01774_11歳からの企業法務入門_7_契約書を作る上でルールは一切ない。契約書なんて、小学生でも作れる

契約書というと、甲とか乙とか古めかしい言葉がいきなり出てきて、全体的に漢字や文語調の言い回しが多く、高度で専門的な言語能力がないと作成できないのではないか、という印象がお持ちの方も少なくないと思います。

ですが、結論を言いますと、契約書のつくり方や言い回しには特段の決まりがあるわけではありません。

強いて言えば、
「約束の内容が明確に記載してあり、読んで何が書いてあるかわかる程度の文書であれば、何でもOK」
という極めてユルいルールがあるだけです。

契約は口頭でも成立するものです。

その意味では、契約“書”は、契約成立の絶対条件でもなんでもなく、
「あってもなくてもいいが、あったら、後からモメるのを防げる」
という任意の証拠に過ぎません。

ですから、
証拠として使える程度のことが書いてさえあれば問題ない、
といえるのです。

したがって、
「甲、乙、丙」でなくて「A、B、C」でも問題ありませんし、
すべて平仮名で書いても大丈夫ですし、
丸文字を使ってギャル語丸出しの契約書もOKです(ただ、「約束の内容が明確に記載してあり、読んで何が書いてあるかわかる程度の文書」である必要はあります)。

契約書に用いる紙も、コピー紙である必要はなく、わら半紙でも、紙ナプキンでも大丈夫(新聞紙にマジックで書くとさすがに書いてある内容が判りませんので問題があります)。

実際、暴力団関係者とモメ事が起こった場合、暴力団関係者から
「ファミレスで書かせた紙ナプキンの示談書や念書」
といった文書が提出されたりします。

このように、契約書は、甲でも乙でもAでもBでも同じであり、漢字を使おうが丸文字を使おうが関係なく、わら半紙に書こうがトイレットペーパーやティッシュペーパーに書こうが構わないのですが、裁判になったときに証拠として機能するものですから、この点を意識しておく必要があります。

すなわち、裁判官が読んで理解・認識することが前提になっておりますので、
「契約書の体裁にルールはない」
といっても、裁判官が妙な印象を抱くような契約書を作った場合、せっかく作った証拠が機能しなくなる危険はあります。

例えば、
わら半紙に丸文字でギャル語全開のM&A契約書
や、
1億円の損害賠償債務を承認する紙ナプキンの念書
が証拠として出されても、裁判官の理解の範囲を超え、
「これは契約の証拠ではなく、タチの悪い冗談か何かだろう」
と判断される可能性があります。

その意味では、時間と手間の許す限り、取引価額に比例してきっちりとした内容の契約書をつくっておくべきことが推奨されます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01773_11歳からの企業法務入門_6_「作っても、作らなくても、どっちでも法的には契約は有効」だが、契約書を作るのをサボるとエライ目にあって、最悪破産する

「法律上、契約の成立に契約書が不要である」
といいながら、他方で、ビジネスの世界では、せっせと契約書を作ります。

スピードと効率が極限にまで尊重されるビジネス世界で、なぜ、このように、あってもなくてもいい
「契約書」
にこだわり、一生懸命作り続けるのはなぜなのでしょうか?

契約書は、契約を成立させるために絶対、不可欠の条件ではありませんが、まったく意味がなく、あってもなくてもいいという無益なものではなく、やはり作ったら作ったなりの価値や効果は発揮します。

すなわち、契約書を作れば、作っていない場合と比べて、
「契約が存在したことや、契約の具体的内容を示す“証拠”」
としての意味をもちます。

要するに、
「約束の証拠」
があれば、
「口約束だけ」
より、安心できる。

ただ、それだけの話です。

すなわち、
「契約書」
というのは、取引当事者間において強制されるものではなく、
「それほど不安だというなら、どうぞご自由に証拠でも作っておかれたらいかがですか。ご自由に。ただ、作っておいたら、言った言わない、そんな話は聞いてない、と揉めた場合には役に立つかもしれません」
という程度のものにすぎません。

そんな
「言った言わない、話が違う」
ということなんて、普通の認知と記憶と常識があれば、起こり得ない、と言われそうです。

オコチャマの皆さんとしては、
「まともな記憶力と常識と良識と道徳と倫理があれば、約束をしておいて知らぬ存ぜぬとスットボケたりするような悪い奴は、社会にそんなにいないはず。渡る世間に鬼はなし、とことわざのとおり、もっと相手を信頼してもいいはず。口約束でも法的に有効なら、もっと相手を信頼して口約束だけでいいはず」
と考えられるかも知れません。

それこそ、世間を知らない、ガキの浅知恵であり、カネを無くす間抜けにありがちなダメな発想です。

確かに、1000円貸した貸さない、とか、
「その本、私もう読んじゃったのがあって、メリカリで売ろうと思っていたから、500円で譲ってあげる」
みたいな話であれば、
「言った言わない、話が違う」
なんてことは生じ得ません。

お互い譲り合えばいいだけですから。

しかし、億単位、あるいは数十億円単位の話となれば、別です。

億単位、あるいは数十億円単位の話は、常識を超えた話です。

そんな常識を超えた話にトラブルが発生し、
そこは1つ常識的に、
ここはお互い譲り合って穏便に、
まあまあ、相身互いで、円満に行きましょう、
といって、納得するはずがありません。

だって、常識を超えた額の話ですから。

常識が通用しないスケールの話ですから。

ちょっと勘違い、食い違い、想定外、思惑違いがあったので、
ちょっとタンマ、
ちょいノーカン、
そこは許して、
譲って、
という話のサイズが、数億円、数十億円のロスやダメージの容認となります。

そんなことをにっこり笑って許容するなんてしびれるくらいのアホは、ビジネス社会では生きていけません。

たとえ、しっかり認知していて、はっきり記憶していて、ただ、契約書がなかった、あるいは契約書の記載があいまいだった、という事情があって、相手の言っている内容が事実としても記憶としても間違いなく常識的で正当な内容であっても、
「契約書みてもそんなことは書いていない。書いていない以上、認めるわけにはいかない」
と突っ張るのが、責任ある企業の経営者としての態度です。

すなわち、
「言った言わない、話が違う」
ということなんて、普通の認知と記憶と常識があれば、起こり得ない、
というのは、1000円、1万円の話であればそのとおりですが、ビジネスや企業間のやりとりにおいては、些細な勘違い、食い違い、想定外、思惑違いであっても、契約書や確認した文書がなければ、すぐさま、
「言った言わない、話が違う」
のケンカに発展し、常識も情緒もへったくれも通用しないトラブルに発展することは日常茶飯事なのです。

すなわち、法によって強制されるものではないが、
「多少の時間とエネルギーとコストを負担してもなお、『言った、言わない』といった類の無益な紛争を起こしたくない」
と考える取引当事者が、“紛争予防のための自衛手段”として、相互に合意内容を証拠化しておく。

これが契約書なのです。

1)大きな額の取引で、
2)合意内容を書面化するだけの時間的余裕がある、

といった類の契約について、なるべく証拠を残しておこうという発想が働くのは当然であり、だから、ビジネスの世界においては、一定のボリュームの取引をする際に必ず契約書がついて回るのです。

例えば
「1つ100円のコンビニのおにぎりを購入する契約」
で契約書を作らないのは、1の観点において、
「さほど大きな額の取引ではなく、万が一、『言った、言わない』のトラブルが仮にあったとしても大事にならないから」
という説明が可能です。

「シャケのおにぎりと思って買ったところ、梅干しのおにぎりだった」
というトラブルが発生しても、お店で事情を説明して交換してもらうか、それもダメなら我慢して食べればいいだけの話ですし、そんなトラブルを防止するために逐一契約書を作っていたら小売りの世界で労務倒産が続出し、社会機能が停止します。

同様に、証券取引や為替取引や商品先物取引において契約書を作らずに取引を遂行するのは、2の観点において、合意内容を書面化するだけの時間的余裕がないから、という理由によるものです。

ですが、実際は、株式や商品先物の取引の現場では
「言った、言わない」
「無断で売却した」
「そんな話は聞いていない」
というトラブルはよく発生します。

要するに、迅速さを要求される取引において契約書を作らないというのは、
「時間を取るか安全を取るか、という局面において、安全を犠牲にした」
という価値判断の問題といえます。

「契約書を作る余裕はないが、多額の取引で、言った内容どおりの取引がおこなわれているかどうか不安だ」
というのであれば、相手方の同意を得て取引の際の会話をICレコーダーで録音しておくのも1つの方法です。

「契約書」
といっても単なる証拠に過ぎませんし、証拠という意味においては、会話録音も十分機能を果たしますから。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01772_11歳からの企業法務入門_5_契約書など、作っても、作らなくてもいい。

例えば、コンビニエンスストアに行っておにぎり1個を100円で買いにいく、としましょう。

その際、
「売主を甲、買主を乙とし、売主は、買主に対して、本日、別紙明細・仕様にかかるおにぎり1個を100円にて売渡す。・・・」
という契約書を持っていき、
「この契約書に逐一署名押印しないと、まともな契約処理とはいえず、コンプライアンス的に問題であるので、おにぎり売買取引はすべきでないし、できない」
などと言い出した人間がいたとしましょう。

この人間の言い方はまったく間違っていませんが、こんなことを逐一やっていたら、それこそ日本経済がマヒしてしまいます。

100円のおにぎりの例は少し極端ですが、1,000万円の取引であろうが、1億円の取引であろうが、やはり、
「契約書」
などといったご大層な紙切れなどなくとも
「契約」
は立派に成立するのです。

その意味では、
「契約書(約束の証拠)」

「契約(約束)」
は別物です。

「契約書(約束の証拠)」
がなくても
「契約(約束)」
が成立することはあります。

「契約(約束)」
をしていても、
「契約書(約束の証拠)」
を作らず、
「口約束」
で済ますこともありますが、この
「口約束」
であっても、内容が明確で具体的であれば、法的に有効です(諾成契約といいます) 。

「契約書がないから、この契約は法的には無効だよ!」
とかエラそうに言っているオッサンがいれば、そいつは、信じられないくらいのアホの知ったかぶりです(社会に出れば、こういうアホがウジャウジャいます)。

そういうイタいオッサンにあったら、
「日本の民法は意思主義を採用しているから、諾成契約でも有効だよ。アホのくせに、エラそうに知ったかぶりしていないで、ちゃんと民法勉強した方がいいよ」
とか言ってやってください。

「契約(約束)」
がなくとも、
「契約書(約束の証拠)」
だけが作成されることもあります。

脱税したり、何かワルダクミをしたり、怒られるのをやり過ごすためにつまんないウソをデッチ上げたり、 大人も、困ったら、いくらでもズルやイケナイことをするもんなんです。

当然、こんなウソっこの
「契約書(約束の証拠)」
は無効です。

「契約(約束)」
そのものがないんですから。

ウソであり、なんちゃってなんですから、こんなもん、法的には無効です。

ただ、そのことを知らずに、ウソっこの
「契約書(約束の証拠)」
を信じて迷惑や損害を被った他人が出てきたら、どうするか、という点については、大学の民法で勉強します。

いずれにせよ、
「契約書(約束の証拠)」
がなくても
「契約(約束)」
は立派に成立します。

実際、テレビ番組やテレビコマーシャル制作委託取引の現場などは、紙切れ1枚なく、数千万円単位の取引が日常的に行われているようです(2009年2月25日に総務省から公表された「放送コンテンツの製作取引適性化に関するガイドライン」等をみますと、『どんなに巨額の取引でも口約束で済ませる』というテレビ業界におけるある種、いい加減ともいえる慣行を伺わせる記述がみられます)。

あと、証券取引や為替取引や商品先物取引等というのも、基本的に口頭だけで何千万円単位、何億円単位の取引が行われます。

目まぐるしく激変する株式市場で信用で(借金して)相場張っている投資家が、
「後場に入ったら、すぐに手持ちの買いポジション解消して。早く。早く。早く~~~~」
なんて現場で、悠長に
「甲及び乙は、本日、・・・・」
という契約書を作成して調印していたら、それこそ取引機会を逸したり、逃げ場を失くして、大損することになりますからね。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01771_11歳からの企業法務入門_4_法律も、契約も、「書いていないことは何をやっても自由」と考えてよく、ワルとズルの味方

法であれ、契約であれ、小難しい言葉で書かれた文書ですが、
「あれをしろ、これをしろ、と窮屈に人をしばりつける厄介で面倒なモノ」
と思うかもしれません。

しかし、
「本当に法律をわかっている、知恵のある人間」
は、そうは考えません。

法であれ、契約であれ、
「あることを守るように約束させられた」
というものですから、
これを逆に捉えれば、
「明確に約束していないことは、何をやろうが文句を言われる筋合いはなく、やりたい放題」
「法律に書いていないことは、何をやっても許される」
「契約に明確に書かれていなければ、どんなに相手に迷惑がかかろうが、お構いなし。こちらにメリットがあるなら、とことん好き勝手やる」
ということが容認されているとも考えられます。

「本当に法律をわかっている、知恵のある人間」
は、実際、そう考え、行動します。

もちろん、
「明確に約束していないことは、何をやろうが文句を言われる筋合いはなく、やりたい放題」
「法律に書いていないことは、何をやっても許される」
「契約に明確に書かれていなければ、どんなに相手に迷惑がかかろうが、お構いなし。こちらにメリットがあるなら、とことん好き勝手やる」
ということを考え、口に出し、実践すると、
堅苦しくて退屈で鯱張(しゃちほこば)った世間一般のつまんなそうなオジサンやオバサンから
「常識の通用しない、面倒くさいヤツ」
と思われるかもしれません。

ですが、無用に遠慮して相手のことを考えてやりたいことを我慢した場合と、遠慮せずに好き勝手やった場合で、もし、手にするお金や、損するお金が数億円の違いが出てくるとすれば、どうでしょう。

少なくとも企業経営者は、そういう考え方で、
「法の穴」
「契約の穴」
を探し出し、それが自分に有利に働くのであれば、徹底して、これを逆手にとって、自分の権利を主張し、相手を不利な状況に追い詰めます。

それができるのも、法律や契約は、
「書いてある約束事については効力がある」が、
「書いていないことには効力が及ばない」
という前提があるからです。

このような発想にたてば、法は、
「杓子定規に人を縛り付け自由を奪い去るもの」
ではなく、
「禁止の限界を画し、人に自由と安全を保障してくれる便利で役に立つもの」
とも考えられます。

実際、人にシビアな罰を与える刑法は、適用・発動の条件が厳格に規定されています(罪刑法定主義といいます)。

当然ながら、
「非常識だから、刑法に触れた」
「倫理や道徳に反する行為をしたから、刑法犯」
になるとは限りません。

今なお世界に存在する下品な独裁国家・全体主義国家や、戦前の我が国のような人権が尊重されない非文明的な国家であれば別ですが、少なくとも、現代の日本において、
「お前の行いは非常識だ」
「お前の言動は秩序に反する」
「お前の言い方は不愉快に過ぎ、社会に脅威を与える」
「お前の本は反倫理的で秩序を乱す」
「お前の作品は健全な価値観に対して挑戦的だ」
「お前の思想は堕落した帝国主義の影響を受けており反体制的であり危険だ」
などといった理由で、逮捕され、投獄されることはありません。

いや、今なお、田舎のあんまりイケていない公立学校とか、偏差値的におよろしくない学校等では、
「リベラルに振る舞う生徒」
に対して、 意味不明な校則を理解不能に解釈したり、校則とかすら関係なく、常識や感覚だけで、教師が生徒にヤキを入れたりするようなケースがあると仄聞します。

とはいえ、そういう
「法律的に説明不能な教師の生徒に対するヤキ入れ」
は、出るところに出たら、すなわち裁判になれば、教師側が法的責任を問われることになりかねません。

いずれにせよ、常識や倫理や道徳を持ち出して処罰されたりしないのは、
倫理とか社会道徳とか秩序とか常識とかに違反しても、明確な法令に明確に違反しておらず、
しかも、
罪刑法定主義というリベラルな考え方が根底にある
からです。

我が国民が、どこぞの独裁国家の国民と違って、突然の牢屋送りに怯えることなく、自由で楽しく暮らせるのは、(一見、権威的で、堅苦しく、厄介で窮屈な印象を与える)法律というものが、前述のとおり
「明確に書いてないことは、何をやってもいい」
というリベラルな効能を発揮しているからにほかなりません。

さらにいいますと、
「道義的責任がある」=「(裏を返せば)法的責任までは追及できるかどうか不明」
ということすらいえます。

また、
「企業倫理に反した行動」=「法に触れない範囲での経済合理性を徹底した行動」
とも考えられます。

「社会人としてあるまじき卑劣な行為」も、
法的に観察すれば、
「健全な欲望を持った人間による、本能に忠実な行為であって、非常識とはいえ、法的には問題にできない行い」
と考えられることもあります。

たとえ、
「社会人としてあるまじき卑劣な行為」

「企業倫理に反した行動」
を仕出かし、その結果、新聞やマスコミから、
「道義的責任がある」
「社会的責任を取るべきだ」
とバッシングの嵐があろうが、法に触れていない限り、
「法的には」
まったく責任を取る必要など、ビタ1ミリないのです。

法は、
「法に書いてなければ何をやってもお咎めなし」
という形で、新聞やマスコミや世間のバッシングから、我々を守ってくれる。

そんな意外な一面をもっています。

実際、民法解釈の世界では、
「強欲や狡っ辛さは善」
であり、
「謙虚や慎ましさや奥ゆかしさは怠惰の象徴であり、唾棄すべき悪」
とされています。

すなわち、
「強欲で自己中心的な人間」=「自らの権利実現に勤勉な者」
という形で、民法の世界では保護・救済されます。

「自らの権利や財産を守るために、人目をはばからず、他に先駆けて保全や実現にシビアに動いた者」
は、権利が錯綜する過酷な紛争状況での最終勝者判定の場面で、
「自らの権利実現に勤勉な者」
として、保護されます。

他方で、
「おしとやかで、雅で、控えめな人間」は、
「権利の上に眠れる者」として、消滅時効の場面等で全く保護されず、その権利を奪い去られてしまいます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01770_11歳からの企業法務入門_3_憲法、法律、契約すべては「約束」の一種

1 憲法、法律、契約は、全て「約束」の一種として、説明出来る

ところで、企業法務を理解する上では、法律や憲法や契約のことを理解しなければなりません。

法律や憲法や契約については、大学の法学部でしか学べないような思い込みがあるかもしれませんが、別にそんなことはありません。

大学の法学部で法律を学んでいないからといって、法律について無知で、法律を理解しないまましょっちゅう法律違反するか、というと、そうとは限りません。

また、大学の法学部で法律を学んだからといっても、法律のことをよくわかっていない法学部卒業生もたくさんいます。

ここで、極めて、シンプルに法律、憲法、契約のことを理解してしまいましょう。

法律、憲法、契約、これらは、ざっくりいうと、
「約束」の一種
です。

2 契約は「一般ピーポー(一般人や一般企業)」と「一般ピーポー(一般人や一般企業)」 との間の厳(いか)つ目の「約束」

契約は、
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」同士の「約束」、
すなわち、
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」と「一般ピーポー(一般人や一般企業)」との間の「約束」
のことです。

「じゃあ、約束でいいじゃん」
「なんで、約束のことを、わざわざ『契約』なんて、堅っ苦しい言葉遣いするの?」
という声が聞こえてきそうです。

日常用語の「約束」と違う点は、
約束違反した場合に、法的責任(民事責任)が生じ、裁判所で責任追及出来る、というところにあります。

小学生同士に放課後サッカーで遊ぶ約束をしたとして、急な用事で約束を守らなかったからといって、損害賠償責任が発生したり、裁判所でその責任を追及したりすることはありません。

他方で、企業同士が数十億円の商品や原料の取引の約束をしておいて、これをすっぽかしのに、一切お咎めなし、となると、経済社会が崩壊します。

その意味で、
「約束違反したらヤキを入れられる、法的責任が生じる、あるいは、法的責任を負う覚悟で行う、厳(いか)つめの約束」
が、
「契約」
というわけです。

3 法律は、「国家」と「一般ピーポー(一般人や一般企業)」 との間の「約束」

法律も
「約束」の一種
です。

ただ、約束の相手が特殊です。

法律は、
「国家」と「一般ピーポー(一般人や一般企業)」との約束
です。

こういう言い方をすると、
「え? 日本国家とそんな約束した覚えねえよ」
と言われそうですが、民主主義というフィクション(強引なつくり話)によって、
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」は「国家」と「約束」した、
ということとなり、法律という約束を守らされます。

近代以前の遅れた社会においては、法律は、
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」
の知らないところで、王様とか将軍といったその地域を支配する最大の暴力団のトップによって、勝手に定められました。

ところが、
「自分たちの知らないところで勝手に決められた約束とか知るか、守れるか」
という当たり前の話が出てきて、
「議会」
というものが作られ、議会に
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」
の代表を集めて、法律を作る、というところに落ち着きました。

「他ならぬ自分たちで決めたんだから、忘れた・知らないとは言わせないぞ。お前ら、きちっと守れよ」
というわけです。

もちろん、選挙権をもつ以前からあった法律とか、生まれる前に出来た法律とかは、
「知ったこっちゃない」
という文句ももっともですが、お父さんとかおじいさんとか、自分たちの身近な
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」
が関わって作っているわけなので、やや強引ではありますが(フィクションが介在する、という言い方になります)、
「テメエらで決めた約束事だから、責任もって守れよ」
となるわけです。

法律を守らないと、刑事責任を食らったり、行政処分を食らったりする、という形で一定のペナルティが生じます。

4 「民法」や「商法」は、法律は、「国家」と「一般ピーポー(一般人や一般企業)」 との間の「『一般ピーポー(一般人や一般企業)』同士の典型的な『取引あるある』『約束あるある』」の国家推奨の標準モデル

ちなみに、
「民法」
「商法」
といった法律(私法と呼ばれます)がありますが、これは、
「国家」と「一般ピーポー(一般人や一般企業)」との約束、
というものとは趣が異なる内容が盛り込まれています。

すなわち、
「民法」等で細々と書かれているのは、
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」同士の約束を、一定の内容に決めつけ、モデル化したもの
です。

「こういうことを約束する一般ピーポー(一般人や一般企業)は、だいたいこういうことを考えているだろうから、こういう形で問題を処理しといたらいいんじゃね」
という国家のお節介であり、余計なお世話的なものです。

だから、民法や商法の中で、気に入らない取り決めがあったら、いっくらでも上書きして消し去ってしまうことは可能です。

要するに、民法や商法は、
「『一般ピーポー(一般人や一般企業)』同士の典型的な『取引あるある』『約束あるある』」
の国家推奨の標準モデルで、特に当事者が断りなければ、このモデルで約束トラブルを解決します、という程度のものです。

5 憲法は、「理念(人権保障理念)」と「国家」との「約束」で、「国家」を雁字搦め(がんじがらめ)に縛り上げ、国家を監視し、国家の暴走を防ぐもの

憲法も「約束」の一種
ですが、
他の法律とは異なった「約束」
です。

憲法は、
「理念」と「国家」との約束
であり、もっぱら、
国家が「理念」を無視して変なことをしないように、国家が「理念」を忘れて暴走しないように、国家を縛り上げる「約束」
という点に特色です。

約束させられているのは、国家であり、
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」
ではありません。

したがって、国家が憲法違反(約束違反)を問われてネチネチイジメられることはあっても、
「一般ピーポー(一般人や一般企業)」
は約束の当事者ではないので、憲法違反とかいわれてイジメられることはありません(細かいことを言うと、私人間効力、という特殊な例外はありますが、ここでは置いておきます)。

「国家」が約束した相手方
である
「理念」とは何か、
というと、
人権保障という理念
です。

6 民主主義のダークサイド(特定少数民族から自由・生命・財産を暴力的に奪ったナチスドイツは、民主主義が暴走した悲劇)

そして、人権保障というのは、特に、少数者の人権を守る、という点に重要性があります。

民主主義の世の中であり、法律は国民が参加して作りますから、国民がよほど愚かで、自分で自分のクビを締めるようなおかしな真似をしない限り、わざわざ
「人権保障」
などという理念で国家を縛り上げる必要がないかのようにも思えます。

しかし、民主主義というのは、あくまで、多数派が牛耳るシステムです。

51%牛耳った側が、49%の声を無視して、好き勝手出来る、というダークサイドをもっています。

で、歴史上、実際、このような暗黒面が現実化しました。

第一次世界大戦後、
「当時としては画期的なほど民主的と評価されたドイツのワイマール憲法下において誕生した、究極の民主的政権」
が誕生しました。

ナチスドイツです。

国民の大多数が、
「ユダヤ人を排除せよ」
「ユダヤ人を強制収容所に入れて殺してしまえ」
という意思をもち、この民主主義的意思が政治過程において適正に表明されました。

この場合、
「民主主義」
を貫けば、このような常軌を逸した政治的意思が正当性を有することになります。

実際、第二次世界大戦において、ドイツにおいて、民主主義の名の下に、ユダヤ人等の得チエ少数民族が相当数、生命、自由、財産を不当に奪われる、という、人類史上最悪の愚行が行われました。

民主主義体制下の国家であっても、こういう
「暴走」
は防ぎようがありません。

そこで、
「たとえ、51%牛耳った側であっても、49%の人権を不当に奪えない」
という理念を、民主主義による国家運営の上位理念として設定し、当該理念が、国家の暴走や愚行を監視し、禁止する、という
「シン・民主主義」
ともいうべき国家運営理念が採用されるようになったのです。

これが、立憲民主主義(リベラルデモクラシー、あるいは自由民主主義)であり、このような考え方に基づき、我が国憲法は、人権保障理念を体現し、国家に対して
「少数者を含めた全ての方々の人権を保障します」
と約束させ、約束違反があれば、国家にヤキを入れる、という体制を採用しているのです。

7 常識や宗教・教典も、一種の「約束」

ちなみに、付け足しで余計なことを言っておきますと、
「社会」と「一般ピーポー(一般人や一般企業)」との「約束」が「常識」
と呼ばれます。

ただ、
「社会」の範囲や、
「常識」の範囲や中身等
については曖昧模糊としており、
「常識」と「常識」が対立して、
不毛な論争を招くこともあります。

さらに、
「法律」も往々にして「常識」と異なります。

さらに、余計なことかもしれませんが、
「神様」と「一般ピーポー(一般人や一般企業)」との約束事が宗教とか教典、
という言い方になりますでしょうか。

聖書というのは、神様とキリスト教信者との約束事が文書化されたもの、ということかと思います。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01769_11歳からの企業法務入門_2_企業法務って何?

企業活動、すなわち、組織ぐるみでの金儲けをやっていく上では、
「後先考えず、脇目も振らず、効率的でより多くの金儲けだけを考えてればそれでいい」
ということにはなりません。

目先の欲得や自分の都合だけを優先するわけにはいかず、法律や契約というものを遵守しなければなりません。

場合によっては、取引相手等が、法律や約束を守ってくれずに好き勝手やりたい放題やって、こちらに迷惑や損害を与えるような場合には、これを守らせるようにする必要もあります。

このように、企業が
「組織ぐるみでの金儲け」
に盲目的に邁進するあまり、法律や契約を忘れたり、無視したりするようなことがないよう、また、法律や契約や忘れたり無視したりする取引相手等に対して文句を言ったりヤキを入れたりするような活動、すなわち、企業法務と呼ばれる活動が企業において必要となります。

そして、この企業法務を専門で行う、警察と外交官と軍隊のような組織が必要となります。

難しい言葉で言うと、
「企業の法務安全保障」を行う専門チーム、
という言い方になりますが、これが
法務部等を始めとする法務組織
と呼ばれるものです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01768_11歳からの企業法務入門_1_企業とは何?

企業活動とは、平たく言えば、組織ぐるみでやる金儲けです。

ビジネスや事業活動や企業活動、というと、何やら、高尚で高邁で知的でエレガントな活動のように聞こえますが、実体は、商売であり、金儲けです。

「金儲け」
も難しく聞こえるかも知れませんが、本質的にはかなりシンプルに整理できます。

「金儲け」を単純化すれば、

・安く買って高く売る(卸、小売)、
・安く作って高く売る(メーカー)、
・客に奉仕して手間賃をもらう(サービス)、
・カネを元手にして金融や投資活動でカネを増やす(投融資)、

のいずれかに整理されます。

私の知る限り、これ以外に、金を儲ける方法は存在しません。

もちろん、
「金儲け」
は、個人でもできますし、組織でもできます。

泥棒や強盗といった犯罪活動やテロ行為も同じですが、手間がかかりリスクがある営みは、個人でやるより、集団で行う方が、より大掛かりなことを、より安全でより効率的でより成功確率が高まります。

そういう意味では、
「個人」でやっていた「金儲け」を
「組織」で行うような発想と技術が確立
しました。

これが「企業」と呼ばれるものです。

企業活動とは、単純な金儲けではなく、
「組織ぐるみ」
という点が特徴的です。

そして、
「組織ぐるみ」
でやる上では、
「金儲け活動」のみならず、
「『金儲け活動』を管理する活動」
というものが発生します(個人で商売する上ではこの種の管理活動は発生しないか、備忘程度に発生するだけです)。

管理とは、
管理前提を整え、
すなわち、
ミエル化・カタチ化・文書化・フォーマル化し、
これを前提に、
透明化されたものを共有したり、開示したりして、改善を行っていく活動
です。

管理前提、すなわち、
「金儲け活動」
の様子を、数字(や言語)を使って、
ミエル化・カタチ化・文書化・フォーマル化する活動
は、絶対必須であり、重要です。

透明化されないものは、知覚認知できませんし、知覚認知できないものは制御できませんし、制御できなければ改善は望めません。

企業は、大きく事業部門と間接部門(管理部門)とに別れます。

事業部門は金儲け活動を行っているセクションです。

そして、間接部門(管理部門)は、いってみれば、野球部のスコア係やマネージャーのように、
「 『金儲け活動』の様子を、数字(や言語)を使って、ミエル化・カタチ化・文書化・フォーマル化する活動 」
を行っているセクション、
という整理が可能です。

これが、企業というものの実体です。

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01767_11歳からの企業法務入門_0_序:11歳でも理解できるように咀嚼することの重要性

1 「企業法務」という特殊な「サービス」の「ユーザー」である経営陣は、「経営の専門家」であっても、「法律の専門家」ではない

経営者は、経営の専門家であっても、法律の専門家ではありません。

加えて、経営者を含む多くの日本の成人は、機能的文盲の状況にあり、漢字がたくさんの難解な長文のカタマリを提示しても、象形文字として、画像認識しか出来ず、その意味が理解できません。

他方で、法律の条文、思考枠組、運用メカニズム、限界領域の解釈、運用相場観、すべてが、腹が立つくらい、難解で高尚で、一般人の理解を拒絶します。

2 (「法的状況」の伝達ターゲットである)経営陣の想定知的年齢・精神年齢は11~12歳

ビジネスパースンの想定精神年齢を11、12歳として設定し、その程度の精神年齢に語りかけるくらいに咀嚼すると、東芝で発生した実際の悲喜劇のように、
担当者以外の経営陣が詳細な契約内容を認識していない
という事態を招きません。

「ドラえもん」に出てくる野比のび太くんや、
「妖怪ウォッチ」に出てくるケイタくんや、
「ポケモン」主人公のサトシくんですら、
「なるほど」
「そういうことか」
と感心して食いつくような内容・本質が、
しびれるくらいわかりやすく語られていないと、
リスクを伝えたことにならない、ということです。

リスク管理の実務担当者は、そのくらい伝える力、すなわち、
「データ」から「リテラシー」を抽出し、
「ストーリー」に仕立てて、
ビジネスパースンが理解し、
心に刺さり、実感として体感できるまで、
リスクを提示する能力
を、磨くことが重要となります。

3 11歳は、経営者の想定精神年齢の最下限

11歳というのは意味があります。

10歳程度では、取引や金銭といった経済活動の基本概念が今ひとつ理解できておらず、買い物もおぼつかない可能性があります。

しかしながら、11歳になれば、小遣いをあげれば、買い食いをしたり、漫画やゲームを買えますし、買い物のお遣いを頼んでもミッションクリアできる程度の知能はあります。

企業活動やビジネス活動といっても、所詮は、金儲けです。

経営者は、金儲けさえできれば、誰でもなれるわけですし、医師や弁護士や教師や公務員と違い、経営者になるには、学校も試験も資格も何にもいりませんし、金儲けや金勘定以外の常識や知性の実装度合いについては、制度的担保がまったくありません。

経営者の側でも、想定知的水準をあまり高度に設定されて、意味不明な難解な法律用語をお経のように唱えられても、はた迷惑です。

とすれば、経営者の想定知的精神年齢については、買い物や金儲けが出来る最下限の知的水準想定にしておけば、絶対、話が伝わるはずです。

のび太くんも、ケイタくんも、サトシくんも、勉強嫌いであり、試験が不得意であり、バカといえばバカです。

ただ、そんなバカの彼らでも、損とか得とか、カネが増えたとか、カネがなくなった、とかそういう、経済的な欲得についての感受性と常識は実装しています。

また、社会的知識はないにしても、大人がどんなもんか、社会がどんなもんか、どういう競争秩序で運営されているか、くらいはぼんやりと判る程度の知識はあるでしょう。

ですので、想定精神年齢11歳の小学生が、
「なるほど! そういうゲームのロジックとルールになっていて、こうやったら負け、こうやったらうまいこといくんだ」
という形で企業法務について教えられれば、
「経営者に刺さるプレゼン」
ができる、ということになります。

欲や得になることには相応の感受性があっても、小難しい話は大嫌いで、我慢が苦手で、欲に素直で、退屈に感じるとすぐに逃避する、
「どうしょうもないクソガキ」
でも、理解できる程度に言って聞かせようとすると、本質を理解した上で、トーク力を磨く必要があり、企業法務の本質を掘り下げ、プレゼンを磨く、格好の訓練になるはずです。

そういう意味で、
「11歳」
というプレゼンターゲットの知的精神年齢設定にした次第です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01766_11歳からの企業法務入門_△1_本シリーズ企画の背景:「企業法務」という「面倒くさい割に、くだらない業務分野」のフラット化・民主化

ビジネスの世界で、私が、
「『意味不明な専門用語』を使ったり、『聞くに堪えない、上品で難解で退屈な表現』を使わないと状況を説明出来ない人間」
に出会ったとします。

私は、そいつを、

1 「『意味不明な専門用語』や 『聞くに堪えない、上品で難解で退屈な表現』を記憶する程度のことは出来ても、本質を全く理解していないバカ」か、
2 「バカではないが、絶望的にトークの弱い、コミュ症」か、
3 『意味不明な専門用語』や『聞くに堪えない、上品で難解で退屈な表現』を使って、煙に巻いて相手を騙そうとしている邪悪な詐欺師
4 「東大卒弁護士の私の理解を絶するほど、高度な意義と価値はあるものの、超絶的に高尚で難解で専門的な話」をしているシビれるくらいの天才

のいずれかであろう、と推測しますが、経験上の蓋然性として、4は皆無で、たいてい1ないし3に帰着します。

もう少し、敷衍します。

一般論として、あくまで、一般論としてですが、
「普通に聞いても、あんまり理解できない話」
という代物(シロモノ)に出くわすことがあります。

「奥ゆかしく、慎ましやかで、謙虚な畑中鐵丸」
としては、言うのが相当憚られますが、自慢でも何でもなく(ウソです。ほんの少しだけ自慢がはいちゃったかもしれません)、一応、東大卒です。

もっと言えば、東大文一(東京大学教養学部文科一類)現役合格です。

「それが、どうした! うっせえ、うっせえ、うっせえわ! テメエなんか、たいしたことねえわ!」
という声が聞こえてきそうですが、はい、そのとおり。

おっしゃるとおりです。

まったく、たいしたことありません。

しかし、そこそこ勉強してきたことは事実ですし、その過程でそこそこ知識も情報も知性らしきものも教養みたいなものも、ほんの少しだけ獲得できたような気がします。

控え目にいっても、
「日本人成人の平均レベル」程度
には、国語の読解力は実装しているかな、くらいはいえると思います。

「そんな私(注:どうでもいい話ですが、東大卒弁護士です)が聞いても、あんまり理解できない」
という現象が発生した場合、

1 私(注:どうでもいい話ですが、東大卒弁護士です)がバカなのか、
2 話している相手が混乱しているのか、
3 話されている内容が超絶的に高尚で難解なのか、
4 話されている内容が混乱していて狂っているのか、
5 話されている内容が、「シンプルに理解されては困る」という意図の下、あえて理解されないよう、難解で退屈で意味不明な体裁とされ、煙に巻くようなものとして構築されているのか、

のいずれか、あるいは複合的な原因によるものか、と決めつけます。

もちろん、この決めつけは、予断とか偏見とか言われるかも知れませんが、50年以上生きてきた経験の蓋然性として、この決めつけをして間違ったことがほとんどなく、思考経済としては極めて有効な観察・評価手法と自負しています。

そして、企業法務ないし法律の世界においては、この種の
「普通に聞いても、あんまり理解できない話」

「『意味不明な専門用語』を使ったり、『聞くに堪えない、上品で難解で退屈な表現』を使わないと状況を説明できない人間」
に出くわすことが実に多いのです。

ところで、皆さんは、以下の言葉が何を指すか、わかりますか?

1 「一般廃棄物」
2 「特定商業集積」
3 「新規就農希望者」
4 「過度な母子の密着」
5 「語学学習意欲の高まり」
6 「非自発的離職求職者」
7 「各主体の自主的対応を尊重する」
8 「外国人旅行者への対応能力を整備する」
9 「平均的な勤労者の良質な住宅確保は困難な状況にある」
10 「人的資本の流動性の拡大のため環境整備を行う」
11 「円滑な垂直移動ができるよう施設整備を進めていく」
12 「住宅のあり方が夫婦の出生行動に大きな影響を与えている」

この言葉を目にすると、なんだか
「高度な意義と価値はあるものの、超絶的に高尚で難解で専門的な話」
のように思えます。

種明かしをしますと、そんな高級な話でも何でもなく、11歳でも判るようなしょうもないものばかりです。

1 「一般廃棄物」=ゴミ
2 「特定商業集積」=ビジネス街
3 「新規就農希望者」=これから農業をやりたい人
4 「過度な母子の密着」=マザコン
5 「語学学習意欲の高まり」=外国語ブーム
6 「非自発的離職求職者」=リストラされて職探しをしている人
7 「各主体の自主的対応を尊重する」=みんな好き勝手やったらいいじゃん
8 「外国人旅行者への対応能力を整備する」=簡単な英会話ができるようになる
9 「平均的な勤労者の良質な住宅確保は困難な状況にある」=普通のサラリーマンでは家が買えない
10 「人的資本の流動性の拡大のため環境整備を行う」=転職しやすくする
11 「円滑な垂直移動ができるよう施設整備を進めていく」=エレベーターを入れる
12 「住宅のあり方が夫婦の出生行動に大きな影響を与えている」=家が狭くて夜の営みがままならず、子供が作れない
(出典:『中央公論』1995年5月号、イアン・アーシー著「『霞が関ことば』入門講座(前篇)」)

なんと、
「高度な意義と価値はあるものの、超絶的に高尚で難解で専門的な話」
のように思えたものは、11歳でもギリ理解できるような、しょうもない、下世話なものばかりでした。

本質を覆い隠すには、難しい漢字を用い、難解そうな理解の障壁を作り、小難しそうな人間に運用を独占させ、皆の頭脳を混乱させる、という手法が有効です。

古来より
「知らしむべからず、由らしむべし(理解させずに、盲目的に服従させよ)」
という支配哲学がありますが、これは現代でも用いられており、我が国のエスタブリッシュメントである霞ヶ関の役人の皆様は、こういう感覚で、
「霞ヶ関言葉」
を用いて、
「霞ヶ関文学」
を紡ぎ出し、下々の一般国民を煙に巻きつつ、服従させています。

法律を生業として四半世紀を超えましたが、法律を扱う人種には、
「『意味不明な専門用語』を使ったり、『聞くに堪えない、上品で難解で退屈な表現』を使わないと状況を説明できない人間」
が多いように感じますが、

4 「東大卒弁護士の私の理解を絶するほど、高度な意義と価値はあるものの、超絶的に高尚で難解で専門的な話」をしているシビれるくらいの天才

という可能性はほぼ皆無で、

先程の
「蓋を開ければ、しょうもない、下世話な話だった、霞ヶ関文学」
と同様の話を無理解・未消化のまま相手の理解キャパを考えずにダラダラ垂れ流しているだけで、

1 「『意味不明な専門用語』や 『聞くに堪えない、上品で難解で退屈な表現』を記憶する程度のことは出来ても、本質を全く理解していないバカ」か、
2 「バカではないが、絶望的にトークの弱い、コミュ症」か、
3 「意味不明な専門用語』や『聞くに堪えない、上品で難解で退屈な表現』を使って、煙に巻いて相手を騙そうとしている邪悪な詐欺師

のいずれか、という場合がほとんどです。

法律を扱う人間の中には、法の本質を理解していない手合や素人を混乱させて悦に入る手合が少なからずいます。

そういう手合に限って、自分でも理解しないまま覚えた専門用語をお経を読むようにダラダラ吐き出したり、単純な理屈に、ウソや建前や理屈を注入し、難解な言葉で装飾して、理解しようとする人間の頭脳を混乱させたりします。

「真の法律の理解や解釈」
というのは、むしろ、混乱要素(権力者や支配者が理解をさせないために意図的に仕掛けた手口による混乱)を取り除き、本質を見抜き、シンプルに、わかりやすく提示することです。

法は、11歳の知能水準さえあれば、理解できる、単純で明快な正義や公平の考え方しかなく、
「平均的日本人の理解を絶するほど、高度な意義と価値はあるものの、超絶的に高尚で難解で専門的な話」
など皆無です。

もし、法が
「平均的日本人の理解を絶するほど、高度な意義と価値はあるものの、超絶的に高尚で難解で専門的な話」
のように思えるとするなら、既存の権力が、法を支配正当化の道具や、(機能的識字が出来ない、本質が理解できない一般庶民を盲目にした状態で服従させるという意味において)格差を固定化する道具として、目くらましに使おうとしているからではないでしょうか。

私としては、企業法務にはびこる
「一見、『平均的日本人の理解を絶するほど、高度な意義と価値はあるものの、超絶的に高尚で難解で専門的な話』のようだが、実際はしょうもない、下世話な話」
を、
「11歳の知能水準でも理解できるように、ノイズを取り除き、単純化・平易化する」
ことを通じて、
「企業法務」
という営みを、フラット化して、民主化し、多くの方が手軽に触れられるように解放したい、という
「野望」
をもっています。

「企業法務」

「一部専門家の間で独占・寡占される閉鎖的で非民主的な秘密の知見」
ではなく、ビジネスや企業に関わるあらゆる方々が、手軽に、気軽に実装できるものとなれば、すべての企業活動やビジネス活動が、より安全で、より合理的に、より合法的に進められ、産業界の法的安全保障レベルが向上・改善されるのではないでしょうか。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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01765_採用内定・採用トラブルを予知し、備え、効果的に回避・対処するための知見とテクニック_コロナ時代の採用活動も含む_人事担当者向け特別セミナー

本コンテンツは、2021年4月23日に企業研究会様主催で開催したセミナーの概要と一部セミナー内容(さわり)を備忘として記録したものです。

本セミナーにご興味をもたれ、同種のセミナーの開催をご要望されたり、あるいは、セミナーのテーマで具体的な問題を抱えておられたり、さらには、セミナーを追体験されたい方等は、下記ご連絡先宛ご連絡ください。

以下、当日行ったセミナーの概要と一部動画です。

第1 企業法務体系における労働問題の位置づけ

第2 労務マネジメントの課題

1.労働法分野における日本企業の高い違反率

2.労務マネジメント(「ヒト」という資源の調達・運用・廃棄)重篤な勘違い・・・「採用は自由だが、解雇は不自由」

3.労働基準監督署の行政処分や労組闘争、さらにさまざまな救済メニュー(訴訟、調停、労働仮処分、労働審判、労働委員会救済手続)があることに伴う事件の複雑化

第3 「採用」における問題

1.採用というビジネス課題について、ビジネスの論理として、どのように捉え、対処すべきか
 「人手不足だから、要員補充のため、新卒を増やす」という方向性での採用がダメな理由
 学歴によるフィルタリングの是非・可否

 「中途採用」の失敗と闇

2.労働契約締結までのプロセス
 採用面接・調査→採用内定→試用期間開始→試用期間終了・本採用

3.議論のポイント
(1)「本採用」に至ると「解雇は不自由」になることに争いはない。
(2)「採用内定」に先立つ「採用面接・調査」の方法に制限はあるのか?
(3)「採用内定」時点から試用期間中は、解雇を自由にできるのか?

4.考え方・・・「採用の自由」に関する判例の立場

5.各プロセスのポイント
(1)採用面接・調査・面接における質問・質問にとどまらない調査
(2)採用内定・「労働契約」成立の時点・内定取消の可否

(3)試用期間 
(4)試用期間終了・本採用

 個別問題に対する対応要領Q&A 
Q1:新卒採用面接時にしてかまわない質問の範囲が分からない。
Q2:新卒採用面接時に罹患歴を質問してしまう事の是非は?
Q3:採用時の健康診断において、相手には「コレステロールの検査」と伝えて、採血し、勝手にHIVや肝炎についても検査する事の是非は?
Q4:面接時の対応で訴えられたケース(裁判例)はありますか?
Q5:学生との間で「言った」「言わない」でトラブルになることがある。どうしたらいい?
Q6:内定取消しが法的に認められるパターンにはどのようなものがあるか。例えば、採用を出した学生がネット上で不適切発言して当社がイメージダウン。内定取消できますか?
Q7:正式内定後、健康状態に支障をきたした場合の対応策は?
Q8:正式内定後に、学生から辞退したいとの連絡があった場合の対処方法。
Q9:面接時に伝えた配属案と実際の配属が異なる場合、問題はありませんか?
Q10:学生採用において、国籍を指定した求人は可能ですか?
Q11:選考中に作らせたデザインや企画などに、似通った新製品を会社がその後に出した場合、著作権について訴えられたケースはありますか?
Q12:リクルーターは経団連の倫理憲章に違反とはなりませんか?
Q13:学生が内定者懇談会に無断欠席。その後も音信不通。企業側として気をつける事は?
Q14:受験者の個人情報はいつまで保管しておくのがベターでしょうか?
Q15:コロナ禍における採用注意点、起こり得る問題はありますか?

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著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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