの人です。
また、株主がムカつけば、取締役や代表取締役といえども、いつなんどきでもクビを切られても仕方がない、そんな存在なのです。
当然、代表取締役や取締役だからといって、会社を私物化していいわけはありません。
報酬すらも株主総会で決議される建前になっています。
会社を私物化したり、アホなことをして迷惑をかければ会社に賠償をしなければなりません。
これが取締役の会社に対する責任といわれるものです。
取締役が会社に損害を与えておきながら素知らぬ顔を決め込もうとし、仲間の取締役からも
「身内びいき」
で責任追及されないとなると、株主が会社を代表して問題取締役に賠償請求をすることになります。
これが
「株主代表訴訟」
といわれるヤツですね。
それと、取締役が迷惑をかけるのは会社だけではありません。
取締役が放漫経営したことにより、取引先や顧客や株主等の外部の第三者に損害を与えることだってあります。
そういう場合、取締役は当該外部の第三者からも損害賠償請求を受けることになります。
ちなみに、報酬一定年数分を上限として制限することができるということをご存じの方もいらっしゃると思います。
だからといって、取締役の放漫経営や不当経営が自由にできるようになったわけではありませんので、注意が必要です。
すなわち、上記の責任制限はあくまで
「対会社賠償」
の問題にしか及びません。
すなわち、上記責任制限を活用しても
「対第三者賠償」
は青天井ですので、ご注意ください。
最後に、
「取締役のチョンボ」
の形態について。
さきほど、会社の重要な意思決定をする際は取締役会決議で決めるといいましたが、反対であればその旨きっちりと議事録に残しておくことが重要です。
過大な投資をしたり、アホなプロジェクトを立ち上げたり、骨董を買ったり、愛人の会社に大口発注したり、なんて話が出たときに、
「そんなのイケナイよ」
と反対したものの、
「いいじゃん」
「大丈夫だよ」
とかの大勢に押され、
「だめなんだけどなー」
といいつつ、議事録上
「満場一致で決議」
で記載されるなんてことはよくあります。
そういう場合、どんなに議事においてブーブーいっても、議事録に反対の旨を書くところまでフォローしないと、賛成した人間と連帯して賠償責任を負うことになります。

3 関係構築の設計方法(契約の設計)
石田鈍一さんは、知らない間に事件に巻き込まれ、損害賠償請求訴訟の被告となってしまいましたが、このようなトラブルに遭遇しないためにはどのような行動を取ればよかったのか検証してみたいと思います。
まず、和田アキヨからお小遣いのもらい方の検証です。
石田鈍一氏がお小遣いをもらうこと自体はよかったのですが、そのもらい方がまずかったといえます。
つまり、石田鈍一氏がコンサルティングや商品企画等の委託契約を発注してもらい、助言等を行いその対価として
「捨て縁」
を頂戴していればよかったのです。
「社外役員」
というポスト就任の誘いに乗ってしまったのがまずかったです。
社外役員とは、聞こえはいいですが、要するに実情を把握していない会社の経営に首を突っ込む役割であり、そこには当然責任が発生します。
株式会社制度とは、有限責任しか負わない出資者の組織、言い換えればものすごく無責任な存在であり、反面、そのような無責任な組織を動かす役員の責任は非常に重くなります。
そして、社外だろうが、社内だろうが、取締役なり監査役としての責任に差はありません。
たまにしか会社に来ない分、経営の動きが把握しにくく、社外役員の方が、
「知らない間に責任を負担する」
危険が大きいといえます。
ですので、石田鈍一氏としては、
「捨て縁がわりに小遣いやるから社外役員にでもなりなさい」
と誘われたら、
「助けていただけるのであれば、顧問とか企画アドバイザーとかで発注をしてください。
むろん、対価に見合ったご助言ができるよう務めます。
御社のような立派な会社の役員のポストはもったいないです」
とやんわりと断るのが紛争回避のための最適な予防技術であったといえます。

4 対会社責任制限の措置
次に、仮に役員に就任することになったとしても、就任前の措置として、
「対会社責任制限の措置」
をとっておくべきです。
これには定款変更の手続が必要であり一見面倒そうですが、アキオマ社のような株主が単独の会社だと非常に簡単なはずです。
逆に、こんなことさえ面倒くさがってしてくれないような会社に対してはたとえ小銭をもらっても役員に就任すべきではありません。
ただ、この措置を取ったとしても、前提理解編で述べたとおり債権者や株主から直接役員個人に対して損害賠償請求(会社法429条)に対しては、免責を主張できません。
ちょっと余談になりますが、予防法務能力を身につけることについてお話しします。

5 予防法務センスの磨き方  
予防法務のセンスというものを身につけるのはなかなか難しいです。
そもそも、予防法務のセンスは、多くの法律や契約法理を実体と手続の両面についてくまなく理論的把握するとともに、また大小の法的トラブルを臨床経験し、さらに他人の失敗を自分に置き換える想像力を駆使するなどして、はじめて築けるものであり、極めて特異な
「第二の天性」
です。
もちろん、われわれプロの弁護士は、人類の紛争経験知の集積たる実務法学理論を徹底して身につけ、さらに、日々他人の紛争を介入することにより場数を踏んでおりますので、一般の方とは違った目線で取引案件等にひそんだリスクを見つけ出すことができます。
われわれプロの弁護士と同等の予防法務能力のある企業経営者は非常に少ないと思われます。
その意味では、企業経営者が固有の能力として予防法務のセンスを発揮することは少なく、企業経営者でトラブルを避けるのがうまい方は、日頃から弁護士と密にコミュニケーションを取っておられ、疑問に思ったり、何か不安なことがあったら直ちに電話で相談され、リスクを芽のうちに摘み取られるという方法を採用しておられます。
逆に、弁護士とコミュニケーションが少ない経営者、簡単に他人を信頼してしまう経営者、取引をはじめとした経済事案を法的リスクの面から検証することを知らない経営者の方、さしたる警戒を払わなくても何事も簡単に成功すると信じてビジネスを進める経営者の方の多くが、法的トラブルに見舞われ、ビジネス界からの退場を命じられています。
弁護士とコミュニケーションを密にしたり、他人を信頼しなかったり、取引案件をいちいち時間とコストをかけて法的に検証したり、成功を信じている事業につき失敗の可能性をいろいろ想像してみたり、というのは実に面倒で負荷のかかる方法です。
とくに他人を信じないという生き方は精神面で大きな負荷がかかります。
ですが、何事も、大きな成功をなし遂げるには、面倒で負荷のかかる方法を選択するのが近道ですし、偉業をなし遂げた方は、皆、面倒で負荷のかかる生き方をしています。
その意味では、自分のビジネスプランが、雑で簡単なイメージでしか描けていない場合、その時点で大きなリスクをかかえているといえますので、専門家に相談するという、面倒で負荷のかかる方法を選択して、より緻密なものにしていくことが
「トラブルなき成功」
への近道と思います。

6 取締役として議題賛成にリスクを感じた場合の異議の留め方
話はそれましたが、石田鈍一さんケースにつき、予防法務編の続きを解説していきたいと思います。
今回のジェット機購入やイタリア出店の事業計画について、取締役会に議題として上程された状況において
「こんな投資の回収は到底見込めない」
と判断した場合、石田鈍一さんとしては直ちに、明確な反対の意思表示をしておく必要があります。
取締役としては、取締役会において決議に反対する自由を常に有しており、無謀な経営計画を討議した際、反対の意思表示を議事録にとどめておけば、当該決議に基づき生じた損害につき責任を免れます。
そして取締役会を欠席した場合や当該決議の際に異議をとどめなかった場合は、賛成した取締役と連帯して会社や第三者(債権者や株主)に損害賠償責任を負うことになります。
今回、石田鈍一さんとしては、ジェット機購入やイタリア出店の事業計画が討議された場合、「私はこれには反対ですので、その旨議事録にとどめてください」
と述べておけばよかったわけです。
「そんな雰囲気じゃなかった」
「代表取締役や社主に楯突くなど滅相もない」
などと遠慮するのが日本の典型的会社での
「取締役の美徳」
です。
しかし、そもそも、取締役は、会社という法人及びこれをとりまく株主や債権者等の利害関係人(ステークホルダーズなどといいます)に対して責任を負うべき存在であり、社長ないし代表取締役という特定個人の使用人ではありません。
もちろん、上記美徳の存在を主張立証したところで、法的には一切考慮の対象外ですし、問答無用で手続を打ち切られ損害賠償債務を負わされます。

7 究極のリスク回避方法としての取締役の辞任
最後に、
「三六計逃げるに如かず」
といいますが、この種の無謀な事業計画が浮上した場合、あれやこれや社内にとどまってがんばるより、辞めてしまうという方法があります。
「辞めてしまうと、せっかくもらった捨て縁にありつけない」
という思いもあるかもしれませんが、ここはリスクとメリットのバランスの問題です。
さらにいえば、取締役は辞任しておいて、顧問や外部コンサルタントでお金をもらったっていいわけですから。
取締役を辞めるには、辞任届を出せばいいのです。
しかし、登記するのはあくまで会社です。
会社が取締役辞任届を受理しながら、その旨登記せずに放置しておくと、第三者には会社の取締役を辞任したことを対抗できませんので、注意が必要です。

8 予防法務の極意
以上、いろいろと石田鈍一さんケースでの予防法務戦略をみてきましたが、もっとも基本的かつ有効な予防法務手段とは、法律をよく知ること(あるいはよく知っているアドバイザーを付けること)と、よく知らないまま行動しないこと、です。
「よくわからないままその場の雰囲気に流されるお調子者」
ってのが、法律実務においてもっとも不利を被る存在です。
でもこういう人って世の中にたくさんいらっしゃいます、いや、こういう人の方がマジョリティでしょう。
さきほど申し上げたとおり、何も考えずその場の雰囲気に流される生き方は、実に負荷のかからない楽な生き方ですし、人間も動物である以上、本能的に快が好きで不快を好まない選択をしますから。
本件における石田鈍一さんについてですが、
「この事業計画、ヤバイな」
と思ったところは評価できます。
ワンマン経営の会社だとトップの決断に疑問をもつことさえ困難な状況がほとんでですから。
ですが、そこから先にどういう展開が待っているかについて、商法や取締役制度を知らなかったことで想像できなかったことがまずかったわけで、結果として
「ま、いいか。
オレ関係ないし」
という態度でその場をやりすごしてしまった点に石田鈍一さんの予防法務政策上のミスがあったといえます。

【予防法務対応の極意】
一 巨額の損害賠償を避けるために責任制限の定めを設けることも大切だが、まずは、「取締役」が会社や第三者に対して重い責任を負っていることを自覚するべし!
一 取締役の意思決定を示す重要な証拠が議事録だ。役会の議題について、少しでも文句があるのなら、議事録へ異議を留める旨の記載を求めよ!
一 それすら叶わず、危険な意思決定の賛同や黙認を求められるなら、即座に取締役を辞任してしまえ!

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00526_企業法務ケーススタディ(No.0191):「退職した従業員が、独立して、他の従業員を引き抜き ライバルとして顧客を奪い始めるケース」における紛争法務テクニック

1 事例
首都圏を中心に展開する
「小泉ビューティーサロン(以下KBS)」
は、年商20億円の中堅のエステサロン。
特徴ある新しい技法は特にないものの、相場より安価な施術料金で、オープンから10年、着実に業績を上げている。
顧客の悩みに親身に応えることを第一と考えているため、これまで顧客との間でトラブルは皆無、それが口コミでも伝わっている。
そうした好業績を受け、社長小泉一子(以下ピン子)は全国展開を実現すべく、次なる一手を画策していた。
そんな矢先だった。
開業当初から花形エステティシャンとして勤務してきた藤原紀子にこう切り出された。
「社長、これまでお世話になりました」
寝耳に水とはまさにこのこと。
チーフエステティシャンという肩書きの彼女には、今後さらに多大なる貢献をしてもらおうと考えていたのだ。
ピン子 「お世話になりましたってどういうこと!?」
紀子「もちろん辞めるってことですが」
ピン子「辞めてどうするの?」
紀子「新しいサロンをオープンさせます」
ピン子「えっ! そ、そんなお金、どこにあるの?」
紀子「そんなことご心配いただかなくても大丈夫です」
ピン子「ちょ、ちょっと待って。あなたにはこれからうちの看板として活躍してもらわなきゃ困るのよ」
紀子「ありがとうございます。
けど、わたしにもわたしの人生がありますから」
ピン子「・・・とりあえず今度話し合いましょう?」
紀子「いえ、話し合うことなんてありません。
独立する方向で話は進んでいますから」
ピン子「・・・」
何がいけなかったんんだろう?
仕事自体にはやりがいがあったはずだ。
エステのメニューなど技術面に関しては、紀子にかなりの裁量を与えていた。
社長である小泉は、彼女の提案に反対することはほとんどなかった。
給料だって、それなりのものを与えてきたつもりだ。
その2日後だった。
5人のエステティシャンがやって来た。
「わたしたち、今月限りで辞めさせていただきます」
「はっ?」
「新たな第一歩を踏みだそうと思っています」
「まさか・・・、まさか藤原さんと新しいお店を始めるっていうわけ?」
「辞めてからのことについてお話する義務はないと思いますが」
答えは明白だった。
現場のトップである藤原が部下を引き連れて、独立するのだ。
あんたたちをここまで育ててやったのは誰だと思ってるの!
恩を仇で返すような仕打ちだ。
優秀な人間たちが一度に辞められては死活問題だ。
小泉は歯噛みした。
すぐさま藤原を呼んだ。
「ちょっとどういうこと? 自分のやってること、わかってるの? 何が不満なの? お給料? もっと欲しいっていうなら考えるわよ! 仕事だってあなたの好きなようにやらせてるじゃない! どういうことかちゃんと説明してよ!」
思わずヒステリックな物言いになってしまう。
「大きな不満はありません。ただ自分の力を試してみたいと思っただけです」
「じゃあ、自分ひとりでやりなさいよ!」
「そう言いますけど、そもそもこのサロンを開業するときだって、社長はわたしを無理やり引き抜いたじゃないですか」
「それとこれとは話が別よ!」
「いずれにしても引き留めようとしてもムダですから。彼女たちもわたしと同意見です」
「あんたたち覚悟しておきなさいよ!」
こんな捨てゼリフを吐くのがやっとだった。
辞めてしまうのは仕方がない。
現存の勢力で立て直すしかない、と一生懸命気持ちを入れ替えようとするのであった。
藤原たちは辞めていった。
辞めてすぐに新しいサロンをオープンさせたこと、オープンに際しての資金はある有力なスポンサーからであることなどが、どこからともなく耳に入ってきた。
聞きたくもないが、なかなか盛況であるともいう。
彼女たちのサロンが業績を伸ばすことに反比例して、KBSの業績は落ちていった。
リピーターがガクンと減っているのだ。
藤原たちに顧客を根こそぎ持っていかれたことは自明だった。
今、小泉は数店あったサロンを次々と閉鎖している。
活気のないサロンに、質の低いエステティシャン・・・、もはや
「斜陽エステサロン」
となってしまった。
このまま行けばフェードアウトは確実。
「あんたたち覚悟しておきなさいよ!」
と叫んだ本人が、覚悟せざるをえない状況にあった。
果たして彼女、何がいけなかったんだろうか? 
何か打つべき手はあったのだろうか?

以上のケースを前提として、交渉や裁判を用いた打開策、すなわち、具体的な法的措置について検討してみます。

2  はじめに ―紛争法務技術の限界について―
よく、企業経営者で、
「ウチの顧問弁護士はすごい。
先生は非常に優秀で、この先生に頼んで負けたことがない」
と自慢される方がいます。
ですが、ある程度優秀な弁護士は、皆、
・ 判決にまでもつれ込むのは、訴訟上の和解交渉の失敗であり、
・ 訴訟にまでもつれ込むのは、裁判外交渉の失敗であり、
・ 裁判外交渉にまでもつれ込むのは、予防法務の失敗
というテーゼを知っています。
しょっちゅう裁判沙汰になって勝訴している企業とは、このような3回の失敗を延々と繰り返している企業であり、学習能力がなく、非効率なリスク管理をしている組織といえます。
きちんとした合意書を作らないまま、相当程度のリソースをつぎ込んでビジネスを進行させ、失敗してロスが出た途端、
「先生、友達の社長のAからの紹介で来たんだけど、裁判に強いんだって?
弁護料たんまり払うから、なんとか落とし前つけてやってよ」
なんて感じのお客さんがたまにいらっしゃいます。
こういうお客さんに対して
「わたしもこんな奴は許せませんねえ。
絶対勝ちましょう!」
とか応じ、ポジティブな見通しを共有しちゃうのは三流以下の弁護士です。
一流の弁護士は、まず、なぜそういう事態に陥ったのかをきちんと分析し、二度と同じようなトラブルに見舞われないよう、クライアントを啓蒙することを第一義とします。
その上で、今回の件については
「大きな契約において適切な予防法務を講じなかったことが原因で、トラブルの場面で自らの法的立場の正当性を説明できない状況に立っていること」
をきちんとクライアントに理解させ、客観的にみて相当程度敗訴のリスクがあることを伝え、そのような不利な環境の中、和解に至るまでの現実的な戦略を冷静な観点で描き、これをわかりやすく提示していくものです。
顧問弁護士がいながら、その弁護士を予防法務のために用いることなく、顧問弁護士に紛争処理ばかり依頼している企業とは、
「優秀な侍医がいるにもかかわらず、クスリの処方や健康管理の助言を頼まず、暴飲暴食して、調子が悪くなったら手術をして体を切り刻んでばかりいる」
ような人と同じです。
商事裁判例は星の数ほどありますが、これは、見方を変えれば予防法務を怠ったダメな企業の標本ともいえます。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
などといいますが、顧問弁護士を対症療法の道具としてアドホックに使うのではなく、豊富な紛争経験値を基礎にリスク予防を構築するアドバイザーとして活用すべきです。
予防法務をロクにやってなかった企業の主張を裁判所で通すなんて所詮無理がありますし、無理を通して道理を引っ込めるほど裁判は甘くありませんので、紛争法務にあまり過度な期待をしないことです。
むしろ、現実的な
「落としどころ」
を戦略のゴールとして冷静に把握して、そのために効率的な手段をなるべく多く抽出し、冷静に評価し、賢明に選択し、果断に実行し、相手の出方を窺いながら、可変的に対応していくこと(ゲーム・チェンジ)が重要です。

3  ゴールの設定
戦略を立てるには、現実的なゴール設定が必要です。
どんなに緻密な戦略もゴールの設定を間違えてしまうと、あり得ないゴールを追い求めて無駄で非効率なことを永遠に続ける結果に終わります。
今回のKBS事件については、
「ノウハウや顧客リストの使用や従業員の引抜き問題について、藤原紀子が確立したノウハウ・顧客リストの使用や藤原紀子が連れてきた従業員の引抜きは認めるが、それ以外の使用・引抜きについて止めさせるか、一定の金銭支払を条件として認める」
というのがもっとも現実的なゴールとなると思われます。
無論、藤原紀子が非を認めて、自主廃業したり、こちらが要求した多額の賠償金を支払ってくれる可能性は否定しませんし、そうなれば儲けものです。
しかし、これはあくまでうまくいった場合の話。
相手も馬鹿ではないでしょうし、当然弁護士を選任してくると思いますので、楽観的な見通しは禁物です。

4、 戦略
次によりよいゴールを達成するための戦略を考えます。
紛争法務戦略構築は、法律知識だけでは対処できないもので、相手の心理や状況に対する想像力の豊かさがポイントになります。
この手のノウハウは、無論、東大でも司法研修所でも教えてくれませんし、法廷に立ったことがなく行政書士みたいな仕事だけで食べておられる予防法務専門弁護士の方々もあまりご存じない領域です。
この戦略構築能力は、修羅場での豊富な経験と、ユニークな経験を汎用的なロジックに昇華させる理論的頭脳の両方があってはじめて習得できるような極めて属人的なもので、弁護士の価値を決める根源的な能力といえます。
KBS事件を解決するための戦略として、もっとも重要なファクターは、藤原紀子は起業直後である、ということにあります。
起業直後でキャッシュが豊富なんていう会社はないはずです。
とくにエステなんてのは、お客さんに夢を売る商売ですから、見栄えが勝負です。
手元にキャッシュを残すくらいなら、とにかくカネをかけて内装やパンフレットやユニフォームなんかをゴージャスにすることでしょう。
どんなスーパーカーもガソリンがないと走らないのと同様、どんな優秀な弁護士が近くにいても適正な報酬が支払えなければ、筋のいい事件でも解決してもらうことはできません。
ですので、勝訴できるだけの材料がなくても、不当訴訟とか難癖つけられないだけ材料さえあれば、カネのない相手にどんどんアクションをしかける、というのは有効な戦略となります。
「主張上はともかくも証拠上は勝ちが微妙な事案」
でも、裁判になった場合には、相手が優秀な弁護士を頼めず、降参して和解してくれた、なんてシナリオも十分描けるはずです。
それに起業間もない藤原は、従業員の掌握も不十分なはずです。
従業員も、会社や自信の将来に不安をかかえていることでしょうし、恩義ある小泉を裏切ってわずかばかりの勤務条件のよさにつられて藤原についてきたことによる後ろめたさも少しはあるはずです。
こういう不安定な組織において、法人ではなく、従業員個人全員をターゲットに法的アクションをしかけるという方法も有効です。
裁判とか弁護士とかに縁のない従業員個人が、弁護士名の内容証明や裁判所からの訴状を受け取ったら、かなり具合が悪くなることは想像に難くありません。
相手方従業員としては、
「相手方の主張を裏付ける客観的証拠は乏しいから、裁判で勝訴できるはずだ」
と見極めるまでもなく、書いてある主張内容が理路整然としていれば、自分で弁護士に相談する前にあっさりこちらと和解して、もどってきてくれることだって考えられます。
藤原としては、自分や会社にしかけられた法的アクションでさえ対応に苦慮しているところ、従業員個人にしかけられたアクションまでフォローできるような経済的、精神的余裕は乏しいでしょう。
従業員サイドから藤原に対して
「あんたの口車にのったらひどい目にあった。とにかくあんたの金で弁護士つけてよ」
なんて突き上げは当然出てくるでしょうし、そんな突き上げに対してまともな対応できないとなると、藤原にとっては命取りになります。
危機に対応できないリーダーを見限って従業員は離反し、立ち上げ間もない藤原の組織は瞬く間に崩壊します。
このように、カネにものをいわせて従業員個人に法的アクションをしかけ、藤原と従業員との間における未熟な信頼の絆に、ガンガン楔を打ち込むというのは、有効な戦略になるといえます。

5 内容証明郵便の出状
紛争法務を実施する上で、いきなり訴訟を提起するのではなく、たいていの弁護士は、まず内容証明郵便による通知書を送ることを行い、裁判外交渉による解決を模索します。
内容証明郵便とは、いつ(確定日付)、だれが、だれに、どんな内容の文書を出したかということを、郵便局が証明してくれる郵便で、後日の紛争の証拠として非常に役立つものです。
内容証明郵便を出す際には、いろいろ注意点があります。
(1) 配達証明付にすること
まず、必ず配達証明を付けるようにしてください。
日本の民法では、意思表示は到達主義としているので、
「損害賠償を支払え」
等の意思表示も到達しないと、さらにいえば到達したことを証明できないと意味がありません。相手に配達証明つき内容証明が配達されれば、
「上記郵便物は20XX年YY月ZZ日に配達されたことを証明します。」
というハガキ(郵便物配達証明書)が、内容証明郵便の通知人に届きます。
(2) 求める趣旨を明確に
次に、意思表示の内容を明確にしてください。
カネを払ってほしいのか、ある行為をやめてほしいのか。
カネを払ってほしいなら、いくら払ってほしいのか、いつまでに払うのか、振込なのか現金持参なのか、払わなかったら利息はどれだけか。
この点が明確になっていないと、法律上の意思表示をしたことにはなりません。
よく素人さんの内容証明や一部の弁護士さんの内容証明をみていると何を求めているかわからないものがあります。
こういう意味不明の内容証明を出すと、能力が低いとみられ、受け取った相手は
「この程度の内容証明しか書けないヤツが訴訟を起こすわけがない」
とタカをくくり、かえって交渉上不利を招きます。
その意味でもこの種の通知書は法的根拠に基づききっちりとした書き方をする必要があります。
(3) 回答期限を切ること
最後に、回答期限や支払期限を欠落した内容証明というのもよくみかけますが、非常に間が抜けた感じがします。
応答期限を区切り、それまでに応答がなければ、裁判を受ける権利を行使せざるを得ない旨書かないと、受け取った相手方も放置しても何のデメリットもないので、先送りしよう、ということになりかねません。

6 裁判外交渉
小泉ピン子さんとしては、弁護士を付けて、上記のように内容証明を藤原や従業員に送付しました。
その場合、相手も弁護士を付けてこれに応答し、裁判外交渉が開始される場合があります。
ただ、裁判外交渉においては、注意点があります。
裁判外交渉と裁判の違いは、
(1)相手方の対応による解決が長引く可能性があること
(2)不調の場合時間が無駄になること
です。
すなわち、裁判になると、だいたい1カ月単位で期日(裁判所に当事者が出頭し、判決に向けた争点の整理や和解を行う手続を行う日)が入るので、あまりズルズル引き延ばしすると、その間に裁判所が争点を整理して証拠調べをして判決という形のペナルティを与えて強制終了してしまいます。
ところが、裁判外交渉ですと、引き延ばしにペナルティはありませんし、相手方にやる気がなければどんどん解決が長引きます。
また、裁判外交渉は、和解という一種の契約の締結が交渉のゴールになります。
当然ながら、和解は契約ですので、こちらがどんなにフェアな提案をしても相手方が承諾しない限り解決は不可能です。
最後の最後で、ちゃぶ台ひっくり返されてもかけた時間が戻ってきませんし、訴訟提起で最初からやり直しになります。
以上のとおり、裁判外交渉が有用なのは早期の解決の見通しが立つ場合ですので、不調の見極めを行い、解決が困難であればすぐに訴訟に移行する必要があります。

7 仮処分
小泉ピン子さんとしては、例えば、
「競業してはならない」
とか
「もちだした顧客名簿を使うな」
等を求める裁判を提起することが考えられますが(そもそもそういう権利があるのかという問題については一応おくとしておきます)、1年とか1年半かかってようやく勝訴してもその間に藤原にバンバン金儲けされたのでは話になりません。
そういうときのために、仮処分という手続があります。
これは、
「債権者(小泉ピン子さん)の言い分が正しいかどうかわからないけど、とりあえず、一応の言い分らしきもの(疎明といいます)があれば、裁判が確定するまでの間債権者の言い分どおりのことを債務者(藤原)に仮に命じておいてあげましょう」
という趣旨の手続です。
この手続の利用については、知っておくべきポイントがあります。
この手続は、建前上は、仮処分は暫定的な手続であるので速攻で判断してくれるということになっていますが、これをそのまま額面どおり受け取ると、エライ目にあいます。
実際は仮処分のうち審尋を経るもの(債務者からも言い分を聞く手続で、審尋事件などといいます。上記仮処分はこれにあたります)は、正式裁判並にタラタラ進むものが多いのが実情です。
ただ、この審尋事件の場合、双方の言い分を聞く中で、裁判所が和解の音頭を取ってくれることもあるので、早期に和解が見込めるような事件の場合、いい結果が得られる場合があります。

8 訴訟(本案訴訟)
訴訟の場合、原告にとって一番負担となるのは、時間と費用です。
最近ではずいぶん改善されたとはいえ、やはりちょっと経過がややこしい紛争になると、裁判に1年以上かかるのは珍しいことではありません。
それと、裁判所に過度の期待は禁物です。
裁判所といえば、
「すごく優秀な人がなんでもお見通しで正義と公平を実現してくれるところ」
という印象をもっておられる方が多いのですが、これは間違いです。
裁判官も公務員で、公務員は文書や客観的事実と法律に基づいてしか権利を認めてくれません。口でいくらワーワー叫んでも、肝心な文書がないと、
「主張を裏付ける証拠がない」
として契約の存在を認めてくれません。
裁判官のアタマの中での社会常識(これを業界用語では、「経験則」といいます)では、
「普通の人は重要な約束をしたら文書を取り交わすはずであり、主張している約束を記した文書がないということはそもそもそのような約束がなかったか、あるいはいまだ法律的な意味での約束にまで至っていなかった」
という定理が支配しています。
小泉ピン子さんの場合、すでに述べたような予防法務の措置を取らず、口でワーワー言うタイプの訴訟を展開するとなると、和解不調で判決ツモの状態にまで至るとなると、相当厳しい結果を予測しなければなりません。
ただ、裁判官といってもタイプはいろいろで、中には、和解を斡旋してくれるような裁判官もいます。
藤原側としても、独立をしようという前途洋々な時期に、いきなり裁判沙汰ではケチがつきますし、そういう悪い噂はすぐに広まるのも不愉快なことでしょう。
前述のとおりこういうトラブルを抱えてしまうと、周囲の応援者が離れていくような事情に発展することも勘案し、純法律的理由以外の理由で和解に応じる可能性もあります。
以上のとおり、和解の期待もあるので、訴訟を提起する意味もあります。

9 相手方への攻撃方法
以上のような手続の相手方として個々の従業員もターゲットにするときのポイントを述べていきます。
こういう場合、相手方をひとまとめにした方が、コスト(内容証明の郵便代や訴訟費用や弁護士費用)はかからないのですが、状況によっては、相手方をあえてひとまとめにせず、個別に手続を展開した方がいい場合もあります。
というのは、相手方をひとまとめにすると、相手方も結束し、弁護士費用をシェアして弁護士を立てやすくなります。
ところが、単独の相手方毎に攻撃をしかけ、個々に和解や職場復帰させる等により解決し、和解等の際にその解決内容を保秘させることをしておけば、相手方が結束することが防げ、こちらが優位に進められる可能性がでてきます。
すなわち、
「分断して各個撃破せよ」
みたいな形で個別交渉によって相手方陣営を切り崩す方法です。
本件では、藤原陣営がわりとこぢんまりまとまっており、従業員相互間に意思疎通があり、個別に内容証明等を出してもすぐに結束してしまう場合には、やたらコストがかかるわりに結局全員から委任を受けた弁護士が出てくるだけで意味がありません。
ですが、相手方の意思疎通が十分でなかったりする場合には有効な場合もあります。
さらに相手方の状況を推察するに、そもそも引き抜かれる側の人間は、独立に対するモチベーションはそれほど大きくありませんし、居残るか、出ていくかを天秤にかけた際、どちらが得かを再考するチャンスを与えれば気持ちに変化が現れることも十分あり得ます。
「弁護士マターになったり訴訟になるくらいだったら、私、恩義ある小泉ピン子さんのところに戻る」
みたいなメンタリティーがいまだ従業員サイドに残っている場合には個別の内容証明により、出ていった5人のうち3人が帰参し、これによって藤原陣営が瓦解に至る、なんてシナリオも考えられます。

10 まとめ
◆ 競業して顧客を奪うような形でケンカをふっかけられたら、ただちにアクションを起こすこと
相手の体制が整わないうちに、どんどん攻撃を仕掛けるのは、
「先手必勝」
の戦理に適いますので、純戦略上有益です。
◆ アクションを起こす際には、アクションの種類、相手方の範囲・選定を、戦略的視点から考察するべき
◆ アクションの随時展開・逐次展開は、相手方の結束を招き、せっかくの準備が無駄に終わる可能性がある
やるなら、一気呵成に、各個に同時にアクションを起こすこと。
殴り合いにおいて、準備して根性入れて、先手を取った方が勝つのと同様、訴訟や紛争は、カネと弁護士を大量に注ぎ込み、すばやく展開した方が優位に立つ場合があります。
◆ 今のご時世、顧問弁護士なしで商売するのは危険
商売に理解があり、予防法務に長けていることはもちろんのこと、いざとなったら、すばやく、効果的なケンカもできる優秀な弁護士を知恵袋として雇っておくこと。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00525_企業法務ケーススタディ(No.0190):「退職した従業員が、独立して、他の従業員を引き抜き ライバルとして顧客を奪い始めるケース」を想定した予防法務テクニック

1 事例
首都圏を中心に展開する
「小泉ビューティーサロン(以下KBS)」
は、年商20億円の中堅のエステサロン。
特徴ある新しい技法は特にないものの、相場より安価な施術料金で、オープンから10年、着実に業績を上げている。
顧客の悩みに親身に応えることを第一と考えているため、これまで顧客との間でトラブルは皆無、それが口コミでも伝わっている。
そうした好業績を受け、社長小泉一子(以下ピン子)は全国展開を実現すべく、次なる一手を画策していた。
そんな矢先だった。
開業当初から花形エステティシャンとして勤務してきた藤原紀子にこう切り出された。
「社長、これまでお世話になりました」
寝耳に水とはまさにこのこと。
チーフエステティシャンという肩書きの彼女には、今後さらに多大なる貢献をしてもらおうと考えていたのだ。
ピン子 「お世話になりましたってどういうこと!?」
紀子「もちろん辞めるってことですが」
ピン子「辞めてどうするの?」
紀子「新しいサロンをオープンさせます」
ピン子「えっ! そ、そんなお金、どこにあるの?」
紀子「そんなことご心配いただかなくても大丈夫です」
ピン子「ちょ、ちょっと待って。あなたにはこれからうちの看板として活躍してもらわなきゃ困るのよ」
紀子「ありがとうございます。けど、わたしにもわたしの人生がありますから」
ピン子「・・・とりあえず今度話し合いましょう?」
紀子「いえ、話し合うことなんてありません。独立する方向で話は進んでいますから」
ピン子「・・・」
何がいけなかったんだろう?
仕事自体にはやりがいがあったはずだ。
エステのメニューなど技術面に関しては、紀子にかなりの裁量を与えていた。
社長である小泉は、彼女の提案に反対することはほとんどなかった。
給料だって、それなりのものを与えてきたつもりだ。
その2日後だった。
5人のエステティシャンがやって来た。
「わたしたち、今月限りで辞めさせていただきます」
「はっ?」
「新たな第一歩を踏みだそうと思っています」
「まさか・・・、まさか藤原さんと新しいお店を始めるっていうわけ?」
「辞めてからのことについてお話する義務はないと思いますが」
答えは明白だった。
現場のトップである藤原が部下を引き連れて、独立するのだ。
あんたたちをここまで育ててやったのは誰だと思ってるの!
恩を仇で返すような仕打ちだ。
優秀な人間たちが一度に辞められては死活問題だ。
小泉は歯噛みした。
すぐさま藤原を呼んだ。
「ちょっとどういうこと? 自分のやってること、わかってるの? 何が不満なの? お給料? もっと欲しいっていうなら考えるわよ! 仕事だってあなたの好きなようにやらせてるじゃない! どういうことかちゃんと説明してよ!」
思わずヒステリックな物言いになってしまう。
「大きな不満はありません。ただ自分の力を試してみたいと思っただけです」
「じゃあ、自分ひとりでやりなさいよ!」
「そう言いますけど、そもそもこのサロンを開業するときだって、社長はわたしを無理やり引き抜いたじゃないですか」
「それとこれとは話が別よ!」
「いずれにしても引き留めようとしてもムダですから。彼女たちもわたしと同意見です」
「あんたたち覚悟しておきなさいよ!」
こんな捨てゼリフを吐くのがやっとだった。
辞めてしまうのは仕方がない。
現存の勢力で立て直すしかない、と一生懸命気持ちを入れ替えようとするのであった。
藤原たちは辞めていった。
辞めてすぐに新しいサロンをオープンさせたこと、オープンに際しての資金はある有力なスポンサーからであることなどが、どこからともなく耳に入ってきた。
聞きたくもないが、なかなか盛況であるともいう。
彼女たちのサロンが業績を伸ばすことに反比例して、KBSの業績は落ちていった。
リピーターがガクンと減っているのだ。
藤原たちに顧客を根こそぎ持っていかれたことは自明だった。
今、小泉は数店あったサロンを次々と閉鎖している。
活気のないサロンに、質の低いエステティシャン・・・、もはや
「斜陽エステサロン」
となってしまった。
このままいけばフェードアウトは確実。
「あんたたち覚悟しておきなさいよ!」
と叫んだ本人が、覚悟せざるをえない状況にあった。
果たして彼女、何がいけなかったんだろうか?
何か打つべき手はあったのだろうか?

以上のケースを前提として、どういう点に気をつけてこういうトラブル予防をしておけばよかったのか、その予防法務措置について検討してみます。

2 競業禁止やノウハウ等の保秘についての法的ルールの整備
わが国では
「職業選択の自由」
が保障されています。
したがって、その人がどんな仕事をしようが自由であり、他人はその人の職業を拘束できません。
また、社員の忠誠を維持するための方法については、本稿の趣旨に関係ないので、これについても触れません(私は、顧問弁護士としてのアドバイスをするなかで、経営コンサルティングにかかわるような助言も日々行っており、こちらの話は、法律よりも得意なんですが、これをやりだすと話が永遠に終わらない可能性があるので、あくまで法律問題としてこの問題を扱っていきたいと思います)。
KBSでは、藤原紀子を雇用する際、きちんとした競業禁止やノウハウ等の保秘のルールを整備していなかったことが予想されます。
とくに、エステなど同業他社が多く、引き抜き等が頻繁に行なわれることはその業界で商売しているのであれば当然わかるはずです。
KBSと藤原紀子との間の契約が、労働基準法が適用されるべき労働契約なのか民法上の雇用契約なのかは不明です。
前者(労働契約)の場合であれば、就業規則や就業規則に付随する諸規程に盛り込んだり、採用の際に誓約書を徴収する運用により、競業禁止義務やノウハウ等の保秘義務を労働契約の中に取り入れておくべき必要があります。
なお、労働契約の場合、違約金の定めは法律上禁止されています。
後者(民法上の雇用契約)に該当するような場合、違約金の定めを盛り込むこともできますので、ペナルティとして多額の違約金を定めておき、抑止効果を高める方法もあります。

3 競業禁止条項
競業禁止条項を作る際の注意点として挙げられるのは、地理的範囲や、業態、期間を限定することが重要です。
「どこであろうと、永遠におまえはこの商売に関わってはいけない」
なんて内容は、職業選択の自由を奪うものであり、公序良俗に反して、無効と判断される可能性が大きいからです。
ですから、
「東京都内で向こう1年間はダメ」
とか
「KBSで行なっている独自のノウハウは使わない」
といったように、具体的に禁止される競業の内容を限定する必要があります。

4 守秘義務条項
守秘義務条項については、機密の特定が問題になります。
単に
「秘密の持ち出し禁止」
といっただけではあまりに漠然としていて当該条項の法的有効性に疑義が出てきます。
一例を示すと、

(ア) 事業資料及び財務資料 :
事業計画書、事業提案書、営業計画書、営業企画書、財務諸表及び経理資料、人事等に関する情報(従業員の地位、職責、住所、電話番号等の個人情報を当然に含むがこれに限らない)
(イ) 価格情報 :
製品の原価情報、原価計算情報、販売価格・卸価格情報、リベート(値引き)に関する情報その他価格情報並びに価格決定に関する情報一切
(ウ) コンピュータソフト及びデジタルデータ :
各種コンピュータソフトウェア(カスタマイズあるいは開発されたものやこれらの途上のものも含む)及びこれらの運用によって作成ないし整理されたデータ
(エ) 顧客情報 :
現顧客潜在顧客を問わず、顧客情報、顧客リスト及び顧客に関連する情報一切
(オ) 取引先・協力会社情報 :
貴社仕入先ないし貴社提携先の、存在、呼称・連絡先あるいはこれらの会社との契約内容・取引内容、技術援助、外部委託関係及びこれらに関連する一切の情報
(カ) 製法等 :
事業モデルに関する情報、製品設計に関する情報、製品の原材料、製品製 造手法、製品製造工程、製品コンセプト、製品企画、製法マニュアル・使用マニュアル類、その他製品ないし販売方法に関する全てのノウハウ及び情報一切
(キ) 実験結果 :
貴社在職中に行った実験、分析により得たデータや、他製品(試作品や部品を含む)開発過程で得たデータ
(ク) 以上の他、私が、貴社在職中に知り得た貴社事業に関する情報一切

みたいな感じになりますが、この辺の特定の緻密さが、予防法務の専門家にとっての職人芸みたいなところになってきます。
あと、機密漏洩方法について行為面から特定していくことも重要です。
ここでいう
「行為面からの特定」
とは、機密が格納された媒体(書類や光学メディア等の一切)を許諾なく移動することを禁じたり、雇用契約終了時には機密格納媒体の返還を求めたりといった、具体的な場面を想定して、機密の漏洩を防ぐことを指します。

5 機密管理体制
ノウハウ等の会社の機密をきちんと管理する上で、以上のように従業員に守秘義務を課しただけでは不十分となる可能性があります。
すなわち、営業秘密については、その会社の機密管理体制が問われるため、この条項を盛り込むのを機に、機密管理体制の構築も図るのがいいでしょう。
そもそも機密情報というのは、顧客データであれ何であれ、それが機密と明示されてはじめて法的保護の対象となる営業秘密となります。
たとえ会社にとって重要な情報であっても、機密明示のない情報については、従業員が持ち出しても、法律問題として責任追及できる可能性が低くなります。
つまり、会社の主観として、どんなに高度な機密情報であっても、社内のあちこちに雑然と転がっていたり、ネット上のオープンな環境にさらしていたりして、来社した取引先が普通に見ることができたり、ネット上で自由に閲覧できるようなら、機密情報とはなり得ないわけです。
具体的には、紙ベースであるなら、マル秘スタンプを押印する。
電子データであるなら、パスワード管理などを通じて誰でもアクセスできないようにする。
実に簡単なことですが、大きな企業でもこの種の管理構築に対する投資や労力負担は怠りがちです。
こうして機密管理体制が構築されていれば、万が一外部に持ち出されても、持ち出した者を法律違反として問うことができます。

6 いつ守秘義務や競業禁止を記した誓約書を徴求したり契約書を取り交わすべきか?
契約は原則として双方の同意さえあれば、いつ交わしてもOKです。
ですが、後出しジャンケンみたいに、後から契約内容をこちらに有利に変更させようなんてやりだすと、トラブルのもとになります。
社員が仕事を覚えた後に交わすとなると、契約の内容が常識的なものであっても、トラブルが発生する可能性があることは想像に難くありません。
また、就業規則の不利益変更につながるような場合には、従業員側の意見を聞いたり、監督署に届出けたり、と面倒くさいことも多くなります。
ですので、気がついたときに、信頼できる専門家に頼んで、早めに整備しておくべきでしょう。

7 土壇場で競業禁止や守秘を約束させるコツ
土壇場で競業禁止や守秘を約束させるコツについて、今回のケースを例にとって考えてみましょう。
小泉ピン子さんは、弁護士なんてテレビでみるくらいの存在で、当然ながら顧問弁護士なんていなかったのですが、藤原紀子が辞める直前になって、知人に弁護士を紹介してもらい、
「藤原紀子が辞める前までに競業禁止条項や守秘義務条項を盛り込んだ誓約書にサインさせないと大変なことになる」
と、ようやく理解しました。
その場合、どのような方法を取ったらいいのでしょうか?
退職の際には、給料の精算や退職金の支払いの問題が発生しますので、ここが契約を交わす最後のチャンスになります。
藤原紀子との契約が労働契約の場合、強引に清算を留保すると、労働基準法の全額払原則との問題が生じますが、フェアな形で交渉し、退職後のプランをきちんと述べさせる中で、KBSにとって有害なことをしないよう釘を指す形で、念書等を徴収しておくべきでしょう。
普通、念書で約束したことは当然遵守することが期待されますが、紙片一枚のことですから、念書で約したことを平然と違約するような輩も実に多くいます。
そうした場合、念書違反を理由に損害賠償請求をしていくわけですが、ここで損害額の立証がネックになります。
競業されたことによる損害や、機密を漏洩されたことによる損害の立証は困難を極めます。
一つのアイデアとして、念書に「違約罰」を明記することが考えられます。違約罰の存在は、従業員の裏切りに対しての、強力な抑止力になりますが、他方で、労働基準法第16条では違約金の定めの禁止を定めています。
「すでに労働契約が終了した個人」と法人との間には労基法は適用されない、とも考えられる余地もあり、後日違法無効と判断されたとしても、「牽制として機能するのであればその限りで十分」という割り切った考えもありえるかもしれません。
ただ、コンプライアンスを全うするのであれば、保守的に考え、表現ぶりをトーンダウンすることも考えるべきでしょう。

8 危険で有能な人間は、取締役にしてしまえ!
今回は、子飼いの従業員の裏切りを直前になるまでまったく感じ取ることができなかったケースです。
ただし、うっすらと気配を感じるケースも中にはあります。
有能な人間を自社で囲い込む方法のひとつに、彼(彼女)を取締役に選任してしまうという裏技があります。
取締役になると、会社との関係は、労働基準法でなく、会社法により規律されることになります。
そして、取締役は、会社に対して、
「善管注意義務」
「忠実義務」
という非常に重い責任を負うことになり、これに違反すると会社法違反として損害賠償が発生することになります。
すなわち、従業員の場合、労働基準法が保護してくれるわけですが、取締役になった途端、会社法がプロとして厳しい責任を課してくるのです。
そして、一旦、藤原紀子を取締役に選任した場合、(言葉は悪いですが)会社に縛り付けることとなり、藤原紀子は在任中に独立準備をしているだけでも法的責任に問われることにります。
以上のとおり、有能だが、裏切って独立しそうな人間は、取締役にしてスズをつけておくのも一考に値します。
ただ、裁判例等をみると、取締役が形式に過ぎず、あくまで労働法による要保護実体のある使用人兼務役員の場合、名目ないしレッテルが取締役であっても、労働法による保護が及ぶ、と判断される場合もあります。
給与水準や給与の定め方、経営への関与のさせかた、責任に対応した地位や処遇や権限といった、ことも配慮しておくべき必要があります。
応用ですが、ここから先は、ネタとして聞いて下さい。
ある企業の社長から、酒の席で、
「労働基準法なんて法律があるとやりにくくてしょうがない。先生、アレ、なんとかしてくんない?」
と言われ、
「簡単ですよ。従業員全員取締役にしちゃえばいいんですよ」
と返して、絶句されたことがあります。
で、その社長さんは
「そんなことしたら会社のボードが労働組合みたいになっちゃうよ」
と言われましたが、
「株式は社長が大半握っているんだから、そういう人間がいたら片っ端から解任したっていいんです。
もしVC(ベンチャーキャピタル)とかの小うるさい他人資本が入っていて機動的に総会運営できないんだったら、種類株式を社長単独に発行すればいいんです。
そうすれば取締役の処遇はすべからく一人種類株主総会で決められますよ」
なんて具合に話がすすんでいきました(ま、ネタですが)。

9 まとめ
◆ 起業にあたって、就業規則や雇用契約書は必ず作ること。特に、ヒト・モノ・カネ・情報という経営資源のうち、ヒトが事業のコアを形成するような会社において、これらの契約がないのは、大きな問題です。
すでに起業してしまっている場合は、ただちに専門家に相談して、これらの契約処理を行うこと。
◆ 雇用契約書には、競業禁止条項、守秘義務条項等を盛り込み、貴重な経営資源であるヒトや情報が無秩序に流出していく事態に備えること。
◆ 退職にあたっては、念書等を差し入れさせる形で、競業やノウハウの不当利用をさせないような措置を講じること。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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