1 人間は人工知能やロボットではなく、本能をもつ「動物」の一種である
人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられません。
これは、歴史上証明された事実です。
「人間が生きている限りどうしても法を守れない」
「人間が生きている限りどうしても病気や怪我と無縁ではいられない」
こういう厳然たる事実があるからこそ、
医者と弁護士という「人の不幸を生業とするプロフェッション」
が、古代ローマ以来、現在まで営々と存在し、今後も、未来永劫存続するのです。
「人間は動物の一種である」
という命題です。
普段暮らしていると、忘れてしまいがちな、重要な前提があります。
人間は、パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもなく、これらとは一線を画する、
「動物」の一種
です。
そして、
「パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもない、動物」である人間
は、生きて活動する限り、ルールやモラルと本能が衝突したときには、必ず本能を優先します。
なぜなら、我々は「動物」の一種ですから。
もし、
本能に反して、ルールやモラルを優先する人間がいるとしたら、
もはや、その人は
「動物」ではなく、AIかロボット
です。
いつもいつも、そんな、清く正しく美しい選択をする人間がいるとすれば、社会心理学上稀有な事例として、研究対象となり、
「なんで、そんな異常なこと、理解に苦しむことをやらかすんだ?」
と考察と検証が行われます(社会心理学では、反態度的行動というそうです)。
2 どんなに修行を積んで立派になっても、人間、欲には勝てない
私が、コンプライアンスに関するセミナーを行う際にご紹介する興味深い事件があります。
宗教法人の高野山真言宗(総本山・金剛峯寺、和歌山県高野町)の宗務総長が宗団の資産運用を巡り交代した問題で、外部調査委員会が損失額を当初の約6億9600万円から約17億円に訂正していたことが明らかになった(2013年9月11日の毎日新聞「高野山真言宗」「損失額、大幅に増」「外部調査委)」。その他、2013年4月22日付「朝日新聞」朝刊「高野山真言宗 30億円投資 浄財でリスク商品も 信者に実態伝えず 『粉飾の疑い』混乱」など多数の報道) 。
高野山真言宗の八事山興正寺(名古屋市昭和区)の土地を無断で売却し、利益を不正流用したとして総本山の高野山側と前住職(69)が対立している問題で、名古屋地検特捜部は12日、寺事務所など複数の関係先を背任容疑で家宅捜索した(日本経済新聞電子版2017年9月12日20時50分配信)。
同寺の前住職らが約80億円を不正に流用したとして、現住職側が背任と業務上横領容疑で告訴状を名古屋地検に提出したことが16日、分かった。14日付。関係者によると、前住職は在任中の平成24年、寺の土地約6万6000平方メートルを学校法人に約138億円で売却。現住職側は、前住職がこのうち約25億円を外国法人に、約28億円を東京都内のコンサルタント会社に送金したと主張。いずれの送金先も前住職と関連のある会社だったとしている。前住職の代理人弁護士は取材に「告訴内容を把握しておらず、コメントは控えたい」と話した。高野山真言宗は無断で土地を売却したとして、前住職を26年に罷免しているが、前住職は「罷免は不当」として現在も興正寺にとどまっている。興正寺は名古屋国税局の税務調査を受け、27年3月期までの3年間に約6億5000万円の申告漏れを指摘された(産経WEST2016年9月16日12時57分配信)。
実に味わいがある、というか、深い、というか、考えさせられる事件です。
「この大それた事件、どこの金の亡者がやらかしたのか?」
と思えば、千日回峰行(空海が教えた密教の修行)を完遂した阿闍梨(仏陀の「完全な人格」にかぎりなく近づいている高僧)もおわします、立派で、高邁な組織で実際あった事件です。
この話以外にも、宮司姉弟間の殺人で話題になった富岡八幡宮事件や、カトリック教会の児童への性的虐待事件など、
「我々、無知蒙昧で、欲まみれで、薄汚れた、迷えるダメ人間」
を導いてくださるはずの、
「難行苦行や修行や日々の祈りによって、欲を克服した、精神の高みに達したはずの聖職者の方々」
も、私のような小心者の想像を絶する、大胆で、えげつないことを、敢行なさいます。
そして、
「特定の」という限定はつくにせよ、
聖職者の方々が敢行された犯罪行為の凶悪さ、大胆さをみるにつけ、なんとも感慨深い気持ち
になります(「だって人間だもの」という有名な詩の一節が頭を過〔よぎ〕ります )。
これらの事件やトラブルに接すると、
「どんなに立派な修行を積んでも、人間、決して、欲には勝てない」
というシンプルだが鮮烈な事実を、我々に改めて再確認させてくれます。
3 法やモラルと本能が衝突した場合、人間はどちらを優先するか
この話が、何につながるか、といいますと、
「人間が欲に勝てない以上、法やモラルを守れといっても、本能と衝突した場面では、必ず、本能が法やモラルに打ち勝つ!(と誇らしげに、高らかに言うような話でもありませんが)」
という社会科学上の絶対真実ともいうべき原理ないし法則につながります。
生まれながらの犯罪者や幼少期の特異な環境で虞犯傾向が顕著なまま成長し、反社会性が顕著で、意図的に罪を犯す場合もありますが、常識(という名の偏見のコレクション)にしたがって、心の赴くまま、ありのままに行動したら、知らないうちに法を犯していた、という場合もありえます。
独禁法違反や公務員(外国公務員を含む)への贈賄、テクニカルな要素が強い税法や金商法や知財関連の違反行為や権利侵害等など、
「お咎めを受けてもなお、一体何が悪かったのか、よくわからない」
といった類の法令違反事例も数多く存在します。
この点、金商法違反で前科一犯で実刑を食らったホリエモンこと堀江貴文氏について、一般の方や、あるいは司法修習生や企業法務を目指すなどとのたまう若手弁護士の皆様に、
「ホリエモンって、一体、どんな罪を犯したの? わかりやすく説明してくれる?」
といっても、皆、一様に口ごもります。
皆さん、ホリエモンが犯罪を犯したことは知っていますが、
「どのような法律があって(大前提)、ホリエモンがどのようなことをやらかし(小前提)、どんな悪さをどんだけ悪辣にやり遂げたのか?」
ということはほとんど理解していません。
「よくわからんが、司法当局が悪いことやらかした、と言っているし、マスコミもそう言っているから、多分、ホリエモンは悪い」
なんて、特定民族を、理由も不明なまま、悪者と扱ったり、差別したりするのと、同根の発想で、非知的で、愚劣の極みです。
話はそれましたが、
常識にしたがって、心の赴くまま、ありのままに行動したら、知らないうちに、世間の誰一人何が実質的に違法かについて説明できないような形で法を犯していたことになっていた、
という場合や、
「お咎めを受けてもなお、一体何が悪かったのか、よくわからない」
といった類の法令違反事例も数多く存在します
4 すべて遵守しようとしても、法律はあまりにも多すぎる
といいますか、すべての法律や規則はあまりに多すぎます。
法律のすべてを知っている人間は、この世の中にはいません、多分。
我々、神ならざる人間が、知らず知らずに、法を犯す、ということも十分あり得ます。
はずみで法を無視ないし軽視することももちろんあるでしょう。
また、法律自体に、間違ったものや、狂ったものも相当あります。
「健全な常識にしたがって行動したら、それが法令違反だった」
ということも、よくある話です。
法律は、俗に、
「六法」
などといいますが、6つだけではありません。
世の中には、6つとかの話では済まない、とてつもない数の法律が存在します。
法律だけで1,960とかあります。
これに、政令とか府令・省令とか規則とか足し上げていくと、法令全体の数は、8,284とかあります。
その中には、
ホニャララ「特別措置」法、
すなわち、
「理論的にぶっこわれてまともな説明が不可能だけど、とりあえず、まあ、いいから、これに従っといてもらおう」
といった趣の法律も存在します。
これら法律に加えて、通達といった従う必要があるのかどうか不明なものや、判例法といったどこに書いてあってどう使われるか今ひとつピントこないルールもあり、その全容は、内閣法制局でも、法務省大臣官房司法法制部でも、最高裁首席調査官でも把握できていないと思われます。
すべての法律を知っていて把握している人間がいるとすれば、円周率を万単位の桁で覚えている人間と同様、かなりレアな存在です。
それだけ法律があるわけですから、
「我々、神ならざる人間が、知らず知らずに、法を犯す」
ということも十分あり得ます。
はずみで法を無視ないし軽視することももちろんあるでしょう。
先程のホニャララ特別措置法や、どこぞの県に存在する意味不明な条例など、法律自体に、間違ったものや、狂ったとしか思えない内容のものも相当あったります。
5 法律のすべてが正しく理論的なものばかりとは限らない
「健全な常識にしたがって行動したら、それが法令違反だった」
ということも、よくある話です。
そもそも、法律ってどんな人が作っているのでしょうか?
もちろん、立派で法律を作るにふさわしい見識と教養をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋、あるいは、かつては現在拘置所にいる刑事被告人といった、
「様々な職種で構成される、我々カタギとは全く異質で強烈なオーラを放つどぎついキャラの方々」
です。
また、モラルや遵法精神という点においても、
・女性も好きで、さらに結婚式をするのも大好きで、結婚している身で、奥さん以外の女性とハワイで結婚式挙げちゃったり、
・国情や政治現実の調査に熱心なあまり、政治活動費を使って広島の繁華街のSMバーの視察に行っちゃたり、
・TTP交渉でクソ忙しい最中に、千葉ニュータウンの開発に伴う県道の建設にまつわる特定企業の補償交渉も熱心に行ない、また蓄財にも熱心になってしまい、少しお小遣いをもらっちゃたり、
・育休を取得している間に堂々と不倫をやらかしたり、
といった、
「法とかモラルとかに関心もなく頓着もしない、ワリと大胆なことを平気でやらかす、変わった常識をお持ちで、『皆の人気者』という以外にどんな素養や素性を持っているのかも今ひとつ不明な方々」、
要するに、
「皆の人気者」という以外に、(前提能力検証課題に関する制度上の問題として、)とりたてて見識や教養が求められるわけでもない方々
が、議員となって法律を作ったり、いろいろ意見を言い合って、最終的に法律を定める権限をもつわけです。
すべてとは言いませんが、これらはすべて国会議員あるいは国会議員だった方々のプロファイルであり、私が脳内でイメージする
「国会議員」の典型的な姿
もだいたい同じような感じです。
そんな、(カタギの我々を基準とする限り)変わった常識や理解困難なモラルをお持ちの愉快な面々が、立法機関のメンバーとなって法律を作るわけですから、そんな方々の作る法律が、常にかつ当然に何から何まですべてマルっと完全無欠で清く美しく正しい・・・なんてあるわけがあるはずない。
当然ながら、狂った法律、非常識な法律、守るに値しない法律、理論的に明らかにおかしな法律、というものも結構あったりします。
特に、議員立法と呼ばれる法律については、その出来具合はお世辞にもいいとはいえず、立法の中身も、
「基本的人権の実現や、よりよき国家や社会を創造したり、国益の向上を目指した、後世に残るすばらしい法律」
は少なく、
「○○族と呼ばれる議員センセイが、特定の業界の利益の向上と結びつくような法律」
だったり、
「選挙の際、専業主婦やサラリーマンに手柄としてアピールしやすい法律」
といった代物がほとんどです。
議員立法で有名なのは、故田中角栄先生です。
彼が作った法案の多くは、道路、建設、開発あるいはこれらの 財源措置や特殊法人に関するものでした。
特に、かつての民主党政権の際に問題になった
「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」
も、角栄先生の議員立法として成立したものですが、要するに
「都会のサラリーマンがガソリン購入の際に支払う税金を、田舎の道路工事のためにばらまく」
というものであり、建設業界と地元のゼネコンを利するという目的においては、非常に分かりやすい代物でした。
この
「特別措置」法
とか
「臨時措置」法
とかいう法律の名称ですが、前述のとおり
「理論や体系をぶっこわした、意味も論理も不明で、合理的な説明のつかない、狂った法律」
とも評すべき代物です。
さらに、いいますと、ドイツのある時代のある法律には、特定の民族の財産を没収し、国有化する、という法律があったそうです。
法律には、まともなものも勿論ありますが、狂ったものもあり、しかも、その全容は、誰も把握できないくらい、星の数ほどあります。
法律が誰も把握できないほどの数があり、しかもその中には狂っているものがあるわけですから、遵守するしないのはるか手前、そもそも
「何がルールか」
を理解する段階で大きな問題を孕んでいます。
以上のとおり、法律が誰も知り得ないほど数多く存在し、法律自体に、間違ったものや、狂ったものもあるわけですから、
「健全な常識にしたがって行動したら、それが法令違反だった」
ということも、起こり得る話です。
著者:弁護士 畑中鐵丸 /著者所属:弁護士法人 畑中鐵丸法律事務所
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