02201_弁護士と「ハサミ」は使いよう_経営者のためのリスク管理三原則

想定外、では済まされない

想定外が起きたとき、人間の本性、そしてプロフェッショナルの本質が露わになるものです。

とくに、法務の現場ではそうです。

「想定していませんでした」
と口にした瞬間、その者がプロかどうか、正体がはっきりと見えてしまうのです。

ある企業に対して、司法当局から要求が突きつけられたときのことです。

顧問弁護士チームの対応に、社長は激怒しました。

彼らは、
「想定外です」
「具体的な影響はわかりません」
「でも、大事になると困るので、丸く収めた方がいいんじゃないですか。とにかく、無難なところで手を打ちましょう」
という言葉で、その場をごまかそうとしたのです。

しかしこれは、もはやお茶を濁すどころか、泥水を差し出したレベルの対応でした。

顧問弁護士チームは、
「状況把握も分析も評価もしていないけれど、なんとなくヤバそうだから、適当に対処して逃げよう」
という、プロの仮面をかぶった
「戦略的敗北主義」
そのものを晒したのです。

事なかれ主義などという生ぬるい言葉で片付けられることではありません。

彼らは、
「リスクの予見・構造化・定量化」
というプロの三原則を、あえて、積極的に放棄したのです。

その上で
「今回は従っておいた方がいいのでは」
とクライアントに逃げ道を提案する。

これは最悪の法務戦略であり、着手金をもらっての
「敗北宣言」
に他なりません。

社長の怒りは当然です。

要するに、彼らの対応は、もはや法務でも、リスク管理でも、プロフェッショナルでもなく、ただの
「やってる感」
の演出であり、カネのためにそれっぽく動いていただけなのです。

リスク管理の核心──3つのチェックポイント

経営者が弁護士チームを評価するとき、必ずチェックすべき視点があります。

それが、リスク管理に欠かせない
「3つの行動原則」
です。

(1)予測の目があるか──“想定できなかった”は失格

事が起きてから反応するのでは遅すぎます。

リスク管理において、最初の仕事は
「リスクの予兆を察知すること」。

事前にリスクを発見し、想定することができなければ、対応も戦略も始まりません。

「今回は想定外でした」
などと平然と言う者に、会社の命運を預けてはいけません。

プロには、予見の義務があるからです。

たとえるなら──
軍隊で歩哨が寝ていて、敵の接近を見落とし、いざ侵入されたあとで
「気づきませんでした」
と言い訳しているようなもの。

これは、下手をすれば銃殺されても文句の言えないレベルの懈怠です。

(2)脅威を構造化できるか──“怖い”だけでは戦えない

次に問うべきは、
「その不安、具体的にどう説明できますか?」
ということです。

相手が強い。
怖い。
動きが読めない。
──それ自体は構いません。

しかし、それを言いっぱなしで終わるなら、それはただの主観であり、思考の放棄です。

たとえば
「司法当局が怖い」
とだけ言って、その行動の根拠も範囲も整理せず、
「だから、従うしかない」
と言う。

これは、落語の
「饅頭怖い」
と同じです。

「とにかく大変なことになる」
と言いながら、何がどう大変なのかは説明できない。

法律のプロなら、相手方が取りうる手段を法的に分解し、その範囲や限界、手続き、発動条件を構造化するべきです。

それによって、リスクが
「戦えるカタチ」
になる。

形にならない恐怖とは戦えません。

ただの影と戦っているようなものです。

(3)リスクの定量化ができているか──“どのくらい”に答えられない者はプロではない

最後に、忘れてはならないのが、
「いくら失うのか」
「いくらかけるのか」
の算定です。

つまり、定量化と費用対効果(ROI)の判断。

「怖い」
「ヤバい」
と連呼しても、経営判断の材料にはなりません。

経営者が問うべきは、
「で、どのくらい損するのか?」
です。

それに答えられないなら、話になりません。

たとえば、
・行政当局が発動しうる措置(課徴金・業務停止命令など)を列挙し、その発動の蓋然性や発動手続きの難易度まで想定する。
・さらに、それが発生した場合の損失額を想定し、対策にかけるコストとのバランスを判断する。
──それがプロの仕事です。

医者でいえば、
「死ぬかもしれません」
とだけ言って、病名も治療法も告げないようなもの。

それはプロの態度ではありません。

「従うしかない」は、プロの敗北宣言

本ケースにおいて、弁護士チームのいちばん深刻な問題は、
「もう従うしかないんじゃないか」
という発言でした。

これは、事実上の敗北宣言です。

税務調査にたとえるなら、
「税務官が怖いので、すべて言いなりになりましょう」
と言う税理士と同じです。

本当に頼れる税理士であれば、指摘事項を精査し、金額を見積もり、争うべき点は争い、リスクの全体像を見せてくれます。

法務のプロも同じ。

「怖いから従いましょう」
というのは、プロとして最悪の態度です。

弁護士はハサミ──使う者の責任を忘れるな

ここまで述べたように、プロのフリをして、実際は
「従っておけばいい」
「大事(おおごと)にしないように」
という逃げの姿勢しか取らない者は、もはや味方ではありません。

彼らが敬意を払っているのは、あなたの人格ではなく、あなたの財布です。

経営者にとって重要なのは、
「自分のために働く人間」

「金のために働く人間」
を見抜くことです。

弁護士はハサミのようなものです。

どれだけ立派でも、握って使わなければ切れません。

逆に、正しく使えば、相手の脅しも、官庁の要求もバッサリ斬れます。

孤独なリーダーを支える「感覚」を組織に根づかせよ

こうした“やってる感”だけの弁護士チームを前にしても、最終判断を下さねばならないのは、経営者であるあなただけです。

ただ、せめてその判断を支える味方が、社内にも必要です。

「この弁護士は戦えるか」
「この提案に戦略はあるか」
そうした視点を、社内のキーパーソンにも共有しておくべきです。

お金を払っているのだから任せて安心、ではありません。

お金を払っているからこそ、使いこなす意識が必要なのです。

繰り返しますが、それは、リーダー1人ではできません。

組織として共有しなければ、また同じ過ちを繰り返します。

まとめ──リスク管理を任せるべき「プロ」の条件

あなたが払ったカネに見合う働きをしているか──その基準が、ここにあります。

プロを名乗る者に、あなたが問うべき3つのポイントです。

(1)想定できているか?(=予見の義務)
(2)脅威を具体的に構造化できているか?(=戦術の設計)
(3)対応のROIを定量化して示せるか?(=費用対効果の原則)

この3つがない者は、プロではありません。

「怖い」
「ヤバい」
「従いましょう」
と言っているだけの者に、会社の未来を預けるのは、経営としての敗北を意味します。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02200_勝てる経営者は知っている!企業法務における「天の時・地の利・人の和・兵糧」4つの鉄則

勝てる経営者だけが知っている企業法務の真実

企業法務の現場は、甘くありません。

法廷での争いにしろ、合意形成にしろ、契約交渉にしろ、それらはすべて
「戦い」
と言って差し支えない、濃密で過酷な局面の連続です。

「どうすれば勝てるか?」
――知る人ぞ知る戦い方、勝てる経営者は当たり前のように実践している、生々しく残酷なまでの真実をお伝えします。

フワフワした理想論や、学術的な正しさ――そんなものは戦場では一切役に立ちません。

「天の時、地の利、人の和、そして兵糧」

これは、兵法の世界で語られる常識であり、同時に、クライアントに問うべき4つの覚悟でもあります。

天の時――ハンコを押した後では、もう“負け”が始まっている

経営者のなかには、
「とりあえずハンコを押してから考える」
タイプの方がいます。

ビジネスのスピードを優先するあまり、調査(DD)を端折り、関係者や部下の報告を鵜吞みにして契約に突っ込むことを厭いません。

むしろ、
「弁護士はビジネススピードをわかっていない」
と、得意げにおっしゃる。

トラブルが起こっても、
「まだ致命的ではない」
と、悠長なことをおっしゃる。

結果、
「サインしてしまったけど、これって大丈夫ですか?」
という相談になるのです。

調査(DD)を割愛したり、
「大丈夫です!」
という根拠のない言葉を鵜吞みにしたりした時点で、負け戦は始まっているのです。

兵法の世界でいえば、その時点で、すでに
「天の時」
を逸しているのです。

要するに、(企業法務においては)後手に回っている、ということです。

もっと言えば、軽々しくハンコを押した時点で、もう遅いのです。

まずは、この現実を受け入れなければ、始まりません。

とはいえ、絶望する必要はありません。

その甘い尻を叩くのが弁護士の仕事です。

訴訟前に交渉フェーズがある、というのは事実です。

これは、
「まだ巻き返しが間に合うライン」
があるということです。

ただし、それには条件があります。

あなたが、状況を
「危機」
として認識し、
「今ならまだギリ間に合う」
という
「時間の鮮度」
を理解し、即座にシリアスな対応を取る
「覚悟」
があるか、ということです。

戦いの“構え”ともいうべきものです。

ここで“構え”を間違えると、次の一手が
「敗戦処理」
になるだけです。

地の利――契約書は“盾”になり、“穴”にもなる

多くの経営者は
「契約書にサインさえもらえれば勝ち」
あるいは
「サインしてしまったら負け」
という牧歌的な幻想を抱いています。

残念ながら、どちらも現実を知らなすぎます。

契約書とは、たしかに戦いのための
「装備」
です。

しかし、それは
「完全な勝利の証」
でもなければ、
「取り返しのつかない失敗」
でもありません。

どこかに必ず
「穴」
があります。

完璧な契約など、この世に存在しないからです。

逆に言えば、その
「穴」
を突けば、形勢をひっくり返せる(あるいは、ひっくり返される)可能性すらあるのです。

たとえば、
・契約条項の曖昧な言い回し
・立証責任の所在
・実務運用との乖離
このような
「解釈の揺れ」
は、修羅場を潜り抜けたプロの目から見れば、すぐにわかります。

問題は、あなたがこの事実を知っているか。

そして、契約書の読み込みやリスク分析を、“丸投げ”で済ませていないか、ということです。

戦場では、武器の使い方を知らない者から、まず死にます。

人の和――カネとリスペクトをケチれば、人は必ず裏切る

「人の和」
とは、命がけで共に戦ってくれる“戦友”が、あなたのそばにいるかどうか、です。

一人で戦える場面など、現実にはほとんどありません。

契約に
「穴」
があっても、それを突くには、技術とタイミング、そして人が必要です。

社内のキーマン、調査(DD)に長けたプロフェッショナル、そして攻撃(あるいは防御)に強い弁護士等、
「関係者の協力」
なくしては、戦えません。

ところが、残念ながら、法務の戦いにおいて、
「人の和」
は、最も過小評価されている要素です。

さて、ここからが
「カネと覚悟」
の話です。

現場がバラバラ、決裁者が動かない状況では、プロがどんな戦術を考えても、机上の空論で終わります。

そして、最も重要なこと。

あなたには、彼らを動かす
「リスペクト」

「感謝力」
がありますか?

要するに、その協力者への
「対価とリスペクト」
を惜しまない、人間的な
「感謝力」
が、あなたにあるか、ということです。

口では
「頼りにしてます」
と言いながら、金は出さない、報酬はケチる、感謝の言葉もない――そういう経営者は、例外なく人が離れます。

「人の和」
が崩れると、戦いは崩壊します。

あなたが本当に勝ちたいのなら、
「人の和」
を、戦略資源として扱う覚悟が必要です。

兵糧――「金をケチる者」が戦場で死ぬ

「兵糧」
この言葉が刺さらないなら、あなたは戦うべきではありません。

「シリアスな状況」
は、
「シリアスな予算」
と同義です。

「金をケチる者は、必ず負ける」
これは真理です。

法務の現場で勝ち筋をつくるには、
・弁護士の投入
・外部調査会社の活用
・財務・会計・業界の専門家との連携
など、さまざまな兵站(ロジスティクス)が必要です。

兵站(ロジスティクス)なくして戦争はできません。

それを
「費用が高いから」
と渋れば、どうなるか?

その瞬間、戦力は半減し、勝てるはずの戦をも自滅に導きます。

しかも、金をケチる人に限って、
「成果を出せ」
と言う。

「金は出せないけど、勝ってください」
と(言葉はとても丁寧です)。

それは、
「無料で命を懸けろ」
と言っているようなもので、品性の欠片もない、下品な要求です。

最大の敗因は、「人の和」と「兵糧」が一緒に崩れるとき

戦いに敗れるクライアントの共通点は、2つです。
・「カネをケチる」こと
・専門家に対する「リスペクトが著しく欠如している」こと

繰り返しますが、弁護士や専門家は、カネとリスペクトで動きます。

この2つが欠けた瞬間、専門家のモチベーションは落ち、情報共有は鈍り、現場は混乱します。

「費用は抑えたいが、世界一の成果を出せ」?
「協力者は欲しいが、報酬は出せない」?

これらの言葉は、
「人の和の崩壊」
を意味します。

勝てる戦も、なすすべなく負ける。

敗戦企業の典型パターンです。

あなたは、勝てる経営者になる覚悟が、本当にあるのか。

その分水嶺は、
「どこに金を出すか」
「誰に頭を下げるか」
に如実に表れます。

正論より、構え――あなたはもう“戦地”にいる

「これは簡単に解決できる」
と思っている時点で、アウトです。

現実には、和解、交渉、訴訟、撤退――あらゆる選択肢について、
「金はいくらかかるか」
「誰が動くのか」
「時間はどれだけあるか」
と、現実的なアクションプランに落とし込まなければ、絵に描いた餅になります。

それは、ただ契約書を読むだけの人間には、できません。

緻密なロジックだけでなく、汚い現実と人間の欲望を知ってこそ、法務での戦いは機能します。

それには、泥をかぶり、修羅場をくぐったプロフェッショナルの目と手が必要です。

しかし、そのプロたちも、あなたの“構え”がブレていれば力を発揮できない、ということなのです。

戦う前に、あなたの“構え”は、できていますか?

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02199_弁護士への報酬値引き交渉で信頼を失う企業の末路_プロが引く「信頼の損切り」ライン

企業が弁護士に求めるものは、危機の局面で実直に動いてくれる“プロフェッショナル”との信頼関係でしょう。

ところが、ときに、その信頼関係を自ら破壊してしまう企業は少なくありません。

今回は、教科書には載らない、しかし企業にとっては死活的に重要な
「契約と信頼のリアル」
について、実例をお話ししましょう。

信頼の上に成り立つ「特別扱い」

かつて、私(以下、弁護士)は、ある企業と、数年来の法律顧問契約を結んでいました。

クライアント企業の訴訟対応を受任し、第一審で成果を出し、第二審では不利な状況下で全力を尽くしました。

報酬は当然、契約に明記されており、クライアント企業には全額の支払義務が発生している状況でした。

言葉をかえせば、弁護士側は、約定どおりの報酬を全額請求できる立場にあったのです。

請求する段になって、弁護士は、
「今後も信頼関係が継続する」
との前提で、本来の請求可能な金額を下げた“好意的な精算案”を提示しました。

これは、一種の
「優しさ(恩恵)」
であり、
「将来のビジネスを見越した投資」
だったわけです。

しかし、クライアント企業はこの
「優しさ(恩恵)」
を拒否しました。

「ご提示額については再検討させていただきたい」
と言いながら、報酬交渉を長引かせ、さらに
「応じていただけないなら、辞任やむなし」
「顧問契約解除」
をちらつかせたのです。

要するに、値引き交渉のフリをしながら、
「契約打ち切り」
という事実上の脅しをかけてきたのです。

「信頼前提」の好意は、一度きり

弁護士は、そもそも“信頼関係がある”という前提で値下げ提案をしていたのです。

企業側がその前提を自ら蹴り飛ばした以上、報酬
「ディスカウント」
の話は打ち切りです。

状況を緊迫させたのが、上告という
「時間との闘い」
でした。

弁護士側からすれば、報酬精算がはっきりしない状況では、上告理由書という
「時間との闘いのなか、時間を食う、頭のいる仕事」
に着手できるはずもありません。

そこで、弁護士はいたしかたなく、明確なデッドラインを設定しました。

にもかかわらず、クライアント企業は、のらりくらりと値下げ交渉を続けます。

信頼を失った者に、プロは付き合わない

「信頼関係の崩壊」
に対して、結局、弁護士はクライアント企業に対し、
「『契約を破ってまで値切る』という態度を貫くのですね? では、こちらとしては『辞任と満額請求』でいかざるを得ません」
と、宣戦布告を伝えるしかありませんでした。

・特別な報酬案は撤回し、契約どおり満額請求
・顧問契約はご要望どおり終了
・上告は、信頼関係がないため受任を拝辞する
・訴訟資料の整理や引継ぎには、別途人件費・実費を申し受ける

これは、腹いせでも報復でもありません。

最も合理的な対処です。

信頼がない以上、下手に継続すると、双方にとって不幸が待っているだけですから。

この結果、クライアント企業は、
「契約どおりの満額支払い」

「上告代理人辞任」
という、最悪のセットを、自ら手に入れる羽目になりました。

上告の期限が刻一刻と迫るなか、新たな弁護士に高い着手金を支払って訴訟の戦略を一から再設計しなければならなくなったのは、言うまでもありません。

“値引き交渉”の末路

クライアント企業は、自分たちの
「優位性」
をちらつかせた
「値引き交渉」
の延長戦をやろうとしたのでしょうが、弁護士から見れば、
「信頼を失った相手に、これ以上のおまけをする義理はない」
という話に尽きるのです。

顧問先が蹴ったのは、
「ディスカウント」
ではありません。

「信頼関係」
そのものでした。

その代償として、彼らは現実を突きつけられたのです。

契約と信頼は、ワンセット

この実例から学べる、実務家が心に刻むべき3つの教訓をまとめます。

1) 信頼が消えれば、特典も消える

弁護士が提供する「有利な提案」は、単なる善意ではなく、「将来の信頼関係」という極めて現実的な前提の上に成り立っています。
その前提が崩れれば、特典は即座に消滅します。
ディスカウントは、信頼という「見えない対価」の代償なのです。

2) “ごね得”は通用しない

信頼関係を失えば、弁護士は躊躇なく「約定どおり」を盾に満額請求します。
これは彼らの権利です。
企業法務の実務において、「ごね得」は許されません。
最悪、「弁護士会での紛議調停を経て、最終的には支払いを求めて訴訟」という泥沼に引きずり込まれることになります。

3) 値引き交渉のつもりが、信頼切り捨て

危機対応後の弁護士に対して、契約解除をちらつかせて報酬交渉を長引かせる行為は、「優良顧客」というタグを自ら引き剥がしたことになります。
その瞬間から、クライアント企業は「特別扱い」の対象外となるのです。

プロと結ぶ、もうひとつの契約

プロフェッショナルは、原則、
「信用」
では動きません。

動くのは、
「信頼」
があるときだけです。

・実際に支払う
・約束の期日を守る
・相手の時間を尊重する
・依頼者としての礼節を持つ

こうした具体的な行動の積み重ねがあってはじめて、プロフェッショナルは
「この会社のためなら動こう」
と思うわけです。

「信頼関係」
は、契約書には書かれていない、互いに譲歩し合うための余白です。

同時に、それは緊急時に助けてもらえる保険でもあります。

安っぽい値引き交渉で
「信頼関係」
という最大の資産を食い潰している企業は、目も当てられません。

このことに自覚のない経営層や法務部員がいるようでは、言わずもがなです。

逆に言えば、信頼関係さえ築けていれば、プロフェッショナルは驚くほど柔軟に、こちらの事情をくんでくれるでしょう。

「契約どおり」
にしか動かないプロは、
「信頼」
という裏契約を結んでいないだけです。

貴社は、自社のプロフェッショナルと
「裏契約」
を結べていますか?

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02198_企業法務ケーススタディ:企業法務ケーススタディ:要件定義書を契約当日提示するベンダーと組むべきか?_ITプロジェクト炎上はここから始まる

<事例/質問>

あるITベンダーとの交渉がうまくすすみません。

当方が
「そちらから商品を買いたい。ただ、我が社で使えるかどうかわからないので、スペックや詳細の説明書(=要件定義書)を見せてほしい。見ないままでは、お金を払えない」
と極めて常識的な要求をしているにも関わらず、ベンダーはこう返してくるのです。

ベンダー「スペックも説明書は用意できたし、確認もした。たぶん使える」

当方「たぶんじゃ困る。ちゃんとどんなものなのか確認しないと、買ってから使えなかったら大問題だ」

ベンダー「それは、買ってからじゃないと、つまり契約・入金する前には、見せられない」

・・・こんな調子です。

ほかにも、懸念があります。

うちの社長は、7月1日から本格運用開始をイメージしているのに、ベンダーの最短スケジュールでは、5月1日に開発開始で、 開発には最低3ヶ月必要だから納品は7月末と。

会長のイメージとベンダーの提示する納期には、1ヶ月のズレがあるんです。

そして、肝心の
「要件定義書」
の確認は、契約締結日の4月30日にベンダーが持参し、その場で確認・押印するという、炎上確定のスケジュールです。

ベンダーは、ぎりぎりまで値引きに応じた代償として、スケジュールでは譲歩できないと強硬姿勢です。

ITプロジェクトの交渉とは、このようなものなのでしょうか?

<鐵丸先生の回答/コメント/助言/指南>

法務がヘラヘラと
「どうしましょうか」
などと悩んでいる時点で、もう負け戦は確定しています。

なぜなら、これは
「価格交渉」
でも
「納期調整」
でもなく、貴社の経営ジャッジと知性を試す、究極のリスク選択だからです。

要件定義書とは、単なる
「資料」
ではありません。

それは、
「納品されるべき商品そのものの設計図であり、発注者である貴社の意思を反映した、この契約の魂」
です。

この
「魂」
を見ずに契約書に判を押す行為は、白紙の小切手に金額を書き込ませるようなものです。

【悪魔の推論】ベンダーの強硬姿勢が示す「火の車」状態

「金を払ったら見せる」
という常識外れな交渉姿勢、そして契約当日まで要件定義書を見せないというのは、ITプロジェクトが高確率で炎上し、最終的に頓挫するために組まれた、悪魔的なスケジュールと言えましょう。

あるいは、ベンダー内部の火の車状態を隠蔽するための、稚拙なブラフである可能性が高い、と推論します。

仮説1: ベンダーは、貴社の要件に適合した要件定義書を、期日までに用意できていない。

仮説2: 用意はしたが、あまりに杜撰な内容で「とても契約前に見せられるレベルではない」とベンダー内部で判断している。

だからこそ、情報開示を拒否し、値引きをエサにスケジュールで譲歩を求めないという、典型的な
「逃げの手」
を打っていると言えましょう。

「確認」ではなく、「追認」を求められているだけ

要件定義書は、契約前に貴社が内容を深く検討し、社内の全部署(法務、経理、営業、ⅠT部門)が横断的に承認すべき、最も重要な成果物です。

それを
「契約締結の当日」
に、しかも
「押印時に提示」
などと言うベンダーは、貴社に
「確認」
ではなく、
「追認」
を求めているだけです。

そして、判を押した貴社は、納品直前の7月になって
「こんなものは使えない!」
と騒いでも、手遅れです。

ベンダーは
「4月30日に確認・押印されています」
と言い放ち、貴社の責任にして逃げ切るでしょう。

要するに、これは
「契約書の条文解釈」
ではなく、
「経営判断と戦略選択」
の話だということです。

対応の選択肢としては、以下のとおりです。

1)こんなわけのわからない連中とは契約しない(撤退)
2)要件定義書を見るのにいくらか支払い、その内容次第で本契約を考える(手付金)
3)言われるがままの条件で契約する(丸呑み)

繰り返しますが、これは法律問題というより、経営ジャッジの問題であり、思考整理の問題です。

何を選ぶかは、契約相手の信頼性や市場優位性、あるいはそのプロジェクトの重要性によって変わってきます。

法律的な
「正解」
はありません。

あるのは、御社の状況に照らした、最適な選択肢だけです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02197_「コンプライアンスは万全」?!_監査役弁護士が“盾”になるという幻想

多くの経営者は、著名な法律事務所から弁護士を監査役として招き入れさえすれば、安心できるという甘い常識を持っています。

「金融機関にも『コンプライアンス体制は万全』と説明できる」
「いざというときは、彼らが盾となって最前線で守ってくれるだろう」

弁護士が
「会社を守る盾」
になってくれると信じているからです。

しかし、実は、その
「盾」
は極めて脆いという真実を、あなたは知っていますか?

その弁護士が、あなたの味方でいてくれる保証など、どこにもありません。

企業不正が起きたとき、最も鋭く責任を追及されるのは、
「不正を止められたはずの立場だったのに、止めなかった人」
すなわち、見張る側の人間が見逃したときの責任なのです。

「コンプラの盾」が崩壊する決定的な瞬間

あるケースでは、粉飾に関与した社長本人だけでなく、監査役、顧問弁護士、そしてその法律事務所にまで、強い疑義の目が向けられました。

銀行は、
「社長本人に会うには弁護士の同席が必要だ」
と主張する顧問弁護士に対して、
「ふざけたことを言うんじゃない」
と激怒。

さらに、
「監査役である弁護士にも、民事・刑事での責任追及が必要ではないか」
とまで踏み込みました。

・ハンコを握り会社の動きを掌握している顧問弁護士
・粉飾を「見張るべき立場」でありながら黙認している監査役
・その監督不行き届きを問われかねない法律事務所

こうした立場の人間は、銀行が激怒したとたん、最優先事項が
「会社」
から
「自身の弁護士資格(バッジ)と、所属する法律事務所の存続」
へと即座に切り替わります。

要するに、
「盾」
は、彼らの
「自己保身のスイッチ」
が入ることで、一瞬にして機能停止するのです。

(1) 「コンプラ体制」ではなく「懲戒リスク」

監査役弁護士は、会社法第429条に基づく巨額の民事賠償請求と、弁護士会による懲戒処分という
「究極のリスク」
に直面します。

「バッジが飛ぶ」
すなわち弁護士資格を剥奪されるリスクが現実になったとき、監査役弁護士は一瞬で態度を変えます。

(2) 「味方」から「裏切り者」への転換

監査役弁護士は、自らの資格が危うくなった瞬間、
「粉飾を見逃した共犯者」
という疑いを晴らすため、真っ先にあなたを見捨てます。

「私は止めようとした」
「経営陣の独断で、私も被害者だった」
そう語りながら、銀行側の証人に“転身”していくのです。

場合によっては、
「不適切な顧問」
として撤退し、法律事務所としての責任から逃れる動きに出ることもあります。

「法律事務所自体が、粉飾加担協力、粉飾見逃しについて責任があり、賠償請求の被告となってもおかしくない立場だ」
「刑事告訴も辞さない」
という銀行団の攻撃が始まれば、法律事務所はもはや再建支援などしません。

「どうやって自分たちの責任を有耶無耶にするか」
だけが、彼らの最優先になるのです。

防御の起点は「盾」への期待を捨てること

経営者にとっての究極の防御策は、不正に手を染めないことに尽きます。

いかに名のある法律事務所の肩書きであっても、それがあなたの自由を守ってくれるわけではありません。

しかし、もし、あなたがすでにその一線を越えてしまった、あるいは、その責任追及が不可避となったのなら、まず捨てるべきは、
「コンプラの盾」
という幻想です。

外部の
「盾」
に頼るのではなく、あなた自身が銀行団と向き合い、自発的にクリーンな再建体制を提示することです。

あなたが期待する
「コンプラの盾」
は、あなたの不正が発覚した瞬間、自らのキャリアを守るために、あなたに不利な証言をし、あなたの責任を追及する側にいち早く回る、という現実を直視せよ、ということなのです。

本当の「盾」は、あなたを止めてくれる人

監査役。
顧問弁護士。
社外取締役。

彼らがいることで安心できると思うのは、幻想です。

彼らの真の価値は、
「いること」
ではなく、
「何をしたか」
「何を止めたか」
で評価されます。

もし、その人たちが
「中立だから」
「経営判断には深入りしないから」
などと言って、不正の兆候を見て見ぬふりをしたとしたら、最終的な責任は、経営者であるあなた一人にかかってきます。

経営者にとっての
「本当の盾」
とは、
・その場で「これはまずい」と止めてくれる人です。
・「それは違法ではないか」と口にする勇気を持つ人です。
・そして、それを記録に残す覚悟がある人です。

ただ名前を貸してくれる人や、形式的に議事録に名前が載るだけの人、経営に口を出さないと念を押してくる人は、
「盾」
ではありません。

むしろ、最後にあなたを刺してくる
「抜け道のない責任リスク」
そのものです。

だからこそ、あなたが経営者であるなら、
「コンプラは万全」
と思っているその時こそ、自分に問い直してください。

その監査役弁護士は、いざというとき、
「止めてくれる人」
なのか?

それとも、
「自己保身に走る人」
なのか?

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02196_方便は戦術その3(最終回)_「嘘」と読むな、「戦術」と読め_誤読した依頼者に交渉の未来はない

「あの弁護士、嘘をついていないか?」――その疑いこそが危うい

法務の現場で、ある依頼者が言いました。

「最近の弁護士の発言、前と矛盾している気がするんです」
「もしかして、あの人、何か隠していませんか?」

もちろん、疑念を持つこと自体は自由です。

しかし、そこには、依頼者として決定的な認識のズレがあります。

弁護士の“言葉”は、状況に応じて常に変わります。

裁判所に対しても、交渉相手に対しても、そして依頼者自身に対しても。

なぜなら、弁護士は常に、
「誰に、何を、どう伝えるか」
を戦略的に設計しているからです。

この変化を、
「二枚舌だ」
「前と言ってることが違う」
と読み違えることは、“演技”を“裏切り”と誤読しているにすぎません。

弁護士が方便を使うのは、依頼者の目的を達成するための戦術です。

にもかかわらず、それを“嘘”や“裏切り”と受け取った依頼者は、自らの判断を放棄することになります。

判断の責任も、交渉の方向性も、意図せず弁護士に預けたままとなり、結果として、
「自らの目的」
のために弁護士を使うのではなく、
「弁護士の行動」
にただ振り回されるだけの存在になってしまうのです。

嘘ではなく、「方便」

弁護士が変化する発言や態度を取るとき、そこには一貫した目的があります。 

それは、依頼者の利益を最大化することです。

そのために、時には強く出て、時には沈黙し、相手の視点を見越して、言葉を“設計”する。 

それは
「演技」
であっても、
「嘘」
ではありません。 

方便――すなわち、目的のための表現技法なのです。

ところが、それを依頼者が
「本音じゃない」 
「嘘をつかれた」 
「信じられない」 
と解釈してしまえば、交渉の主体は、依頼者から外れていきます。

弁護士に
「信頼」
という名の白紙委任をしたかと思えば、今度は
「裏切り」
という名のもとに、弁護士を敵視し始める。 

こうして依頼者の判断軸は、自らの目的から完全に逸脱していくのです。

本来問うべきは、戦術の妥当性と目的との整合性

依頼者がその自覚を失い、弁護士との境界が曖昧になった瞬間、交渉の軸がぶれ、判断の精度が低下し、結果として、本来の目的から逸脱していきます。

そうした依頼者は、 
「それは本音か」
「さっきと違う」
「前の弁護士はそう言わなかった」
など、弁護士の言葉の表層ばかりを問題にしはじめます。

本来問うべきは、戦術の妥当性と、目的との整合性であるはずです。 

しかし、それを“感情的な印象”で評価しはじめると、
・結果ではなく語調に反応し、 
・判断基準よりも印象に振り回され、 
・全体構造ではなく表現のズレにばかり注目する、 

というように、交渉全体を見る力を失っていきます。

やがて、判断の背景を問う前に
「嘘ではないか」
と決めつけ、判断の責任までも弁護士になすりつけるようになります。 

依頼者が本来果たすべき
「判断」

「方向づけ」
の責務は、このようにして形骸化していくのです。

弁護士を「信じる」かどうかではなく、「読み解ける」かどうか

ここで問うべきなのは、弁護士を信頼できるかどうかではありません。

ましてや、
「方便だから信じろ」
と言いたいわけでもありません。

重要なのは、
「この方便は、どの文脈で、何を目的として使われているのか」
という視点を持てるかどうかです。

弁護士の言動を、単なる“真偽”の問題に還元してしまえば、その瞬間、依頼者は論点の検討を止め、弁護士の助言や戦術の意図を受け取らなくなります。

方便を読み違えた依頼者の末路

弁護士の方便を、演技ではなく“裏切り”と読み違えたとき、依頼者は、
「自分で判断しないという態度を、自分の意思で(無自覚であっても)選び」
結果として、
「交渉の方向性も判断も、すべて弁護士任せにする選択をした」
ということになります。

この状態では、交渉における自律性を失い、弁護士の判断を吟味することなく、ただ受け入れるだけの存在になってしまいます。

それは、交渉の舵を預けた
「依頼」
ではなく、判断を放棄した
「依存」
へと変質したことを意味します。

そしてその依存は、最も高くつく
「代償」
となるでしょう。

方便読解力なき依頼者に、交渉の未来はない――それが、法務の現場の現実です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02195_方便は戦術その2_「怒りの演技」に騙されるな _弁護士の交渉を見抜く技術

法務の現場では、弁護士が“怒る”場面に遭遇することがあります。

しかも、唐突に、極端に、激しく。

「この条件はふざけている。話にならん」
「訴訟を辞さない」

声を荒らげ、机を叩き、身を乗り出して迫ってくる弁護士を前にして、
「相当、怒らせてしまった」
「これはもう引かざるを得ない」
「本気で限界なのだろう」
と受け取ってしまうことは、珍しくありません。

しかし、まさにその瞬間から、交渉の主導権が奪われていくことがあります。

その“怒り”は本気の感情ではなく、演出であることが少なくないからです。

「怒り」は台詞であり、演技

弁護士は、依頼者の利益を最大化することを仕事としています。

その目的のために、立場を使い分け、必要に応じて感情を演出します。

怒るフリをすることもあれば、泣き落としを試みることもあります。

いずれも、相手を動かすための手段です。

「怒り」
もまた、その1つです。

相手に
「この条件は絶対に譲れない」
と思わせることで、判断を揺らがせ、譲歩を引き出す。

計算された台詞で意図的に仕掛けてくるのです。

反応を見て“仕掛け”は更新されていく

怒りの演技は、弁護士だけのものとは限りません。

周囲の関係者――たとえば、社内の担当者や銀行の同席者なども、共演しているケースがあります。

その“演出”を忖度あるいは強化するために、黙り込んだり、うなづいたり。

高等テクニックとしては、わざと話題をそらそうとしたり、もあります。

このようなまわりの
「場の空気」
が、弁護士の演技にリアリティを与え、怒りの演出を“共同幻想”として強化します。

そして、怒りをぶつける当の弁護士は、同時に相手の反応を細かく観察しています。

・怒鳴ったときに誰が黙ったか
・誰が目を逸らしたか
・誰が沈黙し、誰が発言し始めたか

その一つひとつが、“交渉マップ”に記録され、次の台本の更新に使われていきます。

交渉とは「リアクションの収集場」

交渉とは、情報のゲームでもあります。

そして、弁護士にとっての交渉とは、単に
「感情をぶつける場」
ではなく、
「リアクションの収集場」
でもあります。

要するに、弁護士の
「怒り」
は、相手のリアクションによって成長・調整されていく、インタラクティブな設計要素です。

あなたの一瞬の反応が、相手の手札を増やす材料になるのです。

信じた瞬間に、交渉は相手の支配下に入る

怒りの演技を
「本気の感情」
だと信じた瞬間、あなたは自らの意思で判断しているつもりでも、すでに交渉の主語は相手のものになっています。

これは、情報統制のごく初期の症状です。

最初は“配慮”のつもりだった判断が、やがて相手の意見を鵜呑みにし、意思決定を委ね、最終的には交渉の方向性すら相手に渡っていきます。

交渉者としての主導権が、こうして静かに奪われていくのです。

具体的には、怒りの演技を
「本気の感情」
「本音」
だと信じた瞬間、あなたの判断基準は切り替わります。

「ここまで怒っている、ということは、これが限界なのだろう」
「とすると、相手の立場を考えて、こちらがもう少し譲っておくか」
「こっちが大人にならないとな・・・」

あなたの頭の中で、相手の主張が
「動かしがたい現実」
に変化するのです。

こうして、あなたの
「良識的な反応」

「あなたの判断基準」
を鈍らせ、
「あなたの判断基準」
は、自分の利益ではなく、相手の感情のケアにすり替わります。

それは、交渉の判断軸が、自分の立場から外れ、相手の演技に巻き取られていることを意味します。

本来の論点や構造が、目の前の“感情”に上書きされてしまうのです。

そしてそれこそが、相手側弁護士の“演技”が目指す地点なのです。

「怒り」を演技として受け取る視座を持て

弁護士のすべてが演技を使うわけではありません。

本気で怒っているケースも、確かにあります。

しかし、法務の現場においては、
「怒っているように見えるものは、まず演技として受け取る」
という構えは、必要です。

そうでなければ、怒りの演出に振り回され、思考停止し、誤った判断を重ねるだけです。

演技を演技として読み解く。

そして、その上で行動する。

それが、交渉現場で生き残るための、最低限の読解力です。

演技読解”の視点

あなたの目の前で演じられているのは、“怒り”ではない。

交渉で使われる言葉の多くは、偶発的な感情ではありません。

それは、
「あなたを動かすために設計された情報」
です。

・語気ではなく、語る順番に注目する
・怒りの表情ではなく、その後の沈黙の時間に注目する
・怒りの後に「誰が何を提案したか」に注目する
・主張よりも「その前後で動いた誰か」を見る
・反応を焦ると、相手の台本に巻き込まれる

こうした視点を持つことで、あなたは、相手の“交渉台本”から自由になります。

逆に、その視点をもたずに、反応すれば、その瞬間、あなたの負けが始まります。

交渉の意思決定権を、あなた自身が相手に委ねてしまうことになるのです。

感情に動かされて譲歩したとすれば、それは、相手が上手だっただけではなく、こちらが
「交渉者としての務め」
を放棄したとも言えるのです。

怒っているように見えるのは、演技がうまいから

本気の怒りと、演技された怒り。

この2つを見分けるのはそう簡単ではありません。

うまい弁護士ほど、
「本気っぽく怒る」
のが巧妙です。

語気が荒く、目線が鋭く、言葉に棘がある。

そして、あなたの胸にズシンと響くような強い語調。

でも、その直後、席を離れた弁護士が、別室で笑いながらコーヒーを飲んでいたとしたら?

それこそが、“設計された怒り”の証といえましょう。

最後に

「怒っているように見えた」
「本気に見えた」
「だから譲った」

その判断は、感情を見た結果だったのでしょうか。

それとも、交渉設計を読んだ結果だったのでしょうか。

交渉空間では、
「どう見えたか」
ではなく、
「どう設計されているか」
を見抜くことが求められます。

怒りを信じる前に、まず一歩引いて、交渉設計を読む。

それが、交渉を他人ではなく、自分で動かすための、唯一の第一歩です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02194_裁判官ってどんな人_神様にも好き嫌いがある

民事裁判に関わっていると、つくづく感じるのは、
「裁判というものは人間くさい制度だな」
ということです。

とりわけ控訴審ともなると、そこに立ちはだかるのは、
「神様のような存在」
としての裁判官です。

神様といっても、雲の上から何もかもお見通し、というわけではありません。

むしろ、好き嫌いやこだわり、嗜好のはっきりした、一人のエリート職人としての側面が強いのです。

その裁判官が、ある控訴審でこう述べました。

「できれば、ご遠慮ください」

これは、当事者による意見陳述を申し出たときの反応でした。

遠回しな言い方ではありますが、事実上の拒否です。

裁判官が何を嫌がるかが、よく表れたやり取りでした。

裁判官は、弁護士というフィルターを通して整理された文書以外の
「ノイズ」
を嫌います。

要するに、当事者の
「生の声」

「ノイズ」
として扱うのです。

当事者の熱のこもった語り、感情のこもった言葉、それらはすべて
「秩序を乱すもの」
として、裁判官は歓迎しません。

法廷で当事者が思いのたけを語る、という場面は、テレビドラマの中だけの話なのです。

こうした態度は、裁判官という存在が、ある種の
「偏食家」
であることを物語っています。

たとえるならば、裁判官は
「食の細い美食家」
です。

美食家が好むのは、プロのシェフが丁寧に盛りつけたコース料理。

素材の意味や順番、味の強弱まで緻密に設計された一皿です。

そこに、
「手作り感満載の大衆食堂の野菜炒め」
のような、素朴で荒々しい料理をいきなりドンと出しても、手をつけてもらえないどころか、怒って退席されかねません。

だからこそ、弁護士たちは、裁判官の嗜好を徹底的にプロファイリングします。

前述の裁判官は、いわば超エリート型。

効率と整然さを重視し、文書だけで淡々と判断するタイプでした。

証人尋問や当事者の語りは
「無駄なセレモニー」
として嫌う傾向にありました。

そういう裁判官に向けて、どんな
「料理(主張)」
を、どんな
「盛り付け(構成)」
で出すか。

これが、控訴審という戦場における、最大の戦略となりました。

要するに、控訴答弁書にすべてを込める必要があったのです。

ここで、あらためて原則に立ち返ってみましょう。

裁判は、あくまで当事者が
「事実」
だけを提示し、裁判官が
「法」
を適用して結論を導く、という原則のもとに動いている、ということです。

「汝、事実を語れ。我、法を適用せん」

この古代ローマの法格言が示すように、裁判という制度は、当事者が自分の正しさや思いを語るのではなく、起きた事実だけを積み重ねていく。

それを基に、裁判官が法的判断を下します。

逆に言えば、当事者が感情や評価を語りすぎると、
「でしゃばり」
「分をわきまえない者」
として敬遠され、逆効果になります。

そして、裁判官にも、
「好きな味」

「苦手な味」
があります。

繰り返しますが、その味覚に合わせて、どんな料理(主張)を、どんな盛り付け(構成)で出すかが、裁判に勝つための不可欠な戦略なのです。

裁判とは、正しさをぶつけ合う劇場ではなく、事実を淡々と語る筆談の場です。

神様(=裁判官)の嗜好を読み、事実をそのままではなく、受け入れてもらえる形で差し出す。

そういう知的で繊細なコミュニケーションの場です。

そして何より忘れてはならないのは、
「神様にも、好き嫌いがある」
という事実です。

どんなに言いたいことがあっても、それをストレートにぶつけても、神様の心には届かない。

その嗜好を理解し、 伝えるべきことを、最適な形で、最適な順番で、最適な味付けで整えて出す。

このような、食の細い神様への礼儀作法こそが、弁護士に求められる最大の技術なのかもしれません。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02193_ごまかしと先送りを排す。再建の成否を決めるのは「裏技」ではなく、経営者の法務リテラシー

「裏技で切り抜けられる」。

そう考える経営者は少なくありません。

かし、経営危機に必要なのは
「裏技」
ではなく、条件を定め、準備し、決断を実行する力です。

これを私は経営者の法務リテラシーと呼んでいます。

やるべきことは複雑ではありません。

第一に、不正を排除すること。逆粉飾は「言わない・やらない・許さない」と社内で徹底する。

第二に、事実と数字を可視化すること。PL・BS・資金繰り・未来シナリオを揃え、現状を誤魔化さない。

第三に、いつ手続に移るか、誰にどの負担を求めるか――その条件を前もって線引きし、必ず記録に残す。

第四に、利害調整の地図を描くこと。

従業員・金融機関・取引先・株主、それぞれの負担と利益を明らかにする。

第五に、説明責任を果たす準備を整えること。数字と計画を言語化し、関係者に理解させる説明力を備える。

実例を挙げましょう。

R社は、不正を排除し、数字と計画を提示し、切替条件を社内で固め、外部専門家とも前提を揃えていました。

その結果、スポンサー候補との交渉は具体化し、再建に進むことができました。

一方、S社は
「そのうち改善する」
と先送りを重ね、不正に足を踏み入れかけた時点で弁護士に指摘されました。

右往左往の末、数字も計画も示せず、支援の機会を失いました。

結果、取引先の信頼は失われ、支援の道は閉ざされました。

要するに、差を分けたのは損益ではありません。

不正を排除し、数字を示し、条件を線引きし、関係者に説明する――この体制を途切れなく続けられるかどうかです。

経営を守るのは
「強さ」
ではなく
「手順」
です。

ごまかしや先送りではなく、条件を定め、準備し、決断を実行すること。

誤用と遅延こそが、最大の敵なのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

02192_「私的整理か法的整理か」の二択ではない。両方を同時に動かすのが再建の定石

「裁判所の再生手続を使えば最後は助かる」。

裁判所を使わず、金融機関や取引先との交渉に固執する会社は少なくありません。

しかし、資金が尽いた時点で再生手続に入っても、条件はすでに大きく劣化しています。

取引先は離れ、スポンサー候補は動かず、事業価値は下がり、条件は一気に不利になります。

選択肢は大幅に狭まるどころか、消えているに等しいのです。

だからこそ、承継・M&A・事業再編といった非司法ルートを事前に検討し、候補を確保した上で、司法ルートである再生手続の準備も進めることが不可欠です。

「任意で粘る」か
「法的に切り替える」か
――この二択に囚われてはいけないのです。

実例があります。

N社は資金が残るうちにスポンサー候補を探し、守るべき事業と人材を整理した上で法的手続に入りました。

受け皿が同時に提示できたため、条件交渉は前進し、再建の道を確保しました。

一方、O社は
「まだもう少し持つ」
と考え、資金が尽いた段階で再生手続に入りました。

スポンサー候補は現れず、残ったのは清算の道だけでした。

差を分けたのは、損益ではありません。

非司法ルートと司法ルートを同時に進めたかどうかです。

結論は明白です。

「私的で粘るか、法的に切り替えるか」
ではない。

両方を同時に動かすかどうか――それが再建の可否を決めるのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
当サイトをご訪問いただいた企業関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいたメディア関係者の皆様へ
当サイトをご訪問いただいた同業の弁護士の先生方へ

企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所