01522_昭和の時代の「コンプライアンス」

ところで、昭和の時代においてもそれなりに企業不祥事が発生し報道されていましたが、
「コンプライアンス」
という言葉が取り沙汰されることはありませんでした。

昭和の時代においては、企業にとっては、監督官庁こそが、法制定者であり、法執行者であり、紛争解決機関であり、神様であったのです。

監督官庁と緊密な関係を保っていれば、そもそも違反自体をガミガミ指摘されることはなかったのです。

万が一違反が明るみになっても、監督官庁が
「何とかしてくれる」
という状況でした。

企業の
「コンプライアンス戦略」
とは、法令や規制環境を調査することでも、法令遵守を徹底させるための教育体制やマニュアルを整備することでも、困った問題があれば弁護士に相談することでもありません。

前世紀における企業においては、
「何でも監督官庁によく相談すること」
こそが
「コンプライアンス」
だったのです。

しかしながら、護送船団行政システムが終焉を迎え、徹底した規制緩和が行われました。

その結果、監督官庁の立場・役割は、
「法を制定し、解釈し、運用し、紛争を解決するオールマイティの神様」
から、
「法令を執行するという単純な役割(とはいえ、これが本来の役割ですが)」
に変質することになったのです。

反面、企業の負荷は増えました。

「何でも気軽に相談できる面倒見のいい神様」
がいなくなったので、自前で法令を調べ、わからなかったらコストのかかる弁護士や法務部に聞き、さらに心配であれば面倒くさい事前照会制度(ノーアクションレター)を活用しなければなりません。

揉め事が発生しても、気軽に課長や局長に面会して泣きつくことはできず、費用を支払って弁護士に弁護してもらわなければならなくなりました。

役所の庇護から離れた企業は、法というものと正面から向き合うことが要求されるようになりました。

企業は、自らのコストで法令遵守ないし法に関連するトラブル一切を取り仕切ることが求められるようになったのです。

ここに至り、日本の産業界は、はじめて
「法令遵守は需要だ」
「これからはコンプライアンスだ」
「ビジネス弁護士はこいつが優秀だ」
「頼むんだったらこの法律事務所だ」
「法務部が必要だ」
「コンプライアンス室もいるぞ」
「インハウス(インハウスローヤー、社内弁護士)を採用しよう」
と騒ぎ始めたのです。

運営管理コード:YVKSF140TO143

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01521_コンプライアンスが経営課題として殊の外重視されるのは、「法令を無視ないし軽視して活動している企業が多い」ことの裏返し

「コンプライアンス」
という言葉があります。

21世紀に入って降って湧いたように登場し、その後、事あるたびに使われるようになってきた経営上のキーワードです。

「コンプライアンス」
とは日本語に訳すと
「法令遵守」
という意味になります。

法律を守るのはある意味当たり前といえば当たり前です。

「何故、法令遵守を経営課題としてわざわざ認識しなければならないのか」、
「それほど日本の企業は法令を遵守していない不届きなところが多いのか」、
不思議といえば不思議です。

まず、
「日本の企業は法令を遵守していない不届きなところが多いのか」
という点については
「YES」
といわざるを得ません。

労働白書で、労働基準監督官による事業所調査を行った際の結果が統計データとして公表されています。

それによりますと、国内の事業所において、労働関連法規(労働基準法や労働安全衛生法など)の違反摘発率はだいたい6割後半から7割、業種によっては78%もの割合で労働関連法規違反が発見され、指摘されている、とのことです。

日本においては、どの会社も労働関連法規を平然と無視して操業している、ということのようです。

また、金融業界では金融検査なるものが定期的に行われていますが、
「検査をしても違反が一切なかった」
という金融機関はほぼ皆無であり、多かれ少なかれ違反を指摘されているのが実態です。

金融機関というと、いかにも
「法律はきちんと守っています」
なんて涼しい顔で営業しています。

ですが、結構著名な金融機関がかなり悪質な違反行為を行っている、なんてことは日常茶飯事のようで、これが金融検査でバレて、しばしば結構な長期間の業務停止を食らっていたりしています。

とはいえ、
「こういうことがあまり大々的になると、金融全体の信頼に響き、経済活動に影響を及ぼしかねない」
との配慮からか、新聞やテレビでも、この種の違反や業務停止といった事件は大きく取り上げられず、新聞の隅で地味に報道される程度です。

比較的管理がしっかりしている金融業界がこの状況ですので、その他の業界における業法その他各種法令の遵守状況もだいたい想像がつきます。

以上のとおり、日本の産業界においては、法律を全てきちんと守って健全に経営を行ってきたというよりも、
「見えないところで適当に法令を無視しながら、バレたらバレたでなるべく事が大きくならないようにしながら、日々発展している」
という一面があるのです。

運営管理コード:YVKSF136TO139

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01520_「倫理や社会貢献や政治が大好きな企業」の末路

「情熱派で正義感の強い企業」

「亜種」
として、倫理や社会貢献が大好きで、これを社員にも強制する企業もあります。

まず、不祥事を起こした企業は、将来の不祥事を予防する方法として企業倫理を徹底させる、ということをよく表明します。

しかしながら、倫理というのは人によってその内容が異なるものであり、その内容を明らかにしないまま、
「倫理が重要」
と抽象的に唱え、あるいは唱えさせたところで、不祥事予防効果は上がりません。

あるとき、総会屋に違法な利益供与が発覚し某自動車メーカー(仮に「M自動車」といいます)は、その際、不祥事根絶を謳い、企業倫理を徹底する、と固い決意表明をしました。

しかしながら、
「何が企業倫理に該当し、それがどのようなメカニズムで企業内に浸透し、その浸透具合や達成度合をどのように科学的・定量的に計測するか」
については一切考えることはしませんでした。

「企業倫理を徹底する」
という営みの具体的内容ですが、
「高名な学者や弁護士や官僚OBを高給で雇って社外の御用機関を立ち上げ、そこに倫理○ケ条を制定させ、それを印刷したカードを大量に作り、従業員に携帯させる」
なる陳腐で雑なもので、科学的な方法論ではなく、気合、根性、精神論でがんばる、という程度に総括される代物でした。

結果、M自動車は、その後、数次にわたるリコール隠しを行い、挙げ句、最後には、企業倫理の旗振り役であった社長自身が逮捕され有罪判決を受ける、というお粗末な結果になりました。

倫理という
「得体の知れない非科学的なもの」
を強調する会社は、
「気合・根性で売ってこい」
という会社と似た空気があり、企業として今後も成長し、発展するか、というとやや疑問に感じざるを得ません。

また、社会貢献に関しても多くの企業は重大な誤解をしています。

企業の存在目的は営利の追求であり、企業の最大かつ唯一の社会貢献は、効率的な営利追求と、これに基づき、極力多くの額を納税することです。

社長の個人の趣味嗜好で社会貢献をするというのであれば、それはそれで結構です。

しかし、
「営利追求と納税を使命とする本来の企業活動を阻害しあるいは停滞させてまで社長個人の趣味を優先する」
というムダなことをしていて、過酷な競争社会で企業として生き残れるとは到底考えられません。

社会貢献とは趣が異なりますが、社長個人の主義主張を基礎に、企業として特定の政治活動を支援するという場合もあります。

具体的には、企業献金、すなわち、企業が特定の政党に献金する、という事象が見られます。

しかし、企業が、何ら見返りを求めずに政治献金するのであれば当該献金を行った経営幹部は背任罪を犯すことになりますし、何らかの見返りを前提として政治献金を行うのであればこれは贈賄罪を犯すことになります。

このように、いずれの場合も、
「法令に違背しないで、営利を追求する」
というミッションをもった企業が特定の政党を金銭面で支援する、というのは、企業の本来活動にそぐわないものでありますし、こういう活動に貴重なお金を注いでいる企業の命脈もあまり長くないのではないか、とも思えます。

運営管理コード:YVKSF129TO133

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01519_信じる者は救われない(信じる者は足をすくわれる)

企業経営者の中には、性善説に立ち、
「社内外の人間をとことん信じるぞ」
と公言される方もいますが、このような企業の命脈は長くないと考えられます。

昭和の時代の産業社会は
「顔なじみ」
しかしない牧歌的なムラ社会であり、信頼こそがムラ社会の唯一の秩序基盤であり、ムラの長(監督官庁)や庄屋(業界団体の顔役)がムラの秩序に睨みを効かせていました。

ムラの民は、お互いを信頼していれば、楽しく生活ができていました。

ところが、規制緩和が行われ、外資や新規ベンチャーの参入が促され、談合は徹底的に排除されました。

これにより、ムラの秩序は根底から崩壊したのです。

「阿吽の呼吸」
を相手に期待していると、問答無用で斬って捨てられる。

そんな仁義なき競争社会に突入したのです。

これは、社外はおろか、社内でも同様です。

今の時代、
「会社はファミリー、社員は家族、みんな仲良し。ウチの家に限って、非常識な人間はおりません。細かいルールや堅苦しい誓約書など一切不要です」
なんてやっている企業は、内側から崩壊します。

企業機密をきちんと管理しておかないと、社内からどんどん社外流出してしまいます。

労働時間管理や残業処理をいい加減にしていると社内の従業員から労働基準監督署に通報されてペナルティ込みの多額の残業代の精算を求められます。

さらには、下手に首を切ろうものなら、たちまち合同労組に駆け込まれて赤旗が立ちます。

万事こんな具合ですから、社内の人間すら誰も信頼できないです。

というよりも、そもそも会社の経営者たる者、誰も信頼してはいけない、という状況になっているのです。

相手ときちんとした信頼関係を築きたいのであれば、相手を信頼するのではなく、とことん相手を信頼せず、裏切らないような文書の担保をいちいち取っておくことが求められる。

悲しいかな、これが現在の資本主義社会の現実なのです。

かつて筆者のクライアントであった方で、
「人を信じないのであれば生きている意味はない。先生がどのような見立てを立てようが、私は、最後まで人を信じる。それで会社がつぶれたら仕方がない」
という趣旨のことをおっしゃっていた社長が3人ほどいらっしゃいました。

そのうち1人の社長は、役員全員からの裏切りに加え、依頼した弁護士にまで裏切られ、長年続いてきた会社を破綻させることになりました。

もう1人の社長は、後継社長や彼が連れてきた弁護士から裏切られ、知らない間に法的整理を申し立てられた挙げ句、特別背任で刑事告訴までされるという目に遭いました。

最後の社長は、会社を破綻させるまでには至りませんでしたが、投資ファンドが連れてきたコンサルタントにいいくるめられ、実体がない20億円もの借財を承認する文書にサインさせられ、あやうく会社を潰しそうになりました。

いずれの社長も、人を信じることが大好きな方で、弁護士の過酷で不愉快な状況認識よりも、自分の希望的観測に依拠して大きな失敗をしてしまった方々です。

客観的情報の収集とこれらの多面的分析を軽視し、戦理を無視した杜撰な戦略と主観的精神力だけで乗り切ろうとして太平洋戦争において日本軍は無残に敗戦しました。

このように、
「自分を強く信じるあまり大失敗した例」
は歴史上枚挙に暇がありません。

近代哲学の巨人ルネ・デカルトは
「我思う、故に我あり」(cogito, ergo sum.英語では「I think, therefore I am.」)
という名言を残し、
「懐疑をするのが人間の本質である」
と喝破しました。

この名言は
「『一切の疑問をもたずひたすら信じること』が是とされた中世社会」
から近代社会へ脱皮するスピリットを体現したものですが、まさしく
「考えることは疑うことであり、信じることは考えないこと」
なのです。

会社を潰してしまう牧歌的性善説に依拠する経営者は、相手や身内に裏切られ、どうにもならなくなった状態に陥ってから
「まさかそんなことがあるとは思っていなかった」
「現場を信じていたのに裏切られた」
などといいます。

しかし、デカルトの言を前提とすると、疑うことを第2の天性とすることこそが知性の証であり、
「信じる」
という言葉を多用する人間の知的レベルは無知蒙昧な中世の民と同じといわざるを得ません。

いずれにせよ、
「信じる者は救われない=信じるものは足すくわれる」
というのが現在の産業社会のルールであり、このルールに反するマインドや哲学をもつ企業や経営者は、早晩、身を滅ぼすことになる可能性が高いといえます。

運営管理コード:YVKSF122TO128

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01518_競争のルールが、より苛酷なものに変化する時代

「インフレ経済を前提とした高度成長時代」
から
「デフレ経済を前提としたモノ余り、低成長時代」
に突入した日本においては、競争のルールが、より苛酷に、よりシビアに、より冷徹な方向で、劇的に変化しました。

2015年に、
「デフレ脱却のため、異次元とも言えるレベルで金融の量的緩和(通貨供給量の増加)で、経済が再び成長する」
という社会実験(アベノミクス)が行われはじめましたが、とはいえ、高度経済成長時代のような継続する右肩上がりの成長が再来する、ということは想定困難です。

バブル崩壊後、
「モノ余り、低成長時代」
を迎えた成熟した日本の経済社会においては、すでに、監督官庁の保護育成も、業界同士の横のつながりも、今までの大量消費(販売)を前提とした大量生産もまったく機能しなくなっています。

金融緩和云々は別にして、産業社会は、
「品質と価格に基づく、シビアな能率競争」
を前提に、縮小しつつあるパイを苛烈に奪い合う競争社会に突入したのです。

上品な言い方をすれば
「アングロサクソン型の競争時代に突入した」
ということになりますし、平たい言い方に変えれば
「義理も人情も仁義も品もない、ガチンコ勝負の時代に変わった」
ということになります。

時代や環境が変化した以上、企業あるいは経営者の考え方もそれに合わせて変え、昭和の時代の美徳であった義理や人情や仁義や品など捨ててしまえばいいだけです。

しかしながら、
「真面目で、誠実で、清く正しく美しく生きることに至上の価値を置く、育ちがよく、世間体を気にするタイプの経営者」
は、これができないばかりに、危機を深めてしまいがちです。

そうしているうちに、
「にっちもさっちもいかない、本当の危機」
に陥ってしまいます。

そして、危機に遭遇したらしたで、こういう経営者はたちまち余裕をなくしパニックに陥ります。

現実的な思考のできない(あるいは物事をドライに割り切れない)経営者は、事態を過激な方向で打開しようとしてどんどん深みにはまっていきます。

経営は、結果が全てであり、徹頭徹尾、現実的な思考・行動が要求されます。

正義が大好きな熱血漢タイプの経営者は、ときに情緒的な判断をしてしまいがちで、
「ブレーキの利かない暴走列車」
がごとく、破滅に向かってまっしぐらに突っ込んでいきかねない危うさがあります。

プライドやら品性やら、個人の生活において個人の考え方として大事にしたいというのであれば、それはそれでかまいません。

ですが、少なくなりつつあるパイを奪い合うために徹底的に現実的思考・行動を追求すべき経営判断において、その種の有害な考え方を取り込もうとする企業は、今のご時世相当危うい傾向にあるといえます。

運営管理コード:YVKSF118TO122

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01517_営業は、気合(精神論)ではなくサイエンス(方法論)に変化している

低成長でデフレーションが顕著な現代においては、営業は、データと科学で緻密に戦略をたて、細かいことにこだわる戦術によって行うことが求められます。

一例を申しあげますと、

売り上げ=
(潜在客数×来店率×成約率×平均客単価)+
(来店客数×リピート率×リピート成約率×平均リピート客単価)

として計算されます。

売り上げを伸ばすには、
潜在客数を増やすか、
来店率を上げるか、
成約率を上げるか、
平均客単価を上げるか、
リピート率を上げるか、
のいずれかの方法によるしかありません。

すなわち、
「売り上げが低迷している」
という状態を改善するのであれば、
1 平均客単価が減少しているのか、
2 成約率が悪いのか、
3 来店率が悪いのか、
4 リピート率が下がっているのか、
5 潜在客数が減少しているのか、
6 そもそも市場自体が構造的に縮小傾向にあるのか、
などを分析した上で、それぞれに原因に対して有意となるべき合理的な手段を構築し、遂行すべきなのです。

いたずらに、
「気合」「根性」
と精神論を叫んだところで時間とエネルギーの無駄です。

科学的なアプローチを行って合理的な手順や段取りで進めていかない限り、営業はまともに機能しません。

大日本帝国海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六は、
「やってみせ言って聞かせてさせてみてほめてやらねば人は動かじ」
といったそうです。

海軍のような指揮命令系統が整備されていて、最終目標が
「敵をより多く殺戮する」
という単純明快な組織ですら、このような状況です。

ましてや、営業活動、すなわち、
「暴力や威圧や詐術を用いず、人の潜在需要に働きかけ、購買意欲を顕在化させ、購買行動、すなわち時間とカネとエネルギーを費消してまで、特定のモノやサービスを購入するよう仕向ける」
という複雑で小難しいミッションを遂行しなければならない企業においては、海軍以上に現場への指示を、合理的で、細かく、具体的で、再現性を持たせるようにしないと組織は動きません。

ハウステンボスを建て直したH社の社長が建て直しの話をしていた際、
「『10%売上げを増やせ』という指示を出しても、現場には理解できない。現場への指示は明快で具体的であるべきだ。そこで『移動であれ、会議であれ、作業するのであれ、話をまとめるのであれ、10%スピードアップをしてくれ。1時間かかっている会議は50分で終わってくれ。お使いに行くときは歩いていかずに自転車を使ってくれ。こういう細かいところも含めて全てスピードアップをしてくれ』という指示を出しました。そうしただけで、売上が劇的に改善された」
ということをいっていました。

このように、生き残る企業(ハウステンボスの場合、「生き返る企業」ということになりますが)は、精神論、根性論ではなく、科学的で具体的な方法論が実践され、その具体的あらわれとして
「現場に対して確実に伝わる、現実的で合理的な指示」
が行われることが多いようです。

運営管理コード:YVKSF111TO115

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01516_企業組織が末期になると、「方法論」ではなく「精神論」が蔓延する

第二次世界大戦末期、日本軍は、魚雷に兵士を搭乗させそのまま敵艦に突っ込ませて爆破させる攻撃方法(人間魚雷)や、航空機をそのまま敵艦に衝突させて爆破させる攻撃方法(特攻)を実施させたり、という狂った戦術を採用していました。

そして、一般国民に対しても、
「気合があれば、竹槍でB29を落とせる」
と檄を飛ばしながら竹槍を扱う訓練をさせたり、と愚にもつかないことを行っていたそうです。

ヒトもモノもカネもチエも豊富で余裕のある企業においては、
「どのようにして事業を展開すべきか」
をきちんと考えて、これを科学的な方法で組み立て、さらに現実的な行動計画に落とし込み、現場の人間には判別可能な戦術が与えられ、これが当たり前のように成果に結び付いていきます。

しかしながら、終戦末期の日本のように、科学的方法や合理的・現実的計画がなく、従業員に気合や根性や精神論で出来もしないノルマを与えるような会社は、この段階でほぼ倒産必至の状況に陥っているか、陥りつつある、といえます。

かつては、精神論、すなわち、気合や根性によるる営業が効果的だった時代もありました。

今から30、40年ほど前までは米ソが冷戦真っ最中でした。

日本は、
「フツーのものをフツーの値段でフツーに作れる」
という稀有な工業国家として、
「世界の工場」
としての地位を築き上げました。

経済はインフレーション傾向にあり、作っても作ってもモノが不足し、作ればすべてモノが売れる時代でした。

現在のように、マーケティングだの営業戦略だの細かいことをグダグダ考えなくても、気合を入れれば、なんとか需要家がみつかり、あとは押しの一手で在庫を持ってもらうことができる、そんな時代でした。

そういう時代においては、能書きをたれるよりも行動こそが重要で、まさしく営業は気合であり、根性だったのです。

この時代、
「売上」
とは、
「営業マンの数×一人当たり売上」
で計算されました。

いかに多くの営業マンを採用するか、そして、いかに営業マンを働かせるか、が重要だったのです。

しかし、冷戦が終了し、世界市場が単一化し、供給が過剰になりはじめました。

そして、東欧諸国や南米や中国が競争に参入し、圧倒的な価格競争力で
「世界の工場」
という地位を日本から奪取しにかかります。

加えて、日本国内においては社会が成熟し、デフレ・低成長時代になり、モノ余りが顕著になっていきました。

もはや、気合や根性や精神論だけでは売れない時代になったのです。

すなわち、
「フツーのものをフツーに作れる」
というのは希有でもなんでもなく、
「ビミョーなものを、イジョーな安価で作れる中国や東南アジア諸国のメーカーに簡単に負ける」
ことを意味するような時代になったのです。

こんな時代の到来とともに、日本には
「企業が、フツーのものを大量に作れば、フツーに在庫が積み上がり、フツーに会社が死んでしまう時代」
が到来したのです。

また、消費者規制が強化されるようになり、気合や根性で売ろうとすると、逆に消費者契約法違反だの特定商取引法違反だの、と騒がれる時代が来たのです。

その意味で、気合、根性、精神論で営業を展開する企業は、
「すでに四半世紀以上時代遅れの経営を行っている」か、
「消費者契約法や特定商取引法を無視ないし軽視した経営を指向している」か、
のいずれかまたは双方である、
といえます。

運営管理コード:YVKSF106TO110

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01515_「市場の変化に適応できない企業(=オペレーションしかできない企業)」と「適応できる企業(=イノベーションができる企業)」

冷戦時代においては、日本は、西側世界の工場機能を一手に引き受け、
「作ったら売れる」
という環境においてひたすら右肩上がりの成長をしてきました。

冷戦が終結し、世界中が一つになった市場に向かって能率競争(価格と品質による競争)を行うようになりました。

その結果、世界中で、供給過剰になり、モノがあまり、だぶつき始め、低成長時代に突入することになりました。

日本は、
「便利な品を安く、早く生産できる、効率的な世界の工場」
から
「生産コストが高く、規制や言語や文化の特異性による障壁が高く、使いづらい老朽設備だらけの古びた辺境の工場」
に変化していきました。

倒産に瀕した企業などでは、盛んに高度成長時代の思い出が語られます。

曰く
「昔は全員残業してフル稼働しても生産が追いつかなかった」
「ちょっと前は、人がたくさんいたんだよな」
「あんときは、どんどん設備を更新していたよなあ」
「昭和時代は、たくさんの下請けを使っていたんだよ」
「高度成長期は、メーカー主導で価格交渉していたんだよなあ」
などなど。

しかしながら、先程述べたように、市場におけるゲームのルールが劇的に変化してしまいました。

企業を運営する方向性としては、オペレーション(業務遂行)とイノベーション(業務改革)のつがあります。

経済が膨張(インフレーション)し、市場にモノやサービスが足りない状態のときは、オペレーションに比重がおかれます。

そして、オペレーションにおいては、余計なことを考えずにひたすら目の前のルーティンをこなすことが重要となります。

ところが、供給過剰になり、市場が小さくなり、価格競争・品質競争が激化すると、環境適応のためのイノベーションが重要となり、これができない企業は淘汰されることになります。

「環境が激変する現在において、生き残ることができる企業」
とは、イノベーションができる企業、すなわち、過去を振り返らず、ひたすら現在の状況に適応できる企業といえます。

そして、そういう未来を志向する企業は、上から下まで過去を偲ぶ暇がなく、逆に過去を偲ぶタイプの人間は、はるか昔に解雇されています。

社長以下幹部が過去の栄光を振り返るだけで現在の挫折を改善しようとせず、また、中間管理職もそういうタイプの人間ばかりで、社内全体に過去に執着するような文化が蔓延しているような企業に未来はありません。

また、現状において売り上げをそれなりの水準を維持している企業であっても、成功体験に固執し、変革や環境適応の努力を怠った場合、栄光の日々の終焉に気付かないまま、ある日突然、命脈を絶たれる場合があるのです。

ある小説にこういう一節があります。

「過去の栄光とやらは、いつでも、いまの挫折に結び付くのさ。女々しくすがりついていないで、とっとと忘れちまえ。いいか。過去の栄光ほど再出発を邪魔するものはない。過去の栄光ほど惨めったらしいものはない。栄光の条件を教えてやろうか。栄光は、常に現在形でなくてはならんのさ。過去形の栄光は、正しくは、挫折と呼び慣わすんだよ」

これは芥川賞作家の花村萬月氏の書いた
「新宿だぜ、歌舞伎町だぜ」
という短編小説における主人公のセリフですが、このことは企業にもあてはまります。

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01514_オーナー企業でみられる「社長の個人的趣味が現れた豪華な本社社屋」が完成したとき、企業は衰退を始める

オーナー系中小企業を見ていると、本社社屋に、娯楽施設とかフィットネスクラブとか茶室とか業務に関係のない施設も併設されていたりする光景が見られます。

そして、こういう企業に限って、社長室が無駄に広く、動物の剥製、著名人とのスナップ写真、有名絵画、高級酒がおいてあり、さらに本社玄関には創業者の銅像がおかれていたりします。

無論、企業もその規模に応じて、相応の相場感をかもしだす必要はあるでしょう。

しかし、企業施設の豪華さが企業の社歴や規模と比較してあまりに違和感がある場合、その企業の長期的存続はやや厳しいと思われます。

本社社屋は、事業という戦争において指揮命令を司るところであり、機能性と効率性が追求されるべきであり、何よりも私的空間と決別していなければなりません。

たとえば、こんな例を考えてみましょう。

ある高校生の勉強部屋を見ると、アイドルの写真やスポーツ選手のポスターがベタベタ貼ってあり、また、マンガの本やプラモデルなど成績や勉強に貢献しないものが目立っている。

この高校生は学業において優秀な成績を修めているでしょうか?

無論、そういう環境でも勉強が出来て成績も優秀な高校生が絶対いないというわけではないかもしれません。

しかし、現実には、
「そういう環境で勉強している高校生は、成績もやっぱり残念な結果になっている」
ということの方が圧倒的に多いと思われます。

要するに、社長室に
「効率的な事業運営を行うための指揮所」
としてふさわしくないような私物がやたらと置いてある企業は、
「勉強のできない高校生の部屋」
と同じで、
「そういう環境においてまともな経営ができているか、非常に疑わしい」
ということになるのです。

なお、
「あまりに殺風景だとそれはそれで仕事の効率が落ちる」
というのも理解できますし、そのためにある程度調度品を置くという行為も理解できないわけではありません。

とはいえ、動物の剥製や銅像や美術品や骨とう品や日本刀や兜など、高価なというだけで特定の趣味・嗜好が感じられない品々が、一貫性もなく、無秩序に羅列されているような場合、会社のオーナーの感性が
相当「イタい」、
ということを端的に表していることになります。

そして、
「そのようなオーナーの『イタい』感性の発現がそのまま放置されている」
ということは、
「社内で誰も注意する人間がいない」
ということを意味しており、こういうガバナンスと無縁な企業は何かの拍子であっという間に消えてなくなってしまうものです。

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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01513_豪華で立派な本社ビルが出来ると、企業は傾き始める

1 パーキンソンの法則

イギリスの歴史学者・経営学者であるC.N.パーキンソンは、その著書
「パーキンソンの法則(1958)」
の中で
「ある組織のりっぱな建造物の建設計画は、その組織の崩壊点に達成され、その完成は組織の終息や死を意味する」
と述べています。

この法則からすると、豪華な本社ビルが出来上がった後は、どの企業も成長が終わり、終息に向かう、ということになるようです。

論理的裏付けはともかく、経験則からいって、これは真実に近いような気がします。

2 「 豪華な本社ビルを自前で作る」という会社の方向性の前時代性

現在の会社の事業戦略の方向性は、
「利益という指標への盲目的奉仕とこれに向けられた徹底した効率化(スピード化、スマート化、シンプル化、ソフィスティケート化)」
であり、
「大きいことはいいことだ」
という単純なスケール追求指向の昭和の時代の企業の方向性とは一線を画しています。

そして、
「よい会社」
というのは、総じてケチであり、お金の使い方に一切無駄は見られません。

ここで、注目されるべきは
「本社ビル」
という点です。

本社ビルは、製造活動を行うわけではなく、特殊な小売形態を除き、営業活動をメインで行うこともしません。

本社ビルは、中枢管理を行う機能が集中します。

たしかに、
「中枢管理」
といえば聞こえはいいですが、いってみれば、収益に直接貢献しないことをやっているところであり、間接費をダラダラ流し続けるところです。

工場設備や店舗にカネを使うならまだしも、間接費の塊に無駄にカネを使うのはあまりに経営センスがなさすぎます。

その意味では、
「豪華な本社ビルで築造して社容を誇る」
という発想の会社は、収益との関係のないところにカネを使っていることを誇示している会社であり、今の時代、そんな経営を指向する経営陣の頭脳は、やや知的水準に問題があるといえます。

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