01701_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)12_ガバナンスに関する法とリスク

1 株式会社の利害関係者

組織体である企業には、様々な思惑を持った利害関係者が集まります。

株主は株主としての思惑をもって企業に参加しますし、経営者は経営者なりの考えがあります。

一括りに
「株主」
といっても色々な種類の株主がいます。

株を長期間保有する株主
もいれば、
「午前中に株式を購入したら午後3時までにはすべて売っ払って株主でなくなる」というトレーダー
もいます。

「企業の組織運営についての株主の考え」
といっても、その具体的内容は株主毎に異なります。

というか、そもそも
「株価の動向には関心があるが、企業の組織運営なんぞまったく興味がないし、どうでもいい」
という株主も相当数存在します。

2 株式会社の統治秩序と内部統制

とはいえ、企業も組織である以上、
(1)誰がボス(トップ)かを決め、
(2)企業を運営する方針を決め、
(3)従業員に企業が決定した方針に従わせる、
ということが必要になります。

上記(1)及び(2)が企業統治(コーポレートガバナンス)と呼ばれる経営課題であり、(3)が内部統制と呼ばれる経営課題です。

3 誰をトップにするか

(1)のトップの選出については、株主総会で出資口数に比例した多数決(資本的多数決)により取締役を選出します。

そして、取締役会における多数決で、企業のトップ、すなわち代表取締役が選出されます。

企業運営が正常に行われている場合、
「トップは誰か」
という企業組織の根本的な事柄が曖昧になったり、モメたりするようなことはまずありません。

しかしながら、現実の企業社会においては、
「トップは誰か」
という企業組織運営において根本的な事柄をめぐって激しい紛議が生じることがあります。

古くは老舗百貨店三越の社長解任劇(1982年、三越の取締役会において、突如発議された代表取締役解職決議案が満場一致可決成立し、当時のワンマン社長が、取締役全員に裏切られる形で、非常勤取締役に降格させられた事件)が有名です。

また、最近では、総合電機メーカー富士通の“お家騒動”(辞めたはずの前社長が「オレは辞任した覚えも、解任された覚えもない。反社会的勢力と付き合いがあった云々は事実無根の因縁だ」という趣旨の反論を展開し、訴訟沙汰になった)など、
企業が「誰がトップなのか、明確に定まらない」という異常事態
に陥ることがあるのです。

4 どういう方針を採用するか

また、(2)企業の経営方針についても、大きな混乱が生じることがあります。

“ホリエモン”こと堀江貴文氏が率いるライブドアがニッポン放送の株を買い占めて同社筆頭株主に踊り出た際、筆頭株主たるライブドアとニッポン放送経営幹部とで企業経営の基本方針をめぐって重篤な対立が生じ、これがきっかけとなって訴訟沙汰に発展しました。

“モノ言う株主”として名を馳せた村上世彰氏率いる村上ファンドは、多数の株式を取得した会社に対して
「会社を解散し財産を株主に配当せよ」
「会社所有のプロ野球球団を上場したほうがいい」
など、現経営陣の策定した経営方針に強烈に異議を唱え、大きな議論を呼びました。

このように、企業において
「株主と経営陣の間で紛議が生じ、経営方針が定まらず、混乱する」
ということも起こり得るのです。

5 どうやって決められた方針を従業員に従わせるか

(3)の内部統制についても同様です。

企業の組織内部が適正に統制されていれば、企業トップが定めた組織運営方針は、組織の末端に至るまで適正に遵守されます。

しかしながら、
「企業トップあるいは上層部が策定した組織運営方針を、現場の従業員が無視あるいは軽視し、法令違反その他の重大な事件や事故に発展する」
という事態がしばしば起こります。

旧大和銀行ニューヨーク支店において現地トレーダーが独断で巨額投資を行って莫大な損失を発生させた事件や、総会屋への利益供与事件や談合やカルテルなど、現場が暴走して、内部統制上のトラブルを惹き起こすケースは枚挙に暇がありません。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01700_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)11_法人制度

1 法人制度とは

企業のほとんどは、株式会社、という形態で営まれます。

この株式会社は、営利社団法人であり、広いくくりでいうと
「法人」
の一種です。

そして、日本の法人の中でもっとも数多いものであり、
「法人」
の代表選手といえるほどメジャーな
「営利社団法人」
です。

「法人」
とは
「法律上のフィクションによって、人として扱うバーチャル人間」
のことをいいます。

この「法人」という概念ですが、よく聞く言葉ですが、実はまったく理解できない法律概念の一つと思われますので、少しこの
「法人」制度
について解説します。

「個々人バラバラではなく、一定の人間の集団と取引をする」
ということを考えてみます。

人間の集まりには、

・「渋谷や銀座といった特定の場所に一定時点存在する、相互に無関係で、無秩序で、方向性もバラバラで、無責任この上ない群衆」
もあれば、
・「一定の統治秩序があり、永続性があり、方向性と責任の所在が明確な人間の集まり」
もあります。

前者、すなわち、
「渋谷や銀座といった特定の場所に一定時点存在する、相互に無関係で、無秩序で、方向性もバラバラで、無責任この上ない群衆」
について、一定の法律上の人格を想定して付与し、取引社会に参加させた場合、
「何をしでかすかわからないし、しでかしたことにも責任を取らず、皆がトンズラこいて、知らぬ存ぜぬで押し通す」
といったことになるので、あまりに不安で危険であり、取引社会が大混乱となります。

他方で、後者、すなわち、
「一定の統治秩序があり、永続性があり、方向性と責任の所在が明確な人間の集まり」
であれば、一定の法律上の人格を想定して付与し、取引社会に参加させても、混乱は想定できませんし、却って、より大規模で効率的な取引がスマートに実現でき、経済社会の発展に寄与します。

取引や支払の責任という点であれば、最終的には、
「カネで責任を取ってもらえれば問題ない」
といえますので、
「人間の集まり」同様、
「財産の集まり」
であっても、
「統治秩序(財産運用秩序)があり、永続性があり、方向性と責任の所在が明確な財産の集まり」
であれば、これも、取引社会に参加させても問題なかろう、と考えられます。

そこで、人の集合体(社団法人)と財産の集合体(財団法人)の2種を想定し、これらいずれについても、
「統治秩序(財産運用秩序)があり、永続性があり、方向性と責任の所在が明確」
であれば、
「自然人ではないものの、財産的基礎があるので取引社会に参加させても、自然人と同様に取引を含む民事責任を負わせることが可能である」
と考えられるようになりました。

このような背景から、人の集まり(社団)や財産のカタマリ(財産)について、一定の要件を備えたものを
「本来の人(ヒト)とは異なるが、『法』律上、『人』と同等に扱ってやろう」
とし、
「法」「人」
として扱う制度を設けたのです。

これが法人制度の基本的な考え方です。

2 法人制度の種別

法人には、前述の社団法人(ヒトの集まり)と財産法人(財産の集まり)という区別のほか、目的によって、公益法人と営利法人があります。

株式会社は、営利目的で、株主という名の共同オーナー、すなわち人が集まった法人であり、営利社団法人とカテゴライズされます。

3 法人の運営(統治)

そして、株式会社も法人として、規律も責任も曖昧な単なる烏合の衆ではなく、きちんとした統治秩序が確立して、適切に運用されることが当然の前提となりますが、これをガバナンスあるいはコーポレート・ガバナンスなどといわれたりします。

ところで、法人は、人の集合体であっても、個々のメンバーとはまったく別の
「チーム」「グループ」
であり、抽象的・観念的存在に過ぎません。

実際は、チームのトップや、グループのセンターに相当する、代表者が、法人に成り代わって、各種取引を行います。

株式会社の場合、代表取締役が、チームのトップや、グループのセンターに相当します。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01699_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)10_企業活動を体系化して捉える(後)

1 債権管理回収

商品やサービスをカネに変える営みを「営業」という、といいました。

しかし、営業の種別によって、
「商品やサービスが瞬時にカネに変わるプロセス」
もあれば、
「商品やサービスが一旦債権に変わり、債権(支払い約束)がさらにカネに変わる、という2段階のプロセス」
を踏む場合もあります。

例えば、コンビニエンスストアでおにぎりとお茶を買う場合は、いちいち契約を締結したり、売掛債権にして別途弁済したりするする、ということは生じ得ません。

他方で、自動車メーカーが、自動車用の薄板を一定のロットを鉄鋼メーカーから買う際、大量の薄板ロールを搬入した港かどこかで、現金の入ったアタッシュケースと薄板ロールを交換する、などということも生じ得ません。

後者の場合、鉄鋼メーカーから観察すると、一旦、商品は売掛債権に変質し、当該債権が金銭に変わる、といプロセスを踏むことになります。

ところで、すべての債権が期日に遅れることなく全額弁済されればいいのですが、一定の管理活動をして、また、事故が発生した場合、きちんと回収までフォローする活動が必要となりますが、これが債権管理・回収活動です。

2 会計・税務

企業の活動は一定の期間毎に区切られ、その活動内容が会計的に記録され、整理されていきます(期間損益計算)。

このような計算の結果は、経営成績(P/L)・財政状態(B/S)という二元的切り口で表現されて、投資家や債権者に整理して報告されるとともに、産み出された利益の中から一定割合の税金を税務当局に納める、ということが行われます。

このように、
「一定の期間毎にその活動の成果が整理され、ステークホールダーズ(企業をとりまく利害関係者)に報告する」
というのも企業の特徴的な営みといえます。

3 破産・再生とM&

以上が、一般的で日常的な企業活動ですが、企業活動の中には、非日常的な特殊な活動も生じます。

まず、企業が債務超過により、あるいは資金繰りに失敗して支払不能に陥った場合、債務を整理(返済リスケジュールや債権放棄等)して再建したり、あるいは会社を解散・清算や破産して残った財産を債権者に分配する場面が出てきます。

そして、
「破産・再生あるいは廃業の手前で、企業を身売りする」
というときには、
「M&A」
という特殊な取引が登場します。

M&Aとは、企業そのものを取引対象とする、ということです。

普通の取引対象といえば、ヒト、モノ、カネ、ノウハウといった形で、個別経営資源毎にバラバラで調達するのですが、
「これをいちいちやっていると面倒くさくてしょうがない。ヒト・モノ・カネ・ノウハウが統合的にシステマチックに合体して動いている人格そのものを取引しちゃった方がいいんじゃね?」
ということで、

「企業まるごと買っちゃえ」
という趣で形成されてきたビジネス分野です。

4 第三者からの攻撃への対処

企業活動をしていると、取引等とは無関係の第三者から攻撃を受ける場合が生じ、そのようなリスクを想定した安全保障や、有事対処を行うべき場合も出てきます。

まずは、物理的な攻撃を加える外敵が考えられます。

具体的には、暴力団等の反社会的勢力から不当な要求を受けたり、何らかの嫌がらせや、生命・身体、名誉・財産等に対する危険をほのめかされたりする場合です。

攻撃は、暴力を伴った物理的なものだけではありません。

インターネット上で、誹謗中傷や名誉毀損、さらにはデマを拡散されて、企業の信用が致命的に毀損するような場合もあります。

これらの安全保障課題や、有事対処も企業活動の1つです。

5 国際取引

冷戦の終了に伴い、製品市場、労働市場、金融市場ともに世界の市場が単一化し、また、インターネットの発達により、欧米諸国である、非欧米諸国であるとを問わず、大量のヒト・モノ・カネ・情報がスピーディーに世界を行き来する時代が到来しました。

債権や株式に対する国際投資、外国のマーケットでの資金調達、為替や金利差を用いた金融派生商品、ジョイントベンチャー、国際的M&A、クロスライセンスによる技術取引といった技術的に高度な国際取引が、今や日常的に行われるようになっています。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01698_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)9_企業活動を体系化して捉える(前)

1 そもそも企業とはどのような存在か

企業活動を取り巻く法とリスクを体系化して捉えるためには、まず、
「企業とは何か」
「企業とはどんなことをしているか」
ということを知らなければなりません。

企業というのは、営利活動をする組織を指しますが、要するに、
「組織として、チームとして、利益を追求する存在」
といういい方もできます。

企業の代表選手、株式会社は、通常の人間と違って、姿・形がありません。

「株式会社は法人である」
などといわれますが、法人とは、自然人(我々通常の人間)とは異なるもので、法律上のフィクションとして、権利・義務の主体となりうる、とされたものです。

例えるなら、生身の体をもたないが、法律上の人格を与えられた
「バーチャル(仮想上の)人間」
です。

2 企業の統治秩序の確立

企業は、自然人と違い、生身の体をもたない、法律上のフィクションとして人格を与えられた人の集団(社団)か財産の集合体(財団)であり、それ自体意思をもたない存在ですので、適当な方法で意思を決定し、また、その決定した意思の内容を誰か適当な自然人(代表者)を通じて
「法人の意思」
として表明してもらわなければなりません。

無論、法人の代表者を誰にするか、ということについても、適当な方法で決定しておかなければなりません。

このように、企業においては、代表者を決めたり、その意思内容を決めたり、という統治秩序を確立するための活動(ガバナンス)が必要になります。

3 企業活動(経営資源の調達・運用・廃棄)

経営の基本方針やこれを実現する代表者や執行者が決まって、内部統治体制(ガバナンス)が整った企業は、次の段階として、経営資源を調達し、あるいは調達した経営資源を活用する、という活動に移行します。

ここにいう経営資源とは、よくいわれる、ヒト(労働力)・モノ(設備や原材料)・カネ(資金)のほか、第4の経営資源といわれるチエ(技術・情報・ブランド)が挙げられます。

すなわち、企業は、資本を募ったり融資を得たりしながら資金を調達し、集めた資金で労働者を雇い入れたり設備や原材料を購入し、これらを活用して製品や商品を作り出したりサービス提供体制を整えたりします。

さらに、研究開発や情報収集を通じ、技術、ノウハウやブランドを創造・確立するとともに、企業経営の様々な局面でこれらを活用していきます。

このように、企業は、さまざまな経営資源を調達・活用しながら、
「製品」・「商品」

「サービス提供体制」
という形で、企業内部に
「一定の価値(企業がその営みに基づき生み出した独自の価値です)」
を創出し、蓄積していくことになります。

ただし、
「一定の価値を創出し、企業内部に蓄積する」
というだけでは企業活動としては不完全といえます。

4 「内部付加価値を実現する活動」としての営業活動

企業は、次の段階として、自己の内部に蓄積した
「一定の価値」
をキャッシュに転化させるための活動を行うことになります。

「自己の内部に蓄積した『一定の価値』をキャッシュに転化させる」
という企業の生態ないし活動は、一般的に営業活動と呼ばれます。

営業活動によって、
「商品等がカネに転化し、そのカネが再び、経営資源として活用される」
というサイクルが生まれ、この循環的な生態を繰り返すことにより、企業は継続して発展していくことになるのです。

ところで、営業活動は、営業ターゲットの属性によって、B2BB2Cの2種に分類されます。

B2Bとは、“Business to Business”の略称であり、企業間取引、あるいはコーポレートセールス(ホールセール)を指します。

これに対して、B2Cとは、“Business to Consumer”の略称であり、消費者向営業、あるいはコンシューマーセールス(リテール)を指します。

このような分類がなされるのは、上記2種の営業は、採用される戦略・戦術も、債権管理や回収のリスクの有無についても、活動の上で服すべき規制も、まったく異なることに基づきます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01697_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)8_法は「日本語」ではない(後)

2 民法の「善意」の意味

大学等で民法を学ぶと、かなり最初の方に勉強する、
94条「虚偽表示」
という条文があります。

かつては、通謀虚偽表示といわれた条文でしたが、通謀性が欠如する虚偽表示をも取り込む趣旨から、最近では、
「通謀」
が取れて、単に
「虚偽表示」
と呼ばれるようになった条文です(私個人としては、「相手方と通じてした」という文言が入っている以上、「通謀」が取れるのはしっくりこないですが)。

民法94条(虚偽表示)
1項 相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
2項 前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。

虚偽表示やら通謀虚偽表示などと聞くと、犯罪の匂いがぷんぷんする、邪悪でダーティーでデンジャラスでスキャンダラスな状況のような印象を受けますが、ざっくり言えば、
「なんちゃって契約をした」、
すなわち、お互い本気ではなく、形で契約をしたことにした、という話で、よくあるといえば、よくある話です。

この
「なんちゃって契約」
をする理由としては、いろいろあり得ます。

ウソも方便といいますが、いいカッコをしようとした、体裁を繕うため、信用を増強しようとした、話の整合性を作るため暫定的な演出として、というライトなものから、債権者に貧乏なフリをするため、離婚協議中の妻に見つかったり取られたりしないように、差押えを免れるため、税務署に見つからないように、と犯罪的なものまで、様々です。

「なんちゃって契約」
を行った動機が正しいか、許容範囲か、悪質か、犯罪的かはさておき、民法の世界の話でいうと、この契約の効力、すなわち、法的に拘束力を認めるかどうかという点については、1項に書いてあるとおり、無効です。

だって、
「なんちゃって」
ですから。

ウソですから。

本気じゃないですから。

 こんなものを裁判に持ち込んで、契約どおり義務を果たせ、なんてやられても、困っちゃいます。

   厄介なのは、2項です。

 「前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない」ここの「善意」ってなんなんでしょ。この日本語を言葉通り受け取っていいんでしょうか?

   ここで、ケースをみてみましょう。

船越英太郎(ふなこしえいたろう)は、妻との離婚紛争が激化する中、妻に内緒で購入した投資用のマンション1棟(時価約6億円)を、財産分与で取られないようにするため、友達の芳賀賢一(はがけんいち)に頼んで、
「離婚が成立するまで暫定的に芳賀名義にしておいて」
ということで、芳賀に売却した形にして、所有権移転登記も済ませた。

もちろんこれは二人の間では形だけの仮装の譲渡であった。

ところが、芳賀は、突然、身に覚えのない犯罪嫌疑を受けて弁護士費用が必要になり、また、その他、信用売買で投資していた株式が相場の急変で追証が必要になり、さらに、株価がどんどん下がり追い込まれたこともあり、急激にお金が必要になり、芳賀の“友人”に相談した。

船越→【通謀して名義を偽装】→芳賀→【芳賀名義で取引】→“友人”

<ケース1:”友人”が心根のやさしい根っからの善人で天使のような人間の場合>
芳賀の“友人”その1である笹井建介(ささいけんすけ)は、
「友達のためなら一肌も二肌も脱ぐ」
「義理人情が何より大切」
がモットーの、大きい体に優しい心をもつ、友達思いの根っからの善人である。
芳賀の窮状を聞いて、
「なんとかしてあげたい」
と思って、芳賀を助けるつもりで、
「返ってこなくてもいい」
と思い、芳賀に5000万円を貸した。
しかし、笹井の妻の晶子(あきこ)から
「ちょっと、あんた、何やってんのよぉ! 担保も取らずそんな大金貸してどうするの!」
と激怒され、最後はグーでパンチされるわ、ヘッドロックかけられるわ、喉輪をされて、
「ちゃんと返してもらうか、担保取ってきなさい! それまで家に入れないから」
と言われ、自宅から締め出されてしまった。
笹井は、芳賀に
「妻がうるさいので、なんでもいいから担保になるようなものを入れておいてくれ。土地でも不動産でも何でもいいから」
と懇請した。
芳賀が、船越から名義を移転されていた別荘のことを持ち出して説明すると、笹井は、
「とにかくそれなりの担保があればいいし、要するに、後でお金を返してくれて、担保の登記を消せば何も問題ないんだし」
と説得し、芳賀も
「船越から名義移転されているが、後できちんと承諾をするので、この別荘を抵当権を設定しておくよ」
といってマンションに抵当権を設定した。
そうしたところ、芳賀は有罪判決が確定し、また、破産宣告を受けて、返済は絶望的になり、笹井も妻から
「マンション競売かけてとっとと回収しなさい」
とこれまた連日うるさく言われる状況となった。

<ケース2:“友人”が狡賢くて冷酷で暴力的で阿漕でエゲツなさMAXの毒々しい悪魔のような商売人の場合>
芳賀の“友人”その2である浜田慎助(はまだしんすけ)は、名うての不動産屋。
パンチパーマに色付き眼鏡に関西弁にストライプのスーツ姿がトレードマーク。
そのモットーは
「安く買いたたいて、高く売る。困った奴から財産を合法的に巻き上げる」
というもの。
芳賀は、カネに困って、かつての飲み仲間であった浜田に相談したところ、
「タダで助けてくれとかナメたことぬかすな。お前、なんか不動産とかもってへんのか。不動産もってるんやったら助けたらんことはない」
と言われた。
芳賀は、船越から名義を移転されていたマンションを、船越との名義移転が仮装のものであることを言わずに
「自分名義の不動産ってのがあるにはありますが、とりあえずあるのはこれだけです」
と申し出た。
そうしたところ、浜田は、
「ええやないか。ええやないか。麻布のマンション1棟? 最高やないか。こういうマンションは絶対人が入る! 持って家賃収入で儲けるもよし、ころがして利益取るのもよし。わかった。これ買うたろ。そのかわり、3億5000万円や。それ以上出せん。てゆうか、お前カネないんやろ。贅沢言うてる場合ちゃうで。早よ決めんかいボケ。まあ、一応、来月までに4億円別に用意できるんやったら、4億円で買い戻す条項付けたってもええわ。まあ、お前なんか無理やと思うけどな。」
と言って脅すように迫り、芳賀も浜田の迫力にそのまま押し切られるようにして、売買を実行し、マンションの名義を浜田に移転してしまった。
そうしたところ、芳賀は有罪判決が確定し、また、破産宣告を受けて、返済は絶望的になった。

“友人”1の笹井と、”友人”2の浜田、どちらも民法94条2項の第三者として、本来の所有者である船越とのマンションの争奪戦が繰り広げられそうな展開ですが、肝心なのは、
「善意の第三者」
といえるかどうか。
天使の笹井と、悪魔の浜田、彼らは、「善意の第三者」として民法で保護されるのでしょうか?!

このケースにおいて、答えをいいますと、

心根のやさしい根っからの善人で天使のような人間である笹井は
「悪意の第三者」
として扱われ民法は一切保護してくれませんが、他方、
狡賢くて冷酷で暴力的で阿漕でエゲツなさMAXの毒々しい悪魔のような商売人の浜田は
「善意の第三者」
 として保護されます。

え?

心根やさしく友達思いのカタギの天使が「悪意の人」
で、
半分ヤクザのような阿漕な悪魔が「善意の人」
だって?

何か逆のような印象を受けるかも知れませんが、法律用語を日本語として日本の常識で読解したら、こういう間違いを犯します。

なぜなら、
「善意」とは特定の状況(船越と芳賀の売買が仮装かどうか)を知らないこと
を指し、
「悪意」とは当該状況を知っていること
を指すからです。

すなわち、連続殺人犯だろうかテロリストであろうが麻薬の常習犯であろうが暴力団の組長であろうが、
特定の状況を知らなければ当該状況について「善意」の人
になり、

ローマ法王だろうが、マザーテレサだろうが、ヘレン・ケラーだろうが、ノーベル平和賞受賞者だろうが、
特定の状況を知っていれば「悪意」の人
になる。

これが、民法という特殊で異常で非常識な世界における日本語なのです。

これを知らずに、法律を日本語として読もうとすると間違いを犯す可能性があります。

法律は、日本語で書かれていますが、特殊な言語によって書かれた特殊な文書(もんじょ)と考えて、翻訳をしながら使うべき必要がある、ということです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01696_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)7_法は「日本語」ではない(前)

1 会社法の「社員」の意味

法律、といってももちろん日本の法律ですが、これは日本語として、普通に理解していいのでしょうか? 

ここで、例をとって考えてみます。

滋賀県から東京の大学に進学し、東京で就活をしていたA子さんですが、希望の就職先が全滅で、夢破れて地元の滋賀に帰ってきました。

民間会社で適当なところがなかったので、1年かけて地方公務員試験を受験し、地元の役所を目指します。

とはいえ、1年間勉強だけでは食べていけないので、どこか適当なところに就職しようとして、実家の近くで昔から経営している自動車修理工場
「合名会社浅井自動車」
に無事公務員になれるまでの腰掛けとして就職することにしました。

このことを、
「地元の大学の法学部に通っている、とはいえ、あまり勉強もしておらず、法律のことをわかっていないが、口だけは一人前の弟」
に話したところ、
「お姉ちゃん、そんなところいったら大変な目に遭うで。合名会社の社員になるんやろ? ほら、みてみいや、この会社法の条文、

会社法
第576条2項 設立しようとする持分会社が合名会社である場合には、前項第五号に掲げる事項として、その社員の全部を無限責任社員とする旨を記載し、又は記録しなければならない。

第580条1項 社員は、次に掲げる場合には、連帯して、持分会社の債務を弁済する責任を負う。
一 当該持分会社の財産をもってその債務を完済することができない 場合
二 当該持分会社の財産に対する強制執行がその効を奏しなかった場合(社員が、当該持分会社に弁済をする資力があり、かつ、強制執行が容易であることを証明した場合を除く。)

東京でちゃんと勉強したん? これ、あかんのちゃう? あの浅井自動車、調子良さそうにみえるけど、先代社長がバブルのときに手出した駅前の学生用マンションの借金がまだ返せんみたいで、経営がだいぶしんどいみたいやで。ほら、この条文よう見てみいな。お姉ちゃん、そんな合名会社の社員なんかになったら、無限責任、連帯責任背負い込まされて、破産やで。へんな契約書とか内定誓約書とかサインしてへんやろな。すぐ断わって来たほうがええで」

A子さん、
「来週から合名会社の社員になって働きます」
という誓約書にサインしたばかりで、顔が真っ青になり、慌てて、撤回しに浅井自動車に向かって走り出していきました。

ところで、この弟くんの話、そのとおりなんでしょうか?

確かに、持ち分会社である合名会社の社員は
「無限連帯責任を負う」
なんてことが、バッチリ会社法に書いてある。

すぐさま、合名会社浅井自動車の内定を取り消してもらい、 こんな危ない会社の危ない責任を背負い込まされない、危険きわまりない
「社員」
になろうとした痕跡を、さっさと、きれいさっぱり消してしまうべきでしょうか??

いえいえ、まったくその必要性はありません。

この
会社法でいう「社員」
とは、従業員という意味ではないからです。

この
会社法の「社員」
は、出資持分(オーナーシップ)をもつオーナー(共同オーナー)という意味だから、出資をしていない従業員は、会社が潰れようが、債権者として未払い賃金を要求する立場にあっても、一切会社の債務について責任を負うことはありません。

極めて紛らわしい言葉の使い方ですが、
会社法の言葉は、日本語ではありません。

会社法という
「特殊文学」というか、
「特異で奇っ怪な読み物」というか、
「日本語を使った特殊暗号文」の世界では、
日本語や日本人の常識や普通の言い回しは通用しないのです。

ちなみに、平成17年に改正された会社法ですが、以前は、カタカナ混じりの古色蒼然たる文語体で書かれており、一見して古文書か何かと見紛うばかりであったことを改善しようと、
「現代社会にふさわしいわかりやすい言葉にフルリフォームした」
という触れ込みで登場したものです。

ですが、
「社員」が「従業員」を意味しない、特殊言語を使う
ことからしても、やはり、
「会社法は日本語ではない」
という状況は変わっていません。

要するに、
「法律を日本語として読もうとするのが間違いなのであって、特殊な言語によって書かれた特殊な文書(もんじょ)と考えて、翻訳をしながら使うべき必要がある」
ということです。

日本語で書かれていて、一見すると、普通に日本語を読解できれば、読んで理解して何とか対処できそうな気がするが、特殊な知識をもって、意味翻訳しながら読まないと、誤解する危険性がある代物。 これが法律のもつ闇です。

まさしく、
“げに恐ろしきは法律かな”
といえるかと思います。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01695_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)6_法が非常識であり、法と倫理は別物であること(後)

2 「法」の世界~客観的ルールが整備され、自由が保障された世界~(承前)

適正手続の保障を定めた憲法31条
「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」
についてみてみましょう。

この条文は、カタギの方にはほとんど縁がなく、
「チエのある厄介者」
が頻繁に使うものです。

全国の組織的自由業者の方々にとっては、強い味方であり最も使える武器と考えられているかもしれません。

以下のようなケースをみてみましょう。

霞が関で、棒状の凶器により某官庁に勤める公務員が撲殺される通り魔事件が起きた。
警察は、犯人捜索のため、緊急配備を行った。
丸の内線の霞が関駅入り口近くで、人相が悪く、パンチパーマで、サングラスをかけ、雪駄履きで、ガニマタで、バットケースのようなものを背負いながら、携帯電話をしながら関西弁で大声で話ながら歩いている男がいた。
不審に思った警察官がバットケースのようなものの中身を見せろ、と言ったところ、男は、
何じゃい、こら。ポリスの分際で、邪魔するんかい。わしは 忙しいんや。そこ通さんかい。何?このケースを見せろ、てか。おんどりゃ、それ命令しとんか。イヤじゃ、ぼけ。見たかったら、令状もってこんかい
といった。
警察官は、この、
「生意気で、非常識で、見るからに反倫理的で、明らかに不審で犯罪臭のプンプンする、舐め腐った男」
を取り押さえて、バットケースを取り上げ、中身を検めた。

1)ケース1:バットケースから血糊がべったりついたバットが出てきた場合
バットケースから血糊がべったりついたバットが出てきた。
しかし、男は、この状況の説明をせず、一切沈黙と貫いている。
このバットを証拠にこの男に罪を問うことに特段の障害はないだろうか?

2)ケース2:バットケースから出てきたのが問題のないバットで勘違いだった場合
バットーケースから出てきたのは、血糊など一切ついておらず、丁寧に包装された王貞治選手の700号ホームランを打ったときのバットで、数百万円もの価値をもつものであったが、取り押さえる際に無残に折れてしまい、また、この男は取り押さえた際に頭を打ち、死亡した。
遺族は、取り押さえた警察官を告訴するとともに、国家賠償請求を検討しているが、これは認められるであろうか?

法は、ときに、
「手続的正義のためであれば、結果として、実体的不正義を容認するのもやむを得ない」
という判断をすることもあります。

例えば、違法収集証拠排除法則という理屈があります。

これは
「刑事事件の捜査の過程で、証拠の収集手続が違法であったとき、起訴され、裁判となって、犯罪事実の認定においてその証拠を使おうとしても、証拠としては使えない(証拠能力が否定される)」
という刑事訴訟法上の法理です。

刑事訴訟法には記載がありません(非供述証拠について明文規定はない)が、憲法31条に基づき、判例によって採用された法理です。

前記事例においては、バットケースをもった男の言っている内容(「見たかったら、令状もってこんかい」)は、まさしくそのとおりであり、警察官の行為は、違法行為です。

令状が必要な状況であるにもかかわらず、令状もなく、いきなり逮捕や捜索することは、たとえ、それが制服を着た警察官がやっていたとしても、単なる、拉致監禁行為であり、住居侵入・窃盗行為であり、れっきとした違法行為であり、犯罪行為です。

事例1は、訴追側において、違法収集証拠排除法則によって証拠能力が否定されるリスクが発生しますし、
事例2については、国家賠償請求訴訟や刑事告訴も十分な根拠と理由のあるものと判断処理される可能性が濃厚です。

このように、法は、決して
「窮屈で厄介で人生を不自由にするようなもの」
ではなく、むしろ、
「書いてなければ何をやってもいい」
という逆説的なメッセージを通じて、自由を愛し、道徳や常識に縛られず自由に生きる人間を保護し、その強い味方となります。

反面、法は、不正義・不道徳・反倫理・非常識に対して、比較的寛容であり、
「健全な道徳と倫理観をもつ、秩序を愛する道徳人」
に対して極めて不愉快に作用することも往々にあります。

したがって、法の世界では、
「そんな非常識な」
「そんなバカな」
「そんなことありえない」
という結論が数多く導かれますし、非常識で、不道徳で、反倫理的と思わざるを得ない結果を導きかねない、危険でダークな側面を有している、ともいえるのです。

以上みてきたように、法律は、道徳や常識や倫理や社会秩序に反する結果を容認する、という意味で、
「げに恐ろしきは法律かな」
といえようかと思います。

3 倫理の世界~主観が幅を効かす、不自由で窮屈な世界~

倫理や道徳の世界ですが、法律家からみれば、不自由でデタラメな暗黒社会のように映ることもあります。

倫理の世界においては、
「人は、自由の前に、権利の前に、倫理を持つべきである」
という形で人を拘束し、人の自由が奪われることがあります。

そして、倫理は、あいまいで、実体が不明で、人によって、時代によって、変わります。

現代においては、お金を貸す際に金利をもらっても問題ありませんが、人を奴隷のように扱ったり、人身売買することは反倫理的とされます。

しかし、数百年前のヨーロッパにおいては、まったく逆でした。

すなわち、農奴等の奴隷が日常生活に溶け込む形で普通に存在する一方、金を貸す際に金利を受け取ることは、大きな罪とされました。

また、国家や社会が違えば、特定の独裁者を褒め称えないことは反倫理的で反道徳的であり、ときに、刑務所よりも過酷な収容施設に送り込まれるような重大な罪を構成することもあります。
「反革命罪」
「帝国主義的堕落思想」
「ボリシェビキ的腐敗」
「不敬罪」
「帝国軍人としてあるまじき行為」
「反キリスト的行い」
「悪魔崇拝」
「公務員としてあるまじき非行」

いずれも、どんな行為がこれに該当するかさっぱり不明で、気分と印象によって適当に決められた挙げ句、非常に厳しいペナルティが課せられます。

これも、道徳や倫理や常識や秩序といったものの怖さです。

「げに恐ろしきは法律かな」
とは言いましたものの、それよりも怖いのは、
道徳や倫理や常識や社会秩序といった、得体の知れない、具体性がなく、人によって、時代によって、社会によって融通無碍に形も中身も変えて、人を縛り付け、自由を奪うもの
なのかもしれません。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01694_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)5_法が非常識であり、法と倫理は別物であること(前)

1 法は非常識である

言われてみれば当たり前のことですが、
「法律」は、「道徳」や「常識」や「倫理」とは別物
です。

ちょっとした違いどころか、まったく違う、まったくの別物です。

これは、
「法律」の意味内容と、「道徳」や「常識」や「倫理」 がズレる
ことを意味します。

さらにいえば、
法律が
「健全な道徳」に反する帰結をもたらしたり、
非常識な結果を容認したり、
倫理と真っ向から対立することも
あり得ます。

もちろんすべての場面で
「法は反倫理的である」
とまではいいません。 

しかし、リスク管理を十全にするため 保守的想定を行う観点では、
「迷ったら思考負荷のかかる想定」、
すなわち、
「常識にしたがったら法令に違反する場合がある」
「法が非常識な働きをすることもある」
「反倫理的状況に対して法が沈黙してしまい、救済の手を差し伸べてくれないこともある」
ということを、前提として理解しておくことが必要となります。

以下、
「法の世界」と「倫理の世界」がどのように区別され、どのような違いがあるか、
について、みてみます。

2 「法」の世界~客観的ルールが整備され、自由が保障された世界~

法とは、
「あれをしろ、これをしろ、と窮屈に人をしばりつける厄介で面倒なモノ」
と思われていますが、逆説的に考えれば、
「明確に書いていないことは、何をやってもいい」
ということが容認されているとも考えられます。

このような発想にたてば、法は、
「杓子定規に人を縛り付け自由を奪い去るもの」
ではなく、
「禁止の限界を画し、人に自由と安全を保障してくれる便利で役に立つもの」
とも考えられます。

実際、人にシビアなペナルティを与える刑法は、適用・発動の条件が厳格に規定されています(罪刑法定主義)。

当然ながら、
「倫理違反=法令違反」
とは限りません。

お前の行いは非常識だ、
お前の言動は秩序に反する、
お前の言い方は不愉快に過ぎ、社会に脅威を与える、
お前の本は反倫理的で秩序を乱す、
お前の作品は健全な価値観に対して挑戦的だ、
お前の思想は堕落した帝国主義の影響を受けており反体制的であり危険だ、
などといった理由で、逮捕され、投獄されることがないのは、
倫理とか社会道徳とか秩序とか常識とかに違反しても、明確な法令に明確に違反しておらず、
しかも、
罪刑法定主義というリベラルな考え方が根底にある
からです。

我が国民が、どこぞの独裁国家の国民と違って、突然の牢屋送りに怯えることなく、自由で楽しく暮らせるのは、(一見、権威的で、堅苦しく、厄介で窮屈な印象を与える)法律というものが、前述のとおり
「明確に書いてないことは、何をやってもいい」
というリベラルな効能を発揮しているからにほかなりません。

これを敷衍すると、
「道義的責任がある」=「(裏を返せば)法的責任までは追及できるかどうか不明」
ということすらいえます。

また、
「企業倫理に反した行動」=「法に触れない範囲での経済合理性を徹底した行動」
とも考えられます。

「社会人としてあるまじき卑劣な行為」も、法的に観察すれば、
「健全な欲望を持った人間による、本能に忠実な行為であって、非常識とはいえ、法的には問題にできない行い」
と考えられることもあります。

たとえ、
「社会人としてあるまじき卑劣な行為」

「企業倫理に反した行動」
を仕出かし、その結果、新聞やマスコミから、
「道義的責任がある」
「社会的責任を取るべきだ」
とバッシングの嵐があろうが、法に触れていない限り、
「法的には」
まったく責任を取る必要などビタ1ミリない。 

法は、
「法に書いてなければ何をやってもお咎めなし」
という形で、新聞やマスコミや世間のバッシングから、我々を守ってくれる。

そんな意外な一面をもっています。

実際、民法学の世界では、
「強欲や狡っ辛さは善」であり、
「謙虚や慎ましさや奥ゆかしさは怠惰の象徴であり、唾棄すべき悪」
とされています。

すなわち、
「強欲で自己中心的な人間」=「自らの権利実現に勤勉な者」
という形で、民法の世界では保護・救済されます。

「自らの権利や財産を守るために、人目をはばからず、他に先駆けて保全や実現にシビアに動いた者」
は、権利が錯綜する過酷な紛争状況での最終勝者判定の場面で、
「自らの権利実現に勤勉な者」
として、保護されます。

他方で、
「おしとやかで、雅で、控えめな人間」は、
「権利の上に眠れる者」として、消滅時効の場面等で全く保護されず、その権利を奪い去られてしまいます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01693_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)4_企業組織も、企業活動を行う上では、法を犯さずにはいられない

1 人の集合体ないし組織である企業は、すべての法を完全に遵守して企業活動を展開できるか

以上みてきたとおり、
「人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられない」
ということは、歴史上証明された絶対普遍の真理だと考えられます。

この命題を前提としますと、次に、議論すべき課題が出来します。

すなわち、
「人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられない」
として、 人の集合体ないし組織である企業や法人はどうでしょうか?

「たとえ、赤字転落しても、正直に赤字決算を発表しようよ」
「どんなに切羽詰まっても、また、どんなに実質的に影響がないということ  があっても、杭打ちデータのコピペは良くないからやめておこうよ」
「会社がつぶれても、我々の生活が破壊され、家族一同路頭に迷うことになっても、守るべき法や正義はある。ここは、生活を犠牲にしても、法令に違反したことを反省して、社会や外部からいろいろ言われる前に、非を認めて、責任をとって、会社を早急につぶそうよ」
と、企業に集う人間たちが、そんなご立派なキレイ事を、意識高く話し合い、高潔に、自分の立場や生活や財産を投げ打って、家族を犠牲にしてでも、法を尊重していくのでしょうか?

ちがいますね。

まったく逆ですね。

人が群れると、
「互いに牽制しあって、モラルを高め合い、法を尊重する方向で高次な方向性を目指す」
どころか
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
という方向で、下劣な集団意識の下、理念や志や品性の微塵もない集団行動が展開していきますね。

2 「人間の本能」に相当する「企業組織の本能」とはどのようなものか

では、
「企業の目的」、
すなわち、
企業を「人間」となぞらえた場合の「本能」
に相当するものは何でしょうか?

それは、
「営利の追求」
です。

弱者救済でも、
差別なき社会の実現でも、
社会秩序の形成・発展や倫理の普及でも、
健全な道徳的価値観の確立でも、
世界平和の実現でも、
環境問題の解決でも、
人類の調和的発展でも、
持続可能な社会の創造でもありません。

そんなことは、ビタ1ミリ、会社法に書いてありませんし、株主も、徴税当局も、そんなことを根源的な目的として望んでいるわけではありません。

会社法のどの本をみても、例外なく、株式会社の目的を
「営利の追求」
としています。

企業としての
「本能」すなわち「営利の追求」と、法やモラルが衝突した場合、
人の集合体として人格をもった企業は、どのような選択を行うか。

「企業は、普通の人間と同じく、いや、普通の人間をはるかに大胆に、法やモラルを無視あるいは軽視し、本能を優先させる」、
ということもまた、歴史上証明された事実であることは、不愉快ながら、ご納得いただけると思います。

以上のとおり、 株式会社という「生き物」は「高尚な目的を持ち、卑劣な手段を忌避する、倫理観と高潔さをもった知的生命体」ではありません。
むしろ、営利追求を根源的本能として実装する株式会社は、
「低俗で卑しい目的をもち、目的のためなら手段を選ばず、あの手、この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、裏側、反則技を駆使しまくる、倫理を嘲弄し、道徳を侮蔑する、高潔さのかけらもない、唾棄すべき俗物」
ともいうべき存在なのです(これは法理上導ける話であり、現実としても、株式会社という生き物は、後記のとおり、実によく法を犯します)。

刑法における共同正犯理論において、こんな議論があります。

「一部しか実行に加担していないのに、ひとたび、『共同正犯』とされたら、なにゆえ、全部の犯罪責任を負わされるのか」
という法律上の論点があります。

この論点について、共同正犯理論は、
「犯罪を成功させる相互利用補充関係があり、法益侵害の危険性が増大するから、一部しか犯行に加担したという人間であっても、全部責任を食らわせてもいいんだ」
と正当化します。

企業組織も同様なのです。

「自分個人が、自分個人の利得のために、自分個人が全責任を負担する形で、大胆に法を冒す」
ということはおよそ困難であっても、
「自分がトクするわけではないし、企業のため、組織のためなんだ」
と自分に言い聞かせ、
「皆やっているし、皆でやるんだし、昔から続いてるやり方だし、これまで問題にしなかったし、そうやって、長年やってきたし」
という状況において、
お互いがお互いを励まし合い(?) 、
「ひょっとしたらヤバイんじゃないか」という疑念を鼓舞し合いながら振り払い(?)、
手に手を取り合って、
チームとして高い結束力(?)でがんばることによって、
「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン。さ、みんなでチャレンジだ!」
「決算チャレンジ、皆で力を合わせれば怖くない」
といった感じで、法のハードルなどかなりラクに超えられます。

こういうことから、
「人が集まる組織である企業も、存続する限り、法を犯さずにはいれない」
といえるのです。

このことは永遠不滅の絶対的真理であり、このどの企業も逃れようがない真理に基づき、今後も法令違反事例が多発するものと思われます。

3 企業も存続する限り、法を犯さずにはいられない 

要するに、
「企業不祥事は永久に不滅」
なのです。

最近、というか、ここ2,30年くらい、継続的に、途切れることなく、企業不祥事が多発しまくっています。

「これだけ企業不祥事が出たから、もう、不祥事がなくなり、法律的に一点の曇りもない、清く、正しく、美しい、すみれの華のような、清廉な産業社会が日本にやってくる!」
と思われた方も、いらっしゃるかもしれません。

ところが・・・残念でした!

おそらく、ここで話している、今、まさにこの時点においても、どこかで、
・上場企業の粉飾やチャレンジや不適切会計、
・反社会的勢力との不適切なお付き合い、
・製品の性能データの改ざん、
などなど各種法令違反や不祥事や事件、あるいはこれらの萌芽であるミスやエラーや漏れや抜けやチョンボやうっかり、粗相や心得違いやズルやインチキが、モリモリ発生しているはずです。

間違いありません。

「企業不祥事」
はとどまるところを知らず、おそらく、今年も、来年も、再来年も、企業不祥事は、順調に、活発(?)に増えまくることでしょう。

おそらく、この傾向は未来永劫続くと思います。

そうです。

そうなんです。

企業不祥事は永遠になくならないのです! 

絶対なくなりません!

弁護士は、後から、
「嘘をついた」
とか
「いい加減なことを言った」
と非難や批判をされたりすることを恐れ、滅多に、
断定したり、「絶対」という言葉を使って断言したり
いたしません。

そんな弁護士の中でも、かなり慎重で、臆病な小心者の部類に属する私ですが、これだけは、
「絶対」
と断言できます。

企業不祥事は、決して、絶対、なくなりません!

永遠になくなることはありません!

昔、球界屈指のスター長嶋茂雄さんが
「我が巨人軍は、永遠に不滅です」
という名文句を遺されました。

「企業法務の世界でそこそこ知名度はあるが、好感度がイマイチのビジネス弁護士畑中鐵丸」
としては、
「我が産業社会から、企業不祥事を根絶することは、永遠に不可能です!」
という
「迷」文句というか、「予言」というか、
「時制を未来にした確実な事実」
を、絶対的自信をもった断言として、お伝えしておきたいと思います。

「我が産業社会から、企業不祥事を根絶することは、永遠に不可能」
ということは、
簡単に立証可能な命題
です。

なんとなれば、 株式会社という「生き物」は「高尚な目的を持ち、卑劣な手段を忌避する、知的生命体」ではなく、営利追求を根源的本能として実装し、「低俗で卑しい目的をもち、目的のためなら手段を選ばず、あの手、この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、裏側、反則技を駆使しまくる、倫理を嘲弄し、道徳を侮蔑する、高潔さのかけらもない、唾棄すべき俗物」 ともいうべき存在なのですから(繰り返しになりますが、法理上導ける話であり、現実としても、実によく法を犯します)。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01692_🔰企業法務ベーシック🔰/企業法務超入門(企業法務ビギナー・ビジネスマン向けリテラシー)3_人は、生きている限り、法を犯さずにはいられない(後)

1 すべての法律が、「一義的な理論によって説明しうる絶対的・普遍的・ 科学的法則に基づくもの」といえるか?

そもそも、法律自体、理論や科学で説明できるものではなく、合理的な装いをまとった宗教に近い、単なる価値の体系であり、わかりやすく、身も蓋もない極論でいってしまえば、偏見の集積であり、特定のイデオロギーに過ぎません。

現代社会では、
「金利を付して金銭を貸す行為」
は法律上まったく問題ない正当な取引活動ですが、他方で、人身売買や奴隷労働の強制は完全な違法行為です。

数百年ほど前、ヨーロッパでは、
「金利をつけて金銭を貸す行為」
は完全明白かつ重大な違法行為である反面、人身売買や奴隷制度は全く問題のない適法行為とされていました。

また、今では、お酒は誰でも楽しめる嗜好品として手軽に入手し毎日呑んでも文句は言われませんが、かつてのアメリカでは、酒は違法薬物並に扱われた時代がありました。

現在、オランダでは、マリファナ(大麻の葉や花を乾燥させた物)やハシシ(大麻樹脂)などの大麻加工品の個人使用は罰せられません。

以上のとおり、
「人間は、生きている限り、本能と自由意志がある限り、ルールやモラルによって本能を抑えこむ、ということはおよそ不可能」
であり、かつ、
「そもそも、ルールやモラルの全てを把握しているわけではないし、知らないところでこれに抵触することなど普通に起こり得る」
ということがいえるのだと思います。

「そもそも、ルールの全てを把握しているわけではないし、ルール自体が常識の欠如した方が制定に関与しており、中身も常識や倫理とは無縁のもので、常識にしたがって常識的な行動をしたら、知らないところでこれに抵触することなど普通にあり得る」
ということは、もはや明らかでしょう。

2 普通の人間が普通に生活していても、一日に2,3の法律違反をしてしまう

実際、普通の人が普通に生きていれば、1日2つ3つの法律を犯します。

いえ、人を殺すとか、モノを盗むとかというレベルではなく、信号無視や駐車違反やスピード違反や駆け込み乗車といったライトなものを考えれば、実感いただけるはずです。

かつての大阪の御堂筋の駐車状況や、深夜の第二東名高速の車の飛ばしっぷりをみれば、
「実際、普通の人が普通に生きていれば、1日2つ3つの法律を犯します」
という話は実感をもって理解いただけるはずです。

ですので、除夜の鐘の数は108つでは足りず、1年365日で1日平均3前後の法令違反の通常人の平均値を考えれば、1000回くらい鐘をついてもいいくらいです。

こういう言い方をしますと、
「だったら、警察や検察や裁判所や刑務所がパンクするはずだ。そんなことにならないのは、法を犯す数がもっと少ないからだ」
という青臭い反論が返ってきそうです。

いえいえ。

法を犯したから、罪を犯したから、といって、必ず捕まって起訴され有罪となり刑務所に放り込まれるわけではありません。

3 すべての犯罪行為が罪に問われるとは限らない

例えば、日本では、年間15万件ほどの民事裁判(地裁第一審)が発生します。

そのうち、証人尋問までもつれ込むのが3割とみても約5万件が、ガチに争われる事件と推定されます。

原告か被告かどっちかウソをついていなければ裁判にならないはずですから、推定で年間約5万件前後の偽証行為が発生しているものと思われます(もっと多いかもしれません)。

ところで偽証罪の起訴件数については、古いデータですが、1995年から2014年までの10年間に偽証罪により起訴された件数は、たったの59件です。

年間数万件単位で発生する偽証行為に対して、起訴されるのが年間平均約6件と冗談のような数になっています。

これは、
「裁判ではウソが付き放題」
「裁判で偽証しないヤツがバカ」
ということを国家が暗に認めているようなものです(私は、臆病な小心者のせいか、ウソをついたり、そそのかしたりする度胸はなく、ウソをついたり、つかせたりすることはありません。なお、ウソをつかなくても、裁判に勝てる方法がちゃんと確立されていますので、仕事はそれなりにうまく行っています) 。

その他、駐車違反やスピード違反など、
「法を犯してもお咎めなし」
なんて事例は、世の中腐るほどあります。

いずれにせよ、
「だったら、警察や検察や裁判所や刑務所がパンクするはずだ。そんなことにならないのは、法を犯す数がもっと少ないからだ」
というのは明らかな誤りであり、起訴や立件はおろか、認知すらされない法令違反は、暗数ベースでの把握すら困難なほど、超絶的な数、日々発生しています。

このように考えると、つくづく、
「人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられない」
ということは、歴史上も、経験上の蓋然性からも、容易に証明できる真実である、といえると思います。

4 「絶対、法を犯さない」という例外的な属性の方々

もちろん、例外はあります。

私の知る限り、
「生きていても、絶対、法を犯さない」
という人間は、この世に2種類しか存在しません。

すなわち、
「絶対、法を犯さない」
というタイプの方々が2種類ほどいらっしゃるのです。

いえ、カトリックの神父さんとか真言宗のお坊さんとかではありません。

カトリックの神父さんの児童の性的虐待や、お寺や神社の不祥事等をみれば、むしろ、
「どんなに立派(そう)な人間でも決して欲には勝てない」
というシンプルながら、パワフルな事実を再確認することができます。

「絶対、法を犯さない」
という最初のタイプの方々は、懲役刑を食らって刑務所に収監された受刑者の皆さんです。

受刑者の皆様は、別に、法令遵守意識が高いとか、精神が高邁・高潔というわけではありません(おそらく)。

普通の人と同じく、いや、普通の人以上に、欲に素直で、ルールやモラルに無頓着で、さらに言うと、大胆に法を犯したか、はっきりとした痕跡を残したか、あるいはその双方をやらかし、普通の人より大きなしくじりを犯した方々です。

ですが、受刑者の方々は、どんなに法を犯したくても犯すことは不可能です。

それは、内面の高貴さとか法令遵守意識の高さによるものではなく、24時間監視されて、自由が奪われ、社会との接点がないからです。

懲役刑というペナルティの本質は、
「普通の人なら、普通に生きて、普通に1日2つや3つの法を犯しつつ、娑婆で気ままに生きられる」
という自由があるが、懲役刑を食らうと、
「普通の人のように、気軽に、自由に、カジュアルに法を犯そうとしても、24時間監視され、社会との接点がなく、自由が奪われた状態で、気ままに法を犯せない」
という窮屈な生活を強いられる。

しかも、
「普通の人と同じく、いや、普通の人以上に、欲に素直で、ルールやモラルに無頓着」
というリベラルでファンキーな方に、普通の人より窮屈な生活を強いる、という苦痛を味わわせる。

ここに、懲役刑のペナルティとしての厳しさがあるのです。

「絶対、法を犯さない」
という属性をもつ方々がもう1タイプあります。

それは、皇族の方々です。

無論、皇族の方々は、性欲を制御できない神父さんや、カネが大好き過ぎておカネにまつわる事件を起こすような特定の宗派のお坊さんの方々と違い、気品と、気高さと、生まれ持った高貴さがおわしますから、ということもあるでしょう(多分)。

それ以上に、日本の皇族の方々は、24時間監視されて、自由が奪われ、社会との接点がありません。

偶然にも、刑務所の受刑者のライフスタイルと同じになっています。

だから、環境面、処遇面の制約から、罪を犯そうとしても、あるいは犯したくても、犯しようがない、ということもあり、(もちろん内面の気高さも大きなファクターもありますが)
「絶対、法を犯さない」
という特異な人生を送っておられるのです。

欧米の皇族には、監視もなく、自由を謳歌でき、社会との接点が多いせいか、
「普通の人と同じく、いや、普通の人以上に、欲に素直で、ルールやモラルに無頓着」
といったタイプの方もいらっしゃり、結構問題を起こしていらっしゃいます。

「象徴天皇制」、
言い換えれば
「天皇終身アイドル制」
という、大きな大きなお役目を負わされた挙げ句、刑務所の受刑者同様、24時間監視されて、自由が奪われ、社会との接点もなく、我々一般ピーポーのように気軽に罪も犯せない、なんとも窮屈な生活を強いられている日本の皇族の方々は、本当においたわしい限りですが、とはいえ、不満1つおっしゃらず、しっかりとお役目を果たされていることについては、頭が下がります。

これらの方々が、
「生きていても、絶対、法を犯さない」
のは、
「法を完璧に把握し、すべての法を尊重し、常にかつ完全に、高貴で品位を保ちエレガントな振る舞いをされているから」
というよりも、
「社会と隔絶された環境に置かれ、24時間監視体制下にあるから、たとえ法を犯したくても物理的に犯しようがないから」
というのが大きな理由です。

市井の我々は、現行犯として逮捕されたり、顕著な痕跡をおおっぴらに残すような真似をしない限り、1日2つや3つの法を犯しながら、自由に、気ままに生活ができます。

深夜の高速道路の自動車のスピード状況や、かつての大阪市内の路駐の状況をみれば、
「ごく普通の市民であっても、生きている限り、1日に2つ3つ法を犯しながら、生活している」
という事実はご理解いただけると思います。

前述のとおり、除夜の鐘が108とかいい108、煩悩は108程度ですが、普通に生活していたら、法令違反は1年間で軽く1,000を超えます。

我々は、そのくらい、日々法を犯しながら、平気な顔で生きているのです。

ところが、
・「法を無視ないし軽視するような性格・気質」を生まれ持っている、
あるいは
・「欲得やスリルや刺激を抑えきれず、法を犯すのが大好きな特異な精神傾向」
を有しているような特定属性の方々が、
「法を犯したくても、決して法を犯せない」
という状況に追い込まれる。

懲役刑というペナルティの本質的な意味は、どこかに閉じ込めておくことではなく、
「法を無視ないし軽視するような性格・気質」を生まれ持っている、
あるいは
「欲得やスリルや刺激を抑えきれず、法を犯すのが大好きな特異な精神傾向」を有しているような特定属性の方々が、
「法を犯したくても、決して法を犯せない」
という状況に追い込むことを以て懲らしめとする、という点にこそあるのではないか、と考えられます。

5 ライトな法令違反を犯しつつも普通に生活が送れるのは、プライバシー権のおかげ

前述のとおり、囚人でも皇族でもない市井の我々は、衆人環視の状況で現行犯を犯すような明白で愚かなことをせず、あるいは、犯人性や行為を示す顕著な痕跡を残さない限り、何時でも、気軽に、自由に、イージーに、法を犯せます。

そして、そのような環境を享受することが、人権として保障されています。

これが、プライバシーという権利の根源的本質です。

憲法というのは、
「すべての人間が、何時(いつ)何時でも、どのような状況にあっても、すべての法を守って、誰に対しても説明つく行動をして生きるべき」
という非現実的なまでに堅苦しい教条主義的前提に立たず、
「人間が生きている限り、法を犯さずにいられないが、囚人でもない限り、それを逐一目くじら立てて、すべてを監視下において、窮屈で息がつまるような生活を強制せず、自由気ままに、ときに、ちょっとした悪事や非行や法令違反を含め、やましいことや、後ろ暗いことや、説明できないことや、表沙汰にしてほしくないようなこともやらかしながら、生きていける環境こそが、人間らしく生きることであり、これを基本的人権として保障するべき」
という、
「実に、成熟した考えに基づく、粋で鯔背で世情に通じ、俗気にあふれる法理」
を内包しているのです。

いずれにせよ、刑務所の受刑者や皇族の方々(何かたまたま並んでしまってしまいましたが、他意は一切ありません)といった特殊な環境にある特殊な属性をもつような例外的な人々を別として、我々、一般ピーポは、生きている限り法を犯さずにはいられず、1日2つや3つ、人によっては4つや5つ、大晦日に鳴らす除夜の鐘は到底108で足りないような、そんな自由で気ままな生活を送って、(バレたり、痕跡を残したりといったヘマをしない限りにおいて、)楽しい人生を送っているのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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