01552_ウソをついて何が悪い(2)_「ウソ」は犯罪か?

俗に
「ウソつきは泥棒のはじまり」
といいますが、そもそもウソをつくことは罪なのでしょうか。

まず、
「ウソつき」行為一般
を処罰する法律はありません。

すなわち、刑法のどこをみても、
「ウソつき一般=犯罪」
とする規定はなく、したがって、
「ウソをつく行為一般」
については何ら犯罪を構成しません。

考えてみれば当たり前です。

男性が誇張した武勇伝を語ったり、女性が年齢や体重を誤魔化したりすることまで逐一犯罪扱いされると、それはそれで社会がギスギスしたものになりますし、癌の告知など、真実を伝えることはかえって残酷な結果をもたらすことが想定される場合にはウソをつくことが積極的に推奨されることもあります。

このように、ウソをつくことは、原則、犯罪でも何でもないのです。

無論、
「ウソをつく行為が犯罪になる場合」
というのもあるにはあります。

「ウソをつく行為が犯罪になる場合」
として、刑法上、詐欺罪、偽証罪、虚偽告訴罪、偽計業務妨害罪などが定められています。

また、最近有名になった事例としては、著名ITベンチャー企業社長が牢屋にぶち込まれる際の理由や、大手自動車会社の外国人元会長(その後、母国へ逃亡)が問擬された犯罪として有名となった有価証券虚偽報告罪も
「ウソをつく行為が犯罪になる場合」
の1つです。

とはいえ、これらの犯罪は、いずれも単純な
「嘘つき行為」
を捉えて犯罪視しているというものではありません。

ウソつき行為が犯罪とされる場合については、いずれの場合も行為者に特定の身分や主観を要求したり、嘘をつく際におけるさまざまな状況を限定した上で(これら行為者の主観や状況に関する条件は、法律の世界において「犯罪構成要件」と言ったりします)、きわめて例外的な状況の下でしか犯罪扱いされない形になっています。

要するに、
法律上
「ウソつきは犯罪ではない」
という大原則の下、
「ごく限られた状況におけるウソつきのみ、例外的・限定的に犯罪とする」
という扱いしかされていないのです。

小さいころ、われわれは
「嘘つきは泥棒のはじまり」
などと繰り返し教えられ、あたかも
「嘘つきは窃盗罪同様の犯罪行為であり、ウソをついていると処罰され、泥棒と同じように刑務所に収監されることになるぞ」
と、まるで脅迫紛いの話を聞かされ続けてきました。

これこそまさにウソの最たるものです。

正しい法律的理解を前提とすると、
「嘘をついても、何ら犯罪にはならない。だが、特定の身分において、あるいは特定の状況において嘘をつくと犯罪とされる場合もごく例外的にあるので、注意した方がいい」
というべきです。

運営管理コード:HLMGZ15-2

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

01551_ウソをついて何が悪い(1)_一般社会常識における「ウソ」

「ウソをついて何が悪い」
という挑発的なタイトルを付けさせていただきましたが、本稿から
「ウソ」
あるいは
「ウソをつく行為」
をテーマに、法律を交えてお話したいと思います。

われわれは小さいころから、
「ウソをつくと地獄で閻魔様に舌を抜かれる」
「ウソつきは泥棒のはじまり」
などと繰り返し教えられるなど、
「ウソつき=重大な犯罪行為である」
という教育が施されてきました。

しかし、成長し社会に出るようになると、大人が平然とウソをつく場面に出くわします。

また、ウソが露見してもあまり大事にされず、処罰もされない、という状況にも遭遇します。

そして現実の社会においては、
「ウソつきは泥棒のはじまり」
どころか、
「嘘も方便」
などという倫理的に低劣な諺の方が広く通用していることを知るようになります。

では、
「ウソ」
あるいは
「ウソをつく行為」
はそれほど悪しき行為なのでしょうか。また、法律や裁判の世界で、
「ウソ」
あるいは
「ウソをつく行為」
はどのように扱われているのでしょうか。

一般常識としては
「ウソが許されるのは、汚れた世間の話。厳格や正義が重んじられる法律や裁判の世界では、ウソがご法度とされるのは当然。ウソをつくと徹底的に懲らしめられる」
と考えられそうですが、果たしてそうなのでしょうか。

以下、
「ウソ」
あるいは
「ウソをつく行為」
に関する、法律や裁判の世界における取り扱いを中心に述べていきたいと思います。

運営管理コード:HLMGZ15-1

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

01550_取締役の悲劇(6・終)_圧倒的大多数が法律知識を欠落している「取締役」が法的トラブルに遭わないようにするための推奨行動

連載コンテンツ
「取締役の悲劇」シリーズ
の最終稿です。

前稿まで、ある
「取締役」
の方が手形法に関する知識がなかったばかりに大損を被った、というお話をさせていただきました。

ところで、法律オンチの
「取締役」
の方が大きな法務トラブルに見舞われるというのは別に珍しいことではなく、むしろ、
「取締役の多くが、法律的に間違ったことを仕出かしているものの、相手の愚かさや運に恵まれ、大きなトラブルとして顕在化しない」
という状況がほとんどです。

実際企業法務の現場でおみかけする多くの
「取締役」
の考えや行動は、我々プロの法律家からみると、気でも狂ったかと思われるほど異常なものばかりです。

では、圧倒的大多数が法律知識を欠落している
「取締役」
という人種が、法的無知に起因する悲劇に見舞われないようにするには、一体どうすればいいのでしょうか。

まず、1つは、がんばって法律を勉強することです。

言ってみれば誰でもなれる
「取締役」
になったくらいで浮かれて毎晩飲み歩いたりせず、暇があったら早く家に帰って民法や会社法の本をしっかり読み、立場や役割にふさわしい法的知識を具備するよう精進することです。

さらに言えば、
「取締役」職
を資格制にして、
「『公認取締役資格試験(仮)』のような試験を合格した者でなければ、取締役になれない」
という制度にする、ということもアリだと思います。

そもそも
「どんなバカでも取締役になれる」
というのが、事故が多発する根本的原因です。

会社法が法運用の前提とする
「取締役」

「基本的な法律知識を有する経営専門家」
ですが、実体との乖離が甚だしい現状がある以上、特定の試験合格による能力担保を行う制度を実施すれば、
「取締役」
からバカや認知に問題がある人が排除され、不幸な事故が減るはずです。

とはいえ、以上のようなことを実現しようとすると、相当な時間とエネルギーを要しますし、経済界からの猛反発が予想されます。

さらに言えば、
「廃業数が起業数を上回る」
という日本の企業社会のお寒い現状が加速され、企業数の低下にますます拍車がかかり、経済が停滞しかねません。

現実的な対応策とすれば、まずは、
「取締役」さん
が自らの無知・無能(あくまで法律知識における無知・無能という意味ですが)を悟り、
「わからなければ、知ったかぶりをせず、知っている人の意見をよく聞く」
という当たり前のことを励行することが重要です。

「学校での学生生活」

「ビジネス社会における社会生活」
の違うところは、
「後者(「ビジネス社会における社会生活」)では、情報を買ったり、カンニングが許されている」
という点にあります。

すなわち、学校では、知らないことやわからないことを自分で調べることをせずに友達に結果だけを聞いてすませたり、レポートを自分で作らずに友達のものを書き写したり、あるいは自分の能力や勉強の成果が試される試験において他人の答案を覗き見たりするのはいずれも
「ご法度」
とされます。

しかしながら、ビジネス社会においては、カネの力にモノを言わせ、プロを雇い、知恵や文書成果物を買い上げて、自分のモノとして利用するのはむしろ推奨される行動です(逆に、「能力がないのに、プロにまかせず、自分の力でやってみて失敗する」ことの方がNGとされます)。

ですので、ズブの素人である自身の法常識(そのほとんどは間違ったもの)など端からアテにせず、プロの弁護士をカネで雇って、法律知識を
「購入」
して武装すればいいだけなのです。

そして、そういう行動を取るためにも、法律の怖さを理解し、自分の能力を過大評価せず、謙虚に生きる気持ちをもつことです。

最後に、私からまとめの一言。

「いいですか、取締役の皆さん。皆さんは、強大な地位と権限が与えられています。法律上、『会社法その他の法令に通暁した経営のプロ』とみなされ、無知ゆえにどんなアホなことを仕出かしても、言い訳なしでケツをきっちり拭かされる立場にあります。こんなに重大な責任ある立場であるにもかかわらず、試験も何もなく、バカでも誰でもなれちゃんです。だから怖いんです。世間がいくらチヤホヤしても、舞い上がることなく、己の分際をよくわきまえ、『オレは法律オンチだ』を常に心の中で唱え続け、わからない法律問題に遭遇したら、自分の使えない頭脳で考えたり変な知ったかぶりをせず、全部、事前に法律の専門家に相談するんですよ。わかりましたね」

(連載・完)

運営管理コード:HPER038

初出:『筆鋒鋭利』No.038、「ポリスマガジン」誌、2010年10月号(2010年10月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

01549_取締役の悲劇(5)_世間知らずの「取締役」が約束手形に触れたことで始まる悲劇その3_「取締役」氏、知らない間に、手形の連帯保証人として、手形訴訟を提起される

連載コンテンツ
「取締役の悲劇」シリーズ
の第5稿目です。

前稿では、ある
「取締役」
の方が、換金のために持ち込んだ銀行にまったく相手にされなかった手形について、とある事務所から裏書きした手形と引き換えに幾ばくかの現金をもらい、遂に手形の換金に成功したところまでお話ししました。

それから何ヶ月かした後、この
「取締役」さん
の会社のところに内容証明郵便による通知書が届きました。

通知書は、都内の某所にある
「ホニャララ商事」
というところが通知人となっているものですが、
「取締役」さん
は、こんな会社、接点はもったことはおろか、見たことも聞いたこともなく、全く狐につままれた気分です。

通知書をよく読むと、先般、換金に成功した手形のことがつらつら書いてありました。

この点は身に覚えがある話です。

というか、この手形換金話は、その後も銀座のクラブで幾度となく語っている話であり、
「取締役」さん
にとって何度語ってもつきない輝かしい武勇伝でした。

通知書を読み進めると、
「手形を銀行に持ち込んだら、最初に手形を振り出した会社が支払を拒絶した。裏書きしたあなたの会社は、その責任を取って、額面全額の金額を支払わなければならないので、即刻耳を揃えて全額払え」等
と書いてありました。

「取締役」さん
は、ワケがわかりません。

「取締役」さん
は、
「ウチの会社は、借金のカタに手形をもらいうけ、これを換金しただけだ。手形を最初に書いた会社なんて、アカの他人じゃないか。なぜ、そんなヤツの借金まで面倒をみる必要があるんだ。どうせ、これは新手の『オレオレ詐欺』か何かだろう」
と断定し、通知書を放置することにしました。

すると、その後、東京地方裁判所民事7部というところから、訴状が届きました。

訴えを提起したのは、
「ホニャララ商事」。

先日の内容証明郵便による通知書に書いてあったようなことが、同じような形で味も素っ気もなくツラツラ書いてあります。

ここまで来ると、
「取締役」さん
も流石に気持ち悪くなり、知り合いの取引先に紹介したもらった弁護士のところに行き、意見を聞くことにしました。

弁護士さんは訴状をみて、その上でおおまかな事情を聞いたあと、いきなり
「こりゃ、ダメですな。こちら側の全面敗訴になりますよ」
と言うではありませんか。

「取締役」さん
は耳を疑いました。

思わず激昂し、
「先生、いい加減なこと言わないでください。私はもらった手形を換金しただけです。いわば権利者ですよ。なんで最初に手形を振り出したヤツのケツをもたなければならないんですか! 裁判所に行けばわかってくれます。こんな不当な訴訟、徹底的に戦ってください!」
と、言いました。

弁護士さんは、
「素人が、慣れない手形をイジるとこうなっちゃうんだよな・・・」
とボヤキながら、手形制度の説明を始めました。

手形の信用を高めて、なるべく多くの人間が安心して手形を受け取るような制度とするため、手形法上、手形の裏書人は、振出人や自分より前に裏書きした人間が手形金の支払ができなかった場合の保証人になるとされています。

すなわち、手形の裏書人というのは、手形を受け取ったという点では権利者である反面、手形振出人や自分より前の裏書人のケツを拭かされるのであり、この点において、見ず知らずの人間が振り出した手形に裏書人として署名するのは非常に危険な行為だったのです。

他方、
「保証を引き受けずに手形を次の人間に譲渡する方法」
も用意されており、
「無担保裏書」
という特殊な裏書をしたり、さらに言えば、そもそも裏書人として署名をすることなく手形そのものを売り飛ばしてもよかったのです。

手形の制度などまったく知らなかったズブの素人の
「取締役」さん
は、手形を換金するために持ち込んだ先の事務所の社長にうまく騙され、わずかなカネと引き換えに、知らない間につぶれそうな会社の保証人にされてしまったのです。

もうこうなれば、恥も外聞もありません。

「取締役」さん
は、弁護士さんに必死で頼み込みます。

「私は、何にも知らなかったんですよ。手形なんて、それまで実物を見たこともありませんでしたし、そんなヘンなルール知りっこないじゃないですか。それに私は二代目で、親からもそんなこと教わっていません。素人相手にひどいじゃないですか。なんとか、ノーカンになりませんか。裁判所もわかってくれますよね。ね。ね。」
と最後は哀願口調です。

しかし、弁護士さんから返ってきたのは突き放すような冷たい回答でした。

「無理なものは無理ですよ。手形はプロが扱う決裁道具であり、そんな言い訳通用しません。それに、仮にも取締役なんでしょ。高校生や専業主婦ならともかく、『ボクはバカですから今回のチョンボは見逃して』なんて話、裁判所で通用しませんよ」

結局、
「取締役」さん
の知ったかぶりのため、この会社は高い授業料を支払わせることになりました。

では、このような悲劇に見舞われないためには、
「取締役」さん
としては今後、どのようにして世知辛い世の中を生きていけばいいのでしょうか。

この点は、次稿でお話ししたいと思います。

(つづく)

運営管理コード:HPER037

初出:『筆鋒鋭利』No.037、「ポリスマガジン」誌、2010年9月号(2010年9月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

01548_取締役の悲劇(4)_世間知らずの「取締役」が約束手形に触れたことで始まる悲劇その2_「取締役」氏、約束手形の換金に成功する

連載コンテンツ
「取締役の悲劇」シリーズ
の第4稿です。

前稿では、ある
「取締役」
の方が、破綻しそうな会社からお金の代わりに取り上げた手形の換金方法を模索し、銀行に相手にされず、金券ショップで換金しようとするところまでお話しました。

この「取締役」さん
は、
「ご大層な金額がチェックライターで打刻してあり、みるからに価値のありそうで、仰々しい、この手形が換金できないはずなどない。この国の取引社会は狂っているぞ」
との信念をもとに、金券ショップの門を叩きました。

無論、金券ショップは、商品券でも優待券でもない手形など換金などしてくれません。

しかし、金券ショップの店主は、
「ここだったら、手形を換金してくれるかもしれない」
と雑居ビルの3階にある、聞いたこともない会社を紹介してくれました。

その会社では、金券ショップと貸金業とクレジットカードを用いた金融等をやっているほか、裏メニューとして不動産の仲介や債権の回収のほか、手形の買い取りもやっている、とのことです。

「取締役」さん
は、金券ショップの店主から教えられた住所を頼りに、紹介されたところにたどり着きました。

そこの会社のオーナーと称する男は、ゴルフ焼けした顔をほころばせ、
「我々は金融や手形のプロです。何でもおまかせください。」
とやたらと自信ありげに振る舞います。

「取締役」さん
は、これまでの経緯を話すとともに、
「どこから観察しても見た目に立派で価値がありそうな手形をもっているにもかかわらず、まったく相手にもされない」
という異常な現状を嘆くとともに、これを何とかしてカネに換えたいという思いを切実に訴えました。

金融会社のオーナーは、
「わかりました。あなたの言うことはもっともです。当社が額面の7.5%で買い取りましょう。」
と力強く答えてくれました。

干天の慈雨とはこのことです。

たしかに、買取金額としてはあまりにも安く、正直、不満がないわけではありません。

しかし、必死の思いで回収してきた
「見るからに価値のありそうな立派な手形」
を、
「紙切れ」
と言わんばかりの態度で鼻で笑って取り合ってくれなかった経理部長や銀行の担当者を見返すことができた、ということの方がうれしく、天にも登る気持ちでした。

買取金額がまとまったということで、事務所オーナーは、
「手形を譲ってもらう手続として裏書というものがあります。ご存じですよね。ほら、このとおり」
と言って
手垢がついて使い古された年代物の
「だれでもわかるやさしい手形入門」
とかなんとかいう本の付箋を貼ったページを示します。

たしかに、本には
「手形を譲渡するときは裏書きするのが基本」
と書いてありますし、手形の裏側には、すでにいくつか
「裏書き」
なるものが書いてありました。

ずいぶん前に株の現物をみたときにも、株券の裏側にこれと同じようなものがありました。

「取締役」さん
は、学歴こそありませんが、自分ではそれほどバカとは思っておらず、人並みに想像力を働かせることはできます。

要するに、
「ゴルフコンペの優勝カップに歴代チャンピオンの名前を書いた布をくっつけるようなもので、手形のこれまでの持ち主の素姓を明らかにしておくようなものだ」
と理解しました。

「取締役」さん
は、
「ナメられたらいけない」
という思いから、自信をもって大きな声で答えます。

「知ってます、知ってます。裏書きですよね、裏書。はいはい。手形の受け渡しの際の基本ですよね。今、会社の実印はもっていませんので、すぐに会社に戻って取ってきます。」
といって大慌てで会社に行き、金庫から実印を取り出し、事務所に戻ってきました。

戻ってくると、事務所オーナーが、買取金額相当額の現金を用意して待っており、即座に
「裏書き」
をした手形と現金を交換し、無事手形の換金に成功しました。

「取締役」さん
は、鼻息も荒く会社に戻り、社員全員を前にして、換金に至る苦労を延々語るとともに、
「何事もあきらめてはいけない! 粘ることを忘れるな! 粘ることを知らないような人間はこの会社に不要だ!」
と締めくくり、経理部長にクビを言い渡しました。

経理部長は何か言いたかったようですが、前からこの
「取締役」さん
を好きではなく、銀行時代の友人から別のもっとましな会社の経理担当役員の仕事の紹介を受けていたので、退職することにしました。

この
「取締役」さん
は、その夜、銀座のクラブに行き、女の子を前に、手形換金の苦労話とバカな経理部長をクビにした武勇伝を延々語りました。

すぐ先に大きな落とし穴があるとは知らずに。

次稿も、この知ったかぶりの
「取締役」さん
に襲った悲劇のお話を続けさせていただきます。

(つづく)

運営管理コード:HPER036

初出:『筆鋒鋭利』No.036、「ポリスマガジン」誌、2010年8月号(2010年8月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所


01547_取締役の悲劇(3)_世間知らずの「取締役」が約束手形に触れたことで始まる悲劇その1_「取締役」氏、約束手形と出会う

連載コンテンツ
「取締役の悲劇」シリーズ
の第3稿目です。

前稿では、
「取締役が知ったかぶりでどんどん状況を悪化させ、しかも本人はそのことにまったく気がつかず、気がついたら、三途の川を渡河し、地獄の底に到達していた」
という話がビジネス社会には実に多く存在する、と申し上げましたが、本稿ではそのような話の一例をご紹介します。

ここに一人、会社を経営している
「取締役」さん(実際の肩書は代表取締役)
がいらっしゃいました。

会社法の教科書等をみると、世間知らず、もとい世情に疎い学者の皆様は、
「取締役は、経営の専門家である」
等と持ち上げていますが、この
「取締役」さん
は、経営の専門教育はおろか、まともな高等教育も受けた形跡はなく、会計も法律もほとんど無知。

パソコンも使えず、手紙やファックスをみても誤字脱字・当て字のオンパレードで、しかも文書をみても意味が通じない。

ところが、どういうわけかお金だけはあるみたいで、会社の
「取締役」
になれました。

会社の
「取締役」
になる、といっても、これまで述べてきました通り、学歴も資格も試験も不要で、司法書士の方にカネを払えば誰でも
「取締役」
になれてしまう。

「取締役」「代表取締役」「社長」
などといっても、その程度のものであり、見る人みれば屁の突っ張りにもならない
「取締役」
という肩書を得ただけで、格段、知的水準や教養レベルが向上・改善したわけではありません。

しかし、この
「取締役」さん
は、
「取締役」
という肩書がついた瞬間から勘違いが始まりました。

「オレはエラい」
「なんつったって取締役」
「世間からは『社長』と呼ばれる身分」
「オフィスは立派で、部下もいるし、秘書もいる」
「ゴルフ会員権も、クレジット会社のホニャララカードも持っているし、移動はグリーン車かビジネスクラス」
「銀行の支店長とサシで話し、弁護士や税理士をアゴで使う」
「銀座のクラブでも丁重に扱われるし、行きつけのホテルや高級レストランでは名前を覚えてもらっている」
なんて具合でした。

このくらいの勘違いはまあ、かわいいもんでしょう。

ですが、その勘違いが、あるはずもない自分の能力や知識にまで及んでしまったことから悲劇が始まりました。

あるとき、
「取締役」さん
の取引先が経営危機となり、売掛債権が焦げつきそうになりました。

結構大きな額で、会社の資金繰りにも影響しかねない状況です。

「取締役」さん
は、取引先の社長を呼びつけ、
「どうしてくれるんだ!」
と詰問しました。

納入した商品は、取引先からさらに先の問屋さんのところにすでに納品されてしまっており、商品引き揚げは難しい状況です。

平伏する取引先の社長は、カバンから1枚の手形を差し出しました。

そして、
「私どもの取引先でやはりつぶれそうになっていたところから、少し前、こういう手形を振り出させました。額面は焦げついた金額よりはるかに大きな金額ですが、取り立てできるかどうかわかりませんから、すべて差し上げますので、これで、どうかご勘弁ください。」
と言います。

この
「取締役」さん
は、手形取引の仕組についてはほとんどわかっていない状況で、手形の知識は専業主婦レベルでした。

しかし、
「取締役」さん
の目には、
「ご大層な金額がチェックライターで打刻してあり、見るからに価値のありそうで、仰々しい手形」
は、それなりの価値があるように見えました。

「これ以上潰れそうな会社を相手に押し問答したところで、どうしようもない」
と判断した
「取締役」さん
は、売掛額の倍額以上にもなる額面の手形を受け取り、
「まぁ、これで幾ばくかのカネになるだろう」
と考えました。

しかし、銀行との折衝を担当している経理部長に聞いたところ、
「こんな手形を銀行に持っていったところで、割り引いてくれませんよ」等
というつれない返事です。

「手形? 割り引き?」
ということ自体あまり意味がわかりませんが、そこは知ったかぶりで対応しておき、
「とにかく銀行に行って話をしてみてくれ。換金する方法があるはずだ」
と指示しました。

しかし、結果は経理部長が予想したとおりで、銀行は換金に協力してくれませんでした。

「莫大な金額が記載してあり、大手都市銀行の名前も入っている、見るからに価値のありそうな手形が換金できない?」

「取締役」さん
の乏しい知識や経験からは全く理解できない状況です。

「そんなバカな話があるか。もう、経理部長や銀行はアテにできない。こういうときは行動あるのみ。」

「・・・・・・そうだ!」

「よし、金券ショップだ。」

「取締役」さん
は、自らの信念に基づき、行動を開始しました。

この悲劇の続きについては、次稿にて、お話したいと思います。

(つづく)

運営管理コード:HPER035

初出:『筆鋒鋭利』No.035、「ポリスマガジン」誌、2010年7月号(2010年7月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸
著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

01546_取締役の悲劇(2)_取締役は、現実の知的水準に関係なく、会社法上、すべからく「経営のプロ」とみなされて、会社運営に関する大きな権限を与えられてしまう

前稿に引き続き、「取締役」という肩書を持つ人種の気質・行動について、いつもながら偏見に満ちた雑感を述べていきたいと思います。

前稿みてきたとおり、日本社会である程度のステータスを有しているとされる人種のうち、医者や弁護士や公務員や教員に関しては、少なくとも過去の一時点において当該キャリア保持に必要とされる知識を資格試験という形で確認・検証されていることから、能力水準の下限にも、おのずと限度というものが存在します。

しかしながら、
「取締役」
というステータスに関しては、
「無試験・無資格・性別・人種一切無関係、破産者であろうが認知症の疑いのある方もウェルカム」
という形で広く門戸を開放しすぎてしまったため、能力水準の下限は
「底無し」
といった状況であり、想像を絶するとんでもないことをやらかしてくれる方々が相当多く混在することになるのです。

「取締役」
とは、もともと、その名のとおり、
「会社法その他関係法令に基づいて、会社という組織の運営を『取り締まる』役目を担うプロフェッショナル」
ということが想定されておりました。

会社法の専門書をみると、
「取締役とは株主から経営を付託された経営専門家である」
等と書いてありますが、これは、
「社会現実を知らず、机の上で理屈をコネ繰り回している学者」
だからこそいえる虚構です。

現実の取締役、とくに多くの中小零細企業の取締役については、会社法や簿記・会計はおろか、国語や算数の試験すらなく誰でもなれることから、法律が想定している役割・立場と、実際の能力との間に重篤なギャップが生じてしまっています。

しかも、このようなギャップを是正する制度的担保がなく、知的能力が破綻したまま放置される一方で、法律上、取締役である限り
「経営のプロ」
とみなされて会社運営に関する大きな権限を与えられてしまうが故、
「取締役」
と呼ばれる人種の周りには、会社をめぐるさまざまなトラブルに巻き込まれる高度の危険が常に存在するのです。

加えて、そんな危なっかしい状況にある
「取締役」
の皆さんですが、自らの職責や権限や責任に関する知識を補充する意欲が全くないといった方が多いため、被害を拡大し、自身も会社も不幸に追い込んでしまいがちです。

無論、
「取締役」
と呼ばれる方々も、自らが無知であることを知り、無知なら無知なりに、専門家の助言を求め、常に謙虚かつ慎重に行動していれば、トラブルを回避したり、脱出したりすることも期待できるでしょう。

しかしながら、
「取締役」
と呼ばれる方々の多くは、当該キャリアを保持するに必要な知識を確認するための試験を受けたこともないくせに、
「自信」

「思い込み」
だけは人一倍で、専門家の意見を謙虚に聞く方や勉強して自分の職や立場に関する知識を得ようというような殊勝な心がけの方はあまり見受けません。

むしろ、
「知ったかぶりでどんどん状況を悪化させ、しかも本人はそのことにまったく気がつかず、気がついたら、三途の川を渡河し、地獄の底に到達していた」等
という悲劇とも喜劇ともつかない話がビジネス社会には実に多く存在することになるのです。

一例として、手形に関し、
「取締役」
がやらかした大失敗があります。

商業手形、法律上は約束手形と呼ばれるものですが、これについては、
「手形は怖い」
「手形は難しい」
「手形の取り扱いには注意しろ」
「手形の扱いを間違うと企業の命取りになるぞ」
等という話を聞かれたことがある方も多いと思われます。

実際、手形法と呼ばれる法分野は、かつての司法試験においても論文科目とされていましたが、技術的に難解なため、受験生泣かせの学習分野として有名でした。

国内最難関と呼ばれた旧司法試験の受験生すら苦しめた難解な法分野である手形法について、無試験・無資格でなれる
「取締役」
がご存じなわけはありません。

そんな
「手形のことなんてほとんど知らない『取締役』」
の方が、知ったかぶりで手形の扱いを間違ったばかりに、会社と当該取締役が地獄に突き落とされる事件が起きたのでした。

この悲劇の詳細については、次稿にて、お話したいと思います。

(つづく)

運営管理コード:HPER034

初出:『筆鋒鋭利』No.034、「ポリスマガジン」誌、2010年6月号(2010年6月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

01545_取締役の悲劇(1)_取締役なるためには、学校も、試験も、資格も、能力も、条件も何にもない。したがって、「取締役」というだけで、一定の知的水準や専門能力の裏付けとはみなせない

新聞やニュースをみれば明らかなように、日本の企業社会においては、会社や会社経営者をめぐるさまざまなトラブルは常にどこかで発生しており、これらが絶えてなくなることはありません。

本稿から6稿の連載で、
「取締役の悲劇」
と題し、会社や会社経営者をめぐるさまざまなトラブルが恒常的に発生する原因について、いつものように、私なりの偏見と決めつけに満ちた雑感を述べてみたいと思います。

さて、一般的に、日本社会において
「ステータス」
といわれるものを有している人種については、
当該「ステータス」
といわれるものを獲得する過程で、一定の厳しい条件を達成あるいはクリアすることが要求されます。

たとえば、
「医者」というステータス
を獲得するためには大学医学部を卒業して医師国家試験に合格することが必要ですし、
「弁護士」というステータス
をもつためにはロースクールを卒業するか予備試験に合格した上で司法試験及び考試(司法研修所卒業試験。通常「二回試験」)に合格することが必要になります。

政治家になるには選挙という通過儀礼を経由することが必須ですし、大学教授や博士になるには論文や学術上の実績が必要になります。

教員には教員試験、公務員になるには公務員試験の合格がそれぞれ必要になります。

以上みてきた
「ステータス」保持者
は、各試験や通過儀礼を経由する過程でそれなりの時間とエネルギーとコストを費やすことを余儀なくされます。

そして、その
「ステータス」取得プロセス
での艱難辛苦を通じて、自分が目指すべきキャリアのことを真剣に考えさせられ、また当該キャリアを手にした後のビジョンをいろいろと描くこととなります。

憧れのキャリアを手に入れる過程で、悩み、苦しみ、考えたせいか、
「キャリアを手にしたものの、どうしたらいいかわからず、途方に暮れる」
というような人間は基本的にいないように思われます。

しかしながら、
日本社会における社会的「ステータス」
の中でも、取締役(代表取締役であるいわゆる「社長さん」を含む)と言われる方々は、以上みてきた方々とはかなり事情が違うようです。

「取締役」というステータス
を取得するためには、試験とか資格とか能力とか条件とか一切ありません。

病人であろうと、知的水準や社会的常識に問題があろうと、あるいは破産者であろうとOKです。

前科前歴が華麗な、凶悪犯だって
「取締役」
になることができます。

老若男女問わず、誰でも
「取締役」というステータス
を得ることができます。

この
「取締役」というステータス
を手にする上では、お金もそれほどかかりません。

会社法が改正され、資本金が1円でも株式会社の設立が可能となりましたので、登録免許税等の実費を考えなければ、1円だけもっていれば、誰でも
「取締役」
になれるのです。

ゲゲゲの鬼太郎、といっても、昭和時代に放映された第一次テレビアニメ版の主題歌(OPソング)で、
「おばけにゃ、学校も、試験も何にもない」
という著名(といっても昭和生まれにとってですが)な一節がありますが、
取締役も同様であり、
「取締役にゃ、学校も、試験も、資格も、能力も、条件も何にもない」
と言い得る現実が厳然と存在します。

無論、上場企業の取締役になるには、会社で何十年もがんばって働いて認められ、また
「株主総会での選任」
という緊張を強いられる通過儀礼を経由することが必要となりますが、
「学歴・経歴・資格・試験等一切関係なくなれる」
ということには変わりありません。

実際、上場企業において入社半年くらいの暴力団関係者が突然取締役に選任されてしまうことだってありますし、同族系の上場企業においては、経営能力が全くない認知症の疑いのある老人が取締役として選任される例などもあります。

「重役」
とか
「社長」
とかいうと、なんだか非常に高いステータスのように思われていますが、実態をよくわかっている人間がみれば、
「資格試験とか一切なく誰でもなれる」
という点で、一定の知的水準や専門能力の裏付けとはみなされません。

このように
「取締役」
というキャリアがいとも簡単に取得できてしまうせいか、
「キャリアを手にしたものの、どうしたらいいかわからず、途方に暮れる」という方
が多いのも、
「取締役」
というステータスを有する集団の特徴です。

そして、
「試験等一切なく誰でも入れる」
公立の初等教育機関において学級崩壊が起こり、トラブルが多発する(実際、開成や麻布や筑駒では「学級崩壊」が起こった、などという事例は寡聞にして知りません)のと同様、
「試験等一切なく誰でもなれる取締役」
やこのような
「『取締役』が強大な権限を有して動かす会社」
にトラブルが多発することになるのです。

次稿では、さらに分析を深め、取締役や会社をめぐるトラブルが生じる背景に迫ります。

(つづく)

運営管理コード:HPER033

初出:『筆鋒鋭利』No.033、「ポリスマガジン」誌、2010年5月号(2010年5月20日発売)

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

01544_「コンプライアンス」への視点──攻めのリスク管理戦略

相次ぐ企業不祥事のなかで
「コンプライアンス」(法令遵守)
が経営のキーワードになっている。

しかし私が違和感を覚えるのは、
「コンプライアンス経営」が「倫理綱領の策定」と同義となっている点
であり、
「性善説に立ってみんないい子になりましょう、と道徳教育・修身教育をするような、倫理の問題」
だと思っている企業が実に多いことだ。

倫理の問題であれば、何も我々弁護士をはじめとする法律専門家の出番ではない。

極端な話、神父さんや牧師さんを呼んできて説教を聞かせれば済む話だ。

私のアプローチは全く違う。

企業におけるコンプライアンスとは、
「性悪説」
に立脚し、企業内プレーヤー(役員・従業員等)の属人的なモラルに依存することのない、不祥事予防のシステム構築である。経済活動を行う上で、何らかの不祥事は不可避だという前提に立つ。

有能な人の中には、みんなが1取ってくるなかで、7取って4抜いてしまうような、モラルのない人間が少なからずいる。

元気のいいベンチャーや売上が急増している企業など、会社の勢いが増してくると、優秀でかつ善意とは言えない人間が出てくるし、逆にこういうタイプのプレーヤーが企業成長のキーマンとなる。

コンプライアンス経営とは、この
「有能だがモラルのかけらもない人間こそが、企業成長の原動力である」
という前提に立ちつつ、
「そういうプレーヤーが手を染めがちな企業不祥事をいかに少なくするか」
という観点から、合理的に構築された経営体制でなければならない。

そこでは倫理綱領や倫理規定はあまり意味がない。

道徳教育・修身教育は簡単だからどの企業もやろうとするが、だからといって、不祥事はなくならない。

最近某信販会社の総会屋との関わりが話題になったが、当該会社は
「コンプライアンス委員会」
のような一種の道徳・倫理を企業に浸透させるような組織が存在していたものの、全く機能していなかった。

リコール隠しで問題になった某自動車メーカーは、当該事件が発覚する数年前に総会屋との交際が発覚し、
「総懺悔」の上「確実に機能するコンプライアンス体制」なるものを構築した、
と胸を張っていたが、結局「再犯」の形でリコール隠しという別の不祥事が発生した。

結局、この種の
「倫理」的アプローチ
は、利益を極限にまで追及する組織である株式会社には全く無力である。

コンプライアンスが
「法律問題」でなく「倫理・道徳問題」
として考えられている限り、企業体質は永遠に変わらず、同種同類の不祥事が何度も発生し、当該不祥事が個人の問題ではなく企業そのものに内在する問題として捉えられ、どんどん企業価値を損ねることになる。

不祥事を効果的に予防し、企業の永続性を保障するような真のコンプライアンス経営を行いたいのであるなら、
「法的強制力を持つルール」
をつくるべきである。現状では、ほとんどの企業が法的効果を伴わない倫理規程やマニュアル(手順書)を作り、これを配るだけである。

そもそもこれらの法的意義は不明であるし、定期・不定期の教育・研修や監査も行うこともなく、違反の場合の制裁も不明確である。

何か起きても、単に
「マニュアルがあったのですが、この違反がありました」
というだけでは、実効性がない。

無論、この程度のおざなりの対応では担当取締役としては善管注意義務を尽くしたことにはならず、免責もされない。

きちんと法的強制力を持つものをつくることが1点。

2点目に、どんなに倫理教育をしても不祥事は必ず起きるという前提に立てば、会社として必要なものは、
「どんな不祥事が起こっても、予防に最善を尽くした旨きっちり弁解して免責されるような材料」
である。

ルール化されたコンプライアンスプログラムがあり、かつ教育の履歴があり監査もしていたことをドキュメントの形で揃えておく。

そうやって、
「ルールないしマニュアル」

「オペレーション」
の乖離がないこと(あるいは会社として乖離がないように、合理的努力を尽くしていたこと)をいつでも示せるようにしておけば、万一、不祥事が起きたとき、会社としては弁解が容易。

どこまでが会社の責任で、どこからが個人の責任かを言いやすくなる。

3点目は
「有事対策」。

整備された法令遵守体制をかいくぐり、守られるべきルールが特定個人の暴走によって侵された場合の対策を考えておく。

企業を取り巻くステークホルダーは、株主、取引先、顧客、行政、マスコミ、社会一般まで幅広い。

不祥事が発生した場合、想像以上に多角的な対応を求められるが、ただ単に謝ればいいというものではない。

万全のコンプライアンス体制を整備しており、当該不祥事が会社の管理を離れた個人としての責に帰すべきものであれば、その事情をきちんと説明すべきだし、調査中の不確定事項を不用意に口にすると決定事項のように扱われ、後の訴訟戦略や官庁対応において手足を縛られることになる。

その意味では、法務と広報の連携は不可欠である。

とりわけ広報は会社の都合だけでなく社会的視点も含め情報発信すべきだ。

放っておくとどんどん増殖する
「噂話」
を収拾させ、かつ会社として主張すべき事実なり考えを積極的に伝達させるという情報管理もしないといけない。

また調査にしても、方向性もないまま素人判断で探偵もどきの調査を長時間かけてやることは無意味だ。

専門家の協力を得て、法務戦略あるいは広報戦略を策定する上で求められる調査のゴールと範囲を決めてから、当該目的達成に必要最小限かつ合理的な調査を短時間で遂行していかなければならない。

国家レベルで有事立法がいまだ成立をみないように、日本は何につけても有事のシステムづくりは下手くその極みである。

企業経営でも、有事対策を効果的・組織的に整備している日本企業はほとんどない。

こういう状況があるから、
「不祥事が起きてもまともに対応できない」
という形で危機管理無能力が露呈し、当初の不祥事に加えて二次トラブルが発生し、企業価値はさらなる低下を余儀なくされる。

実際、腐ったミルクを販売したことに加え、社長が
「俺も寝ていないんだ」
などと逆ギレして当該不祥事対応能力の欠落をも曝け出し、
「不祥事の発生」+「危機管理能力の欠如」
という二段階で企業価値を下げてしまった企業も記憶に新しい。

日本企業のリスク認識・リスク管理の甘さは今に始まったことではない。

今まで日本は終身雇用制をとっていたので、会社と個人は
「一体感のあるインフォーマルな村社会的関係」
であったし、遵法経営の中身も、
「法三章」

「モーゼの十戒」程度
の簡単な倫理綱領でも良かった。

しかし、雇用が流動化して、企業組織内において牧歌的な村社会が消滅した状況では、社内ルールの構築のあり方も、もっとドライな雇用関係を前提としたものでなければならない。

それを怠ってきたツケが、昨今の不祥事の多さに現れている。しかも90年代の不祥事は総会屋絡み、いわば株主を騙すことだったが、今の不祥事は消費者を騙すという危機的状況にある。

貧すれば鈍す。

「不況下で生き残るには、多少のルール違反はやむを得ない」
という雰囲気もあるが、それだからこそ、遵法経営は生き残りにとって不可欠となる。

今こそ不祥事は不可避だという前提で、法的強制力を持つルールにより不祥事を予防することが必要である。

さらに、仮に不祥事が起きても、
「対岸の火事」
といって済まされるように
「企業の不祥事予防のための合理的努力の痕跡」
を明確に示せるような体制整備を平時から整備する必要がある。

もちろんすぐに完璧なものをつくるのは難しい。

グローバル企業が確立しているようなハイレベルのコンプライアンス体制をいきなり構築せよというのは、偏差値40の人にいきなり東大に入れというようなものであり、徐々に進めていかなければならない。

Step1として、法務は経営の重要ファクターという認識を持つ。

顧問弁護士などもを事後処理でなく予防で使うよう発想を変える。

基本的にビジネスパーソンはうまくいっているシナリオを考えがちだけが、むしろリスクシミュレーションが重要であり、この発想を企業活動のあらゆる側面に浸透させる必要がある。

Step2は予防のためのルール作りである。

これはルールの保護法益たる
「リスクの発見・特定」
から始める。

会社経営で修羅場をくぐっていれば、誰しも危ない経験を持っている。

そういう
「負の遺産」
を検証・蓄積することで、会社固有のリスクを発見し、特定し、具体化する。

発見されず、特定されず、具体化されないリスクを机の上で抽象的に議論しても何も始まらない。

逆に、発見され、特定され、具体化されたリスクはもはやリスクではない。

最悪、
「ベネフィットをはるかに上回るリスク」
が発見され、特定され、具体化されたら、ビジネスモデルを大幅に変更するか、最悪、その営み自体をやめてしまえばいいのだから。

アメリカで独禁法に違反するような
「日本のムラ社会で美徳されるような協調的なビジネス」
をやるのは、リスクが見えていないか、軽く、甘く、抽象的にみているからである。

逆に、アメリカで独禁法違反を犯した場合に、
「捜査がはじまり、関係役職員が片っ端から逮捕され、実刑をくらって収監される」
という具体的なリスクが発見され、特定されていれば、
「日本のムラ社会で美徳されるような協調的なビジネス」
をベースにしたビジネスモデルを根源的に変更するか、ビジネスをサスペンドすればいいだけである。

リスクの発見・特定作業については、業界によって規制が違うので、そういったものも検証しながらリスクを特定する。

そのうえで、
「リスクの顕在化を防ぐ」
ということを保護法益として、ルール作りを行っていき、また作ったルールも法改正や他社の不祥事の事例を取り込んで不断にチューンアップしていかなくてはいけない。

企業経営においては、リスクとチャンスは表裏一体。コンプライアンスというと経営のブレーキになる印象があるが、必ずしもそうとはいえない。

リスクを恐れて何もしないのではなく、避けるべきリスクをきちんと避け、避けなくてもいいリスクに潜むビジネスチャンスを確実にモノにする。

このように前向きにかつ戦略的にリスクとつきあう経営手法が現に存在するし、実際グローバル企業などはそのような手法を採用して成功している。

無論、何から何まで海外の事例を真似する必要はないが、日本企業も多いに参考にすべき点があるはずであり、こういう経営スタイルを日本流にアレンジして取り込んでいけば、日本企業ももっともっと活力を取り戻すと思われる。

日本企業がリスクに果敢に挑み、戦略的に、賢く、コンプライアンス経営を展開することを期待したい。

以上

2020年12月2日・「Insight」第23号にて掲載

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

01543_Hearsayとは

Hearsayとは伝聞証拠のことを指します。

伝聞証拠は、又聞きにすぎないものですから、本当にそういう発言が原供述者によってなされたかどうか確かめることができないため、アメリカの証拠法上の原則として 証拠として採用がされません(伝聞法則あるいは伝聞証拠排除則。日本の刑事訴訟法でも同様の原則が採用されています)。

しかしながら、証拠とする必要性が高い一方で原供述者が死亡しているなど供述不能(Unavailability)という場合には、証拠とすることを例外的に認られますが、これを
「伝聞例外」
といいます。

運営管理コード:DDDS01E03

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所