01664_企業法務スタンダード/企業法務担当者(社内弁護士)として実装すべき心構え・知見・スキル・仕事術、所管すべき固有の業務領域(7)_批判的思考・分析的考察と選択肢抽出とジャッジ

「法務担当者に期待される、他の社内関係者と決定的に違う、発想や思考手順」
ともいうべきものが存在します。

これは、批判的思考や保守的想定といわれるものです。

人間には、生来的に、思考の偏向的習性として、楽観バイアスや正常性バイアスといわれるものが備わっています。

特に、社長以下経営陣(企業の首脳陣)は、リスクをとって収益を上げて(前向きに積極的にイケイケドンドン金儲けをして)企業のゴーイングコンサーンを実現するという役割と責任を担っていますので、他の一般社員より、はるかに、大胆で、楽観的で、冒険的である傾向や習性が強いことが一般です。

このような意思決定に対して、安全保障面からの支援をする法務担当者としては、批判的思考や保守的想定の下、法的ストレステストを行い、より、事業実現を安全かつ完全にするようなチューンナップをすることを求められます。

勘違いすべきでないのは、単なる評論家であってはならず、批判に終始せず、必ず、対案や代替案や予備案(Bプラン、プランB)も含めた建設的な提案をすることが求められます。

リスクがあるから、顧問弁護士を味方に批判を展開するだけでプロジェクトを潰す、という受動的な役割に終始するようでは、何のための法務部か、と叱責されます。

また、顧問弁護士等の社外の専門家は、ビジネスの専門家でも、あるいは金儲けをしたことのないビジネスのアマチュアですし、加えて、信用維持と保身を考えて思考習性と行動偏向として予防線を貼ることが多いので、顧問弁護士に安易に意見採取をしても、
「社内の法務部として求められている、果たすべき役割」
を全うすることはできません。

また、法務担当者は、単に、不安や警戒を述べるだけでは、役割を果たせません。

よく、法務の対応や勧告として、
「コンプライアンス的にNGです」
「法務としてはリスクがある、といわざるを得ません」
という抽象的でわかったようなわからないような助言が見受けられますが、これは、
「よくわからないからやめといたら」
「ダメ、ダメ。これ、女の勘」
「方角が悪いからやめといたほうがいい」
「風水的によくないんじゃない」
という
戯言と同様、まったく中身がなく、社内サービス部門たる法務としての価値ある責任ある活動とはいえません。

・具体的に何法の何条に該当し、
・過去にどういうリスクが具体的に実例としてあり、
・どのようや危険あるいはリスクがどのくらいの可能性と現実性で想定されるのか、
・当該リスクは壊滅的なものか対処可能・制御可能なものか、
・リスクの転嫁方法・回避方法・回避方法としてどのようなものが考えられそれぞれどのようなプロコン(長短所)があるのか、
・ビジネスモデルをマイナーチェンジして規制適用を回避する方法はあるか、
・単なる法令解釈の問題で未だ適用例がないならノーアクションレター等を検討できるか、

等々、批判して安易な中止勧告をするのではなく、徹底した分析思考をもって、ビジネス実現のための知恵を絞るのが、顧問弁護士等社外弁護士ではない、社内の法務担当者こそが期待されている役割と責任です。

また、事件処理や事故対応や有事(存立危機事態)対処といった、
「正解なき予定調和なきプロジェクト」
については、もちろん正解がないことは仕方ないとしても、最善解や現実解は想定されるはずです。

そして、最善解や現実解(ゴール)を設定した後は、
「現時点(スタート)」

「ゴール」
の間に存在するありとあらゆる課題やリスクをすべて批判的思考で抽出します。

次に、このすべての課題やリスクこれを乗り越えるための選択肢を、これもイマジネーションの及ぶ限り、極論や非常識なものも含めて、あらゆるものを一切合切抽出することが求められます。

そして、各選択肢について、偏見を加えず、時間・コスト・労力・確度・精度・可変性や冗長性といった各点からの長短所の評価(プロコン評価)を加えていきます。

しかし、法務担当者の仕事と責任はここまで、です。

最後のジャッジは、他ならぬトップの役割と責任において行なわれるものです。

法務は、トップが豊富な選択肢からより自由に選択できるようにするためのお膳立てを行うことがその所掌範囲です。

現アメリカ大統領のトランプ氏は、外交課題や安全保障課題等、難しい課題、すなわち、正解がない課題の対処に際して、よくこういう言い方をします。

「すべての選択肢はテーブルの上にある」
と。

これこそが、安全保障という点でも超一流国家アメリカで行なわれている、
「世界でもっとも洗練された、トップとこれを支える安全保障専門スタッフの役割分担のあるべき姿」
を端的に言い表しています。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01663_企業法務スタンダード/企業法務担当者(社内弁護士)として実装すべき心構え・知見・スキル・仕事術、所管すべき固有の業務領域(6)_対外的なコミュニケーション(言語・文書)と内部のコミュニケーション(言語・文書)

現代の紛争や闘争は、すべて文書と書面の証拠によって展開される
「筆談戦」
「文書作成競争」
という様相を呈しています。

この点で、法務担当者が担うべき対処課題、すなわち、法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処等は、すべて、文書と証拠によって展開されることになります。

企業の法務安全保障等において関連するコミュニケーションの区別は様々ありますが、1つの区分として、
「社内で完結する内部のコミュニケーション(言語・文書)」
と、
「社外の関係者とやりとりされる対外的コミュニケーション(言語・文書)」
とに分けられます。

前者を顧問弁護士等社外の法律専門家がタッチすることはほとんどなく、法務担当者の権限と責任で処理すべきものです。

しかし、取締役会議事録や、その他社内の意思決定や情報共有のメールや文書等
「社内で完結する内部のコミュニケーション(言語・文書)」
が事件等で極めて重要な証拠となることもあります。

その意味では、
「社内で完結する内部のコミュニケーション(言語・文書)」
を専権として担う法務担当者も、法的なストレステストや、悪意を以た観察者が検証しても企業を窮地に陥れることのないような不用意な表現の排除や適切な状況叙述等、法的な観点でのセンスと配慮が求められます。

社外の関係者とやりとりされる対外的コミュニケーション(言語・文書)についても、もちろん、平時においては、法務担当者、さらには、法務担当者以外の社内担当者(広報担当者やIR担当者等)が担うこともあるかと思います。

しかしながら、事件や事故、さらには有事(存立危機事態)の場合や、これに至る可能性のあるプロジェクトや、規模や新規性から考えて一定の重要性あるプロジェクトについては、すべて法務担当者が、保守的な観点からの法的ストレステストやバイアスチェック(悪意を以た観察者が検証しても企業を窮地に陥れることのないような不用意な表現の排除や適切な状況叙述等、法的な観点でのセンスと配慮に基づくレビューとリバイズ)を行ったり、さらには、必要に応じて、顧問弁護士等外部の専門家を動員すべき場合も出てきます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01662_企業法務スタンダード/企業法務担当者(社内弁護士)として実装すべき心構え・知見・スキル・仕事術、所管すべき固有の業務領域(5)_リスクの発見と特定と管理・制御・(有事)対処マネジメントと外部専門家の支援

法務担当者が担うべき対処課題、すなわち、法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処は、いずれも広い意味でのリスク管理(リスクマネジメント)と呼ばれる活動領域のものです。

リスク管理については、とにかく、何か動いたり、対応したりすることを考えがちですが、
「見えない敵は討てない」
という格言どおり、闇雲に走ったり動いたりしても無駄かつ無意味かつ無益であり、どんなリスクであれ、リスク管理の基本かつ重要な挙動は、リスクの発見と特定です。

例えば、
「病気の治療」
というプロジェクトを考えてみましょう。

病気に関わる多くの医者(外科医を除く)がやっているのは、病気を治すことではありません。

病気を治すのは、薬であり、薬剤師です。

医者がやっているのは、病気を発見し、特定する作業です。

患者が高熱を発している。

これに対して医者がまずやるべきは、効きそうな薬を適当に、手当り次第に投薬することではありません。

当該高熱が、
・風邪によるものなのか、
・エボラ出血熱か、
・インフルエンザか、
・新型コロナウィルスによるものか
・仮に、インフルエンザとして、何型か、
といったことを、課題として具体的に発見・抽出・特定することが何よりの先決課題です。

そして、
「病気を治すわけでもなく、病気を発見特定する程度のことしかできない医者」風情

「実際病気を治す薬剤師」
より大きな顔をしていることからも理解できますが、課題を発見・抽出・特定するのは、課題を処理するよりも、実は、非常に重要で高度な知的でリスペクトされるべき業務なのです。

企業内に常時在籍する法務担当者が、顧問弁護士等社外の法律専門家と決定に違うのは、この
「リスクの発見と特定」
においてもっとも近接する環境を保持している、ということです。

そして、
「法務リスクの発見と特定」
がリスク管理上重要であることは前述のとおりです。

法務担当者に期待されているのは、法務安全保障の責任者として、社内における法務リスクの迅速な発見と特定です。

そして、発見され、特定されたリスクについて、顧問弁護士等の社外資源を、効率的かつ迅速に調達動員して、適切な外注管理という
「法務活動」
を展開して、コスト・品質・納期・使い勝手の面で、最適なリスク処理を実現し、あるいは、社内の担当者として、この外注作業が効率化するように支援することです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01661_企業法務スタンダード/企業法務担当者(社内弁護士)として実装すべき心構え・知見・スキル・仕事術、所管すべき固有の業務領域(4)_ルーティン(正解や予定調和を観念できる業務)と非ルーティン(非定型業務・正解がない、正解が複数ある、正解があるかないかすらわからない事件や事案)

ビジネス課題、すなわち、金儲けという活動に関連する課題対処についても、 ルーティン(正解や予定調和を観念できる事案)と非ルーティン(正解がない、正解が複数ある、正解があるかないかすらわからない事件や事案)があり、仮に非ルーティンのプロジェクトに失敗したとしても、それで企業が危機に陥ることは稀です。

しかしながら、法務課題、すなわち法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処については、 非ルーティンをルーティンと誤解して対処に失敗したり、非ルーティンについて制御不能に陥って、ダメージ・コントロール(損害軽減措置)にも失敗した場合、企業が存立し得ない危機に陥る場合があります。

当然ながら、法務の非ルーティンについては、プロジェクト設計や資源動員の方法や、外部資源調達・運用など、ビジネス課題対処とまったく異なりますし、しかも、トップ以下経営陣も、ビジネス課題対処については専門家であっても、法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処はド素人です。

・今、自分の対処している法務課題に正解や予定調和が想定できるルーティンなのか非ルーティンなのか、
・非ルーティンと思い込んでいるがそれは自分が無知・未熟・未経験・無能故であって実は正解があるのではないか、
・ルーティンと楽観的に考えているが実は大きな間違いで想定していない未経験のリスクや障害が見えていないだけでこの先大変なことなのではないか、
・非ルーティンで自分もトップ以下経営陣も無知・未熟・未経験・無能なため外部の専門家を招聘し対処を委ねているがこの「正解や予定調和を知っている」という顔をしている専門家は本当に正解や正解に至る方法論を知っていて任せていて大丈夫なのだろうか、
・自分たちが直面している事態は今任せている専門家を含めてこの世の誰も正解を知り得ない事態であって本当はもっと別の対処方法を構築したり、既に対処不能・制御不能に陥っていて、ダメージ・コントロール(損害軽減措置)等別のフェーズのアクション想定をすべきではないのか、

といったことを考えるべきことも必要です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01660_企業法務スタンダード/企業法務担当者(社内弁護士)として実装すべき心構え・知見・スキル・仕事術、所管すべき固有の業務領域(3)_内製化すべき固有スキルとアウトソースすべきスキル

法務担当者として、
「内製化すべき固有スキル」

「アウトソースすべきスキル」
とを区別しながら、スキルデザインをする上では、

・何を内製化するべきで何を外注化するべきか、
・内製化するべきスキルで何を適切に処理できていて何が不足しているか、
・内製化するべきスキルはすべて適切に処理出来ているか否か・不足しているか否かをどうやって測定・判別するのか、
・内製化するべきスキルについて、そもそもベンチマーク(達成基準)が観念できるのか、
・内製化するべきスキルとされているスキル分野のタスクを自分なりに一応やっているが、そもそも「自分できちんとやっているつもり」というのも単なる思い込みであって実際は全く我流でデタラメでできていないもので、本当のゴールや正しいやり方を知らずにやっているのではないか、
・外注すべきスキルについては「弁護士」という資格者に丸投げさえしておけば安心していいのか、
・外注するに際しても何か課題や問題があるのではないか、外注先は「弁護士」という資格さえあれば問題ないのか、その他外注選定に際して付加基準等を設けるべきではないのか、
・現在の外注先は適切なのか、
・外注先のコストや品質や納期や使い勝手は問題ないのか、

等といった諸点を検討する必要があります。

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01659_企業法務スタンダード/企業法務担当者(社内弁護士)として実装すべき心構え・知見・スキル・仕事術、所管すべき固有の業務領域(2)_不安感情を正しくもち、リスクの単著となる異常を検知し、嫌われ者になっても、リスクが些細なミスやエラーの段階で騒いで、大事(おおごと)化する

企業法務担当者としての役割は
「法的リスク」
の認知・発見・対処です。

ここで、企業法務担当者としてのスキルのもっとも起点となる重要なものは、
「法的リスク」
の認知・発見です。

認知・発見できれば、管理・制御・(有事)対処はたいしたことありません。

もちろん、自分でリスクを管理・制御・(有事)対処するのは難しいかもしれませんが、認知・発見さえできて、課題として認識すれば、最悪、顧問弁護士という外部資源に管理・制御・(有事)対処をすればいいだけですから(予算の取得と外注手配〔競争調達を含む〕と外注管理は法務固有の業務として自分でやる必要が出てきますが)。

管理・制御・(有事)対処できないのは、正しく知ることができないからです。

正しく知ることができないから管理ができない。

管理できないリスクは必ず発生し、巨大化します。

企業不祥事の多くは、
「法的リスクを、内容やその重大さや発生の蓋然性を、完全かつ正確に認識しながら、そのリスク管理に失敗して、大きなトラブルに発展した」
という経過を辿るわけではありません。

企業不祥事の大半は、

「法令やリスクの存在をそもそも知らなかったり、あるいは知ったかぶりや楽観バイアスが働いて正しく知ることができなかったり、知っていてもその重大性や発生蓋然性を正しく評価できない」

「そして、それゆえに、管理という意識すら働かず、リスク管理不在のまま、慌てふためいて、手を拱いて呆然としている間に、あれよあれよという間に、リスクが露見し、成長し、一気に巨大化する」

という形で発生し巨大化するのが典型的なパターンといえます。

法的リスクがひとたび現実化した場合、もちろん、そのすべてが企業崩壊に結びつくとまでは言いません。

しかし、
「大事を小事に、小事を無事に」
といった形で損害を抑止ないし軽減し、さらには、再発防止の仕組みを構築・運営し、原状に復するところまで改善するには、多大な時間とコストとエネルギーが必要となり、企業活動に対して極めて大きな悪影響をもたらします。

他方で、
「予防は治療に勝る」
という医療の格言は、法的リスク管理にもそのまま当てはまります。

すなわち
「法的リスク」
については、リスクの存在や内容や軽微の程度を正確に認識し、発生の蓋然性を計測・評価し、リスクを転嫁する、回避する、小さくする、事業の形を変えることによってリスクそのものの前提を消失させる、といった正しい管理を行えば、十分制御は可能なのです。

ヒトは必ずミスを犯しますし、日々企業の中には、エラーが発生します。

1つひとつのミスやエラーは大したものではありません。

しかし、同じミスあるいは似たようなエラーが発生し、それが是正されず、恒常的なものとなり、構造的なものとなります。

構造的なミスは、必ず、現実化し、巨大化します。

構造的なものから発生したミスはちょっとやそっとでは断ち切ることはできません。

それは、降りのエスカレーターを登るようなものです。

ミスやエラーは、やがて、リスクになり、事件になり、存立危機の事態に発展していきます。

このリスクの発生・現実化から巨大化する負の連鎖を断ち切るため、
起点・契機の段階でいかに早期に発見・認知するか、
が、法務担当者に求められるスキルです。

ところで、企業活動のプロセスで、些細なミスやエラーを発生したとき、一般の企業の役職員はこれをどう捉え、どう行動するか?

おそらく、普通の企業の役職員で、些細なミスやエラー程度で、ギャーギャー騒ぎ立てる人は稀です。

見て見ぬふり、
惻隠の情、
事を荒立てない、
武士の情け、
無関心の礼儀、
といった美しい言葉があるとおり、そっとしておくのが常でしょう。

特に、利己的な動機による不正であれば格別、会社の利益や、部署のノルマ向上改善につながるルールの無視ないし軽視は、賞賛されるかもしれません。

また、人には、
「正常性バイアス」

「楽観バイアス」
といった、認知の歪みが備わっており(常識的な生活を送っている社会人は、ある種、生来的な認知症に罹患している軽度の病人ともいえます)、
「エラーやミスをみても、認知すらしない」
ということもあります。

そんなこともあり、ミスやエラーが発生しても、誰も気づかないし、気づいても指摘しないし、そうやって、どんどん企業内に、恒常的に構造的にミスやエラーやそれが生じる土壌が形成されていきます。

知らないもの、気づかないもの、気づくべきであっても異常を異常と検知できなければ、直しようがありません。

もちろん、営業担当者や企画担当者であれば仕方ありません。

しかし、法的なリスク管理や企業の法務安全保障を担う法務担当者としては、気づくべき異常は異常として検知しなければ任務を懈怠したことになります。

ですので、法務担当者としては、不安に感じてください。

危険を感じてください。

ヤバイ、と思ってください。

そのような不安感受性をスキルとして実装してください。

また、不安ないし危険を感じたら、たとえ嫌われ者になっても、大声で騒ぎ立て、大事(おおごと)化してください。

それが、危機管理としてのコンプライアンスの第一歩です。

そして、その根源的前提認識として、
「人は、生きている限り、法を守れない」
「人の集合体である企業もまた、存続する限り、法を守れない」
という現実的な認識に立って、すべてのシステムを構築してください。

日々、止むこともなく発生する、ミスやエラーやリスクの存在に気づき、不安に感じ、危険に感じ、正しく評価すること。

そして、嫌われても、煙たがられても、大事にして、経営責任を負担する経営陣に伝達すること。

簡単に聞こえますが、人が深層部分で有している楽観バイアスや正常性バイアスとの戦いをしてはじめて獲得できる、スキルです。

リスクを正しく認識し、正しく怯え、正しく課題として捉え、さらに、これを組織の責任者と適切に共有することこそが、リスク管理のアルファでありオメガである、といえるのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01658_企業法務スタンダード/企業法務担当者(社内弁護士)として実装すべき心構え・知見・スキル・仕事術、所管すべき固有の業務領域(1)_普通に社会人としての仕事をこなせるようになる

企業法務担当者は、法務担当者の前に、企業に務める社会人です。

法律やリスクやコンプライアンスの前に、まず、社会人としての仕事の基本が実装できていないと企業法務担当者の前に、社会人として失格であり、企業にとって不要・有害な存在になります。

弁護士資格をもって社内弁護士として企業法務担当者になる方や、
法科大学院卒業資格を前提に企業法務担当者になる方などは、
確かに、法律知識が他の役職員の方々よりちょっとだけ勝っているかもしれません(法律事務所で働き、日々実務を行うプロの弁護士よりも劣っているかもしれません〔法律事務所に所属して弁護士として実務をこなせるスキルや知見があるなら、わざわざ法務担当者にならないでしょう〕でしょうが、平均的サラリーマンより法律知識はあるはずです)。

しかし、法科大学院でも司法研修所でも、もちろん大学法学部でも、社会人としての仕事の仕方の基本は教えてくれません。

別に、司法試験科目に社会人の仕事のスキルは出てきませんし、そんなものなくても、司法試験くらい合格しますし、司法研修所も卒業できます。

したがって、企業法務担当者の中には、法律知識は非常に豊富だが、一般の企業人としての仕事の仕方はまったくの空白、という方もいらっしゃるものと推定されます。

ですが、企業法務担当者は、法律専門家・法律専門職の前に、企業人・社会人ですので、まず、このあたりの企業組織人としての仕事の基本をきっちり抑え、知見とスキルを実装しておくべきです。

この点、私なりに企業人・社会人としての仕事の基本をまとめましたので、まず、以下をご参照いただき、不足している知見やスキルがあれば、まず、土台固めをしっかりとしておくべきことをおすすめします。

ビジネス・プロフェッショナルの仕事術(1)~報告する~
ビジネス・プロフェッショナルの仕事術(2)~連絡する~
ビジネス・プロフェッショナルの仕事術(3)~相談する~
ビジネス・プロフェッショナルの仕事術(4)~企画する、考える~
ビジネス・プロフェッショナルの仕事術(5)~段取りを組む、実施する~
ビジネス・プロフェッショナルの仕事術(6)~整理する、評価する~
ビジネス・プロフェッショナルの仕事術(7)~改善する、改革する~
ビジネス・プロフェッショナルの仕事術(8)~関係構築をする、交渉する~

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01657_想定どおりの結果が期待できる事件(勝訴見込事件 )であれば気を抜いてもいいか?敗訴見込事件であれば、訴訟を提起しても無意味か?

1 「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」の種別

「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」
の種別としては、大まかに分類して、
1)想定どおりの結果が期待できる事件(勝訴見込事件 )
2)想定どおりの結果が期待できるかどうか不明の事件(中立事件)
3)想定どおりの結果が期待できない事件(敗訴見込事件)
の3種があります 。

2 「1)想定どおりの結果が期待できる事件(勝訴見込事件 ) 」であれば気を抜いてもいいか?

「 1)想定どおりの結果が期待できる事件(勝訴見込事件 ) 」
とは、
(1)スジ・ロゴス(論理)面:主張内容が法律的に筋が通っており(法的論理性、スジ)、
(2)スワリ・パトス(具体的妥当性)面:事件構図として主張内容の社会的・経済的妥当性があり(結論の妥当性、スワリ)、
(3)ブツ・エトス(信頼性・確実性)面:主張についても背景事情についてもそれぞれ明確な痕跡・記録(証拠)が手元にあり、相手の主張内容を尽き崩せる材料が手元にある
ような事件です。

素人の皆さんからすると、
「そこまで揃っているなら、絶対勝てるんじゃないか?」
「そんだけ揃っていて、なぜ、『勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存する』などという予防線を張る必要があるのか?」
という疑問を呈されるかもしれません。

しかし、勝訴見込があるからといって、必ず勝訴するとは限らない。

そこが、裁判の怖いところです。

裁判の勝敗を決定するのは、国家三権の内の司法権という権力を振り回す、裁判所という国家機関です。そして、この国家機関の特異性は際立っています。

まず、この国家機関は、民主主義体制下にあって、民主的基盤がまったくありません。

「皆の人気者だから」
という理由では、司法権を扱わせてもらえません。

司法権を振りかざせる裁判官は、
「皆から投票を得た」
「皆から愛されている」
という理由により就任できるのではなく、
「受験偏差値が高く、難関試験に合格したから」
という理由によって就任できるものです。

逆の言い方をすれば、どんなに皆に人気のない、不愉快な嫌われ者であっても、試験に合格しさえすれば、裁判官になって、司法権を振りかざせるのです。

もちろん、最高裁判事に限っては、
「国民審査」
という形で、申し訳程度に、間接的・補助的・儀礼的に民主的制御が働く程度で、お茶を濁していますが、この制度が、茶番であることは公然の事実です。

加えて、裁判官には、司法権を振りかざすに際して、指揮されたり、命令されたり、忖度しなければならない、上司や上長や上級機関といったものが一切存在せず、天下御免のやりたい放題のスーパーフリーで司法権を振りかざせます。

このことは、憲法76条3項に、職権行使独立の原則が謳われているほか、憲法上、手厚く独立性を身分保障をされていることからも明らかです。

総括すると、裁判所という、法律上の争訟を排他的に取扱かい、当該争訟において国家意思を表明する国家機関は、さしづめ、
「専制君主国家の独裁君主」
といった趣の立場や権力や裁量が与えられており、民主主義体制下にあって、異彩を放っています。

司法試験を合格したエリート裁判官(簡裁判事を除く)は、2018年時点で2782名おりますが、極端な言い方をすれば、司法権が行使される局面においては、民主主義国家である日本には、2800名弱の
「専制君主国家の独裁君主」
がふんぞり返っている、という見方も可能です。

当然ながら、2800名もいる
「専制君主国家の独裁君主」
の中には、常識や良識が共有出来る穏当な方もいらっしゃるかもしれませんが、言葉が通じない、話が通じない、情緒が通じない、ただ、不気味に強大な権力をもっている、という方も少なからずいらっしゃいます。

そういう方が、特異な観察と特異な解釈と特異な評価を以て事件を観察した結果、こちらサイドとして
「主張内容が法律的に筋が通っており(法的論理性、スジ)、事件構図として主張内容の社会的・経済的妥当性があり(結論の妥当性、スワリ)、主張についても背景事情についてもそれぞれ明確な痕跡・記録(証拠)が手元にあり、相手の主張内容を尽き崩せる材料が手元にある」
と考えていても、突然、真逆の心証を抱き、何を説明しても一切耳を傾けず、そのまま権力を振り回して、突き進む可能性は、あり得ます。

かつて、法曹界において著名な、
「東京地裁の藤山コート(法廷)」
というものがありました。

1999年ころに、 東京地方裁判所の行政専門部の1つである地裁民事3部に、藤山雅行という裁判官が部総括として就任しました。

ところが、この藤山裁判官、 国やエスタブリッシュメントの法解釈運用とはまったく別の法解釈運用を採用することが多く、アフガニスタン難民訴訟、韓国人不法滞在者強制退去処分取消し訴訟、圏央道土地収用訴訟、小田急高架化訴訟、国保軽井沢病院医療事故訴訟、ひき逃げブラジル人強制退去処分取消し訴訟でいずれも国側敗訴の判決を下しました。

行政側に対するあまりに過酷な態度で臨み、国側敗訴判決を連発したことから、中国の歴史上有名な詩人杜甫が詠んだ
「国破れて山河在り」
になぞらえ、所属する東京地裁民事3部の名称をもじって
「国破れて3部あり」
などと言われていました。

なお、
「(当時、)東京地裁の行政専門部は、3部(民事第2部・民事第3部・民事第38部)存在したが、係属指定できず、ランダムに係属が決定するため、 この(原告有利、国側不利のバイアスが期待できる)藤山コートでの訴訟係属を試みようと、国を訴える原告サイドとしては、藤山コート(3部)に係属決定するまで、何度も訴え提起と取り下げを繰り返した」
というまことしやかな噂も法曹界では存在しました。

このような噂話が流布するくらい、
「国を破れさせる」
藤山コートの原告サイド(国を訴える側)の人気は超絶に高かったといえます。

このことを逆の面から観察しますと、行政訴訟や国賠訴訟において、国側(行政側)は、訴訟のはるか以前から、争訟や紛議を予知し、莫大な資源動員を行い、自分たちの活動や行為の正当性を確実にするべく、予防法務や記録整備に勤しみ(そのために、法律やリスク管理に詳しい東大卒・京大卒の優秀なエリートを大量に雇入れ)、すべての事件について
「主張内容が法律的に筋が通っており(法的論理性、スジ)、事件構図として主張内容の社会的・経済的妥当性があり(結論の妥当性、スワリ)、主張についても背景事情についてもそれぞれ明確な痕跡・記録(証拠)が手元にあり、相手の主張内容を尽き崩せる材料が手元にある」
という状況を構築・整備して訴訟に臨みます。

その意味では、国相手の訴訟については、全ての事件が国側にとって、
「 1)想定どおりの結果が期待できる事件(勝訴見込事件 ) 」
といえます。

しかしながら、事件の鍵を握るのが、
「言葉が通じない、話が通じない、情緒が通じない、ただ、不気味に強大な権力をもっている、という方も少なからずいらっしゃる蓋然性」
が払拭し得ない、
「司法権を振り回すに際して、指揮されたり、命令されたり、忖度しなければならない、上司や上長や上級機関といったものが一切存在せず、天下御免のやりたい放題のスーパーフリーで司法権を振り回せる、専制君主国家の独裁君主」
という点が、裁判の奥深いところです。

したがって、たとえ、
「 1)想定どおりの結果が期待できる事件(勝訴見込事件 )」
であっても、結構な割合で、ジャイアント・キリング(大番狂わせ)が発生するのです。

3 「3)想定どおりの結果が期待できない事件(敗訴見込事件)」は訴訟を提起しても無意味か?

次に、
「3)想定どおりの結果が期待できない事件(敗訴見込事件)」
についてです。

「3)想定どおりの結果が期待できない事件(敗訴見込事件)」
とは、
「 1)想定どおりの結果が期待できる事件(勝訴見込事件 )」
の真逆の事件、すなわち、主張内容が法律的に筋が通らない(法的論理性、スジが欠如)、法律的なスジは別としても事件構図として主張内容の社会的・経済的妥当性がない(結論の妥当性、スワリが悪い)、主張についても背景事情についてもそれぞれ明確な痕跡・記録(証拠)が手元にない(記憶はあっても記録がない)、相手方の主張内容を裏付ける材料を相手に渡してしまっている(相手に有利、自己に不利な文書に署名押印して相手に渡してしまっている)、といったケースです。

なお、このような不利な状況は、突然出てくるものではなく、取引や事業の企画設計段階や、交渉段階や、契約段階や、履行段階等紛争以前の段階で、アホだったか、間抜けだったか、しくじりまくったか、サボりまくったことが原因であり、いわば、自業自得・自己責任・因果応報の帰結です。

例えば、
「違約したら3億円払え」
なんて暴利性顕著な違約罰条項を内包した契約を取り交わしたとしましょう。

相手は、平然と違約します。

違約された被害当事者は、
「きちんと契約したのに、なぜ、裁判に負けるんだ?」
という疑問を抱くかもしれません。

しかし、この疑問は、前提において、誤りがあります。

暴利性顕著な違約罰条項は、法的に無効とされることがほぼ確実であり、
「きちんと契約した」わけではない
のです。

暴利性顕著な違約罰条項は、そもそも
「噛まない番犬」
「模造銃」
程度の気休め効果しかない、というゲームのロジックやルールを、契約作成する時点で、契約作成担当者から説明を受けなかったことが原因です。

契約作成担当者が知らなかったか、知っていても説明不足だったか知りませんが、無効の約束を期待して信じ、違約されたが、肝心の際に役に立たない、ということを知って怒りを裁判所にぶちまけても意味がありません。

結局、自己責任・自業自得・因果応報の帰結なのです。

では、
「3)想定どおりの結果が期待できない事件(敗訴見込事件)」
であれば、
「訴訟を提起するのは全く無意味であり、最初から諦めた方がいい」
ということになるか?
と言われれば、必ずしもそうとは言えません。

これは、訴訟の目的と、過酷想定に対する受容度合いに依存するからです。

もし、訴訟の目的を、
「最終的に勝訴判決を得て、自らの法的要求内容を強制的に実現する」
ということに限定するのであれば、訴訟は提起しない方がいいでしょう。

不幸な結果が予測できるからです。

しかしながら、訴訟の目的は、必ずしも
「最終的に勝訴判決を得て、自らの法的要求内容を強制的に実現する」
というものに限定されません。

例えば、
(A)相手に負荷を与える :
すなわち、訴訟を提起すれば、相手方は強制的に手続に巻き込まれ、好むと好まざるとに関わらず、また、たとえ勝ち目のある事件であっても、弁護士に委任し、相応の費用を支払い、時間とエネルギーを費消して、対応せざるを得ません。
また、勝ち目があるといっても、これは適切な弁護士に委任し、真剣な応訴活動を行った結果であって、知識や経験に乏しい弁護士に委任したり、手を抜いたら、勝ち目のある事件でも負けます。この意味では、訴訟の効果として、相手に負荷をかける、というものが期待でき、これを訴訟の目的として設定することができます。

(B)裁判外で暗礁に乗り上げた和解交渉を外圧によって進捗改善を図る :
また、訴訟を提起して、弁護士費用を含む多大なコストや、時間や労力を費消し続けることを相手方が忌避し、これが外圧として機能することで、交渉の契機が生まれます。
加えて、裁判官も、判決を書くのを嫌がって、和解を勧める(あるいは和解を命令する)場合もあります(裁判官によります)。
裁判外交渉では、取り付く島もなく、まったく相手にされなかった交渉が、裁判手続上において、一気に進む可能性は期待できますので、これを訴訟の目的として設定することもできます。

(C)万が一、敵がミスを犯してくれたら、それに乗じて、状況を優位に進める:
加えて、「敵が無知・無能であることや、敵のミスを期待する」という想定の下、相手方の弁護士のクオリティや熱意が平均水準以下の場合、たとえ勝ち目がなくとも、相対的優位を形成し、勝訴や勝訴的和解を期待する事もできます。
ただ、戦略設計において、「敵のミスを期待する」という楽観的な想定を前提するのは、最下層の愚策ともいうか、策以前の妄想ともいうべきものであり、真摯な戦略検討においては、思考の俎上に乗せることは禁忌と考えます。
上記(B)ないし(C)の目的を追求する上で、想定外の余慶・余録として、展開予測の一部に加える程度の与太話として扱うべきものです。

以上から、
(A)相手に負荷を与える、
(B)裁判外で暗礁に乗り上げた和解交渉を外圧によって進捗改善を図る、
(C)万が一、敵がミスを犯してくれたら、それに乗じて、状況を優位に進める、
という目的ないし期待を前提として、
「3)想定どおりの結果が期待できない事件(敗訴見込事件)」
であっても、取組価値を認識し、訴訟提起をする場合があります。

上記(A)(B)(C)の目的ないし期待を前提として訴訟を提起する場合、過酷想定に対して受容するメンタリティを実装することが必須の前提です。

最過酷想定
すなわち、
「上記(A)(B)(C)の目的ないし期待を前提として訴訟を提起してみたものの 、相手方の応戦意欲満々で、喜々としてとことん応戦し、また、裁判官も判決を下すことを厭わず、和解には目もくれず、手続をどんどん進め、さらに、相手方の弁護士の知見も熱意も十分で、ミスなど期待すべくもない、という状況が出現した場合、相手方には負荷を与えられず、和解も不能で、強敵によって、当たり前のように敗訴を食らわされる、惨めに恥をかき、体面や尊厳が破壊される」という事態
も想定しておくべきだからです。

この
「相手方には負荷を与えられないわ、和解も不能どころかテーブルさえ作ってもらえないわ、強敵によって当たり前のように全面敗訴を食らわされ、惨めに恥をかき、体面や尊厳が破壊される」
という過酷な事態の出現は、他者(相手方と相手方弁護士と裁判官)の事情ないし状況に依存し、他者を完全に制御するのは戦略遂行上無意味な前提であり、どれほどこちらが有能で、熱意を以て取り組んでも、防ぎ得ない事態です。

したがって、 上記(A)(B)(C)の目的ないし期待を前提として訴訟を提起する場合、
「相手方には負荷を与えられず、和解も不能で、強敵によって、当たり前のように敗訴を食らわされる、惨めに恥をかき、体面や尊厳が破壊される」
という過酷想定も了解・受容し(そして、当該事態が生じた場合であっても、クライアントが誰にも外罰的に八つ当たりせず、悲惨で過酷な結果について、自ら単独で全責任を負う)、その上で、弁護士や法務担当者(プロジェクトマネージメントチーム)内の士気を損なわず、取り組む、
という極めて成熟した取組体制が必須の前提となります。

これは、いうほど簡単ではありません。

クライアント(プロジェクト・オーナー)において、最過酷想定(「相手方には負荷を与えられないわ、和解も不能どころかテーブルさえ作ってもらえないわ、強敵によって当たり前のように全面敗訴を食らわされ、惨めに恥をかき、体面や尊厳が破壊される」事態)を他の誰に対しても八つ当たりすることなく受容する覚悟と外罰傾向が皆無の成熟したメンタリティがあり、そのような過酷な結果になったとしても相応のコスト負担も含めた稼働環境整備をするだけの財政基盤と余裕があるなど、相当な精神的成熟性と財政的余裕が求められますが、そんな奇特な方はめったにお目にかかれません。

プロジェクトオーナーが、志が低い、器量の狭い、幼稚で、卑怯で、姑息で、愚劣な
「普通の人間」
で、
「そんな過酷想定は一切認められない」
「そんな過酷想定に至ったら、弁護士や法務責任者の責任だ」
「過酷想定については考えない(過酷想定になったらなったで、そこから考える。つまり、過酷想定になったら戦犯探しをするかもしれない、という含みを残す)」
という状況であれば、
「上記(A)(B)(C)の目的ないし期待を前提として訴訟を提起する」
という、
「高度で成熟した知性とチーム体制が求められるプロジェクト」
は、キックオフさせるべきではありません(少なくとも当職や当職所属の弁護士法人は、そういう前提であれば、そのような成熟性に欠け、外罰的精神傾向が顕著で、最後の最後には八つ当たりを始めかねないような危険なクライアントとは一切エンゲージしません)。

4 「2)想定どおりの結果が期待できるかどうか不明の事件(中立事件)」

最後に、
「2)想定どおりの結果が期待できるかどうか不明の事件(中立事件)」
についてです。

これは、
主張内容が法律的に筋が通るか通らないか(法的論理性、スジ)、
法律的なスジは別次元の事件構図としての主張内容の社会的・経済的妥当性があるかないか(結論の妥当性、スワリ)、
主張についても背景事情についてもそれぞれ明確な痕跡・記録(証拠)が手元にあったりなかったり、
相手方の主張内容を裏付ける材料があったりなかったり、
相手方の主張内容を裏付ける材料を相手に渡してしまっているかどうか不明、
といった形で、勝訴見込事件と敗訴見込事件の中間に位置する、勝敗どっちとも取れる事件です。

この事件の見方は、楽観的に観察すれば勝訴見込事件のような思考秩序で対処構築することになるでしょうし、悲観的に観察すれば敗訴見込事件のような思考秩序で対策を考えることになります。

5 まとめ

まとめとすると、結局、裁判は水物であり、訴訟には絶対がなく、決して気を抜かない、ということです。

どんな裁判にも負ける方がいますが、負ける方は負ける方で、
「自分には正義があり、主張に理があり、証拠もあり、最後まで、勝つのは自分だ」
と思い込んで裁判に臨んでいるのであり、また、常識も感受性も不明な
「気まぐれな神様」
「専制君主国家の独裁君主」
たる裁判官が、どのような観察評価や解釈で事件を眺めるのかは、理解が困難です。

いえることは、1つ(というか、2つ)。

裁判というプロジェクトは、勝訴見込があろうと、敗訴見込が濃厚であろうと、
「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが観念され、結果が蓋然性に依存するプロジェクト」
であり、最後まで結果がわからず、正解も定石も不明なものであり、クライアントにもしかるべき義務や役割や責任を負担してもらって高度で成熟した信頼関係を以て油断禁物の心構えで対処すべき課題だということです。

また、その前提として、チームビルディングの成否、その前提としての事件取組姿勢や役割分担の考え方のギャップ解消、事件の勝敗蓋然性評価、選択課題の選択決定等を議論し、あり得べきチーム再構築と、事件推進の前提が調わない限り、争訟という、
「どこまでいっても、勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものを観念せざるを得ず、どんなに決まりきっていても、結果が蓋然性に依存するプロジェクト」
について、クライアントも安易に弁護士に頼んではいけないし、弁護士も
「困っている」
「可哀想だ」
というシンパシーだけで事件を安請け合いしてはいけない、ということです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01656_争訟事件において「一発逆転」を口にするクライアントは、たいていボロ負けする

争訟事件の相談で、たまに、
「一発逆転で勝てないか」ということを口にするクライアントに遭遇することがあります。

たいてい、事件構図としては悪くないが、記憶があっても記録がない、主張はわかるが証拠がない、という重大な欠陥が抱えた事件であり、記録をとっていない、証拠を整備していない、相手の言うままに署名をしたりハンコを押したりして、不利な証拠が相手の手に渡ってしまっている、というような勝ち目のない事件の相談において、この
「一発逆転」
という言葉が出てきます。

もちろん
「一発逆転」
で勝てるほど裁判は甘いものではありませんし、それ以前に、裁判を主宰する裁判官という人種は、
「一発逆転」
という概念や言葉、
「一発逆転」
を思い描くようなタイプの人間を、下水や汚物を眺めるように嫌悪しています。

訴訟においては、自分の言い分が法的に筋が通っており、経済的社会的にも妥当かつ合理的な実体・背景(事件構図)が顕著に存在し、これらすべてが痕跡や記録(証拠)によって支えられている側の当事者が勝利を収めます。

このような状況構築するために、偶然や幸運が働く余地はありません。

事件が勃発するはるか以前から、紛争を予知し、紛争において自分の立場の正当性を説明し証明する状況を想像し、丹念に、その痕跡や記録を整備しておくからこそ、当たり前のように訴訟に勝つのです。

役所や銀行が裁判によって圧倒的な勝率を誇るのは、上記のような、気の遠くなるような地道で丹念な営みを、莫大な資源動員をしつつ誠実に遂行しているからです。

そういう本質やロジックやルールを内包する裁判というゲームにおいて、
「一発逆転」
などという身勝手な妄想が入り込む余地はありません。

「一発逆転」
を口にする人間のメンタリティは、たいてい幼稚で、非知的です。

東大や京大に現役で合格するような人間は、
「一発逆転」
を信条とするでしょうか?

医者になった方は、ある日突然
「一発逆転」
によって医者になったのでしょうか?

オリンピック選手は、
「一発逆転」
ばかり狙って、うまいことオリンピアンになったのでしょうか?

宝塚音楽学校に合格する方々は、
「一発逆転」
で合格するのでしょうか?

株式公開を果たすベンチャー企業の経営者は、
「一発逆転」
で大業を成し遂げたのでしょうか?

違いますね。

世間から評価されるような有能なマイノリティの方々は、地道な努力を重ねて、そのような立場を獲得したのであって、
「能力もなく、努力も忌避して、うだつが上がらない状態が続いたが、何かのきっかけで、一発逆転して、幸運にもその立場ないし地位が転がり込んできた」
という人は皆無です。

こう考えると、
「一発逆転」
という言葉の裏には、
・地道な努力は大嫌い
・でも成功はしたい
という、実に幼稚で、愚劣で、不誠実で、不真面目なメンタリティが看取されます。

「一発逆転」
を口にする人間のほとんどが、
・勉強や努力があまり好きではなく、
・その結果、あまり社会的地位が高いとは言えず、
・にも関わらず、今の自分は、才能やスキルにふさわしい処遇や立場が付与されておらず、
・何時か、何処か、何らかの特異な状況によって、特段の努力や準備を要せず、自分が身勝手に思い描く、最高の結果が転がり込む
ということを信じているようであり、新興宗教の信者になったり、いい年をして自分探しをしていたり、総じて、知的な面でも精神的成熟性の面でも、見劣りするような方々ばかりです。

ちなみに、裁判を主宰する裁判官は、どんな人種でしょうか?

・地道な努力は大嫌い
・でも成功はしたい
という、実に幼稚で、愚劣で、不誠実で、不真面目なメンタリティを顕著に持っている方々でしょうか?

違いますね。

裁判官は、ほぼ例外なく、東大や京大に現役で合格し、若い時期に司法試験に合格した、地道な努力を厭わない、知的で、成熟していて、誠実で、真面目な方々で、しかもそのような人種の中で日本でもトップクラスの方々です。

当然ながら、生まれてこの方、
「一発逆転」
などということを信じず、努力した者、真面目なもの、未来を見据え、準備を怠らなかった生き方をしてきた方々です。

そういう方々が、
「一発逆転」
などという妄想を抱いて、
「知性と想像力を働かして過酷な未来を想定することなく、ロクな準備をしてこなかったが、でも、笑いが止まらないくらいの成功が手にできる」
などと愚劣な考えを抱く人間に救済の手を差し伸べるでしょうか。

こう考えれば、
「一発逆転」
という考え方が、少なくとも、争訟事件の遂行における作戦構築上、いかに、有害な発想か、ということは理解できるかと思います。

こういう言い方をして、事件に対する厳しい見通しと、現実的なゴールデザインと、そこに至る地道な準備や莫大な資源動員等を伝えると、少なくないクライアント(候補)の方々が、
「え? そこまで、時間をかけ、カネをかけ、エネルギーを費やして、この程度なの? 一発逆転とか、そういう展開があるでしょう」
と、なおも食い下がったりします。

弁護士サイドが、
「痕跡や記録がないと訴訟に勝てないし、痕跡や記録がないのは、あなたが記録整備をサボったか、記録整備にかける予防法務をケチったからであり、自己責任・因果応報・自業自得の帰結として、今更仕方がない。ただ、現実解として、ゴールを修正して、戦闘方針を変えて、さらなる努力をすることで、何とか戦いの構図に持っていける」
と言うと、最後には、
「もういい。一発逆転を請け負う別の弁護士を探す」
といって席を立ったりします。

こうやって、
「一発逆転」
を信じて(あるいは「一発逆転」を否定する弁護士の見解を受け容れず)席を立ったクライアントは、「『一発逆転』なる話を実現できる、とされた別の弁護士」を探し当て、さんざん時間や費用や労力を費やしたけれども、やはり、当初の見立てどおりとなり、案の定ボロ負けの事態に陥ることが多いようです。

裁判官は、
「一発逆転」
を認めないし、
「一発逆転」
を信じるタイプの当事者も嫌悪するし、
「『一発逆転』なる妄想・まやかしが実現出来る、などという与太話・駄法螺を平然と述べる」
ような弁護士も毛嫌いしますので、ある意味、当たり前といえば当たり前です。

いずれにせよ、
「一発逆転」
という、争訟事件においては、絶対忌避すべき発想を一刻も早く捨て去るべきであり、また、
「一発逆転」
を請け負うなどという弁護士とも距離を置くことが推奨されます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01655_クライアント(プロジェクト・オーナー)の義務や役割や責任(2)_勝敗が観念されず、結果が蓋然性に依存しない事案(勝敗の観念出来ない事務事案やルーティン事案)の場合

では、
「勝敗が観念されず、結果が蓋然性に依存しない事案(勝敗の観念出来ない事務事案やルーティン事案)」
の場合、クライアントには、どんな義務や役割や責任があるのでしょうか。

このプロジェクトは、他者に依存したり、他者を制御するような課題を内包せず、ゲーム性が皆無であり、弁護士に、一定の知見とスキルがあり、これを適切に投入すれば、必ず、しかるべきアウトプットが出せる、そんな営みです。

このプロジェクトの場合、クライアントに、「勝敗・成功失敗・首尾不首尾というものが 観念され、結果が蓋然性に依存する事件(争訟事件)」のような厳しい義務・役割・責任が生じるわけではありません。

ただ、だからといって、弁護士に良い仕事をしてもらい、費用対効果の面で満足いく成果を期待するなら、
「大船に乗った」
気持ちになって、緊張を解き、リラックスしてはいけません。

弁護士も人間です。

サボること、怠けることも当然あるでしょうし、手抜きをすることもあるかもしれません。

納期を守らなかったり、正しく課題を捉えず、間違った考えのまま、欠陥のある仕事をするかもしれません。

一般の方々が弁護士に対して抱くイメージは、
「絶対失敗しない、完全無欠のスーパーマン」
というものかもしれませんが、裁判官は、もう少し、
「人間臭いイメージ」
で捉えていると推測されます(裁判官からの観察視点でみると、自戒を含め、私を含めた弁護士一般は、「よくしくじるし、ドジやヘマをしでかすし、課題を正しく捉えられず、的外れの成果しか持ってこない、しかも、疎漏が多く、納期にルーズな、ある意味、普通の陳腐な人間」とみているのではないでしょうか。私個人の想像ですが)。

そういう弁護士に対して対価にふさわしい、あるいはアウトパフォームするような、いい仕事をしてもらうにためは、
「外注管理」
という営みが必要になってきます。

「外注管理」
という営みが生じるのは、外注先が
「よくしくじるし、ドジやヘマをしでかすし、課題を正しく捉えられず、的外れの成果しか持ってこない、しかも、疎漏が多く、納期にルーズな、ある意味、普通の陳腐な人間」
という前提事実を契機とします。

外注先が
「絶対失敗しない、完全無欠のスーパーマン」
であれば、管理など不要です。

寝てても、放っといても、納期が来たら、約束したスペックどおりの、あるいはスペック以上の成果物が舞い込んできます。

しかし、外注先が、すべて、
「絶対失敗しない、完全無欠のスーパーマン」
であり、
「寝てても、放っといても、納期が来たら、約束したスペックどおりの、あるいはスペック以上の成果物が舞い込んでくる」
ということであれば、世の中苦労しません。

そのような漫然とした期待をして、放置していたら、たいてい、納期が遅れ、スペック以下の成果物で、疎漏が多く、使い勝手も悪く、総じて、腹の立つ帰結となります。

建築工事でも、施工管理という営みがあるように、
また、
ホテル事業でも、支配人の上にさらに
「『支配人といえども、目が届かないところでサボるし手を抜く』ことが普通に起こりうる、という前提で、『支配人の疎漏に目を光らせ、支配人をいびり倒すこと』を役割とする、総支配人」
という職種が存在するように、
外注先の業者に対して、細かく目くじら立てて、警戒を怠らず、相手に緊張感を持ってもらうような営み、すなわち
「外注管理」
は、プロジェクト成功のためには必須のものとなります。

「勝敗が観念されず、結果が蓋然性に依存しない事案(勝敗の観念出来ない事務事案やルーティン事案)」
を弁護士に委託する場合も、「法務外注管理」という営みが絶対必要になります。

この「法務外注管理」という営みが、クライアント(プロジェクト・オーナー)の絶対必要な義務・役割・責任という言い方ができます。

目が肥えた、弁護士の使い方をよくわかっているクライアントほど、そういう
「外注管理」
をしっかりします。

他方で、弁護士の実態、すなわち、
「よくしくじるし、ドジやヘマをしでかすし、課題を正しく捉えられず、的外れの成果しか持ってこない、しかも、疎漏が多く、納期にルーズな、ある意味、普通の陳腐な人間」
が普通に多いという事実をよく理解せず、
「絶対失敗しない、完全無欠のスーパーマン」
などと神聖視するクライアントは、クライアントとしての義務や役割や責任を放棄していると言えます。

こうして、「法務外注管理」という営みを認識すらせず、
「大船に乗った」
気持ちになって、緊張を解き、リラックスをしていると、痛い目に遭う可能性が出てくるのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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