00664_民事裁判官のアタマとココロを分析する(3):国民の支持とか賛成とかどうでもいいが、「国民の信頼」を無くさないよう、むちゃくちゃ気を遣う

民事裁判官は、訴訟経済、すなわち、事件を解決するためのスピードと効率性を何より大切にし、
「予断と偏見」
という職人的スキルを使って事件を処理します。

他方、訴訟経済を追求した結果、あまりにデタラメや間違いが多すぎると、今度は、国民の裁判や裁判所や裁判官に対する
「信頼」
がなくなります。

「国民の裁判や裁判所や裁判官に対する信頼」
というのは、裁判所がもっとも気にかけるポイントです。

この
「国民の信頼」
というファクターは、国家主権の中の司法権という権力を独裁的に掌握する裁判所にとって唯一無二の権力基盤ですので、これを損ねることに対しては、裁判所はハイパー・ウルトラ・センシティブです。

国家主権のうち他の二権、すなわち、立法権を握る国会、行政権を握る内閣は、いずれも、メンバーなりトップなりが選挙で選ばれており、
「民主的基盤」
が明確に存在します。

ところが、
職権行使独立の原則をはじめとした特権(他にも、同年代の行政官僚と比べて給料が高い、オフィスが立派、官舎が広くて便利といった優遇措置など)が認められ、
司法権という(ときに違憲立法審査権を使って、立法作用や行政作用を吹き飛ばせる、という意味で他の二権を超越するくらい強力な)国家主権を独裁的・覇権的に行使できる
裁判所なり裁判官は、いってみれば、
単なる
「選挙も投票も経ることなく、ちょっと勉強ができて、小難しい試験に合格した、小利口でチョコザイな試験秀才」
というだけの存在
に過ぎず、民主的基盤はほぼ皆無です。

例えば、
「ある地域の住民全員の賛同を得たので、私を当該地域を管轄する裁判所の裁判官にしてくれ」
と最高裁事務総局にお願いしても、
「お前アホか。勉強して、司法試験合格してから来い」
と一蹴されるのがオチです。

国会議員や大臣は、皆の人気者であれば知性や教養や倫理や行動の品性が
多少「アレ」
でもなれることはありますが、裁判官だけは、どんなに人気があっても、原則として司法試験に合格しない限り、一生かかっても、死んでも、あるいは生まれ変わっても、なれません。

脱線しましたが、裁判所という組織については、
「訴訟経済」
という絶対的正義を追求しつつも、効率を追求した結果、漏れ抜けやデタラメやミスやエラーやチョンボが多発して、
「国民の信頼」
を損ねてはいけない、という組織課題もあり、このバランスを取りながら運営されています。

なお、
「国民の信頼」
は、
「国民の支持」
「国民の賛成」
「世論におもねる」
「世論調査を気にする」
「ネットの評判を調べる」
とかという話と、似ていますが、異質のファクターです。

国民の大半が、
「あの小学校に対する国有地売却、インチキに決まってんじゃん」
という意見を持っても、
「あんな凶悪そうで不気味でしょっちゅう地域で問題起こしている嫌われ者、あいつが絶対犯人だよ」
と考えても、
「なんだよ、あの厚生官僚、偉そうにしやがって。あいつが捕まってせいせいするわ。やっぱり、お天道様は、よくみてるな。ああいうエリートに限って、私は上級国民だから捕まりっこない、とかふざけた考えで、平気な顔で、重大な犯罪やらかすんだよ」
と思っていても、
裁判所は、そんなもの気にせず、意に介さず、ときに、そんな意見や考えと真っ向から対立する結論を出します。

そうやって、国民の大半の意見や考えと真逆の結論を出しますが、それでも、国民は、裁判所を
「信頼」
します。

ですので、
「信頼」
というのは、なかなか定義や特定が難しいもので、えも言われぬなものですが、
「選挙によって選ばれたわけでもないのに、受験偏差値の高い試験秀才というだけで、超絶的な国家権力をもたされている、民主主義国家において、異形の国家機関である裁判所」
がこれをひじょ~~~に気にしていることは確かです。

このようにして、前述のとおり、 裁判所全体も個々の裁判官としても、
「訴訟経済」
という絶対的正義を追求しつつも、
効率を追求した結果、漏れ抜けやデタラメやミスやエラーやチョンボが多発して、
「国民の信頼」
を損ねてはいけない、
という組織課題をふまえて、運営・行動しているのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00663_民事裁判官のアタマとココロを分析する(2):「予断と偏見」を以て事件に向き合う

よほどマイペースで無能な裁判官を除き、普通に空気を読める普通の能力をもつ職業裁判官は、証人尋問の前において、事件の勝敗の方向性(業界用語で「事件の筋」などと読んでいます)や心証を決定しまっており、証人尋問を開始する時点では、主張の中身や書面の証拠だけでほぼ決定済みなのです。

いえ、もっと突っ込んだ言い方をすると、
「きちんとわかりやすく、明確で、根拠がしっかりしていて、時系列で整理されていて行ったり来たりせず、読んで話の中身と背景が頭にすっと入ってきて、話のゴールや法律的な要求事項もきちんと意識されているようなストーリーとエビデンス」
が訴訟の初っ端から提示されたら、反対当事者からこれを上書きするような別の話が出てこない限り、その段階で、事件の勝敗はほぼ決まります。

要するに、公式には表明されていないものの、民事裁判については、予断と偏見を以てスピーディーに“解決”することがその最も重要な機能であり、使命です。

ちなみに、“解決”という言い方をしたのは、含みがあります。

“解決”は判決とは限りません。

民事裁判のゴールは、
「判決」ではなく、
和解や取り下げ・放棄・認諾を含めた「解決」
がゴールです。

「解決」
という点でいえば、地裁で
「判決」
をらうことは、控訴や上告で覆ったり変更されたりする可能性がある、という意味で、
終局性がない、中途半端で、意義と価値が低い、いわば出来損ないの「解決」
となります。

「民事裁判については、予断と偏見を以てスピーディーに“解決”することがその最も重要な機能であり、使命」
なんて言い方をすると、法律実務を知らない学生などから
「予断と偏見を以て裁判するなんてことはありえないし、あってはいけない」
と青臭い反論がふっかけられるかも知れません。

無論、刑事裁判においては、建前として、
「無罪推定則がある以上、裁判所は予断と偏見を抱いていはいけない」
というフィロソフィーがある、ということになっています。

訴訟経済や思考経済に資するのは、ハラハラドキドキや大逆転や大どんでん返しなどではありません。

むしろ、適切な相場観と予定調和に基づく
「予断と偏見」
を以て、個々の事件を効率よく、波乱なく、すんなり、すっきり、とっとと終わらせることが、訴訟経済に最も貢献します。

裁判官が当事者に求めているのは、
「最後まで犯人がわからず、ラスト5分で衝撃のどんでん返しがあり、全米が仰天するような衝撃のサスペンス」
ではなく、
「冒頭に、ネタバレ付きのあらすじが、起承転結がクリアな話が端的な形で解説してあるような、小説(と出典情報と参考資料)」
なのです。

最初に、真犯人を把握した上で、予断と偏見をしっかりもった上で、推理小説や、サスペンス小説を読む。

「そりゃ、そういう読み方をしたら、効率的に読み飛ばしできるかもしれないけれど、つまんなくネ?」
というツッコミがきそうですが、裁判官は暇じゃないんです。

多くのノルマに追われ、殺人的に忙しいのです(実際、殺人的なストレスや仕事量のためか、体調やメンタルを崩され、定年退官前に、よく殉職されたりします)。

そして、大量の事件を、無駄なく、もれなく、間違いなく、スピーディーに処理するため、
「予断と偏見」
の力を使って、事件を見通して、仕事を処理していくのです。

「予断と偏見」
に優れた裁判官は、
「事件の筋が読める、腕のいい裁判官」
として、出世の階段を登っていくのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00662_民事裁判官のアタマとココロを分析する(1):正義の実現や真実の発見より、スピードと効率性(訴訟経済)

民事裁判については、当事者にとっては命より大事なカネや財産や地位やメンツといったものがかかっていますが、社会全体や国家にとってみれば、民事裁判のテーマは、言ってしまえば、
「たかが一般市民同士のつまらないいがみ合い」
です。

訴訟など、別に起こしても起こさなくてもいい。

地裁・高裁・最高裁と何年も不毛な戦いを続けるのも自由、泣き寝入りするのも自由。

訴訟を起こしてしまった後でもいつでも和解したり取り下げたり放棄してもいい。

要するに、嫌になって、面倒になって、弁護士費用が続かなくて、時間やエネルギーを無駄にするのがアホらしくなって、試合放棄も途中下車も認められている、そんなくだらない争いです(社会全体からみれば、ですが)。

犬も食わない、猫もまたぐ、食えない、どうしょうもない無意味なケンカであり、当事者の都合でどうにでもなる、くだらない一般市民同士のしょうもないエゴの衝突、つまらない意地の張り合い、足の引っ張り合いが、民事訴訟の本質です。

そして、建前は別にして、本音や実体ベースで考察する限り、民事裁判官の最大の使命は、真実の発見でも、正義の実現でもなく、
「訴訟経済」
なのです。

すなわち、私人同士の揉め事など、
・お互い納得するか(あるいは裁判所がもつ「裁判官職権行使独立の原則(憲法76条3項)」という独裁権力をちらつかせて、脅しすかしの末、無理くり納得させるか)、
・相応の手続保障を尽くした上で、高裁や最高裁でひっくり返されないような設えを整え、相応の結論を出すか、
のいずれかの方法でチャッチャと終わらせることが重要なのです。

法とは、
正義とは、
真実とは、
事件の裏に何があったのか、
隠された真相とは、
などと、テレビのサスペンスドラマの暇な主人公ように、時間をかけて逡巡し、無駄な悩みをもって事件とダラダラ付き合う裁判官がいたとしたら、おそらく、滞留事件が多すぎて、最高裁事務総局から
「空気の読めないアホ」
と見限られ、
「関八州に立ち入るべからず」
といった感じで延々と僻地巡りをさせるか、とっくの昔に肩たたきをされて辞めさせられていると思われます。

国家が司法権という主権を握り締める以上、予算を割いてサービスとして民事裁判制度を国民に提供しなければならないため、公益性も乏しい私人同士のつまらんケンカに、頭が良くて給料の高い裁判官という公務員を雇い入れるなどして、裁判所という貴重な国家資源を整備することが求められます。

しかし、当然ながら、裁判所を運営するための国家資源(ヒト、モノ、カネ、情報資源や情報管理資源)は有限であり、しかも逼迫する国家財政においては、年金や景気や防衛や子育てなど他のもっと重要な政策目標達成のために使うカネを捻出するのに汲々としており、
「司法予算」
などという
「『(比較的・相対的な観点で)カタギとしてまともに暮らしている限り、あまりお世話になることのない、特殊な属性の方のための病理現象』を解消するたため、というワリとどうでもいいことのために使う予算」
については、増やしたり充実させたりすることは困難です。

このように、予算も人員も絞られているため、裁判所という組織の最大の正義は、
「この貴重かつ有限な資源を、効率的に運用して、日本全国各市町村において絶え間なく発生する民事事件や刑事事件をすべて、迅速に解決すること」
となるのも頷けます。

これを別の表現をすれば、先程述べた
「民事訴訟における訴訟経済の最大限の追求」
という裁判所という国家機関にとって果たすべき最重要課題が導かれることになるのです。

要するに、公式には表明されていないものの、民事裁判については、スピーディーかつ効率的に“解決”することがその最も重要な機能とすべきであり、個々の裁判官にとって最重要ミッション、というわけです。

ちなみに、“解決”という言い方をしたのは、含みがあります。

“解決”は判決とは限りません。

民事裁判のゴールは、
「判決」
ではなく、
和解や取り下げ・放棄・認諾を含めた「解決」
がゴールです。

「解決」
という点でいえば、地裁で
「判決」を下す
ということは、
控訴や上告で覆ったり変更されたりする可能性がある、
という意味で、
終局性がない、中途半端で、意義と価値が低い、
いわば
出来損ないの「解決」
となります。

そして、個々の民事裁判官は、マルキュー(東急電鉄が経営する渋谷のファッション・アパレル専門店が入っている109ビル)の店員さんのように、厳しいノルマ管理がされ、ノルマに追われる毎日です。

すなわち、処理事件の件数というノルマです。

ノルマを達成するとご褒美がもらえ、ノルマ未達とか滞留事件増加といった鈍臭いことをしでかすと、お仕置きが加えられます。

いえ、別に、金一封のご褒美とか、罰に青汁一気飲みとか、そんなどこぞのブラックな飲食チェーン店のようなものじゃないですよ。

裁判所という組織は、日本の組織の中でダントツに“支店数”が多く、かつ、およそ人間が居住し社会が存在する限り(人間が複数以上存在すると必ず事件が発生するので)、極地や僻地に至るまで”支店”拡散し出張っており、
「左遷先や転勤先が死ぬほど多い」
という特徴を持っています。

そもそも、裁判官のキャリア設計自体、
「悪事や非行を働いたわけでもないのに、定期的な転勤が実施され、突然、何年かに一度の頻度で、“都を追われ、配所の月を眺めること”がキャリアプログラムに組み込まれている」
ということもあり、この配転の権利を掌握するのが最高裁事務総局ですが、ノルマ管理上、成績の悪い裁判官は、僻地巡り、極地探検の割合が自然と多くなります。

他方で、ノルマをクリアし、成績優秀な裁判官は、左遷される数が少なく、花のお江戸の旗本暮らしを満喫できる、ということになるようです。

先程、“解決”というノルマ達成上のゴールを前提とすると、
「和解」がもっとも優れていて、「判決」は劣化版の達成目標、
と言いましたが、目先のノルマを上げようと、どんどん手続きを進め、じゃんじゃん判決を書きまくり、一見、滞留事件が一層されてノルマ達成できたとしても、
当該「判決」が控訴され、上級審で取り消され、変更され、ひっくり返ったり、さらには、返品されたり
といったことがあると、いわゆる
「全部売りきったと思った商品が、大量に赤伝票(返品処理)で戻されてきた」
と同じ状況となり、当該裁判官はかなり
「ダメ人間」
の烙印を押されることになるものと思われます。

ところが、
「和解」
は、終局的な解決なので、控訴できません。

要するに、現品限りのノークレーム・ノーリターンの売り切りセールみたいなもので、絶対
「赤伝票(返品処理)」
は生じません。

したがって、優秀で、効率とスピードを実現でき、ノルマをクリアし、滞留事件をどんどん処理する
「デキる裁判官」
は、判決をじゃんじゃん書くというより、和解をうまくまとめ上げられるスキルに長けた人間、ということになります(もちろん、事件の性質や当事者のキャラからして、和解が困難な事件や当事者については、「上でケチが付けられないように、入念に予防線を貼りまくった、ひっくり返りにくい、堅牢な判決」をそつなく迅速に書き上げることもできます)。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00661_企業が「法律オンチ」となる理由と背景

「『法的リスクを現実化させないこと』を目的とする『予防法務』こそが、臨床法務や事故対応法務よりはるかに重要である」
という認識が、昨今、企業関係者の間で広まってきています。

しかし、上場企業ですら、
「企業不祥事」
によって経営が傾く実例が多々存在することからもわかるように、
「予防法務」
を現実に効果的に実施する能力や環境にある企業はわずかしかありません。

たいていの企業は、他社の
「企業不祥事」
を他山の石とすることなく、法的リスクの恐ろしさを理解しようともせず、もちろん予防法務のための適切な措置を講ずることもなく、漫然と法的リスクの高い活動を継続し、法的リスクが現実化してから慌てて弁護士に相談する、といった、恐るべき経営を継続しています。

このような
「法律オンチ」
の状態で会社が漫然と、
「営利追求」
を行うと、たちまち潜在的な法的リスクが顕在化し、これがたちまち巨大化し、会社の倒産に直結する、という悲惨な状況に陥ります。

とはいえ、企業経営者が
「法律オンチ」
となってしまうのは、法務専門家の側にも問題があります。

弁護士を筆頭とする法務専門家の多くは、法律には詳しいので、
「法的リスク」
が現実化した後の時点で、過去に遡って検討し、長い年月をかけて、裁判をしたり、解決交渉をすることは得意です。

しかし、生き馬の目を抜くような状況のビジネス現場において、
「企業経営者と同じ目線、スピード感覚で状況を認識し、リアルタイムで法的リスクを洗い出し、適時適切な文書化を実施し、法的リスクの芽を事前に摘んでいくこと」
が可能な法務専門家は、非常に
「レア(稀有)」
といえます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00660_人は生きている限り、法を犯さずにはいられない

人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられません。

バレさえしなければ何でもする。見つからなければ、どんな違法なこと、不道徳であっても、欲と本能に適うことをやってのける。

それが人間です。

これは、歴史上証明された事実です。

「人間が生きている限りどうしても法を守れない」
「人間が生きている限りどうしても病気や怪我と無縁ではいられない」
 こういう厳然たる事実があるからこそ、医者と弁護士という
「人の不幸を生業とするプロフェッション」
が、古代ローマ以来現在まで営々と存在し、今後も、未来永劫存続するのです。

普段暮らしていると、忘れてしまいがちな、重要な前提があります。

「人間は動物の一種である」
という命題です。

人間は、パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもなく、これらとは一線を画する、
「動物」
の一種です。

そして、
「パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもない、動物」である人間
は、生きて活動する限り、ルールやモラルと本能が衝突したときには、必ず本能を優先します。

だって、われわれは
「動物」
の一種ですから。

もし、本能に反して、ルールやモラルを優先する人間がいるとしたら、もはや、その人は
「動物」
ではなく、
「パソコン」や「スマホ」です。

PEPPERくんです。

SIRIちゃんです。

いつもいつも、そんな、清く正しく美しい選択をする人間がいるとすれば、社会心理学上稀有な事例として、研究対象となり、
「なんで、そんな異常なこと、理解に苦しむことをやらかすんだ?」
と考察と検証が行われます(社会心理学では、反態度的行動というそうです)。

私が、コンプライアンスに関するセミナーを行う際にご紹介する興味深い事件があります。

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宗教法人の高野山真言宗(総本山・金剛峯寺、和歌山県高野町)の宗務総長が宗団の資産運用を巡り交代した問題で、外部調査委員会が損失額を当初の約6億9600万円から約17億円に訂正していたことが明らかになった(2013年9月11日の毎日新聞「高野山真言宗」「損失額、大幅に増」「外部調査委)」。その他、2013年4月22日付「朝日新聞」朝刊「高野山真言宗 30億円投資 浄財でリスク商品も 信者に実態伝えず 『粉飾の疑い』混乱」など多数の報道)
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高野山真言宗の八事山興正寺(名古屋市昭和区)の土地を無断で売却し、利益を不正流用したとして総本山の高野山側と前住職(69)が対立している問題で、名古屋地検特捜部は12日、寺事務所など複数の関係先を背任容疑で家宅捜索した(日本経済新聞電子版2017年9月12日20:50配信)
同寺の前住職らが約80億円を不正に流用したとして、現住職側が背任と業務上横領容疑で告訴状を名古屋地検に提出したことが16日、分かった。14日付。関係者によると、前住職は在任中の平成24年、寺の土地約6万6000平方メートルを学校法人に約138億円で売却。現住職側は、前住職がこのうち約25億円を外国法人に、約28億円を東京都内のコンサルタント会社に送金したと主張。いずれの送金先も前住職と関連のある会社だったとしている。前住職の代理人弁護士は取材に「告訴内容を把握しておらず、コメントは控えたい」と話した。高野山真言宗は無断で土地を売却したとして、前住職を26年に罷免しているが、前住職は「罷免は不当」として現在も興正寺にとどまっている。興正寺は名古屋国税局の税務調査を受け、27年3月期までの3年間に約6億5000万円の申告漏れを指摘された(産経WEST2016年9月16日12時57分配信)。
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実に味わいがある、というか、深い、というか、考えさせられる事件です。

「どこの金の亡者の話か?」
と思えば、千日回峰行(空海が教えた密教の修行)を完遂した阿闍梨(仏陀の「完全な人格」にかぎりなく近づいている高僧)もいらっしゃる、立派で、高邁な組織で実際あった事件です。

この話以外にも、宮司姉弟間の殺人で話題になった富岡八幡宮事件や、カトリック教会の性的虐待事件など、
「我々、無知蒙昧で、欲まみれで、薄汚れた、迷えるダメ人間」
を導いてくださるはずの、
「難行苦行や修行や日々の祈りによって、欲を克服した、精神の高みに達したはずの聖職者の方々」
も、私のような小心者の想像を絶する、大胆で、えげつないことを、敢行します。

私も
「非日常」
を扱う弁護士という仕事をかれこれ20年超もやっていますから、そこそこヤンチャというか、えげつないというか、大胆な人間を知っていますが、このレベルのワイルドな人間は、弁護士からみても、かなりレアというか、メダリスト級です。

そして、特定の、という限定はつくにせよ、聖職者の方々が敢行された犯罪行為の凶悪さ、大胆さをみるにつけ、なんとも感慨深い気持ちになります。

すなわち、これらの事件やトラブルに接すると、
「どんなに立派な修行を積んでも、人間、決して、欲には勝てない」
という、シンプルだが鮮烈な事実を、我々に改めて再確認させてくれる、ということです。

この話が、何につながるか、といいますと、
「人間が欲に勝てない以上、法やモラルを守れといっても、本能と衝突した場面では、必ず、本能が法やモラルに打ち勝つ」
という社会科学上の絶対真実ともいうべき原理ないし法則につながります。

生まれながらの犯罪者や幼少期の特異な環境で虞犯傾向が顕著なまま成長し、反社会性が顕著で、意図的に罪を犯す場合もありますが、常識(という名の偏見のコレクション)にしたがって、心の赴くまま、ありのままに行動したら、知らないうちに法を犯す、という場合もあり得ます。

独禁法違反や公務員(外国公務員を含む)への贈賄、テクニカルな要素が強い税法や金商法や知財関連の違反行為や権利侵害等など、
「お咎めを受けてもなお、一体何が悪かったのか、よくわからない」
といった類の法令違反事例も数多く存在します。

といいますか、すべての法律や規則はあまりに多すぎます。

法律のすべてを知っている人間は、この世の中にはいません。多分。

我々、神ならざる人間が、知らず知らずに、法を犯す、ということも十分あり得ます。

はずみで法を無視ないし軽視することももちろんあるでしょう。

また、法律自体に、間違ったものや、狂ったものも相当あります。

「健全な常識にしたがって行動したら、それが法令違反だった」
ということも、よくある話です。

法律は、俗に、
「六法」
などといいますが、6つだけではありません。

世の中には、6つとかの話では済まない、とてつもない数の法律が存在します。

行政個別法という法分野だけで一説には1800近くあるとか。

また、ホニャララ特別措置法、すなわち、
「理論的にぶっこわれてまともな説明が不可能だけど、とりあえず、まあ、いいから、これに従っといてもらおう」
といった趣の法律も存在します。

これら法律に加えて、行政命令や規則や条例といったものがあり、判例法といったどこに書いてあってどう使われるか意味不明なルールもあり、その全容は、内閣法制局でも、法務省大臣官房司法法制部でも、最高裁首席調査官でも把握できていないと思われます。

すべての法律を知っていて把握している人間がいるとすれば、円周率を万単位の桁で覚えている人間と同様、かなりレアな存在です。

そんだけ法律があるわけですから、我々、神ならざる人間が、知らず知らずに、法を犯す、ということも十分あり得ます。

はずみで法を無視ないし軽視することももちろんあるでしょう。

先程のホニャララ特別措置法や、どこぞの県に存在する意味不明な条例など、法律自体に、間違ったものや、狂ったとしか思えない内容のものも相当あったります。

「健全な常識にしたがって行動したら、それが法令違反だった」
ということも、よくある話です。

そもそも、法律ってどんな人が作っているのでしょうか?

もちろん、立派で法律を作るにふさわしい見識と教養をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、
お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋、あるいは、かつては現在拘置所にいる刑事被告人といった、
「様々な職種で構成される、我々カタギとは全く異質で強烈なオーラを放つどぎついキャラの方々」
です。

また、モラルや遵法精神という点においても、
女性も好きで、さらに結婚式をするのも大好きで、結婚している身で、奥さん以外の女性とハワイで結婚式挙げちゃったり、
国情や政治現実の調査に熱心なあまり、政治活動費を使って広島の繁華街のSMバーの視察に行っちゃたり、
TTP交渉でクソ忙しい最中に、千葉ニュータウンの開発に伴う県道の建設にまつわる特定企業の補償交渉も熱心に行ない、また蓄財にも熱心になってしまい、少しお小遣いをもらっちゃたり、
育休を取得している間に堂々と不倫をやらかしたり、
といった、
「法とかモラルとかに関心もなく頓着もしない、ワリと大胆なことを平気でやらかす、変わった常識をお持ちで、『皆の人気者』という以外にどんな素養や素性を持っているのかも今ひとつ不明な方々」。

要するに、
「皆の人気者」
という以外に、(前提能力検証課題に関する制度上の問題として、)とりたてて見識や教養が求められるわけでもない方々が、議員となって法律を作るわけです。

すべてとはいいませんが、これらはすべて国会議員あるいは国会議員だった方々のプロファイルであり、私が脳内でイメージする
「国会議員」
の典型的な姿もだいたい同じような感じです。

そんな変わった常識やモラルをお持ちの愉快な面々が、立法機関のメンバーとなって法律を作るわけですから、そんな方々の作る法律が、常にかつ当然に何から何まですべてマルっと完全無欠で清く美しく正しい・・・・・・・・・・、
なんてわけがあるはずない。

当然ながら、狂った法律、非常識な法律、守るに値しない法律、理論的に明らかにおかしな法律、というものも結構あったりします。

特に、議員立法と呼ばれる法律については、その出来具合はお世辞にもいいとはいえず、立法の中身も、
「国家の効率的運営による国益の向上を目指した、後世に残るすばらしい法律」
は少なく、
「○○族と呼ばれる議員センセイが、特定の業界の利益の向上と結びつくような法律」
だったり、
「選挙の際、専業主婦やサラリーマンに手柄としてアピールしやすい法律」
といった代物がほとんどです。

議員立法で有名なのは、故田中角栄先生です。

彼が作った法案の多くは、道路、建設、開発あるいはこれらの財源措置や特殊法人に関するものでした。

特に、かつての民主党政権の際に問題になった
「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」
も角栄先生の議員立法として成立したものですが、要するに
「都会のサラリーマンがガソリン購入の際に支払う税金を、田舎の道路工事のためにばらまく」
というものであり、建設業界と地元のゼネコンを利するという目的においては、非常に分かりやすい代物でした。

この特別措置法とか臨時措置法とかいう法律の名称ですが、前述のとおり
「理論や体系をぶっこわした、意味も論理も不明で、合理的な説明のつかない、狂った法律」
とも評すべき代物です。

さらに、いいますと、ドイツのある時代のある法律には、特定の民族の財産を没収し、国有化する、という法律があったそうです。

法律には、まともなものも勿論ありますが、狂ったものもあり、しかも、その全容は、誰も把握できないくらい、星の数ほどあります。

法律が誰も把握できないほどの数があり、しかもその中には狂っているものがあるわけですから、遵守するしないのはるか手前、そもそも
「何がルールか」
を理解する段階で大きな問題を孕んでいます。

以上のとおり、法律が誰も知り得ないほど数多く存在し、法律自体に、間違ったものや、狂ったものもあるわけですから、
「健全な常識にしたがって行動したら、それが法令違反だった」
ということも、起こり得る話です。

そもそも、法律自体、理論や科学で説明できるものではなく、合理的な装いをまとった宗教ともいうべき、単なる価値の体系であり、偏見の集積であり、特定のイデオロギーに過ぎません。

現代社会では、
「金利を付して金銭を貸す行為」
は法律上まったく問題ない正当な取引活動ですが、他方で、人身売買や奴隷労働の強制は完全な違法行為です。

他方、数百年ほど前、ヨーロッパでは、
「金利をつけて金銭を貸す行為」
は完全明白かつ重大な違法行為である反面、人身売買や奴隷制度は全く問題のない適法行為とされていました。

また、今では、お酒は誰でも楽しめる嗜好品として手軽に入手し毎日呑んでも文句はいわれませんが、かつてのアメリカでは、酒は違法薬物並に扱われた時代がありました。

現在、オランダでは、マリファナ(大麻の葉や花を乾燥させた物)やハシシ(大麻樹脂)などの大麻加工品の個人使用は罰せられません。

要するに、法律自体、適当で、いい加減で、時代や場所の雰囲気やノリで、わりと適当に決められるわけですから、普通に生きているつもりでも、知らない間に、重大な法令違反をしている、ということはごく普通に起こり得る事態ということができるのです。

以上のとおり、
「人間は、生きている限り、本能と自由意志がある限り、ルールやモラルによって本能を抑えこむ、ということはおよそ不可能」
であり、かつ、
「そもそも、ルールやモラルの全てを把握しているわけではないし、知らないところでこれに抵触することなど普通に起こり得る」
ということがいえるのだと思います。

「そもそも、ルールのすべてを把握しているわけではないし、ルール自体が常識の欠如した方が制定に関与しており、中身も常識や倫理とは無縁のもので、常識にしたがって常識的な行動をしたら、知らないところでこれに抵触することなど普通にあり得る」
ということは、もはや明らかです。

実際、普通の人が普通に生きていれば、1日2つ3つの法律を犯します。

いえ、人を殺すとか、モノを盗むとかというレベルではなく、信号無視や駐車違反やスピード違反や駆け込み乗車といったライトなものを考えれば、実感いただけるはずです。

大阪の御堂筋の駐車状況や、深夜の第二東名高速の車の飛ばしっぷりをみれば、
「実際、普通の人が普通に生きていれば、1日2つ3つの法律を犯します」
という話は実感をもって理解いただけるはずです。

ですので、除夜の鐘の数は108つでは足りず、1年365日で1日平均3前後の法令違反の通常人の平均値を考えれば、1000回くらい鐘をついてもいいくらいです。

こういう言い方をしますと、
「だったら、警察や検察や裁判所や刑務所がパンクするはずだ。そんなことにならないのは、法を犯す数がもっと少ないからだ」
という青臭い反論が返ってきそうです。

いえいえ。

法を犯したから、罪を犯したから、といって、必ず捕まって起訴され有罪となり刑務所に放り込まれるわけではありません。

例えば、日本では、年間15万件ほどの民事裁判(地裁第一審)が発生します。

そのうち、証人尋問までもつれ込むのが3割とみても約5万件が、ガチに争われる事件です。

原告か被告かどっちかウソをついていなければ裁判にならないはずですから、推定で年間約5万件前後の偽証行為が発生しています。

ところで偽証罪の起訴件数については、古いデータですが、
1995年から2014年までの10年間に偽証罪により起訴された件数は、たったの59件です。

年間数万件単位で発生する偽証行為に対して、起訴されるのが年間平均約6件と冗談のような数になっています。
これは、
「裁判ではウソが付き放題」
「裁判で偽証しないヤツがバカ」
ということを国家が暗に認めているようなものです(私は、臆病な小心者のせいか、ウソをついたり、そそのかしたりする度胸はなく、ウソをついたり、つかせたりすることはありません。

なお、ウソをつかなくても、裁判に勝てる方法がちゃんと確立されていますので、仕事はそれなりにうまく行っています) 。

その他、駐車違反やスピード違反など、
「法を犯してもお咎めなし」
なんて事例は、世の中腐るほどあります。

いずれにせよ、
「だったら、警察や検察や裁判所や刑務所がパンクするはずだ。そんなことにならないのは、法を犯す数がもっと少ないからだ」
というのは明らかな誤りであり、起訴や立件はおろか、認知すらされない法令違反は、暗数ベースでの把握すら困難なほど、超絶的な数、日々発生しています。

このように考えると、つくづく、
「人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられない」
ということは、歴史上も、経験上の蓋然性からも、容易に証明できる真実である、といえると思います。

もちろん、例外はあります。

私の知る限り、
「生きていても、絶対、法を犯さない」
という人間は、この世に2種類しか存在しません。

すなわち、この属性の人は
「絶対、法を犯さない」
というタイプの方々が2種類ほどいらっしゃいます。

いえ、カトリックの神父さんとか真言宗の阿闍梨とかではありません。

カトリックの神父さんの児童の性的虐待や、前述のお寺や神社の不祥事等をみれば、むしろ、
「どんなに立派(そう)な人間でも決して欲には勝てない」
というシンプルながら、パワフルな事実を再確認することができます。

まずは、懲役刑を食らって刑務所に収監された受刑者の方々です。

この方々は、別に、法令遵守意識が高いとか、精神が高邁・高潔というわけではありません(おそらく)。

普通の人と同じく、いや、普通の人以上に、欲に素直で、ルールやモラルに無頓着で、さらに言うと、大胆に法を犯したか、はっきりとした痕跡を残したか、あるいはその双方をやらかし、普通の人より大きなしくじりを犯した方々です。

ですが、受刑者の方々は、どんなに法を犯したくても犯すことは不可能です。

24時間監視されて、自由が奪われ、社会との接点がないからです。

懲役刑というペナルティの本質は、
「普通の人なら、普通に生きて、普通に1日2つや3つの法を犯しつつ、娑婆で気ままに生きれる」
という自由があるが、懲役刑を食らうと、
「普通の人のように、気軽に、自由に、カジュアルに法を犯そうとしても、24時間監視され、社会との接点がなく、自由が奪われた状態で、気ままに法を犯せない」
という窮屈な生活を強いられる。

しかも、
「普通の人と同じく、いや、普通の人以上に、欲に素直で、ルールやモラルに無頓着」
というリベラルでファンキーな方に、普通の人より窮屈な生活を強いる、という苦痛を味わわせる。

ここに、懲役刑のペナルティとしての厳しさがあるのです。

「絶対、法を犯さない」
という属性をもつ方々がもう1タイプあります。

それは、皇族の方々です。

無論、皇族の方々は、性欲を制御できない神父さんや、カネが大好きなお坊さんと違い、気品と、気高さと、生まれ持った高貴さがおわしますから、ということもあるでしょう(多分)。

それ以上に、日本の皇族の方々は、24時間監視されて、自由が奪われ、社会との接点がありません。

偶然にも、刑務所の受刑者のライフスタイルと同じになっています。

だから、罪を犯そうとしても、環境面、処遇面で、犯しようがない、ということもあり、(もちろん内面の気高さも大きなファクターもありますが)
「絶対、法を犯さない」
という特異な人生を送っておられるのです。

欧米の皇族には、監視もなく、自由を謳歌でき、社会との接点が多いせいか、
「普通の人と同じく、いや、普通の人以上に、欲に素直で、ルールやモラルに無頓着」
といったタイプの方もいらっしゃり、結構問題を起こしてらっしゃいます。

「象徴天皇制」、別名「天皇終身アイドル制」
という、大きな大きなお役目を負わされた挙げ句、刑務所の受刑者同様、24時間監視されて、自由が奪われ、社会との接点もなく、我々一般ピーポーのように気軽に罪も置かせない、なんとも窮屈な生活を強いられている日本の皇族の方々は、本当においたわしい限りですが、とはいえ、不満1ついわず、しっかりとお役目を果たされていることについては、頭が下がります。

これらの方々が、
「生きていても、絶対、法を犯さない」
のは、
「法を完璧に把握し、すべての法を尊重し、常にかつ完全に、高貴で品位を保ちエレガントな振る舞いをされているから」
というよりも、
「社会と隔絶された環境に置かれ、24時間監視体制下にあるから、たとえ法を犯したくても物理的に犯しようがないから」
というのが大きな理由です。

市井の我々は、現行犯として逮捕されたり、顕著な痕跡をおおっぴらに残すような真似をしない限り、1日2つや3つの法を犯しながら、自由に、気ままに生活ができます。

深夜の高速道路の自動車のスピード状況や、大阪市内の路駐の状況をみれば、
「ごく普通の市民であっても、生きている限り、1日に2つ3つ法を犯しながら、生活している」
という事実はご理解いただけると思います。

前述のとおり、除夜の鐘が108とかいい煩悩は108程度ですが、普通に生活していたら、法令違反は1年間で軽く1000を超えます。

我々は、そのくらい、日々法を犯しながら、平気な顔で生きているのです。

ところが、
・「法を無視ないし軽視するような性格・気質」を生まれ持っている、あるいは
・「欲得やスリルや刺激を抑えきれず、法を犯すのが大好きな特異な精神傾向」を有している
ような特定属性の方々が、
「法を犯したくたくても、決して法を犯せない」
という状況に追い込まれる。

そこに、懲役刑というペナルティの本質的な意味は、どこかに閉じ込めておくことではなく、
「法を無視ないし軽視するような性格・気質」
を生まれ持っている、あるいは
「欲得やスリルや刺激を抑えきれず、法を犯すのが大好きな特異な精神傾向」
を有しているような特定属性の方々が、
「法を犯したくたくても、決して法を犯せない」
という状況に追い込むことを以て懲らしめとする、
という点にこそあるのではないか、と考えられます。

前述のとおり、囚人でも皇族でもない市井の我々は、衆人環視の状況で現行犯を犯すような明白で愚かなことをせず、あるいは、犯人性や行為を示す顕著な痕跡を残さない限り、何時でも、気軽に、自由に、イージーに、法を犯せます。

そして、そのような環境を享受することが、人権として保障されています。

これが、プライバシーという権利の根源的本質です。

憲法というのは、
「すべての人間が、何時何時でも、どのような状況にあっても、すべての法を守って、誰に対しても説明つく行動をして生きるべき」
という非現実的なまでに堅苦しい教条主義的前提に立たず、
「人間が生きている限り、法を犯さずにいられないが、囚人でもない限り、それを逐一目くじら立てて、全てを監視下において、窮屈で息がつまるような生活を強制せず、自由気ままに、ときに、ちょっとした悪事や非行や法令違反を含め、やましいことや、後ろ暗いことや、説明できないことや、表沙汰にしてほしくないようなこともやらかしながら、生きていける環境こそが、人間らしく生きることであり、これを基本的人権として保障するべき」
という、
「実に、成熟した考えに基づく、粋で鯔背で世情に通じ、俗気にあふれる法理」
を内包しているのです。

いずれにせよ、刑務所の受刑者や皇族の方々(なんかたまたま並んでしまってしまいましたが、他意は一切ありません)といった特殊な環境にある特殊な属性をもつような例外的な人々を別として、われわれ、一般ピーポは、生きている限り法を犯さずにはいられず、1日2つや3つ、人によっては4つや5つ、大晦日に鳴らす除夜の鐘は到底108で足りないような、そんな自由で気ままな生活を送って、(バレたり、痕跡を残したりといったヘマをしない限りにおいて、)楽しい人生を送るのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00659_企業不祥事は永遠に不滅です!

企業不祥事は永久に不滅です。

最近、というか、ここ2,30年くらい、継続的に、途切れることなく、企業不祥事が多発しまくっています。

「これだけ企業不祥事が出たから、もう、不祥事がなくなり、法律的に一点の曇りもない、清く、正しく、美しい、すみれの華のような、清廉な産業社会が日本にやってくる!」
と思われた方も、いらっしゃるかもしれません。

ところが・・・・・

残念でした!

おそらく、ここで話している、今、まさにこの時点においても、どこかで、
上場企業の粉飾やチャレンジや不適切会計、
反社会的勢力との不適切なお付き合い、
製品の性能データの改ざん、
などなど各種法令違反や不祥事や事件、あるいはこれらの萌芽であるミスやエラーや漏れや抜けやチョンボやうっかり、粗相や心得違いやズルやインチキが、モリモリ発生しているはずです。

間違いありません。

「企業不祥事」
はとどまるところを知らず、おそらく、今年も、来年も、再来年も、企業不祥事は、順調に、活発(?)に増えまくることでしょう。

おそらく、この傾向は未来永劫続くと思います。

そうです。

そうなんです。

企業不祥事は永遠になくならないのです!

絶対なくなりません。

弁護士は、後から嘘をついた、とか、いい加減なことを言った、と非難や批判をされたりすることを恐れ、滅多に、断定したり、「絶対」という言葉を使って断言したりいたしません。

そんな弁護士の中でも、かなり慎重で、臆病な小心者の部類に属する私ですが、これだけは、「絶対」
と断言できます。

企業不祥事は、決して、絶対、なくなりません!

永遠になくなることはありません!

昔、球界屈指のスター長嶋茂雄さんが
「わが巨人軍は、永遠に不滅です」
という名文句を遺されました。

「企業法務の世界でそこそこ知名度はあるが、好感度がイマイチの、ビジネス弁護士畑中鐵丸」としては、
「我が産業社会から、企業不祥事を根絶することは、永遠に不可能です!」
という
「迷」文句
というか、
「予言」
というか、
「時制を未来にした確実な事実」
を、絶対的自信をもった断言として、お伝えしておきたいと思います。

なぜなら、
「わが産業社会から、企業不祥事を根絶することは、永遠に不可能」
ということは、簡単に立証可能な命題だからです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00658_そもそも、なぜ、「暴力団でも犯罪組織でもテロ組織でもない、善良で健全な(はずの)企業組織」において、「法務」や「コンプライアンス」といった課題対処がこれほどまでに重要視されるのか?

(「違法行為を生業とする特殊な団体」ではない)健全な良識も常識も持ち合わせているはずの普通のカタギの皆さんが集まる普通の企業において、
「法務」
「法令遵守(コンプライアンス)」
などという業務(お仕事)が必要になるのはどうしてなのでしょうか?

もちろん、暴力団やテロ組織は、しょっちゅう法律を犯します。

というか、法律を犯すことがこの種の特殊組織の本質であり、大事な生業であり、各構成員の至上命題ですから、当然ならが、この種の特殊組織においては、法律違反は日常茶飯事であり、ごく普通の陳腐な光景です。

こういう、法令違反を生業ないし組織の活動の本質とする組織においては、
法令遵守(コンプライアンス)や、
法務、すなわち、法令違反等の法的リスクに対する安全保障
は致命的に重要であり、この種の組織が、必死になって、眦を決して、
コンプラが大事だ!
法務を充実させろ!
と大騒ぎするのはうなずけます。

しかしながら、銀行や商社や海外に展開する巨大メーカー等、東大京大一橋等超有名大学を卒業した、カタギもカタギ、真面目で優秀なエリートサラリーマンがうじゃうじゃいる、法を尊重し、法を守り、社会に貢献し、SDGsも意識し、企業倫理もしっかりしている、まともで真っ当な一流企業が、必死になって、
コンプラをなんとかしろ!
法務組織は大丈夫か!
インハウス(社内弁護士)を増やせ!
と、まるで、明日にでも重大な法令違反が発覚し、企業が潰れてしまいそうな勢いで、絶叫しています。

これって、考えてみれば、相当、
「変」
です。

コンプラだの、法務だのと絶叫して、社内弁護士を含め、かなりの予算を使ってバカみたいに大量の法務スタッフを整備している、銀行や商社や海外に展開する巨大メーカーは、社会的に立派でまともなビジネスをしているように見えるのはただの幻想で、実際は、暴力団やテロ組織以上に、法を破り、ルールを愚弄する、危険で危ない商売をしていて、法令違反リスクや法務安全保障について、経営幹部一同、スーパー・ウルトラ・ハイパー・センシティブな感受性をもっていて、
「いつ捕まるか」
「明日にも地検特捜部がやってくるぞ」
「もう警視庁捜査2課が動いているぞ」
「公取委が来るかも」
と恐れを不安を抱えた日々を送っている、そんな、危険で反社会的でヤッヴァい組織ということなのでしょうか?

有名アニメ
「ドラえもん」
でいうと、イジメやルール違反をしょっちゅう行うやんちゃなガキ大将の剛田猛男ことジャイアンやその親に対して、
コンプラ教育をしっかりしろ!
どんな事件がいつ起こってもいいようにファミリーロイヤー(剛田家の顧問弁護士)を雇って法務体制を整備しとけ!
と指示するのは意味と意義と価値あるメッセージです。

しかしながら、成績優秀で、行動も模範的で、先生の覚えもめでたく、すべてにおいてケチ1つつけようのない、出来杉君や、しずかちゃんに対して、
コンプラ教育をしっかりしろ!
どんな事件がいつ起こってもいいようにファミリーロイヤー(家庭の顧問弁護士)を雇って法務体制を整備しとけ!
と絶叫するのは、ローマ法王やマザーテレサに倫理や道徳を説教するのと同様、無駄で無益で過剰で無用であり、まったく意味がわかりません。

では、なぜ、まともな人たちが集う、まともな活動をする、まともな企業において、焦りまくって、必死になって、法令遵守や法務安全保障という課題に取り組むのでしょうか?

その答えは、次のような、歴史上証明された事実ともいうべき命題が明らかにしてくれます。

・「忘られがちな重要な前提」ではあるが、人間も「動物」の一種である。
・人間も動物である以上、本能と、ルールやモラルが衝突した場合、常に、本能を優先してしまう。
・すなわち、人は、皆、生きている限り法を犯さざるを得ない
・人の集団である企業も、継続的に存続してその目的を追求する限り、その本能、すなわち営利追求とルールや衝突した場合、営利追求を優先して、法を犯さざるを得ない 。

すなわち、普通の人間であれ、普通の企業であれ、普通に生活し、普通に企業活動を営む限り、不可避的に法を犯してしまう、という、何ともせつない実体が存在します。

そして、企業の規模が大きくなれば大きくなるほど、これに比例して、
「不可避的に法を犯してしまう」
蓋然性とトラブルのサイズは大きくなり、暴力団やテロ組織でもない、 健全な良識も常識も持ち合わせている普通のカタギの皆さんが集まる普通の企業においても、規模に比例して、
「法務」
「法令遵守(コンプライアンス)」
などという業務(お仕事)が必要となり、その対処のために、莫大な資源動員を行うことが求められるのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00657_最強の国家権力を保持するのは、国会(永田町)でも、内閣・行政官庁(霞が関)でもなく、「裁判所」(隼町)

国家権力の中でもっとも強力な権限は何でしょうか。

法律を作ることや、法律を執行することでしょうか。

他方、現日本国憲法は、法律に対する優位と最高法規性を宣言しておりますので、法律が憲法に違反して無効である可能性を否定できません。

すなわち、
法律を作る権限(東京都千代田区永田町所在の国会が有する立法権力)

法律を執行する権限(内閣を頂点とし、千代田区霞が関界隈に多数存在する行政官庁が有する行政権力)
の上に、
当該立法や法執行を憲法に照らして審査し、無効と宣言する権力
というものが観念され、現実にそのような権力と当該権力を振り回す国家機関が存在するのです。

これは、
「違憲立法審査権」
と呼ばれるパワーですが、立憲国家においては、国家運営におけるもっとも強力な権限であると認識されています。

この違憲立法審査権を、どのような国家機関に所属させるかについてはいろいろモデルがあります。

フランスやドイツのように、一般の裁判所とは別系統の特別の裁判所を創設し、これに違憲審査を行わせるようなシステムもあります。

わが日本は、イギリスやアメリカと同様、通常裁判所に違憲立法審査権を付与しています。

その意味では、裁判所(千代田区隼町所在の最高裁を頂点とする全国の裁判所)は、
通常司法権
のほか、
違憲立法審査権
という、
「立法権力や行政権力も凌駕するもっとも強力な国家権力」
を保持しており、
「我が国最強の権力集団」
ということができます。

しかし、これはよく考えてみると、相当特異なシステムといえます。

くだらない民事の揉め事や
下世話な離婚の話、
窃盗や詐欺などしょうもない刑事事件の面倒
をみている国家機関が、
「国会の立法権限や行政官庁の法執行をぶっ飛ばすようなラディカルな事件を担当し、判断し、最終的に結論を出し、シロクロ決めて裁いてしまう」、
ということですから、ある意味無茶苦茶なシステムです。

例えば、東京地裁の例でいうと、民事2部、3部、38部、51部は
行政“専門”部
と呼ばれ、こちらは、行政事件しか割り当てられません(専門部とは、特定の種類の事件が集中的に配点され、かつ、通常の事件が配点されない部をいいます)。

他方、京都地裁民事3部は、
行政”集中”部
と呼ばれ、こちらは、日本国が被告となるような行政事件を集中的に審理するのですが、当該部においても通常事件も割り当てられます(集中部とは、特定の種類の事件が集中的に配点され、かつ、通常の事件も配点される部をいいます)。

したがって、京都地裁民事3部では、
「午前中は、国土交通大臣を被告とする国家賠償請求事件、午後は貸金と契約違反と近隣紛争」
なんて形で、国を揺るがすような大事件と犬も食わないような民事の揉め事が同じ感覚で裁かれる、という実にシュールな光景が繰り広げられたりする可能性が現実的にあったりします。

さらに言うと、もっと小さな規模の地方裁判所や支部になると、単独の部や、1人の裁判官が、民事事件も刑事事件も行政事件も扱うこともあるでしょう。

いずれにせよ、裁判所が日本国の中でもっとも強力な権力を有することは明らかであり、裁判所の前では、泥棒も詐欺師も民事の揉め事の当事者も首相も大臣も等しくひれ伏し、そのご託宣を仰がなければならないのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00656_企業法務課題の整理・体系化の必要性を考えるためのケース・スタディー

「企業法務」
というビジネス課題については、取扱対象の広汎性、ロジックの専門性等から、取り組む以前の問題として、課題をどのように発見し、整理・分析すべきすらわからず、五里霧中の状態で途方に暮れる企業も少なくありません。

もちろん、書店等に行けば法務関連図書を多く見受けます。

しかし、民法、会社法、金融商品取引法といった各法体系に応じてドグマティックに整理されたものがほとんどです。

実際の企業は、
「ウチは民法に関する事業しかやっていませんので、民法に関する問題しか起こしません」
「当社は、採用する社員が多いという特徴がありますので、労働法に関することだけ意識しておけばよく、労働法に関する問題だけ対応すれば十分です」
「銀行業を営むわが社は、銀行法のリスクだけフォローしておけばあとはまったく法律問題は発生しません」
「先端的なITベンチャーやっているウチは、知財と個人情報保護関連の法律問題だけ気にしとけばいいかな」
といった形で、特定の企業は特定の法分野にしか関わらない、あるいは特定の法律問題だけ起こす、などということは決してありません。

法体系を横断し、ダイナミックに展開する現実のビジネス活動を展開する上では、
会社法の問題(統治秩序の問題)も、
労働法の問題(資源動員・ヒトの問題)も、
製造物責任や環境法や不動産の問題(資源動員・モノの問題)も、
ファイナンスに関連する法律問題(資源動員・カネの問題)も、
知財や個人情報保護の法務課題(資源動員・チエの問題)も、
独禁法や消費者契約法といったセールスに関連する規制対応問題(収益実現・セールスの問題)も、
債権管理回収の悩み(売掛管理の問題)も、
税務に関する課題や、株式公開をしていれば、財務会計や金商法についてのトラブル(成績管理とスポンサー・フィードバックの問題)も、
すべて、同時多発的に発生するリスクであり、したがって、これらすべての課題を横断的かつ俯瞰的に把握し、効果的にケアできる対応を整備しておく必要が存在します。

例えば、(かなり古い事件を題材にしたものですが、)こんなケースを考えてみましょう。

====================>以下、ケース
「2万円」
という定価実績が全くない宅配形式のおせち料理商品を、
「定価2万円のところを1万円で特別販売」
と銘打って予約販売をした。
プロジェクトは当初、取締役会で試験的な実施を決議され、代表取締役が執行担当者となって実施されたが、
「ここは一挙に知名度をあげましょう。大量のクーポンを発行して集客するので、ガンガン作って売ってください」
との広告代理店の口車に乗せられ、勝手にプロジェクトの規模を大きくした。
対応し切れないほど大量の注文を受けてしまったため、告知していた高級食材が調達できず、国産鴨肉をフランス産鴨と偽り、鹿児島の豚肉をイベリコ豚と偽って、スカスカのおせちを作った。
また大量注文のため、冷蔵庫のキャパシティがなく、長時間そこら辺に作りおきしておいたため、腐敗の始まった食材もあったが、強引に詰め込んだ。
大晦日に間に合わず、配達が元旦を超え、キャンセルや損害賠償請求が相次いだが、当該請求は拒否した。
トラブルのため大幅な損失が生じ、納入業者に代金減額を要請し、態度の悪いアルバイト数名の給料も減額した。
責任者として連日連夜のクレーム対応で残業続きのため、過労で倒れた店長を解雇した。
その後、マスコミの報道やネットでの誹謗中傷が始まり、被害者弁護団が結成されて内容証明が届き、労働組合からも団体交渉の申し入れがなされた。
「我社には、労働組合など作ったことはないし、存在しないので、意味不明なので、関わる必要なし」
という社長の判断で、労働組合の団体交渉申入れは無視することとした。
そうすると、今度は、東京都労働委員会という聞いたことのないところから呼び出しが来るとともに、連日、会社の前で赤旗を立てて、知らない集団が騒ぎ始めた。
株式公開を目指して、税理士のアドバイスで、私募の形で増資し投資を引き受けてもらった数百人の個人株主から、
「ニュースをみたが、どうなっている?公開は大丈夫か?」
「公開は無理だろ。だったら、投資した早くカネを返してくれ」
という怒りの電話が殺到した。
労働基準監督署、保健所、消費者庁、関東財務局等様々な官庁が、入れ代わり立ち代わり調査に訪れたり、電話や通知書で話を聞きたいという要請をしてきた。
主幹事宣言をもらっていた証券会社からは撤回したいという連絡があり、また、監査契約を行う前提でショートレビューに入っていた監査法人も監査契約は困難と言い出した。
そして、メインバンクからは、融資の一括返済が求められた。
これと時を同じくして、株主の一人が監査役に対して、取締役全員を提訴するよう求める通知書を送付した。
<====================以上、ケース

現実の法務の現場では、このような多彩かつ多岐にわたる法務課題や法務リスクが、同時多発的に発生し、しかも、そのどれもが無視できないほど大きな課題で、対処を一歩間違えれば、会社が一気に吹き飛びます。

このように、無数に存在するビジネスに関連する法律群を横断してダイナミックに展開する企業活動に即時かつ効果的に法務対応するためには、各論点がクリアに整理された頭脳あるいはイシュー・スポッティング・ツール(論点発見のためのマップ)を実装しておかないと、企業の適切な法務安全保障は維持できません。

すなわち、企業法務課題に対応するためには、顧問弁護士等外部専門家として企業に関わる者も、社内の法務担当者も、各法律を個別にスタディーする(これだけでも過酷な難事ですが)だけでは不十分であり、
「法横断的に展開する企業活動のダイナミズムに素早く対応し得る、別の法務体系」
を構築し、
法務担当者ないし弁護士個人としても、法務組織全体としても、
当該体系に基づき、
各論点がクリアに整理された頭脳あるいは
イシュー・スポッティング・ツール(論点発見のためのマップ)
を、整備・実装し、即時実戦利用できるように常時運用稼働しておくことが最低限必要である、ということになるのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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企業法務大百科® 開設・運営:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

00655_企業の最大の苦手科目―「企業法務」

法律は、
「恐ろしく、不気味で、非常識で、倫理とか道徳とかあんまし関係なく、出鱈目で、クレイジーで、ロックンロールで、カタギには縁遠いもの」

という側面をもっています。

われわれ個人レベルでも、法律は苦手意識が先立ってしまいますが、
企業としてはどうなんでしょうか?

「企業法務」
というビジネス課題については、
取扱対象の広汎性、
ロジックの専門性等
から、取り組む以前の問題として、課題をどのように発見し、整理・分析すべきすらわからず、五里霧中の状態で途方に暮れる企業も少なくありません。

もちろん、書店等に行けば法務関連図書を多く見受けますが、民法、会社法、金融商品取引法といった各法体系に応じてドグマティックに整理されたものがほとんどで、法体系を横断し、ダイナミックに展開する現実のビジネス活動に適合した書籍はあまりみかけません。

例えば、
新しい製品を製造して販売するという事業を新たに構築する
という場合、
・原材料調達取引や製品販売取引に関しては民法・商法を参照し、
・新事業開始や工場建設の意思決定に関しては会社法を参照し、
・環境規制に関しては行政法・条例を、
・マーケティングに関しては景品表示法を、
・下請けとの関係構築は下請法を、
・その他企業間の関係(BtoB)規律については独占禁止法を、また、
・製品の販売方法(BtoC)については消費者契約法を、
と言った具合に
「法制定者の都合でビジネス活動とは無関係に、バラバラに存在する各法体系」
を個別に参照しなければならず、手間と時間が膨大にかかり、現実のビジネスの展開スピードに間に合わず、いわゆる
「漏れ」や「抜け」
が出てくる危険性が顕著に存在します。

こういった事情に加え、
収益獲得との関係の希薄さ、あるいは
課題発生の蓋然性の低さ(非定常性)
といった特殊性から、どの企業も
「企業法務については、興味・関心はあるが、どこから手をつけていいかわからない」
という形でついつい敬遠してしまいがちです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

【本記事をご覧になり、著者・所属法人にご興味をお持ちいただいた方へのメッセージ】
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