00672_民事裁判における証人尋問の意義

民事裁判(民事訴訟)における証人尋問について、テレビドラマでは、
「弁護士が議論をふっかけてやり込めたり、華麗な理論や学説を披瀝して無知な証人に知的優位性を誇示して黙らせ、勝ち誇る」
といったシーンをたまにみかけますが、これはまったくのデタラメです。

証人尋問は、議論をふっかけ、論争をして、意見を戦わせ、論破して事件の勝敗を決する手続きではありません。

さらに言えば、民事訴訟そのものについても、原被告の当事者も、その代理人である弁護士も、法律上の学説や意見や見解等を戦わせるような場面は、原則的には生じません。

というのは、民事訴訟の役割分担は、
「汝(当事者)、事実を語れ、我(裁判官)、法を適用せん」
という格言に現れているとおり、当事者が事実と痕跡を提示し、裁判所が法を解釈適用して事件を解決する、という扱いだからです。

医療(病気の治療)のアナロジーで解説しますと、患者が医者に
「私はインフルエンザA型なので、早く、インフルエンザA型に効く薬を出してくれ」
と訴えると、医者は
「何、あんた、勝手に病名語ってんの? 病名はこっちが決定するから。あんたに聞いてんのは病名じゃなくて、病状。とっとと、病状話してくれよ」
とたしなめられます。

要するに、
「患者(当事者、弁護士)が語るのは病名(法の解釈適用)ではなく、病状(大前提である法の解釈適用の小前提たる、事実関係とこれを支える証拠)を伝える」
という役割分担設計があり、この運営秩序を前提に、話が合理的かつ効率的に進めるという約束事がある、ということなのです。

無論、原則に対する例外もあり、知的財産権や国際訴訟や医療過誤や交通事故等、複雑で専門的な訴訟で、見解が定まっていない争点が事件の帰趨を決定づける場合などは、見解論争が生じ、裁判官も、それぞれの代理人に見解を示すよう促す場合もあります。

話は、証人尋問に戻ります。

証人尋問という手続きにおいては、証人は
「証拠方法」
すなわち
「証拠の道具」
として扱われます。

要するに、
「一定の事実が録音データや動画データとして格納されたUSBメモリ」
のように、
「事実の痕跡が『人間の脳』の記憶領域」
に格納された意味合いしか持ちません。

すなわち、証人は、民事訴訟の世界では
「歩く(動く)記憶媒体」「人間記憶媒体」
と同じ趣旨のものと扱われています。

この「証拠方法(証拠ツール、生身の記憶媒体)」としての証人
すなわち
「脳の記憶領域において事実を記録した生身の格納媒体」
を裁判に引っ張り出し、
証人尋問という「記録(記憶)再生手続」
を行い、その結果を尋問調書に記録し、
当該調書が「証拠資料」
として取り扱われ、事実立証に活用されます。

証人尋問とは、このように、レコードをレコードプレーヤーにかけて再生したり(古いか)、カセットテープをデッキにかけて再生したり(これも古いか)、CDをCDプレーヤーにかけて再生したり(これでも古いか)、ダウンロードした音楽データをスマホで再生したりする、そのような即物的な意味合いしかありません。

当事者の感受性は別にして、制度として、扇情的に攻撃したり、情緒的に反応したりするような要素は、もともと皆無なのです。

したがって、勝手に話を誘導したり威嚇したり困惑させたり議論をふっかけしたりするのは、ダウンロードした音楽データの再生状況が思わしくないからとスマホを叩いたり蹴ったり投げたりするのと同じ行為で、
「記録再生」
という即物的な営みにおいてはまったく無意味かつ有害です。

だからこそ、民事訴訟法は、
「尋問をする側が無意味で有害な行為に及ぶ際には、反対当事者に異議を申し立てさせ、止めさせる」
という仕組みを設け、即物的な
「記録(記憶)再生手続」
としての尋問手続がつつがなく運ぶようにしているのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00671_法務担当者としてのスキルをデザインする上での考慮要素

1 内製化すべき固有スキルとアウトソースすべきスキル

法務担当者としてのスキルデザインをする上では、
・何を内製化するべきで何を外注化するべきか、
・内製化するべきスキルで何を適切に処理できていて何が不足しているか、
・内製化するべきスキルはすべて適切に処理できているか否か・不足しているか否かをどうやって測定・判別するのか、
・内製化するべきスキルについて、そもそもベンチマーク(達成基準)が観念できるのか、
・内製化するべきスキルとされているスキル分野のタスクを自分なりに一応やっているが、そもそも「自分できちんとやっているつもり」というのも単なる思い込みであって実際はまったく我流でデタラメでできていないもので、本当のゴールや正しいやり方を知らずにやっているのではないか、
・外注すべきスキルについては「弁護士」という資格者に丸投げさえしておけば安心していいのか、
・外注するに際しても何か課題や問題があるのではないか、外注先は「弁護士」という資格さえあれば問題ないのか、その他外注選定に際して付加基準等を設けるべきではないのか、
・現在の外注先は適切なのか、
・外注先のコストや品質や納期や使い勝手は問題ないのか、
等々いろいろ考えるべき点がたくさんあります。

2 ルーティン(正解や予定調和を観念できる事案)と非ルーティン(正解がない、正解が複数ある、正解があるかないかすらわからない事件や事案)

ビジネス課題、すなわち、金儲けという活動に関連する課題対処についても、
ルーティン(正解や予定調和を観念できる事案)

非ルーティン(正解がない、正解が複数ある、正解があるかないかすらわからない事件や事案)
があり、仮に非ルーティンのプロジェクトに失敗したとしても、それで企業が危機に陥ることは稀です。

しかしながら、法務課題、すなわち法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処については、 非ルーティンをルーティンと誤解して対処に失敗したり、非ルーティンについて制御不能に陥って、ダメージ・コントロール(損害軽減措置)にも失敗した場合、企業が存立し得ない危機に陥る場合があります。

当然ながら、法務の非ルーティンについては、プロジェクト設計や資源動員の方法や、外部資源調達・運用など、ビジネス課題対処とまったく異なりますし、しかも、トップ以下経営陣も、ビジネス課題対処については専門家であっても、法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処はド素人です。

・今、自分の対処している法務課題に正解や予定調和が想定できるルーティンなのか非ルーティンなのか、
・非ルーティンと思い込んでいるがそれは自分が無知・未熟・未経験・無能故であって実は正解があるのではないか、
・ルーティンと楽観的に考えているが実は大きな間違いで想定していない未経験のリスクや障害が見えていないだけでこの先大変なことなのではないか、
・非ルーティンで自分もトップ以下経営陣も無知・未熟・未経験・無能なため外部の専門家を招聘し対処を委ねているがこの「正解や予定調和を知っている」という顔をしている専門家は本当に正解や正解に至る方法論を知っていて任せていて大丈夫なのだろうか、
・自分たちが直面している事態は今任せている専門家を含めてこの世の誰も正解を知り得ない事態であって本当はもっと別の対処方法を構築したり、既に対処不能・制御不能に陥っていて、ダメージ・コントロール(損害軽減措置)等別のフェーズのアクション想定をすべきではないのか、

といったことを考えるべきことも必要です。

3 リスクの発見と特定と処理と支援

法務担当者が担うべき対処課題、すなわち、法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処は、いずれも広い意味でのリスク管理(リスクマネジメント)と呼ばれる活動領域のものです。

法務担当者が担うべき対処課題、すなわち、法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処は、いずれも広い意味でのリスク管理(リスクマネジメント)と呼ばれる活動領域のものです。

リスク管理については、とにかく、何か動いたり、対応したりすることを考えがちですが、
「見えない敵は討てない」
という格言どおり、闇雲に走ったり動いたりしても無駄かつ無意味かつ無益であり、どんなリスクであれ、リスク管理の基本かつ重要な挙動は、リスクの発見と特定です。

例えば、
「病気の治療」
というプロジェクトを考えてみましょう。

病気に関わる多くの医者(外科医を除く)がやっているのは、病気を治すことではありません。

病気を治すのは、薬であり、薬剤師です。医者がやっているのは、病気を発見し、特定する作業です。

患者が高熱を発している。

これに対して医者がまずやるべきは、効きそうな薬を適当に、手当り次第に投薬することではありません。

当該高熱が、風邪によるものなのか、エボラ出血熱か、インフルエンザか。インフルエンザとして、何型か、ということを、課題として具体的に発見・抽出・特定することが何よりの先決課題です。

そして、
「病気を治すわけでもなく、病気を発見特定する程度のことしか出来ない医者」
風情が
「実際病気を治す薬剤師」
より大きな顔をしていることからも理解できますが、課題を発見・抽出・特定するのは、課題を処理するよりも、実は、非常に重要で高度な知的でリスペクトされるべき業務なのです。

企業内に常時在籍する法務担当者が、顧問弁護士等社外の法律専門家と決定に違うのは、この
「リスクの発見と特定」
においてもっとも近接する環境を保持している、ということです。

そして、
「法務リスクの発見と特定」
がリスク管理上重要であることは前述のとおりです。

法務担当者に期待されているのは、法務安全保障の責任者として、社内における法務リスクの迅速な発見と特定です。

そして、発見され、特定されたリスクについて、顧問弁護士等の社外資源を、効率的かつ迅速に調達動員して、適切な外注管理という
「法務活動」
を展開して、コスト・品質・納期・使い勝手の面で、最適なリスク処理を実現し、あるいは、社内の担当者として、この外注作業が効率化するように支援することです。

4 対外的なコミュニケーション(言語・文書)と内部のコミュニケーション(言語・文書)

現代の紛争や闘争は、全て文書と書面の証拠によって展開される、
「筆談戦」
「文書作成競争」
という様相を呈しています。

この点で、法務担当者が担うべき対処課題、すなわち、法務安全保障や事件対応や有事(存立危機事態)対処等は、すべて、文書と証拠によって展開されることになります。

企業の法務安全保障等において関連するコミュニケーションの区別は様々ありますが、1つの区分として、
社内で完結する内部のコミュニケーション(言語・文書)
と、
社外の関係者とやりとりされる対外的コミュニケーション(言語・文書)
とに分けられます。

前者を顧問弁護士等社外の法律専門家がタッチすることはほとんどなく、法務担当者の権限と責任で処理すべきものです。

しかし、取締役会議事録や、その他社内の意思決定や情報共有のメールや文書等
「社内で完結する内部のコミュニケーション(言語・文書)」
が事件等で極めて重要な証拠となることもあります。

その意味では、
「社内で完結する内部のコミュニケーション(言語・文書)」
を専権として担う法務担当者も、法的なストレステストや、悪意を以た観察者が検証しても企業を窮地に陥れることのないような不用意な表現の排除や適切な状況叙述等、法的な観点でのセンスと配慮が求められます。

社外の関係者とやりとりされる対外的コミュニケーション(言語・文書)についても、もちろん、平時においては、法務担当者、さらには、法務担当者以外の社内担当者(広報担当者やIR担当者等)が担うこともあるかと思います。

しかしながら、事件や事故、さらには有事(存立危機事態)の場合や、これに至る可能性のあるプロジェクトや、規模や新規性から考えて一定の重要性あるプロジェクトについては、すべて法務担当者が、保守的な観点からの法的ストレステストやバイアスチェック(悪意を以た観察者が検証しても企業を窮地に陥れることのないような不用意な表現の排除や適切な状況叙述等、法的な観点でのセンスと配慮に基づくレビューとリバイズ)を行ったり、さらには、必要に応じて、顧問弁護士等外部の専門家を動員すべき場合も出てきます。

5  批判的思考・分析的考察と選択肢抽出とジャッジ

「法務担当者に期待される、他の社内関係者と決定的に違う、発想や思考手順」
ともいうべきものが存在します。

これは、批判的思考や保守的想定と言われるものです。

人間には、生来的に、思考の偏向的習性として、楽観バイアスや正常性バイアスと言われるものが備わっています。

特に、社長以下経営陣(企業の首脳陣)は、リスクをとって収益を上げて(前向きに積極的にイケイケドンドン金儲けをして)企業のゴーイングコンサーンを実現するという役割と責任を担っていますので、他の一般社員より、はるかに、大胆で、楽観的で、冒険的である傾向や習性が強いことが一般です。

このような意思決定に対して、安全保障面からの支援をする法務担当者としては、批判的思考や保守的想定の下、法的ストレステストを行い、より、事業実現を安全かつ完全にするようなチューンナップをすることを求められます。

勘違いすべきでないのは、単なる評論家であってはならず、批判に終始せず、必ず、対案や代替案や予備案(Bプラン)も含めた建設的な提案をすることが求められます。

リスクがあるから、顧問弁護士を味方に批判を展開するだけでプロジェクトを潰す、という受動的な役割に終始するようでは、何のための法務部か、と叱責されます。

また、顧問弁護士等の社外の専門家は、ビジネスの専門家でも、あるいは金儲けをしたことのないビジネスのアマチュアですし、加えて、信用維持と保身を考えて思考習性と行動偏向として予防線を貼ることが多いので、顧問弁護士に安易に意見採取をしても、
「社内の法務部として求められている、果たすべき役割」
を全うすることはできません。

また、法務担当者は、単に、不安や警戒を述べるだけでは、役割を果たせません。

よく、法務の対応や勧告として、
「コンプライアンス的にNGです」
「法務としてはリスクがある、といわざるを得ません」
という抽象的でわかったようなわからないような助言が見受けられますが、これは、
「よくわからないからやめといたら」
「ダメ、ダメ。これ、女の勘」
「方角が悪いからやめといたほうがいい」
「風水的によくないんじゃない」
という戯言と同様、まったく中身がなく、社内サービス部門たる法務としての価値ある責任ある活動とはいえません。

・具体的に何法の何条に該当し、
・過去にどういうリスクが具体的に実例としてあり、
・どのようや危険あるいはリスクがどのくらいの可能性と現実性で想定されるのか、
・当該リスクは壊滅的なものか対処可能・制御可能なものか、
・リスクの転嫁方法・回避方法・回避方法としてどのようなものが考えられそれぞれどのようなプロコン(長短所)があるのか、
・ビジネスモデルをマイナーチェンジして規制適用を回避する方法はあるか、
・単なる法令解釈の問題で未だ適用例がないならノーアクションレター等を検討できるか、
等々、

批判して安易な中止勧告をするのではなく、徹底した分析思考をもって、ビジネス実現のための知恵を絞るのが、顧問弁護士等社外弁護士ではない、社内の法務担当者こそが期待されている役割と責任です。

また、事件処理や事故対応や有事(存立危機事態)対処といった、
「正解なき予定調和なきプロジェクト」
については、もちろん正解がないことは仕方ないとしても、最善解や現実解は想定されるはずです。

そして、最善解や現実解(ゴール)を設定した後は、
「現時点(スタート)」と「ゴール」
の間に存在するありとあらゆる課題やリスクをすべて批判的思考で抽出します。

次に、このすべての課題やリスクこれを乗り越えるための選択肢を、これもイマジネーションの及ぶ限り、極論や非常識なものも含めて、あらゆるものを一切合切抽出することが求められます。

そして、各選択肢について、偏見を加えず、時間・コスト・労力・確度・精度・可変性や冗長性といった各点からの長短所の評価(プロコン評価)を加えていきます。

しかし、法務担当者の仕事と責任はここまでです。

最後のジャッジは、他ならぬトップの役割と責任において行なわれるものです。

法務は、トップが豊富な選択肢からより自由に選択できるようにするためのお膳立てを行うことがその所掌範囲です。

現アメリカ大統領のトランプ氏は、外交課題や安全保障課題等、難しい課題、すなわち、正解がない課題の対処に際して、よくこういう言い方をします。

「すべての選択肢はテーブルの上にある」
と。

これこそが、安全保障という点でも超一流国家アメリカで行なわれている、
「世界でもっとも洗練された、トップとこれを支える安全保障専門スタッフの役割分担のあるべき姿」
を端的に言い表しています。

6 企業内・業界内の知見

法務担当者は、顧問弁護士等の社外専門家と違い、もちろん、社内の人間です。

法律はある程度知見があるとはいえ、基本的に、企業の人間であり、ビジネスの人間です。

企業オンチ、ビジネスオンチでは、法務担当者は務まりません。

すなわち、ビジネスの知見、会計や財務の知見、投資や金融の知見、さらには、企業や業界固有の知見を保有していることも求められます。

とはいえ、法務担当者が、一般の企業の役職員と違うのは、このような、企業や業界に固有の知見を、事件処理や有事(存立危機事態)対処の場面、またそのような重大な状況でなくとも、契約書や機関決定等の組織として作成・保存すべき議事録等、その他対外的文書において、企業内や業界内でしか通用しない特殊な慣行やしきたり、さらには方言ともいうべき
「ジャーゴン(符牒等)」
を明確かつ客観的な言葉で表現し説明する役割を有していることです。

7  有事(存立危機事態)対処における臨床経験

法務担当者が、絶対持ち得ない経験上の知見ともいうべき分野があります。

それは、有事(存立危機事態)対処における臨床経験です。

所属企業が数年に一度は大規模な不祥事を起こし、その度に存立危機事態に陥っている、というような場合は格別、通常、ゴーイングコンサーンという前提環境で運営される企業に所属する法務担当者にとって、有事(存立危機事態)はあくまで新聞テレビで触れるだけの対岸の火事に過ぎません。

そして、このような特殊な事態対処は、経験知や経験から推定される事態展開予測といった、現場経験に依存した認知や解釈や想定やスキルが幅を効かせます。

その意味では、このような状況に至った場合、法務担当者が机上の学習成果で検討するのは極めて危険であり、相当初期の、状況認知・解釈の段階から、経験ある専門家を調達し、エンゲージさせるべきことが推奨されます。

なお、有事(存立危機事態)対処は展開が急かつ多岐にわたり、手を拱いていると状況がどんどん悪化するので、平時において、各有事の種別に対応した、経験ある専門家とのコネクションを維持形成しておくことが重要です。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00670_法務課題の整理・体系化の考え方

企業経営とは、
バーチャルで空疎なフィクションとしての人格たる法人組織に統治秩序を構築して運営実体として実質化し、
ヒト・モノ・カネ・チエといった経営資源を効率的に調達・運用・廃棄し、企業内に創出した付加価値を、営業活動によって実現し( 営業成果をカネに変質させる付加価値実現プロセスにおいて債権が介在する場合にこれを管理・実現していき)、営業成果(あるいは営業損失)を正しく計数的に記録しスポンサーや利害関係者にフィードバックする営み
と定義される

他方で、
各活動において短期的・近視眼的・自己中心的に効率化を徹底した場合の負の側面(ダークサイド)があり、これを全体的・長期的・公益的観点から法律が規制し、
「経営陣ら」
が短期的・近視眼的・自己中心的に徹底を検討・実施する効率化に対する阻害要因・障害環境として立ちはだかる。

企業法務とは、
企業経営のすべての局面において生じ得る法的リスクに対する安全保障活動・有事(存立危機事態)対応活動 (法務リスク・法務課題の早期発見・特定と、「大事は小事に、小事は無事に」するための制御の営み)
を指す。

しかし、企業活動は、あまりにも広汎であり、関係する法令もほぼ無限に存在する。

やみくもに知識を吸収し、無秩序に積み上げても、混乱するだけ。

却って、安全保障活動・有事対応活動(法務リスク・法務課題の早期発見・特定と、「大事は小事に、小事は無事に」するための制御の営み)は、混乱するだけで不可能となる。

ゆえに、
前もって、整理・体系化をしておき、
どのプロセスにどういうリスクが発生するか、ホットスポットを明確に認識し、
イシュー・スポッティング・ツール(論点マップ)
しておくことが、法務リスク・法務課題の早期発見・特定と、制御活動の混乱防止に直結する。

他方で、
法分野は、所管官庁のナワバリ毎にドグマティックに体系化されており、
「法を重複横断的に展開するダイナミックな企業活動」
がハレーションを引き起こす法務リスクや法務課題は、各法典の区別と無関係に発生する。

また、法の条文や法の解説書は、法という
「システム」
の構造や構築体系や設計理念が記述してあるが、システムオペレーションの実際や、システムオペレーションの過程で生じる
「バグ」
の現実的な対処方法は、明確かつ具体的には記述されていない。

例えば、
瑕疵担保責任を追及すべき場面や、債務不履行責任を追及されたりした状況や、株主代表訴訟の提訴要求通知を受けっ取った場合や、労働組合からの組合加入通知書や団体交渉要求通知に対する対応を決定協議の場において、条文や著名教授の基本書(内田貴著「民法」や神田秀樹著「会社法」や菅野和夫著「労働法」)を穴のあくほど見つめても、
「欲しい答え」
はおそらく見つからない(ヒントはみつかるかもしれないし、あるいは、手に負えないことが判明するかもしれない)。

この点、中堅中小企業の一般的企業法務部においては、
「お守り」
の如く著名法律書を書棚に並べておくだけ(しかも、改訂版更新もせず、誰も読まず、ホコリを被っているだけ)といった課題対処のための環境整備しかしていない状況が見受けられるが、これでは、不備・不十分この上ないことは明白である。

そこで、法務課題の整理・体系化をし、イシュー・スポッティング・ツールを作成する上では、以下のような、企業活動に対応した法務課題整理の考え方が有効である。

具体的には、
・「企業組織を設立・運営し」=企業組織運営な内部統制に関する規制・法務課題(コーポレイトガバナンス、コンプライアンス)

・「ヒト・モノ・カネ・チエといった経営資源を効率的に調達・運用・廃棄する」
=ヒトという経営資源の効率的な調達・運用・廃棄→労働関連法規による規制・法務課題
=モノという経営資源の効率的な調達・運用・廃棄→リコール規制、食品衛生法、表示に関する不正競争防止法・環境法等の規制・法務課題
=カネという経営資源の効率的な調達・運用・保全→金融機関との取引、債権・債務の管理・回収、余剰資金運用に関する規制・法務課題
=チエという経営資源の効率的な調達・運用・処分→知的財産権法

・「企業内に創出した付加価値を、営業活動によって実現」
=BtoB:独占禁止法
=BtoC:消費者保護に関する各規制

・営業成果がカネに変質する付加価値実現プロセスにおいて債権が介在する場合の管理・実現活動=債権管理・回収に関する規制・法務課題

・「営業成果(あるいは営業損失)を正しく計数的に記録しスポンサーや利害関係者にフィードバックする営み」=会計・税務に関する規制

以上の整理されたイシュー・スポッティング・ツールを活用しながら、
「 法というシステムの構造や構築体系や設計理念」
を静的に眺めるのではなく、
システムオペレーションの実際や、システムオペレーションの過程で生じる
「バグ」
の現実的な対処方法
を実践マニュアル・現場技術として集積し、活用整備していくことが必要となる。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00669_“げに恐ろしきは法律かな”その3:法律はもはやこの世の誰も全容を把握できないほど多すぎるし、よくわからない方々が作る、狂ったものもある

すべての法律や規則はあまりに多すぎます。

法律のすべてを知っている人間は、この世の中にはいません。多分。

法律は、俗に、「六法」などといいますが、6つだけではありません。

世の中には、6つとかの話では済まない、とてつもない数の法律が存在します。

行政個別法という法分野だけで一説には1800近くあるとか。

また、ホニャララ特別措置法、すなわち、
「理論的にぶっこわれてまともな説明が不可能だけど、とりあえず、まあ、いいから、これに従っといてもらおう」
といった趣の法律も存在します。

これら法律に加えて、行政命令や規則や条例といったものがあり、判例法といったどこに書いてあってどう使われるか意味不明なルールもあり、その全容は、内閣法制局でも、法務省大臣官房司法法制部でも、最高裁首席調査官でも把握できていないと思われます。

すべての法律を知っていて把握している人間がいるとすれば、円周率を万単位の桁で覚えている人間と同様、かなりレアな存在です。

そんだけ法律があるわけですから、我々、神ならざる人間が、知らず知らずに、法を犯す、ということも十分あり得ます。

はずみで法を無視ないし軽視することももちろんあるでしょう。

先程のホニャララ特別措置法や、どこぞの県に存在する意味不明な条例など、法律自体に、間違ったものや、狂ったとしか思えない内容のものも相当あったります。

「健全な常識にしたがって行動したら、それが法令違反だった」
ということも、よくある話です。

そもそも、法律ってどんな人が作っているのでしょうか?

もちろん、立派で法律を作るにふさわしい見識と教養をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、
お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋、あるいは、かつては現在拘置所にいる刑事被告人といった、
「様々な職種で構成される、我々カタギとは全く異質で強烈なオーラを放つどぎついキャラの方々」
です。

また、モラルや遵法精神という点においても、
女性も好きで、さらに結婚式をするのも大好きで、結婚している身で、奥さん以外の女性とハワイで結婚式挙げちゃったり、
国情や政治現実の調査に熱心なあまり、政治活動費を使って広島の繁華街のSMバーの視察に行っちゃたり、
TTP交渉でクソ忙しい最中に、千葉ニュータウンの開発に伴う県道の建設にまつわる特定企業の補償交渉も熱心に行ない、また蓄財にも熱心になってしまい、少しお小遣いをもらっちゃたり、
育休を取得している間に堂々と不倫をやらかしたり、
といった、
「法とかモラルとかに関心もなく頓着もしない、ワリと大胆なことを平気でやらかす、変わった常識をお持ちで、『皆の人気者』という以外にどんな素養や素性を持っているのかも今ひとつ不明な方々」。

要するに、
「皆の人気者」
という以外に、(前提能力検証課題に関する制度上の問題として、)とりたてて見識や教養が求められるわけでもない方々が、議員となって法律を作るわけです。

すべてとは言いませんが、これらはすべて国会議員あるいは国会議員だった方々のプロファイルであり、私が脳内でイメージする
「国会議員」
の典型的な姿もだいたい同じような感じです。

そんな変わった常識やモラルをお持ちの愉快な面々が、立法機関のメンバーとなって法律を作るわけですから、そんな方々の作る法律が、常にかつ当然に何から何まですべてマルっと完全無欠で清く美しく正しい・・・・・・・・・・、なんてわけがあるはずない。

当然ながら、狂った法律、非常識な法律、守るに値しない法律、理論的に明らかにおかしな法律、というものも結構あったりします。

特に、議員立法と呼ばれる法律については、その出来具合はお世辞にもいいとは言えず、立法の中身も、
「国家の効率的運営による国益の向上を目指した、後世に残るすばらしい法律」
は少なく、
「○○族と呼ばれる議員センセイが、特定の業界の利益の向上と結びつくような法律」
だったり、
「選挙の際、専業主婦やサラリーマンに手柄としてアピールしやすい法律」
といった代物がほとんどです。

議員立法で有名なのは、故田中角栄先生です。

彼が作った法案の多くは、道路、建設、開発あるいはこれらの財源措置や特殊法人に関するものでした。

特に、かつての民主党政権の際に問題になった
「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」
も角栄先生の議員立法として成立したものですが、要するに
「都会のサラリーマンがガソリン購入の際に支払う税金を、田舎の道路工事のためにばらまく」
というものであり、建設業界と地元のゼネコンを利するという目的においては、非常に分かりやすい代物でした。

この特別措置法とか臨時措置法とかいう法律の名称ですが、平たく言えば
「理論や体系をぶっこわした、意味も論理も不明で、合理的な説明のつかない、狂った法律」
とも評すべき代物です。

さらに、言いますと、ドイツのある時代のある法律には、特定の民族の財産を没収し、国有化する、という法律があったそうです。

法律には、まともなものも勿論ありますが、狂ったものもあり、しかも、その全容は、誰も把握できないくらい、星の数ほどあります。

法律が誰も把握できないほどの数があり、しかもその中には狂っているものがあるわけですから、遵守するしないのはるか手前、そもそも
「何がルールか」
を理解する段階で大きな問題を孕んでいます。

以上のとおり、法律が誰も知り得ないほど数多く存在し、法律自体に、間違ったものや、狂ったものもあるわけですから、
「健全な常識にしたがって行動したら、それが法令違反だった」
ということも、起こり得る話です。

そもそも、法律自体、理論や科学で説明できるものではなく、単なる価値の体系であり、偏見の集積であり、特定のイデオロギーに過ぎません。

現代社会では、
「金利を付して金銭を貸す行為」
は法律上全く問題ない正当な取引活動ですが、他方で、人身売買や奴隷労働の強制は完全な違法行為です。

他方、数百年ほど前、ヨーロッパでは、
「金利をつけて金銭を貸す行為」
は完全明白かつ重大な違法行為である反面、人身売買や奴隷制度は全く問題のない適法行為とされていました。

また、今では、お酒は誰でも楽しめる嗜好品として手軽に入手し毎日呑んでも文句は言われませんが、かつてのアメリカでは、酒は違法薬物並に扱われた時代がありました。

現在、オランダでは、マリファナ(大麻の葉や花を乾燥させた物)やハシシ(大麻樹脂)などの大麻加工品の個人使用は罰せられません。

要するに、法律自体、適当で、いい加減で、時代や場所の雰囲気やノリで、わりと適当に決められるわけですから、普通に生きているつもりでも、知らない間に、重大な法令違反をしている、ということはごく普通に起こり得る事態と言うことができるのです。

以上のとおり、
「人間は、生きている限り、本能と自由意志がある限り、ルールやモラルによって本能を抑えこむ、ということはおよそ不可能」
であり、かつ、
「そもそも、ルールやモラルの全てを把握しているわけではないし、知らないところでこれに抵触することなど普通に起こり得る」
ということがいえるのだと思います。

「そもそも、ルールの全てを把握しているわけではないし、ルール自体が常識の欠如した方が制定に関与しており、中身も常識や倫理とは無縁のもので、常識にしたがって常識的な行動をしたら、知らないところでこれに抵触することなど普通にあり得る」
ということは、もはや明らかです。

やはり、
「げに恐ろしきは法律かな」
といえます。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00668_民事裁判官のアタマとココロを分析する(6):具体的条件を提示した和解の斡旋は、「(従わないとエラい目に遭う)命令」

例えば、一審は勝訴したものの、一審の裁判官も、明々白々な証拠があって、雲1つない晴天のようなすっきりとした気持ちを持ち、胸がすくような形で、一方当事者を勝たせた、ということではない、というケースがあります。

一審判決を読むと、ためらい傷が残るように、懐疑を挟み、躊躇(ちゅうちょ)を覚えつつ、最後まで晴れ晴れとした気持ちではなく、
「どっちもグレーでやましいが、どっちがマシかというと、まあ、こっちかな」
という感じで勝たせてくれたような事件だとします。

そして、相手方が控訴し、高裁審理に至り、そこで、
「第一回期日で即日終結し、新たな証人尋問や論点整理は行わない」
という
「6、7割程度」
の一審踏襲フラグが立つカテゴリーに入ってくれれば一審で勝訴した側も安堵していいかもしれません。

しかし、残念ながら、審理続行となり、やれ、主張の追加や補充、追加の書証の探索と提出、さらには、証人尋問まで行われる、という訴訟指揮を高裁がした場合、1.3審制の
「0.3」
に入っちゃった、ということになります。

高裁で
「第一回即日結審」
してくれず、その後も、グジグジ審理する、ということは、
「高裁は、一審の判決に懐疑的であり、ひっくり返す気持ちマンマン」
という状況が見て取れるのです。

また、高裁の裁判官の出してきたメッセージも重要です。

和解には、単に
「和解を検討せよ」
と、抽象的で漠とした感じで和解検討を指示するときと、
「これこれこの条件での和解を検討せよ」
と、具体的な条件を明示した和解検討を指示するときの2つがあります。

前者は、文字通り
「まあ、和解でも考えてみれば?  もし話が折り合うようならそれはそれでこっちも世話を焼いてあげるし」
という
「とりあえず、適当に、言ってみただけ」モード
です。

もちろん、気に食わなければ、あっかんべーして拒否っても問題ありません。

しかし、後者の場合、
「これこれこの条件での和解を検討せよ」
と、具体的な条件を明示した和解検討を指示したときは、明快な日本語に“翻訳”すると、
「和解をしろ」
という命令です。

だって、判決をも食らわせることのできる権力者が具体的な条件を示して言っているわけですから。

高裁という
「実質最終審」
の裁判所が、そのような命令を口にしたとき、空気を読まずに安易に拒否るのはスゲーヤバイことになりかねません。

例えば、和解を担当した裁判官が、
「一審は勝訴した支払全額を免れたかわかりませんが、ここは、500万円程度、お支払いされたらいかがでしょうか、検討していただけますか?」
なんて話が出てきたら、言葉は穏やかですが、
「500万円、という具体的条件をビシっと明示して、検討を指示た」
わけですから、事実上の命令です。

すなわち、
「500万円で和解しろ、わかってんだろうな」
という命令です。

当該事件に関する限り、司法権、すなわち、
「事実を認定し、法を解釈して、結論を出すことを通じて、国家意思を示す」
という国家主権を独裁的かつ最終的に有するのが、高裁の裁判官です。

そんな人間からの命令を拒否ったら、確実に、後で泣きをみます。

ほとんどの事件は別に重要な判例の解釈や憲法論とかが議論になっているわけでもないでしょうし、最高裁はほぼ間違いなく門前払いです。

空気を読まずに蹴り飛ばしたら、逆転敗訴し、裁判官から祟りならぬ、
「逆転全面敗訴」
というご託宣が下され、遅延損害金まできっちり食らうことになり、ヒドい目に遭う結果になります。

以上は、高裁、事実上の最終審(99%最高裁はスルーされるので、99%最終審)の場合を話させていただきましたが、状況は、7割方最終審(70%は高裁でも控訴してもスルーされるので、70%最終審)である地裁でも同じです。

3割はひっくり返る期待が持てますが、7割は、地裁判決が、当該事件についての最終国会意思表明となるわけです。

地裁の場合、証人尋問実施前ですと、具体的条件を示さず、
「まあ、和解でも考えてみれば?  もし話が折り合うようならそれはそれでこっちも世話を焼いてあげるし」
という
「とりあえず、適当に、言ってみただけ」モード
の世話焼き・おせっかいもあり得ます。

もちろん、気に食わなければ、あっかんべーして拒否っても問題ありません。

しかし、証人尋問が終わった後の和解となると、ほぼ100%
「これこれこの条件での和解を検討せよ」
と具体的な条件を明示した和解検討を指示したものであり、
明快な日本語に“翻訳”すると、
「和解をしろ」
という命令です。

これを気に食わないからといって、元気よく蹴っ飛ばすと、待っているのは、和解条件をさらに不利に上書きされた、全面敗訴判決となります。

そして、控訴では、戦う相手が増えます。

すなわち、地裁では、戦う相手は、目の前の当事者だけですが、控訴審では、
「相手の当事者+不利な判決を出しやがった一審裁判所の連合軍」VS.「こちら側」
となり、しかも、審判・レフェリー・行司は、7割方、
「相手の当事者+不利な判決を出しやがった一審裁判所の連合軍」
の肩をもち、不戦勝とすることを決めている、予断と偏見にまみれた
「クソ審判」
です。

そういう状況実質解釈を十分踏まえて、控訴審はもとより、一審でも和解戦略を考えて対応しないと、思わぬところで足をすくわれかねません。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00667_民事裁判官のアタマとココロを分析する(5):「地裁で負けても高裁があるとか」舐めたこと考えてんじゃねえよ。日本は3審制でなくて、1.3審制なんだよ。

皆さんは小学校時代、
「日本の司法制度は三審制。地裁、高裁、最高裁、と、3回裁判のチャンスあり」
と習ったのではないでしょうか。

無論、それは形式上、論理上、建前上、間違いではないのですが、ただ、言葉と実態がかけ離れており、言葉を額面通り受け取ると、エライ目にあうようなお話といえます。

分かりやすく、実態に即した言い方をすれば、
「日本の司法制度は、一般的な民事・商事のトラブルを処理する裁判に関する限り、今や二審制となっており、最高裁はまず出てこない」
ということになります。

ちなみに、
「二審制」
すら形骸化されており、さらに大胆で分かりやすい言い方をすれば、
「1.3審制」
くらいになっています。

どういうことか、説明しましょう。

一般には知られていませんが、1996年に革命的に改正された新民事訴訟法が1998年に施行されました。

ベルリンの壁が崩れ去り、世界が資本主義によって市場一体化し、人・モノ・カネ・チエがグローバルレベルでぐるぐる回り始めた時代です。

そんな最中、行政が後見的に産業界の面倒を見る日本の市場構造は排外的であるとの批判を浴び、規制緩和が強力に推進されるようになりました。

規制緩和といっても、規制そのものがなくなるわけではありません。

そりゃそうです。

これだけ、人や企業がひしめきあって、蜜な関係を保って、複雑で高度な社会を形成し、それぞれが絡み合った経済活動や非経済的な社会的接触を日々あちこちで行っているわけです。

これで、
「殺すな、盗むな、犯すな。この法三章だけ。あとは、皆の自由だ」
なんて、古代に戻ったような文字通りの規制緩和を行ったら、それこそ社会は壊滅的な混乱に至ります。

要するに、
「規制緩和」
といっても、
「行政による、阿吽の呼吸による、不透明なわりに濃密で、関係者しか知らないような、規制」
が撤廃されて、ルールがすべて透明化・客観化されただけ、というのが事の真相です。

結局、行政が事前かつ裁量的に担ってきた規制対応を、行政が手を引いたので、あとは企業が勝手に法を解釈して自分のリスクやれと言われるようになったということです。

そして、予防法務は企業自ら弁護士を雇い入れて自己責任自己判断でやれということになり、紛争やトラブルは裁判でケリをつけるべしということで、それまで行政が主導して裁量的に処置していた問題が、予算もマンパワーも少ない裁判所に押し寄せることになったのです。

かくして、このような時代の要請に応えるべく、司法権力を担う裁判所は、大胆かつ静かに環境改善を行います。

民事事件のような
「一般ピーポーの意地や沽券(こけん)やエゴや欲得のぶつけ合い」
については、3回もかかわってはいられないので、よほど重要な事件でない限り、最高裁はシカト扱いできるようにして、実質二審制化しました。

その意味で高裁は、一般的な民事事件については事実上の最終審となり、その権威は飛躍的に高まりました。

また、
「実質最終審」
となった高裁も、
「エゴのぶつかり合い」
の事件の蒸し返しにいちいちかかずらっていられません。

その結果、高裁に上がってきた事件の6、7割程度は第一回期日で即日終結し、新たな証人尋問や論点整理は行わない、という運用が定着しつつあります。

その意味で、
「一般の民事の揉(も)め事も、地裁、高裁、最高裁と3回、きっちり事件をみてもらえるぞ」
というのは、
「理論上、建前上は、正しいが、制度運用の実体を考えると、現実的には正しくない、ファンタジー」
といった趣となっているのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00666_企業法務ケーススタディ(No.0224):不動産保有会社を格安M&A?

本ケーススタディの詳細は、日経BizGate誌上に連載しました 経営トップのための”法律オンチ”脱却講座 シリーズのケース31:不動産保有会社を格安M&A?をご覧ください。

相談者プロフィール:
富沢商事株式会社 代表取締役社長 富沢 松夫(とみざわ まつお、66歳)

相談概要:
新しいチェーン店を建築するための土地を探していたところ、土地を手放そうとしていたホテルオーナーから、M&Aを持ちかけられました。
ホテルは会社所有、会社株は100%オーナーの所有、土地建物も担保はなく、会社まるごと買ってくれるのなら、土地の時価ベースで7割くらいの金額でいい、とまでいわれました。
そこで、相談者は、M&Aをすすめ、会社を買ったらすぐに廃業し、建物を壊し、来年には新規チェーン店を開業してオリンピック景気に乗ろう、と考えました。
以上の詳細は、ケース31:不動産保有会社を格安M&A?【事例紹介編】をご覧ください。

本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点1:「人格ある経済実体・法的実体である企業」との取引
「建物付で購入した上で、更地にする」
となると、解体コストがかかり、さらに、地盤調査が必要であったり、軟弱地盤であることが判明したり、環境汚染が判明したり、埋蔵文化財が出てきたりと、リスクが増えます。
会社を丸ごと買うとなると、リスクはもっと増大します。
従業員は
「会社で働き、給料をもらう、という関係が続く」
前提が壊れるとなると、強く抵抗することになります。
たとえ、経済的には
「経営上必要な資源である更地を買う」
のと、
「更地になっていない土地の上に建物があり、その土地と建物を所有し、いまだ事業を継続している企業を丸ごと買う」
のが同じであったとしても、無視できない負荷や資源喪失の可能性や事件に発展するリスクの存在を確認でき、法律的・リスク管理的には、かなりの差異を生じます。
以上の詳細は、ケース31:不動産保有会社を格安M&A?【「人格ある経済実体・法的実体である企業」との取引】をご覧ください。

本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点2:「京品ホテル」のケースから学ぶこと
廃業に伴いリスクが衝撃的な形で顕在化した裁判例があります。
京品実業は、廃業し、京品ホテルを解体して更地にした上で興味ある事業者に売却し各種整理清算する目論見だったのですが、一部の従業員が労働組合を結成し団体交渉を申し入れ、さらに、裁判を起こすとともに廃業翌日から“自主営業”を開始しました。
メディアが連日報道し異常性と事件性だけが世間の耳目を集めたことから、京品実業はホテルの土地及び建物を引き渡すべき義務の債務不履行状態に陥りました。
以上の詳細は、ケース31:不動産保有会社を格安M&A?【京品ホテル」のケースから学ぶこと】をご覧ください。

本相談を検討する際の考慮すべき法律上の問題点3: 想定外の抵抗で大幅な時間費消
従業員サイドが自主的な退去を拒否したことから、強制執行が実施され、執行官・警備会社・警察側と、元従業員とこれを支援する労組との間で衝突が起きました。
元従業員らは強制的に排除され自主営業状態は解消されたものの、その後も舞台を東京地裁労働部とする訴訟は継続しました。
最終的には当初廃業通告から1年半超経過後に、労使間で和解が成立しましたが、企業側は当初想定していた退職金条件より相当程度負担の大きな金銭を負担させられただけでなく、時間や機会という貴重な資源を大きく損ねました。
以上の詳細は、ケース31:不動産保有会社を格安M&A?【想定外の抵抗で大幅な時間費消】をご覧ください。

モデル助言:
M&Aという取引形態そのものから考え直した方がいいでしょう。
ここは冷静に、
「カネほしけりゃ、更地にしてもってこい。
そちらのリスクと負担と責任で更地にして、売れるだけの準備を整えて。
余計なものがくっついて使えない土地なら、びた一文払わないよ」
という経済的に純化された目的に適合したスタンスを再確認し、取引構築を検討されるべきでしょうね。
以上の詳細は、ケース31:不動産保有会社を格安M&A?【今回の経営者・富沢社長への処方箋】をご覧ください。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00665_民事裁判官のアタマとココロを分析する(4):証人尋問は退屈で無意味なセレモニー

一般に、
「証人尋問は訴訟の最も重要で、ドラマチックな場面」
などと考えられているようです。

東京地裁が取り扱う民事事件については、連日、法廷において、
鋭い尋問、
動揺する証人、
喧々諤々とした論争、
丁々発止のやりとり、
連発される異議、
飛び出す新証拠、
傍聴席を埋め尽くすたくさんの傍聴人、
身を乗り出す裁判官、
などとテレビドラマのような熱気を帯びた法廷劇場が展開されている、とイメージされる方も多いのではないでしょうか。

しかし、実際の民事訴訟においては、傍聴人は、関係者が数人いる程度で、ほとんどが無観客試合の状態です。
この点で、まずは舞台イメージの問題として、拍子抜けするほど地味で、緊張感とか緊迫感はほとんどありません。

そして、そもそもの話になりますが、尋問の成果をアピールする相手である肝心の裁判官自体が、ハラハラドキドキを期待していませんし、ひどい場合は、
「今日、どこに飲みに行こうか」
と考えながら半分寝ていたり、あるいは完全に寝ている状態の裁判官もいたりします(「裁判官も年季が入ると、魚のように、目を開けたまま寝られる」というウソかホントかわからないような噂話を聞いたことがあります)。

ちなみに、司法修習時代、実務修習で法廷の壇上に立って裁判官と同じ目線で本物の裁判を臨戦(観戦)するというプログラムがあるのですが、壇上で修習生で寝てしまうというライトな不祥事が結構な確率で発生します。

ご多分に漏れず、修習生であった私も尋問中に壇上で何度かやらかしましたが、その時、裁判官になるには、頭の良さよりも、忍耐力か、あるいは、
「当事者や代理人にバレないように、魚のように、目を開けたまま寝られる」
という特殊技能を実装しないと無理、と見切りました。

さて、実務経験に基づく蓋然性を基礎とする判断をする限り、裁判官としては、ハラハラドキドキ、ドラマチックなサスペンスを期待するどころか、むしろ、そんな状況が目まぐるしく変わるような例外状況や異常事態など、却って迷惑(非常に迷惑)と感じています。

すなわち、よほどマイペースで無能な裁判官を除き、普通に空気を読める普通の能力をもつ職業裁判官は、証人尋問の
「前」
において、事件の勝敗の方向性(業界用語で「事件の筋」などと読んでいます)や心証は、主張の中身や書面の証拠だけでほぼ決定済みなのです。

裁判所という組織については、
「訴訟経済」という絶対的正義を追求しつつも、
効率を追求した結果、漏れ抜けやデタラメやミスやエラーやチョンボが多発して、
「国民の信頼」
を損ねてはいけない、
という組織課題もあり、このバランスを取りながら運営されています。

「訴訟経済」ということを考えれば、
欲にまみれ、怒りに打ち震え、感情的になったケンカの当事者の、要領を得ず、いつ終わるかわからない聞くに耐えない愚痴を、親切に寄り添って聞いたりするより、
長~~~いワリに中身のない話をミエル化、カタチ化、文書化、フォーマル化させて、文書と証拠として整理させて、妙なノイズを遮断した形で
「筆談」
させ、
それでチャッチャと結論出してしまえば、ラクだし、早いし、情緒的なノイズに振り回されることにより生じるべきミスやエラーも防げます。

とはいえ、試験、例えば旧司法試験や現在の司法試験予備試験を例にとって考えてみてください。

択一試験や論文試験といった筆記試験に合格しても、実際、口述試験で会って話してみると、
「口下手を通り越して、コミュニケーションがまったく取れず、まともな受け答えが不可能で、どう考えても法曹としての潜在的な適格性を欠いている」
という輩が紛れており、そういう例外的場合には(どんなに筆記でいい成績をとっても)不合格とせざるを得ない場合ということがあり得ます。

あと、優秀な成績で筆記試験で合格した後、口述試験の会場で登場したのが、金髪で、Tシャツ短パン姿で、サングラスをかけ、素足にサンダルで、ごつい金のチェーンネックレスで、巻き舌の関西弁でしゃべり、100メートル先からみても
「まんまヤカラ」
という人間であれば、いかに筆記試験で優秀な成績を収めたとしても、いってみれば、常識と倫理観が欠如した
「知能の高い、優秀な銀行強盗」
を法曹界に招き入れるというリスクが生じるかもしれないので、こういう人間も排除しなければならない。

このように、
「筆記試験に合格したことを以て、一定水準以上の能力を有する蓋然性が顕著で、合格の推定が相当程度及んでいる」
という場合であっても、選抜者全体の信頼性を担保するため、
「推定を覆す万が一の事態に備え、消極的・保守的確認」
をする必要が出来します。

そして、このような消極的確認を行うもっとも端的な方法は、筆談や文通である程度、話の筋や関係者のキャラを把握した上で、
「関係者や当事者に実際会ってみる」
ということに尽きます。

証人尋問もそのような趣旨で行なわれます。

ただ、そのような消極的意味合いがほぼすべてといってよく、
「証人尋問で、何か新たに発見したり、何か新たな事件の方向性を見出したり」
ということは、基本ありません。

両当事者の筆談や文通も支離滅裂で、話の筋も皆目見えず、どっちもどっちの状態で、さらに直接会ってノイズ混じりの愚痴や与太話を聞いたら、余計に混乱しますし、
「訴訟経済」
という民事訴訟における絶対正義を追求する観点からは、こんな不経済で非効率な方法は絶対やっちゃアカン、ということは明白です。

したがって、証人尋問において、いきなり全然違う話が出てきてまったく想定外の展開が出てきたり、状況を完全にひっくり返ったり、ということは滅多に起きないし、訴訟経済第一主義の裁判官としても、そんなことを望んでもいないし、むしろ、そういうドラマチックな逆転劇を生理的に忌み嫌っているものと思われます。

ただ、主張としても、書証としても、圧倒的に不利に立たされた当事者としては、そういう状況は受け入れるわけにはいけません。

一見、きれいに整ったストーリーや文書の裏側に、これを覆す状況や背景を見つけ出そうと躍起になります。これを反対尋問で、しんねりこんねり、突きまくるわけです。

これに対して、裁判所は、
「訴訟経済」
すなわち
「予断と偏見」
を以て、事件の方向性を決めて尋問に臨んでいる可能性が高く(というかほとんどこういう前提状況であり)、よほどの例外的事態でもない限り、「書証の面で不利な当事者が、反対尋問等で粗探しをして、些細な矛盾や齟齬や破綻を見つけて、鬼の首を取ったかのように快哉を叫んだ」という状況があったとしても、裁判所としては、当初の方向性を変えることは少ないです。

結果、証人尋問で、(主に依頼者向けの)派手なパフォーマンスで、一見すると反対尋問で相手をやり込めたような状況があったとしても、
「(些細な破綻や矛盾や齟齬はあったが)書証を覆すほどのものではない」
として、尋問前にすでに決定している態度を変えることがない、というのが民事裁判の現場で起こり得べき現実の状況なのです。

いずれにせよ、
舞台設定としてもギャラリーが皆無で地味ですし、
訴えかける裁判官自体が勝敗を決めてしまっていてしかも冷めていますし、
弁護士が反対尋問で大声で威嚇したり、
さらに相手の弁護士がこれに対する異議を出したりしても、
裁判官としても、つまらんケンカを見ているようにやる気なさげで面倒くさそうにたしなめるだけ、
張り切っているのは、弁護士と証人だけ、
という感じで、全体的になんとも空疎で、気だるく、結論がほとんど変わらない、負けそうな側のガス抜きと裁判所の
「手抜き」批判
を交わすための、無意味なセレモニー、というのが民事証人尋問の実像です(とはいえ、優勢の当事者としても、あまりにいい加減なことをしていると、旧司法試験や司法試験予備試験で最後の口述試験で落とされてしまうようなドジを踏むが如く、証人が重要かつ不利な話をはじめて暴走し、突然、状況が一変するような流れになる可能性もあるので、消極的確認手続きとはいえ、おちおち手を抜くこともできませんが)。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00664_民事裁判官のアタマとココロを分析する(3):国民の支持とか賛成とかどうでもいいが、「国民の信頼」を無くさないよう、むちゃくちゃ気を遣う

民事裁判官は、訴訟経済、すなわち、事件を解決するためのスピードと効率性を何より大切にし、
「予断と偏見」
という職人的スキルを使って事件を処理します。

他方、訴訟経済を追求した結果、あまりにデタラメや間違いが多すぎると、今度は、国民の裁判や裁判所や裁判官に対する
「信頼」
がなくなります。

「国民の裁判や裁判所や裁判官に対する信頼」
というのは、裁判所がもっとも気にかけるポイントです。

この
「国民の信頼」
というファクターは、国家主権の中の司法権という権力を独裁的に掌握する裁判所にとって唯一無二の権力基盤ですので、これを損ねることに対しては、裁判所はハイパー・ウルトラ・センシティブです。

国家主権のうち他の二権、すなわち、立法権を握る国会、行政権を握る内閣は、いずれも、メンバーなりトップなりが選挙で選ばれており、
「民主的基盤」
が明確に存在します。

ところが、
職権行使独立の原則をはじめとした特権(他にも、同年代の行政官僚と比べて給料が高い、オフィスが立派、官舎が広くて便利といった優遇措置など)が認められ、
司法権という(ときに違憲立法審査権を使って、立法作用や行政作用を吹き飛ばせる、という意味で他の二権を超越するくらい強力な)国家主権を独裁的・覇権的に行使できる
裁判所なり裁判官は、いってみれば、
単なる
「選挙も投票も経ることなく、ちょっと勉強ができて、小難しい試験に合格した、小利口でチョコザイな試験秀才」
というだけの存在
に過ぎず、民主的基盤はほぼ皆無です。

例えば、
「ある地域の住民全員の賛同を得たので、私を当該地域を管轄する裁判所の裁判官にしてくれ」
と最高裁事務総局にお願いしても、
「お前アホか。勉強して、司法試験合格してから来い」
と一蹴されるのがオチです。

国会議員や大臣は、皆の人気者であれば知性や教養や倫理や行動の品性が
多少「アレ」
でもなれることはありますが、裁判官だけは、どんなに人気があっても、原則として司法試験に合格しない限り、一生かかっても、死んでも、あるいは生まれ変わっても、なれません。

脱線しましたが、裁判所という組織については、
「訴訟経済」
という絶対的正義を追求しつつも、効率を追求した結果、漏れ抜けやデタラメやミスやエラーやチョンボが多発して、
「国民の信頼」
を損ねてはいけない、という組織課題もあり、このバランスを取りながら運営されています。

なお、
「国民の信頼」
は、
「国民の支持」
「国民の賛成」
「世論におもねる」
「世論調査を気にする」
「ネットの評判を調べる」
とかという話と、似ていますが、異質のファクターです。

国民の大半が、
「あの小学校に対する国有地売却、インチキに決まってんじゃん」
という意見を持っても、
「あんな凶悪そうで不気味でしょっちゅう地域で問題起こしている嫌われ者、あいつが絶対犯人だよ」
と考えても、
「なんだよ、あの厚生官僚、偉そうにしやがって。あいつが捕まってせいせいするわ。やっぱり、お天道様は、よくみてるな。ああいうエリートに限って、私は上級国民だから捕まりっこない、とかふざけた考えで、平気な顔で、重大な犯罪やらかすんだよ」
と思っていても、
裁判所は、そんなもの気にせず、意に介さず、ときに、そんな意見や考えと真っ向から対立する結論を出します。

そうやって、国民の大半の意見や考えと真逆の結論を出しますが、それでも、国民は、裁判所を
「信頼」
します。

ですので、
「信頼」
というのは、なかなか定義や特定が難しいもので、えも言われぬなものですが、
「選挙によって選ばれたわけでもないのに、受験偏差値の高い試験秀才というだけで、超絶的な国家権力をもたされている、民主主義国家において、異形の国家機関である裁判所」
がこれをひじょ~~~に気にしていることは確かです。

このようにして、前述のとおり、 裁判所全体も個々の裁判官としても、
「訴訟経済」
という絶対的正義を追求しつつも、
効率を追求した結果、漏れ抜けやデタラメやミスやエラーやチョンボが多発して、
「国民の信頼」
を損ねてはいけない、
という組織課題をふまえて、運営・行動しているのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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00663_民事裁判官のアタマとココロを分析する(2):「予断と偏見」を以て事件に向き合う

よほどマイペースで無能な裁判官を除き、普通に空気を読める普通の能力をもつ職業裁判官は、証人尋問の前において、事件の勝敗の方向性(業界用語で「事件の筋」などと読んでいます)や心証を決定しまっており、証人尋問を開始する時点では、主張の中身や書面の証拠だけでほぼ決定済みなのです。

いえ、もっと突っ込んだ言い方をすると、
「きちんとわかりやすく、明確で、根拠がしっかりしていて、時系列で整理されていて行ったり来たりせず、読んで話の中身と背景が頭にすっと入ってきて、話のゴールや法律的な要求事項もきちんと意識されているようなストーリーとエビデンス」
が訴訟の初っ端から提示されたら、反対当事者からこれを上書きするような別の話が出てこない限り、その段階で、事件の勝敗はほぼ決まります。

要するに、公式には表明されていないものの、民事裁判については、予断と偏見を以てスピーディーに“解決”することがその最も重要な機能であり、使命です。

ちなみに、“解決”という言い方をしたのは、含みがあります。

“解決”は判決とは限りません。

民事裁判のゴールは、
「判決」ではなく、
和解や取り下げ・放棄・認諾を含めた「解決」
がゴールです。

「解決」
という点でいえば、地裁で
「判決」
をらうことは、控訴や上告で覆ったり変更されたりする可能性がある、という意味で、
終局性がない、中途半端で、意義と価値が低い、いわば出来損ないの「解決」
となります。

「民事裁判については、予断と偏見を以てスピーディーに“解決”することがその最も重要な機能であり、使命」
なんて言い方をすると、法律実務を知らない学生などから
「予断と偏見を以て裁判するなんてことはありえないし、あってはいけない」
と青臭い反論がふっかけられるかも知れません。

無論、刑事裁判においては、建前として、
「無罪推定則がある以上、裁判所は予断と偏見を抱いていはいけない」
というフィロソフィーがある、ということになっています。

訴訟経済や思考経済に資するのは、ハラハラドキドキや大逆転や大どんでん返しなどではありません。

むしろ、適切な相場観と予定調和に基づく
「予断と偏見」
を以て、個々の事件を効率よく、波乱なく、すんなり、すっきり、とっとと終わらせることが、訴訟経済に最も貢献します。

裁判官が当事者に求めているのは、
「最後まで犯人がわからず、ラスト5分で衝撃のどんでん返しがあり、全米が仰天するような衝撃のサスペンス」
ではなく、
「冒頭に、ネタバレ付きのあらすじが、起承転結がクリアな話が端的な形で解説してあるような、小説(と出典情報と参考資料)」
なのです。

最初に、真犯人を把握した上で、予断と偏見をしっかりもった上で、推理小説や、サスペンス小説を読む。

「そりゃ、そういう読み方をしたら、効率的に読み飛ばしできるかもしれないけれど、つまんなくネ?」
というツッコミがきそうですが、裁判官は暇じゃないんです。

多くのノルマに追われ、殺人的に忙しいのです(実際、殺人的なストレスや仕事量のためか、体調やメンタルを崩され、定年退官前に、よく殉職されたりします)。

そして、大量の事件を、無駄なく、もれなく、間違いなく、スピーディーに処理するため、
「予断と偏見」
の力を使って、事件を見通して、仕事を処理していくのです。

「予断と偏見」
に優れた裁判官は、
「事件の筋が読める、腕のいい裁判官」
として、出世の階段を登っていくのです。

著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所

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