「査察は、突然やってくる」
これは決して比喩ではなく、実務上の事実です。
ある朝、会社に出社してみたら、玄関に複数の査察官がずらりと並び、調査開始を宣告される・・・そんな“非日常”が、現実のものとして起こり得るのが査察です。
税務調査と違って、事前通知や日程調整は一切ありません。
なぜなら、査察は、
「証拠を押さえるための刑事手続」
の一環だからです。
査察官にとっては、その場で“証拠品”を持ち出せるかどうかが勝負になります。
だからこそ、査察を受ける側としての備えは
「その日」
が来る前にしかできません。
では、査察を受ける側として、経営者は、どんなことを意識し、どこまで備えておけばいいのでしょうか。
1 日常業務の中に、査察対応の「土台」がある
査察に備えると聞くと、何か特別な対策を講じなければ・・・と思われるかもしれません。
しかし、実際には、備えの大部分は日々の業務の中にすでに組み込めるものです。
たとえば、
(1)税理士との相談内容をメモに残しておく
(2)グレーな判断をした経緯や社内のやり取りを、誰が見ても分かるように記録する
(3)売上・経費処理の「合理的理由」を、誰が説明しても同じ内容になるよう整えておく
こうした積み重ねが、いざというときに
「説明できる会社」
か
「意図的に何かを隠している会社」
かどうかを分けるのです。
2 “ストーリー”を語れるようにしておく
査察で問われるのは、金額の多寡だけではありません。
重視されるのは、処理の背景に
「悪意」
があったのかどうかです。
実際の事例でも、売上の計上タイミングが月をまたいだことで、
「これは操作された数字ではないか」
と査察官が疑念を抱き、その後の調査全体が
「ズラした証拠探し」
に傾いていったことがありました。
その会社では、請求書を郵送する担当者が引継をしないまま急に退職したことで不在期間ができ、実際の発送が年度をまたいでずれてしまいました。
売上の発生自体は何も変わっていません。
しかし、対応した社長が事情をうまく説明できなかったことで、調査官の中で
「これは隠していたに違いない」
という印象が強まり、他の処理や帳簿のミスまで、すべて“意図的”と解釈されてしまったのです。
このように、ほんの少しの事実のズレでも、それが説明されなければ、“悪意の物語”の中に組み込まれてしまう・・・。
まさに、そういう場面を何度も見てきました。
だからこそ、前もって
「説明の言葉」
を準備しておくのです。
まさに、
「事実をストーリーとして語れるようにすることが、最も実効的な備え」
になるのです。
3 経営者自身が知っておくべき“判断の軌跡”
ある会社では、売上の一部が集計漏れになっていたことを理由に査察が入りました。
現場の経理担当者は
「慣例的な処理だった」
「前任者のやり方を踏襲した」
と言っていましたが、最終的に署名していたのは社長でした。
査察官の関心は、すぐに
「社長がこの処理をどう理解していたか」
に移ります。
「知らなかった」
と言えば、
「では、なぜ社長が印を押したのか?」
という話になりますし、
「知っていた」
と言えば、
「ならば、意図的な処理だったのでは?」
という疑いがかかる・・・。
結局、社長が何も語らないままでいたことが、
「自覚していたが隠した」
ように見えてしまい、疑いを深める結果になりました。
このような事例は、何も特別なことではありません。
たとえば、グレーな処理をした場合、
「そこは税理士に任せていました」
では通用しません。
しかし、査察の場では、最終判断をした経営者がどう認識していたかが問われます。
重要なのは、
(1)なぜそう判断したのか
(2)他にどんな選択肢があったのか
(3)いつ、誰から、どういう説明を受けて、それを選んだのか
といった、
「“経営判断の軌跡”を言葉にできること」
です。
査察が入ったあとに慌てて思い出そうとしても、記憶はあいまいになり、後手に回ってしまいます。
だからこそ、経営者として判断を下したときに、何を根拠に選んだのか、そのときに
「言葉にして記録しておく」
ことが鍵になります。
4 企業法務としての“説明責任”の整え方
ここまでお話ししてきたことは、税務対応であると同時に、まさに企業法務そのものです。
(1)会社の意思決定を、記録として残す
(2)曖昧さのある処理は、経緯・理由を明示できるようにしておく
(3)いざというときに、社内で誰が対応するかが決まっている
このような体制を整えることは、税務リスクへの備えにとどまらず、社内統制・法的リスク管理の基盤になります。
つまり、査察に備えるとは、日常業務を企業法務的視点で“整理し直す”ことにほかならないのです。
5 誤解を防ぐための“予防線”を張っておく
下着を1枚だけ盗んだ人が、近所の連続下着泥棒の犯人に仕立て上げられるようなことが、実際に起こり得ます。
「やったのは1枚だけ。それ以外は絶対にやっていない」
と、最初から言っていればまだ下着泥棒として扱われるだけだったのに、黙っていたことで、
「あれもこれも、やったに違いない」
と広がっていき、気づけば、連続下着泥棒の犯人になり、余罪まで追及される・・・。
・査察の場面でも同じです。
・帳簿の記載が微妙にずれていた。
・経理担当者の説明が曖昧だった。
・社内のメールに不自然な表現があった。
どれも単体ではたいした問題ではなかったはずなのに、そういったものが積み重なると、連続的に“隠ぺいの兆候”として積み上げられ、
「意図的な隠ぺい」
と受け止められてしまい、“悪意ありき”の物語が立ち上がり、それに沿って調査が進んでしまうことがあるのです。
だからこそ、誤解されないように
「説明の材料」
を事前に整えておく。
それが、調査を受ける側の唯一の防御手段なのです。
6 まとめ:その日が来る前にこそ、できることがある
査察は、ある日突然やってきます。
けれど、備えは突然ではありません。
日々の業務の中に、
「もしものとき」
に効く準備を埋め込んでおくことができます。
それは、特別な対策ではなく、日常の業務を少し丁寧に、少し構造的に整えることにほかなりません。
経営者として、
「説明できる準備は、今のうちに整っているか」、
自身に問いかけてみるだけで、組織の見え方が変わってくるかもしれません。
それこそが、査察に対する最も実効的な“リスク管理”であり、企業法務の第一歩になるはずです。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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