税務署の査察が入る―このひとことで、経営者に走る緊張感は、相当なものです。
しかも、調査の結果、告発・起訴されて有罪判決が確定すると、たとえ罰金刑であっても
「前科」
がつくことになります。
それは、経営者にとっては社会的な信用を一気に失いかねない、極めて重い結果を意味します。
では、どれほどの金額を脱税すれば、査察が動くのでしょうか。
実は、査察において告発された事案の脱税額は、毎年ほぼ1億2000万円〜1億3500万円。
告発されなかったケースでも平均は5300万円というデータがあります(*)。
そう聞くと、
「5000万円以下の金額なら対象にならないのでは」
と思う方もいるかもしれません。
しかし、必ずしもそうとは限りません。
実際、4000万円前後の所得隠しであっても査察が入るケースはあります。
動員人数や調査対象期間などから見ると規模は小さめかもしれませんが、それでも調査に着手しているという事実は、国税側が相応の準備と判断をもって動いている証拠です。
つまり、査察が動くかどうかは、単純な金額だけでは決まらないのです。
国税が重視しているのは、
「悪質性」
です。
たとえ脱税額が比較的小さくても、
「それがどういう意図で、どういう手段で、どんな背景で」
行われたのか。
そこに
「明確な悪意」
や
「意図的な隠蔽」
があったと判断されれば、告発の対象になり得ます。
そして、いったん告発された場合には、その後の対応によって結果が大きく変わる可能性があります。
査察対応においては、悪質性を否定するための説明が重要になります。
たとえば、
「うっかり処理を間違えた」
「法的な理解が甘かった」
「被害者的な立場だった」
「周囲に強く勧められて断れなかった」
といったストーリーを、具体的な事実に基づいて構築していくことが考えられます。
もちろん、それらは単なる言い訳として扱われてしまう可能性もあります。
だからこそ、言い方や出し方が問われるのです。
ここで重要になるのが、
「妄想」
に振り回されないことです。
実際の調査の現場では、いったん
「悪意がある」
というストーリーが立ち上がると、その印象がどんどん膨らみ、本人の意図を超えて解釈されてしまうことがあります。
これは、警察実務の話になりますが、たとえば、ある人物が、出来心で下着を1枚盗んだとします。
ところが、その地域で連続して発生していた下着泥棒の犯人像に“なんとなく”当てはまってしまうと、警察の側としては
「全部まとめて解決できるなら、それでよし」
と判断してしまうこともある。
その結果、やっていないことまで背負わされ、
「一連の犯人」
として扱われてしまう……という展開は、警察実務でも実際に見られることがあります。
だからこそ、
「盗んだのは1枚だけ。それ以外はやっていない。物理的にも不可能だ」
と、事実を最初の段階で大きな声で主張しておくことが極めて重要となります。
黙っていれば、あれもこれもと誤解され、話が大きく膨らんでしまうのは否めないのです。
そして、その構図は、査察の現場でも同じように起こり得ます。
一度広がった妄想は、それを打ち消すよりも、むしろ現実の方をそれに合わせてしまおうとする力を持っています。
ある法人に対する査察では、期末に計上された未収売上が
「操作された数字ではないか」
と指摘されたことがありました。
実際には、請求書の発送が月をまたいだだけで、売上の計上自体には問題はありませんでした。
しかし、調査官の中で
「これは意図的なズラしだ」
という印象が一度根付いてしまうと、その後の会話や資料の提出すべてが、すでに
「操作ありき」
の前提で進んでいくのです。
結果的に、帳簿のちょっとした記載ミスや、経理担当者の言い回しのあいまいさまでもが、
「隠している証拠」
として扱われかねない状況になりました。
事実を丁寧に説明し、タイミングのズレが意図的ではないことを立証していく作業は、非常に根気がいるものでした。
印象や思い込みが一度固まると、それをひっくり返すためには、事実以上の“物語”が必要になる・・・そう実感させられる場面でした。
査察対応の本質は、金額の多い少ないではありません。
問われるのは、
「悪意があったのかどうか」。
そして、それをどう伝えるのか、どう表現しきるのか。
まさにここで、
「ミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化」
の力が問われるのです。
本当に見られているのは、数字の裏にある――経営に対するスタンスや哲学なのかもしれません。
*【出典】国税庁「令和5年度
査察の概要」
https://www.nta.go.jp/information/release/kokuzeicho/2024/sasatsu/r05_sasatsu.pdf
*【参考資料】国税庁「平成24年度
査察白書(査察の概要)」
※PDF: https://www.nta.go.jp/information/release/kokuzeicho/2013/sasatsu/pdf/01.pdf(6ページに記載)
告発されなかった査察事案の平均脱税額は、同資料によれば約5300万円とされています。
※なお、この数値は現時点で国税庁が最新として公表しているものではなく、実務上の目安として用いられることがある参考値です。
※実務上は、査察における告発・非告発の線引きについて、個別事情や悪質性の有無による総合判断が行われるため、脱税額の多寡のみでは一概に語れません。記事中の数値は、過去の国税庁資料に基づく参考値としてご理解ください。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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