02179_「安堵」は命取り!_プロの助言を聞ききれない経営者の末路_弁護士の「耳の痛い話」こそ聞け

企業の経営者や法務担当者の皆さんであれば、誰もが一度は危機状況に直面した経験があるのではないでしょうか。

それは、法的な問題であったり、事業承継の複雑な局面であったり、あるいは不測の事態による突然の損失であったりするかもしれません。

そんな時、専門家へ相談にいらっしゃる皆さんの多くは、まさに
「藁にもすがる思い」
で助けを求めてこられます。

私たち弁護士は、そうした皆さんの窮地を救うべく、全力を尽くします。

休日返上、徹夜での対応も、決して珍しいことではありません。

一刻も早く、その危機から脱していただきたい。

その一心で、専門家としての知識と経験を総動員し、最善の解決策を提案します。

そして、ようやく一連の緊急対応が一段落し、皆さんが
「これで一件落着」
「危機は去った」
と、安堵の息を漏らす瞬間が訪れます。

まさに、嵐が過ぎ去り、ようやく穏やかな日差しが差し込んできたかのような感覚でしょう。

「安堵」が招く、もう一つの危機

しかし、ここで、私たちはしばしば耳にすることになる言葉があります。

「先生、おかげさまで、もう大丈夫です。これ以上、先生に煩わしい思いをさせる必要もありませんし、費用もこれ以上かけるのは馬鹿らしい。これまで本当にありがとうございました。ええ、もう十分です」

この言葉は、私たち弁護士にとっては、まるで冷水を浴びせられるような衝撃を伴います。

なぜならば、私たちプロの目から見れば、その問題は一時的な沈静化に過ぎず、根本的な解決には至っていないことがほとんどだからです。

まさに、熱が下がったからといって、病気が完治したと勘違いするようなもの。

あるいは、火事が消えたからといって、延焼を防ぐための防火対策を怠るようなものです。

にもかかわらず、このように言い放つ企業は、その後の具体的な対策や、新たなリスクへの備えを怠ります。

そして、数ヶ月も経たないうちに、同じ、いや、より複雑で深刻な問題が再燃し、再び専門家へ、以前よりも焦った顔で助けを求めてくるのです。

これは、安堵が招く、もう一つの危機と呼ぶものです。

「プロの助言」は、なぜ「耳の痛い話」になるのか?

では、なぜこのような事態が繰り返されるのでしょうか?

それは、危機状況において、弁護士の言葉を部分的にしか聞いていないからです。

緊急対応を要する局面では、目の前の火を消すことに全神経が集中します。

それは当然のことです。

しかし、弁護士が提供するのは、その場しのぎの消火活動だけではありません。

その根底にある法的なリスク、将来的に顕在化しうる隠れた問題、そして、二度と火種を生まないための恒久的な仕組みづくりまで、全体像として提示しているのです。

ところが、
「もう大丈夫」
という安堵感、あるいは
「これ以上費用をかけたくない」
というコスト意識から、経営者によっては、弁護士の言葉の中から、
「危機が去った」
という部分だけを都合よく聞き取り、その後の
「耳の痛い話」──例えば、再発防止策や潜在リスクへの備え、継続的な法務体制の強化といった助言
には、耳を傾けなくなってしまうのです。

ある製造業のケースです。

製品の欠陥が見つかり、緊急リコールが必要になりました。

弁護士は、迅速に法的な対応策を構築し、プレスリリース案を作成するなど、目先の危機を乗り越えるために奔走しました。

事態は沈静化し、会社も
「これで一安心です」
と、胸をなでおろしました。

しかし、弁護士は同時に、根本的な品質管理体制の見直しや、サプライチェーン全体のリスク評価、さらには同種の問題が将来的に発生しないための契約書の見直しまで提案していました。

ところが、会社側は
「緊急対応が終わったのだから、そこまでやらなくても良い。もう弁護士の力は必要ありません」
と、これらの提案を後回しにしただけでなく、いきなり、費用が高いと難癖をつけはじめました。

弁護士から見れば、その問題は
「一時的な休止」
に過ぎず、根本的な解決には至っていなかったからです。

それでも、彼らは耳を貸そうとしませんでした。

むしろ、
「くどい」
と言わんばかりに、弁護士を解任しました。

それは、弁護士のそれまでの尽力を踏みにじるような言動です。

まるで、危機の間だけは救命ボートにしがみつき、岸に着いた途端に、恩人を突き飛ばすような振る舞いです。

数ヶ月後、別の製品ラインで、同様の欠陥が発覚しました。

しかも、前回よりも広範囲にわたり、社会的な信用失墜は避けられない状況でした。

「先生、大変です! あの問題が再燃して、今、大変なことになっています。どうか、もう一度お力をお貸しください!」
経営者は再び弁護士に助けを求めてきました。

一度後回しにした対策は、その後の状況をより複雑にしていたのは言うまでもありません。

危機が去ったと勘違いし、一度は縁を切ったはずの相手に、再び頭を下げて助けを求める。

この滑稽な状況は、その経営者が
「信頼」
というものを、いかに軽んじていたかを如実に物語っています。

このような事例は枚挙にいとまがありません。

共通しているのは、プロの助言を都合よく解釈し、全体像を捉えなかった点、そして、
「信頼」
という極めて実務的な
「資産」
を軽んじていた点にあります。

弁護士の言葉を「ミエル化」する「3つの聞き方」

ビジネスにおける
「信頼」
は、単なる感情論ではありません。

それは、企業の存続を左右する、極めて実務的な
「資産」
なのです。

その資産が曖昧なままだと、いざという時に、まさかの事態があなたを襲います。

信頼は、空気のようなものです。

あるのが当たり前すぎて、その存在に気づかない。

しかし、それが一度なくなれば、呼吸すらできなくなります。

ビジネスの世界では、この
「信頼の空気」
を、意図的にミエル化し、カタチにしなければなりません。

危機状況における弁護士の話の聞き方として、以下の3つのポイントをお伝えしましょう。

(1)「緊急対応」と「恒久対策」を分けて聞く

弁護士が話す内容には、目の前の「緊急対応」と、将来を見据えた「恒久対策」の2つの側面があります。
緊急対応が終わった後も、恒久対策に関する話にこそ、真の価値があることを理解し、継続して耳を傾けることです。

(2)「安堵の言葉」に惑わされず「次のリスク」を尋ねる

危機が一段落しても、「これで本当に終わりですか?」「他に潜んでいるリスクはありませんか?」と、積極的に質問してください。
弁護士は、最もリスクをミエル化できる立場にいます。 その知見を最大限に引き出す努力をしてください。

(3)「費用」ではなく「投資」として捉え、「信頼」を「カタチ」にする

危機対応にかかる費用は、単なる出費ではありません。
それは、将来のより大きなリスクから会社を守るための投資です。
そして、弁護士との関係も、信頼という見えないものをカタチにしていくプロセスです。 曖昧な関係性では、いざという時に、会社を守るチームは機能しません。
契約書や取り決めをフォーマル化し、費用も明確にすることで、真の信頼関係が構築されていくのです。

真の「危機管理」とは、未来への「投資」である

「危機は去った」
という言葉に安堵し、プロの助言に耳を傾けなくなること。

それは、新たな危機を自ら招き入れるようなものです。

真の危機管理とは、目先の
「沈静化」
だけに囚われず、常に未来を見据え、潜在的なリスクをミエル化し、それに対する備えをカタチにしていくことに他なりません。

専門家を上手につかう経営者は、
「曖昧な関係」
では、前に進めないことを知っています。

言葉だけの
「感謝」
や、口約束だけの
「協力」
では、次の危機は乗り越えられないことを、知っています。

要するに、持続的な成長を遂げている企業は、専門家が提供する知恵と経験を最大限に活用することで、無用なトラブルを避け、不測の事態に動じることなく、確実に問題を解決しつつ
「強靭なビジネス」
を築き上げている、ということなのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02178_調整役はつらいよ:弁護士間の意思疎通_“火消し役”にあらず

依頼者にとっては“最強布陣”であるはずの複数弁護士による共同受任。

その調整役というと、
「損な役回り」
と思われがちですが、実のところ、“うま味”があるポジションでもあります。

依頼者との距離が近い弁護士がその役に就けば、関係者間の交通整理を通じて、案件の動線そのものを握ることができます。

全体を俯瞰する立場にもなりやすく、結果として、主導権をとることもでき、裁量の幅も広がっていきます。

とはいえ、それでも、調整役はしんどいのです。

たとえメリットがあったとしても、その立場には、必ず“火の粉”が降ってき、しがらみがまとわりつき、ストレスの“サンドバッグ”として扱われることもあるからです。

特に、弁護団のように、濃い個性と強い主張がぶつかり合う“寄り合い”所帯では、
「みんなの矛先」
を引き受けることになります。

同じ目的のはずなのに、同じ方向を向いていない。

戦うべき相手は外にいるはずなのに、気がつけば内側で足を引っ張りあっている。

地獄絵図のような利害衝突のオンパレード。

気づけば、内部のすれ違いを咀嚼し、外部の誤解を修正し、誰かの不満や愚痴の“受け皿”としての役回りに奔走し、依頼者から感謝されるどころか、内側からも外側からも不満をぶつけられ、声を上げるより先に、ため息が出てくる。

それが、調整役という名の、見えない重荷です。

弁護団は「分かり合えない者たち」の寄り合い所帯

そもそも、複数の弁護士がチームを組んだとき、最初から共通の戦略イメージなど存在しません。

・訴訟技術を重視する人
・事実調査を最優先にする人
・依頼者の納得感にフォーカスする人
・「勝ち筋」よりも「筋の通し方」を気にする人

同じ弁護士でも、これほど考え方に差が出ます。

さらに困るのが、
「頭がいい」
人たち特有の厄介さ。

誰もが自分の思考回路がいちばんスジが通っていると思っている。

だから、すれ違いが起きても
「理解のギャップ」
ではなく
「相手の見当違い」
だと感じてしまうのです。

そして、会議後のSlackにはこんなメッセージが飛び交うのです。

「◯◯先生、何も分かってないですね」
「いやいや、それって完全に的外れじゃないですか?」
「こうなると、最初から自分たちだけでやるべきだったのでは」

・・・こうして、内部に“火種”が燃え広がっていくのです。

カギは「ミエル化」

では、どうすれば調整役として、仲間内の火を鎮めることができるのか。

それは、“それぞれの無意識の前提”を、あぶり出すことから始まります。

たとえば、

・ある弁護士は、「立証責任の所在」から逆算して考えている
・別の弁護士は、「裁判官がこの主張をどう受け取るか」で判断している
・もう一人は、「依頼者の納得と世間体」を優先して発言している

その違いは、本人ですら言葉にできていない
「思考のOS」
の差です。

ここで調整役が果たすべきは、この“OSの違い”を、言葉にして場に出すこと。

いわば
「ミエル化」

「カタチ化」
です。

「いま◯◯先生は、証明責任の所在を意識したうえで、この進行を提案されていると思います」
「一方で、△△先生のご懸念は、証拠が揃っているかどうかではなく、依頼者がこの手法に納得するかという点ですよね?」

このように、“議論のすれ違いの構造”を、全員にとって見える形にしてあげるのです。

これができるだけで、無用な摩擦の半分は消えます。

調整役の最初の使命は、意見をまとめることではありません。

前提をミエル化することなのです。

「方針決定」は勝手にやらせない:議事と役割のフォーマル化

もうひとつ、調整役として絶対に避けたいのが、
「方針がいつの間にか決まっていた」
という空気です。

ある弁護士が言った発言に、他の弁護士が無言だった。

それを
「異論なし」
と受け取った依頼者が動いてしまった。

その結果、
「いや、自分はそんな合意をした覚えはない」
という食い違いが勃発する。

・・・この種の“合意錯誤”こそ、弁護団の崩壊を招く火種です。

こうした事態を防ぐには、方針・発言・合意を、きちんと文書化・フォーマル化しておく必要があります。

・その意見は「検討事項」なのか「合意事項」なのか
・「担当」なのか「参考意見」なのか
・全員が「この件を了承した」のか、それとも「聞き流しただけ」なのか

調整役は、これらをその場で言語化し、明文化し、共有すること。

記録を残すだけでなく、
「その場で言って」
「その場で確認する」
プロセスが欠かせません。

会議の最後には、こういうひと言が必要です。

「では、いまの話は“次回までに各自で検討する論点”ということで、合意してよろしいですね?」
「この件の連絡は、A先生から依頼者に、B先生から代理人弁護士に、それぞれお願いするという整理で進めてよろしいでしょうか?」

こうした
「場の整頓」
が、チーム全体の混乱を未然に防ぎます。

調整役が壊れてはいけない:守りたいのは“事実”と“記録”

最後にもうひとつ。

調整役は、しばしば感情の矢面に立たされます。

「◯◯先生、あれはさすがにまずいよ」
「△△先生が、またあんなメール送ってきましたよ・・・」
「あなたが止めてくれないと困るんですけど」

調整役が、感情の受け皿になってしまってはいけません。

調整役の仕事は、“事実”と“記録”を守ること。

・どの発言が誰から出たか
・何が確認され、何が未決か
・誰が何に同意したのか

調整役がそこに冷静に立っている限り、弁護団は壊れません。

逆に、調整役が感情的になれば、たちまち全体が崩れます。

泥仕合の裏側で、泥にまみれながらも、
「場の秩序」
を維持する。

それが、調整役という“中の人”の仕事なのです。

まとめ

複数の弁護士が関わる案件では、調整役は
「味方」
ではなく
「防火壁」
です。

その任を全うするには、以下のような技術が求められます。

・すれ違いの論点を「ミエル化」する
・合意と意見を「フォーマル化」する
・全員の認識を「言語化」する
・感情を背負わず、事実と記録に徹する

戦うのは、外の相手ではありません。

内なるカオスとの戦いです。

その火を鎮め、依頼者の利益を守り抜く。

それが、火種の絶えない現場で、全体を壊さずに、依頼者を勝たせる“影の采配”です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02177_刑事事件は社内から始まる_企業法務の刑事化リスクその2

「企業法務は民事マターが中心」
いまだにそんな牧歌的な幻想を信じている法務部員や経営者が、想像以上に多いようです。

契約書の条文を丁寧にチェックし、利用規約の文言に頭を悩ませ、取引先との合意形成に汗をかく。

いずれも立派なお仕事です。

しかし、その丹精込めて整えている社内業務のど真ん中に、もし“刑事事件の地雷”が埋まっていたとしたら、どうしますか?

企業活動のすべての場面には、刑事事件のリスクが潜んでいます。

しかも、その引き金は
「巨悪の陰謀」

「反社の暗躍」
などではなく、
「手続きの勘違い」

「現場の甘えた判断」
「部署間の情報共有不足」
といった、ごくありふれた“日常のズレ”なのです。

「うちは大丈夫」
と言い切れる会社ほど、何の備えもなく、無防備にその地雷を踏み抜きます。

企業の日常が、どのように刑事事件につながるのか、実際のパターンをもとに確認していきましょう。

パターン1:隣の部署の「ちょっとした工夫」が、法務を巻き込む

経営企画や営業の担当者が、会社の数字を
「良く見せる」
ために、ちょっとした
「工夫」
をすることがありますね。
それが悲劇の始まりです。

・背任・横領(会社法・刑法)
「この新規事業の件ですが、A社に業務委託するのが一番かと」
こんな稟議に押印したことはありませんか?
そのA社、実は、実体なし・設立1年・社長はボスの交際相手。
そこに、毎月300万円の“コンサル料”が流れていたとすれば、それは「経営判断」ではなく、立派な「背任」・「横領」です。
経理の現場担当者が、小口現金をちょろまかすレベルとはワケが違います。
会社のカネを自分の財布と勘違いしている役員――あなたの会社に、 思い当たる人物はいませんか?
その尻拭いをするのは、最終的に法務部の仕事なのです。
要するに、法務担当者も共犯と見なされかねない、ということです。

・粉飾決算(金融商品取引法・詐欺罪)
「今期、ちょっと数字が足りないので、来月の売上を前倒しで計上しておきました」
営業部長が、胸を張って報告してきます。
銀行融資の審査が近いから、見栄えを良くしたい――その気持ち、わからないでもありません。
その売上の請求書、本当に発行していますか?
納品の実態はありますか? 請求書の発行や納品実態が伴っていなければ、それは“見栄えを良くする工夫”ではなく「粉飾」です。
銀行を騙してカネを引っ張れば「詐欺罪」です。
上場企業であれば「金融商品取引法違反」で一発アウトです。
その時点で、警察のご厄介になる可能性が現実味を帯びてきます。
市場と投資家を舐めた罪は、想像するよりはるかに重いです。
もはや「現場のがんばり」で済まされる話ではありません。

パターン2:「税金」と「残業代」は、忘れたころに牙をむく

カネとヒト。
会社経営の根幹ですが、ここも地雷の宝庫です。
特に税務署と労基署は、一度目をつけたら徹底的にしゃぶり尽くす、ハイエナみたいなプロフェッショナルですからね。

・脱税(法人税法など)
「この経費、落ちますかね?」というグレーな処理が常態化していませんか?
売上の除外、架空外注、海外子会社での利益飛ばし――“節税”のつもりでしょうが、一線を越えれば、ただの「脱税」です。
税務調査で「これは悪質ですねえ」と指摘されて、重加算税払って終わり?
甘いですね。
その時点で、国税局査察部(通称マルサ)はすでに動いているかもしれません。
あなたが「民事の話」と思っていた税務調査の資料をすべて持っていき、ある日突然、逮捕状をプレゼントしに来ますよ。

・労働基準法違反(長時間労働・残業未払い)
「彼は裁量労働制だから、残業代は不要」
そう断言できる法的根拠はありますか?
名ばかり管理職、36協定を無視した無茶な長時間勤務、過労死ライン超えが常態化しているようなら、それはもう、熱心な職場じゃなく、犯罪現場です。
社員が倒れたり、内部通報がなされたり、労基署に話をもっていったらどうなるか。
「悪質」と判断されれば、書類送検じゃ済みません。
安全配慮義務違反で経営陣の刑事責任は免れません。
労災隠しや事故隠蔽、虚偽報告などは、論外です。

パターン3:「業界の常識」は、世間の非常識  

「この業界では、昔からこうやってるんで」
思考停止した担当者が吐く、最も危険なセリフです。

・独禁法違反(談合・カルテル):
仲良しクラブの「紳士協定」が会社を滅ぼす 同業他社との情報交換会。
和やかな雰囲気で「この案件はA社さんで、次は当社で」
こんなやり取り、していませんか?
それは立派な「談合」です。
公正取引委員会は、あなたたちの「阿吽の呼吸」を決して見逃しません。
“業界の呼吸”が、「独占禁止法」に抵触するのは言うまでもありません。
公正取引委員会は、情報交換という名の“紳士協定”を見逃しません。
課徴金で利益が吹っ飛ぶだけではありません。
悪質と見なされれば、担当者も役員も刑事告発です。
「みんなでやれば怖くない」?
いえいえ、「みんなまとめてパクられる」時代なのです。

・不正競争防止法違反(営業秘密の漏洩):
辞めた社員の「お土産」が、時限爆弾になるエース級の社員が、競合に引き抜かれました。
その時、彼(彼女)が手ぶらで辞めていったと、本気で信じていますか?
顧客リスト、開発中の技術データ、営業秘密。
USBメモリ1本で、会社の命運を左右する情報がごっそり持ち出されます。
それが競合の製品に使われたら?
刑事罰を伴う「不正競争防止法違反」です。
「性善説で社員を信じたい」?
その気持ちは大切ですが、裏切られた際のリスクを甘く見てはいけません。
裏切られた時の代償は、想像を絶しますよ。

ヤバい匂いはどこから来る? 刑事事件化する「入口」

企業が刑事事件に巻き込まれる
「きっかけ」
は、そこら中にあります。

1.内部からの「チクリ」:
一番多いのがこれ。
冷遇された社員、不当にクビになった退職者。
彼らの恨みは、あなたが思うより深い。
そして、社内のホットラインや弁護士事務所、マスコミにタレ込むのです。

2.当局の「定期検診」:
税務調査、労基署の臨検、公取の立入検査。
彼らは「何かおかしい」という臭いを嗅ぎつけるプロです。
最初はただの行政調査のつもりが、ヤバい物証が見つかって刑事事件に切り替わる。
よくある話です。

3.取引先からの「逆ギレ」:
無理な値引きを強要したり、不当な返品を繰り返したりしてませんか?
追い詰められた下請けが、公取や警察に泣きつくんです。

4.SNSという「火薬庫」:
今や、一人のバイトの不適切投稿が、会社を上場廃止寸前まで追い込む時代です。
炎上から過去の違法行為が掘り起こされ、メディアが飛びつき、警察が動く。
この連鎖は、もう止められません。

「民事」か「刑事」か? プロはここを見る

「この件、パクられる可能性ありますかね?」
と聞かれた時、私たちは、次の5つの視点でヤバさの濃度を測ります。

1.損害額のデカさ:
被害額が数千万、億単位なら、当局も「これは見過ごせねえ」となります。

2.組織性・常習性:
単発のミスじゃなく、会社ぐるみで、しかも繰り返しやってる。
これはもう確信犯と見なされます。

3.ご担当役所の本気度:
税務署、公取、労基署。彼らが「徹底的にやる」と腹を括ったら、もう逃げられません。

4.被害者の「怒り」:
被害者が「絶対に許さん!」と刑事告訴でもしようものなら、警察も動かざるを得ません。

5.メディアへの露出度:
テレビや新聞でデカデカと報じられたら、もう後には引けません。
「社会的影響」を考慮して、見せしめ的に立件されるケースです。

これらがそろえば、
「民事対応で済む」
は、もはや通用しません。

要するに、
「悪質さ」

「世間への影響」。

この2つが揃ったとき、
「民事の話」
は、あっという間に
「刑事事件」
に化けるのです。

結論:「火消し」ではなく、「火の番」が法務の役割

刑事事件リスクは、ある日突然、隕石のように空から降ってくるものではありません。

あなたの会社の日常業務の中に、ウイルスみたいに潜んでるのです。

そして、
「対応の遅れ」
「調査の不誠実さ」
「説明責任の放棄」
という会社の免疫力が落ちた時に、一気に発症して全身に転移します。

法務部の仕事とは、コトが起きてから弁護士に泣きついて、高いカネを払って後始末をすることではありません。

そんなものは、ただの
「敗戦処理」
です。

本当の仕事は、日常業務のあらゆるプロセスで、常に自問自答することです。

「このやり方、法的にセーフか?」
「このカネの流れ、誰かに後ろ指さされないか?」
「この判断、万が一、表沙汰になったとき、世間に説明できるか?」

その問いかけを、経営判断の初期段階から、DNAレベルで組織に組み込む。

それこそが、法務に課された最大の責任であり、唯一無二の存在意義なのです。

「ウチは大丈夫」
なんていう甘っちょろい幻想は、今すぐドブに捨てなさい。

リスクは、常にあなたの隣で、ニヤニヤしながら牙を研いでいるんですから。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02176_刑事事件は社内から始まる_企業法務の刑事化リスク

企業法務の世界は、一般に
「民事中心」
と思われがちです。

実際、多くの法務担当者にとって、日々の関心は契約書のチェック、取引先との合意形成、社内規程の整備、労務管理といったところにあります。

ところが、企業法務のあらゆる場面に、“刑事事件のリスク”の芽がある、といっても過言ではありません。

しかも、そのリスクは、
「悪意のある脱法」

「確信犯的な違法行為」
からではなく、
「ちょっとした手続ミス」

「現場の思い込み」
「部門間の連携不足」
といった、どこの会社でも起こりうる“日常的なズレ”から大きくなることがあるのです。

以下に、企業法務の現場で実際に刑事事件化したケースを、類型ごとに整理していきます。

1 経済犯罪・経済刑法のリスク

(1)背任罪(会社法第960条)
取締役や執行役が、会社に損害を与えつつ、自己または第三者の利益を図った場合
例:架空の関係会社を通じた資金の流用、実体のない外注費支払い

(2)業務上横領(刑法第253条)
会社の財産を、管理の立場にある者が自己のものにしたとき
例:経理・財務部門などの担当者による帳簿外の現金着服、役員による資金の流用

(3)詐欺、偽計業務妨害、特別背任
他人をだまして会社に損害を与えた場合
例:粉飾決算により融資を引き出したケース、虚偽発注による会社資産の流出

2 税務・会計に関するリスク

(1)法人税法・消費税法違反
虚偽の申告や意図的な申告漏れによって課税を免れた場合
例:売上の除外による所得隠し、架空の経費計上、関係会社を使って利益を分散させたケース

(2)所得税法違反(役員報酬の過少申告など)
役員や経営陣の報酬・手当などを会社ぐるみで過少申告した場合
例:個人口座への還流で給与を隠したケース、外注費名目で処理した役員報酬

(3)金融商品取引法違反(旧 証券取引法)
上場企業において、不正会計やインサイダー取引が刑事事件となる場合
例:虚偽の有価証券報告書、未公表情報を基にした株式の売買

3 労務・安全衛生に関するリスク

(1)労働基準法違反
長時間労働の放置や未払い残業が、悪質性をもって処罰対象となる場合
例:過労死ラインを超える労働の常態化、みなし残業制度を悪用した未払い

(2)労働安全衛生法違反・労災隠し
重大事故の際に報告を怠ったり、虚偽報告を行ったりした場合
例:安全装置を外して運用し事故が発生、労災隠しのための虚偽報告

4 公正取引・独占禁止法関連のリスク

(1)独占禁止法違反(談合・カルテル)
複数企業が価格調整などの協定を結んだ場合
例:公共工事での談合、業界内で価格の下限を申し合わせたケース

(2)景品表示法違反・優越的地位の濫用
虚偽の広告表示や取引先への不当な強要があった場合
例:優良誤認となる広告、下請企業への不当な返品・値引き強要

5 知的財産・営業秘密に関するリスク

(1)不正競争防止法違反(営業秘密の漏洩)
技術情報や営業ノウハウを不正に持ち出した場合
例:退職者が顧客名簿を競合に提供、開発資料を私的に持ち出したケース

(2)著作権法・特許法等の侵害
模倣・コピー行為が事業として行われた場合
例:他社の特許を侵害する製品を組織的に製造・輸出していたケース

6 贈収賄・海外腐敗防止法関連のリスク

(1)贈収賄罪(刑法)
公務員への利益供与があった場合
例:許認可取得のため役所職員に金銭を提供、高額な接待を行ったケース

(2)外国公務員贈賄(不正競争防止法・FCPA・UKBAなど)
海外の公務員に不正な利益を供与した場合
例:現地事業で認可を得る目的で、現地政府関係者に便宜供与(米国FCPAによる摘発例あり)

7 業法違反・環境関連リスク

(1)廃棄物処理法・環境関連法違反
環境汚染や不法投棄があった場合
例:工場排水の不正放流、産業廃棄物の山中投棄

(2)各種業法違反(無登録営業など)
無登録での営業が、許認可業種において行われた場合
例:無登録での投資商品の販売、建設業許可の失効後に受注継続

刑事事件化につながる“入口”パターン

企業が刑事事件に巻き込まれる“きっかけ”は、次のようなものです。

(1)内部通報(社内ホットライン)からの発覚
(2)税務調査・査察からの端緒
(3)労基署・公取委など監督機関からの通報
(4)取引先・株主からの外部告発
(5)従業員・退職者の個人的告発
(6)マスコミ報道やSNSでの炎上

とくに、
「税務調査から重加算税を経て脱税事件に発展するケース」
や、
「内部通報を受けた社内調査の結果、背任罪として告発されるケース」
などは、企業側が“民事の話”として対応していたにもかかわらず、ある日、突然、刑事事件として扱われることになります。

こうした事態に、法務部門が後手に回ってしまう例は、決して少なくありません。

法務が押さえるべき「刑事リスクの見極め」5つの視点

(1)損害の実在性と金額の大きさ
(2)反復性・組織性・共謀性があるか
(3)立件意欲の高い行政庁の関与(税務署・公取委・労基署など)
(4)被害者の存在とその申告の有無
(5)報道性・社会的影響の強さ

刑事事件に発展するかどうかは、
「行為の違法性」
そのものだけでなく、
「どんな形で表に出たか」
「どう扱われたか」
によっても左右されます。

初動でつまずいたり、調査が雑だったりすれば――
“民事で済むと思っていた話”が、あっという間に刑事事件リスクへと転化してしまうのです。

まとめ:刑事リスクは“特別な話”ではない。すぐそばにある

経営判断、資金の流れ、契約実務、労務管理――
企業の日常のあらゆる業務が、条件さえ重なれば、刑事事件に発展する可能性をもっています。

そしてその現実は、
「対応が遅れた」
「調査が不誠実だった」
「説明責任が果たせなかった」
そうしたときにこそ、企業を揺るがすことになるのです。

刑事事件リスクは、ある日突然やってくるものではありません。

日々の延長に、見えないかたちで、しかし確実に潜んでいる――その感覚を持つことです。 

「この件に、刑事事件リスクはないか?」

その問いかけを、最初の判断や対応の段階から織り込んでおくこと。

それが、企業法務に求められている責任であり、姿勢なのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02175_見えないものをミエル化する知恵_「協力的」_税理士と弁護士、同じ案件に向き合うときに起きる“温度差”の正体

ある企業で、顧問弁護士が交代しました。

契約関係やリスク対応を、より専門的に支えてくれる人材を求めての変更だったといいます。

社長としては、次のステージに進むための、前向きな判断だったそうです。

その
「次のステージ」
とは、具体的には事業承継でした。

親族への株式の引き継ぎを見据えて、支配構造を整理するフェーズに入ったのです。

その過程で、株式の移動や評価、贈与の手続きといった問題が生じ、税務と法務の両面での対応が必要になりました。

その企業には、以前から長く付き合っている税理士がいました。

経理や申告のやりとりはすべてその税理士に任せており、社内でも信頼されている存在です。

新しい顧問弁護士と、この税理士が連携して進めることになった事業承継案件は、両者の専門性を組み合わせて進めるべきものでした。

打合せを終えたあと、社長がこんなひと言をもらしました。

「〇〇先生(税理士)は、本当に協力的で・・・」

「弁護士であるあなたはそうではない」
そんな含みが、言葉に込められていました。

協力的=賛成してくれる人?

「税理士さんは、こちらの事情をわかってくれて、協力的です」

「弁護士さんは、やたら慎重で、なんだか否定から入る感じがするんですよね」

「協力的」
という言葉は、いったい何を指しているのでしょうか。

あるいは、何が含まれていて、何が抜け落ちているのでしょうか。

そもそも
「協力的かどうか」
の違いなのでしょうか。

それとも、
「協力的に“見えるかどうか”」
という感覚の違いなのでしょうか。

実は、この言葉の使われ方には、ある種の“誤認の構造”が潜んでいます。

たとえば、弁護士が株式移動に関する契約条項を見て、
「ここは再確認が必要です」
と指摘したとします。

あるいは、
「このまま進めると、後日トラブルになる可能性があります」
と止めます。

その瞬間、
「面倒くさい人」
「話が前に進まない人」
「協力的じゃない」
と感じられることがあります。

一方で、税理士は
「この評価額で問題ありません」
「申告上、処理できますよ」
と答えます。

レスポンスも早く、内容の調整もしやすいです。

結果として、
「スムーズだ」
「協力的だ」
と評価されることがあります。

しかし、そこには、そもそもの職責の違いがあります。 

税理士は、決算や申告の業務を支え、社内の安定運営をサポートする存在です。

設計図どおりに現場が動けるよう、数字と処理を整えます。

日々の会計や税務を担う、“内側から支える存在” ともいえます。

一方、弁護士は、リスクや合意の不備に目を向ける立場にあります。

全体の構造と着地点を設計できるよう助言をし、“外側から見て支える存在”です。

税理士は
「どう処理できるか」
を見ており、弁護士は
「それで問題が起きないか」
を見ています。

どちらが“協力的か”という話ではなく、そもそも立ち位置と責任のベクトルが違うのです。

見えない“反対”をしているのは、誰か

「反対する=協力的ではない」という思い込みが、無意識のうちに働いてしまうこともあるでしょう。

場合によっては、それが判断や役割の本質を見えにくくさせてしまうこともあるのです。

弁護士は反対しているわけではありません。

必要な検証やリスクを確認し、説明しているのです。

あるいは、
「この部分は一度立ち止まりましょう」
と提案しているだけです。

“これで本当に問題ないのか”
“後から否定されるリスクがないか”
“合意の内容は整理されているか”

そうした問いを投げかけることこそ、弁護士の役割です。

それは“協力していない”のではなく、“確実に前に進めるための協力”です。

ただ、それがそう見えにくい。

ときに
「足を止めているように映ってしまう」。

そこに、温度差が生まれるのです。

これは、どの企業でも起こり得る話です。

似たような場面は、実は、社内や関係者とのやりとりにおいても、よく見かけられます。

たとえば

1.新サービスのリリース会議で、参加者が次々に「問題なし」とうなずく中、最後に法務担当が「利用規約の表現に不備があります」と発言した瞬間、空気がピリついた。

2.外注先との契約更新をめぐり、営業チームが「今回は早めにサインして進めましょう」と言うなか、総務担当が「前回トラブルがあった条項を見直したい」と口にした途端、会議の雰囲気がどんよりと沈んだ。

3.親族間の株式譲渡の相談で、「話がまとまってよかった」と和やかな空気の中、一人の親族が「この内容は契約書にしておきましょう」と発言した瞬間、社長が「そんなに固くしなくても…」と苦笑した。

こうした場面では、往々にして、何も言わなかった人のほうが“協力的”に見えて、止めた人、確認を求めた人のほうが“非協力的”と受け取られてしまうものです。

実際には、その逆であることも、決して珍しくありません。 

ミエル化することで、誤解は減らせる

「協力的だったと思っていたのに、突然否定された」
「そんなこと、もっと早く言ってくれればよかったのに」

そんな感想が残る場面もあります。

しかし、その多くは
「協力的」
という感覚が、文書や確認のプロセスに落とし込まれないまま、やりとりされていたことに原因があります。

つまり、イメージに頼り、“感じ方”に依存してしまったのです。

だからこそ、
「協力的」
という言葉は、態度や印象ではなく、プロセスとして“ミエル化”していく必要があります。

・合意された内容は何か
・誰がどこまで了承しているか
・立場の違いがどのように影響しているか

これらを言葉にして、記録として、確認として残していくこと。

その積み重ねが、
「協力的かどうか」
という感覚的な評価を、より健全で実務的なものに変えていきます。

協力的であるということは、「異を唱えないこと」ではない

さて、はじめの話に戻りましょう。

弁護士も税理士も、それぞれ異なる視点から企業を支えています。

立場や役割の違いが、ときに
「態度の違い」
のように見えてしまうこともある。

目的は同じはずです。

ときには“言いにくいこと”を伝えるのも、専門家としての責任です。

税理士も弁護士も、企業の判断と実行を確実に支えるために、専門性を発揮しているのです。

「どちらが“協力的”か」
と比較してしまうと、本質を見失います。

「前向きではない」
「協力的でない」
と見なされるとすれば、
「協力」
という言葉が、違った意味合いで使われているのかもしれません。

「協力的」の内実を、言葉にしておく

では、どうすれば誤解を減らせるのでしょうか。

ひとつは、
「協力的」
という言葉を、感覚で使わないことです。

それが意味するのは、
「どの立場で関わり」
「どの責任を担い」
「どのように連携し」
「どの範囲を支えてくれるのか」
という、もっと具体に落とし込んだ話なのです。

もうひとつは、
「役割」
を明確にしておくことです。

税理士には税務の見地からの支援を。
弁護士には法的な整合性の担保を。
それぞれの専門性が、どの地点で、どのように連携するのか。

その設計をあらかじめ共有しておくことです。

そして、確認は言語化・文書化しておくこと。

「聞いたつもり」
「伝わったはず」
は、誤解の火種になります。

信頼関係こそ、カタチで残すべき

協力とは、
「同じ目的」
に向けて、それぞれの役割をまっとうすることです。

異を唱えることも、違う角度からの支援のかたちです。

「〇〇先生は協力的なんだけど」
求めているのは、おそらく
「安心感」
なのでしょう。

本当の安心とは、
「何を共有し、どこまで合意し、誰が何を受け持つか」
がミエル化されている状態のはずです。

弁護士だから、税理士だから、という話ではありません。

誰と、どう仕事を組むか。

それを曖昧な言葉ではなく、具体的な設計として考えていく。

「協力的」
という幻想に流されず、関係性そのものを、もっと言葉に、カタチにしていく。

そうした視点こそが、企業にとって意味のある“協力関係”を育てていくのではないでしょうか。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02174_見えないものをミエル化する知恵_ファミリービジネスにおける事業承継の「段取りと視点」

事業承継の現場には、法務だけでは語りきれない
「感情のもつれ」
がつきものです。

親子間のわだかまり。

兄弟姉妹の不公平感。

義理の家族との距離感。

たとえば、長男に会社を継がせると決めていた父親が、いざ引退の時期が近づいてくると、急に決断を先送りにしはじめる。

あるいは、会社を手伝ってきた長女が、いくら貢献しても
「経営は男がやるものだ」
と言われてしまう。

このようなケースは、法的な契約や制度設計だけでは処理できません。

なぜなら、問題の本質が
「法」
にあるのではなく、
「気持ち」
にあるからです。

それでも、会社の所有や経営は、制度やルールにのっとって進めなければなりません。

ここで求められるのは、感情のゆらぎと、法的な白黒を、適切に切り分けて設計する力です。

要するに、感情の話と、制度の話とを
「分けて」
扱うこと。

そして、両者を
「行き来できる道筋」
を、あらかじめ設計しておくことです。

ファミリー企業では、
「言わなくてもわかるだろう」
「わたしが我慢すればいい」
といった思い込みや自己判断が、しばしば意思疎通の妨げになります。

その結果、あとから不満が噴き出すのです。

現場で支えてきた弟と、手続きを進めた兄のすれ違い

たとえば、こんなケースをイメージしてください。

地域の庭園づくりや緑地管理を手がける造園業。

父親がケガをして余儀なく引退となったため、経営を引き継いだ兄弟がいます。

若くから父親と仕事を共にしてきた兄は、経営を継ぎ、事務と経営を回してきました。

弟は、30代から携わるようになったとはいえ、年配の職人たちからの受けも良く、50代となった現在はベテラン職人として、木にも石にも詳しく、現場では頼られる存在です。

兄は、公共工事の減少や人手不足の影響を強く感じていました。

将来的には、造園業からは手を引き、会社の敷地を活かしてアパート経営に移るつもりでした。

弟はというと、若いころに家を飛び出し、音信不通の時期がありました。

親に心配ばかりかけていた弟は、兄にも負い目がありました。

それだけに、再び現場に戻れた今、
「働けるだけで、もう十分」
と自分に言い聞かせていました。

そして、父親が入退院を繰り返すようになります。

兄は事業承継の手続きを進めるなかで、株式はすべて自分の子に譲る方針を固めました。

弟には
「現場は任せるけど、株は持たせない」
と決めたのです。

弟は表向き、何も言いませんでした。

けれども、父親の喪が明け、古い社員と二人きりになったとき、ぽつりと本音を漏らします。

「親父を優先させただけなのに。俺やっぱり門外漢なんだな」

実は、兄は、弟と話し合いの場を何度も設けようとしましたが、弟は
「見舞いが先だろ。すべて兄貴に任せる」
と言い放ち、毎日仕事終わりに父親の病院に通っていました。

このような経緯もあって、兄は淡々と父親の死後を見据えて手続きをすすめたのです。

承継計画の内容は、合間をぬって、何度も弟に説明しましたし、議事録も、経営計画も、書面で整っていました。

それでも、弟には、
「自分は蚊帳の外だった」
という気持ちが、残ってしまったようです。

要するに、
「共有されていた情報」
と、
「共有されたという実感」
とは、まったく別ものだったのです。

気持ちの整理と、手続きの設計は、別々に行う

制度面では冷静に、事務的に。

感情面では丁寧に、くり返す。

両者を1つの会話に押し込めてしまうのではなく、場面や手段を分けて設計していく必要があります。

制度の話をする場では、書類を使い、議事を残す。

感情の話をする場では、時間を取り、第三者を交える。

そのように分業するだけでも、
「話がややこしくなる」
ことをかなり防げます。

怒りや後悔の爆発を、未然に防ぐ“予告型”の工夫

感情がこじれる理由の多くは、
「唐突に知らされた」
と感じることが一因です。

内容ではなく
「タイミング」
が問題になることが多いのです。

これは、事業承継のあらゆる場面で起こります。

たとえば、父親から
「来月の株主総会で社長をおまえに代える」
と突然言われた長男が、プレッシャーで夜眠れなくなる。

妹からは
「どうして私には事前に話してくれなかったの」
と詰め寄られる。

こうした混乱は、あらかじめ
「何が、いつ、どう決まっていくのか」
という全体の流れを、予告型で示すだけでも、大きく軽減できます。

いわば、
「気持ちを追いつかせる時間」
を用意するのです。

その意味で、感情のもつれは
「法的な問題」
になる前に、段取りとして
「ミエル化」
しておく必要があるとも言えるでしょう。

「感情」と「制度」のあいだに、道を通しておく

設計したことを、実際の現場に落とし込むには、丁寧な段取りが必要になります。

事業承継にまつわるご相談は、たいてい
「問題がこじれてから」
来られるケースが大半です。

一方で、上手に事業承継を進めている企業ほど、
「こじれる前」
に相談していただいています。

企業によっては、こうした段取りの設計そのものを弁護士に任せるケースもあります。

対応のタイミングは、企業や家族の状況によってさまざまですが、一例として、次のような段取りを事前に意識しておくと、こじれを防ぎやすくなります。

・まず、ある段階(※これは企業や家族ごとに異なります)で必ず一度、家族全員と対話する機会をつくっておく
・税務上の論点が出てきそうな場面では、必要に応じて顧問税理士とも連携しておく
・感情面の合意がむずかしいと感じる場面では、無理に言葉でまとめず、文書で確認を残す

たとえば、次のような対応を組み合わせると、さらに具体的な備えになります。

・話し合いの場を設けたが、誰かが欠席した場合は「出席できなかった経緯」を記録に残す
・“言った・言わない”が起きがちなテーマ(墓守、退職金、代表権の時期など)には、専用のメモをつくり、合意と未決事項を分けて書いておく
・「気をつかって言い出せないこと」が起こりやすいタイミング(法事、相続登記前、施設入所など)では、あえて第三者を“話の交通整理役”として位置づけておく

これらはすべて、
「あとから見えるようにしておく」
ための段取りです。

感情をなだめるというよりも、感情がすれ違う前に、情報の通り道を先に作っておく。

つまり、“感情が噴き出す地点”を予測し、その部分だけでも
「ミエル化・カタチ化・文書化」
しておくのです。

要するに、感情が爆発する前に、“カタチ化”しておくこと。

あとからモメめないように、最初から
「モメめそうなところ」
に目を配っておくこと。

制度と感情を分けて考える。

それは、見えないものを
「ミエル化」
する第一歩です。

そしてもう1つ、大切な視点があります。

こうした段取りをあらかじめ整えておけるのは、たいてい、少し引いたところから自分たちを見つめる余裕があるときです。

ところが、いざそのときになれば、当事者であるかぎり、自分のこと、家族のこと、会社のことほど、実は見えていないことが多いものです。

当事者には見えないものを、誰が、どこから見ておくか。

感情に巻き込まれすぎない距離から、静かに観察すること。

その視点を、どこかにそっと組み込んでおくこと。

「ミエル化」
とは、ただの記録や制度設計ではありません。

見えないものを
「ミエル化」
していく知恵は、感情と制度が交差する現場において、ほんとうに意味のある“手続き”を可能にしていくのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02173_見えないものをミエル化する知恵_議事録に署名があっても、責任の所在は見えない

うなずいていたから、理解していた”のは、本当か?

たとえば、美術館の展示会で、音声ガイドを聞きながら歩いている人がいます。

黙ってうなずきながら、説明に耳を傾けている。

けれども、その人が展示内容を本当に理解しているかどうかは、外からは見えません。

「うなずいていたから、理解していたはず」
とは、言い切れないのです。

さて、美術館で音声ガイドを聞いている人は、その内容をもとに何かを判断したり、責任を問われたりするわけではありません。

理解していなかったとしても、大きな問題にはなりません。

ところが、企業の意思決定の場では、そうはいきません。

会議に出席した以上、何が話され、どのような判断が求められたのか――

その場での理解は、
「判断したかどうか」

「その責任を引き受ける意思があったかどうか」
に直結します。

とはいえ、実際には、なんとなく流していたり、雰囲気で相槌を打っていたりすることも、ないとは言えません。

そして、周囲は
「理解していたはず」
と思い込んでしまう。

このような“外からは見えない理解”という構造は、企業の中では、もっと厄介なかたちで現れます。

社内会議の場では、この誤解がすれ違いを生んでも、
それと気づかれないまま時間が過ぎ、
事態が悪化してからようやく判明し、
最終的には、弁護士のもとに相談が持ち込まれる――

実は、そんなケースは、決して珍しくありません。

異議を唱えない――それは、判断し責任を取るという意思表示か?

ある会社で、M&Aの検討委員会が開かれていました。

議題は、事業を軌道に乗せたばかりのIT企業を買収するかどうか。

資料には、財務状況・法的リスク・買収スキーム案などが整然と並んでいます。

メンバーには、社内の事業部長、財務・法務担当役員に加え、社外取締役も顔をそろえています。

進行役が言います。
「一通り説明をしました。リスクも想定内ということで、先に進めてよろしいでしょうか?」

数秒の沈黙。

誰も異を唱えません。

進行役はうなずき、こう締めくくります。

「ご異論がなければ、この方向でまとめさせていただきます」

議事録が作成され、出席者の署名と押印がそろう。

その会議は、形式的には“円満に”進んだことになります。

ところが、その
「沈黙」

「押印」
は、ほんとうに
「内容を理解したうえで、自らの判断として意思表示した」
ことになるのでしょうか。

その場にいた一人は、こう感じていたかもしれません。
「法務の論点は難しくて、正直ついていけなかった」
「そもそも、買収先の事業内容をよく知らない」
「でも、他の人が何も言わないから、自分も黙っていた方が無難だろう」

こうして、
「その場で異議を唱えなかった」
という事実だけが残り、それが
「理解したうえで判断し、その責任を引き受けた」
と見なされてしまう。

――このズレこそが、組織の“見えないリスク”を生み出していくのです。

署名・押印が意味すること、意味しないこと

会議の場では、何かが
「決まった」
ように見える瞬間があります。

たとえば、
「ご異論がなければ、この方向でまとめさせていただきます」
と議長が言い、誰も異議を唱えないまま、議事録が整えられ、出席者全員が署名・押印する。

その場に立ち会った全員が、
「一応、まとまった」
と感じるかもしれません。

けれども、それは本当に、
「それぞれが理解し、判断し、その判断に責任を持つ」
という意思表示になっているのでしょうか?

気をつけたいのは、署名や押印があるからといって、それだけで
「同意した」
と判断するのは、早計だということです。

実際、署名や押印は、あくまで
「そこに居合わせ、会議が行われた」
ことの形式的な確認にすぎません。

その内容を本当に理解し、リスクを踏まえたうえで意思決定に加わったのか――

そうした“内面の判断”までは、署名や押印からは読み取れないのです。

たとえば、議事録の確認が会議の翌週にメールで回ってくる。

他の業務に追われていた出席者は、
「まあ、特に問題なさそうだ」
と流し読みし、内容まで検討せずに署名する。

このような“事務的な動作”が、のちに
「本人の判断が加わっていた」
「協力的だった」
と誤解される。

まさに、ここにリスクがあります。

形式がそろっているから、内容も合意されているはずだ――

そう思い込んでしまうことで、組織の合意形成は
「ミエルようで見えない」危うさ
をはらんでいきます。

形式と実質のズレが、あとから火を噴く

M&Aの検討会議から数か月後。

買収先企業の財務状況に、予想を超えるリスクが潜んでいたことが明らかになり、プロジェクト全体が凍結される事態となりました。

副社長は言います。
「各部門が出席して、誰も異議を唱えなかった。正式な手続きを経て、全会一致で承認されたはずだろう」

しかし、ある出席者がこう答えるのです。
「実は、自分はリスクの意味を十分に理解できていませんでした。
あのときも、判断を保留したまま沈黙していました」

形式上は“決定された”ことになっていた案件。

しかし、ふたを開けてみれば、
「誰が何を理解し、どのように判断したのか」
が不透明なまま、前に進められていただけだったのです。

――このようなズレが、組織にとっては、致命的なダメージに直結することがあります。

“判断と責任”を支える設計――意思形成プロセスの精度を高めるために

「納得していたかどうか」
は、たしかに主観的なものであり、外からは見えません。

だからこそ、主観に頼らず、
「理解し、判断し、責任を引き受ける意思があったのか」
を読み取れるような設計が必要です。

意思形成のプロセスに、あらかじめ“ほぐし”や“問い直し”の構造を組み込むことで、後からでも
「誰がどこまで理解し、どのように判断に関与したのか」
をたどれるようになります。

たとえば、次のような意思形成プロセスの確認手順をあらかじめ組み込んでおくことで、のちに
「誰がどの範囲をどう判断し、どの責任を担ったか」
を読み解く足がかりになります。

・会議のまとめ役が、「ご異論ありますか?」と全体に問いかけるだけでなく、
 「〇〇部長、この論点についてはどうお考えですか?」と個別に確認する。
 ――形式的な同意ではなく、各人の“判断のプロセス”を引き出すために。

・参加者が「即答できない」ことを自然に表明できるよう、
 「判断保留」や「条件つき了解」といった立場を許容する場の設計を行う。
 ――イエスかノーかに単純化させない、判断のグラデーションを認める設計。

・議事録に「確認コメント」や「留保事項」を記録するスペースを設ける。
 ――たとえば、「〇〇氏は、法務的リスクの全容については判断を保留した」と記録する。

こうした工夫のすべては、単なるチェックリストではありません。

組織における“理解と判断”の所在を、可視化するための仕組みなのです。

うなずき、署名、沈黙。

それらが、あたかも“納得し、判断し、責任を持った証し”であるかのように解釈される。

実際には、そこに判断のプロセスがあったのかどうかは、記録されていなければ見えません。

だからこそ、意思形成のプロセスそのものを可視化し、記録に残すことが不可欠です。

 「うなずいた責任」を、どう担保するか

意思形成の過程では、
「判断し、責任を引き受ける」
というプロセスを、あらかじめ設計しておく必要があります。

たとえば、
・この範囲は法務がリスク検証済みだが、事業上の可否は経営判断に委ねた――といった分担の明確化。
・理解不足のまま判断に参加させないための、事前説明や別途面談の制度設計。
・その場で黙っていた者に対し、あとからフォロー確認をとる慣行の整備。

こうした仕組みが整ってはじめて、
「その場でなされた判断は、誰がどこまで理解し、どこまで責任を持つとしたものだったのか」
が、あとからでも読み取れるようになります。

形式ではなく、実質としての責任所在。

それを支えるのが、法務が担うべきプロセス設計の本質なのです。

判断と責任が、あとからでも見えるように

「言わなかったから納得していた」
「署名していたから理解していた」
そのような“見えない前提”に合意を預けてしまえば、後日、何かが起きたときに、その合意は根元から揺らいでしまいます。

だからこそ、重要なのは――
形式ではなく、プロセスを見直すこと。
沈黙に委ねるのではなく、確認の手続きを設計しておくこと。
そして、関係者一人ひとりが、どこまで理解し、どの範囲を自らの判断として引き受けたのか。

その“理解と責任の所在”が、あとからでも読み取れるように記録を整えることです。

問うべきは
「何を決めたか」
ではなく、
「どうやって、誰が、その決断にたどり着いたか」。

 “見えないもの”を見えるようにする――
すなわち、
「ミエル化の知恵」
であり、ミエル化は、信頼のインフラなのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02172_見えないものをミエル化する知恵_株主総会の議事録が無効になるとき_“納得のプロセス”をどう残すか?

企業では、
「理解しました」
という言葉がよく交わされます。

それがそのまま
「同意があった」
と受け取られてしまうことも、少なくありません。

しかし、法務の立場から見ると、
「理解=同意」
とは限りません。

たとえば、
「Aという事実があったことは理解している。でも私はそれに納得していないし、同意もしていない」。

こう言われてしまえば、
「理解していたはず」
と反論しても、もはや意味をなしません。

なぜなら
「理解」
とは、知識や認識の確認であり、
「同意」
とは、意思や判断の表明だからです。

似ているようで、まったく別もの。

根本がちがうのです。

にもかかわらず、
「署名したからOK」
「押印したから問題ない」
「無言だったから納得していた」
というのは、都合のいい解釈にすぎません。

中小企業の株主総会において

たとえば、上場していない中小企業で、株主が親族や旧知の関係者に限られている場合――株主総会も、どうしても
「形式より空気」
で進んでしまう傾向があります。

けれども、株主総会の議事録は、会社法にもとづく正式な文書。

つまり、そこで何が行われたかを記録する
「法的な事実」
です。

中小企業では、以下のような流れが、実務上よく見られます。
・議案があらかじめ決まっており、議事進行が形式的に進む
・あらかじめ用意された「議事録案」を、出席株主に配布
・「異議なし」という無言の承認の後、その場で押印
・押印済み議事録を保存し、コピーを後日郵送する

こうした進め方は、
・株主が一堂に会するのは年に一度きりという事情や
・その場で押印をとっておくことで、後日の異議申立てを防ぎたいという意図から
実質的に
「議事録を読む → 異議なし → 押印」
という流れが、半ば儀式化しているのです。

そこに署名・押印があれば、
「総会の内容に異論がなかった」
と見えるかもしれません。

しかし、それはあくまで“体裁”にすぎません。

「異論が出なかった=同意があった」
と見なすのは、法的にみれば、少し乱暴な解釈と言わざるを得ません。

実際、あとになって次のような声が上がることは、決して珍しくありません。

「議事録の内容が読み上げられていなかった」
「説明がよくわからなかったが、場の空気で印を押しただけ」
「押印はしたが、話の流れに納得していたわけではない」
「読み込む時間が与えられていなかった」
「確認の余地がないまま、署名を求められた」

こうした事情が明らかになれば、たとえ形式が整っていても、
「正当な意思確認があった」
とは言いきれなくなるのです。

押印がそろっていても、無効になることがある

実際、議事録に署名・押印があっても、意思表示のプロセスが不透明であれば、あとから
「決議は無効だ」
と訴えられることがあります。

ある事件では、株主総会が開催されたとされる当日の議事録に、出席者全員の署名と押印がそろっていました。

被告側は
「総会は適法に開催され、押印もある。したがって手続は正当である」
と主張しました。

しかし、裁判所の判断は異なりました。

当日の招集通知が送られた事実を示す記録はなく、議事の詳細な説明もありません。

さらに、署名・押印をしたはずの株主が
「その内容について十分な説明を受けた覚えはない」
「後日、印を押した」
と証言したのです。

裁判所は、
「たとえ署名・押印がなされていても、それだけで総会の手続が適正に実施されたとはいえない」
とし、株主総会の決議の取消を認めました。

この判決が示しているのは、署名や押印はあくまでも“形式”であり、それだけでは同意の真正性を裏づける証拠にはならないということです。

ひとことでいえば、関係性に甘えないこと

では、企業はどう備えるべきでしょうか。

ひとことでいえば、関係性に甘えないことです。

要するに、確認の“プロセス”をきちんと見えるカタチで残しておくことです。

誰が、いつ、何を理解し、どう同意したのか、そのプロセスに“納得の跡”があったかをミエル化することです。

たとえば、
・議事録案は事前に配布し、「内容を確認しましたか?」と口頭で問いかける
・「具体的に、どこか違和感や不明点はありますか」と聞く
・「特に異議がないということで、よろしいですね」と念押しする
・そのうえで、署名・押印をしてもらう
・そのやりとりも、議事録や備忘録に記載しておく
・署名・押印は「理解の上での同意である」と明示して行う

こうして、
「確認して同意を得た」
というプロセスをミエル化しておく。

これが、のちに
「意思の真正性」
を説明するための下支えになります。

トラブルの多くは“過程”のあいまいさに潜む

トラブルの多くは、ほんの小さな行き違いから生まれます。

「そんなつもりではなかった」
が火種になる前に、その過程を“ミエル化”しておくこと。

これが、法務の役割です。

多くの現場では、時間の制約があります。

空気を読んで、そのまま書類にサインすることもあるでしょう。

承認も予定調和で進むことが少なくありません。

しかし、そうした流れの中で押されたひとつの印が、後になって
「同意していなかった」
と否定される。

これは、実際に現場で起きていることです。

過程がミエル化されていなければ、手続きは
「整っていたはず」
と言えたとしても、リスクの芽は残ります。

形式は整っていても、過程が問われる――そのことを忘れてはいけません。

企業は“意思の記録”を、プロセスの中に残しておく必要があるのです。

形式ではなく、過程が問われる

議事録に署名や押印がそろっていても、それだけで
「同意があった」
とは言いきれません。

形式が整っていれば問題ない――そう思いたくなる気持ちはわかります。

けれども、企業の現場で起きているトラブルの多くは、
「確認の過程」
が曖昧だったことに根があります。

意思を示した“瞬間”をきちんと残しておく。

誰が、いつ、何を理解し、どう同意したのか。

その
「納得のプロセス」
を、あとから見えるかたちで確認できるようにしておくこと。

これは、何も特別な対策ではありません。

法務の視点から見れば、企業を支えるための、ごく基本的な“心がけ”なのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02171_修正申告は企業法務の落とし穴_“収益の帰属”を見誤った善意の訂正が招いた結末

「修正申告=正しい対応」とは限らない

税務の世界には、誤りを正すための
「修正申告」
という制度があります。

たしかにこれは、制度として当然のものと言えるでしょう。

実際、多くの企業が、税務署から指摘を受けては、すぐに修正し、納税し直しています。

ところが、そこには落とし穴が潜んでいます。

そもそも修正申告とは、あくまで
「自発的な訂正」
として扱われるものです。

税理士や会計士の指示に従って修正申告を行ったはずなのに、あとになって
「これは自白だ」
「認識があった」
と見なされてしまうことが、実際にあります。

問われているのは、単なる税務処理の是非ではありません。 

「副業」のつもりが“隠ぺい”と見なされたケース

あるIT系の受託開発会社は、創業当初こそ社長(エンジニア)と共同経営者、デザイナーの3名体制でしたが、法人との契約案件を軸に事業を拡大し、次第に社内外のエンジニアを数多く抱えるまでになっていきました。

そして、社内ではリソースのやり繰りに追われるほどの状況となっていたのです。

一方で、創業当初の収益を少しでも補おうと、エンジニアのノウハウを活かして立ち上げた
「広告収益型の副業サイト」
が、数年のうちに密かに急成長を遂げていたのです。

動画解説やテンプレート素材、技術記事などを通じて、まとまった額の広告収入などが伸び続け、社内でも想定していなかったほどの売上になっていました。

この収益については
「本業とは切り離した個人の活動」
という認識のもと、法人とは分けて、代表者個人の口座や別名義で処理していました。

税理士からも
「副業扱いだから、それほど問題にならないでしょう」
と言われたまま、数年経過していました。

ところが税務調査で、法人の設備・人材・時間を使って収益を上げていた以上、
「実態としては法人の収益ではないか」
と指摘されたのです。

そこで、社長は税理士に相談し、その勧めに従って、広告収益の一部を法人売上に組み込み、売上に含める形で修正申告を行いました。

申告額は決して小さなものではありませんでしたが、
「これで事態は収まる」
と思いました。

忘れたころに、今度は国税局査察部、いわゆる“マルサ”が調査に入りました。

調査官はこう言いました。
「ご自身で修正したということは、最初から収益の帰属先を認識していたということですね?」

「誤りを正した」
つもりの修正申告が、
「意図的な認識があった」
と見なされ、最終的には
「故意の隠ぺいを認めた証拠」
として扱われてしまったのです。

信じがたい話でしょうが、それが実務の現場で起きているのです。

当時の社内には、副業の位置づけや判断過程を記した記録も残っていません。

どの契約書がどちらの事業に属していたのかも不明確で、判断の根拠がすべて“後出し”に見えてしまったのです。

税理士とのやりとりも口頭で済まされ、文書化されていませんでした。

その結果、修正の行為そのものが
「自白」
とみなされ、さらに、
「何も残っていない」
ことが
「隠ぺいの意思があった」
とみなされ、最終的に刑事告発にまで発展しました。

訂正する前に、法的構造を“見える化”せよ

このような現実は、企業にとって他人事ではありません。

税理士の助言に従った善意の訂正が、法的には刑事処分の対象と見なされてしまうこともあるのです。

まさに見落としがちなグレーゾーンです。

そして、こうした場面では必ず問われます。
「どのように判断したのか」
「どんな経緯でその決断に至ったのか」

その
「検証の仕組み」
がなければ、いくら主張しても通用しません。

修正するかどうかの判断は、単なる反省や道義ではなく、法的な構造と戦略性の有無によって決めるべきものです。

「税務署に言われたから」
「税理士がそう言ったから」
それだけを理由に動くことの危うさを、知らなければなりません。

そして、
「税務署の指摘・税理士の助言を、法務としてどう扱い、社内でどう再評価し、どのような記録を残すか」
という視点が不可欠なのです。

そこに目を向けなければ、たとえ外部の専門家が関与していても、最終的に刑事責任を問われるのは企業自身なのです。

突き詰めれば、問われているのは――税務そのものではなく、法務と専門職の関係性の構築なのです。

信じるのではなく、検証すること
従うのではなく、構造を理解すること
それを、記録化し、言語化し、判断過程の文書化すること

これが、企業を守るための最低限の備えです。

企業法務としての“防衛策”――記録の4点セット

端的にいえば、プロの言葉であろとも、鵜呑みにしないということになります。

具体的には、こうした事態を防ぐために企業として残しておくべき記録は、最低でも次の4点です。

(1)修正に至った背景に関する記録
(2)誰の助言に基づいたかの履歴
(3)社内でどのような検討をしたかの議事録やメモ
(4)訂正が及ぼす影響範囲の整理資料

記録を残すことで、仮に後日、調査や訴追があったとしても、企業として
「合理的な判断を下した」
「過失であった」
と立証できる環境を整えることができます。

要するに、記録があるかどうかで、
「経営判断だった」と言えるか、
「ただの自白だった」とされるか、
が決まってしまうのです。 

信頼ではなく、検証と構造理解が企業を守る

経営とは、常にリスク判断の連続です。

企業において
「善意の訂正」
は決して悪いことではありません。

しかし、たとえ善意の訂正であっても、法的には
「自白」
「隠ぺいの認識があった」
と見なされるリスクがあるということを知らなければなりません。

信じて鵜呑みにするのではなく、疑う
従うのではなく、「どう扱われるか」を検証する

経営における“法の構造理解”は、そこからしか始まりません。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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02170_記録を仕組み化する_記録文化をつくる設計思考

なぜ書かれないのか

ある管理部門で、予算修正に関する会議が開かれました。

議論は白熱し、最終的には
「部内で再検討のうえ、来週もう一度提案を出す」
という流れで着地しました。

ところが、次の週になって再びその話題が上がった際、出席者のあいだで意見が食い違っていました。

「そんな話だったでしょうか?」
「了承されたと思っていましたが・・・」
「再提出の結論だったはずです」

このように、記録が残っていなければ、前提そのものが揺らいでしまいます。

誰かが書いておけばよかった。

しかし実際には、誰も
「書くこと」
を役割として担っていなかったのです。

その結果、同じ議論をもう一度、振り出しからやり直すはめになりました。

このような場面は、日々の企業活動のなかで、決して珍しくありません。

属人化から、設計へ

なぜ記録が残っていなかったのか。

会議自体は正式な稟議ではなく、部内の打ち合わせにすぎませんでした。

議事録係がいるわけでもなく、メモはあっても個人が断片的に持っているだけでした。

つまり、
「必要だとは思っていたけれども、“書く”ことが業務の流れに組み込まれていなかった」
ということです。

組織の中に、記録を残す設計がなかったのです。

こうした事態を防ぐには、個人の責任や努力に頼っていてはいけません。
「書ける人」
がいるかどうかではなく、誰でも自然に“書くようになる”仕組みを整えることが大切です。

たとえば、次のような発想が必要です。

・会議の招集メールに、記録担当者の欄を設けておく
・業務報告テンプレートに「協議内容の要点」を記載する項目を加える
・打ち合わせのあとは、要点を簡潔にまとめたメールを送ることを業務フローに組み込む
・稟議の差し戻し理由を、必ず文面で記録しなければ再申請できない設計にする

このように、書く・残す・送る・共有する、それ自体が業務の流れの一部になるように設計するのです。

「あとで余裕があれば書こう」
ではなく、
「書くまでが一連の業務である」
という考え方です。

確認メールが未来を守る

ある企業では、幹部の人事異動の打診をめぐって、
「言った・言わない」
のトラブルが起きました。

役員会で伝えたつもりの内容が、人事部側には
「まだ決定ではない」
として処理が止まっていたのです。

関係者の信頼関係にヒビが入ったのは、言うまでもありません。

この件を受けて、その企業では
「確認メールを必ず送る」
というルールが生まれました。

内容は、
「本日〇月〇日の役員会において、次のコメントがありました」

という一文に、要点を2〜3行添える程度の簡易なものです。

しかし、それだけで誤解や責任のすれ違いが大幅に減ったのです。

記録が残っているかどうか。

それだけで、後日の立場や判断がまったく違ってきます。

あとから見返せる言葉があるだけで、過去の空気を再現できるのです。

文化”はつくれる

「記録文化がない」
と嘆く前に、見直すべきは業務の設計です。

記録する習慣が育たないのは、意識や教育の問題だけではありません。

書かなくても済んでしまう構造になっているからです。

たとえば、
「報告が口頭だけで済んでしまう」
職場では、記録は定着しません。

逆に、
「報告するには、必ず一行でも文字にしなければならない」
仕組みになっていれば、自然と“書く”という行動が根づいていきます。

要するに、文化をつくるのは“人”ではなく、“設計”なのです。

仕組みが行動をつくり、行動の反復が文化になります。

記録は防波堤になる

書いておく。
残しておく。
共有しておく。

これだけで、トラブルを未然に防げることがたくさんあります。

「言っていなかったこと」
が言ったことにされる。

あるいは、
「言ったはずのこと」
が、言っていなかったことにされる。

こうした場面で、たった数行の記録が意思決定の根拠として機能するのです。

“記録”というのは、ただの保存ではありません。

それは、未来の自分たちを守る手段でもあります。

書いておく”を、設計する

記録の仕組みを設計し、
「書くこと」
が個人の工夫ではなく業務の一部になるようにする。

そのうえで、残された文書が、次の意思決定へとスムーズにつながるように設計する。

こうして初めて、“書いておく文化”が根づいていきます。

個人に頼らない。
感覚に任せない。

「書ける人」
をつくるのではなく、
「書ける組織」
をつくる。

これが、“記録の仕組み化”という発想の出発点です。

そしてそれは、個人のリスク回避ではなく、組織の意思決定インフラになるのです。

企業活動において、地味だけれども決定的に重要な下支えなのです。

「意思決定インフラ」とは

端的にいえば、意思決定を正しく進める・守る・再現できるようにするための“情報の基盤”です。

たとえば、組織で何かを決めるときには、必ず
「背景」
「判断材料」
「検討プロセス」
「合意内容」
といった要素があります。

それらを記録せずに進めてしまうと、判断は記憶や感覚に頼ることになり、意思決定がブラックボックス化してしまいます。

あとから検証もできず、トラブルが起きても
「なぜそうなったのか」
が、たどれません。

だからこそ、次のような
「文書や情報が整備された状態」
が、組織の土台として機能するのです。

・会議の議事録(発言内容と合意点の記録)
・稟議や承認フローの履歴(誰がどこで判断したか)
・否決理由の記録(なぜ却下されたのか)
・メールやチャットでのやりとりの整理(言った・言わないの防止)
・プロジェクトや契約の経緯をまとめた報告やログ
・覚書や契約書のバージョン管理と保管

このような情報が整っていれば、
「過去にどう判断したか」
がすぐにわかります。

「前例」
に照らして、今の判断が妥当かどうかも見えてきます。

「なぜこう結論づけたのか」
を社内に説明でき、社外への説明責任にも応えられます。

これが、単なる
「記録」
ではなく、
「意思決定のインフラ(基盤)」
であるという理由です。

まとめにかえて

シリーズを通じてお伝えしてきたのは、
「記録」
とは、
「書いておく」
こと以上に、
「未来の自分や組織が、どう語れるか」
の準備であるということです。

ミエル化は、力です。

カタチにしておくことが、次の判断を生みます。

記録は、組織の思考と判断の積み重ねになります。

そして、その記録を
「仕組みとして根づかせる」
ことは、企業活動における設計思想の一つなのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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