「親の介護で実家に帰ります」
と殊勝な理由で退職を申し出たエース社員。
円満退社と思いきや、彼が長期の
「有給消化」
に入った途端、社内のサーバーから大量の最新設計図面や顧客データが、こっそりと私物のハードディスクにダウンロードされている痕跡が見つかった・・・。
これは単なる
「社内ルールの違反」
などではなく、会社の大切な
「虎の子」
をカバンに詰め込んでライバル企業へ寝返る、極めて悪質で計画的な
「情報テロ」
です。
このような事態が発覚した際、
「すぐに警察を呼べ!」
「持ち込み先の企業に警告だ!」
「社外有識者を呼んで第三者委員会で白黒つけよう!」
と、怒りに任せて思いつきのアクションに走るのは最悪の悪手です。
有給消化中というタイムリミットが迫る中、証拠もなしに丸腰で動いたところで、警察からは
「社内の管理問題(民事不介入)ですね」
と門前払いを食らい、みすみす相手に逃げ切られるのがオチです。
本記事では、退職予定者による
「営業秘密の窃取」
という有事において、対象者を物理的・論理的に締め出す初動対応と、警察を的確に動かすための
「インフォメーション・パッケージ」
の構築術について解説します。
この記事でわかること:
・有給消化中の社員によるデータ持ち出しが発覚した際の、アクセス遮断と証拠保全(フォレンジック)の具体的手順
・「とりあえず警察」「とりあえず第三者委員会」といった打ち手が陥りがちな罠
・過去の摘発事例に学ぶ、警察の捜査を促すための「インフォメーション・パッケージ」の作り方
相談者プロフィール:
株式会社 メカニカル・フロンティア 取締役 法務・コンプライアンス担当 兜 鉄之助(かぶと てつのすけ)
業種:産業用工作機械の開発・製造
相手方:退職を申し出て有給消化中の営業部門エース社員「N氏」
相談内容:
先生、社内で一大事です。
営業部のエース社員であるN氏が
「父親の体調が悪いので退職したい」
と申し出て、現在1ヶ月の有給消化に入っています。
ところが、有給消化中であるにもかかわらず、彼が深夜に社内サーバーにリモートアクセスし、自身が担当ではない最新機械の製品図面や販売情報などを大量にダウンロードしているのを、システム管理者が発見しました。
電話で本人を問い詰めても
「有休中の引き継ぎ残務をしていました。コピーした記憶はありません」
とトボけています。
このままでは、当社の心臓部である技術が、彼の転職先(競合他社)に流出しかねません。
社内の役員会議は紛糾しており、
①データの持ち込み先(競合他社)に警告の連絡をする
②すぐに警察に通報して逮捕してもらう
③世間体や客観性を保つために第三者委員会を立ち上げて審議してもらう
という3つの意見が出ていますがまとまりません。
不正競争防止法違反を根拠に、厳正に対処したいのですが、どう動くべきでしょうか。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点1:「とりあえず警察」の落とし穴と、過去の摘発事例に学ぶ要件
兜取締役、お怒りはごもっともですが、証拠が未整理のまま
「ウチの社員が有休中にデータを盗みました!」
と所轄の警察署に駆け込んでも、
「それは社内の情報管理や引き継ぎの問題ですね」
と、のらりくらりとかわされてしまうのが実情です。
警察は
「多忙な官僚組織」
であり、刑事事件として立件できる確たる証拠のパッケージがなければ動きません。
実は過去に、大手工作機械メーカーでも全く同じような事件がありました。
「父親の体調不良」
を理由に退職を申し出た営業社員が、退職直前に大量の図面を複製し、
「記憶にない」
と否認した事件です。
この時、警察が不正競争防止法違反で逮捕に踏み切った決め手は、
「設計情報へのアクセス権限がないのに不正手法で取得したこと」
や
「軍事転用すら可能な重要機密であったこと」
が、社内調査のアクセス履歴等から明確に裏付けられていたからです。
警察を動かすには、こうした過去の摘発事例に倣い、
「権限外の不正アクセスである」
「持ち出した図面は有用な根幹技術である」
「競合に売り渡すなどの不正の利益を得る目的が濃厚である」
という犯罪の要件を、客観的証拠と紐付けて“激辛の物語(インフォメーション・パッケージ)”として調理し、持ち込むことが不可欠なのです。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点2:「第三者委員会の審議」というピント外れの社内政治
役員会議で出た
「第三者委員会で審議してもらう」
という選択肢は、完全にピントが外れています。
第三者委員会は、経営陣の関与が疑われるような全社的な不祥事において、社会に対する
「禊(みそぎ)」
と透明性を示すための
「私的裁判所」
としては有効です。
しかし、今回のように
「一社員による明確なデータ窃取という情報テロ」
に対し、スピーディーな証拠保全と被害拡大の防止が求められる局面で、悠長に委員会を立ち上げて審議を待つのは、時間的コストの無駄であり
「牛刀をもって鶏を割く」
愚行です。
今やるべきは審議ではなく、物理的な
「止血」
と
「証拠の保全」
です。
本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点3:持ち込み先(競合他社)への警告に伴う“返り討ち”リスク
「持ち込み先の企業に連絡して警告する」
という手段も、情報の拡散を防ぐ意味では一理あります。
しかし、この手の
「情報を盗んで逃げる社員」
は、足がつくのを恐れて本当の転職先を隠すのが常です。
そもそも彼がどこに転職するのかさえ確定していない、かつ、相手企業が不正に取得した情報を利用している等の確たる証拠もない段階で、疑心暗鬼になって
「お宅に転職する(かもしれない)N氏がウチのデータを盗んだぞ!」
と競合他社に騒ぎ立てればどうなるか。最悪の場合、名誉毀損や、不正競争防止法上の
「競争者営業誹謗行為」
として、逆に相手企業から訴えられるリスクが潜んでいます。
警告を行うにしても、転職先の確実な特定と自社内での証拠固めが完了してから、弁護士を通じて極めて慎重に行う必要があります。
モデル助言:
兜取締役、パニックにならず、相手が有給消化中で出社していない
「今」
を最大の好機と捉え、以下の冷徹な包囲網を敷いてください。
1 有給消化中の「完全締め出し」と証拠保全(フォレンジック調査)
ただちにN氏の社内ネットワークへのアクセス権(VPNやクラウドのID)を強制停止し、本社の物理的な入館カードも無効化して、会社に一切入れないように
「物理・論理の完全封鎖」
を行います。
併せて、彼に貸与しているPCやスマートフォンの遠隔ロック・即時返還を命じ、回収した端末を専門業者によるデジタル・フォレンジック調査に回します。
「いつ、どのデータを、USB等の外部媒体へコピーしたか」
という客観的なアクセスログを復元し、
「記憶にない」
という言い逃れを完全に封殺します。
2 インフォメーション・パッケージの作成と捜査機関(本庁ルート)への持ち込み
フォレンジック調査の結果をもとに、単なる社内トラブルではなく
「常習性と計画性を伴う、悪質な営業秘密の窃取事案」
としてのストーリーを構築した告訴状(インフォメーション・パッケージ)を作成します。
これを、サイバー犯罪や企業危機管理に精通した弁護士の助力を得て、所轄ではなく本庁(生活経済課やサイバー犯罪対策課など)の然るべきルートへ持ち込み、厳正な強制捜査(自宅のガサ入れや逮捕)を求めます。
3 相手方企業への対応は証拠が固まってから
持ち込み先企業への連絡は、警察への相談状況や、転職先の確実な特定、そして確保した証拠の強固さを見極めた上で、法的なリスク(営業誹謗行為等)をクリアできる表現にとどめ、慎重に弁護士を通じて行うべきです。
結論:
退職予定者の手荷物に会社の
「虎の子」
が隠されているのを発見したとき、的外れな第三者委員会を立ち上げたり、転職先もわからないまま周囲の競合に警告文を送りつけたり、証拠もないまま感情論で警察に駆け込んだりするのは、法務のプロとして洗練された対応とはいえません。
相手が有休で不在にしている隙を突き、アクセス権と入館権を即座に剥奪して証拠(ログ)をガチガチに固める。
そして、相手の
「記憶にない」
という幼稚なウソを完膚なきまでに叩き潰し、警察を的確に動かすための
「完璧な事件ファイル(インフォメーション・パッケージ)」
を作り上げる。
それこそが、情報という目に見えない資産を悪意あるテロリストから守り抜く、冷徹かつ最強の企業防衛術なのです。
【参考:本記事のベースとなった報道事例】
日本経済新聞
2012年3月27日19:48(2012年3月28日1:17更新)
「企業秘密複製した疑い、中国人社員を逮捕」
※本ケーススタディは、2012年に工作機械大手で実際に発生した上記の事件をモデルとして構成しております。
本記事は、特定の国籍や属性への偏見を助長する意図は一切なく、あくまで過去に実在した客観的な事案をもとに、企業防衛および営業秘密保護の観点から法務戦略を解説するものです。
※本記事は、過去の営業秘密侵害の報道事例等をもとに、退職予定者によるデータ持ち出し事案における初動対応(アクセス遮断・フォレンジック調査)や刑事告訴等の戦略に関する一般論を解説したものです。
実際の不正競争防止法の要件該当性や、捜査機関が告訴を受理して強制捜査に踏み切るか否かは、個別の証拠状況や捜査機関の判断により異なります。
また、不確実な情報に基づく競合他社への通知は名誉毀損等のリスクを伴うため、具体的な事案に直面した場合は必ずサイバー調査や危機管理に精通した弁護士にご相談ください。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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